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(ミーハー日記)アマミちゃんの守護霊と守護存在

2013年08月31日

昨夜、某女子会(笑)があり、そこでいろんな経験をさせていただきました。もちろん私の宗教は関係ありません。

そこで、すごい展開になるんですが、それはまた後のお話。

女子会にきてた、超霊的な女の子二人(Aちゃん13歳・Bちゃん7歳)に、私の守護霊を見ていただきました(笑)

Bちゃん「着物つけてる」

Aちゃん「着物っていうか、ドレスみたいな着物」

Bちゃん「うんうん、スカートみたい」

Aちゃん「裾が長くて足が見えない」

私「袴みたいなの?巫女さんみたいな」

Bちゃん「うーん」

Aちゃん「近いけど・・・」

Bちゃんママ「乙姫様みたいな?」

Aちゃん「そうそう」

Bちゃん「それ」

Aちゃん「昔の格好」

Bちゃん「すごく髪が長い」

私「飛鳥時代とかすごく古い感じ?」

Aちゃん「ああ、そういう感じかも」

Bちゃん「無言(ニコニコ)」

Aちゃん「あと、動物がいる」

私「どんな!」

Bちゃん「キツネ」

Aちゃん「狐にちかいけど・・・しっぽが違う。しっぽがねずみみたい」

私「なんじゃそりゃ!」

Bちゃん「キツネさん。しっぽは虎のしっぽ」

Aちゃん「しっぽネズミみたい」(この辺、視えてるものが若干ちがうらしい)

Aちゃん「何匹かいる。道で動物とかに優しくするとついてきて守ってくれる感じ」

Bちゃんママ「アマミキョさんて、すぐ野良猫にエサ上げますもんね」

私「車に猫のカリカリは常備してるぜ!(笑)」





いろいろと勉強になりました。

私の守護霊の姿が、まったく接点がない二人で意見が一致してる(おそらく天平時代の装束つけてる)というのが面白い。

天平時代の装束をつけてる守護霊は、他の数人の方にも目撃されている。

もちろん、このお嬢さん達お二人にはそのことは話していませんでした。

でも、動物って(笑)

しかも、キメラみたいな(笑)

実は、この動物さんたち、すこーし前にこころあたりがありました。

今までこの内容はここには書きませんでしたが、思いきってAちゃんに聞いてみました。

私「あのさー、実は私、生霊さんに弱くてさー。」

Aちゃん「はい」

私「何ヶ月か前、すごく調子悪くて、車運転しながら気絶しかけようとしたんで、これはもうヤバイかな、死ぬのかなとか思ってたの」

Aちゃん「はい」

私「そしたら、今までそんなイメージ全然湧いたことないんだけど、
突然、目の前に小動物が何匹かズラッーと並ぶイメージがして、
『僕たちに命じてくれたら、いくよ!』
と言うの。あくまでイメージね。」
(私には小型犬の大きさで、見たことがない動物の感じのように見えた)

Aちゃん「(笑)」

私「でもって、私もどうしたらいいのかよくわからなかったんだけど、
『あ・・・じゃあ、お願いします・・・』って言ったら、
その小動物さんたちが、一斉に、本土のどこかに向かって飛んでいったような気が・・・・
その瞬間、すごく身体が楽になったんだけど・・・・
これって気のせいだよね?」

Aちゃん「あ、それは、事実だと思います」

私「 ((((;゚Д゚))))ガクブル 」

Aちゃん「飛び立っていった動物達が、戻ってきた気配ありました?」

私「まだない」

Aちゃん「じゃあ、まだあっちにいるんでしょうね」

私「あっちって・・・・」

Aちゃん「体調良くなったですから、よかったですね」
(明らかに話をはぐらかそうとしている)

私「あ・・うん・・・・。その動物さんたちは、一体私にとって何をしてくれてるのかな?」

Aちゃん「普段は梨乃さんの周りにいて、梨乃さんを守ってます。梨乃さんが動物に優しいから、ついてる感じです。
動物に優しくすると、数が増えます。
梨乃さんの周りは常にクリーンな感じなんですけど、それは、その動物達が、梨乃さんの周りの邪気や邪念を食べてくれてるみたいです」

私「なるほど、ありがたや~~~」






でも、生霊返しに使っちゃダメだよな・・・・・

動物さんたち、もう帰ってきていいんだよ!
(;ω;)

人に対しても優しい人になりたい!(笑)

Aちゃん、Bちゃんありがとおおおおおおおおおおおお!

そして、その女子会で一体何があったのか?

それはまた、のちほど~~~~。

















.


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:51Comments(2)アマミちゃんの不思議体験

ミーハーさん

2013年08月30日

せっかく勇気出してアップした自撮りプロフィール写真が一部の方にケチョンケチョンなので、

もれなく、一部の皆様の枕元にたちます。(笑)

自分的にはいいカンジだと思ったんだけどなぁ~。えーん。





p月%日

あるお客様。

私「妹さんからすごく頼りにされてる思いが、足元に溜まってますよ」 

お客様「え!どうしてわかるんですか!実は(以下略」

私「できたらご家族でお墓参りなどいかがでしょう?」 

お客様「え!どうしてわかるんですか?実はお墓は近所にあるのにもう五年お墓参りに(以下略」

私「身体はとっくの昔に悲鳴あげてますね。気力でもってる感じじゃないですか」 

お客様「え!なんでそんなに分かるんですか!その通りで(以下略」

私「差し出がましいことを申し上げますが、できたら、お仕事で人を雇うことを考えられてはいかがでしょうか?お客様は本来、人をお使いになられると、すごく商才のある方だと思いますが、今、人を雇うことをすごく怖がっておられるような・・・」 

お客様「えええええええええええ!なんでそこまでわかるんですかー!!実は(以下略」




しらんがな(笑) あなた様の身体が教えてくれてるんじゃい。

お一人目のお客様はまったく何もイメージが湧かなかったんです。(この場合がほとんど)

お二人目は、がんがんイメージがくる。

きっと、お客様のご先祖様や守護霊様が、たくさん伝えたいことがおありになったんでしょうね。

くれぐれも書いておきますが、これは私の能力ではなく、お客様のご先祖様・守護霊様の「伝えて伝えてアタック」が激しい時にイメージが湧くだけです。(笑)

「奄美にくると、必ず高千穂神社に参拝しているのに、今回は身体がキツくて高千穂神社までいけなかったと」お客様のお話でしたので、

マッサージ終了後、

私のボロ車で恐縮しつつ、高千穂神社までご案内させていただきました。

お客様と一緒に、ご参拝させていただきました。

私からは、

『高千穂神社の氏神様、いつも奄美の地域の皆様をご加護・お導きくださり、まことにありがとうございます。
このたび、○○県からこられましたこちらの○○さんをお連れさせていただきました。
こちらの○○さんは、奄美にこられるたびに、高千穂神社にご参拝されているそうです。
どうか、○○さんとご家族様に、高千穂神社の氏神様のご加護・お導きを賜われますように。
何卒、お願い申し上げます』

とお祈りさせていただきました。

ホテルまでのお送りの途中に、車のステレオにつけていた、北九州の某有名神社で購入させていただいた、守り鈴をプレゼントさせていただきました。

元々、誰かの手に必要なときのために購入させていただいたものだったので、お役目がきてよかったです。

高千穂神社でお守りを購入させていただこうと考えたのですが、今回は鈴のほうがいいかなと感じました。

次回は、高千穂神社のお守りをプレゼント予定。







tt月HHHHHH日

集いの時、ある信者さんにご指摘をいただいた。

「野崎さんがいくら霊感が無いと自称してても、野崎さんの日記を読んだら、ほとんどの人は、野崎さんは霊感があるように見えるよ」

マジすか!!!Σ(゚д゚lll)

「僕とか、奄美拠点のみんなは、野崎さんが霊的なものが見える事は

『滅多にない珍しいこと』

だとわかるけど、

分からない人があのブログを読んだら、

『野崎さんはいつも霊的なものが見えていて、見えないと言ってる時も、見えてる事を言わないで黙ってるだけ』

と思ってるかもしれないよ」


いつも見えてたら、こんなミーハーな記事書きませんて!

めったに見えないから、見えたとき嬉しくて思わず書いちゃうのにー
・゜・(ノД`)・゜・


「僕たちはその気持ちが分かるんだけどね。(笑)

分からない人は、野崎さんに期待しちゃうかもしれないね。」



ここで宣言します。私、マジで、滅多にイメージ見えませんから!
(`・ω・´) シャキーン


基本的にイメージが見えるときはマッサージの時くらいで、それでも、100回に一回くらいです。

しつこく書いておきますが、これは私の能力ではなく、お客様のご先祖様・守護霊様の「伝えて伝えてアタック」が激しい時にイメージが湧くだけです。マジでマジで。

マッサージしてても、基本ほとんどはイメージなんか浮かびません。

ましてや、普通に話してて、相手様にイメージが浮かぶことなんかありません。

みなさん、私の事怖がらないでね!
(;ω;)




















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:23Comments(1)仕事

二つのヤマトと邪馬台国滅亡への道

2013年08月29日

これはあくまで私の憶測。でもどこかの誰かが書けとうるさい。(笑)

過去のことはもういいじゃーんと三回くらい書くのをやめたんですが、どうしても書いてほしい模様。

どうも文献やいろんなリーディング情報を見ると、

近畿ヤマトと九州ヤマト、二つの勢力があったらしい。

その間を分けるように出雲国があったらしい。

神武天皇が2300年前に奈良に大和朝廷を開いたのが先か、

九州の邪馬台国が先か、

おそらく、神武天皇の巡行ルートを遡れば、

九州邪馬台国のほうが古いヤマト国だったのだろうと予測する。

ヤマトという国名の由来がどこにあるかはわからない。

ただ、おそらく神武天皇が、奈良に大和朝廷を開いたのは、

九州邪馬台国の権威の関連付けとしての意味合いが大きかったのではないかと個人的に推察している。

しかし、後代、近畿ヤマトの勢力の方が大きくなるにつれて、

九州ヤマトである邪馬台国との距離感が大きく開いていったのではないだろうか。

卑弥呼の時代には、おそらく、邪馬台国にとって、近畿ヤマト(大和朝廷)は、遠縁の同族という程度の認識であったのだろうと考える。

マクモニーグルさんのリーディングを見ると、


http://www.youtube.com/watch?v=jWJO60a16Xs&feature=player_embedded



(マクモニーグルさんの地図上での説明は、若干混乱してます。詳しくは地図参照)

卑弥呼の一族はまず奄美大島にヤマト族として拠点を築き、

数代のちに、卑弥呼の祖父母が親族と共に奄美から有明海に上陸し、

卑弥呼の父と兄弟は、南九州の西側半分と北部九州・山口西部までを邪馬台国として支配していた。

(私の憶測ですが、おそらく、卑弥呼の一族の入植のスムーズさから考えて、一族の先達が本土邪馬台国の王族として古くから先住していたものと思われる。
奄美は邪馬台国の大陸との交易の要所として帰化人を広く受け入れる場所であり、同時に神託によって優れた霊的資質を持つ帰化人達を、邪馬台国の本土側に派遣していたのではないだろうか?)

そして、

おそらく、邪馬台国と出雲は、激しい戦争があったのだろう。

地図を見ると、母は出雲一族であったらしい。

母の兄弟が山口県東部から出雲にかけての一帯の支配者であることからも、その推測ができる。

つまり、卑弥呼自身は、

北部邪馬台国(有明海沿岸から山口西部まで)の領主であり奄美直系である父が、

出雲国の領主・大国主の姪であった母との同盟婚姻によって生まれた、

邪馬台国と出雲国の和平の象徴としての姫であった可能性が高い。

(だから、邪馬台国と出雲国の国境である山口県西部に居城を持っていたと推測する)

そして、これもマクモニーグルさんのリーディングを見るかぎりでは、

近畿ヤマト族(大和朝廷)と出雲国との戦いを抑えるために、

女王として、三国(邪馬台国・出雲国・近畿大和朝廷)同盟の旗印になったのだと思われる。

動画の中に、

「卑弥呼の父は近畿の豪族たちのことを知っていて、
父と父の兄弟は近畿の豪族との和平を望んでいる」

というマクモニーグルさんの指摘が出てきます。

そして、

「出雲の大伯父(母の伯父。当時の出雲の領主・大国主)は好戦的であった」

という描写があります。

ここから推測するに、

北部邪馬台国の領主である父が、出雲族と近畿ヤマト族(大和朝廷)との戦いを止めるために、

卑弥呼を担ぎ上げた可能性が高いと推測しています。

以下はマクモニーグルさんのリーディングの本に出てきますが、

大国主が卑弥呼に「近畿の豪族と戦争をしたら、未来はどうなるか」
霊視させたところ、

卑弥呼は霊視の結果、「双方の国が滅びる」と大国主に告げました。

この卑弥呼の霊視の言葉に、大国主は、近畿ヤマト勢力との戦争(征服)を断念したようです。

卑弥呼は三国同盟であった邪馬台国連合の女王となり、

様々な外交活動や政治力、霊能力を駆使して、三国の繁栄と平和につくしたようです。

卑弥呼の継承者となった壱与は、

マクモニーグルさんによると、

近畿ヤマト(大和朝廷)出身で、卑弥呼の元へ神官として仕えた巫女の一人であったそうです。

二代目女王・壱与の代に、邪馬台国は滅びました。

子房さんと幸福の科学の霊査では、

邪馬台国滅亡に至ったのは、

出雲族と出雲国の同盟軍であった朝鮮軍からの挟撃だったようです。

おそらく、大国主の血族でもある卑弥呼が亡くなった後、

出雲側から見て、大国主の血族亡きあとの邪馬台国は、

同盟としての価値を喪失したのだと思われます。

生き残りのわずかな巫女たちは、

邪馬台国発祥の地であり、邪馬台国の南端であった奄美に逃げ延び、

その伝説は奄美において「女神アマミコ」となりました。

その後、出雲国は、近畿ヤマト(大和朝廷)との戦争を経て、

近畿大和側に併合されます。

しかし、のちの世に、邪馬台国を滅ぼしたのは大和朝廷だと憶測されているその理由は、

これもあくまで私の推測でありますが、

過去において出雲が好戦的であった事実は伏せておくべきと考えられたからではないでしょうか。

(これは、大和朝廷による出雲の気質の封じ込めのためでもあると思われる)

また、結果的に、大和朝廷の歴史に、邪馬台国の名前が残っていないことが、その憶測の理由づけになったと考えられます。

なぜ大和朝廷の正史に邪馬台国の名前が残らなかったか。

それは至極簡単で、

神武天皇の権威を最大限にひきあげようとするときに、

邪馬台国という「もう一つのヤマト」があってはならなかったからでしょう。

大和朝廷にとって、大和朝がたとえ推論でも「傍流」であってはならないのは当然であるからです。

また、滅びた国との関わりは、縁起でもないということもあったのだろうというのは想像に難くありません。

大和朝廷が正史にのこさなかった邪馬台国は、

奄美から起こり、奄美に還りました。

おそらく、日本には上古代からいくつものヤマト国がありて、

いくつもの卑弥呼(祭祀王としての女王・斎王)がいて、

たくさんの歴史のなかで、

わずかに輝いたのが、「邪馬台国の卑弥呼」だったのでしょう。

その後、邪馬台国滅亡後の小国達は、

熊襲により侵攻され、さらにバラバラになったのち、

大和朝廷によって侵攻・統一されていきました。

邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争
http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%BB%85%E4%BA%A1%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E3%81%AE%E5%BE%81%E6%9C%8D%E6%88%A6%E4%BA%89-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-294-%E8%8B%A5%E4%BA%95-%E6%95%8F%E6%98%8E/dp/4642056947

滅びた国のセピア色の風が、

たくさんの悲しみを、護れなかった悲しみを、哭いている。


どの神が正しいかではなく、

どのような歴史にも、歪みがあり、闇がある。

悲しみに耳を傾け、

今の、穏やかな時代を天に感謝したい。







私が奄美に生まれた理由は、

私がかつて、奄美の征服者であったからでした。

征服ではなく、感化を。

支配ではなく、教導を。

後ろめたい過去は、

未来を幸福にする義務を告げています。











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 13:24Comments(0)つぶやき

ここ最近の夢 赤い星ととある事故 2013.8.27

2013年08月27日

T月@日

空に赤い月のようなものが浮かんでいる。

しかし、月ではないらしい。

明らかに異様な空気。

しかし、何故か周りの人々は気にもとめていないらしい。

母が隣にいて、「これについて書け」と私を急かしている。

私はノートに筆ペンで

「赤い星」

と何度も書いている。

(夢の向こう側・つまり、こちらの意識側に持ってこさせようとしていたらしい)






工エエェェ(´д`)ェェエエ工月 ¥日

奄美のどこかという設定だが、見たことがないような場所。

中心部から離れたどこかの村の体育館で、なにやらイベントがあったらしい。

(その部分に関してはすでに記憶にない)

なんらかの事情で、一緒に行っていた父と母と兄を残し、私ひとり早めに帰宅の途につく。

ある海岸線のトンネル前まできたところで、米軍と自衛隊と海上保安庁が合同訓練をしているらしく、

「しばらくお待ちください」と止められる。(でもさすがは田舎、待ってる車は私しかいないw)

車から出て散歩がてら、ひときわ目立つ米軍のヘリを眺めている。

すると、米軍の大きなヘリが、どう操作を誤ったのか、トンネルのすぐ近くで、海に墜落し爆発・炎上してしまう。

私はとっさにその場に伏せて頭を低くして両手で覆い、防御体制をとる。

案の定、破片があちこちに降っている。幸い、私のところには危険な破片は飛んでこなかった。

すると、集落の港側から走ってきていた海上保安庁の船が、

目の前で起きたヘリの事故を見て気が動転したのか、操作を誤ったのか、暴れたように旋回して転覆してしまった。

私は反射的にポケットから携帯を取り出し、母に電話。

合同訓練中に事故が起きたので、これからここの道は使えなくなること。なるべく早く、そちらは迂回ルートで帰ること。おそらく私は事故の現場を目撃していたこともあり、すぐには帰れないかもしれないが、ケガはしていないから心配しなくてもいいということ、手短に伝える。

電話を切ったあと、しばらくその場に立っていると、事故があった方向から白衣の女性が駆けつけてくる。おそらく医務官の方か。

脈拍をとられるときに、右手首に鈍痛が走るが、見た目が特にケガをしてるわけじゃないので、気にしないことにする。
(おそらく身体を伏せたときに地面に打ち付けたのかもしれない)

民間人にケガが出たら大変なことになると分かるので、よほどのことでないかぎりは、黙っておこうと思っている。

医務官の方はかなり精神的に動揺してるらしく、顔面蒼白だったので、私が冗談を連発すると、やっと笑顔になってくれる。

軽く体調を聞かれたあと、「あとで係の者が案内するので、そこで詳しく体調を調べさせて欲しい」と言われる。

おそらく体調だけじゃなく、事故のいろんなことも聞かれるのかもしれないが、仕方がない。車はキーをつけっぱなしにしてるので、悪いようにはされないはずだ。

あとできた車の男性(自衛隊っぽい)に案内され、私と、私の後方にいたらしい一般男性と二人、どこかの施設に連れて行かれる。

そこで、さっきよりもお年を召された女性の医務官の方に、細かく体調を聞かれる。

よほどあわてていたらしく、個室ではなく、施設内の広々とした通路脇の開いた空間にテーブルを置いて、そこで聞かれている(笑) 

隣に自販機があるのが白衣とアンバランスで面白い。

先に男性が聞かれ、そのあとに私が体調や、そこにどうしていたのか、事故の様子などを聞かれる。

また、こちら側ではない場所から連れてこられたらしい(トンネルの反対側?)、おばちゃんも質問を受けている。

全部の質問が終わり、女性の医務官の方が、なぜか黒酢のサプリメントを勧めてくる。

おばちゃんが「それなら箱で買ってあげるわ」と財布をだしたら、3万円と言われ、ビックリしながらしぶしぶ支払っている。

値段をきいて私もかなり驚いたので、医務官の方が勧めたサプリの小袋を見ると、10粒入りで3千円と書いてある。

どんだけすごい黒酢なんだよと思いながら、こんなところで自分のサイドビジネスするってすごいなと感心している。











キナ臭い夢めもめも。



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:40Comments(1)アマミちゃんの夢

地元高千穂神社の清掃奉仕をさせていただきました

2013年08月26日

本日は第四日曜日。

二ヶ月ぶりに、地元高千穂神社の清掃奉仕をさせていただきました。

お仕事が重なりなかなかこれず、申し訳ないことでした・・・・・

まず、鳥居で一礼いたしましたのち、参道の左側を歩いて、
(神道では真ん中は神様が通る道なのでなるべく人が通ってはいけないそうです。真ん中を横切るときは神様に対して一礼しつつ横切ること)

手水舎にすすみ、

柄杓になみなみとお水を汲みいただいて、

まず左手を雪ぎ、次に右手を雪ぎ、左掌にお水を受けてお水を口に含み、左手で口元を隠しながら口中のお水を出し、
再び左手を雪いで、最後に柄杓を立てて柄の部分を残り水で流し、

元通りに柄杓を伏せて戻して、これでお清め終了。

ポイントは、二度以上お水を汲まない事だそうです。全部の動きを、ひと汲みのお水でさせていただくと、なんだか通な気分。(笑)

禊を終えたのち、拝殿前に進み、ご参拝。(参拝のときは、真ん中に立たせていただいてもいいそうです)

お賽銭をそっとご奉納させていただき
(お賽銭を投げ入れするのは超NGです。氏神様への感謝の気持ちの現れであるお金を投げてどうするねん)、

綱を軽く引っ張って鈴を一度鳴らし、
(わざと大きな音を立てる必要はないそうです)

二礼二拍手一礼。

二礼の礼は、エレベーターガールのように、左手で右手を包むようにして両手を軽く包んで親指を隠し、下腹に両手を添える。これは男女共通。
(基本的に、神様の前で親指を出すものではないそうです)

一度合わせた両手の右手を少し下に下げ、二拍手。

一礼。



この基本的な作法を覚えるのに、かなり苦労した私・・・・・・・・。

氏神様に、ご加護への感謝のお祈りをさせていただきました。





その後、竹ホウキをお借りして、落ち葉集め開始。

今回は、二の鳥居前の階段の落ち葉を集めさせていただきました。

隅っこのほうに、昨夜からの風雨で落ちた落ち葉が固まってました。



黙々とさせていただくこと一時間。



葉っぱを高千穂神社様の落ち葉集め用ポリバケツに集め、拝殿右側離れにある落ち葉集積所(裏山)に往復すること二回。

ありがたいお時間をいただきました。

このような尊い機会をお許しいただき、本当にありがとうございました。

来月はみなさんにお声かけさせていただきます・・・・・メンバーの皆様、この度はお声がけを失念してしまいすみませんでした・・・・・

(;ω;)






そこのあなた、清掃奉仕に日焼け止めクリームは必須です。(笑)

奄美の太陽が私をいじめる~~~~~

いや、ホント、奄美の日差しキツい・・・・奄美って南国だと実感しました・・・・

そうそう、宮司様からお声をかけていただきました!

みなさんからお気持ちをいただきました御門帳が、もうすぐ届くそうです!

楽しみですねーーーー!!!!

( ^ω^)ワクワク















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:13Comments(0)日々の出来事

シリア内戦とは?(natsuさんよりオススメサイト)

2013年08月25日

シリア内戦について、我らがnatsuさんに質問してみたところ、

「まずは自分で調べなさい」と以下のサイトを教えていただきました。

natsuさん、いつもありがとうございます!!!

natsuさん曰く、「国内の情報だけを見るのではなく、海外の情報にも目を通すべき」だそうです。

そしてnatsuさんによると、シリア内戦は、かなりの重要問題だそう。





シリア内戦 わかりやすく説明 イスラム教VSキリスト教VSユダヤ教 宗教がわかれば中東情勢が読める
http://matome.naver.jp/odai/2134585263371939501


「反政府」なら「正義」なのか? 国枝昌樹「シリア アサド政権の40年史」を読む
http://d.hatena.ne.jp/takamm/20120922/1348335441


「代理戦争」になっているシリア内戦 --- 長谷川 良
http://agora-web.jp/archives/1543743.html


うーん。ものすごくノータリンな私のスカスカ脳をフル稼働させてまとめると、

シリア内戦とは



①シリア国内におけるイスラム教の少数派アラウィ派(大統領側・かなり優遇されている)と多数派スンナ派(反政府側)の宗派間確執

②大統領側につくアメリカ・欧米と反政府側につくロシア・中国の思惑がからみ複雑化
(米国とロシアの軍需産業の競争のための代理戦争・ロシアに肩入れする中国)

③社会主義世俗党のバァス党(大統領側・自由主義派)とムスリム同胞団(イスラム原理主義・保守派)の思想対立
(保守的な部族長などが自由主義的変革を忌み嫌いムスリム同胞団などに肩入れ)

④シリアの大統領側であるアラウィ派がシーア派に属しているという問題
(アメリカやイスラエルがシーア派であるイランを押さえ込みたいがために、シーア派とつながるアラウィ派のシリアに内戦を起こさせ、イランの影響力を削ぐ意図がある)

⑤資本金の潤沢な反政府側に肩入れするメディアの問題
(アルジャジーラなど、反体制に同情的とされるメディアが偏向報道に走るようになり、ベイルートやテヘランの支局長が、このような事態を「メディアは資本の言いなりになっている」と批判、相次いで辞職する事態も起きている)



つまり、幾重もの立場や陰謀が入り乱れて、もうなにがなんだかわからない状態になってるということでしょうか?

自由主義であったシリアに起きている、違和感アリアリな内戦。



どうも、注視しなければいけないものがあるようです。























  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 17:43Comments(0)つぶやきnatsu さん

空海と修験道(古代山岳信仰)についてのブログ発見(*゚Д゚) ムホムホ

2013年08月25日

以前、私が憶測で書いた内容に、近い内容のことを書いておられるブログ様を見つけました。

しかも、かなり詳しいです。

よく考えたら、私の守護神もしてくださっておられる奄美の神様の一柱・弟ウカシ様(ウカシマチノミコト)は、

神武天皇に帰順し大きな功績を立てた奈良の豪族だそうですが、

弟ウカシが支配していた地域は、当時の交通の要所であり、しかも、水銀の鉱脈があった場所でした。

水銀てそんなに重要だったのね・・・・へぇー。

私個人は、修験道の元となってる古代山岳信仰は、役行者よりもはるかにさかのぼる、古代縄文にも通じるある種の情報共有ネットワークではなかったかと感じております。

古代日本の全国に南洋貝などの交易によって影響をもたらしていた海人(アマ)族と、修験道に通じる古代山岳信仰。どうもつながるものを感じています。

_______


http://k-kumagoro.com/modules/tinyd4/index.php?id=14



弘法大師の熊野での伝説1


空海は、若い頃から山岳修行に明け暮れた高野、大峰、熊野、葛城の荒行に耐える体力を持っていた、空海は、生涯を通じた、精力的な行動や、今に残る肖像画などを見ても、かなりの健康体であったと思う。その彼の肉体を蝕んだ病は、何だったのか、記録によれば「よう」(ホームページで表示できない文字です)であったとされる。
「よう」とは悪性の腫れ物で、空海は頭部にこれができていたらしい、同時に、肝臓障害と診断できる症状にも悩まされていたといわれる。
こうした症状の原因として考えられるのは、水銀中毒である、空海が入定の地と定めた高野山が、水銀鉱床の山であり、水銀は、現在考えられる以上に古代では、有用な物資であった、天然の水銀は硫黄との化合物、硫化水銀というかたちで産出される、これを一名「朱砂」(しゅさ)とよばれるように、鮮やかな朱色をしているので、はるか昔から顔料として用いられ、とくに平城京や平安京では、寺院の建築、仏像の製作などに不可欠だった、ことはよく知られている。また、水銀の殺菌力、防腐効果も早くから注目され、いわゆる「即身仏」
として知られる高僧のミイラには、水銀を用いた防腐処置がほどこされていた。
それだけではない、水銀は実際に「黄金を産む」こともできた。というのも、朱砂を精錬することが比較的容易に出来るからである(アマルガム精錬)
このようなわけで、高野山の水銀鉱床は、空海の宗門経営を支える重要な経済的支柱となったと思える。
この煉丹術とは、道教の世界の仙人道、熊野の仙人役行者などの山の民の丹薬などの仙薬(一転丹、と呼ばれる一段階目の丹薬ですから、これを服用すれば七日で仙人となり、火にかければ黄金と化すといわれた。)
このため中国では、古くから権力者たちが競って丹薬または朱砂を求めたのである。空海が訪れた唐でも、歴代皇帝のほとんどがこれを服用していた。
中国で、硫化水銀の毒性が認識されるようになったのは、ようやく13世紀宋代の末期になってからのことである。空海ほどの天才といえども、それが恐ろしい副作用を生むことになろうとは、想像もしなかったのだろう。
また朱砂には、いわゆる向精神的作用も認められる、服用すれば頭が冴えて軽くなるという、そのため空海は瞑想を深める目的で使用したのではないかと推察できる。
空海の体を蝕んだのは、水銀だけでない、「五石散」と呼ばれる薬物がある、
石鐘乳(せきしょうにゅう)石硫黄(せきいおう)白石英(はくせきえい)
紫石英(しせきえい)赤石脂(せきせきし)の五つの鉱物を主成分とし、さらに劇薬の砒素も含有していたらしい。五石散の作用は今日でいう覚醒剤に似ており、精神を快活にし、頭を冴えさせ、長時間高揚した精神状態を持続させる
という、むろん砒素をふくんでいる、危険な副作用など当時の中国全土で認識などされていなかった。



弘法大師の熊野での伝説2


もう一つの伝説  若き日の空海に漢学を教えた伯父、阿刀大足
は、空海の母の兄であったと云われる、この阿刀氏の一族については、物部氏系説と渡来人の秦氏系説との説がある、京都市在住の阿刀氏の末裔は、渡来人説をとったといわれる。一方父方の佐伯直田公の家系は、有名な大伴氏に連なる名門で、かって日本武尊に従って東国に遠征し、その功績を認め、讃岐地方を賜ったという。しかし、実際には、田公の属する佐伯直は、大和朝廷の地方官、国造の系統であり、大伴氏を出口とする佐伯連とは別系統で、佐伯とは、大和朝廷によって囚われの身となり、隷民として播磨、讃岐などに配置された東国の民をさし、それを統轄していたのが佐伯直であった。
空海の大伯父といわれる佐伯一族の総帥の名が「佐伯今毛人」(毛人)とは「蝦夷」のことで、あるから。この説の信頼度は高い、つまり、空海はこうした「まつろわぬ民」の血を引いていると思われる。
この事実は、彼の生涯の「修行時代」の謎ともつながってくる、史実としては、入唐以前の空海の、記録はほとんどない、しかし、さまざまな伝説を総合して推理すると、修行時代の空海は、畿内を中心に山岳地の霊山霊地、聖域を訪ね時おり奈良の大寺を訪れては、経典の研究をし、このようなことを繰り返していたようだ。
その際空海がより所にした寺が、佐伯今毛人ゆかりの深い、佐伯一族の氏寺、
佐伯院(香積寺)であったという説がある(沙門空海より)
さて、なにゆえ、空海は山を拠点に行動したのか、当然、霊気漂うその雰囲気が、修行に有効だけではなかつた。熊野の山は、「異界」であり、里の農耕民とは、異質な人々つまり、修験者や鉱山師、狩人。木地師、鍛冶師など「山の民」
と呼ばれる人々の領域であった。
彼らの中では、大和朝廷に追われて山に入った、まつろわぬ民の血を引く人々もいたようである。空海自身そういった人々と自然に仲間に入って行けた。
山の民との緊密なつながりを裏付ける、根拠のひとつに、彼の豊富で正確な地質学的知識が挙げられる。たとえば、満濃池の修築工事。これは、空海が土木工学や地質学に関する高度な知識をもっていたこと。
さて、四国から、紀伊の熊野まで、「日本中央構造ライン」と呼ばれる特殊な地層が走っている。修験道の地といわれる霊場、霊跡とされる場所のほとんどが、
この地層の上にあるのだ、しかも、こうした霊場付近には、水銀鉱床がある。
山の民の一派丹生氏の根拠地、伝説に登場する狩場明神と丹生都比売命は、もともとこの一族が祀っていた地主神。そして後者の「丹生」は、古語で水銀
「丹」を意味する。丹は古来、道教の「練丹術」に不可欠な物質として珍重された。「丹」を冠する地名は、全国に分布するが、いずれも、かっては水銀の産地であり、同時に修験者の集まる行場である。
空海は、朝廷に高野山下賜を願い出た上表文に「自分は、若い頃に山野へ修行
中にこの山に巡り合った」と述べている。在唐中、煉丹術を学んだ空海は、その実践のため、きわめて貴重な丹を常に確保する必要があったのか。また、さらに推測をすすめるなら、山の民が空海に入唐費用を援助した背景には、空海が唐で最新の煉丹術を学び、これを彼らに伝えるという取引があったのではないか。帰国後空海は三年にわたる謎の期間があり、紀伊の山地を、山の民との約束をはたす為か。伝説である。



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 12:00Comments(0)

まつろわぬ民について

2013年08月25日

ガミちゃんさんからご質問をいただきましたので、まつろわぬ民について。


まつろわぬ民
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8D%E3%82%8F%E3%81%AC%E6%B0%91

「まつろわぬ民」とは何ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1452881384



朝廷に従わなかった、もしくは朝廷の影響の外にあった人々のことを総称して「まつろわぬ民」と呼ぶようです。

(一番有名なのはアテルイですね)

支配の外にあったという意味では、奄美・沖縄・アイヌも入ります。



ご参考までにどうぞ。ヾ(*´∀`*)ノ  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:36Comments(1)おすすめサイトつぶやき

マッサージ妄想録 

2013年08月23日


ある日のマッサージ妄想。



前回、奥様がうちにこられて感動してくださり、今回は旦那様がご来店。(うちは男性もOKなのよ)

旦那様はスピ系にも関心しきりで、わくわくモード。

マッサージの直前に、旦那様から

「前回、野崎さんがうちの妻に『六角形の家紋か社紋のようなもの』が見えたと言ってたそうなんですが、このお盆に、うちの家紋を調べたら、六角形でした!!」

とご報告をいただく。

マジかよ!Σ(゚д゚lll)

私は「何も見えないことも多いんだから、あまり期待しないでね」と言いながらマッサージ開始。

すると、いきなりイメージがでるわでるわ

(たぶん、この方がスピ系に関心大だったのと、お盆に重なっていたために、キャッチしやすかった模様)

まず、白い着物の20代後半から30代の女性(おそらくご先祖)が、

『父親を立ててほしい』『父親と仲良くしてほしい』

それを伝えると、ご本人ビックリ!

「・・・・はい、その通りです」

次に、『大工神の祭壇』が出てきたので尋ねると、

「何人か同じこと言われました」

そこで、大工神の祭壇を通じて出てきたある神格存在(たぶん山神)について伝えると、ビックリしながらも、

「やります」

と約束してくださる。

次に『三年・気を付けよ』と出る。そのときにトラブルかケガの暗示アリ。

三年目か三年忌か分からないのですが、一応どちらもアリということでお伝えする。

気をつけるという形で用心するだけでも、何かが起きた時に、大難を小難に止められるかららしい。へぇー。

その次は、『生来気管支が弱いが、今、気管支に影響がでている、気管支を温めるべし』

お伝えすると、「最近、気管支のところがキツいです!」ドンピシャ。

すると、突然、男性の声で『余計なこと言うな、このバカ女!』と罵倒される。(笑)

時々、お客様の側のネガティブさんから苦情がくることはあるが、いきなりバカ女と罵られるのははじめてなので、半分面白がりながら、

生前酒癖が悪かった人が、あなたに影響を与えてるのではないかと聞いたところ、

恥ずかしそうに、ご自身の酒癖が少々悪いことと、昔、酒乱の身内がいたことを話してくださる。

子孫の側が影響を断ち切ることで、ご先祖様の生き方(死んでるんですがw)を変えることができるという可能性もあることをお伝えさせていただくと、納得してくださった模様。


これはすべて、 私の力などではありません。

このお客様のご先祖様と守護霊様からのメッセージでした。



ご先祖様の力ってすげーなと実感。

おひとりおひとりが、ご先祖様や守護霊様に深く守られてるんだなーと感じました。


ありがとうございました。感謝・合掌。











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:23Comments(1)仕事アマミちゃんの不思議体験

反対側に偏ってみられちゃう症候群

2013年08月23日


昨夜、大変興味深いご指摘をいただきました。

複数の方から見て、私は「神道主流派」と「日本国」に対して、潜在意識レベルで怒りを抱いてるように見えるらしい。

私としては、日本と神道の正当性は大前提であり、あくまで、天皇支配のなかで救済できずにのこされていた

「まつろわぬ民」
「被差別の民」
「賊軍」

と言われる方々について、なにかしらのアプローチができないか、模索しているだけなのですが、

それが、一部の方にとって、「当時の体制への怒り」が感じられるのだというのです。

実は、私は、一方の人々からは真逆なことを言われています。

「アマミキョさんは天皇万歳で、天皇が一番大事な人」

これは、面白い現象だなぁと思う。


天皇という支配体制を尊重する方々からは、私は過度に天皇家への怒りや怨嗟の側に加担しているように見え、

天皇という支配体制への怒りを持っている方々からは、私は天皇べったりに見えるらしい。





自分の文章力の無さが、誤解を招いているというのを、再確認いたしました。

この原因はどこにあるんだろうなー。感情的に書きすぎるのがいけないのかなぁー。

もっと真意が伝わりやすい文章を書けるようになりたいです・・・・・。









  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:43Comments(2)つぶやき

ご先祖様との三日間

2013年08月22日

本日は、奄美の送り盆でした。

三日間、実家のご先祖様と過ごさせていただくことができました。

昨日は、主人と共に、主人の親戚筋のご先祖元数件へのご挨拶に伺いました。

本日は、私は実家のお手伝い。

母と父と伯母と、亡き曽祖父、祖父と祖母のお話で盛り上がりました。

そこで、はじめて知る話も出てきました。

いろいろと、気づきをいただけた貴重な時間でした。

もっともっと、ご先祖様のいろいろな歴史を知りたいと感じました。

しかし、何事も詮索しすぎるのはよくありませんので、

適度に、過去の悲しみを和らげ、また生前の徳を讃える方向での昔話を、

心がけるようにさせていただきました。

夜になると、親戚や父の友人ご夫婦も集まり、さらに盛り上がります。

夜九時半、名残惜しさを感じつつも、父と伯母と叔父と共に、ご先祖様をお送りさせていただくために、近所の海岸へ。

ご先祖様に「また来年いらしてくださいね」とお声をかけて、お見送りさせていただきました。

また、詳しくは申せませんが、

そこで、ある区切りの作法をさせていただきました。

要した時間は、十数分ほどでしたでしょうか。

あくまで私の責任においてさせていただきましたが、

父も伯母も叔父も、黙って見守ってくださいました。



ご先祖様が繋いでくださった命と時間に感謝して、

もっと、目に見えないいろんな事実を汲み取れる自分になりたいと思った夜でした。




歳を経るごとに、父と母の人間としての器の大きさに驚くばかりです。

父と母のような、心の大きな人物になりたいと感じました。

年々深まる、父と母の偉大さを素直に感じることができるこの気持ちは、

私の力や思いつきではなく、

奄美大島と、この地に命を繋いでくださったご先祖様方が、私にくださり続ける最大の恩恵であるのかもしれません。

今年のお盆を、無事にお迎えでき、また、滞りなくお送りさせていただけたことに、

心より、感謝申し上げます。

ご先祖様、今年もありがとうございました。

そして、来年も、ご先祖様をつつがなくお迎えできますように。





















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:42Comments(0)日々の出来事奄美

雨を降らせてくださった龍神様に感謝

2013年08月20日

雨が多いはずの奄美で、ここ二ヶ月、日照りが続いていました。

その理由は、憶測することもできますが、安直に書かない方が皆さんの気持ちを害さないのではないかと思います。

日照りが続くので、地元のみなさん、困っておられました。






ここ数日、恵みの雨が降り続いてくださっています。

雨乞いしてくださった皆様のお祈りが届いたのかもしれませんね。

奄美には、やはり雨がよく似合います。

少し洗濯物を乾かすのには苦労しますが、

奄美は、やっぱり豊かな水の島なんだなーと思います。

いつも当たり前にいただけるものではない雨を、

こんなにもいただけていたことと、

今回も、また、いただけた事に、感謝です。

奄美の龍神様に感謝です。

お水って、本当に天からの恵なんだなと思います。











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 02:18Comments(1)つぶやき

カツ丼の味

2013年08月19日


小さい頃、うちは貧乏だった。

どのくらい貧乏かというと、借金取りのおじちゃんがくると、私が相手をさせられた。(母ちゃんは靴を隠して息をひそめているw)

最近、その記憶を思い出すと、涙が出てくる。

今までは笑い話だった。

最近は、泣き笑いになる。

まだ小さかった私は貧しさはほとんど苦しくはなかった。

幼い私を使わねばならなかったほどの母の辛苦を思うと、涙が止まらない。

生活苦の底の底で、それでも死に物狂いで子供達を育ててきた母の人生と、

それを当たり前のように受けてきた、私という命に。





小さい頃、私はおそらく、世間様的には、決して幸福と呼ばれる家庭環境ではなかっただろうと思う。

しかし幼い私はとても幸せだった。

父も母も、それぞれの限界のなかで、せいいっぱい、子供達を愛してくれていた。

今でも、小さい頃に戻りたいと思うことがある。







幼い頃、

父が給料をもらってきてくれると、

近所の「まんぷく食堂」さんから出前をとることができた。

月に一度のぜいたく。

私は、迷わず、父と兄二人と同じカツ丼にしいていた。

兄に負けないように(笑)、無理して全部食べていた。

(そしてこんな体型に以下略)

今でも、私達兄妹は、なにかあるとカツ丼を食べる。

あのときのカツ丼の美味さは、今でも兄妹での昔話に出てくる。








あのときのカツ丼の味は、

父が暑い日も寒い日も、外で現場作業をして、

コンクリ片と土埃と汗にまみれて、

家族のために稼いだ、父の血肉の味だった。









  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:23Comments(2)自分がたり

父の前で60年前の祖父の手紙を読む

2013年08月18日



明日から三日間、奄美のお盆です。奄美は旧盆です。

今日、なんとなく実家の仏壇をあさっていると、

60年前、沖縄にいた祖父が祖母に宛てた手紙を見つけました。

(祖父の字で、1953年と封筒に書いてある)

夜、仕事が終わった私は、いそいで実家へ。

父と母の目の前で、60年前の達筆(?)な祖父の、祖母への手紙を音読しました。

母は何も言わずにナンクロしながら(笑)聞いていました。

あまりに達筆すぎて読めないところも多いものの、前後の文脈でなんとなく読めてくるのは不思議。(笑)

数箇所、「忠道」という名前がでてきます。

忠道とは、父の幼名です。

父は黙って寝たふりをして聞いていましたが、時々、目頭をさりげなく抑えていました。

父が七歳のときに亡くなった祖父。

父は祖父の顔をほとんど覚えていません。

様々な葛藤があり、苦渋があり、幼き父は祖父の記憶をあえて封じたのだろうということは、想像に難くありません。

しかし、手紙の中の祖父は、明らかに、父をとても愛していました。




明日からお盆。

祖父や、ご先祖様を、心あらたに、温かな感謝の気持ちでお迎えしたいです。





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:40Comments(0)日々の出来事

【子房さん】日本の超古代文明の真実

2013年08月17日

子房さん、とうとう書いてくださいましたー!!!!

本当に、本当にありがとうございました!!!(;ω;)

ずっと前からアップしたかったのですが、タイミングをはかっておりました(笑)

すごすぎる!!!すごすぎるぞムー文明継承後の超古代日本文明!!!!

ということは、女性が神官となる琉球神道(古神道祭祀)は、ムーの祭祀の姿かもしれませんね!

子房さんに感謝のけいれーい!!!!く(`・ω・´) ビシッ

これからたぶん、神道3000年の歴史の向こう側の、超古代日本文明1万年の歴史が、

少しずつ、紐解かれていくのかもしれませんね!!!!



__________



http://japan-spiritual.blogspot.jp/2013/07/blog-post_31.html


2013年7月31日水曜日


日本の超古代文明の真実 


要望もありましたので先日のムー大陸から渡ってきた人たちによってもたらされた古代日本の文明はどのようなものであったかを書いてみます

かつて奄美から沖縄、そして八重山諸島まで細長く連なる島がありました

その島にムー大陸から渡ってきた人たちの一部が流れ着いています

ユダヤ教のエッセネ派のように救世主の降臨を待ち、その下準備をしようとする集団です

沖縄ではニライカナイといってはるか海の彼方に神々の住む楽土があり、そこより訪れる神が豊穣をもたらしてくれるとする信仰がありますが、こうしたムー大陸から渡来した人々の伝承が元になったのだと思います

ムーの人々は、人へ優しく労わらなければならないという教えを守っていましたので、現地の人とも平和裏に共存する道を選びました

指導者として、ムーでの慣わしに従い、女性が宗教的・霊的役割をおこない、男性はその補佐と政治的な判断をして分担していました

それはおもに、男女の兄弟が分担することが多かったです

霊的な役割はおもに女性と書きましたが、当時の人々は心が純粋であったこともあり、男性も守護霊からの指導を間接的にでも受けていました

そのような霊的な作法も存在し、自らの心の汚れを晴らす作法をしながら、霊的な交流ももっていたのです

巨石文明については以前の記事にも書きましたが、ムー大陸から伝承された技術で、共鳴作用をもちいた巨石の加工というのが行われていました

さらに列島に結界を張って行ったとも書きましたけど、もう少し詳しく言うと、当時の日本列島は非常に不安定で、地震や火山の噴火が頻発していましたので、列島の大地に流れるエネルギーのライン上にポイントをとって、ツボを押すように、あるいは鋲を打って固定するように、ある規則性を持って巨石を配していったのです

現在は日本の古代にあった巨石文明について研究されることもなく、打ち捨てられておりますが、全国的に調べていくと、ある規則性を持って巨石が配置されているのが知られるでしょう

それはつまり古代において日本列島全体を俯瞰して把握し、全国的に活動していた文明があったことを意味します

真に調査すれば、現在は山や森としか見られない自然物とされているものも、古代において意図的に作られた人工の盛り土やピラミッドであることがわかるでしょう

このように大地を流れるエネルギーのスポット(大地のツボ)に配置されたのは、災害封じだけではなく、別な役割もあります

大地の気の流れをコントロールし、その土地で取れる作物の収穫を増やすこともできたのです

現在でもイヤシロチやケガレチという言葉がありますが、そうした大地の気流を動かして豊作をなすことが出来ました

現在では失われた技術としてそうした知識を持っていました

さらに超古代の文明として見えてくるものに、地下都市の姿が見えます

どうも地下を掘り起こして、地底に都市を築いていた地域が全国に何箇所かあったようです

これは上空からの偵察や攻撃を避けるために作られたもののようです

つまり古代において敵対する者からの空からの攻撃が想定されたと言う事です

当時は他の地域でもそうした超文明の栄える地域があったものと言えます

以前、黄泉の国について地底のドワーフについて書いたことがありますが、他にも根の国など地底にあるとされる国の話しが残っておりますけど、これらの源流には、そうしたかつてあった地底都市の話が一部流れているのかもしれません

日本でも奄美・沖縄の島だけではなく、九州や四国、本州の一部にもムーから流れ着いた集団がいたようです

日本列島に流れ着いた者達は友好的な関係にあったようです

その後栄えた日本の超古代文明は、陸地の海没と、火山の噴火によってほぼ消滅していきました

僅かに残った知識によって日本に生まれてきたのが縄文時代と呼ばれる文明です





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:03Comments(2)洪正幸さん(子房さん)

アマミちゃんが思う「正見」の超初歩 親への感謝

2013年08月17日

続けて、海の河童さんのリクエストにお応えしての過去記事です~~~~~

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アマミちゃんが思う「正見」の超初歩 親への感謝2011/08/12 10:17:32




これは「アマミちゃん的次第説法のすすめ」の続きになるのかもしれませんが、多分にアマミちゃんの偏見が入ってるので独立した文章として書きます。

主の御法話や幸福の科学の講師の話や師匠の話、を総合すると、ずばり「正見」の入り口が見えてきた。

それはやはり「親への感謝が徹底してできてるかどうか」だ。

これは辛辣な事実だ。受け入れられない人もいるかもしれない。

しかし、これが霊的な事実だと思う。もちろん私もまだまったくできてません。

どういうことかというと「親への尊敬ができない人は正見の入り口に立てていない」ということだ。

それは「親がどういう人であったか」は問題ではない。

今世の因果を見抜くためには「自分の因(ルーツ)」を知ることが重要であり、現在の自分の人格に影響を及ぼした因とは、「両親への(自分が持っている)思いの点検」だ。

両親への思いとは、あくまで自分主体なのだ。

自分のなかで親に対して「この世に生み出していただいた恩」よりも「個人としての親への裁きや甘え」が勝るとき、それは驕りであり、驕りは正見からはほど遠い。

親という人物像を客観的に多角的に知ることは重要だが、それをもって親をまったく自分と切り離した時点で、「恩知らず」となり、「恩知らず」という因果は継承される。

ここが、「正見」の前に「正しい信仰が大前提である」ことの重要さなのだろう。

信仰とは信じて仰ぐこと。親の人物像よりも、自らの目に見えない親からの恩恵を信じることなのだろうと思う。

魂の親は天なる父であり、地の親は今世の役割上の縁であるとしても、

それでも、親を尊敬できる人物の人格を私は素直に尊敬できる。

もっともっと、子としての驕りを捨てて親の恩を素直に感じ、

その深い恩恵に感謝を捧げられる自分になりたいと願う。





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 15:41Comments(0)

四正道と八正道の入り口はいずれも「親への感謝」である(再掲載)

2013年08月17日

「海の河童」さんからリクエストをいただきましたので、

・両親への感謝について

・龍と交信する方法など

について、私見を書いていきたいと思います。

(海の河童さん、大変おまたせしましたー!!!!!)


まず、こちら。ずいぶん前に書いた過去記事。

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四正道と八正道の入り口はいずれも「親への感謝」である

2011/08/17 18:13:02

つぶやき。


なぜかここを最近しつこく書きたくてしょうがない。なぜだろう。

でもどうもこのネタを書くとあちこちから反発の念がくる気がする(笑)




さて、四正道でも八正道でも最初にくるのは「親への思いの点検であり感謝行である」ってご存じでした?

四正道とは幸福の科学の基本教義「愛・知・反省・発展」です。

そのなかでも一番重要なのは「愛」であり、すべては愛にはじまり、愛にたどりつきます。

八正道とは幸福の科学の根本経典『仏説・正心法語』にでてくる解脱(悟り)に到るための八つの徳目です。

・正見(正しい見方)
・正思(正しい思い)
・正語(正しい言葉)
・正業(正しい行い)
・正命(正しい生活)
・正精進(正しい精進の姿勢)
・正念(正しい信念)
・正定(正しい禅定瞑想)

ですね。

経典「幸福の法」の
「第4章・人間を幸福にする四つの原理」の最初、
「愛の原理 奪う愛からの脱却」
でも、親への思いを重点的にふれています。

日光精舎の研修「八正道」の「正見」でも、徹底してまず見せられるのは「親との関係」だそうです。

ここが一番重要であり、ここ外したらかならずつまづきます。特に対人関係と仕事の成功ですね。

なにより主エル・カンターレ、大川隆法総裁ご自身が、御尊父が最初の弟子となったほどの「親孝行の方」であられたことは見逃してはならない事実だと思われます。

自分が親に抱いている印象や思い、先入観。

ここの正邪の反省をおさえることができたら、自分の人生の因果はほとんど透けてみえると感じます。マジでマジで。

自分が親に向けてる目が、実は周りから自分が観られてる目とイコールになっていると思います。

周りが自分に対して恩知らずだったり、かわいがった後輩がある程度育つと離れていく、自分の実績を周りが認めないという方は、

大体においてご自分が大きな「驕り」か「裁き」を親に向けてる方がほとんどではないでしょうか?

男性なら特に影響しやすいのが「父親への反発・驕り」、女性なら「母親への依存(責任転嫁)」ですね。

また、親孝行というのは「下座行」の第一歩でもあります。

たとえ尊敬できない親であっても、恩の方を見て親に感謝し、つつしんで報恩行をさせていただく。

これが下座行であり、「目に見えない恩恵」という意味では魂の親である神仏ともイコールです。

神仏は魂をつくってくださった。親は命をくださった。神仏を敬うのなら、どうして親を敬えないのでしょうか。

これが最大の「我見」であり、「邪見」であるのですね。

主は何度か下座行にふれていますが、それも会員さんのスルー率は高い(笑)

親への赤心からの反省と感謝が、愛と悟りの入り口である。

これを伝えて、このテーマを終わりたいと思います。

上から目線ですんませんした!
_(._.)_






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 12:37Comments(1)

尖閣・沖縄さらに奄美まで狙う中共の野望!(再掲載)

2013年08月17日

以前、この記事の元ネタは、二年前にこちらでもご紹介させていただいてますが、

あらためて、載せてるサイト様がおられましたので、再掲載させていただきます。


________


http://panther.iza.ne.jp/blog/entry/1778487/

尖閣・沖縄さらに奄美まで狙う中共の野望!
2010/09/21 21:11


中国の環球新報の記事で沖縄(琉球)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるという論文が掲載された。このことは中国が沖縄占領(=対日戦争)の機運が出てきており非常に警戒せねばならない。



日本が沖縄「不法占領」 中国紙に研究者論文



2010年9月20日



【北京共同】19日付の中国紙、環球時報は琉球は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載した。
 中国大陸に近い尖閣諸島(中国名・釣魚島)については中国領であることは明白で「日本には中国と話し合う資格もない」と結論付けている。
 筆者は在日中国大使館勤務経験がある商務省の研究者、唐淳風氏。論文ではかつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだったと断言。
 1972年の沖縄返還に関しては、米国は中国に返還すれば、中国の軍事基地になると懸念して日本に引き渡したとし、返還後も沖縄では独立闘争が続き「住民の75%が日本からの独立を望んでいる」と主張。
 尖閣諸島や東シナ海ガス田の問題で「日本が絶えず騒ぎを起こす」目的は中国政府を交渉のテーブルに引き込んで日中境界線を引き「沖縄占領の合法性を得ることだ」としている。




http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-167796-storytopic-3.html



引用した琉球新報版には載っていたがiza記事には載っていない部分のくだりの1972年の沖縄返還に関しては、米国は中国に返還すれば、中国の軍事基地になると懸念して日本に引き渡したとし、返還後も沖縄では独立闘争が続き「住民の75%が日本からの独立を望んでいる」という部分は荒唐無稽だが、穿った見方をすれば普天間問題でやっきになった政治家連中(福島瑞穂・小沢一郎・鳩山由紀夫ら)が親中(従中)派ばかりであることを思えば、彼らの背後に中国が糸を引いているではないかと思ってしまう。確かに「沖縄独立運動」もあるにはあるようだがその背後に中共の影があるならば捨て置けないことになるだろう。



その記事だけでも驚くべきことであるが、真正保守派の政治家や言論人らは中国がそういう動きに出るであろう事は見抜いていたわけで彼らの炯眼の正しさに敬服すると共に彼らの主張に共鳴してきたことに曇りはなかったと思う。



しかしそれだけで驚くのは早い。西村真悟氏のHPで見た事実を知ればいやでも気を引き締めねばならなくなる。あの覇権国家が尖閣・沖縄のみならず南九州までも奪うつもりでいるという事実に。



「沖縄防衛決戦」集会に参加して



No.549 



平成22年 9月20日(月) 



二十日午後一時より、那覇空港近くの沖縄県立武道館で、「沖縄県民、自由と平和のための国防決起集会 『沖縄防衛決戦』 基地闘争の工作機関誌沖縄二大紙にだまされるな」
と題する集会が開かれ出席してきた。
主催は、「自由と平和のための国防決起集会実行委員会」
共催は、『在日米軍基地ネットワークユニオン」と「沖縄と共に『自立国家日本』を再建する草の根ネットワーク」という団体。

 この集会に、八十三歳の自称「ばあさん」、私から言えば「愛国少女」の元鎌倉市会議員の伊藤玲子さんが出席するという。それで私も出席することにした。尖閣で中国共産党が攻勢をかけてきているときに、「ばあさん」いや「愛国少女」を一人行かせて自分が行かないのは男が廃ると思ったからだ。
 そして、武道館での集会後、午後三時過ぎから五時近くまで、那覇市内中心部までデモ行進をして、八時三十分に関西空港に帰着した。
 集会は二百五十人ほど。集会後の行進は多数の日の丸と一本の星条旗を掲げた百人ばかりのデモだった。
 そして、沖縄における歴史的な集会とデモだった。

 主催者と沖縄県内からの参加者は、皆中国は単に尖閣を奪いに来ているのではなく、沖縄を獲りに来ているという共通の危機意識を持っていた。そして、沖縄県内の二大紙は、沖縄の実情を全く伝えず沖縄を中国に売り渡すような報道ばかりをしていると憤っている。ちなみに、本日の報道は、一面がアメリカ軍兵士が交通事故を起こしたというもので、尖閣の状況や中国の対日非難は報道されていない、と言っていた。
 そして、参加者は、中国が沖縄が「中国のものだ」と言い始めたことに敏感に反応し怒っていた。なるほど、報道写真に映る中国人反日デモ隊は「琉球奪還」と書いたTシャツを着ている。

 集会の雰囲気を伝えるために、主催者が用意したデモに際するシュプレヒコール案を紹介する。十項目あるうちの三項目はマスコミ批判だった。如何に沖縄のマスコミが偏向しているか。


 シュプレヒコールは次の通り。


1、マスコミは、度重なる中国の領海侵犯に抗議せよ。
2、マスコミは、沖縄を中国に売り渡すな。
3、県民を扇動し、国防を無視した、マスコミは絶対許さんぞ。
4、中国は、ウソつくな。
5、尖閣は古来より日本の領土だ。
6,沖縄県議会も中国領海侵犯に抗議せよ。
7、憲法九条を改正して国家を強化せよ。
8、尖閣を守るために、与那国島に自衛隊を配備せよ。
9、日米同盟は日本の命綱、絶対に守るぞ。
10、日米同盟を強化し、沖縄の自由と平和を守ろう。

 以上、今日の集会の雰囲気を一番知っていただけると思い、デモで叫ばれた十項目を全て紹介した。道行く人も、車の人も、このデモに、「おおー」という感じで注目したようだった。
 
 沖縄は、これから、知事選挙や市長選挙の季節を迎える。
 その中で、沖縄の二大紙は沖縄の実情を沖縄県民と本土の国民に伝えず、その上に、昨年来の鳩山由紀夫の普天間基地移転問題に関する無責任かつ無能な右往左往は、選挙で冷静で適切な投票行動をできなくさせるほど県民を怒らせている。
 なにしろ、総理大臣が大まじめで、「普天間基地は国外に移転する、最低でも県外だ」と言ったのである。それから、「よく考えれば」・・・「やはり県内でした」と言ったのである。誰でも怒る。
 仮に総理大臣が大まじめに、「税金はゼロにします。すばらしい決断でしょう」と言ったあと、「よく考えれば・・・やはり税金は必要で、増税します」と言えば、あほーと怒る。これと同じだ。
 この無責任きわまりない民主党内閣によって、沖縄は既にかき回されている。この無能、無責任という政治的空白を突いて、中国が攻勢をかけてきているのだ。
 県民が、共産党に近い者を知事に選ぶ雰囲気に囚われ流されないことを切に願う。

 最後に、この集会で、満州人で日本に帰化した鳴霞さんが発掘した、「中国共産党の沖縄属領化工作文書」が紹介された。
 中国共産党は「琉球共和国の創設」を仕組み、沖縄を我が国から分離させてから奪おうとしている。そして既に、「琉球臨時憲法九条(案)」を作っている。
 それによると、奪う範囲つまり共和国の範囲は、第四条で「琉球共和国は、三つの主要な州である奄美州、沖縄州そして八重山州と琉球群島の全てからなる」と決めている。
 驚くべきことに、中国共産党は、奄美大島をも奪うつもりだ。
 尖閣は沖縄県の一部である。中国は、尖閣だけを奪おうとしているのではない。沖縄本島と奄美大島を奪おうとしているのだ。
 こういう、恥ずべき嘘を平気で掲げて我が国の領土を奪おうとする強欲で傲慢無礼な相手に対しては、我が日本国民が「断じて許さん」と決意するとき、初めて事態が解決する。
 今までの「中国を刺激しない」という歴代内閣の方針が、この度の傲慢な攻勢を招き寄せたのだ。
 私は、この集会を一回だけで終わらせることなく、これから沖縄に同じ思いをもつ日本国民が集まる回数を増やしていこうと述べて壇を降りた。
 以上、本日中に本日の沖縄の集会「沖縄防衛決戦」を知っていただきたくキーをたたいた次第。




http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?mode=Printview&page=549





中国が何を目論み仕掛けてくるか。それを考えれば「親中勢力」の思い通りになることこそ日本の滅亡を意味する。もはやそういう段階だ。おそらく中国は鳩山政権以降の政権が領土意識・国防意識が欠落しきっているのを見て「傲慢なる攻勢」を掛けて来たのだろうと考えられる。何しろ前首相のルーピーは「日本列島は日本人のものだけではない」などと抜けぬけと言った大馬鹿野郎である。本来ならその時点で議員辞職すべきだが、何の間違いか「政権交代キャンペーン」の風に乗って首相の御輿に乗ってしまった。それが日本における「真の不幸」の始まりだったと言える。



稀代の憂国政治家・中川昭一氏が「政治的に」殺されて、その後逝去して一年が来ようとしている。生前にこういう事態を見抜いていた氏は天から慨嘆しているだろう。



だが憂国の士はまだまだ健在であり彼らが気炎を上げれば我々もそれに応えねばならない。



中川昭氏の”盟友”だったあの人物もこう言っている。









安倍氏「対中、決意示すべきだ」
 

自民党の安倍晋三元首相は21日夜、都内の集会で、沖縄・尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件について「中国はこれ以上は経済制裁しかないというところまでやっている。われわれも確固たる決意を示さなければならない」と述べ、中国に対して強硬姿勢を貫くべきだとの考えを表明。同党の小池百合子総務会長は「日本はゴリ押しをすればすぐに動くと思われていることが安全保障上の一番の弱点だ」と述べ、「事なかれ主義」の政府の対応を批判した。



http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100921/plc1009212232025-n1.htm?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter



とにかくこう言った声をガンガン上げていくべきだろう。民主党が当てにならないなら自民党だけでもやるという意志を見せて欲しい。もし谷垣がやる気ないなら「救国ネット」として声を上げ政府を突き上げてもらいたい。おそらく親中派の財界人や知識人連中からの批判に晒されるだろうがそんなものは省みる必要はない。



「目先のカネと領土、どっちが大事か考えたらわかる話だ!」



これで十分



ついでに



「歴史上、中国の領土と認められたことはない。われわれは、この点を言わねばならない」

「日本は果断な措置で、中国による軍事的脅威に対応せねばならない。そして、中国には国際社会における政治的責任を果たしてもらう」



代表選でこのように発言した小沢一郎こそ本来は先頭に立って声をあげ菅政権や民主党にカツを入れるべきだろうが、未だに声を聞かない。最もこの男が首相になってたら菅仙以上のマヌケな対応を見せ付けられてた可能性も十分ある。



もう一寸たりとも中国の思い通りにさせないぞ!
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:18Comments(0)

新しき節目としての8月15日

2013年08月15日





私は父と仲がいい。

どれほど仲がいいかというと、私が父の首を締めていると、普段はむちゃくちゃおとなしい愛犬が私を止めようと私の腕に噛み付いてくるくらい仲がいい。(笑)

父との交流は、私が小学生のころにさかのぼる。

父が読んでいた日本共産党機関紙「赤旗」を読んで、いろいろ父に質問したのがきっかけではあるが、

(ご存知でした?「赤旗」は、日本共産党の機関紙です。ただの新聞じゃないんですよ)

本格的な父との交流は、 私が戦争文学をはじめとするいろんな本を読んでていて、父に勧めてからのことだった。

そのなかで、父が私に「この本を進めてくれてありがとう」と言ってくれた本が二冊ある。

一冊が、「レイテ戦記」(大岡昇平)だった。

実は、内容は私はそれほど覚えていない。

私のなかでは、

「七歳の捕虜」とか

「戦火と死の島に生きる—太平洋戦サイパン島全滅の記録」とか

「硫黄島玉砕」とか

「ガダルカナル玉砕」

が強く焼き付き、レイテは関心の外だったからだ。

でも父にとっては、非常に胸せまるものがあったようだ。

これ以後、父は私が勧める本はいつも丁寧に読んでくれるようになった。





日本の幾多の兵士が、外地で散華し、多くはその遺骨も戻ってこなかった。

民間人や軍属もいる。

それらの人々に感謝し、悲しみを悼み、それらの方々が喜んで生まれ変わってこれる、素晴らしい国をつくっていきたい。

そのために、私にできることはなにかを、日々考える。

私にできることはわずかですが、

できることを、少しずつ、やっていきたいと思う。






ちなみに父が私にありがとうと言ったもう一冊とは、「橋のない川」です。(笑)

(注・『橋のない川』は、戦争文学ではござらん)






今日は、大きな区切りの日であったのではないかと感じる。

大げさな表現を使えば、今日までの動きで、明日から、個々人の運命が、大きく変化していく。そんな重要な日であったのではないか。

そして、これから、大きな何かがはじまっていくような、

そんな、大きな歯車が動き出す音を聞いた気がした。




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:48Comments(0)つぶやき

『天皇』の責任とは

2013年08月14日

どっかの誰かが書けとうるさいので書きます。

書いてる私は超ヒヤヒヤなんですけど・・・・・・゜・(ノД`)・゜・








大東亜戦争に敗れてもうすぐ70年になろうとしています。

この70年、日本の精神的腐敗と衰退は、目を覆うものがありました。

日本が世界に誇るべき宗教文化の否定、

自国の神話すら教えられない自虐史観にまみれた学校教育、

国の象徴である国旗・国歌の否定、

国の防衛としての生命線である軍隊の否定、

国として当然持つべき愛国心の否定、

天皇家をはじめとする神の威厳に泥を投げつけるマスコミの悪魔的増長。

それらの腐敗の背後には、赤い国の悪意もありますが、つねに白アリ(白人)共の影がつきまとっています。



これらは、すべて一つにつながっています。

それは、「日本の霊力を削ぎ、日本が二度とアメリカにとってのリバイアサンとならないための呪詛」です。

呪詛とは、日本人が日本に対して行う「国の権威・威厳への侮辱と否定」であり、「子(国民)が親(国)を踏みにじる」という、大きな悪徳であり、

その結果として生じる、日本国民の徳力と国力の確実な衰退と、その先にある滅亡です。


これは、白アリ共が仕組んだことでもありますが、

この原因となったのは、実は、この3000年の日本の歴史そのものにもあるのではないでしょうか。

「天皇の名においてなされた迫害」の歴史。

私は、大東亜戦争の敗北と、その後の神国日本の急激な徳力の衰退の要因には、

「天皇と大和の国への3000年の怨嗟の集合想念」の発動があったのではないかと感じています。

(この発動スイッチのひとつが、特高警察による大弾圧だったと思います)

まつろわぬ民。

被差別と抑圧の民。

歴史を奪われ、神の名を奪われた民。

それらは、枯葉がつもるように、一枚ずつ、一枚ずつ、積もり続け、

やがてその悲しみが地を覆ったとき、大きな反作用が作動したのではないか。

その意味で、今の日本の精神的腐敗と衰退にいたったのは、白アリ共の力のみではないと感じるのです。

いや、神国日本であればこそ、白アリなどに惑わされるような我らでありましょうか。

つまり、白アリはあくまできっかけにすぎず、

この現状は、あくまでに、「日本そのものの、神国としての歴史のなかの悲しみのあぶり出しと、その浄化のための100年」ではなかったかと思うのです。

その上で、私は『天皇』の責任を思う。

それは、天皇を否定することではありません。

天皇の名においてなされた悲しみ達に、

浄化の道を指し示せるのは、

天皇陛下しかおられないと思うからです。

天皇の責任とは、

陛下が、もう一度、国の御柱としてその御威光をこの日本に大きく建てられ、この日本国に燦然と輝き、

その上で、もう一度、「陛下の赤子としての万民の平等」を、今度こそ、実現していたきたいということです。

ただ、それは中国や満州国や台湾や朝鮮においてではなく、

まずこの日本に、日本国の隅々に、

陛下の慈愛が届いてほしい。

苦しんでいるたくさんの魂達は、

陛下のお声によってのみ、救われると、私は感じます。

また、天皇と大和の国への怨嗟の声たちも、

陛下から賜るご配慮によってのみ、慰められるのではないでしょうか。





私は靖国神社への陛下の直々のご参拝を願うものでありますが、

靖国神社という官軍のための宮のみではなく、

まつろわぬ民や、被差別の民、賊軍とされた者達の魂のためにも、

どうか、陛下の御心を賜りたく、願います。

天皇とは、この国の御柱であり、

その意味は、「大和の国開闢の神々の直系子孫」であるという一点にあります。

天皇陛下とは、御皇室とは、

この国が高天原の神々によって作られ、また、護られてきたという証そのものなのです。

元より一つであったこの国の、

歴史のなかで落とされたたくさんの涙を、

どうか、現人神であらせられる陛下の御心によって、

慰め、お鎮めいただきたい。

心からの願いです。







天皇陛下、万歳!

神国日本、万歳!






















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 13:41Comments(1)つぶやき

奄美では今日は七夕です(奄美では旧暦に七夕をします)

2013年08月13日

うちでは、先月からとーーーーっても素敵な七夕飾りを玄関に飾らせていただいてるんですよ!






アメリカにお住まいのブログ読者様・Kさんから、七月七日の私の誕生日に、バースデープレゼントとして、

こんな素敵な七夕飾りをいただきましたー!!!!!

Kさん、いつもいつも、本当にありがとうございます!!!!!

(´;ω;`)

(Kさんからいただいてる過去作品は、以前もブログでアップさせていただいております。覚えてるかな?)




とても細やかなビーズで編まれた七夕飾りには、織姫と彦星まで!(ちゃんと織姫が羽衣をつけてる!!)

天の川といい、短冊といい、Kさん、細やかすぎです!!!!!

Kさんから節目節目に、お気持ちのこもったプレゼントをいただき、主人と二人で、本当に感謝感激です!!!!

・゜・(ノД`)・゜・

Kさん、このご恩は必ず身体で返します!!!!(マッサージで(笑))

Kさん、素敵な七夕飾りをいただき、本当にありがとうございました☆



奄美では、今日からお盆まで、街中に七夕飾りがはためきます。

でも、うちの屋内七夕飾りが奄美で一番だもんねー!!!!!

( ̄∀ ̄)










  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:18Comments(1)日々の出来事

ぽえむん「魂の外科手術痕」

2013年08月13日




いつも苦しんでいた

大きすぎる自尊心と

強すぎる自己卑下と

自分が自分でない乖離感と

封じられる重さ



やがて気づく

私のえぐられた魂の傷は

それ自体が私の行ってきた過去であったことを






なんという

自分に還る世界のありがたさ

過去の徳も

過去の罪も

過去の悪縁も

過去の貴縁も






地の底に堕ちたる私の過去が

私の胸をえぐる






深い失望にあった私に

天人が与えたもうたもの

ある神霊の光の

ひとかけらを

私の魂に移植して

私を導こうとされた

それは私の魂の灯台となり

私を役目へと誘った







異界の友が語る


「だが悲しいかな

移植された導きのための光や

古き契約によって賜った導きの光を

いつしか

それ自体が自分自身であると

錯覚し

尊大になり

転落する者多し

神霊の光は

導きの灯火でこそあるのに

いつしか

自らを神霊そのものだと

思い込み

願望のなかで

修行の道を自ら放棄する者多し

なればこそ

お前はそうなってはならない

お前の尊大さは

栄光の過去へのとらわれと

かつて移植された神霊の光を

お前自身の逃避に使う過ちである

お前は女神にあらず

お前はお前の分を知ることを守れ

女神の守人として

お前自身の役目を果たせ

そのために

天人から与えられた

女神の光のかけら

お前自身のつくってきたものを

正しくお前自身の手で整理することだよ」





古いふるいアルバムの向こうに

たくさんの過ちを重ね

たくさんの恩恵を受け

今 過去の自分の作った末の世界に立つ自分を見る

背中にみえるたくさんの傷跡は

もう痛々しくもない

アルバムの向こうの

因果の道の途中にいる私が

振り返り

笑っている








ああ

私は幸せになれたのだ






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:09Comments(1)ぽえむん

野崎さんの恐怖体験①(夏の怪談しりーず)

2013年08月12日



ある夏の夜、私は缶コーヒーを飲みながらチャットを楽しんでいました。

すると、突然、凄まじい寒気に襲われたんです。

どうもイヤな予感がする。この場から離れた方がいい気がする。

胸の奥からつきあげる、正体不明の不安感。

それでも、その不安感を振り切ろうと、私は、あえてゆっくりとコーヒーを飲みました。

「!!!!!!」

瞬間、口中にひろがる、なんとも言えない感覚。

舌先が感じ取った異物。

すぐに口のなかのものを台所のシンクに吐き出したとき、私は見たんです。

コーヒーに混じって、デカい銀蝿が・・・・・・・・・



(チャットに夢中で缶コーヒーのなかに銀蝿が入っていたことに気づかなかった)




ぎぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ




みなさん、くれぐれも、放置しておいた缶コーヒーを飲むときは、ゆっくり飲みましょう・・・・・・・

(;ω;)
.





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:23Comments(6)日々の出来事

高天原:奄美大島説(転載)

2013年08月10日

以下転載です。

明治時代に、すでに奄美が高天原であると唱えていた人がいたとは!!!!!

Mさんも「似た地域が沈んだ気がする」だそうです。

もしかすると、当時の奄美は、なんらかの特別な場所だったのかもしれませんね。




_______

http://ameblo.jp/jyushinwajindo10/entry-11367513393.html

高天原:奄美大島説

 『古事記』『日本書紀』など、日本神話で語られる高天原も、邪馬台国論争と同様に、その地は「大和説」と「九州説」のふたつが、有力な説として考えられています。

 高天原は、時の中心勢力の祖先が住んでいた地域と考えられており、大和朝廷の源である可能性や、古代王都の要素も感じられるのです。

 今回、畏説として紹介する「高天原奄美大島説」は、明治15~明治16年頃に大槻如電(おおつき じょでん)が考えたと思われますが、起筆したのは大正5年、昭和4年成稿で、書籍として世に問うたのは諸々の事情で、本人死後の昭和8年三回忌追善供養のため、遺族等が大槻氏蔵版として、三百部製本印刷された『御肇国史』に書かれていることである。

 大槻如電は、1845年8月17日、仙台の生まれで、父は儒学者の大槻磐渓、弟は『言海』の編集で知られる大槻文彦である。早くに家督を弟に譲り、昭和6年87歳で没す。文部省の『新撰字書』の編集に従事。編著書に『新撰洋学年表』などがある。考証家、蘭学者。交友の中には勝海舟などもいる。

 『御肇国史』は、「開篇 神代南北史」、「主篇 太祖建国史」、「結篇 五朝文化史」、「附篇」の和綴じ朱表紙体裁の四冊から成っている。

 この書物は、古文体で私には難解であるため、1985年に原園光憲氏が訳編された、『考証 古代日本史』(人間の科学社)を参考にさせていただいた。ただし、この訳編は「開篇 神代南北史」と「主篇 太祖建国史」の第一章、のみとなっている。

 大槻如電は、高天原を大隅国大島郡奄美大島に比定し、数十キロ隔てた喜界島と、もともと一島であって、その中間に連なる平地こそ高天原だと語っている。

 地殻変動により、平原は全部海底に没し、山地の西にあったのが奄美大島で、平地の東に残ったのが喜界島であると。また、キカイは南洋語で洲先と意味し、地勢によくかなっているとも言っている。

 「邪馬台国は沈んだ」の高天原バージョンのような印象だ。

 他にも大槻如電は、神武東征の第一着船地について異論をとなえる。有力な豊前の宇佐ではなく、高知県の宇佐だと主張する。おのずと岡水門(福岡県遠賀郡)を高知県長岡郡(物部川海口付近)に、安芸の国(広島県安芸郡)を高知県安芸郡に、吉備、高島の宮(岡山県児島郡)を吉備ではなく、粟国の間違いだとし、徳島県阿波の蒲生田岬辺りに比定している。

 吉備が粟(阿波)の誤記は、あまりに強引すぎないだろうか。いくつかの阿波、吉備の混誤した傍証をあげてはいるが、邪馬台国の行程を南から東に読み替える手法に似ているような気がします。

 しかしながら、神武東征の経路を四国にもとめるあたりは、邪馬台国四国説に関連付ければ何か見えてくるかもしれません。

 大槻如電は、高天原奄美大島説よりも、神武東征の第一着船地は、土佐の宇佐であることの思いの方が強かったように思われる。

 歴史地理と題した雑誌が吉川弘文館から発行されることとなった折、一文をたくされた大槻如電は、土佐の宇佐についての一篇を贈ったが、勅選書にくちばしをいれるとして返された経緯がある。

 私が身近に感じるものとして、神武東征の白肩の地を、大阪府柏原市の大県法善寺辺りに比定している点だ。多くは大阪府東大阪市日下町に比定しているようで、両地間は約10Km強の距離しかないが、ピンポイントで比定していることには魅力を感じる。柏原市大県周辺には由緒ある延喜式内社が点在しているのである。

 『御肇国史』は、原園光憲氏いわく、幻の書とされていますが、根気よく探せば入手は可能だと思われます。

 私は、二十数年前に早稲田の古書街で、偶然見つけたことを思い出す。







  


【TBA企画】奄美の始祖神アマミコの投稿イラストその4

2013年08月09日

前回、奄美の始祖神である女神アマミコのイラストを募集させていただきましたところ、

隊長ファンさん、ブログ読者の星さんに続いて、ブログ読者のAさんよりイラストをいただきました!

Aさん、本当にありがとうございました!
(;ω;)



Aさんによると、Aさんのイメージの女神アマミコは

・額の所にある円はもちろん夜光貝だけれども、ヒダヒダの所にある滴形のものも、すべて磨かれた夜光貝

・女性が持っている杖のような龍の顔をしたものは生きているとのことおそらく擬態中←杖のふりしている、寝ている可能性もアリ

・杖のふりをしている龍は、必要な時は空に飛び上がる

・なんだか天の羽衣をまとっているようなイメージなんですが、生きてる龍の顔がある!!みたいな。布にも擬態できるんでしょうねぇ、たぶん。


とのことです。

この細部にわたるイメージがAさんのすごいところ・・・・・・・

Aさんおそるべし・・・・・・・

Aさん、あたらめましてありがとうございましたー!!!!!1

ヽ(・∀・)ノわーい!!!!わーーい!!!!





さて、THINK BIG AMAMIでは、引き続き、奄美を創られた女神アマミコのイメージイラストを募集させていただきたいと思います!

奄美創世神話は、「アマミコ」と「シニレク」という男女二神が奄美を開闢したということです。

その男女二神の降臨の地とされてるのが、北はアマンデー、南は湯湾岳ですね。

琉球開闢の神アマミキョは、もともと奄美創造の女神アマミコがモデルではないかという説もあります。

(そもそも沖縄の歴史書で、琉球の文化をつくったのは「北方からきたアマミ一族」となってるので、琉球の神もアマミ一族の神であったと考えた方が妥当ではありますね)

そんな、琉球の神アマミキョのルーツともなった可能性もある、奄美の女神アマミコ。

奄美開闢の女神アマミコを奄美のみなさんに多く知っていただくことで、奄美に女神ブームをおこしていけたらと考えております!

そんなわけで、

どうか、このブログをご覧いただいておられます皆様からの、

【女神アマミコ】のイメージイラストを募集いたしております! 

イラストを書ける方のご助力を、なにとぞお願い申し上げます!(T^T)

いただきましたイラストは、すべて、私のブログ上にて公開させていただきます!

イラストのデザインイメージはすべておまかせですが、

イメージがほしい方へのご参考としては

○縄文の巫女の装束

○天平時代の女官の装束

○中国の美人画の装束

○古代インドの女神の装束

○背景に海

○背景に天の川

○背景に龍

○背景に鳳凰

○背景に月桃

○背景に橘

○アイテムに羽衣

○アイテムに宝玉(しおひるたま・しおみつたま)

○アイテムに真珠(奄美真珠)

○アイテムに鳳凰の羽根

○アイテムに扇(せん)

○アイテムに花のついた枝

○アイテムに巻物(護符)




しかし、上記はあくまで一参考であり、イメージは書かれる方の自由なイメージを推奨させていただきます!

イラスト画像のご提供は、こちらまでお願いいたします!

amamikyo@po3.synapse.ne.jp (野崎りのメルアド)

なお、公開させていただく際のハンドルネームもいただけたらありがたいです。


こちらは、隊長ファンさんによる【琉球開闢の女神アマミキョ】イメージイラストです!






私の方から

「しおひるたまを持っていただけたらありがたいです」

とリクエストさせていただいたら、こんな完璧なイラストに!!!!!!

まだ色付け自体は途中とのことですが、とーーーーーーっても美しいです!!!!!!!!!!



隊長ファンさん、本当にありがとうございました!!!!!!

(;ω;)



奄美及び琉球の女神神話定着のため、なにとぞ、みなさまのご協力を、伏してお願い申し上げます!
m(_ _)m

目指せ!アマミコ神話復活!!!!!!

ド━(゚Д゚)━ ン !!!




  


奄美に古代日本の拠点発見?(転載)

2013年08月08日

2006年に書かれた沖縄のある方の記事ですが、奄美のみなさんには目からウロコと思い、転載させていただきます。

(;ω;)

ありがたやありがたや・・・・






奄美に古代日本の拠点発見?(1)

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2006/09/post_6c6e.html


今月10日、「沖縄タイムス」紙上で喜界島での遺跡発見が大々的に報じられました。

喜界島の城久(ぐすく)遺跡群でおよそ1000年前の大規模な建物跡と、中国産の高級陶磁器やヤマト産の土師器(はじき)などが多数発見されたのです。

この遺跡は日本国家が置いた「南島」経営の拠点で、大宰府(だざいふ)の出先機関のようなものだった可能性が指摘されています。

これが本当だとすると、平安時代頃の奄美はヤマト朝廷の傘下にあり、琉球諸島にもその影響を及ぼしていたことになります。この城久遺跡群の存在は、以前より専門家の間で注目されていました。

今回はこれまでの研究をもとに、その歴史的意義について説明したいと思います(【画像】は南西諸島地図。クリックで拡大)。

城久遺跡群をはじめとした奄美諸島の遺跡調査で次第に明らかになっていることは、沖縄島を中心とした「琉球王国」が成立する以前、かつて奄美地域が琉球諸島の文化・交易の中心地だったのではないかということです。

奄美諸島では古代のヤマト産の外来物が多く出土している場所があります。

それは奄美大島の北部と喜界島です。ヤマト産のモノはとくにこの場所に集中して見つかっています。

さらに奄美大島の北部では、交易品として大量のヤコウガイ(盃や漆器細工の原料となる)を集めて加工していた6、7世紀頃の遺跡(小湊フワガネク遺跡群)も発見されています。

これとほぼ同時期、『日本書紀』をはじめとした古代日本の記録に南島人たちが朝貢した記事が知られています。

また九州の大宰府からも“奄美島”からの物品を納めたとみられる木簡が見つかっています。

これらの事実から浮かび上がるのは、6、7世紀頃(日本史でいうと飛鳥時代頃)、奄美大島北部と喜界島を中心に組織化された独自の政治勢力が登場し、彼らがヤマトの古代国家と「朝貢」関係を結んで交易活動を行っていたという姿です。

この背景には南島の特産品(ヤコウガイ・赤木など)がヤマトの中央で珍重され、これらを調達するためヤマトから南島への働きかけがあったとみられます。

ヤマトからの南島産物の需要が高まり、この北からの動きに刺激されるかたちで奄美諸島の「文明化」が進んだのです。


ただ注意しなくてはいけないのは、当時のヤマトにとっての「南島」とは、琉球諸島の全体を指していなかったとみられることです。

ひんぱんに「朝貢」してきた南島人は主に種子島・屋久島の人々で、次に奄美地域とトカラ列島が多く、沖縄・先島地域とされる球美(久米島?)・信覚(石垣?)は何とたったの1度だけ。

つまり、ヤマト朝廷にとっての「南島」とは南九州の大隅諸島から奄美諸島までを指し、沖縄・先島地域はその範囲外にあったのです。


沖縄地域へのヤマトの影響は奄美をワンクッションおくかたちで及んでいたようです。

奄美諸島で作られた土器の形式は北のヤマトの影響が強く見られるのに対し、沖縄諸島では以前からヤマトの影響を全く受けずに独自の土器文化を保ち続けていました。

それが奄美での「文明化」が進んではじめて奄美の土器の形式を取り入れた土器が登場します。

ヤマトの影響を強く受けた奄美が発信地となって、周辺地域の沖縄にもその文化が伝わったということです。

この頃の奄美は琉球諸島のなかでも最先端の地域だったのです。



参考文献:池田榮史「琉球王国成立以前―奄美諸島の位置付けをめぐって」(科研報告書『前近代の東アジア海域における唐物と南蛮物の交易とその意義』)











奄美に古代日本の拠点発見?(2)

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2006/09/post_554c.html



奄美大島北部・喜界島の政治勢力とヤマトとの関係は、その後9、10世紀頃(平安時代頃)までは続いたようです。

ヤマトでは南九州の島々を「キカイガシマ」あるいは「イオウガシマ」と呼ぶようになります。

この名称は島そのものを指すだけでなく、「南島」全体の名称としても使われていました。

当時の地理認識は今のように正確なものではなく、とくに現地に住んでいない人々(たとえば京都にいる貴族など)にとってはボンヤリとしたあいまいなものでした。



998年、奄美島人が九州を襲う事件が起こり、大宰府は「貴駕島(キカイガシマ)」に対して犯人を逮捕せよとの命令を発しています。

このことから、この時期に大宰府が指揮する何らかの機関が「キカイガシマ」に設置されていたことがうかがえます。

まだ特定されたわけではありませんが、今回報道された城久遺跡群の大規模建物の跡がこのヤマトの行政機関だった可能性はにわかに高まってきました。

おそらくこの機関は交易品の調達を主な業務としていたとみられますが、記録が少ないこともあり、ヤマトの行政機関「キカイガシマ」と現地勢力が具体的にどのような政治的関係を築いていたのかは、よくわかっていません。



この頃には日本と宋(中国)との貿易の影響で、南島産物を調達するヤマトの民間商人の活動が活発となり、また徳之島で「カムィヤキ」と呼ばれる硬質の土器が大量生産され、先島までの琉球諸島全域に流通しはじめます。

カムィヤキは中世日本や朝鮮半島の技術で作られた土器です。背後には北からの組織的な集団があって、彼らが琉球諸島の特産品を入手する代価とするために計画的にこれらの土器を生産したのではないか、と指摘されています。

カムィヤキとともに長崎産の高級な石製ナベも流通するようになり、11世紀以降、奄美地域を中心とした交易のネットワークは琉球諸島全体に広がり、そのインパクトはその後の琉球社会を激変(農耕の開始や「按司」の登場など)させるきっかけになるのです。


中世の日本では、自らの領域を「東は外が浜(現在の青森県)、西は鬼界島」までと考えていました。

ただし現代の国境のように明確な「線」で把握されていたわけではありません。

当時の国境は「線」ではなく、ある地点がどちら側の国家にも属している(あるいはしない)というような、漠然としたグレーゾーンの「面」としての性格を持っていました。

日本国の西の境界としての「鬼界島」は、主に薩南諸島、さらに奄美諸島までの幅を持ったゾーンとしてとらえられていました。

境界の外側(沖縄・先島地域)は、当時の日本人には鬼の住む「異界」と考えられていました。



鎌倉時代になると、日本国の東西の境界をおさえるために、幕府のリーダー的存在であった北条得宗家が「外が浜」や「鬼界島」を直接の影響下に置こうとします。

なぜこの地を重要視したかというと、日本国の端と端をおさえていることが、日本全体を統治するうえで象徴的な意味を持っていたからです。


14世紀のはじめ(鎌倉時代後期。琉球では英祖王の時代)、北条得宗家の代官で薩摩半島の南部を拠点としていた千竈(ちかま)氏が、南九州のトカラ列島や奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島までの島々を所領としていたことがわかっています。

その支配の実態は不明ですが、千竈氏は各島を政治的に統治したのではなく、現地勢力との交易権を確保した程度のものだったのではないかと考えられています。


いずれにせよ、ここにいたって日本国の影響の及ぶ領域は最大となるのです。




参考文献:村井章介「中世国家の境界と琉球・蝦夷」(村井ほか編『境界の日本史』)










奄美に古代日本の拠点発見?(3)

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2006/09/post_5893_1.html



しかし、琉球諸島におけるヤマト勢力の拡大はここまででした。

15世紀(室町時代頃)になると沖縄島で「琉球王国」が成立し、北に勢力を伸ばしてきたのです。

琉球王国は明朝をはじめとしたアジア諸国との国際関係を築いて強大化していました。

琉球はそれまでヤマトの勢力下にあった奄美地域へ軍事侵攻して、彼らの領域を次第に九州のほうへ押し戻していきます。


琉球の征服戦争で奄美の島々は次々と王国の支配下に入り、1450年には薩摩半島の南にある臥蛇(がじゃ)島まで領域を拡大します。

この島は琉球・薩摩の両方に属していました。

明確な国境線を持たないグレーゾーンとしての「境界」の性格をよく表しています。

このように琉球王国の領域はヤマトの種子島・屋久島をうかがうほどの場所まで到達したのです【画像・クリックで拡大】。


ところが奄美地域のなかでも、最後まで琉球王国の支配を拒み続けた島がありました。

それが喜界島です。

琉球は王弟(おそらく布里)が軍隊を率いて喜界島を攻撃しますが成功せず、以降も喜界島は十数年にわたって琉球王国の侵攻を阻止し続けるのです。

琉球はついに国王の尚徳が自ら大軍を出動させ、1466年にようやく喜界島を征服します。

こうして奄美諸島の全域は「琉球」となります。

対するヤマト勢力は奄美の奪還をめざしてしばしば攻撃してきたようです。

1493年の日本商人による朝鮮王朝への報告では、日本の武装兵が奄美を奪うために侵入し、琉球側は多くの戦死者を出したものの大勝利を収めたとあります。


それにしても、琉球はなぜ喜界島を侵攻することにこだわっていたのか?

また、なぜ喜界島があれだけ頑強に抵抗できたのか?

…この答えを探るヒントが、今回紹介した城久遺跡群の存在とヤマト勢力の支配拠点「キカイガシマ」にあるのではないでしょうか。

古代以来、奄美地域の政治的な中心地が喜界島にあった。

その最重要拠点を落としてはじめて奄美地域を完全な支配下におくことができると琉球は考えていたように思います

。そして喜界島は奄美のなかでもっともヤマトとの強い関係を持ち、彼らの支援を得ていたからこそ、たび重なる琉球の侵攻を退けることができたのではないでしょうか。

喜界島をふくむ奄美諸島は現在、鹿児島県に属していますが、薩摩藩に征服されるまでは「琉球王国」の一部でもありました。

一般に“琉球の歴史”と言った場合、それはあくまでも沖縄島が中心であり、奄美や先島地域はあくまでも「辺境」としての位置づけしか与えられていないように思います。

しかし、それは一面的な見方です。



奄美諸島の歴史を見てわかるのは、「琉球」ははじめから定まったカタチをしていたのではなく、また全体が均質な文化圏でもなかったことです。

奄美諸島の社会は様々な経緯をたどって「琉球」になり、そして「沖縄県」ではない現在の姿があるのです。


これまで沖縄は“ヤマト中心史観”に対して異議を申し立て、自らの「琉球」の歴史を復権させる試みを続けてきました。

しかし、当の批判者である沖縄自身が実は“沖縄島中心史観”におちいっていた面があったのではないでしょうか。

奄美諸島の歴史はこのような考えを見直す、ひとつのキッカケを与えてくれるように思います。






参考文献:石上英一「琉球の奄美諸島統治の諸段階」(『歴史評論』603号)





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:14Comments(0)奄美おすすめサイト

アマンデーの蝶々

2013年08月07日

先週日曜日、アマンデーに清掃奉仕に行かせていただきました。

(高千穂神社の清掃奉仕は、タイミングが合わず、ここ二ヶ月行けておりません・・・・氏神様、申し訳ございません!(;ω;) )

今回はボランティアグループ・THINK BIG AMAMIの他のメンバーのみなさんとはタイミングが合わず、

しかし非常に珍しいことに主人とのタイミングが合ったので、私と主人の二名での清掃奉仕。
 
伺ってみると、つい数日前にどなたかがお参りにこられた際に清掃してくださったらしく、とってもキレイ!!!!

私は石碑の周りに落ちている、そんなに多くない松葉を、置いてあるホウキで集め、

(あのホウキは私が置いてあるホウキですが、どなたでもご自由にお使いください)

その間に、主人は周りの白い小石の敷かれてる部分の松葉を集め、周りの雑草を鎌で薙ぎました。

お供えされているお酒の、どなたかがお供え用に空けた酒瓶の残りの中身を、石碑の周りに蒔き収め、

アマンデーに登る前に地元・節田集落の売店で購入した焼酎「新酒」をお供え用の酒瓶に加えさせていただき、

持参した奄美のミネラルウォーター「奄色(あまいろ)」でご神前へのお供え用の器を濯ぎ清めて、

キレイになった器に、お供え用の黒糖焼酎「弥生」の封を開けて注ぎ、もう一方には持参した奄色を注いで、

謹んでご神前にお供えさせていただきました。

残ったお水も、すべて、石碑の周りに蒔き収めます。


ちなみに、私はお酒をお供えさせていただくときは、一番ラベルが古そうなお酒をお供え用に使わせていただいております(笑)

こうすると、一番新しく自分が持ってきたお酒は自動的に一番後になるので(笑)

(空けた酒瓶は持って帰ります)

お掃除させていただいてると、可愛い黒アゲハが一匹、ゆっくりと、私の目の前を通り過ぎていきました。

いつもは鳥さんなんですが、前回と今回は蝶々が挨拶にきてくれます(笑)

最後に、うちの主人と二人で、奄美の神々への感謝を奏上し、

幸福の科学の経文「正心法語」を奉納させていただきました。

奄美の神様、いつも、奄美を護ってくださり、本当にありがとうございます!!!!

これからも、奄美のみなさんが健やかでよく栄え、日本のお役にたてますように!

(^人^)







アマンデーからの帰路、あのイワクラ(?)のもとへ!

主人によじ登ってもらい、方角を見てもらうと、

なんと、イワクラ(?)の正面方向は、蒲生崎でした!!!!!

(主人はイワクラにはまったく手を触れていません。軽々しく触れるべきものであるかわかりませんので)

蒲生崎、さすが平家の見張り台があったという伝説がある場所だけあって、

おそらく、古代において蒲生崎周辺は重要な航路だったのかもしれませんね。

ということは、このイワクラ(?)は航路の安全のための祈りの場所でもあるのかもしれませんね。

眠りについていたイワクラ(?)を再び起こすことの是非は私はわかりませんが、

少なくとも、古代からの聖地であり高位の神官たちの祈りの場所であったアマンデーの、大切な歴史の一端にふれることができたことは、

奄美の人間として素直に喜びと感謝でいっぱいです!!!!!!

奄美の神様、ありがとうございます・・・・(;ω;)



そしてさらに、帰りにカレーハウス「月の虎」さんでカレーをいただいていると、

高校時代から非常にお世話になっているMさんと偶然お会いできました!

そこで私が「奄美の歴史を知るための遺跡を探してるんですー」と一方的に語ると、

Mさん、おもむろに地図を出し、

(つねに地図を常備してるところはさすがガイド!!!!)

すごいヒントをいただけました!!!!!

やはり、あの辺かー!!!!!!!!

Mさん、ありがとうございましたー!!!絶対行ってみます!!!!!

でも、山の中は、私一人で行くのは心細い。

なにより、奄美の山のなかには、ハブという超デンジャラスな、地元のタクシーの運転手さんの動く小銭入れがいる!(笑)

どのようにして行けばいいのか・・・・うーん。

対策を練るべし!!!!!!!

目指せ!奄美の歴史のまだ見ぬ遺物!!!!!
































  


日本共産党の護憲路線転換への憶測(再掲載)

2013年08月06日

ある憶測


2012年06月15日

これはあくまで憶測。妄想。

日本共産党は戦後しばらくまで強硬な改憲路線だった。特に「憲法九条改正と人民軍の創設」は非常に重要視していた。

共産党は民族自決・独立を主目的としていたがため、「アメリカ帝国主義の支配そのものである戦後憲法」を変えることは悲願でもあった。

しかし、あるときから共産党はこれを突然覆し、当時の社会党と歩調を合わせた「護憲路線」に方針転換する。

当時の共産党のそれまでのポリシーを全面否定するような突然の護憲路線への方針転換は、非常に不自然で、共産党本来の「階級闘争」の観点から見ても明らかにおかしい。

(プロレタリアート独裁であるなら、労働者階級による自主憲法を作るべき)

私はどうもそこに、当時の党最高幹部であり、のちに旧ソ連のスパイと発覚して除名される野坂参三の意図があるように思えてならない。

社会党が旧ソ連とつながっていたスパイであるというのはソ連崩壊時に流出した国家機密文書からも明らかだが、

日本共産党がそのソ連と長年戦ってきたなかで、党最高幹部である野坂参三だけはソ連とつながっていた。

そして、日本を弱体化させるのに最も有利であったのが、ソ連と中国が社会党を通じて日本にまきちらした「思想の毒水」であるところの「護憲・平和路線」だったのだ。

これを最も踏襲してる社会党と社会党系である日教組がどれだけの思想的弊害をもたらしたかはもう書く必要もないだろう。

日の丸・君が代の否定と自衛隊の否定と憲法九条の偶像化は彼らのなかで一つにつながっている。

ちなみに社会党は中国・北朝鮮とも太いパイプを持っているのは周知の事実だ。

社会党系の朝日新聞が文化大革命を当時称賛していたことからも明らかだろうし、

社会党は近年まで北朝鮮の拉致疑惑(ちなみに北朝鮮による拉致疑惑を最初にうったえはじめたのは共産党です)を完全否定していた。

よく思い出してほしい。社会党系日教組の先生達が言っていた言葉。私はおぼえている。同じことを、違う先生から私は数限りなくきいた。

下記の主張は共産党も主張している。

「平和憲法はすばらしい。これは日本だけのものだ。これを日本は誇りにして守らねばならない」

「平和憲法は、日本が侵略戦争(!)をニ度としないための証だ」

「自衛隊は違憲だ。日本に軍隊はいらない。もちろん米軍も必要ない」

「日の丸・君が代は軍国主義の象徴だ。敬う必要はない。むしろ公的な場所で掲げる事は戦争で犠牲になった人々への冒涜」

「靖国神社は軍国主義の象徴だ。宗教は日本を狂わせた。宗教は個人が拝むのは否定しないが、宗教は公に関わってはいけない」
(なぜか天皇制ではなく宗教への否定を植え付けてました。天皇制への否定は露骨に言えないなにかがあったんでしょうか)




しかし、日本の戦争は侵略戦争というには欧米と比べてあまりにも優しすぎるものでした。

それは、「侵略された」アジア諸国が戦後日本の弱腰外交に失望している言葉の数々を見れば明らかであると思います。

共産党・社会党が行ってきた護憲路線。そこに共通する「赤い毒水」とも言える、戦後体制。

それは

「独自憲法の否定」

「独自軍隊の否定」

「宗教の否定」

「靖国神社の否定」

「国旗・国歌の否定」

「先の大戦の本義の否定」

「愛国心の否定」

そして「日本という国を象徴するモノへの徹底したネガティブイメージの刷り込み」でした。





東日本大震災まで、自衛隊は「違憲のくせに」と日蔭の存在として扱われてきました。

東日本大震災が起きる以前にここのブログで自衛隊への敬意をうったえたときに、福島の方が露骨に嫌悪をあらわしたコメントをよせてくださったことからもそれは明らかでしょう。

この自衛隊への長い間の誤解と自衛隊の苦渋は、なにによってもたらされたものでしょうか?


護憲・平和路線は赤い傀儡師達が、日本人から牙をぬくために仕組んだ洗脳であることを、もうそろそろ見抜いてもいいころではないかと思う。

平和憲法によってアメリカに手枷をつけられた日本に、思想をつうじて護憲・平和路線を掲げさせた赤い二つの大国がある。

その意図を知れば、護憲路線は亡国であることがわかるだろう。







私は平和憲法の理念そのものを憎んでいるわけではない。

平和憲法がそんなにも大事なら、日本人の手でもう一度憲法をつくりなおし、その上でもう一度、平和憲法をつくるべきだと思う。

ただし、軍隊の必要性と防衛のための交戦規定は明記したうえで。

この国は、アメリカから押しつけられた植民地憲法をありがたがって生きている。

靖国の英霊に、なんと言い訳すればいいのだろう。










  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:48Comments(1)

字幕【テキサス親父】慰安婦像は「誘蛾灯」売春婦を称える米国の特定都市

2013年08月06日

テキサス親父日本事務局スタッフブログより(一部抜粋。詳細は下記URLでどうぞ)
http://staff.texas-daddy.com/?eid=437





【テキサス親父】親父が朝鮮人の異常性に気がついたようです 2013/08/06


以前から、何度かここにも書きましたが、テキサス親父日本事務局も私Shunも、テキサス親父へ直接「この様な動画を作って欲しい」と言う事は一切、言わない決まりにしています。

これは、私自身も事務局のメンバーもテキサス親父の大ファンですので、特定の日本人が関わってテキサス親父の動画の色が変わるのを最も嫌うからです。
あくまでも、従来のテキサス親父の動画を見たいと言う思いからです。

しかし、これは皆様方からの要望を拒否すると言う意味ではありません。
理由は、私達が関わるようになる前から、様々な方々よりテキサス親父へはYouTubeのメッセージサービスを通じて、様々なリクエストがあったからです。
この点においては、従来と変わらないので問題無いと思っています。

ですので、テキサス親父への情報の提供、リクエスト等は引き続き行って下さい。
英語に自信が無い場合は、事務局へ日本語でメッセージを頂ければ、それを翻訳して送り返し、それを直接テキサス親父へお送り頂くという手順になります。
テキサス親父のメールアドレスは tony@texas-daddy.com です。

さて、テキサス親父の動画を数年前からご覧の皆様はテキサス親父が南朝鮮を
「米国の信頼できる同盟国」という位置づけで、動画を作ってきていた事をご存じと思います。

それに関して、事務局より煽りを入れる事もありませんし、それが、テキサス親父のその時点での考え方ですので、上にも書きましたように「テキサス親父が自由に作る動画」に魅力を感じていますので、その認識が日本人と違っていても、第三者の視点として、私達にとっても勉強になるし、アメリカ人の考え方を学ぶ事もできると思っていました。

しかし・・・知りすぎるとどうなるのか・・・。

ここのところのテキサス親父の南朝鮮関連の動画をご覧の皆様は驚かれているのではないでしょうか?

正直、私達もビックリしています。

ご存じの通り、テキサス親父はシー・シェパードを長年バッシングしてきました。
なぜなら、奴らは「卑怯者」だからで、テキサス親父は、本当に卑怯な事、卑怯者を嫌う真っ直ぐな紳士ですので、格好のネタであった事は言うまでもありません。

しかし、ここ1年程でシー・シェパードと南朝鮮の多くの共通点を見いだしたテキサス親父は、シー・シェパード同様に南朝鮮の卑怯な行為、常識を逸脱した行為を糾弾し、その攻撃の手は益々エスカレートしてきている様に思います。





これは、テキサス親父がご自身で調べ、様々な報道を研究分析した結果で、私や事務局のメンバーからの煽りは一切無い状態です。

慰安婦問題にしても、従来のテキサス親父の立場は
「強制連行があったにせよ無かったにせよ、それは日韓基本条約で解決済み」という立場を崩して居ませんでしたが、全てを掌握してしまった今、テキサス親父の正義感がその卑怯な行為を激しく糾弾する要素になったようです。
もちろん、いつものユーモアは忘れないテキサス親父の動画は、本当に見ていて面白いと感じますね。

さて、前回の慰安婦関連の動画は、瞬く間にあちこちを駆け巡り、ある意味、日本に反対する勢力にとっては、「とんでもない動画が出来た」と必死で反撃をしてきています。
しかし、それに反日分子達が気がついたのは動画の再生回数が10万回を超えたあたりからで、そこからテキサス親父を糾弾するブログを書いたりしていた様ですが、焼け石に水。

ツイッターで「テキサス親父」をキーワードで検索すれば、その反日分子や
「自慰朝鮮:シゴキ隊」
が必死になって抵抗しているのがわかり、楽しませて頂いています。

PropagandaBusterを名乗るテキサス親父が、自らの作った動画がプロパガンダになる事が一番の問題ですので、テキサス親父の下調べは完璧に行われている事がわかります。

調べれば調べるほど、様々な事実が明らかになり、その都度にその卑劣な行為を表に出す為にテキサス親父の動画が作成される事になります。

慰安婦問題に関係のないアメリカ、更には米国の「ユダヤ人を利用」して日本を貶めるプロパガンダを行い、アメリカを巻き込んだ慰安婦像や慰安婦の碑の設置に関して、非常に憤慨しておられます。相変わらず、汚い手法を使いますね。既に南鮮のお家芸となっているようです。

ユダヤ人を利用と書きましたが、日本で言う「在日問題」や「同和問題」、米国での「黒人問題」の様に自らを「被害者」や「弱者」と言い続ける事、または、「被害者を利用する」と言う手法は、正に卑怯者のする事だと捉えられます。

シー・シェパードが鯨やイルカだけを被害者に作り上げてそれを守る「正義の戦士」気取りで金集めをしているのと同様の方法が、この慰安婦の問題にも見えます。

南朝鮮人は、実際に被害を受けた「ユダヤ人」を利用して、自らの主張に正当性を与えようとしております。
その証拠が、この2つの動画です。(英語版です)

http://www.youtube.com/watch?v=E9-ITh6u4xQ

http://www.youtube.com/watch?v=CnL8EjZxK8w

一昨日、テキサス親父のファンの ”KAMIKAZE TORNADE” さんより情報提供を頂きました。

この様にユダヤ人を騙して、取り込んで自分達の主張を正当化させようとしています。
これが、南朝鮮のロビー活動の一部です。どこまで汚い連中なんでしょう。

これらに関して怒りの収まらないテキサス親父は、追い討ち動画を作りました。
更にこれ以外にも、朝鮮人のロビー活動に落ち、「追軍売春婦像」を7月30日に建てた米国カリフォルニア州グランデール市を非難する動画も出来ています。(本日、アップ予定)

字幕【テキサス親父】慰安婦像は「誘蛾灯」売春婦を称える米国の特定都市

http://www.youtube.com/watch?v=iRfgnXUqIJs&feature=c4-overview&list=UUQD-31XOIWj2Jao3Gs5-K-g





【動画解説】

カリフォルニア州グレンデール市に多くの在米日本人や日本人の反対を押し切って「追軍売春婦像」が立てられた。

テキサス親父は、1944年の米軍の捕虜聴取の報告書をグレンデール市の市議会議員やメディアへも送っており、それでも、この追軍売春婦像が建てられた事に対して、グレンデール市やその他の「売春婦関連の像や碑」を建てた地方自治体は、「自国の軍が書いた報告書よりも朝鮮人の嘘やでっち上げを信じるのか?」と憤慨している。

設置を決めたグレンデール市では、この像を「平和の為の像」と言っていますが、そこに刻まれている文字には「性奴隷」であった事と、恨み辛みの文章が記されている。

自国の軍の報告書よりも朝鮮人達の嘘を真に受ける行為は、米国国民、ましてや米国の自治体を預かる市議会議員としては正に恥ずべき愚行。

テキサス親父は、これを明確に「売春婦を讃える為の像」と言っており、更に今回は踏み込んで『キーセン』とまでは言ってないが、売春がごく最近まで南朝鮮の外貨を稼ぐ為の国家事業で、売春婦は公務員の待遇を持っていた職業売春婦であった事を説明している。

1944年の米軍による朝鮮売春婦への「尋問調書」はこちらからご覧頂けます。
 http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm


以下、追軍売春婦像に書かれている内容:

『わたしは日本軍の性奴隷でした。』

「乱れた髪型は、この少女が大日本帝国軍によって、住んでいた家から拉致されたことを象徴しています。」

「握り締めた二つの拳は、正義を勝ち取ろうというこの少女の固い決意を表しています。」

「剥き出しの不安定な足は、薄情で思いやりがないこの世界に少女が見捨てられてきたことを表しています。」

「少女の肩に止まった鳥は、わたしたちと亡くなった犠牲者の絆を象徴しています。」

「誰も座っていない隣の椅子は、まだ正義を見ないまま死を迎えようとしている年老いた生存者たちを象徴しています。」

「(像の後ろの床に描かれた)少女の影に映っているおばあさんは、永いあいだ沈黙の中で過ごしてきた時間の経過を象徴しています。」

「影の中にある蝶は、犠牲者たちがいつの日か甦り、謝罪を受けられる日が来ることへの希望を表しています。」

「1923年から1945年にかけて、20万人以上のアジア人とオランダ人の女性たちが、韓国、中国、台湾、日本、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアの彼女たちの家から拉致され、大日本帝国軍によって強制的に性奴隷にされました。」

「2012年7月30日に、グレンデール市が「慰安婦の日」を制定したこと、そして、2007年7月30日に、アメリカ合衆国議会が、米国下院決議案121条を通過したことを祝し、これらの罪について日本政府に対して歴史的な責任を受け入れることを求めます。」

「このような非道徳的な人権蹂躙が二度と繰り返されないことを心から願います。」

2013年7月30日

さて、日本に関する「追軍売春婦」は、この辺までにして、次は
南朝鮮政府と米軍が結託して、68カ所も慰安所を作って、慰安婦を強制的に「性奴隷」にしてた
らしいけど、このダブルスタンダードをどのように説明してくれるんだろうか?









【テキサス親父来日決定のお知らせ】

テキサス親父日本事務局では、2013年もテキサス親父へ来日の要請をし、これを快諾していただきました。


9/15 大阪 会場:マイドーム 大阪 (テキサス親父と語ろうファンの集い)
9/16 大阪 テキサス親父と明治チョコレート工場に行こう!
9/17 和歌山県 某所 テキサス親父と○○○を探しに行こう会
9/22 東京 会場:靖國会館 (テキサス親父と靖國神社を参拝しよう会とファンの集い)

その他、様々な企画を考えております。
詳しくは、8月10日にテキサス親父日本事務局 公式ホームページで告知致します。
皆さんのご参加をお待ちしております。

尚、取材や予定以外の講演会をご希望の方々は、出来る限り早めに
info@texas-daddy.com まで、お問い合わせ下さい。

来日は、9月13日(金)で、9月25日の帰国予定です。
既に一部、雑誌等の取材が入っていますので、お早めにご連絡頂けますよう宜しくお願いします。










  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:24Comments(0)テキサス親父さん

靖国というキーワード(再掲載)

2013年08月06日

靖国というキーワード(再掲載)


2011年12月27日

千葉さんとチャットの中で、靖国神社とA級戦犯について

「日本人の意識にかけられた【太平洋戦争と英霊への偏見】という、米中から植え付けられた日本衰退のプログラム(霊的封印)」

を話した次の日、靖国神社の神門が中国人に放火されたという一報をききました。

いやー、あちらの方々(霊的存在)はなんともわかりやすい行動しますよね!(笑)

そんなわけで、こちらはこちらで26日深夜に千葉さんとゆかりんさんに私から託した靖国の軍神方への誓願をここで披露します。



「幸福の科学はあなた方(英霊)が護国の軍神であることを高らかに掲げます」

「 幸福実現党は、この国を護られたあなた方の軍神としての使命を誇りに思い、その使命を継承いたします」



この私の誓願に異議のある幸福の科学信者は本部に「当会の印象を捻じ曲げるあぶないブログがある」などと通報という姑息で卑しいことなどせず、直接私に抗議しなさい。ブログ上で堂々と議論しようではないか。

その前に経典『天照大神の神示』、『日本を救う陰陽師パワー』をよーく読んでくださいね。




日本人よ、どうか靖国と英霊に、この国を護るために命を捧げた高貴なる御霊に、敬意という名の信仰心をささげてほしい。

そうすれば、英霊は地上の人々の信仰心によって押し上げられ、本来の姿である「軍神」となれると思う。

「軍神」となられた靖国の英霊方は、地上の人々による偏見という「念縛り」から解かれ、再び、護国のために今度は神として巨大な霊力をもって戦ってくださるだろう。

「軍国主義の再来だ」「軍神」を気持ち悪い、怖いという無理解な人々に言うと、この日本の神道の神々は、六割までも軍神です。

天皇(スメラミコト)も元々は軍神です。

(その軍神方の上に鎮座するのが女神というのがこの国のすごいところ)

その日本の国で、護国の軍神や軍隊に敬意を持てない戦後からの現状が、どれほどの「狂った状態」なのかを知るべきだ。

「信仰心」とは、霊を神に押し上げ、その霊力を数十倍、数百倍にする地上最強の念力なのです。

(だから悪魔は神への信仰を穢そうとし信仰など無意味なものと思いこませようとするのね)

そしてこれが一番大切なのですが、「護国の誇り」こそは、国家の霊力を高める秘法の一つなのです。

だからこそアメリカと中国は、日本から国力を削ぐ最も効率的な手段として、「天皇と神々への信仰心」「護国の誇り」を奪ったのですね。





どうか日本の人々よ、靖国と英霊に誠心誠意詫びてほしい。

命を捨てて国を護った英霊の御霊を、堂々と信じ敬うことができなかったこの国の民の不徳と愚かさを、心から詫びてほしい。

そして、靖国の軍神の偉業をたたえ、その護国の生きざまに素直に頭を垂れてほしい。

靖国の軍神よ、あなた方を縛ってきた偏見の檻を私は粉々に破壊します。

奄美から、「護国の誇り」を堂々と掲げ、あなた方が軍神であることを述べ伝えます。

靖国の英霊よ、どうか軍神となりたまいて、この国をお護りください。

この国のなりたちよりの元津神であらせられる主エル・カンターレの御名において、官軍も賊軍もない。この国には太陽の意志を掲げる使命がある。

この国に「神々への信仰心」を取り戻せ。この国は古来より信仰の国なのだ。

地球神エル・カンターレの御名において、この国に神々への信仰を取り戻せ。

それが、幸福の科学会員の使命ではないだろうか。






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:45Comments(0)