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ある故事

2010年02月22日

ふと思い出した中国の故事。

うろ覚えなのでビミョーに間違えているかもしれんが、ま、そこはご愛嬌~。



ある国の王が戦のために優れた馬を欲していた。

しかしどこの国も名馬を集めている。探すのは容易ではない。

王は、名馬のためなら、一頭のために千金までも出そうという。

しかし、国中捜し回らせたが見つからない。

困った王にある家臣が言った。

「私に任せていただけましたら、必ずや名馬を手に入れてみせましょう。」

そして国中にお触れをだした。

名馬であれば生き死には問わない。かならず褒美を出そう。

するとあるところから、名馬の死んだ首がもちこまれた。

なんと、家臣はその首に五百金を出して買い取った。

噂は瞬く間に国中にひろがり、それからまもなくあちこちより三頭もの名馬がもちこまれたという。

その価値をわかる者のところに、逸品は集まるという話。






なんでこんな話を思い出したのかな?
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 15:37Comments(0)聞きかじり・読みかじり

国を想う〜恵隆之介さんのこと

2010年02月22日

奄美二世の元海上自衛隊の現在ジャーナリスト・恵隆之介さんと電話でお話させていただく機会を得た。

恵さんは日本の現状、とくに左翼傾倒化した精神的荒廃を憂慮しておられ、その傾向著しい地方を中心に声をあげておられる。

その地方とは沖縄。恵さんの生まれた故郷であり、京都と並ぶ左翼の牙城だ。(ちなみに私の父は共産党員なので私自身は左翼も好きです。)

恵さんの著書で有名なのは、テレビ番組「アンビリーバボー」で話題となった「敵兵を救助せよ!」だろう。

「誰も書かなかった沖縄―被害者史観を超えて」というスゴい本もだされていて、現在かなりのプレミアがついている。近く大幅加筆のうえ再版予定らしい。近く注文して読みたい。

(沖縄の文化人がただよわせる被害者史観と「自分たちは特別」思考はかなり本土では有名。これは私も知識としては知っていたが、本土の言論人から直接きいて衝撃をうけた。これはマジで沖縄の人はよく考えた方がいい)

恵さんは憲法九条のために北朝鮮の工作船が目の前を行き来してるのに見逃さざるを得なかった、自衛隊時代の体験から、憲法九条のバカバカしさを身をもってご存じでいる。

憲法九条信者の方は恵さんの話をきいてみてほしい。あなた達の平和を愛する活動とやらが、拉致被害者を助けられたかもしれない機会を奪ったのだ。自衛隊員の悔しさがわかるだろうか。

恵さんは言われた。

「沖縄の人間が先の戦争や薩摩からの侵攻をいろいろ言うんだ。でもね、薩摩も関ヶ原で敗れてから300年、徳川にいじめられ続けたんだ。それを耐え、教育に力をいれ、力を蓄えて、結果的に幕府を倒して明治政府というもっとすばらしい日本の立役者になった。日露戦争にまで勝ったんだよ。沖縄は、薩摩に見習わなきゃいけないんだ。いつまでもうらみごと言ってるなんて精神的にもよくないよ」

私にもそのお言葉は深くしみた。いつまでも沖縄をうらむな。そう言われている気がした。

いつからか、どこからかはわからないが、確かにこの胸にある、沖縄へのわだかまり。それも、実に不毛なことなのだ。

奄美を輝かしい島とすること。公に益する文化を育てること。これが、すべてなのだと、改めて恵さんから一喝をいただいた気がした。

そして恵さんは言われた。

「僕の母はすばらしい人だった。どのように生きたら良いか、悩んでいた10代の僕に、母は教えてくれた。

『一番尊いことは、神様のために命を捧げること。二番目に尊いのは、国のために命を捧げること』 (恵さんのご両親は敬虔なカトリックだった)

この言葉を、今も忘れられない。僕は母の言葉で迷いがとれたんだよ」

それは、私にとっても大きな言葉だった。

より大いなるもののために命をささげる、人生をささげる自分であれ。

私は大いなるものに益する人間になりたいと、思う。




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:59Comments(3)つぶやき

甘い言葉はお好きですか?

2010年02月21日

昔いろんな宗教や霊能者の本を読んだら、こんな事がよく書いてあった。

いや、よくは書いてなかったかもしれないが、私が感動して覚えてたのはこんな一文だ。

「高位霊を名乗る者や、その者からの甘いささやきに気をつけろ」

「地獄への道は善意で舗装されている」

そして隊長からのお言葉ですよ。

「ああいう連中が修行者をおとすのは簡単だよ。『あなたは選ばれた人だ』って言えばいい。で、言うんだよ『自分を責めなくていい、ありのままの貴方でいいんですよ』ってな。まるで天使だろ?(笑)」

さすが隊長、修行なさってたからこそのリアルなお言葉ですね~。

ここに微妙なすり替えがある。1つ。本当に選ばれた人間ならば、甘えが許されるだろうか?天命とはそんな貴族思想だろうか?

もしも私が高位霊なら、たぶん、使命があり器があればこそ、あえて「ものすごい苦しみ」を与えながら、その意味を知って乗り越えよ、その経験をもって多くの者への知恵となれと諭すと思うんですよね。私だけなのかな?

私にはレベルの高い高位霊はいらっしゃいませんが、単純に考えてもいい先生ほどときにものすごい冷たいと思えるような的確なお叱りをくださいません?

もう1つ。たしかに、自分を責めすぎるのは罪です。しかし、向上のために自己探求・反省などを行じている者に対して、その言葉は適切ではない。

もっと言えば、「あ、やっぱ自分の悪いところなんか見なくてもいいんだ!いいところだけのばせばいいや~」と堕落に誘ってしまう。

オイオイ、見なきゃ直せないだろうが。どーすんだよ、その欠点は。致命傷だったらよ。

うーん。元プロってこうなんですね~。上手いっすね~。

正しい宗教が「禊ぎ祓い」や「八正道」「悔い改め」などで反省を重要視してる理由もまさにここにあるみたいですね。反省を忘れ慢心にはいったとき、 それが「魔道」への入り口なんですね。

そんなわけで、私も内なる「甘いささやき」に気をつけなきゃね!



『お菓子をそう我慢しなくてもいいんですよ。明日から少しずつ減らしていきなさい・・・』




(*´Д`*)ハァハァ .  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:27Comments(0)スピリチュアル

『刑務所の怪談』を読んでみそ

2010年02月21日

これは面白いですよ!

父と母が、「これは面白いわ」と絶賛しました。

元刑務官が、刑務所で起きる出来事をオカルト中心に書いた本です。

レイプ犯が服役中もいかにレイプがいいかを語り、次のレイプを想像して自慰にふけるなど、ほとんど更正不可能な様子や、犯罪者にまつわる背景とまわりにおきる霊現象を書いてます。

刑務所は公的機関なのでオカルトな話題はタブーだったようですが、やはりあちこちに御札が隠れて貼ってたみたいですね。

中でも印象ぶかい話を一つ。



正義感のつよいやくざがいた。やくざは、業界から仁義が失われつつあることを嘆き、失望していた。失望から覚醒剤に手をだし、そのせいかときどき狂ったように暴れる。そのときは必死の形相でとても手がつけられなくなるので、本人が「ヤバイです・・」と自己申告して独房に隔離する。

独房には監視カメラがついているので、ある日、なんとなしに暴れるやくざの様子を監視していた。独房の方からはやくざが壁や扉を蹴る轟音や絶叫が響いている。

すると、あらんかぎりの形相で暴れるやくざの上に黒いもやがみえた。

黒いモヤは、やがてセーラー服をつけた女子高生の姿になった。

女子高生から逃げるかのように、やくざは暴れていたのだ。

女子高生の手がやくざにのびる。女子高生の手はやくざの体を少しずつ引き裂く。やくざの体はあちこち肉が裂け、骨がとびでている。

刑務官は震えがとまらなかった。

やがてやくざが絶叫して気絶すると、刑務官はたまらず様子をみにいった。

やくざの体には傷ひとつなかった。女子高生の姿も消えていた。

全身汗でぐしゃぐしゃになりながら正気に戻ったやくざに、声をかけた。

「お前、あの娘に覚えがあるんだな・・・」

やくざはうなづいた。

「何したんだ」

「学校からの帰りに、拉致して、強姦(マワ)して、余所の組織に売り飛ばしました・・・・」

「クズが!何が仁義だ!あの子はたぶん死んだんだぞ・・・」

やくざは号泣した。

そのやくざはまもなく出所したらしいが、風の噂にもその後の消息はきかないという。




犯罪者の末路がよーくわかる一冊です。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:26Comments(0)オススメ本

ある軍人・牛島満

2010年02月21日

牛島満

1887年7月31日 -1945年6月23日(満57歳没)

沖縄戦直前の牛島満
生誕地 鹿児島県鹿児島市
死没地 沖縄県島尻郡摩文仁村(現・糸満市)摩文仁
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1908 - 1945
最終階級 陸軍中将(死後大将に昇進)
指揮 第32軍司令官
第11師団長
歩兵第36旅団長
歩兵第1連隊長
戦闘/作戦 シベリア出兵
日中戦争
→ 南京攻略戦
第二次世界大戦
→ 沖縄戦
賞罰 正四位勲一等功二級


牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。鹿児島県鹿児島市出身。沖縄戦において、第32軍を指揮し、自決した。温厚な性格で知られ、教育畑を歴任したが、指揮官としても、歩兵第36旅団長として武漢、南京攻略に参加し、功績を挙げた。

年譜 [編集]
1908年(明治41年)5月 - 陸軍士官学校卒業(20期)。
12月 - 少尉に昇進。近衛歩兵第4連隊附。
1911年(明治44年)12月 - 中尉に昇進。
1916年(大正5年)5月 - 陸軍大学校卒業(28期)。
1918年(大正7年)8月 - シベリア出兵(~1920年8月)。シベリア派遣軍野戦交通部参謀。
12月 - 大尉に昇進。
1919年(大正8年)4月 - 近衛歩兵第4連隊中隊長。
1920年(大正9年)8月 - 陸軍歩兵学校教官。
1924年(大正13年)3月 - 少佐に昇進。歩兵第43連隊大隊長。
1925年(大正14年)4月 - 歩兵第45連隊附(第一鹿児島中学校配属)。
1928年(昭和3年)3月 - 歩兵第23連隊附。
8月 - 中佐に昇進。
1930年(昭和5年)8月 - 下関要塞参謀。
1932年(昭和7年)8月8日 - 大佐に昇進。陸軍戸山学校教育部長。
1933年(昭和8年)3月18日 - 陸軍省高級副官。
1936年(昭和11年)3月28日 - 歩兵第1連隊長。
1937年(昭和12年)3月1日 - 少将に昇進。歩兵第36旅団長。
12月5日 - 陸軍予科士官学校幹事。
1939年(昭和14年)3月9日 - 陸軍予科士官学校校長。陸軍戸山学校校長(兼任)。
8月1日 - 中将に昇進。
12月1日 - 第11師団長。
1941年(昭和16年)10月15日 - 陸軍公主嶺学校校長。
1942年(昭和17年)8月8日 - 陸軍士官学校校長。
1944年(昭和19年)9月26日 - 第32軍司令官。
1945年(昭和20年)5月22日 - 南部撤退を決定。 6月23日 - 早朝、摩文仁の丘洞窟内で長勇参謀長らと自決(同日は沖縄県慰霊の日。自決は22日だったとする説もある)。同日付けにて陸軍大将に特進。

(ブログ読者様によると、自決前に昇進されてるそうです。)

沖縄戦

牛島の評価
ウィキクォートに牛島満に関する引用句集があります。沖縄戦において、牛島は万事を長勇参謀長ら部下に一任し、自らは責任のみ負うとした。しかし、沖縄戦後半に作戦立案を一任した八原博通高級参謀は、作戦を巡ってしばしば他の参謀と対立し、司令部に不協和音を生じる一因ともなった。また、大打撃を受けた5月4日の大攻勢や、民間人に多数の犠牲を出す要因となった首里撤退は、提案したのは長勇参謀長や八原高級参謀とはいえ、その判断は誤っていたとする指摘もある。

また、牛島個人としては、無辜の住民を戦禍に巻き込まない方法はないかと苦慮し、着任してすぐ県知事と協議している。当初は、輸送船を使っての住民疎開を考えたが、「対馬丸」が撃沈されたため計画は頓挫した。牛島は対馬丸撃沈の報を聞くと瞑目、合掌したが、手が震えていたという。また60歳以上の老人、国民学校以下の児童並びにこれを世話する女性を北部に疎開させるよう指示を出した。牛島としては、本島北部に住民を避難させて、軍民一体となった「玉砕」を防ごうとしたと見られる。これは一億玉砕を唱える当時の軍部の方針に反するものであった。八原高級参謀も「サイパンの二の舞は厳に慎むべき」と牛島の計画を支持した。(一方で、北部にある密林地帯、同地域で「やんばる」と呼ばれるその一帯には食糧の備蓄はなく、また長期間の避難では栄養失調、最悪で餓死者が出るということは容易に想像が出来たのではないか、とする意見もある。実際「やんばる」に逃れた住民の死因の大半は栄養失調や餓死であった。ただ、牛島としてはいざという場合に、軍用糧食を一般住民に配給する覚悟を決めており、側近にも漏らしている。)。また、牛島自らも県民と共に、首里司令部洞窟壕作りを手伝った。牛島は暇があるたびに作業現場を視察し、中学生や住民にまじって壕堀りの手伝いをした。県民の献身に感動した牛島は軍経理部に出来うる限りの給与を与えるよう指示している。

しかし、大本営が沖縄作戦を本土作戦のための時間稼ぎと考えており、牛島もこの方針に従い指揮していたことや、南部撤退の過程で県民に多数の犠牲を出したことが批判される。首里から撤収中、牛島は民間人の遺体を見るたびに合掌し、野ざらしになった死骸、親を失って泣き叫ぶ幼児、爆撃で黒焦げた親子の遺体を見るにつけ、「なぜ、このような惨状を事前に見通せず、喜屋武半島撤退計画に安易な決裁を与えたのか。軍司令官としての沖縄県民に対する責任を、いかにして償えば良いか」と苦悩し、首里撤退の誤りを認めている。 シュガーローフの戦いでは、精鋭無比を誇る米海海兵隊の猛突撃を1週間もの間阻止した。多くの海兵隊員たちは、仲間の死体の中で、日本軍の夜襲を受けるなど、死闘を繰り広げることなり、精神異常者が1500名以上も続出した。連合国側で高く評価されている戦いであるが、日本国内でこの戦いを知る人は少ない。

牛島は自決する直前の6月上旬、米軍に軍使を送るとともに、知念半島の非武装化を提案し、そこに県民を移そうとした。米軍も一旦それに同意したが、米軍の軍使が日本軍の狙撃兵によって殺されたため、その計画も頓挫した。

また、鉄血勤皇隊や女子看護学徒隊らに突然「爾後各個の判断において行動すべし」との内容の解散命令を出し、その多くが死傷または行方不明となったり自決したことの責任、自決しただけで自身は部下らとは違い、捨て身になって敵兵に向かい戦死したのではないこと、そして牛島の最後の命令が「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と降伏を否定するものだったこと(ただし、この文を実質作成したのは長野英雄作戦参謀で、『生きて虜囚の~』の件は長参謀長が付け加えた)から、戦後、沖縄県民には牛島に対し厳しい見方があった(ただし、元陸軍少佐の奥田鉱一郎は、牛島の首里撤退の誤りを指摘しつつも、「生き残った第32軍の将兵はもちろん、沖縄県民の牛島司令官個人への感情は、敬愛の気持ちこそあれ、反感や怨磋の声は聞かれなかった」と主張している)。

アメリカ軍事評論家のハンソン・ボールドウィンは、「太平洋戦争において日本の名将を二人あげるとするならば、陸の牛島・海の田中」と評し(田中とは、第二水雷戦隊司令官であった田中頼三海軍中将のこと)、牛島の采配を高く評価している。しかし日本国内では、島民の安全を考えて戦闘前に疎開させる配慮を行った硫黄島の栗林忠道陸軍大将や、沖縄戦において、玉砕前に戦後の沖縄県民に対して配慮の要望を記述した『沖縄県民斯ク戦ヘリ』の惜別電文を打った大田実海軍中将と比較すると、沖縄戦での牛島の采配に対しては評価が分かれている。(ただし前者については当時の沖縄県と硫黄島では人口が明らかに違ううえに、船舶の確保が難しい情勢および対馬丸事件に代表される制海権・制空権喪失による安全な疎開船運航ができない状況では、単純な比較は難しい)

最近、米国立公文書館から、牛島が自決の直前に鉄血勤皇隊の情報宣伝隊(千早隊)の隊長に、遊撃戦により戦闘を続けるよう命令する「訓令」の文書が大田元沖縄県知事によって発見された。当時、千早隊隊長が隊員に対し同様の命令をしており、「訓令」は、米国国立公文書館の米第10軍の戦闘記録に含まれていた。鉄血勤皇隊の解散前後の1945年6月18日付で発令され、千早隊隊長の益永董陸軍大尉あてに「軍ノ組織的戦闘終了後ニ於ケル沖縄本島ノ遊撃戦ニ任スヘシ」と命じている。


辞世の句
「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」
「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」

最期
6月23日午前4時30分、牛島は長勇中将と摩文仁洞窟にあった司令部壕で割腹自決をした。自決の直前、牛島は長参謀長と共に東方を拝して「天皇陛下万歳」を三唱。頬には涙が伝っていたという。午前4時頃、牛島は幕僚と共に、洞窟から外に出て眼下に広がる沖縄の空と海を見渡し、再度洞窟に引き返した。当初は摩文仁の丘の上で自害するつもりであったが、米軍の攻撃が激しく断念している。その夜は壕にいた生存者全員が集められ、牛島は皆に「笑って別れよう」と語り、一人ずつに酒とパイナップルの缶詰を振舞い、今までの労をねぎらった。

牛島は、戦闘に汚れた服から礼装に着替え、東方を拝して白い布の上に正座した。牛島は手に銘刀「来国俊」を持ち、「沖縄の人たちは私を恨みに思っているに違いない」と言うと、刀を腹に突き当てた。そして、以前より介錯を頼んでいた次級副官、坂口勝大尉が軍刀を牛島の首に振り落とす。しかし、坂口大尉は右手を負傷していたため、手元が狂って刃が充分な深さに達せず、代わりに近くにいた軍曹が介錯を行っている。

牛島の逸話
彼は昔から戦場で用便を済ます癖があり、必ず見晴らしのいい場所などを選んでいたらしい。中国戦線では用便中に中国軍の1個分隊が目の前に現れたが、その1個分隊を捕虜にしたというエピソードも残っている。 ある日、自宅に酔っ払いが表札の「牛島」を「牛鳥」と読み間違え、飲み屋と間違えて上がって来た事があったが、牛島は嫌な顔をせずに酔っ払いに御馳走したという。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:22Comments(0)聞きかじり・読みかじり

どこかで読んだ話

2010年02月20日

どこで読んだかはわかりませんが、ものすごく大好きな話です。



昔むかし、あるところに二人の僧侶が旅をしていた。

大きな川に通りかかったときに、一人の女が川を渡れずに困っていた。

一人の僧侶は戒律にふれないようにと女をさけて川を渡ったが、もう一人の僧侶は女に近づき、話しかけた。なんとそのまま、女を背負って川を渡りはじめた。

女を川に渡したあと、つれの僧侶は怒りに震えていた。濡れた衣をしぼり歩き出したあとも、僧侶の怒りはおさまらない。戒律をやぶったな、お前はしてはならぬことをしたのだ。道を歩きながらももう一人の僧侶をののしりつづける。

もう一人の僧侶は何事もなかったような顔で歩いていたが、やがて言った。

「わしはもう女人を降ろしたぞ。お前はまだ女人を背負っておったのか」





このお話だいすきー(*´Д`*)ハァハァ   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:02Comments(0)聞きかじり・読みかじり

ぽえむん 「花と私」

2010年02月20日

切り花は私にはつらかった

土から切り離され

枯れていく姿がつらかった

私にはそれは苦しみにみえた

どうして花は枯れるのだ

どうして蕾は開いてしまうのだ

どうして命は萎れるのだ

それが寂しくて

見るのがつらかった



ああ それは私自身だったのだ


悲しみは抑圧され

転嫁された苦しみと怒りは
孤独と寂しさになり

花はこんなにも優しいのに

手折られて 萎れても

こんなにも優しいのに

私は私の思いにたまらなかっただけだった



花を活ける

キレイだね
キレイだね

うちにきてくれてありがとう

最後までキレイに咲いてくれてありがとう

天国でもキレイに咲いて天国をやさしくしておくれ

ありがとう ありがとう


萎れたお花が きらきらと


どういたしましてとこたえてわらう


もっとキレイに活けれるようになるから

また私のところにきておくれ



私の悲しみは

前よりキレイになったかい  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:00Comments(0)ぽえむん

ヘラトリ・トピックス54号・アブダクションについて

2010年02月20日

うちの宗派のメールなんですが、内容の重要性にかんがみ、宇宙系の情報だけ、ここにのせます。
くれぐれも、レプタリアンとだけはかかわらないように!
彼らは洗脳・民族の分断なども超得意です。
なにかを疑う心・分をこえた利益を求める心は彼らをつけいらせます。やめましょー。
なんでレプタリアン関係だけとりあげるかって?
過去世にレプタリアンに関わってものすごくつらい目にあってるからですよ。私自身が。これを思い出したのは偶然でしたが。(七千年前の古代インカのときですね。)

みなさんは同じ思いをしてほしくないものですからね。


あ、ここから先はすこし宗教の名前がでてきます。宗教嫌いな人はスルー推奨。
















































『アブダクションの発端は、何だったのか?』


現在、幸福の科学の各精舎(海外支部)では「宇宙の法入門」「宇宙人について・UFOの真実」という御法話を御覧いただけます。
驚愕の内容で、まだ聴かれてない方には、是非、お勧めしたい法話です。(注1) (アマミキョ注・このなかで大川総裁の肉体を借りた孔子霊が理事からの質問にこたえて「宇宙のなかでの地球は、たとえるなら日本でいえば奄美大島」と言ってるそうです)

去る2/17、東京の渋谷精舎にて、その2本の御法話の解説講義が、幸福の科学大学小林早賢学長からあったのですが、聞くところによりますと、翌18日には、大川隆法総裁より、宇宙人に関して、また新たな御法話が説かれたとのことで、17日の講義の三つの論点(注2)のうち、2番目と3番目の論点については、総裁から、それに関して、総合的かつ霊的な御説明があったとの由。従って、その内容については、

「近く開示される新しいその御法話を聴いて頂ければ十分」
ということで、小林学長の講義では定番になっている“レジュメ”の配信は、「今回は無しになった」と伺いました。

それに対して、

「せめて論点1についてだけでもよいから、概要がわからないか」
との声が多数寄せられたと伺いましたので、今回は、私の方で、知り得る限りの内容を、かい摘まんで、まとめてみたいと思います。(第2論点と第3論点については、是非、御法話を御覧下さい。)


今月発刊された『龍馬降臨』(大川隆法/幸福の科学出版)の中で、龍馬霊が、大変面白いことを言っておりました。

「今、アメリカ政府は、エイリアンの完全に奴隷状態に陥っとるからなあ。宇宙人の方から技術を供与してもらっとるらしいから、完全に植民地化されとるので、勝てない。」(注3)

との、ギョッとするようなコメントですが、これに関する歴史的な背景について、これから少し、お話したいと思います。

今から申し上げることは、宇宙人に関して“情報鎖国”になっている日本では、驚天動地の“事実”ですが、

◎そのあまりにもおびただしい証拠の量、
◎政府から流出した、相互に独立した、別々の裏付け文書の数々、
◎直接関与した関係者の証言者の多さ、
◎彼らの上司に当たる立場のOB将軍達による裏付け発言(さすがに現役時代は、スパイ防止法にひっかかるので、沈黙していたが、退役してからは、部下達の発言を支持している)、
◎それらの政府高官の中には「カナダ政府の元国防大臣」も含まれること、
◎その場を収録したビデオの存在、
◎後述するように、少なくとも三人(数え方によっては四人)のアメリカ大統領が、この件について、何らかの形で、公式の場で発言していること、

等から見て、
「このような“事実”は存在しなかった」
と結論することの方が、はるかに無理があり、かつ、疑わしいと思われます。欧米のUFO-researcher(研究者)の間では、公知の“事実”となっているこの件に関して、アメリカ政府は、完全に沈黙を守り、一切コメントしておりません。
外交的には、このような態度は、
「肯定も否定もしない」
ということを意味しているのですが、その“肯定も否定もされていない事実”の真相について、これから明らかにしていきたいと思います。


時は1954年の2月にさかのぼります。いわゆるグレイと呼ばれる宇宙人の載ったUFOが、アメリカのロズウェル基地近くに墜落した1947年から、およそ五年後のことでした。
この年の2月下旬に、休暇でカリフォルニアに行った、時のアイゼンハワー大統領は、ある晩、突然、記者達の前から姿を消し、翌日の午後、姿を現すのですが(記者発表では、歯の詰め物が取れたので、夜中に急遽、歯医者に行ったことになっている)、この間、ホテルを抜け出し、近くの空軍基地(名前も確認されている、ロサンゼルス近くの基地と思われる)に向かい、そこで、有史人類史上初めて、宇宙人との公式会見を行いました。

そのとき会見した宇宙人は、Nordic(北欧系)と米政府内では言われる宇宙人二人で、その場である事柄(後述)について、話し合いが行われたのですが、最終的には、その二人の宇宙人の提案をアイゼンハワー大統領は拒否し、会見は物分かれに終わりました。
その後ほどなくして、遅くとも同年6月までには(根拠は後述)、別の宇宙人から、アイゼンハワー政権に接触があり、場所はおそらくニューメキシコの空軍基地で、両者のコンタクトが行われ、若干の話し合いの後、その別の宇宙人とアメリカ政府の間で、協定(条約)が結ばれました。

まず、同年2月の一回目のコンタクトの模様から詳述しますと、残されている記録によれば、二人の宇宙人は、北欧系の外見をした、背の高い(180cm以上)白人で、碧眼ではあるが金髪ではなく、白い髪であった。
会見では、まず最初に、Nordicの方から、最近のアメリカの核実験について、詳細に質問してきた後に、以下の4点が提案される。


1.原水爆の開発を止めて、核兵器を廃絶する。
2.それを他の大国にも呼び掛ける。(最強国の呼び掛けなら、他国も従うだろうから。)
3.それを約束してもらえるならば、地球文明の発展に大きく資する「科学技術」を、Nordicの方から供与する。
4.この協定は、おそらく今、貴方方がお困りであろう「グレイ」という宇宙人の脅威からも、貴方方を守ることになるだろう。

以上の提案を北欧系の外見をした宇宙人から受けたのですが、「核を廃絶する」という条件を飲むことができなかったので、この会見は物分かれに終わりました。

それからしばらくして、アメリカ政府は、別のタイプの宇宙人から接触を受けることになります。

この宇宙人の外見についても、詳細な記録が残っているのですが、このタイプについては、総裁からまだコメントが出ていませんので、今回は、この宇宙人の容貌に関するコメントは留保します。
(いずれにせよ、レプタリアン(爬虫類型宇宙人)等、地球人を驚かす外見の宇宙人が、いきなり外交交渉の場に出てくる訳はないので、大人の地球人が、交渉のテーブルに着けるタイプの宇宙人であったと申し上げます。このタイプの宇宙人の存在は、いきなり結論だけ聞くと、にわかに信じられないかもしれませんが、来週開示になる「アトランティス滅亡の真相」という御法話を聴いて頂けると、その可能性をご理解頂けると思います。アトランティス大陸滅亡の原因にも、宇宙人は関係していました。)

その宇宙人が言ってきたことは、一言でいえば、
「我々は、貴方方が核兵器を廃絶しなくても、科学技術を供与する用意がある。但し、そのためには、若干の条件を飲んでもらえないだろうか」
ということです。

そして、その宇宙人との間で、協定が成立する訳ですが、その場にアイゼンハワー大統領がいたかどうかについては(或いは事前に大統領から了解を取っていたかどうかについては)、明確な証拠が残っておりません。

ただ、明らかに国家意思として、協定が結ばれたことだけは、記録に残されています。

この協定は、
“1954 Greada Treaty”(1954年グリーダ条約)
と呼ばれています。
内容は、大きく4点から構成されており、

1.この協定は秘密にすること。
2.エイリアンは、合衆国政府に対して、「技術供与」もしくは「技術開発の促進」(help)を行う。
3.エイリアンは、地球上の他国とは、協定を結ばない。
4.その見返りとして、合衆国政府は、以下の点を許容する。
「エイリアンは、極く限られた人数(a limited number)に対して、期間を区切り(periodic)、アブダクション(abduction)を実施する権利を有する。しかし、その目的は、医学的調査(medical examination)とエイリアンが行った実験の追跡調査(monitering development)に限られ、人間を傷つけない(not harmed)。必ず元居た場所に戻し(return to the original point)、記憶を消し(no memory)、このような措置を取った人のリストを定期的に提出する(report a list of all human contacts and abductees regularly)。」

しかし、翌1955年には、早くも、「エイリアンに騙された」との認識が広がります。

提出されたリストは完全でなものではなく(not a complete list)、還ってこなかった人達もおり(not all return)、アブダクションされた人の数は、数年後には、あっという間に百万人を超え、収拾がつかなくなりました。
(「初期には、(不完全ながら)リストが提出されていた」ということ自体、驚きです。誰のところに提出されていたのでしょうか?それについては、機会を改めたいと思います。)
ちなみに、一点、補足しておきますと、今となっては、
「一連の出来事の黒幕がレプタリアンである」
ことは、明白ですが、現在もアメリカでは、政府内部はともかくとして、一般的には、
「グレイがレプタリアンのアンドロイド(バイオロボット)である」
とは、認識されておりません。いわゆるレプタリアンの“傭兵”扱いされていますが、一応、「独立した別の星系団から来ている宇宙人」ということになっています。
したがって、「グレイ=バイオロボット」説は、幸福の科学オリジナルの情報であり、よりショッキングではあると思います。

アイゼンハワー大統領は、その退任演説において、前後の文脈から見て、明らかに異様な、あるコメントを残しています。
国際政治学には、「産軍複合体」(the military-industrial complex)という言葉がありますが、この言葉を創ったのは、実はアイゼンハワーで、この退任演説においてでした。


「今、アメリカには、“産軍複合体”という、危険な権力が生まれつつある。この権力は、国民から正式な付託を受けていないのに(misplaced)、今や、国民の自由(liberty)とこの国の民主主義(democratic process)を、大変な危機にさらしている」

と言うのです。

一国の大統領の退任演説としては、あまりにも異常です。しかも、アイゼンハワーは、生粋の軍人上がりで、第二次大戦において、ノルマンディー上陸作戦を成功させ、ナチスドイツを降伏に導いた大西洋軍の最高司令官でした。

いくら人類の歴史には、
「武器商人と軍人の結託(産軍複合体)が国を危うくした」
事例があるからと言って、民主主義国家アメリカで、しかも、軍隊の現役最高司令官まで務めて、軍部を完全に掌握していたはずの、いわば身内にあたる大統領が、
「私にはコントロールできない危険なグループ(産軍複合体)があるのだ」
と、退任演説で告発する姿は、どうみても、まともではありません。
先程、二度目の(別の種類の)宇宙人との会見は、
「遅くともその年(1954年)の6月以前には、行われていたはずである」
と申し上げた理由は、同年7月上旬に、宇宙人の技術を移転のための第一回のハイレベル会合が、アメリカ政府部内で開かれており、以降、軍需産業への技術移転が始まったと思われるからです。

この政府内秘密会合は、元々、前任のトルーマン大統領の時代に、大統領直轄組織として、創られたものですが、これ以降、宇宙人問題の事実上の受け皿、意志決定機関となっていきました。(後述)
そして、この問題が、退任演説を通じて、事実上の遺言として、次期大統領であるジョン・F・ケネディに引き継がれていくことになります。

時は一気に1995年まで下ります。
時の大統領はクリントンですが、あるとき彼は、ワシントン・ポスト紙の看板記者から、記事中のインタビューで、次のように質問されました。

「なぜあなたは、UFOの真実について、もっと情報を開示しないんですか?」

実は、この質問には伏線があります。クリントンが大統領に就任した直後の1993年に、ロックフェラー家のローレンス・ロックフェラー(当主ではありませんが、クリントンの“パトロン”だった人です)の肝煎りで、UFO問題を調査するための研究会(round table)が、ホワイトハウス(大統領府)に設置されました。
著名な科学者等、約8名で構成されたこの会議は、二年ほど継続されましたが、1995年になって、突然、政府部内から強烈な横槍が入って、中止・解散を余儀なくされました。
冒頭の新聞記者の質問は、そのことに関してだったのです。


クリントン大統領の答えは、
“Sarah(記者の名前),there's a secret government within the government,and I don't control it.”
(この政府の中には、もう一つ、「秘密の政府」というのがあってね、私はそれをコントロールできないんだよ。)

驚くべきことに、これが、世界最高権力者の言葉なのです。最初はジョークかと思いましたが、どうも、そうでもないみたいなのです。

世の中には、いわゆる「陰謀説」なるものが、あふれていますが、コト、宇宙人問題に限っては、この考え方を、ある程度受け入れざるを得ないのではないかと思います。
というのも、さきほど申し上げた、「宇宙人からの技術供与」の受け皿になった政府部内の横断組織は、元々、建前上は、「世論形成(操作?)若しくは、共産諸国に対する心理戦」の意志決定に関する最高機関だったからです。(「設置に関するトルーマン大統領の指令」は、国立公文書館に残っています。)宇宙人問題に関して、徹底的な情報操作が行われてきた理由が、これでおわかりになるかと思います。

あと、歴史上有名な話としてあるのは、あのカーター大統領は、大統領選の候補者として、“UFO情報の開示”を選挙公約に掲げて、当選しました。(さすがに、当選後説得されて、情報の開示は、思い止まったようですが。)
但、彼は、ホワイトハウスのスタッフを通じて、ある研究をスタンフォード大学の研究所に委託します。

その研究テーマは、
“communications protocols”
と言われるもので、
communicationsとは「交流」ということですね。protocolsとは、一般的には「議定書」と約され、「地球温暖化に関する京都議定書」と言われるように、多国間条約のことを指します。
そして、ここで言う「交流」とは、実は、「宇宙人との交流」の事を指していたのです。

しかも、委託された研究者というのが、従来の産軍複合体型の取り決め(要するに、アブダクションとの交換条件で技術を入手していた「グリーダ条約」のこと)に対して、極めて批判的な研究者だったのです。
この研究者は、その既に10年前に亡くなっていたジョージ・アダムスキー(UFO研究家)の考え方を踏襲して、以下の立場を取っていました。


「この大宇宙に広がる、極めて多種類の宇宙人が存在する社会は、高度に連邦化されており、しかも、まだ宇宙レベルの交流に達していない種族(星系)に対しては、彼らは協定を結んでいて、基本的に「不介入」の方針を採っている。彼らは、地球人が大変好戦的で、破壊兵器(核兵器)を使いかねないことをとても危惧しているが、その一方で、
「地球人の精神的・科学的進化に貢献したい」
という気持ちも持っており、そのための地球人との交流の機会をうかがっている。」

従って、カーター大統領が調査・作成依頼をしたのは、そのような“友好的な”宇宙人達との「交流議定書」、もっとはっきり言えば、グリーダ条約に代わる新協定案であったことが、容易に推定されます。
しかし、この委託研究には、国防総省の方からスタンフォード大学に対して、圧力がかかり、同大学の研究所が、“自発的に”この研究を返上してしまいました。
(これについては、研究当事者の公開証言があります。)

このような過去の歴史を客観的にたどると、アメリカでは、民主党が政権を取ると、宇宙人に関して、何らかの情報開示努力が起きたことが、よくわかります。
このような過去の経緯を、研究者達も知っているので、今回八年ぶりに、オバマ民主党政権が誕生して、情報開示への期待が、一部には高まっているようではあります。
しかし、過去の経緯を見ると、この問題に首を突っ込んだ大統領は、その後、あまり良いことが起きておらず、しかも、黒人のオバマ大統領が潜在的にぶつかり易い勢力と、この宇宙人問題に敏感に反応するであろう勢力とは、少なからずオーバーラップすることが推定されるので、この問題は、思っている以上にデリケートな部分を含んでいると思われます。
しかも、それに輪をかけて、「霊的背景」があるであろうことは、今回の御法話を丹念に聴いて頂ければ、お分かり頂けるかと思います。

この問題は、結局、
「今、起きているアブダクションの規模を、どう判定するか」
ということに、帰着するのではないかと思います。
元々は、“限られた数の無害な実験”ということでスタートしたことが、数百万人から一千万人にまで広がり、しかも、映画「フォース・カインド」を観る限りでは、とても、
「犯罪行為ではない」
とは言えないレベルで起きている現状を考えるとき、これに対して、どういう答えを出していくのかは、なかなか厳しい問題です。
しかも、この問題は、オバマ大統領の運命を左右するであろう、「安全保障問題」(軍事費“削減”問題と言ってもいい)と、コインの裏表をなしており、そのあまりの“符合ぶり”には、運命的なものを感じずにはいられません。
これから日本は、大変な時代に入っていきますが、同時にアメリカも、凄い時代に突入していくことが、これによって予見されます。

そして、その意味合い(implication)を正しく洞察できるのは、間違いなく幸福の科学だけである、ということも、確信されると共に、大きな責任を感じます。
しかも、このテーマは(単に「宇宙人」だけではなくて、「国防」も「経済」も、全てが相互に密接に関連しているので)、
「片方の国(ex.日本)の意思決定が、もう片方の国(ex.アメリカ)に大きな影響を与えるだろう」
という意味で、人類の未来に直結するテーマでもあるかと思います。


ところで、1954年、アイゼンハワー大統領は、平和的なNordic系宇宙人と会見するときに、その筋の専門家は勿論ですが、ローマ・カソリック(バチカン)のロサンゼルス司教を同行させました。(名前も記録が残っています。)

宇宙人問題(人間は何処から来て、何処へ行くのか)という根源的問いに直面したときに、人は必ず、宗教に答えを求めます。ですから、「宇宙人問題」というのは、宗教にとって、本業であり、逆に言えば、宗教こそが、宇宙人問題の本道なのです。
(ちなみに、アダムスキーは、宇宙人に頼まれて、ローマ教皇に親書を渡しています。また、ケネディ大統領に請われて、二度ほど、ホワイトハウスに出向きました。)

いずれにせよ、私達は、「常識」を入れ換えて、新しい文明の地平を切り拓かなければなりません。

この一文がその一助となることを、心から願っています。
(2010.2.18)

(注1)最寄り精舎の住所等問い合わせは、0357931727(サービスセンター)まで。

(注2)2/17渋谷精舎七の日講話の第二論点と第三論点は、以下のとおり。

2.レプタリアンには、複数の種族がいるのか?
3.中国と宇宙人の関係

(注3)『龍馬降臨』P13
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:17Comments(0)ヘラトリ・トピックス(幸福の科学)

思いという凶器・無知という罪

2010年02月20日

「本当にあった怖い話」を読んでいたんですよ。

「霊能者・寺尾玲子シリーズ」と「霊感お嬢・天宮視子シリーズ」と「インナーメディスン(催眠療法シリーズ)」その他ときどきでる霊的世界からの見方が大好きでしてね。ええ、ただの怖い話はどうでもいいんです。

今月号の天宮視子シリーズ(といっても、最近は寺尾玲子さんとのコラボが多い)では、ある相談者のお子さんが難病にかかり、元をたどると実は相談者の親友が相談者にむけて呪詛をかけていたという内容でした。

しかもその理由が「自分よりも幸せそうでムカつく」から。自分よりも幸せそうな人間が不幸になることが「幸せ(というより、溜飲が下がる?)」らしい。

( ゚д゚ )あんた、アホですか?

と、素でいいたくなるのが実際にその呪詛でお子さんが難病にまでなってしまった(数ヶ月かけてなんとか治癒)のだから洒落にならない。

うちの師匠は病気の半分以上は霊的なものだと言ってたが、あながち方便でもないのかもしれないなぁ~。

以前の日記でも触れたが、右脳に協力な念アタックされると自分でもそうだと思っちゃうので、自分自身の念力も「使われ」ちゃうわけですよね。そういった場合、自分だけの力で跳ね返すなんてことはまず無理・不可能でしょうね。

その世界のことをよくわかってらっしゃるプロの宗教家の助力や、自分を愛してくれている他の方々からの支援の念力をいただくしかありません。と、私は思うのであります。

しかし、思いというものは恐ろしい。

この場合はたまたま呪詛のやり方を知っていたからおもてにでてきたのかもしれませんが、果たして、呪詛のやり方を知っていないから私たちは多少そんな思いをもっていても大丈夫だと言えるか?

私の以前勤めていた職場はすこし不思議な会社だったが、そこで師匠からさんざんこんな内容でご指導いただいた。

「あなたの思いが周りにどれだけの影響を与えているかを知りなさい。あなたは思いの刀でよく人を斬っています。○○さんが具合が悪くなったのは、あなたの思いですよ。」

恐ろしいことに、そのとき私には明確に「斬る」思いなどなかった。

ただ、「反発していた」だけだった。

その反発が、自分の自覚していない本音で「相手への悪意」にまでなっていたのだ。 これは私が特別なのではなく、本当に「ほとんどの人が無意識にしていること」だという。

その結果、私の念が刀となって相手の方を袈裟斬りにしてしまったらしい。(私はよく人を念で袈裟斬りにしてたらしい。された人はどこかで具合が悪くなる。師匠も、私の刀で何度も斬られたという。しかし師匠は私にそれを返さなかった。返そうと思えばできた方なのに。)

師匠はこうも言っていたような気がする。

「思いを統御しなさい。自分の思いを知りなさい。自分の思いを知らないから暴走させるんです。まず自分を知りなさい。思いはかならず影響します。それを止めるのは自分を知ることです。」

言葉でなく、自分の思いがすでに人を傷つけ、害していたとは。

それは私にとっては受け入れがたい霊的事実だった。

幼い頃から私はつねに反発と怒り、恨みをいだいてきた。その思いがかならず誰かにたどりついていたというなら、私はどれだけのことをしてしまったのだろうか?

それから、私は自分の中で反発心がおきるたびに「いま私は反発心を抱いている。しかしこれは自分の~の種に~がきている。これは正しい思いではない。」となるべく自覚するようにしてきた。

思いを垂れ流すことを戒めるようになったときから、少しずつ、周りが見えるようになったのかもしれない。

思いという凶器で人を傷つけないように。なるべくプラス思考でいきたい。

思いが力なら、誰かを生かし、支えられる力にもなれるはずなのだ。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:20Comments(0)スピリチュアル

ぽえむん 「白昼夢のされこうべ」

2010年02月20日

道端を歩いていたら

されこうべが落ちていた。

膝を折り眺めていると

されこうべが話し掛けてきた


俺の人生ろくでもなかった

いいことなんて一つもなかった

だから好き放題生きて

のたれ死んで いまこのざまさ

そこの娘さん

どうか俺のようにはならないでくれ

周りの人間に素直になってくれ

俺に優しくしてくれたあいつやあのこをないがしろにした

俺のようにはならないでくれ

生きてるうちに大事にしてやれ

ろくな奴にかまうより


ああ、やりなおせたらなぁ

ごめんなぁ、ごめんなぁ




私はされこうべさんに言いました

ありがとう 

あなたのおかげでとても大切なことに気付けました

生きてるうちに

生きてるうちに

あなたのおかげです

本当にありがとう



されこうべさんが言いました

俺のような奴にあんたはありがとうといってくれるのか

俺はいま 誰かのお役にたてたのか

こんな俺でも
こんな俺でも

伝えることができたのか

されこうべさんの眼窩から

夜露が一筋おちました


次の日道端を通りかかったら

されこうべはなくなっていました

あのされこうべは私自身だったのか




生きてるうちに

今のうちに
.  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:15Comments(2)ぽえむん

精神病と霊障との関係

2010年02月20日

ある東京のお客様のお話。

「アマさん、オカルトなお話スキですよね?」

「ええ、かなりすさまじく大好きですよ。政治とかも大好きですけど(笑)」

「アマさん向けのネタ仕入れましたよ(笑)」

「ホントですか????!!!どんなお話ですか?」

「これは東京の(略)できいたんですけどね。東京の心療内科学会の慰安旅行、奄美らしいんですよ。」

「へー。奄美の自然は癒しですからね~。沖縄なんかに負けないぞ☆」

「いや、そうじゃなくてね。・・・お忍びでお祓いにいくそうなんですよ。奄美って、ユタっていうの?有名な霊媒師がいるそうですね?」

「ええ、いますけど・・・。あー。つまり・・・・」

「アマさんが前に言ってたじゃないですか。精神病の人はほとんどオバケの影響があるって。・・・お医者さん達も、暗黙の了解でそれわかってるってことですよね・・・・」

「だから奄美のユタなんですね。うまいですね!たしかに沖縄でするよりは目立たないですね!」

「アマさんもユタになった方がかせげるんじゃないですか?」

「ああいう仕事してる人は、欲だした時点で命取りですよ。私なんか欲のカタマリですから、分不相応ですし、責任重大ですから怖くてできませんよ。アハハ・・・」

「奄美ってそういう一面があるんですね~」

「東京でそんな情報があるとは・・・」

「ね?アマさんの好みのネタでしょ?(笑)」

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:12Comments(0)聞きかじり・読みかじり

歴史といふもの

2010年02月19日

私は奄美大島出身だ。

しかしそれで差別を今現在うけたことはない。

一度中学生のころ、鹿児島で二人の大人男性にきかれるまま奄美出身だと告げたら

「なんだ、大島かっ!」といって露骨にイヤそうな表情をしてどっかいってしまったことはある。

そのときは心の中でてめーらおぼえてろよ!いつか黎明館焼き討ちにしてやるからな!!!と燃え立ったが、あ、ちなみに黎明館は鹿児島の一番大事な博物館です。

しかし、これは差別というほどでもないなと思えてきた。

過去、奄美の人間は沖縄でも鹿児島でも関西でも差別をうけてきた。

「大島もん」といわれ、蔑まれてきた。

でもそれは過去の話で、いまではない。すくなくとも、私の前では。

奄美の中では、今も薩摩に支配されていた植民地時代の抑圧された精神形態をひきづっているという。

明治維新になったとき、奄美の民の実に半分は農奴だった。歴史的背景をみたら、たしかにそういわれたらそうかもしれない。

師匠は奄美にきたとき、こう言っていた。「ここは一度文化が滅んでる。過去に一体なにがあったの?」

そんなこと言われても、薩摩が奄美の歴史資料をほとんど燃やしてしまいましたので、わかりません。(事故なんだけどね。)

でも、それは私達いまある奄美の民が、積極的に乗り越えるべきなのだと思う。

いつまでも、「苦しみと搾取」の象徴であるサトウキビなぞを主作物にする必要なんざないわけだ。

私は、奄美を豊かにしたい。

奄美の人々に、「奄美に生まれて良かった!」と想ってほしい。

師匠と、うちの宗派のある職員さん(沖縄出身・霊感アリ)が、別々に奄美にきて、同じことを言っていた。

この言葉がわすれられない。

「ホテルに泊まっていたら、眠れないんです。あちこちから声がするんです。『助けて』とか『お腹すいた』とか・・・・。涙がとまらないんです。」

過去へ手向ける祈り。

未来への確実な前進。

それは、今を生きる者達の役目なのだと思う。   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 20:40Comments(0)奄美

奄美のスゴさ

2010年02月19日

私は中学生の頃まで、親が嫌いだった。

正確には、好きではあるが、親に甘えてばかりで、自分の不幸をすべて親のせいにしていた。

その考え方を根底から覆してくれたのは、奄美の昔話と島唄だ。

はじめて奄美の昔話を知り、島唄をきき、その意味を知ったとき、私は雷に打たれた。


『ヤスデのはじまり』
あるところによく似た3人の姉妹がいた。
年老いた父は、自分の財産を最も親孝行な子供に譲ろうと考えた。
3人の姉妹にはそれぞれ生まれたばかりの乳飲み子がいたが、父は3人の娘を集めてこう言った。
「自分はある病気にかかり、ユタに診せたらもう長くないと言われた。しかし、女の乳を飲めば長らえるとも言われた。お前達の乳を私のためにわけてくれないか」
2人の娘は「もうすぐ死ぬお父さんより、我が子の方が大事に決まっている」とつき離したが、末娘は「我が子はまた産めばいいが、父親は一人しかいない、お父さんに乳をさしあげます」といった。
父は末娘に財産をすべて渡したが、2人の姉はそれを妬んで妹を殺し、財産を奪ってしまった。
それを怒った天の神が、二人の姉をヤスデに変えてしまったというお話。
親不孝をし、人の道に外れると死後ヤスデになるという戒めのお話。







『行きゅんにゃ加那(かな)節』

アンマ(母さん)とぅジュウ(父さん)
心配(しわ)だか考げんしゅんな
アンマとぅジュウ
米取ぅてぃ豆取ぅてぃ
みしょらしゅんど(食べさせますから)

(母さん父さん心配しないでくださいね
私が生活のお世話をしますから)





『くるだんど節』

1,なれよ茄子 花の咲きゅん数
一枝のこさず なれよ茄子

2,胸に染めろ 親のゆすぃぐとぅ(諭旨事)
一言のこさず 胸に染めろ

3,アンマ(母)ぬ うかげ(御陰)
大島紬のウサ打ち(織り方)習たんや
アンマぬ うかげ

4,ジュウ(父)ぬ うかげ
そろばんつづむてぃ(弾いて)
読み書き 習たんや
ジュウ ぬ うかげ




この歌をきいたとき、涙がとまらなかった。

すさまじい搾取と飢えに、どんな荒れ地にも生える猛毒のソテツを毒抜きし常食とすることでしか生き延びられなかった時代に、半分の民が農奴になるしかなかった時代に、それでも親の尊さを歌にした、奄美の先人たちの極限の思い。

先人たちのつないでくださった今の時代、めぐまれている私は、どの口で親をなじれるというのか。


それから、私は親のことを「大恩ある存在」と素直に思えるようになった。

あいかわらず甘えているし、生意気なことも言っている。

だが、親を尊敬し、親にお返しさせていただきたいと、素直に思える心をくださった奄美の神に、ご先祖さま方に、そして両親に、感謝している。

人間がそのままでは一生かけても学べるかどうかという崇高な精神を、奄美の歴史が、先人の歌いついできた心が教えてくださったのだから。

郷土とは、尊いものだ。

私は奄美が大好きだ。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:26Comments(0)奄美

大震災のとき・宗教団体編

2010年02月19日

これは東京にいたとき、うちの宗派の職員さんからきいたお話。

でも、これはうちの宗派にかぎらず、当時ほぼすべての宗派がこのような状態ではなかったかと思う。

宗教団体の社会貢献は決してテレビにはでませんから。


宗教キライな方はスルー推奨。





























東京南部支部で7年前、当時の石見支部長にきいたお話。

石見支部長、お元気ですか~ヾ(。・ω・。)ノ゛

阪神大震災の話になったとき、苦笑いしたまま何も語らなかったので、
あとで細かく問いつめたらやっとききだせた。(笑)


「・・・あのときは、朝テレビでみててね、あー、大変なことになったなぁ、と。で、そのまま本部に出勤して、夕方帰り支度してたら、デスクの電話がなったからスタッフかな?と思ってでてみたら、なんとヘッド直々だよ。マジでビビッたね。で、怒鳴られた。

「一体なにをしてるんですか!職員は今すぐ神戸にいきなさい!」

てね。で、家に戻ってとりあえず三日分の服だけもってそのまま2週間。まさか2週間もぶっ通しいるとは・・・(笑)え?もちろんそのとき連絡とれた全員だよ。中堅宗教団体が、本部ほぼ空っぽ。(笑)ありえないよねー(笑)
で、2週間して一旦着替え取りにかえって、そのあと一ヶ月いたかな。
でも神戸はあの惨状でしょ。とても入れない。で、岡山に大きいスーパーもってる会員さんがいたから、そこを救援本部にしてね。岡山だと神戸まで一本だから。そこの大きな倉庫をお借りして、とりあえず全国の支部からの救援物資はみんなそこに一旦集めたんだ。
救援物資を振り分けして整理するのもすごい大仕事だからね。なにせ数が違うから(笑)
そこのスーパーの社長さんはすごい人でね。揺れを感じてすぐ

「これは近い、被害もたぶん尋常じゃない」

と思ったらしくて、朝五時に社員全員に緊急で呼び出しかけて倉庫とスーパー開けさせていつでも店の物を届けられるように準備させてたらしい。
一番苦労したの?食べ物だね。最初が一番足りなかった。いくらあっても被災者の数が圧倒的だから、すぐ無くなる。おにぎりさえもいってない避難所もたくさんあったからね。
キャベツの千切りが五メートルくらいになってるの、見たことある?そんな山があちこちにできたよ。むいたジャガイモの山とか(笑)野菜とかはくるんだ。でも、調理しないといかんでしょ?被災地は半端ない寒さなんだから、パンとかよりもあったかいごはんを何よりもほしがってる。だからカレーとか豚汁が喜ばれる。でもそれにはつくらなきゃいけない。朝から晩まで野菜刻んで腱鞘炎になった会員さんもいたね。
一週間くらいしてあちこちから救援の手も回るようになって御飯がメドがついたら、次は何だと思う?お風呂だよ。だからあちこち手配して、移動式のお風呂をだしたら、喜ばれたねぇー。自衛隊さんからもほめられたらしいよ。(笑)
ヘッドからも支援物資セットがいくつかきたんだけど、そのなかに何故か大量の写るんですが入ってたんだよ。これ、何につかうの?ってみんな思ってたんだけど、あとになってわかったね。
家の保険とか支援金の申請。被害を写真にとらないと申請できないらしいんだよ。でも、被災地でカメラなんかあるわけがない。しばらくしてからあちこちの団体からも

「写るんです、こっちにもゆずってください」

ってきてね。ああ、このことかって。」


その事を師匠に話したら、師匠は言葉すくなに話した。

「あのとき、●●さん(宗派の理事の一人。当時本部長)、神戸の救援に一年ほどついてたの。ときどき東京に戻ってくるたびにうちにきてたんだけど、すごかったのよ・・・・。くるたびに背負ってくる霊の数が普通じゃないの。あんな・・・見たことがないわ。みんな「イタイ、イタイ」って言っててね・・・。●●さんも原因不明で目を痛めてね。明らかに霊障なのよ。
・・・・大変なことだったのよ・・・」


私には言葉はなかった。

当時、私は中学生だった。

亡くなられた方々が安らかであられること、祈るのみだった。







決してオモテには出ない物語。いろんな宗教のたくさんの人々が、人知れず命がけで誰かを救おうとしていた。

そのことを、伝えたいと思う。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:22Comments(2)聞きかじり・読みかじり

ち・か・ら

2010年02月19日

よく超能力や霊能力にとびつく人がいますね。

はい、私です。ミーハーですみまてーん(≧ω≦)

すごい力にはひかれるものはありますね。

特に過去・現在・未来の透視や秘密パワーの伝授、願いを叶えるなどは、昔からニーズの高い分野ですよね。

恋愛に悩む若いねーちゃんとかは食いつきいいというのもわかります。

で、何が言いたいかと言いますとね。

上記のことをもっとも得意とする存在がいるんですよ。





















古代からの邪神、西洋で言われるところの『悪魔』ですね。

これのヤバイのの一部がインドやチベットにもいます。

おっと、これ以上はヤベーヤベー


'`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、










悪魔はざっと三世は見通します。願いも叶えます。霊能力や超能力を開くこともできます。元プロの宗教家だった悪魔は慈愛や戒律もフツーに語ります。見た目は神様そのものです。そらそうだ、転落した元神なんだから。






謙虚に道理を学ぶ姿勢なく、安易にそっち方面にひかれると、ひっぱられますよという(自戒の)お話。

あ、悪魔が得意なもう一つを書くの忘れてた。


「負の感情を増幅させること」ですね。








くわばらくわばら・・・・(*´Д`*)ハァハァ



ただし、悪魔には「契約」という概念があります。

人間は「神の子」なので、「すすんで自らあっち側入り口こないかぎりはひっぱれない」んですね。

だから、「代償」や「供物」と言う形で「本人をうまく納得させる形で」ひっぱります。

無論、悪魔とつながるほどに「負の感情」が大きい人は別です。

そーゆう人は、悪魔に見えるようにデカデカと「スカウトしてね☆」看板ぶらさげてんのと同じですから。






ん?なんでこんな事書いてんだ?
.  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:15Comments(0)オカルト

仕事でつかうよもぎ

2010年02月18日

をもぎってます。

義理の母がとってきて干してくれたよもぎを、軍手でバラのトゲをとるみたいに一気にもぎます。

香りに癒されてもう
(*´Д`*)ハァハァ


この子達が、やがて温熱タオルや薬草オイルになってくれます。

お風呂に入れてもあったまるんですよ!
(。・ω・。)ノ  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 15:32Comments(2)仕事

技術三割・こころ七割

2010年02月18日

これはあくまで妄想。


あるお客様、右腰がとびきりキツかった。

いつもは疲れがたまっているところをアプローチするとケムリでいぶされてるかのように目がシパシパしたりもにゃもにゃしたり、ひどくても眠くなるくらいなのだが、今回はそんなもんじゃない。

ふれているだけで体からエネルギーが吸い取られふらふらする。頭が真っ白になり、無意識に顔をしかめて耐えてしまう。

これはなんだ?ただの疲労じゃないぞ?オバケ?本人のストレスの念?(結構多い)にしてもハンパねーぞ?どうしたらとれる?祈りか?星か?奄美の神様?それとも日本刀?

もう頭いっぱいいっぱいで自分でもわけわかめ状態。

そのとき、おじさまの声がきこえた気がした。

「“技”に頼るな。この者が楽になることを願え。お前の師はなんと教えたか」

え?師匠ですか?えーと、技術三割、こころ七割?つねに与える側になれ?

あ。

私はお客様に気づかれないように合掌した。しずかにこころをすませてみた。

どうか、この方が楽になっていただけますように。疲れがとれて、ニコニコ顔になれますように。

するとあんなにスゴかった疲れが、流れる流れる!!!もうさっきまでのあのすさまじい抵抗はなんだったのってカンジですよ!!

ああ、これが師匠のゆってた「愛で流す」ってことか。

おじさま、師匠、ありがとうございます。

また秒速で忘れてしまうといけないから、こちらに認めておこう。


これはあくまで妄想。イメージ。  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 02:35Comments(0)仕事

メンタルヘルスと信仰

2010年02月18日

奄美は多いですね!精神疾患のかた。ええ、大体先祖系だとユタはいいますね。

でも、私、思うんですよ。もし先祖系だとしても、血のつながりにおいて親和性をもつという時点で本人の意識課題ですよね?

もちろん、憑依という状態だと他人格の干渉を受けている状態なので本人だけの努力ではかなりツライものがあるのだというのもわかります。しかもそれがつよい阿修羅霊や自殺霊などだと、その人格干渉も並大抵ではないので、自分の意識がかなりつよくないと、容易にその憑依霊意識にのみこまれてしまいますね。

その場合どうするか?そこで奄美のユタはよく「先祖をまつれ、神を拝め」といいます。

でも、正直いってですよ、奄美の場合、その神を祀るユタが色情のカタマリの方が多かったり道を説く部分が皆無の方だったりして、どうにもしっくりこない。

私は思うんですけどね。神様を祀るのはもちろん大事です。というか大前提です。神様とのご縁をいただくことでこころが神様にむくことはもちろん、神様の加護をいただいて、ある程度神気によって憑依霊の邪気を祓い、また本人の意識にも神様にむかうことによってプラス波動への親和性をもたせ、マイナス波動からの切り替えを促進することもできる。

でもですね。そこに加えて、私は仏教でいうところの『正見』とでもいうべき部分、神道ではなんていうのかな?そういった、『問題の根本原因の明確化』『邪気からの人格干渉・神霊からの加護』といったものへの見破り・見通しとでもいうべきものがあるともっといいんじゃないかと思うんですよ。

私の経験と周りの方の経験を総合すると、いずれも精神疾患的状態にあるときはほぼ70%の割合で憑依霊からの人格干渉か、見方の混乱や問題の未整理によるパニックの多重障害が見受けられます。

その状況において何が自分をたすけたかというと、結果的にあげられるのは次の行為ですね。

「自分の感情の切り離し」~あれる感情を切り離した目線で見つめ理性をもつ
→感情が爆発的に怒りやパニックになるときは、大体憑依霊の干渉が大きい。それを自覚して、これは自分ではないとわりきって考え、たとえ感情が荒れ狂っていても、理性の部分の自分が主導権をにぎるようにする(これができるとなかなか面白い。荒れ狂っている自分が本当にオバケの顔になっているのまでよく分かる)

「パニックや破壊的怒りやウツなど、マイナス感情に陥るスイッチのオン・オフのパターンをつかむ」
→発作の前後についての克明な日記をつけたり自分を客観的にみるとある程度発作にパターンがあるのがわかってくる。それをつかみ、自分にとって何が弱みなのか、そのパターンはどこからくるのかを明確化する。すると見抜いた時点である程度コントロールがきくようになる

「マイナス発作の原因である傷や過去へのこだわりにたいして、ある程度自分で整理づけをする」
→以外なことにほとんどの人が紙にかくなど時系列での過去の整理づけをしていない。時系列で当時の状況を整理すると、ある程度視点がクリアになり、問題がより明確化することで、これだけで問題の未整理によるパニックがなくなる。また過去へのこだわりが根深い人ほど、紙に書くということに対して苦痛を感じる場合が大きいが、これは自分を客観視することへの恐れ、つまり見抜かれたくないオバケの意識とイコールでもある。



ここに宗教儀礼による神気の充電や邪気祓いなどが加わると、もう最強ですね。でもやはり一番は、「本人の問題原因への対峙と光明転回への希望」が絶対条件ではあります。

一番の神気の充電と邪気祓いは、やはり「こころの中を神気の観想などでみたすこと」「自分の内なる邪気を祓うこと」だと思いますので。

ここをおさえられると、かなりメンタル的な部分への干渉にたいしても強くなれるのではないかな?とおもったりするんですが、どうなんでしょうか。

そんなことを、ふと思った次第です。   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 02:34Comments(7)スピリチュアル

不平不満という猛毒

2010年02月16日

以前つとめていた会社でのこと。

上司はつねに「神仏の目に合わせなさい。道理を判断の基準にしなさい。自分の感情にながされず、つねに一歩ひいた目で自他をみつめなさい。不平不満をもってはいけない」といっていた。

私はそれが理解できず、上司に不平不満をもっていた。

上司の正しさはわかる。しかし、10%の部分に不平不満があった。

しかしあるとき、自覚した。

不平不満をもった瞬間、自分からすさまじい悪臭がしていたのだ。(霊臭?)

また、自分をガッチガチに正当化して会社への不平不満を語るスタッフから、きもちわるい黒いケムリがあがり、そのときだけものスタッフからすごい悪臭がただよっていた。(マジで吐いた)

やがて不平不満を語る人間ほど仕事ができていないということもみえてきた。つねに結果としての実績をあげ、安定した人格の方ほど、不平不満と遠いところにいるということも。

事実、上司は、師匠はどんな状況であっても不平不満を口にすることはなかった。

不平不満は、因果をわかっていないことからくる。因果がわかり、自分がわかれば、不平不満を言えるような実績を自分がだしていないことが、そんな自分が不平不満をいうことがいかに「恥ずかしい」ことか、わかるのだ。

しかし不平不満の毒は、つねに私の心のすきをうかがっている。

それは実績をだせない、実力のない自分を正当化できる、まことに口あたりの甘い極上の猛毒だ。

それは環境においても、組織にたいしても、家庭にたいして、過去にたいしてもそうだろう。

不平不満をもつことから、魔はしのびよってくる。

くらいと不平を言うよりも、すすんで明かりをつけましょー(昔のキリスト教の早朝番組のはじまりのフレーズ。なつかすぃー)

もしも不平不満がでてきてとまらないときは、誰か(霊的なモノ)の干渉もあるかもしれない。それを見抜いたうえで、静かに心をしずめることだ。

私は今まで、目上や神仏を疑う言葉がきこえたことが三回ある。非常に恥ずかしいことだが、私は隠す気はない。

そのとき、私は最初怒鳴りまくって対抗した。しかし、こちらがムキになればなるほど、さらに周りの人々の善意を疑い、神仏という善なる存在を疑う声もまた大きくなる。

これではキリがない、このままでは自分の負の思いとの同じ土俵での念力合戦だと思った私は、合掌して、疑の言い分にしずかに耳をかたむけた。

きいたあと、おだやかにききかえした。

「で、あなた(私)は目上の方々や神仏を裁くほど神仏に並ぶ救済をしてるんですか?影響力を、徳力をもっていますか?様々な宗派でいわれ証明されているところの神・仏は、それぞれの民族・歴史において公平な希望の法を説いてくださってます。それによってたくさんの善なる思いがうまれ、その善なる思いにおいて人々は人生への光明を得てきました。また、神仏をふかく信じる方々ほど、栄光や名声をいただきながら、かぎりなくストイックであり自己に厳しく、それぞれの立場から公に益しようとする愛にみちています。
あなたはどうですか?できてますか?これからできますか?それができるあなたであるなら、言い分も聞く価値がありますが、どうですか?できますか?できるんですか?」

すると、負の思いの言葉はピタリと止んだ。(笑)

自分の未熟さを棚にあげて、周りの欠点をあげつらうことは、あまりに幼稚なこころだ。

しかし、その幼稚なこころをいまだもっている自分を、しのびよらせる自分を、恥じなければ、正さなければいけない。

目上の方に不平不満をもつとき、家庭に不平不満をもつとき、職場に不平不満をもつとき、そのときこそ、大切なのは「智慧」なのだと思う。

感情に振り回されず、つねに神仏の方を、つまり道理の方を向く。まず自らをただす。

上司にいわれた言葉を思い出す。

自分を知り、自分を改める。傷つくことを恐れてはいけない。

それができる私になりたいと思う。






と、隣りの川崎さんが言ってました(o‘∀‘o)  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:58Comments(0)自分がたり

不平不満・反発の原因

2010年02月16日

神仏や上司・伴侶・目上の者などに不平不満や反発をいだきやすいとき、その原因をさぐると実は親子関係にあることはめずらしくない。

自分は親からどのような影響をうけたか、親にどのような思いをいだいていたか、幼いとき自ら想念体にやきつけた思いのパターンをそのまま成長しても目上の存在に投影していたということは多い。しかも大体において無自覚だ。

だから、他の宗派もそうだと思うが、うちの宗派の研修では「愛」において「親子関係をふりかえること」をもっとも大切な軸にしている。

また、仏教における人間の罪のなかで一番重い「五逆の大罪」には父殺しと母殺しがはいっている。親という存在への見方、その結果というものは、悟りと信仰にストレートにつながるものだからだ。

両親に対する反省と感謝、これは以外に非常に大きな学びでもある。

つまり、親にたいして反省と感謝をできていない者は、悟りと信仰も真の意味ではできていないといっても過言ではない。

親を裁くこころは、神仏を裁く心につながるからだ。

産み育ててくださった親よりも、その愛に報いることもなく自分の見方をとる心は傲慢にみちている。

それは、神仏の愛に生かされながら小さな己の心で神仏を否定したり裁いてはばからない姿とも似ている。

親という存在への認識をただしくみつめ、親への不平不満や反発への見方を浄化させること。

親からの負の影響をただしく自己の学びとして昇華させ、親の分まで人間としての成熟の道にはいること。

これがただしく自分をみがき、またただしい信仰にはいるための一つの入り口にもなるだろう。



と、私に言いたい。 
m9っ`・ω・´) ビシッ。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:48Comments(2)自分がたり

土地の記憶 とあるサイトに投稿した話

2010年02月15日

土地の記憶

アマミキョさんからの投稿



これはある人から聞いた土地の記憶にまつわるお話です。

知人の女性が、奄美大島南部・宇検村で車を走らせていたときのことです。

ある道を通りかかると、それまでの建物から一変して、昔風のかやぶきの家家が見えてきたそうです。

今思えばあきらかにおかしいのですが、その女性は考え事をしていたらしく、あまり深く考えずにとおりすぎたそうです。

すると、かやぶきの家家の集落をぬけようとする直前に、アスファルトの道路わきの土ほこりたつ道を歩く老婆とふと目が合いました。

(よく考えたらわかるが、アスファルトの道路の真横にほこりが立つほどのむきだしの土の道があるわけがない)

おばあちゃんは昔風のひざまでしかない着物に帯を前結びに巻き、(奄美・沖縄は帯は前結びです)裸足で、テルという竹籠をかついでいました。

女性は思わず車の中からおばあちゃんに会釈すると、おばあちゃんもニコリと笑って会釈してくれたそうです。

なんだかいい気分になり、しばらく車を走らせていましたが、ぼんやり考えはじめていました。

『そういえば、あの付近、人住んでたっけ……?』

翌日通りかかると、そこは集落どころか、人ひとりすんでいない荒れ地でした。

話をしてくれた方によれば、昔そこには集落があったのですが100年前に大きな台風で壊滅状態になり、住民は離散、集落も廃村になって久しいとのことでした。

「きっと彼女は、土地の記憶の中に入ったんだろうな」

なんだか、少しだけうらやましいと思ってしまいました。

これとは違いますが、私も北大島の聖地アマンデーにて、不思議な感覚に襲われたことがあります。

主人と二人で参拝させていただき、奄美の神々への感謝の思いをあらたにしたときのことでした。

頭の中に、突然なんともいえない、不思議な記憶が流れ込んできたのです。

大海原をわたる古代の帆船の船団、さまざまな時代をうつろう島の人々のさまざまな暮らし、喜びとかなしみ。生きものたちの営み。それを永きにわたって見守り、はぐくむ高い眼差し。

私はそれが何かを知りました。ああ、これは奄美の歴史の記憶なのだ。神々の眼差しなのだと。

私が見た感覚は一瞬でしたが、見た時間は一万年にさえ相当するのではないかと思えました。

私は感動ともったいない思いで、涙がこみあげました。

奄美の地にご縁をいただけたありがたさを、深くかみしめた出来事です。


長文・乱文失礼いたしました。   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:47Comments(0)奄美

ぽえむん 「苦悩と天人」

2010年02月15日

善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや




自分が悪人であると知ったとき
自分が罪人であるとしったとき

こころがおれた

私とはなんだったのか
私のにくしみはなんだったのか
私のいかりはなんだったのか
私の命はなんだったのか

抗う事のできない大きな「否定」に
のこった感情は ただただ惨めさだった
自分の罪の重さに頭をかきむしった
自分の存在価値がどこかに消えてなくなった
自分のこころから匂い立つ泥沼の腐臭が
いつも背中をがりがりとかんでいた

笑っている顔をはりつけていても
ポケットの中の拳は震えている
私はここにいてはいけない
ではどこにいけばいい?
死ぬ権利など私にはない
私はどうすればいい?
生きてきた罪の重さがつねに私を嘖んだ

しかしあの絶望の中に手を合わせ
誰かにひたすらに祈ったときに
たしかに一条の光はおりたのだ
殺してくださいともいえず
助けてくださいともいえず
許してくださいともいえず
ひたすらに祈るしかなかった私に
光は語ったのだ

“あなたの苦しみをもって
後にくる者の支えとなれ”

これが悪人の使命なんですか
これが罪人の役目なんですか

私でも 私のような者でも
誰かのおやくにたてるんですか

誰かのおやくにたてることがゆるされるんですか

ああこの福音を この愛を
私のような者が頂いていいのですか

天人は笑わないという
でもその心は深く慈愛と寛容にみちているという

あのときつかんだ天人のすそ衣を
私はどなたにおかえしするのでしょう

悪をしり罪を知り己をしり使命をしれば
救われない者などいないのだと

教えてくださったあなたのこのすそ衣を
かならず後にくる方に


もうあれから13年
私はあれからなにかをなせたでしょうか   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:45Comments(0)ぽえむん

褒めるちから

2010年02月15日


以前、mixiニュースで現役ナンバーワンキャバ嬢の接客のコツについての話があった。

なかなか面白かったが、覚えている範囲内ですごいなぁと思ったのが

「一人ひとりのお客様を決しておろそかにしない。できるかぎり観察する」

「会話のなかでも相手の話、特に趣味・関心領域に心から共感し、そこから話題をふくらませていく。」

「相手が求める理想像(明るい人、おだやかな人、少しドジだけどお茶目な人、けなげでひたむきな人など)を感じ取り、そのようにふるまう」

「相手のすばらしい部分や長所をかならず誉める」

だった。

たしかホストでも、似たような話を昔どこかで読んだ気がする。愚痴を一生懸命にきいてやり、求める理想像を演じ、長所を誉めてあげ、「あなたは特別なひとだ」と伝えること。
これを多くの女性が求めるのだと。

人は評価を求めやすい。それによって心ゆれたり、いい評価をいただけただけでありえないパワーをだせたりする。

これは接客術でもあるだろうが、対人関係、また自分自身を見つめるうえでも大きな知恵になりうるのだと思ってみたわけですよ。

私は相手の会話をじっくり聞けているだろうか?(大体一方的に話す)

私はお客様や周りの方にどれだけの関心をむけているか?(ほとんど関心ない、父ちゃんと母ちゃんの誕生日も最近まで覚えられなかった)

相手のニーズに合わせた自分像でふるまえるか?(しゃべるか黙るかくらいしかできない)

相手の長所を褒められるか?(これはできるぞ!)

まぁ、100点満点で25点もいかないかもしれない。どーん。

対人関係への工夫と問題意識がたりないなぁ~。もっと自分を練らないと・・・
(>'A`)> ウワァァァァ

では、どうして私は自分や他人様を褒めることができるのだろう。ふと思った。

それは私が幸いなことに、周りから褒める言葉をいっぱいいただいていたからだろう。

小さい頃、近所のおばちゃん達は幼い私をなにかと理由つけては褒めてくれた。

「買い物?お母さんのお手伝いね!感心じゃがー」

「お兄ちゃんと仲がいいね!えらいが!」

「もうそんなに大きくなったのね!えらいね~」(意味わかんねー 笑)

つらいときにも、周りの目上の方々が褒めてくれる言葉が私に力をくれた。

「あなたには人知れぬ使命がある。だから世間の者が理解できない苦しみを背負っている。」(一歩解釈を間違うと慢心街道まっしぐらですげーアブない。 笑)

「あなたの笑顔は周りの力になる。その笑顔はすばらしい」

「この文章は普通の人には書けない。」

「アホだけど頭の回転はすごい」

これらの言葉を言ってくださった方々は、そのときの言葉を今はもう覚えておられないかもしれない。

しかし、考えるとそのときの褒めてくださった言葉が、生来愚鈍で周りに迷惑ばかりかけ続け、そのような自分にいつも怒りを向けているばかりであった私を支えてくれていたのだと思える。

だから私は、自分を満たしてくれた言葉を、その恩を、いままわりの方にささやかでもお返しさせていただいているだけなのかもしれない。

自分が苦しいときには自分を褒めてくれた言葉にすがれるものだ。

誰も褒めてくれないときも、自分をある程度知っていれば、自分を褒めてやれる。

自分や他人の長所を褒めて、そこを伸ばせる人間になりたいと考えていたら、思いつくのはやっぱり師匠だった。


し、師匠(*´Д`*)ハァハァ   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:43Comments(0)自分がたり

師匠との日々

2010年02月13日

師匠は、人の心を見抜く人だった。

最初は怖かったが、そのうち開き直った。

「私みたいな小物が、自分を繕ってもしょうがない。目に余るところはご指導くださるのだ。」

そう思ったら、師匠への恐怖心は消えた。

師匠は普段は何も言わなかった。

なさるお話といえば大体が精神的なあるべき姿にかんするお話だけで、霊的なお話はほとんどされることはなかった。

しかし、今ふりかえると、そのお話自体が、当時の私が自覚できていない潜在意識の歪みを見据えたお話だったのだといま、わかる。

ときどき、師匠から叱られることが、ちんぷんかんぷんだった。

何も悩み事などないのに、突然「そんなにマイナス思考でいられると困ります!」とお叱りをいただく。

従順にしているのに、「あまり反発ばかりしちゃダメよ。」と言われる。

それの正体がわかったとき、愕然とした。

それは、「解消できていない過去」だったのだ!

解消できていない過去は、精神レベルでは、現在進行形と同じだと知ったとき、私は「過去と向き合うことの重要さ」をはじめて考えた。

同時に、師匠からつねに言われていた「自分の目線の歪みをただすこと」の重要さを、ようやく考え始めた。

過去をとらえている自分の目線が自分だけの目線だったら、その過去はただのつらい過去だ。

しかし、そこに親の目線や周囲の目線が入れば、過去への認識は違う。

「悲しんでいる私を見守ることしかできなかった周りのつらさ」が、痛いほどに伝わってくる。

そこに神仏の目線が加わればどうか。

その過去にいたった原因と、それによってもたらされたもの、それを私がどれだけ汲み取れたのか、それによってかわる未来、過去がもたらした意味の深さ、本来歩むべき道すじを知ることができる。

このように、現在のこころの立ち位置、ひいては過去への認識というものが、自分をどのように生かしも腐らせもするのだということを、私は師匠から学んだ。

私のこころは、まだまだあさましさ、いやしさにみちている。

自分への誤魔化しも多いし、まだまだ自分を傷つけてもいるだろう。

でも、自分の未熟さにうなだれるそのとき、私は師匠を思い出すのだ。

どんなときにも、誰よりも、人に愛を与えていた師匠。

「どうしてそこまでできるんですか」と問うたら、師匠は笑顔でこうおっしゃった。

「仏からいただいている愛を、ただ流しているだけですよ」

師匠のような、無私の愛の人になりたい。

自らの過ちを見つめ、ただしていく強さとは、「愛の確信」からくるものなのかもしれない。

「愛」とはなんだろう。

そのテーマを、そろそろ真剣に考える時期なのかもしれない。   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:53Comments(0)

目は口以上にモノを言う話

2010年02月13日


師匠はお客様で不倫している人のことを一目で見抜いていた。

こられたお客様に「不倫なんかおやめなさい!」といったこともある。

どうしてわかるのかと問うと、師匠いわく

「不倫している女性は、とても悲しそうな目をしているからすぐにわかる」

とのこと。へー。

やはり、「相手も自分も最終的に罪を背負う恋だと本能的にわかっている」かららしい。

うーむ。不倫はいけないんですね。

(隊長によると、不倫してる女性からは例外なくすさまじいアレの臭いがするらしい。霊能力などなくとも、すこし感性の鋭い人なら「あの臭いか・・」とわかるそうです。だから香水の濃い人が多いのかな?)

隊長にそれを言うと、「おたくの師匠はたぶんもっと見えてるぞ」

「え?なんでですか?」

「目が語るんだろ?目ってなぁ、ホントに語るんだよ。そいつの過去を。

すこし意識を合わせたら丸見えだよ。そいつの目が、いままで何をみてきたかを観ることができる。いわゆるアカシックレコードだな。

でも、意識をあわさせなくても、道に外れた生き方してたヤツなんかバレバレだな。目にでるんだ。

不倫もそうだけど、一番わかりやすいのは人殺しだな。なんともいえない暗い目をしてる。

(テレビにでてる殺人事件のニュースとかも、霊視しなくても犯人の目をみれば無実かやってるかすぐわかると言ってました。鋭い感性ですなー)

詐欺師も俺に言わせりゃ目がおかしいからすぐわかる。目の奥がな、にごってるんだよ。

おたくの旦那はガラス細工みたいに目が澄んでるんだろ?それは本当に貴重だよ。大事にしろ。」

隊長、わかんねぇっす・・・(;´Д`)ハァハァ





(たぶん反省したら目は綺麗になるんでしょうね。反省できてないと、そのまま目にうつる・・のかな?)   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:43Comments(2)スピリチュアル

隊長の話・寺尾玲子をキライな理由

2010年02月13日

寺尾玲子さんとは「本当にあった怖い話」という漫画雑誌で活躍中の現役霊能者だ。

「なんで俺があいつのことキライかわかるか?」

「いえ」

「あいつがニセモノだとは一言もいってないぞ」

「はい、わかります」

「あいつ、驕ってるだろ?」

「あー。たしかに・・・」

「たしか彼女は二つの宗教団体にいたらしいな。で、最初の団体の教祖にはムジナがついてたらしいな。二つめは・・作法だけ学んでとっととやめたんだっけ?」

「・・・たしかに寺尾玲子さんの漫画読んでると、端々に宗教団体を軽んじた発言がありますね。そこは、私が宗教する前に高校生のときに読んでてもすごい違和感がありました」

「違和感どころじゃねーよ。その発言の世間への影響力はどれだけだと思ってるんだよ。宗教団体はすべて邪教か?じゃああいつがしてる作法はなんだ?宗教がつくりあげた作法をつかい、ご神仏の力で仕事させていただいてるのに、あいつにはそれに対する敬意がまるでないんだよ。」

「・・たしかに、あの漫画読むと、宗教団体にかかわるものに偏見をもっておかしくはないですね」

「大体、オカルト好きな奴ってのは鵜呑みにするヤツが多い。そんな連中に宗教団体への偏見植え付けて、いいと思うか?」

「 (((( ;゚Д゚)))ガクブル 」

「彼女が他の霊能者とうまくいかんのもそこだよ。周りが自分を見上げてくれる環境が彼女には一番なんだろうな。」

「たしかに、うまくいってるのは視っちゃんとかいう寺尾さんが指導的立場にいる年下の女性だけですね」

「ああいうヤツがいるから、宗教を軽んじて、道を求めることもなく、信仰という名の感謝をもつこともなく、そのくせなにかあったらそのときだけ霊能者に頼ろうとするゲスな連中が増えるんだよ」

「霊能者って都合がいいですもんね。でも霊障を呼んでるのは本人ですから、結局、本人が道を学んで変わろうとしなければ同じことなんですよね・・・・」

「そうだよ。なのに道を教える必要もない霊能者センセイは、そのときだけ頼りにされてイイ気になってるわけだ。で、根本療法として道を説くこともせず、逆に道を説くことで問題にいたる原因そのものを正さんとする宗教団体をバカにする始末だよ。これを驕りといわずしてなんだ?」

「・・・非常によくわかります」

「信仰とは感謝だろ?それを理解してないあいつは力はあるだろうがそれ以上ではないな」







プロの宗教家としての隊長の義憤を感じた会話でした。

私は霊好きのミーハーなので寺尾玲子さん好きだが、そこだけは確かに問題ですな。

よい子のみんな、宗教団体を嫌わないでね☆(o‘∀‘o)   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:43Comments(9)隊長(眷属さん)

復讐のなかのエゴ

2010年02月13日

いつからだろう、テレビをみていてものすごく違和感を感じ始めた。

それは、殺人事件などの被害者遺族の方の言動だ。

一方的に愛する人を奪われ、その悲しみは想像を絶するものであることはその通りであると思う。

しかし、あるところに、ものすごい違和感を感じる。

それはこういった内容のことを言われてるときだ。

「かならず犯人を●●にして◎◎ちゃんの恨みをはらすからねと墓前に報告しました・・」

「こんな判決内容では、殺された●●はうかばれません!!」

亡くなられたご本人さまの名を借りて、遺族の恨みが暴走している気がする。そこに、なんともいたたまれないものを感じる。

もしも本当に亡くなられた方のことを考えたら、その亡くなられたご本人の悲しみをいたずらに増幅させるようなことを言っていいのか。

奄美にはあるすさまじい怨霊がいるが、その怨霊は、自分が殺されて怨霊化したのではない。

怒り狂った身内達に「憎くないか、復讐しろ、祟れ」と言われ続け、結果制御不可能なまでの怨霊となったのだ。

身内の復讐願望はエゴであり、それが被害者の霊にどう影響するかを考えたら、とてもじゃないが、そのような言動はできまい。


昔、ある事件で、被害者遺族が、犯人に「お前が殺した●●の月命日ごとにこちらに慰謝料をおさめよ」と裁判をおこした。

遺族の訴えは全面的に認められたが、そのご遺族の弁護士は師匠の知人だった。

なんとなくうすら寒いものを感じた私は師匠に報告した。

師匠は驚き、固い表情で言った。

「◎◎さん(弁護士さん)、なんてことを・・・。そんなことに関わってしまうなんて・・・」

「いけないことなんでしょうか?」

「あの事件は、元々被害者のご遺族がまいた種なのよ。そのご遺族は亡くなったお子さんを死してもまだ“使って”るの。それはとても大変なことなのよ・・・」

「  (((( ;゚Д゚)))ガクブル  」

「加害者をまだ呪うつもりでしてるんでしょうけど、月命日ごとにそれが全部かえるわね。・・・◎◎さん、大変なことをしてしまったわね・・・」

奄美では49日目にユタに頼んで死者の霊を呼び出し、言い残した思いを遺族がきく習慣がある。廃れつつある習慣だが、これはかなり大切なことだと思う。うちの母方の祖母ちゃんを呼び出したときの話は以前日記にのせたこともある。

ちなみに、遺産問題など、死者に後ろめたいことがある人は、どんなに周りからすすめられてもしないらしい。

死者がそれをのぞんでいないとしても、死者の眠りをさまたげてまで復讐することは道理なのか?

度をこえた被害者意識は悪意につながると、奄美の怨霊を知ったいま思う。   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:40Comments(0)つぶやき

幸福実現党の考え・フジサンケイビジネスアイ

2010年02月12日


Subject::もらう国民ではなく稼ぐ国民

> 【木村智重のMirai Vision】もらう国民ではなく稼ぐ国民増やせ
> (1/3ページ)
> 2010.2.12 05:00
>
>  私たち幸福実現党は「過激な政策」を訴えるということで、一定のイメージがあるようですが、その中でも一部の人には“耳の痛い”と感じるのが、「努力する人が報われる社会をつくろう」という主張です。「政府はもっと社会保障を手厚くすべきだ」という考え方が多数のいまの風潮からすれば、過激に聞こえるのはやむを得ないことかもしれません。
>
>  ≪日本は「怠け者大国」になるのか?≫
>
>  しかし、これをあえて言わざるを得ない理由があります。あまりに手厚いセーフティーネット(安全網)を張ってしまうと、「働かなくても食べていける」ことを政府が推奨することになるからです。これでは日本は「怠け者大国」になってしまいます。
>
>  野生の動物も、動物園で飼育されると、自力で餌を獲れなくなります。努力しなくても餌をもらえるからです。人間も同様に、政府の支援によって働く必要がなくなれば、自力で稼ぐことのできない“餌づけ”された国民ばかりになってしまいます。
>
>  従って、政府の支援は原則、最低限であるべきです。十分な収入のある人や仕事を探す努力をまったくしないような人まで国が救う必要はありません(もちろん仕事がなくてこのままでは飢えてしまうという人や、事情があって就業できない人などには何らかの支援や保護は必要です)。そのほうが税金も安く済むし、国民の自助努力の精神も失われません。サーカスでも、セーフティーネットは地上すれすれに張るからこそ、観客が楽しめるものになるのです。
>
> つづきは こちらをクリック!
>  ↓
> http://www.sankeibiz.jp/macro/news/100212/mca1002120504000-n1.htm
>
>≪時代の空気に逆らい≫

 自助努力の大切さを訴える鳩山政権では公共工事の予算を1.3兆円も削って失業者を増加させておきながら、一方で雇用対策として6000億円もの予算を計上しています。人々から仕事を奪っておいて、援助を増やすわけですから、まさに日本経済を「動物園化」しようとしているわけです。これは亡国の道にほかなりません。

 また、セーフティーネットの充実は、結果的に増税につながります。実際、鳩山政権では子ども手当や高校の授業料の無償化の財源を捻出(ねんしゅつ)するために、中小企業の法人減税を先送りしたり、環境税の導入を急いだり、たばこ税の増税を図ろうとしたりしています。

 しかし、不況期に増税すれば、景気後退はさらに深刻なものになります。するとセーフティーネットをもっと高く張れという話になり、さらに増税が必要になるという悪循環に入っていきます。その結果、誰も救えないということになってしまいます。「地獄への道は善意で舗装されている」という西洋のことわざがありますが、「楽をさせてあげたい」という友愛が最悪の結果をもたらすのです。今や、「地獄への道は友愛で舗装されている」と言えるでしょう。
「低所得者のため」「生活困窮者のため」「失業者のため」と言われれば、何となく反論できなくなります。しかし、真に日本の未来に責任を持たんとするのであれば、時代の空気に逆らってでも、自助努力の精神の大切さを訴えねばなりません。「もらう国民」ではなく「稼ぐ国民」を増やしてこそ、国家を繁栄に導き、国民自身をも幸福にできるからです。

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【プロフィル】木村智重

 きむら・ともしげ 1958年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒、米国エール大学経営大学院修了(MBA)。東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)ニューヨーク支店などに勤務。94年、宗教法人幸福の科学に入局。理事長、国際本部長などを経て、2009年9月、幸福実現党党首に就任。妻と2人の息子の4人家族。趣味は森林浴と街ブラ。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:58Comments(0)幸福実現党

聖徳太子の言葉

2010年02月12日


十七条憲法の一文です。

憲法にこれをもってくるなんて、聖徳太子、ホントスゴイ方です。
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こころのいかりを絶ち

人の違うことを怒らざれ

人皆心あり

我必ずしも聖(ひじり)にあらず

彼必ずしも愚(おろか)にあらず

共に是凡夫(ぼんぷ)



是をもちて、

かの人いかるといえども

かえりて我が失(あやま)ちを恐れよ   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 15:19Comments(0)人生訓

いちばんお金がなかったとき

2010年02月12日

人間、一番記憶にのこるのはやはり辛かったことと笑えることだろう。

私が今まで一番お金がなかったときが2回ある。

いや、これはツライ記憶ではない。むしろ今となったら完全な笑い話だ。

一回目は小学6年生のたしか夏休み。あのときは家も本当に金がなかった。たぶんこれは父の給料日までの一番お金がなかったたった一ヶ月前後の出来事だと思うが、いまだにわすれられない。(笑)

朝食は母が共働きの職場からもらってくるパンと、晩ご飯はその日どこからか借りてきたお金でなんとか食えてはいたが、問題は夏休みにはいってからだった。

昼ご飯がない!(笑)

母に「お昼どうしたらいいの?」ときいたら、「あるものでなんとかしろ」という。幸いお米があったのでおにぎりしたり焼きめし(味付けは塩かコショウ、あとケチャップ)したりしたが、ある日とうとうお米がなくなった。

朝ご飯をたべていなかった私は家中をひっくりかえし、とうとうボロい引き出しの底にちらばっていた大量の小豆を見つける。

そばにあった袋の説明書きを読み、なんとか小豆で食べれるものを4時間ほどかけてつくって腹いっぱい食べた。

そして夕方、帰ってきた母が台所にあるものをみて爆笑。私は大鍋いっぱいのぜんざいをつくっていたのだ(笑)

その冬もお金がなくなった。うちは電気やガスがきられることはたびたびあったが、12月の1ヶ月間ガスが止った。

料理はすべてコンロで、お風呂はコンロで大鍋で沸かしたお湯を風呂場にもっていき、その都度洗面器にとって水とまぜてでかい桶で入った。あの時代劇にあるあれ。(笑)

あのときの事を話すと、いまでも笑いがこぼれる。人間、本当に腹がへったらなんでもできるのだ。(笑)

高校のときにそのときの話を先生にしたら、私は笑い話のつもりだったのに先生はもっていたうちわを手からおとし、次に涙ぐんだ。先生はすこし繊細すぎたのだろう。それから先生は少しだけ私にやさしくなったようなきがする。うーむ。


もう一つは東京にいたとき。両親の非常事態に過分に送金した私はお金が底をついた。まずガスが、そして電気がきられた。

2月の東京。帰ったら師匠からいただいていたモコモコのジャケットをつけたままますぐに布団にくるまった。

しかしさすがに家が真っ暗なのは不便だ。師匠にたのんで、会社の非常用のロウソクを分けてもらった。それで二回畳をこがした。(笑)

もう一つたのんで、会社でシャワーを浴びさせてもらった。

さらにたのんで、会社で服を洗濯させてもらった。

もっとたのんで、会社のまかないの御飯ののこりをおにぎりにしてもらえることになった。(朝御飯と夜御飯)

ある朝出勤しようとしたら、定期券がなくなっていた。

お金はもちろんない。

恥をしのんで、駅前の交番にいき、お巡りさんに事情をはなした。お巡りさんは往復の電車代を貸してくださった。

あのときのお巡りさんには本当に感謝です。

しかし、その日また母から電話があった。

はじめて消費者金融でお金を借りた夜、真っ暗な部屋で泣いた。

人間、一度お金の流れがひっかかると、どんどん雪だるま式にめぐりの悪さが増幅してくる。そして一度悪くなったものを元にもどすのは並大抵ではない。

あの経験をしてから、私はお金を借りにくる人にはかならず一度は貸すようになった。本当に困っているとき、助けくれと頼むのはつらいことだ。そして助けてもらった恩も忘れてはいけないとものすごく思うようにもなった。

多くは語れないが、師匠からは金銭面でもものすごく助けていただいた。最近、少額でもすこしずつおかえししたいともうしでたら、叱られてしまった。「そんなことを言うヒマがあったらお店もちなさい!」

やはり、師匠はでかいと思う。絶対に、報いなければと思う。


あのときに比べたら、今は天国です!(笑)

すくなくとも明日のメシには事欠かない。これは本当に幸せ!
(*´Д`)あはーん  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:57Comments(0)自分がたり