【愛知県人さん】久しぶりに白眉な記事
2015年08月06日
愛知県人さん、おひさしぶりですー!
(*`・ω・)ゞ
秀逸すぎるネタありがとうございます!!!
┏○)) アザ━━━━━━━━ス!
こんな情報待ってましたー!!!!
______
白眉尤も良し。意味はぐぐろうぜ。
分かりやすい昭和陸軍史。
確かにわかりやすいのでオススメ。
『昭和陸軍全史』全3巻、好評発売中。第1巻は満州事変、第2巻は日中戦争、第3巻は太平洋戦争を扱う。
第二次大戦時、アメリカと日本の国力には12倍の差があったと言われる。
巨大な敵に、先人たちは本気で勝てると考えていたのだろうか。
戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。
■カギを握る4人のエリート
「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。
満州事変の2年前の1929年に結成されました。
メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。
一般的には東条が日本を破滅に導いたように思われていますが、
昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。
東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。
永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、
当時の日本社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。
戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」
川田稔・名古屋大学名誉教授はそう語る。
川田氏は、戦後70年に合わせて『昭和陸軍全史』全3巻(講談社現代新書)を上梓。
永田、石原、武藤、田中の4人を軸に、なぜ日本が無謀な戦争に突き進んでいったのか明らかにしている。
「一夕会が存在感を強めたのが、1931年の満州事変の発端となった『柳条湖事件』です。
満州事変は関東軍作戦参謀だった石原のプランに基づくものでした。
彼は日中間で紛糾していた満蒙問題解決のため、武力行使による全満州占領を目指していたのです」
石原は関東軍赴任前から、20世紀後半期に日米間で戦争が行われるとする
「世界最終戦争」という独自の世界観を持っていた。
「石原は将来的に、アジアの指導国家となった日本と、
欧米を代表する米が世界最終戦争を戦うと予想。
その戦争に勝つためには鉄・石炭などの資源が必要で、そのために全満州の領有、
さらには中国大陸の資源・税収などを掌握しなければいけないと考えたのです」
石原らの謀略、越権行為に対し、当時の若槻礼次郎内閣は戦線の「不拡大」を決めたが、
関東軍はそれを無視して戦線を拡大。陸軍省の軍事課長だった永田も、石原らの行動を支持した。
満州事変は、永田を中心とした一夕会の周到な準備によって遂行されたものだったのだ。
「陸軍きっての俊英と知られた永田は第一次世界大戦前後の6年間、
ドイツなどに駐在。大戦の実態をまざまざと見ました。
人類史上初の総力戦となった第一次世界大戦でドイツが負けたのは、資源が自給自足できなかったため。
次の世界大戦はさらに機械化が進み、資源や労働力が必要になると確信した永田はドイツの轍を踏まないよう、
資源、機械生産、労働力のすべてを自前で供給できる体制を整えねばならないと危機感を募らせた。
永田の目には、敗戦で過重な賠償を課されたドイツが、次の大戦の発火点になるのは必至だった。
そこに日本は必ず巻き込まれる。
その時に備えて国家総動員体制を早期に整えなくてはならないと考えたのです」
だが、当時の日本は多くの物資をアメリカからの輸入に頼るなど、自給自足には程遠かった。
「そこで永田が考えたのが中国の満州と華北、華中の資源を確保することでした。
当時、中国では反日ナショナリズムが盛り上がり、
蒋介石率いる国民党政府が中国の統一を目指して北伐を実施。
この動きに永田らは、日本の資源戦略が脅かされるとして安全保障上の危機感を強めた。
永田や石原が満州事変を起こしたのは、そうした危機感によるものでした」
■繰り返される内紛
そんな一夕会の構想とは逆に、当時の日本政府は、第一次大戦の戦禍を踏まえて結成された
国際連盟の常任理事国として、国際協調を模索していた。
「この頃の一般世論の感覚は、いまの日本人の感覚と近かった。
歴代内閣はワシントン条約など様々な国際条約を結び、平和を保つために国際協調路線を進めていて、
政党政治はそれなりに安定していました。
一夕会からすると、とにかく波風をたてまいとする内閣、政党政治家はあまりに無知。
いつまでたっても国家総動員体制はできず、
日本は次の大戦で滅ぶか、三流国に転落すると、危機感が強まる一方だった」
そうして、永田らは政党政治家にとって代わり、自分たち陸軍の手で政治を支配しようと動きだす。
「彼らは『統帥権の独立』と『陸海軍大臣武官制』を使って内閣に執拗な恫喝を繰り返し、屈服させていきました。
'31年12月に発足した犬養毅内閣では、一夕会の政治工作により、
一夕会が推す荒木貞夫が陸相に就き、永田も陸軍省ナンバー4の情報部長に就任。
一夕会系幕僚が陸軍の要職をほぼ独占してしまった。
陸軍中央は、直ちに関東軍の全満州占領や満州国建国の方針を承認しました」
さらに、'32年5月、青年将校が犬養首相らを殺害する5・15事件が発生。政党政治は終焉を迎える。
'33年には満州国独立を巡り、日本は国際連盟を脱退した。
陸軍の主流派になった一夕会では権力闘争が激化。
皇道派と統制派に分かれた内紛のなかで、永田は執務中に斬殺される。
永田の死後は、石原と武藤が永田の国家総動員構想を推進していく。
'36年、皇道派の青年将校らによる反乱「2・26事件」が起きたが、石原、武藤は二人三脚で鎮圧する。
「永田の構想を直接引き継いだのは武藤でした。武藤は永田の構想に基づき、
'32年に誕生した満州国とは別に、華北地域に親日の傀儡政府を作って、
華北の資源を確保しようとした。いわゆる華北分離工作です。
武藤が資源確保を急いだのはドイツでナチスが政権を取り、
ベルサイユ条約を破棄して再軍備を行ったことが大きい。
第二次世界大戦が現実味を帯びていたのです」
■読みはことごとく外れ…
ところがこれに待ったをかけたのが石原だった。石原も当初は華北分離工作を支持していたが、
途中でそれを止める。理由は、ソ連の存在だった。
「満州国と華北に接するソ連極東軍が、軍備を大幅に増強していたのです。
華北分離工作を続けると、危機感を持ったソ連が介入して戦争になる恐れがあると危惧した。
ソ連との戦争になれば、アメリカから物資を輸入せざるを得ません。
しかし華北分離を進めると、中国に権益を持つ英米との関係が緊迫し、石油の輸入も受けられない。
よって自重すべきだというのが、石原の考えでした」
しかも石原は、たとえ欧州で次の大戦が起こったとしても、日本は介入すべきではないという立場だった。
「しかし、武藤は欧州で大戦が起これば必ず日本も巻き込まれると主張。
華北分離工作を止めてしまうと、大戦の準備ができなくなるとして石原と鋭く対立したのです。
'37年7月、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まりました。石原は速やかに事態を収拾させようとします。
石原は、華北には北京があるので、国民政府が絶対に屈しない、必ず長期戦になると予想していました。
対して、武藤は『一撃で中国を屈服させられる』と豪語。戦線の拡大か不拡大かで、
陸軍中央を巻き込んだ大論争に発展しました。一夕会のメンバーで、武藤と同期の田中新一も武藤に同調。
結局、武藤は石原を排除して実権を掌握。石原は失脚しました」
しかし、石原の予言通り、国民政府は頑強な抵抗を繰り返し、日中戦争は泥沼化していく?。
'36年11月、日本は日独防共協定を調印。'38年4月、近衛文麿内閣は国家総動員法を公布。
ついに国家総動員体制がスタートした。'39年9月、ドイツがポーランドに侵攻し、
欧州で第二次世界大戦が始まった。武藤は永田や自分が考えた通りの展開になったとして、
'40年6月、「綜合国策十年計画」を策定する。
「この中で武藤は『大東亜協同経済圏』という言葉を使い、
日本、朝鮮、中国としていた自給自足圏を東南アジアにまで拡大する構想を初めて掲げました。
これが後の大東亜共栄圏構想です。
第二次大戦勃発に合わせて調査し直したところ、自給自足のためには石油やボーキサイト、
スズ、石炭や鉄も足りないことが判明。それで東南アジアでも資源を確保しようとしたのです」
南方にはイギリス領が多く、南方進出はイギリスとの戦争を意味した。
一方で、武藤は対米戦は絶対避けるつもりだった。
「武藤は『アメリカは物資と財力で世界一であり、年間軍事費は約140億円(日本は20億円)で日本はかなわない』、
『対処を間違えば日米戦争を太平洋上に始めて、世界人類の悲惨なる状態になる』と述べています」
そこで武藤が考えたのが、ナチスドイツにイギリスを倒してもらい、欧州でのアメリカの足場を崩すことだった。
日本が日独伊三国同盟を結んだのはそのためだった。
しかも、武藤は、三国同盟にソ連が加わった4ヵ国連合を結成して、
アメリカを封じ込めようと考えていた。実際、ドイツは'39年8月に独ソ不可侵条約を結んでいた。
「日本は'41年4月、日ソ中立条約を結んだのですが、それから2ヵ月後に、
何とドイツが不可侵条約を破棄してソ連と戦争を始めたのです。
武藤は、イギリスに加えソ連とも戦争する二正面作戦は
『ヒトラーの頭が狂わない限りあり得ない』と考えていたが、
そのまさかが現実になった。このため武藤はドイツと距離を置くことを主張しますが、
田中は『日本とドイツでソ連を挟み撃ちにすべき』と反論し、激しく対立しました」
頼みのドイツとソ連が戦争を始めたのだから、大東亜共栄圏構想は根底から覆ったも同然。
しかもソ連はイギリス、アメリカと協調し、逆に三国同盟包囲網が整った。
にもかかわらず、武藤も田中も南方進出の方針を変えず、'41年7月、南部仏印に進駐。
アメリカは事前の警告通り、直ちに石油を含む対日輸出の全面禁止に踏み切った。
「武藤は南部仏印に進駐したぐらいのことで、アメリカが石油を禁輸するとは予想してなかった。
石油を禁輸すれば日本が東南アジアの石油を求めて南方に進出してくるのは明らか。
アメリカはイギリスを助けるため、まずドイツを叩くつもりで、
二正面作戦となる日本との戦争を望んでいないと思い込んでいたのです」
武藤は外交交渉での事態の打開に一縷の望みを託すが、田中はアメリカとの戦争を主張した。
結局、ハル米国務長官は日本軍の中国、仏印からの無条件撤兵、
三国同盟からの離脱などを求める、いわゆる「ハル・ノート」を提示した。
「田中は、これを飲めば日本は満蒙の権益を失ってしまうので到底我慢できない。
アメリカと戦えば長期戦になり勝ち目はほぼないが、ドイツ次第では万に一つの勝機があるかもしれないと考えた。
アメリカの戦争準備が整う前の有利なタイミングで開戦すべきと主張し、
万策尽きた武藤も開戦を承認。こうして無謀な戦争に突き進んだのです」
■最後は国民と心中する
'41年12月8日、ついにその時が訪れる。
南雲忠一中将率いる機動部隊がハワイのアメリカ艦隊を奇襲。
初戦の戦果に日本中が沸いたが、物量に勝るアメリカが次第に攻勢に転じ、
日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に基づき、各地で玉砕した。
「アメリカとの戦争に負けたら陸軍は権力を失う。どうせ権力を失うなら、
日本民族ともども心中しようという精神構造が陸軍にはあった。
同じ負けるにしても、陸軍という組織を残すためにできるだけ有利な条件で降伏しようとも考えた。
そのために人命を犠牲にした作戦も敢行させたのです」
太平洋戦争での悲劇を引き起こした、一夕会の中堅幕僚たちの失敗。
現場の暴走を陸軍中央は抑えられなかったのか。
「陸軍のトップは永田ら一夕会の操り人形だったので、
中堅幕僚が暴走しても、それをコントロールできませんでした。
永田らは第二次大戦が必ず起こると想定して、自給自足の完璧な安全保障体制の構築にこだわりました。
結局、軍人ゆえの合理性から完璧を目指そうとして、目の前の事態に対処できずに状況は悪化していった。
確かに永田の予想通り第二次大戦は起こりましたが、日本が国際連盟を脱退していなければ、
別の展開になっていたかもしれない。
複雑怪奇な国際情勢の中で、完璧な安全保障など、そもそも可能だったのか。
むしろ戦争を起こさないようにする多種多様な対応こそが、求められていたのではないでしょうか」
戦後70年、いま、安保法制の問題などで日本人の戦争観が問われている。
「昭和陸軍」の失敗から、学ぶことは多い。
↑ このコメントいらねーよ。(by 愛知県人)
かわだ・みのる/'47年生まれ。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学教授。
専攻は政治外交史、政治思想史。『戦前日本の安全保障』『昭和陸軍の軌跡』ほか著書多数
(*`・ω・)ゞ
秀逸すぎるネタありがとうございます!!!
┏○)) アザ━━━━━━━━ス!
こんな情報待ってましたー!!!!
______
白眉尤も良し。意味はぐぐろうぜ。
分かりやすい昭和陸軍史。
確かにわかりやすいのでオススメ。
『昭和陸軍全史』全3巻、好評発売中。第1巻は満州事変、第2巻は日中戦争、第3巻は太平洋戦争を扱う。
第二次大戦時、アメリカと日本の国力には12倍の差があったと言われる。
巨大な敵に、先人たちは本気で勝てると考えていたのだろうか。
戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。
■カギを握る4人のエリート
「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。
満州事変の2年前の1929年に結成されました。
メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。
一般的には東条が日本を破滅に導いたように思われていますが、
昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。
東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。
永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、
当時の日本社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。
戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」
川田稔・名古屋大学名誉教授はそう語る。
川田氏は、戦後70年に合わせて『昭和陸軍全史』全3巻(講談社現代新書)を上梓。
永田、石原、武藤、田中の4人を軸に、なぜ日本が無謀な戦争に突き進んでいったのか明らかにしている。
「一夕会が存在感を強めたのが、1931年の満州事変の発端となった『柳条湖事件』です。
満州事変は関東軍作戦参謀だった石原のプランに基づくものでした。
彼は日中間で紛糾していた満蒙問題解決のため、武力行使による全満州占領を目指していたのです」
石原は関東軍赴任前から、20世紀後半期に日米間で戦争が行われるとする
「世界最終戦争」という独自の世界観を持っていた。
「石原は将来的に、アジアの指導国家となった日本と、
欧米を代表する米が世界最終戦争を戦うと予想。
その戦争に勝つためには鉄・石炭などの資源が必要で、そのために全満州の領有、
さらには中国大陸の資源・税収などを掌握しなければいけないと考えたのです」
石原らの謀略、越権行為に対し、当時の若槻礼次郎内閣は戦線の「不拡大」を決めたが、
関東軍はそれを無視して戦線を拡大。陸軍省の軍事課長だった永田も、石原らの行動を支持した。
満州事変は、永田を中心とした一夕会の周到な準備によって遂行されたものだったのだ。
「陸軍きっての俊英と知られた永田は第一次世界大戦前後の6年間、
ドイツなどに駐在。大戦の実態をまざまざと見ました。
人類史上初の総力戦となった第一次世界大戦でドイツが負けたのは、資源が自給自足できなかったため。
次の世界大戦はさらに機械化が進み、資源や労働力が必要になると確信した永田はドイツの轍を踏まないよう、
資源、機械生産、労働力のすべてを自前で供給できる体制を整えねばならないと危機感を募らせた。
永田の目には、敗戦で過重な賠償を課されたドイツが、次の大戦の発火点になるのは必至だった。
そこに日本は必ず巻き込まれる。
その時に備えて国家総動員体制を早期に整えなくてはならないと考えたのです」
だが、当時の日本は多くの物資をアメリカからの輸入に頼るなど、自給自足には程遠かった。
「そこで永田が考えたのが中国の満州と華北、華中の資源を確保することでした。
当時、中国では反日ナショナリズムが盛り上がり、
蒋介石率いる国民党政府が中国の統一を目指して北伐を実施。
この動きに永田らは、日本の資源戦略が脅かされるとして安全保障上の危機感を強めた。
永田や石原が満州事変を起こしたのは、そうした危機感によるものでした」
■繰り返される内紛
そんな一夕会の構想とは逆に、当時の日本政府は、第一次大戦の戦禍を踏まえて結成された
国際連盟の常任理事国として、国際協調を模索していた。
「この頃の一般世論の感覚は、いまの日本人の感覚と近かった。
歴代内閣はワシントン条約など様々な国際条約を結び、平和を保つために国際協調路線を進めていて、
政党政治はそれなりに安定していました。
一夕会からすると、とにかく波風をたてまいとする内閣、政党政治家はあまりに無知。
いつまでたっても国家総動員体制はできず、
日本は次の大戦で滅ぶか、三流国に転落すると、危機感が強まる一方だった」
そうして、永田らは政党政治家にとって代わり、自分たち陸軍の手で政治を支配しようと動きだす。
「彼らは『統帥権の独立』と『陸海軍大臣武官制』を使って内閣に執拗な恫喝を繰り返し、屈服させていきました。
'31年12月に発足した犬養毅内閣では、一夕会の政治工作により、
一夕会が推す荒木貞夫が陸相に就き、永田も陸軍省ナンバー4の情報部長に就任。
一夕会系幕僚が陸軍の要職をほぼ独占してしまった。
陸軍中央は、直ちに関東軍の全満州占領や満州国建国の方針を承認しました」
さらに、'32年5月、青年将校が犬養首相らを殺害する5・15事件が発生。政党政治は終焉を迎える。
'33年には満州国独立を巡り、日本は国際連盟を脱退した。
陸軍の主流派になった一夕会では権力闘争が激化。
皇道派と統制派に分かれた内紛のなかで、永田は執務中に斬殺される。
永田の死後は、石原と武藤が永田の国家総動員構想を推進していく。
'36年、皇道派の青年将校らによる反乱「2・26事件」が起きたが、石原、武藤は二人三脚で鎮圧する。
「永田の構想を直接引き継いだのは武藤でした。武藤は永田の構想に基づき、
'32年に誕生した満州国とは別に、華北地域に親日の傀儡政府を作って、
華北の資源を確保しようとした。いわゆる華北分離工作です。
武藤が資源確保を急いだのはドイツでナチスが政権を取り、
ベルサイユ条約を破棄して再軍備を行ったことが大きい。
第二次世界大戦が現実味を帯びていたのです」
■読みはことごとく外れ…
ところがこれに待ったをかけたのが石原だった。石原も当初は華北分離工作を支持していたが、
途中でそれを止める。理由は、ソ連の存在だった。
「満州国と華北に接するソ連極東軍が、軍備を大幅に増強していたのです。
華北分離工作を続けると、危機感を持ったソ連が介入して戦争になる恐れがあると危惧した。
ソ連との戦争になれば、アメリカから物資を輸入せざるを得ません。
しかし華北分離を進めると、中国に権益を持つ英米との関係が緊迫し、石油の輸入も受けられない。
よって自重すべきだというのが、石原の考えでした」
しかも石原は、たとえ欧州で次の大戦が起こったとしても、日本は介入すべきではないという立場だった。
「しかし、武藤は欧州で大戦が起これば必ず日本も巻き込まれると主張。
華北分離工作を止めてしまうと、大戦の準備ができなくなるとして石原と鋭く対立したのです。
'37年7月、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まりました。石原は速やかに事態を収拾させようとします。
石原は、華北には北京があるので、国民政府が絶対に屈しない、必ず長期戦になると予想していました。
対して、武藤は『一撃で中国を屈服させられる』と豪語。戦線の拡大か不拡大かで、
陸軍中央を巻き込んだ大論争に発展しました。一夕会のメンバーで、武藤と同期の田中新一も武藤に同調。
結局、武藤は石原を排除して実権を掌握。石原は失脚しました」
しかし、石原の予言通り、国民政府は頑強な抵抗を繰り返し、日中戦争は泥沼化していく?。
'36年11月、日本は日独防共協定を調印。'38年4月、近衛文麿内閣は国家総動員法を公布。
ついに国家総動員体制がスタートした。'39年9月、ドイツがポーランドに侵攻し、
欧州で第二次世界大戦が始まった。武藤は永田や自分が考えた通りの展開になったとして、
'40年6月、「綜合国策十年計画」を策定する。
「この中で武藤は『大東亜協同経済圏』という言葉を使い、
日本、朝鮮、中国としていた自給自足圏を東南アジアにまで拡大する構想を初めて掲げました。
これが後の大東亜共栄圏構想です。
第二次大戦勃発に合わせて調査し直したところ、自給自足のためには石油やボーキサイト、
スズ、石炭や鉄も足りないことが判明。それで東南アジアでも資源を確保しようとしたのです」
南方にはイギリス領が多く、南方進出はイギリスとの戦争を意味した。
一方で、武藤は対米戦は絶対避けるつもりだった。
「武藤は『アメリカは物資と財力で世界一であり、年間軍事費は約140億円(日本は20億円)で日本はかなわない』、
『対処を間違えば日米戦争を太平洋上に始めて、世界人類の悲惨なる状態になる』と述べています」
そこで武藤が考えたのが、ナチスドイツにイギリスを倒してもらい、欧州でのアメリカの足場を崩すことだった。
日本が日独伊三国同盟を結んだのはそのためだった。
しかも、武藤は、三国同盟にソ連が加わった4ヵ国連合を結成して、
アメリカを封じ込めようと考えていた。実際、ドイツは'39年8月に独ソ不可侵条約を結んでいた。
「日本は'41年4月、日ソ中立条約を結んだのですが、それから2ヵ月後に、
何とドイツが不可侵条約を破棄してソ連と戦争を始めたのです。
武藤は、イギリスに加えソ連とも戦争する二正面作戦は
『ヒトラーの頭が狂わない限りあり得ない』と考えていたが、
そのまさかが現実になった。このため武藤はドイツと距離を置くことを主張しますが、
田中は『日本とドイツでソ連を挟み撃ちにすべき』と反論し、激しく対立しました」
頼みのドイツとソ連が戦争を始めたのだから、大東亜共栄圏構想は根底から覆ったも同然。
しかもソ連はイギリス、アメリカと協調し、逆に三国同盟包囲網が整った。
にもかかわらず、武藤も田中も南方進出の方針を変えず、'41年7月、南部仏印に進駐。
アメリカは事前の警告通り、直ちに石油を含む対日輸出の全面禁止に踏み切った。
「武藤は南部仏印に進駐したぐらいのことで、アメリカが石油を禁輸するとは予想してなかった。
石油を禁輸すれば日本が東南アジアの石油を求めて南方に進出してくるのは明らか。
アメリカはイギリスを助けるため、まずドイツを叩くつもりで、
二正面作戦となる日本との戦争を望んでいないと思い込んでいたのです」
武藤は外交交渉での事態の打開に一縷の望みを託すが、田中はアメリカとの戦争を主張した。
結局、ハル米国務長官は日本軍の中国、仏印からの無条件撤兵、
三国同盟からの離脱などを求める、いわゆる「ハル・ノート」を提示した。
「田中は、これを飲めば日本は満蒙の権益を失ってしまうので到底我慢できない。
アメリカと戦えば長期戦になり勝ち目はほぼないが、ドイツ次第では万に一つの勝機があるかもしれないと考えた。
アメリカの戦争準備が整う前の有利なタイミングで開戦すべきと主張し、
万策尽きた武藤も開戦を承認。こうして無謀な戦争に突き進んだのです」
■最後は国民と心中する
'41年12月8日、ついにその時が訪れる。
南雲忠一中将率いる機動部隊がハワイのアメリカ艦隊を奇襲。
初戦の戦果に日本中が沸いたが、物量に勝るアメリカが次第に攻勢に転じ、
日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に基づき、各地で玉砕した。
「アメリカとの戦争に負けたら陸軍は権力を失う。どうせ権力を失うなら、
日本民族ともども心中しようという精神構造が陸軍にはあった。
同じ負けるにしても、陸軍という組織を残すためにできるだけ有利な条件で降伏しようとも考えた。
そのために人命を犠牲にした作戦も敢行させたのです」
太平洋戦争での悲劇を引き起こした、一夕会の中堅幕僚たちの失敗。
現場の暴走を陸軍中央は抑えられなかったのか。
「陸軍のトップは永田ら一夕会の操り人形だったので、
中堅幕僚が暴走しても、それをコントロールできませんでした。
永田らは第二次大戦が必ず起こると想定して、自給自足の完璧な安全保障体制の構築にこだわりました。
結局、軍人ゆえの合理性から完璧を目指そうとして、目の前の事態に対処できずに状況は悪化していった。
確かに永田の予想通り第二次大戦は起こりましたが、日本が国際連盟を脱退していなければ、
別の展開になっていたかもしれない。
複雑怪奇な国際情勢の中で、完璧な安全保障など、そもそも可能だったのか。
むしろ戦争を起こさないようにする多種多様な対応こそが、求められていたのではないでしょうか」
戦後70年、いま、安保法制の問題などで日本人の戦争観が問われている。
「昭和陸軍」の失敗から、学ぶことは多い。
↑ このコメントいらねーよ。(by 愛知県人)
かわだ・みのる/'47年生まれ。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学教授。
専攻は政治外交史、政治思想史。『戦前日本の安全保障』『昭和陸軍の軌跡』ほか著書多数
箸休め・愛知県人さんの趣味の愛車
2013年12月07日
私を某市から名古屋駅まで、とんでもない夢を観させてくださった、愛知県人さんの趣味の愛車です。(あくまで夢ね。ドリームドリーム。)
トヨタ86という車種だそうです。(写真掲載は愛知県人さんご了承済み)
もう一つの、伊勢神宮まで連れて行ってくださったお車は、車種はわかりません。ハイエースっぽい見た目でしたけど。
でも伊勢神宮からの行き帰りに、走り屋さんにときどき勝負挑まれてたので、たぶん車を知ってる人なら一目で分かる速い車なんだろうと思う・・・・。
こちらの、愛知県人さんの黒の趣味の愛車なんですが、何枚か写真を撮らせていただいたのですが、
車の表面がピカピカすぎて、近くにいる愛知県人さんまで車の表面に窓ガラスのように写りこんでいるので、
使えるのがこの一枚しかなかったんです(笑)
良い子のみんな、車は安全運転で走ろうね!(笑)

トヨタ86という車種だそうです。(写真掲載は愛知県人さんご了承済み)
もう一つの、伊勢神宮まで連れて行ってくださったお車は、車種はわかりません。ハイエースっぽい見た目でしたけど。
でも伊勢神宮からの行き帰りに、走り屋さんにときどき勝負挑まれてたので、たぶん車を知ってる人なら一目で分かる速い車なんだろうと思う・・・・。
こちらの、愛知県人さんの黒の趣味の愛車なんですが、何枚か写真を撮らせていただいたのですが、
車の表面がピカピカすぎて、近くにいる愛知県人さんまで車の表面に窓ガラスのように写りこんでいるので、
使えるのがこの一枚しかなかったんです(笑)
良い子のみんな、車は安全運転で走ろうね!(笑)

【愛知県人さん】とうこう。
2013年07月19日
いつも自由すぎるご寄稿をくださる愛知県人さんですが、
本当は結構(以下略
隊長講演会のときの愛知県人さん、黒のサウナスーツが超眩しかったです。
講演会にきてくださったお客様と、愛知県人さんのお話でどれほど盛り上がったことか!!!
懇親会のあとに半強制的に連行されたカラオケが忘れられません。
隊長講演会の非常に重要なスポンサーもとい相談役です。
ありがたやありがたやー。
___________
刀工。
愛知県のお隣、岐阜県関市には、
関の孫六を生んだ孫六兼元の刀工があった。
ウィキさん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%85%AD%E5%85%BC%E5%85%83
と、まあ、久しぶりのとうこうである。
私は投光器を約2年前に営業で売っていたが、あまり売れなかった。
まだまだLED投光器は値段が高かったからね。
さて、久しぶりの投稿で私のことが何者なのか
分からない良い子も見えるでしょう。
実は、アマミさんも良く分かってないと思う。
実は、私自身も良く分かっていないのです。(苦笑)
愛知県に住んでます。
愛知県ってどこ?って聞かれます。
チャットで意味不明な言葉を連呼している時があります。
きっと何かに共鳴していると思われます。
お見知りおきを。
(今年の講演会の時、勝手に前説をはじめた男です。私。)
【愛知県人さん】奄美紀行 5
2013年03月14日
今日、お客様から美味しそうなスパークリングウォーターをいただきました。
「野崎さん、ブログにコーラ好きって書いてたから・・・」
Bさん、ありがたやありがたや・・・・(;ω;)
ちなみに、リアル愛知県人さんは、結構性感もとい精悍なお顔立ちの剣士といった風貌でしょうか。
私は男性恐怖症なのですが、愛知県人さんには二人きりでいてもまったく微塵も恐怖心がなかった。
愛知県人さんとは前世の絆を感じ(以下略
________
奄美紀行 5
さて、偶然にも隊長と同じホテルに宿泊することになった私。
実は、それだけにとどまらす、フロアーも一緒だった・・・。
しかし、隊長は男の子なので、一緒でも、何もうれしくない。
と、ここで、前回記し漏らしていたが、
ホテルにチェックインする前に、奄美自然のエステさん、に
寄りました。(というか、わたしが無理やり押し入った。(笑))
・・駐車場に車を止め、
『ちょ、ちょっとお車でおまちくださいっ、愛知県人さん・・』とのたまうアマミさん。
一緒に降りる私。
『だ~か~ら~、お車でお待ちください、愛知県人さん』
やっぱり、降りる私。 ウザイ。
そのまま、”だるまさんがころんだ”をしながら、3階へ、
遂に、エステ部屋に侵入成功!
(今思い出しても、ストーカー認定だな。)
入口のドアで、冷やかな気配を感じたが、あとは至って普通。
エステをしていただく時間は全くなかったが、当方もしていただく
つもりがなかったので、ただの野次馬。失礼しました。
そうして、講演会会場へ、れっつらGO!
隊長と、1年ぶりの再会。
皆様。
『はげー。』
隊長。
『俺は、はげとらん。』
・・・・続く。(苦笑)
「野崎さん、ブログにコーラ好きって書いてたから・・・」
Bさん、ありがたやありがたや・・・・(;ω;)
ちなみに、リアル愛知県人さんは、結構性感もとい精悍なお顔立ちの剣士といった風貌でしょうか。
私は男性恐怖症なのですが、愛知県人さんには二人きりでいてもまったく微塵も恐怖心がなかった。
愛知県人さんとは前世の絆を感じ(以下略
________
奄美紀行 5
さて、偶然にも隊長と同じホテルに宿泊することになった私。
実は、それだけにとどまらす、フロアーも一緒だった・・・。
しかし、隊長は男の子なので、一緒でも、何もうれしくない。
と、ここで、前回記し漏らしていたが、
ホテルにチェックインする前に、奄美自然のエステさん、に
寄りました。(というか、わたしが無理やり押し入った。(笑))
・・駐車場に車を止め、
『ちょ、ちょっとお車でおまちくださいっ、愛知県人さん・・』とのたまうアマミさん。
一緒に降りる私。
『だ~か~ら~、お車でお待ちください、愛知県人さん』
やっぱり、降りる私。 ウザイ。
そのまま、”だるまさんがころんだ”をしながら、3階へ、
遂に、エステ部屋に侵入成功!
(今思い出しても、ストーカー認定だな。)
入口のドアで、冷やかな気配を感じたが、あとは至って普通。
エステをしていただく時間は全くなかったが、当方もしていただく
つもりがなかったので、ただの野次馬。失礼しました。
そうして、講演会会場へ、れっつらGO!
隊長と、1年ぶりの再会。
皆様。
『はげー。』
隊長。
『俺は、はげとらん。』
・・・・続く。(苦笑)
【愛知県人さん】奄美紀行4
2013年03月12日
愛知県人さん、いつも本当にありがとうございます!
( ゚д゚ )クワッ!!
愛知県人さん、今回はハグできなかったので、次回お会いするさせていただくときには、
背後から膝かっくんするぞ!
うおおおおおおおおおおおお
コーラだいすきぃいいいいいいいい
__________
前回の投稿から間が空いてしまいましたが、
ご容赦ください。
さらに、その間にアマミさんが、HNを変える事態も勃発。(笑)
空港の、到着ロビーで、アマミさんと再会を果たした・・。
相変わらず、ご立派な、御顔とお身体。(爆)
今回も、島内の移動は、レンタカーを使用したいと考えていたが、
アマミさんのご好意に甘えて、アマミさんの助手席を
温めることになった。
後部座席には、グーの姿が。(笑)
可愛い。
アマミさんと、愛知県人のコンビ。この怪しげなカップルは
3日間限定でユニットを組むことになった。
早速、アマミさんの提案で、前回行けなかったアマンデーに
行くことに。
アマミさんの愛車は、秋介さん所属団体のステッカーが貼ってあり、
なかなか雰囲気のいい車。
その車がどんどん人気の無い方へ登ってゆく。(笑)
阿麻弥姑神社(アマミコ)神社を右手に眺め、
私に気を遣ってくださる運転のアマミさん車は坂を登る。
対向車が来る度に、雄たけびを上げるアマミさん…。
と、妙にきれいな道路になり、自衛隊車両とおぼしき
車とすれ違う。
(アマミさんは気づいていたかどうかわからないが、乗っていた
全員がこちらをガン見していた。)
脇道にそれ、しばし下って、アマンデー駐車場へ。
アマンデー駐車場があることに、驚いた。
かなり大きな宴会ができるぞっていうスペース。
車を降りて、アマンデーへと下る山道をレッツゴー。
突然、ちょい太めの木の枝を掴んだアマミさん。
姿はまるで、熊追いのマタギ…。(笑)
『これで、クモの巣を払いながらいかないと大変なの。』と。
早速、持参したカメラで、撮影。これは魔除けになりそう。
アマンデーに、到着。
天気も良く、喜界島も良く見える。
まず、参拝。
一通り、アマミさんに説明いただき、碑文を読む。
アマミさん。質問。
『何か、感じます??。』
まず、結論で申し訳ないが、この度の奄美訪問。
昨年と違い、違和感や、身体の異常等は無かったです。
何事も無く、拍子抜けしてしまったぐらいです。
アマンデーで、何も感じなかった私。
アマミさんからも、何も感じなかった私。
”霊感0”、良かった、良かった。
景色もきれいで、空気もおいしい。
初日から好スタートです。
そういえば、アマンデーの碑文の石段。
サンゴが敷いてあるって、アマミさん情報。
そのサンゴの上に乗り、参拝した私。
『その上に乗って参拝した人はじめてみました・・。』は、アマミさん談。
罰当たりな私をお許しください・・・・。
さて、再び、グーを乗せて、講演会会場(個人面談会場)へ出発。
飛行機の遅れもあって、お腹もずいぶん減った。
昼食場所を検討するアマミさん。そのまま市街地へ突入。(笑)
突如の提案。
『愛知県人さん、ジョイフル行きません?』
アマミさんのこの一言で、お昼は聖地ジョイフルに決まった。
実行委員が集う、聖地ジョイフル。
憧れの、地。
さらに、なんと、聖地は、ぶどう館の隣に立地していた。
昼飯が食えて、お酒が買える。
なんて、いいロケーション。
そして、食事。
私は金曜定食で、ハンバーグ。
と、生ビール。(苦笑)
アマミさんには、”肉食うな!!と一言”
それに従うアマミさん。
アマミさん、注文。
『大盛りできますか?』 ←私の米。
アマミさんのドリンクバーは”コーラ”。
『だって、大盛りいいでしょ。』
『だって、コーラ好きだもん。』
・・それは、太るな。うーん。(苦笑)
ビール好きと、コーラ好き。
如何ともし難い・・・・
食事を済ませたら、ぶどう館さんへ、
イナユさんと、再会。初ぶどう館♪。
そこは、店内中お酒に溢れた素晴らしい空間が広がっていた。(笑)
早速、FAUの実物をGET。
どれも、これも、うまい酒に思えてきて、目移りが。
ぶどう館さんも、前回お邪魔できなかったので、うれしい訪問。
また、店内でビールを飲んでしまった。ははは。
なんとも、厚かましい客だったこと。(謝)
おかげさまで、良い焼酎をGETできました。
なんだか、もう目的を果たせたかのような私・・・。
その後、二晩お世話になるホテルにチェックイン。
そこは、隊長も宿泊されるホテルだった。
続く。
【愛知県人さん】奄美紀行3
2013年03月01日
愛知県人さん、ご寄稿感謝です!
あの神社のアレを舐りたかった・・・。(笑)
赤福ごちそうさまでした!あざーす!!!
_______
奄美紀行 3
さて、残念ながら、
神社の土産物屋は閉まっていた。
穏やかな、いい天気。
しかし、明日は、
”雪”らしい。と新聞の夕刊。
早く、寝よう。
布団に入って、チャットを覗いたら、
アマミんの、愛知県人さん待ちとの文字・・
謎のノートパソコン(アマミん命名)を
旅行鞄から、出して接続・・
隊長講演会、前々日。
わたくしの、奄美行き、当日。
雪は、降ってない。
体も、さほど、だるくない。
良かった、良かった。
という事で、出発。
行きに、名古屋駅でお土産の
赤福と、わたくしのための缶ビールを購入。
新幹線で、ビールと
豊橋名産ちくわ(わさび漬け付)を
消費。(笑)
新大阪まで、雪の遅延もなく、
定刻に、到着。
リムジンバスで、伊丹空港へ、
渋滞もさほどなく、スムーズ。
伊丹空港では、ゆったり、まったり。
飛行機は、満席。
Jシートで、ゆったり。
(+1,000円で、随分ゆったり)
(通常料金では、乗る気しねーよ、JALさんよ)
奄美到着!
一番最初に、到着口から出たのは
わたくし。
目の前に現れたのは、
アマミん。(爆)
横から、出てきた。
思わず。苦笑。
1年振りの奄美。
到着までは、長かった。
続く・・。
【愛知県人さん】奄美紀行 2
2013年02月26日
【メッセージ】
奄美紀行 2
このままのペースで投稿していたら、
投稿を拒否するぐらいの起稿をせねばならないので、
割愛しようかと。(笑)
まあ、そう思わないで、徒然に・・
ヨシ!前乗りだあ。(現地に前日にいくこと)というノリで、
金曜日を有給日にした。
まあ、有給は今から骨を折ってもくっ付くぐらい残っているので
問題は無いだろう。(まあ、後日問題になったが)
金曜日奄美入り、一泊、二泊、日曜日帰宅と。
なんて優雅な旅だ。(苦笑)
早速、善は急げと航空券をgetしようかと。
まだ、早割りすら売られていない・・・
思わず腰砕け。
と、いうことで、日は過ぎ、早割り発売日。
一番乗りで、行きと帰りを予約。
もちろん深夜のJALページへログイン・・・
これで、行けなくなったら、前払い金は。消える。
次は、宿。
昨年、ネイティブシーさんから、会場が少し遠かったので、
泣く泣く。★★★ホテル??
これが、また運命を呼ぶ。(爆)
あとは、何が起きても行く根性だろう。と。
さて、講演会一か月前になり、
仕上げの新幹線切符購入。
これば、エクスプレス会員でない私は、通勤途中に
券売機で購入。
関ヶ原の雪にも備え、一時間以上の時間的余裕を見る。
こんなに気合い入れてる。
今、思い出しても業務以上だよ。(苦笑)
まあ、此処までは順調だったが。
2月13日、火曜日の午後、風邪か?
と思うと同時に、やたら眠い。
昨年の奄美を思い出すような、雰囲気??
2月14日、チョコの日に、体中がだるくて(痛くて)
会社を休む。
おい、陰謀か?
それでも、午後、某神社にお土産を買いに行く。
(店は閉まっていた)
残念。
某神社のお土産の話は、某大にして、巨大なので
割愛しよう。(笑)
続く。
【愛知県人さん】奄美紀行1
2013年02月25日
愛知県人さん、ありがとおおおおおおお!
心より感謝です!!!!!!!!!!!!
次は私が愛知県におしかけますからね!(笑)
______
奄美紀行 1
皆様、こんにちは。
恥ずかしがり屋の、愛知県人でぇす。(笑)
(キャンディーズ風に言う事)
私は、今回の隊長講演会に、
”純”隊長講演会実行委員として、
(勝手に思っている…)
押しかけました。(爆)
その奇行をここに、シタタメテ行きたいと
思いマンモス。 ←アマミん語。(笑)
そうそう、わたくしは、チャットでここのブログ主のアマミさんを
アマミんと、呼んでいるので、そのままこれからは、使用しよう。
また、したためるなんていう言葉を使うと、
うしろゆび指され組の”かしこ”を思い出す。わたくし。(藁)
今回は、今回の講演会実施が決まった段階で、既に、
2泊3日で、行くことにしておりました。ハイ。
理由は、昨年が、非常に濃厚なスケジュールであったため、
よく状況が飲み込めないまま帰宅した感がありましたので、はい。
そのためには、天下の”有給”というものを取らねばならない。
講演会が2/16の土曜日になった段階で、2泊するためには
2/15(金)もしくは、2/18(月)のどちらかで、会社を休まないと
奄美へは、行けない…。
愛知県は、そんなところにあります、デス。
伊丹(大阪国際)⇒奄美空港12:00着に、乗らねば、ならぬのです。
続く。
【愛知県人さん】つづき。
2013年02月09日
私の感想?
えーと、愛知県人さんの本気の運転のお車に乗ったらショック死する自信がある!(きっぱり)
沖縄の高速道路で60キロ走行してすみません・・・・高速乗ったことないんだもん・・・・
________
ひと区切り。
だんだん記事が自慢みたいになってきたので、
これで、休憩にしようかと。。
ふりふりさん、リクエストありがとう。
NSRの後輩・・
小生は、ガソリンスタンドで、バイトしていました。
そこでの後輩です。
その後輩は、わたしが元バイク乗りとは知らない。
車好きの先輩としか見られていなかったようだ。
★★さん。(小生のこと)
『僕は、早い車って見たことないんですよねー。』
小生
「世の中には、早いヤツはいくらでもいるよー。」
後輩
『でも、NSRについてくる車っていないっすよ。』
小生
「そりゃ、道楽で走ってるヤツは多いからなあ。」
後輩
『★★さんは、どっちスカ?』
小生
「・・・・アホか。」
「お前のNSRなら、せいぜい200km/hしか出ないだろ・・。」
後輩
『そうやって、車乗りはすぐ逃げる。』
・・ホンダ乗りは、自分酔いが多い傾向が。。
まあ、若造(小生も若かったが)には、思い知らす
機会もいるかと。(笑)
では、ガススタスタート、ゴールは、■■(内緒)
国道半分、高速半分・・
午前2時、馬鹿が二人。
スタンドは国道沿いなので、交差点シグナルスタート。
当日。それ以降、信号機は無かったらしい。(爆)
バイクは、どこからでも前の車をパスできるので、
小生は、右折レーンを有効に使用。(爆)
信号機は無いことになっていたが。(笑)
左右確認ぐらい必要と思いきや、
お馬鹿後輩は、完全にシカト。
そう来るなら、少しは本気出すか・・
アナログメーターを、振り切る・振り切る。
まあ、露払いにはいいだろう。って。
お馬鹿のテールに張り付くが、
オイルが飛んでくるくる。
高速に乗ったら、小生はフルブースト。
NSRは視界から消える。
あっという間に、前方の車に追いつく。
ハイビームでも、道を譲らない。(当たり前か)
130km/hぐらいにスピードが落ちると
NSRが、追いつく。
途中で、他の馬鹿も参戦?するが、すぐ撤退。
以外と、この日は車が多い。
小生は、ひたすらハイウェイダンス。
右から、左から。
バイクの彼は、路側帯を使用・・・
仕方ない・・バイクの特権。
結局、ほぼ同時にゴール。
後輩
『★★さん、アホですね。』
小生
「250じゃ、そんなもんやね。」
その後、彼は、限定解除。
小生と、湾岸にも行った・・
(デジカメで、300オーバーのメータ写真を撮った・・)
また、彼は、車にもはまり、
FCを、購入・・・。
注意も聞かず、ブーストUPして、
エンジンブロー。
(知ってる人は、分かるよね。)
今、どうしてるんだろうか、
彼は。
※ターボとは、燃焼した排気ガス圧で、
タービンを回し、圧縮空気をエンジン内に
強制的に送り込むことにより、パワーを出す
構造のことをいいます。
バイクは、スペースが、無い。
(一部、隼などで、後付仕様はありますが・・)
※現実、バイクvs車は、勝負になりません。
2,000ccチューンターボと、250ccバイクで いいとこ勝負です。
バイクは車体が小さく、すり抜けができる
ことも優位の要因です。
※白バイには、ホンダVFR800が多く採用されて
いますが、凄まじく早いです。
小生の記事を鵜呑みにして、逃げないように。(笑)
(CBR600で、からかってた友人はいたが・・)
安全運転、でね。
【愛知県人さん】うらがわ??
2013年02月07日
だんだん愛知県人さんが、ただの隊長ファンクラブ会長ではないことが明らかになってきつつあります。(笑)
くれぐれもお伝えしたいのですが、愛知県人さんはうちの宗派の信者さんではない(笑)
愛知県人さん、隊長講演会のためだけに奄美までいらしてくださるすごい方・・・・・。
生愛知県人さんに会いたいそこのキミは隊長講演会へщ(゚▽゚щ)カマーン!(笑)
________
何故か好評!
小生の裏側???
裏側・・。
命がけの裏側やね。
バイクシリーズが、意外と好評。
これは、びっくり。
気を良くした小生は、
チラッと、車シリーズを書こう。っと。(笑)
・・・。
結局、いろいろありましたが、
バイクは、事故で手放さなくてはならなくなりました。
100ccのスクーター(アドレスV100)には、乗ってましたが。
(これも、見かけは原付なので、よく警察に止められた)
(赤ナンバーを見ると、警官が謝るのが楽しい)
(二人乗りもOKだが・・もちろん止められた)
(勿論、110cc、プーリー交換で、1★0km/h出た)
となりに並んだら、運転手がびっくりするのが楽しい♪
手放すきっかけは、バイクが全損した
ひどい事故でしたが、相手が悪く、
95対5の過失割合でしたから、
(小生が5)
保険金、賠償金でも、結構な高額になりました。
車が、購入できちゃった。
そこへ、もうバイクには乗って欲しくない母上が、
見つけてきたのが、
T社の、ミッドシップ、ターボ車でした・・。
※後に思い知るが、当時一番危険な車だったと思う。
車には興味が無かった小生でしたが、
血が騒ぐ(苦笑)のか・・。
貧乏チューンでも、ブースト圧を1ぐらいかけると、
2,000ccなのに、馬鹿みたいに早い。
MRなので、エンジンがフロントにない分、旧加速すると、
ウイリー見たいになる。
(車が・・
(ハンドル切っても、応答が無い・・
最終、350馬力ぐらいになったが、
雨の日は、勝手にリアがパワースライドし、乗れない車が
できてしまった。
高速道路でも、デジタルメーターが、230~240Kぐらいになると
フロントが、浮く。
そんな車で、
NSX-R 250の後輩に、
”どっちが、早いか”やってくれませんかね?
って、お願いされた、小生。
もう、時効かなあ。
続き、知りたい?(苦笑)
【愛知県人さん】寄稿・ノンフィクション
2013年02月04日
愛知県人さん、いつもご寄稿いただきありがとうございます!
今回は専門用語解説まで!!!!!!!(笑)
バイク好きの方は必読!!!!(笑)
______
寄稿。
まあ、本当の話ですが、
気になさらないでください・・
小生の、話です。
限定解除。って言葉が、やけに眩しかった頃。
とりあえず、バイクに乗りたかった。
※ここでのバイクとは、250cc以上のオートバイを意味します。
うちは、車もバイクも、免許も欲しかったら、
自分で稼いでやれ!
っていう家だったから、
なにをするにも、稼いでから。
なにをするにも、友人より遅かった。
小遣いで、原付を取り。
普通免許の費用をバイトで稼ぎ、
(もちろん、自転車で教習所に通った)
それから金をため、原付を買い、
バイクの中免を取った。
中免代も、バイトで稼いだ。
ミッションの原付は、高くて買えなかったため、
スクータを買ったんだが、
リミッター解除から、ボアアップまで、
気がついたら、ミッションが買えてたかも。(笑)
100Km/h以上スピードのでる、スクーター。アホやね。
あっ、見かけは、まったくチューニングしてあるとは、分からん仕様ですよ。
マフラーもノーマルだったし・・
皆さん、中古の車を買って、彼女とドライブしてたんだが、
小生は、バイクが欲しくって、金を貯めた。
いきなり、GSX-R 400を購入。
レーシーなタイプだったので、
前傾姿勢がきつく、乾式クラッチのカラカラ音が、
”こわれてんじゃねーの”っていわれるのがうれしい。
また、レーサーレプリカでも、ノーマルは、嫌だったので、
金欠は続いた。
400の癖に、Lアメリカンを置いて行く加速は鳥肌がたった。
無風のトンネル下りなら、240km/hは簡単に出せた。
γ250乗りとつるんで走っていたことは、
二人とも、キリン(漫画)の影響を受けていたからかも
知れない。
しかし、更に上(限定解除)を目指していた小生と、
γ250のツーリング仲間とのギャップは大きかった。
レーサーレプリカにまたがる事が目的だった彼らは、
小生の狂気の走りは理解できなかったみたい。
借りて乗った彼らのバイクは、
手入れもそこそこの、走らないバイクだった。
(いやあ、某K社のZXRは、真面目に遅かった・・・)
バイクだけの乗り手と言われるの癪に障るので、
近隣の峠にはよく練習に行った。
その時から、マンホールのふた。側溝のアミアミ。
横断歩道の白いラインが嫌いになった。
(バイク乗りならわかるよねえ。)
続く・・か?
専門用語解説
★限定解除 400cc以上のバイクに乗るためには、教習所では免許が取得できなかった。
(今は、違う) そのため、各運転免許試験場において、実地試験を受け、
合格した者が、399cc未満のバイクしか乗れない限定を解除することが
出来た。非常に難関な試験。バイクに対する心構え等も問われた。
★中免 中型オートバイ免許のこと。
普通乗用車免許を取得していれば、学科は免除。
中型オートバイの免許を取得できる自動車学校で、技能に合格すれば、
免許を交付してもらうことが可能。
★ミッション ギア変速機のこと。スクーターはAT(オートマチック)、バイクはミッション。
★リミッター 原付は、60km/hで、リミッターが作動し、それ以上スピードがでない。
(乗用車は、日本車は180km/hで作動がほとんど)
バイクも、リミッター付がほとんど。
★ボアアップ エンジンシリンダーや、ピストンを交換し、排気量を物理的に大きくすること。
くれぐれも、申し上げますが、改造行為です。
原付の場合、1ccでもボアアップすれば、改造申請を市町村役場に届け出て、
黄色のナンバープレートを交付してもらう必要があります。
(まあ、知らない人間が出来るとはとても思えないが・・)
★乾式クラッチ ミッション車で、クラッチ板にオイルを使用していないクラッチ。
対して、普通は湿式クラッチ。
乾式クラッチは、クラッチの遊びがなく、ダイレクトにエンジンのパワーを
タイヤに伝達できるが、クラッチ板を削りながら走るので(笑)
寿命が短い。
★Lアメリカン リッターアメリカンバイク=ハー☆ー。
★γ(ガンマ) GSX-R同様、スズキのバイク。 アルファーとか、タンジェントとかはないと思う。(笑)
【愛知県人さん】危行 続編3。
2013年01月23日
妙に生々しい妄想ですが、気にしない!(笑)
愛知県人さんぶらぼー!(笑)
どこかでぶっ飛んでると思っておりましたが、本当にぶっ(以下略
__________
危行 続編3。
何故か、アマミさんが、続編を希望。(笑)
それ程、ファンタジーがお好きなのか。どうかしら。
振り切り方のリクエストは無いので。ひとまず安心。(苦笑)
※注1 妄想の世界の中のできごとであり、決して過去を
思い出して記していません。
※注2 現在進行形では、ありません。
えー。
小生の会社の製品に、不具合がありましてね。
その製品は、小生の会社の中国工場で、1次加工をした後、
輸入しまして、日本の協力外注先で、2次加工をする製品なのですよ。
1次加工に、問題があったのですね。
問題が、発生してから、翌日の18時半までに、良品を納入しないと、
お客様のラインがSTOPすると、いうんです。
なんだか、会社内が騒然となったのだが、小生とは河岸の違う部隊の問題なので、
『何か、やばい事がおきたらしい』ぐらいに感じてたんですよ。まあ。
問題を受け、良品を発生当日中国にて揃え、現地の駐在員が飛行機に飛び乗り、
次の日の12時に、小生の会社に2次加工外注さんから、赤帽にて、
加工済み良品が届く段取りに、なったんです。
(その段取りに、小生は関りは無い。)
11時半ぐらいに、小生のところへ、河岸の違う部の取締役が、いらっしゃったんですよ。
『今から、高知まで、行ってくれないか・・・・』
小生、『は?』
”名古屋から新幹線で、新大阪に行き、地下鉄で伊丹空港へ行き、
(バスは渋滞が怖いから、やめてくれと)
高知空港に飛び、レンタカーで、宿毛まで、走る。”
今、確実にそれができるのは、お前しかいない。
さらに、18時半までに、工場に持ち込むことも含め。
『無理ならどうなりますか?』
『損害は、千万単位を超える』
おいおい。
行きましたよ。(苦笑)
ボンバル機からみた空は、綺麗だった。なあ。(笑)
高知竜馬空港に着き、レンタカーを借りる途中で、お客様に電話。
『とにかく、飛行機が遅延無く着いて良かった』 ふむふむ。
『そこからが、大変だよ、遠くて』 へ??
・・・高知から、宿毛って、高知県横断じゃねーか。。
普通でも、2時間半以上は、かかるらしい、時計は、16時半。
間に合わない。
『2時間半なら、19時ですよ。』
『でも、硬化剤の関係で、18時半には・・・』
まあ、とにかく、出発。
いきなり、ナビゲーション無視で、南国インターへ。
とにかく、高速道路に、乗ろう。
1,000ccのヴィッツ君。耐えてくれ。
メーターは、145km/h。。(多分、気のせい)
エンジンは、うなる。。
高速で、行ける所まで。
さあ、これからだ。
国道は、もう闇。とにかく山道。
登坂車線が、多い。
(何台か、置き去りに)
下りは、三輪走行。
100km/hオーバーで、タイヤを軋ませる。
片輪、浮くんですよ。ヴィッツでも。。
と、四万十市へ。
四万十川なら知ってたが、合併で出来たらしい。
昼までは、名古屋に居たとは、思えん・・・。
しばらく走ると、見通しの良い道へ。
有料道路への、接続道路みたいだ。
と、前方に人影が。
『危ないなあ』と、思ったら、赤い”止まれ”を持っていらっしゃる。(苦笑)
小生は、止まらない・・・。
だって、止まったら、ラインが止まる。。。
有料道路も、アクセル全開。
ヴィッツ君。やっぱり加速が鈍い。(爆)
そして、お客様工場に、到着。
『こんばんはー。』
お客様。『誰?』
『至急の荷物を名古屋から持ってまいりました。』
『あ~。遠いところ、ありがとうございます。』
ホッと、一息。
まあ、コーヒーでも。どうそ。
あがってくださいな。
そこで、お客様取締役部長より、
『僕も、よく高知空港まで、引き取りに行くんだよ~』
『私が、一番最速なんだよ~走りなれてるし~』
『君は、何か魔法でもつかったのかなあ~』
『飛行機一便早かったんじゃない??』
珍記録を更新したらしい。
30分以上。
続く、か??
【愛知県人さん】危行2。
2013年01月22日
愛知県人さんの謎キャラの仮面がどんどん剥がれていく!
結構いろいろギリギリなニオイがする!!!!(笑)
続編をお布団に入ってドキドキしながらお待ちしてます!(笑)
_________
危行2。
このお話は、フィクションです。
決して、a知県人の実体験を基に
しておりません。
また、この行為を実践(笑)されたとしても、
当ブログでは、如何なる責任も負いかねます。(笑)
すべて、妄想です。
★運悪く、道端で、赤い、止まれ!の旗が出てきた場合。
①大人しく、減速します。
②覚悟を決めたフリをします。
③黒い服を着た方が、誘導しようとします。
④アクセル全開にします。
・・・
⑤彼らは、次の獲物を待ちます。
★運悪く、パンダさんの赤色灯が、サイレンと共に回った場合。
①ご自身が、なんらか明確な違反をされているかどうか、冷静に確認を行う。
⇒違反をしていない場合。 道端に車を寄せて、やり過ごす。
②⇒違反をしている場合。
素直に止まったら、負けを自覚する。(笑)
③シートベルト、携帯、信号無視は、現行犯捕獲が彼らの使命という認識を覚醒させる。(爆笑)
④高速道路、高規格道路には、Nシステムがあるので、速やかにパンダから離れる場合、使用しない。
⑤他の、善人の方に配慮して、振り切る。
⑥振り切り方をお知りになられたい方は、コメントを。(笑)
☆日頃から、心がけたいこと。
①目立たない車に乗る。(たくさん走っている車、色) 追う方が見失いやすい。
②一旦停止は、必ず守る。 (逃げにくい)
③高速道路は、後方確認をしっかりと。
講座みたいに、なった。(爆)
くれぐれも、安全運転を励行しましょう。
続く。(おいおい)
【愛知県人さん】危行
2013年01月21日
愛知県人さん、このたびはまことにありがとうございました!
続編を強く期待しております!!!!!
あくまで妄想ですけどね!(笑)
________
アマミさんから、リクエストがありましたので。(笑)
小生の、妄想を、ここで一席。(苦笑)
良い子は決して真似しないでください。
キリンって、漫画がありまして、東本先生の作品なのですが・・・。
(映画化されるらしいが。やめてほしいが。)
連載開始当時、高校生だった、わたくしは。見事にはまりました。
もともと、バイク好きだったし。(笑)
先輩が、鈴鹿の750ccクラスで走っていた猛者だったので、
見習う方は、既におられた。
漫画は、とにかく、カタナとポルシェが無茶苦茶な走りをする。
という・・・。
※カタナ:スズキのバイクの名称。漫画版では、ノーマル1,100ccを
ボアアップして、1,200ccでキリンは走っている。
カタナって、運転が難しいんだ。
漫画がはやったので、エセ・カタナ乗りが増えたが。。250ccとか。。
えっ。小生?
キリンを見習って、キャノンボールをしました。
名古屋⇒東京インター間、2時間切り。
距離は約350kmあります・・・・
給油は、富士川????????1回です。
無風の真夜中にやります。(苦笑)
当時はブラックバードでやりましたので、楽勝でした・・・。
くれぐれも、妄想です・・・・
ちなみに、先輩は、ヘリで追いかけられて、捕まってます。(実話)
速度は、測定不能だって。
多分、340km/hぐらい出てたと思うよ。(スズカのストレートで出してたからなあ)
警察署で、半日ぐらい説教されたって、言ってた。
と、いうことで、
実は、フェラーリより、ポルシェより
現在でもモンスターバイクの方が、早い。。
危行は続く。
ブーイングが多ければ、終わる。(藁)
【愛知県人さん】秋介さんに会う 4
2012年12月03日
激しかった雨が小止みになり、
辺りが薄暗くなってきた頃に、
委員長の熱弁が終了しましたが、
その時点で、再度、
小生に熱く握手をして下さいました。
そこから、いつの間にか
委員長を囲む輪が出来ていきました。
やたら、目を輝かせて委員長と話す
若者が二人。
小生は、”彼らも、委員長の演説に感動したのか?”と
委員長、とその二人の輪に入ったのでありましたが。
委員長から。
この二人は、大阪の公安さんだよ。
小生・・・。
あとは・・・東京からの、追っかけ公安さんもいた。
(暇やねー。)
秋介さんは、撤収と、周囲への警戒モード全開。
喧騒が、少し落ち着いてきたところへ、
徒歩で、懇親会会場へ。
委員長も含め。移動。
誰もが避ける。
呼び込みも避ける。(笑)
そして、懇親会へ。
懇親会の内容は、秋介さんが、体調不良だったということにして、
ここでの公開はやめておこう。(笑)
これらの記載は、多々、小生の自己規制がはいっております。
知りたい方は、
東京青年館に来月行かれるか、
奄美での、隊長講演会が終了してから会場で、
私に質問して下さい。(笑)
____
アマミキョより:
愛知県人さん、レポートありがとうございました!
秋介さん、とても体調が芳しくなかったようにみえない!!!!
【愛知県人さん】秋介さんに会う3
2012年12月02日
さて、最初の投稿時に、ブログコメ上で、秋介さんより直々に、今回の街宣活動に対しての”完全許可”を頂いてしまった、私。 では、ということで、私が携帯で撮った写真でございます。
4へ続く
①森垣委員長の灼熱弁
②K氏の勇士。
③秋介さんの咆哮
【愛知県人さん】秋介さんに会う 2
2012年11月24日
私の目の前で始まった。街宣の準備。
なんだか、運命的なものを勝手に感じた私。
でも、最初に思ったのが、
公衆電話、誰も使えねえな。だった。(笑)
嬉しい感情が、出てきたのはその後、
土砂降りなのに、
今まさに、路上街宣を実施されようとしている森垣委員長ら、
同盟の皆様。
暫し、委員長が一人でいらっしゃったので、お声がけ、
『愛知から来ましたー。』と、手を差し出すと、
けわしいお顔が、一転、笑顔に。
『そうですか、遠いところからようこそ。本日は、お願いします、と。』
快く握手をしてくださいました。
気さくに握手をしていただいた。これには驚いた。
さて、準備が整い、時間が来たので、街宣開始!
まずは、秋介さんが、粛々と今回の街宣に関して
開催の宣言、国歌斉唱。
その後、聴衆に向け一同礼!
流石、違う。この方々は。
我々に対しても、礼を欠かさない。
その後、K氏の演説。
のっけから、爽やかな発言の数々。
私は、砂被り状態で見ていたので、一切後ろの状況は不明だったが、
後ろの気配を見事に消すほどのK氏の迫力。
しかし、後から考えると、K氏は、案外丁寧だった・・・。
敬語も多かった。。
続いてのお方。
小生は、ここではあまり多くは敢えて語らないでおこう。
K氏より、一段高いところからの、(作業台の上)街宣。
ど迫力。
眼光の威力を見せつけ、言葉も心に突き刺さる。
しかし、暴言ではない。
聴衆を罵倒する言葉は、一切なかった。
〆は、森垣委員長。
同じく作業台上から。
かなり、テンションがあがったところでの、バトンタッチ。
流れを壊さず、利用して、
土砂降りの雨をも味方に、(傘が、効果的なアイテムになっていた)
見事な演説。
これは、見に来てよかったと。
戦後護憲政治を見事なまでに批判し、
そればかりではなく、日本人として個々の決起を
うながす内容。
また、いまの保守と呼ばれるモノは何かの喝破。
内容が、よく分からない方でも、
パフォーマンスとしても、
デート中でも見る価値有。
案外、カップルでも、老夫婦でも、
足を止めていた模様。
久しぶりに、1時間半弱に亘り、
主張にふれた小生であった。
続く。
【愛知県人さん】愛知県人の靖国神社への見解
2012年11月19日
はい。
リクエストに応えまして、
書いてみたいと思います。
私は、リクエストはしていないという方は、
読まないで下さいね。
意見は、お待ちしております。
聞く耳はあります。(笑)
勿論、怒りの感情がでれば、反撃します。
程度はありますがね。
スルーは推奨です。
良くご存知の方も多いと思いますが、
靖国神社の歴史は、大変浅いです。
明治天皇が、鎮魂社として建立を進めたのですから。
当時、新政府軍側の戦没者に対し、慰霊する目的で
建立された社(やしろ)でした。
しかし、靖国神社となり、天皇(日本)のために、
命を落とされた方々のために、その御霊を祀り、
戦没者慰霊の意味合いが濃くなっていきました。
いわゆる、日本のために外夷と戦った、その時、命を
捧げた者を慰霊する神社。祀る神社ですね。
これら、祀るという行為は、日本ならではのシステム
であることは、今更言うまでもないでしょう。
敢えて言いますが、
祀るのは、大変大きく力を持った者や、味方は当然ですが、
害(災い)を為すものや、敵を祀ることにより、怨霊を鎮めるという
意味合いにて、神として崇める。そういう役目も担ってきました。
それは、日本古来からの、システムです。
(神話から、ですからね。)
以前、私が取り上げた、
木曽三川公園内にある、治水神社には、
薩摩藩士が、祀られています。
その方々は、そこに祀られている事が、
憎くて憎くて仕方がないでしょうか?
答えは、否。でしょう。
彼ら、薩摩藩士を、地元では、それこそ、
英霊扱いし、大変尊敬しています。
そういう、”事”を子々孫々重ねることにより、
彼らは、祀られた地の、護り神として存在していくことでしょう。
対し、外国では、どうでしょうか、
ここで、説明することもないでしょう。
さて、本題に戻りますが、
皆様、神社に参拝に行くでしょう。
(一部の宗教への信奉者を除き)
それは、自然と我々が祖先から引き継いだ日本の生活習慣です。
何故、靖国神社は駄目なのでしょうか?
A級戦犯が合祀されているから??
A級戦犯は、外国の法律で裁かれて、
戦犯となっているのをご存知ですか?
靖国をとやかく言うなら、
イミョンバクは、豊国神社(豊臣秀吉を祀る)の存在をなぜ
わめかないのか?
中国は、モンゴル帝国の末裔として、尖閣問題にて言及するなら、
かつてモンゴルが侵略した国家に謝罪しないのか。
(尖閣諸島は、モンゴル時代に支配していたらしい。笑)
まあ、中国にしろ、韓国にしろ、実に身勝手なものですよ。
政教分離・・。
云々いうなら、宗教に係る限り
政治はやめなさい。(苦笑)
私は、一人の日本人として、靖国神社に参拝するものである。
以上。
【愛知県人さん】靖国参拝 5
2012年11月07日
4までの寄稿の内容にて、小生の靖国参拝は
無事に終えることが出来ました。
小生としては、単に、祖父がそこに祀られているため
靖国神社に参拝に行きました。
祖母と、母が、遺族会で、靖国神社に参拝に
行く事は、小生が幼い頃から普通のことでした。(お墓参りのよう?)
しかし、最近、遺族会のツアーでは、
祖母がバスの座席に長時間座るのが苦痛であったり、
遺族の高齢化にて、戦死した夫の妻であった方々が、
亡くなり、数が少なくなりました。
=祖母の友達が減った。
主に参加する方々が、息子、娘になったのです。
戦争を乗り越えた妻たちの結束は固く、
年々、そういった友達が減っていくことを、祖母は嘆いていました。
そういったこともあり、小生が、祖母と母を連れて、靖国に行きたいと思ったのです。
結果、靖国に祖母を連れてはいけませんでしたが、
自宅に戻る前に、祖母宅に寄った時、
祖母は大変喜んでくれました。
閑話休題。
何かと話題になる靖国神社ですが、
小生の祖母や、母のような、夫、父が英霊と呼ばれ、
その妻、娘といった存在が、今もあることを、
小生の寄稿により、皆様に認識いただければと思います。
但し、この寄稿は、小生の祖父が、南方で戦死したことから
参拝に至った経緯での、靖国参拝です。
愛知県人個人としての、靖国神社の在り方、
諸外国(特にアジア圏)との関係については、別の考え方があります。
そして、代議士等が、公務にて参拝することに際しても意見はあります。
そういうことは、度外視して、
小生は、祖父がそこに祀られているから、参拝したのです。
戦犯が合祀とか、いわれる方々もいらっしゃいますがね。
尤も、先祖が戦国時代に、何万人も虐殺を行ったとしたら、
その墓には、お参りに行きませんか?
日光に祀られている徳川家康。
彼は、一体何人殺したのでしょうか。自分の息子を含め。
自分の信念、自分の考え方が、どうであるか。
観光スポットといっても、過去に先祖を殺した立場の人間が
祀られたところに、お参りに行く。
普通に、おかしいですね。
ご先祖も、怒るでしょうね。
とにもかくにも、無事にいかせていただいたことと。
このような寄稿を、掲載していただいたアマミさんに感謝。
【愛知県人さん】靖国参拝 寄稿4
2012年11月06日
お神酒をいただいた後、待合室に戻りました。
申し込み時につけた、黄色のリボンと、申込書の控えを巫女さんに
渡し、撤下品(お神酒、御神饌等)を頂きました。
ここにきて、やはり、お初穂料の違いが、でました・・・。
どのように違うのかは、説明できない。
小生が頂いたのは、袋入り、で、もう1組。
そうでない方が、3組見えました。
そして、退出。
小生が頂いた撤下品に、遊就館の入場券引換券が
ついていたので、折角なので、寄ることに。
母が、遺族会の時は、遊就館によることなく、宿へ直行。
というので、母も初めての遊就館。
入場すると、
何故か、いきなりC56蒸気機関車のお出迎え??
貴婦人のお出迎え、ということなのだろうか?
遊就館については、賛否両論あるようですが、
母と小生は、大東亜戦争までの歴史、展示物に関しては
興味深く拝見いたしました。
特に、名刀は素晴らしかった。
大東亜戦争の辺りからは、スルー。
英霊の皆様の写真が飾ってあり、祖父を名簿で少しの間捜しましたが、
いたたまれなくなり、展示室から退出。
お腹も減ったので、
母と、遊就館内にて、横浜カレーを食しました。(肉入り)
今度は海軍カレーを食べよう。
5に続く。
【愛知県人さん】靖国参拝 寄稿3
2012年11月06日
続きです。
待合室で、待つこと数分。神職の方がお見えになりました。
丁寧にご案内いただき、ゆっくりと待合室隣の手水場へ、
ここは、流石に雅な雰囲気が漂う手水場でした。
どなたも、黙々と手水を行い。
我々の前の組の方々の参拝が終わるのを、少し待ちます。
多少離れた手水場の左側には、七五三のお祓いを待つ家族連れの
方々で、賑わっていました。
我々は、昇殿参拝ですので、神職の案内で本殿へ。
本殿に昇殿する前に、階段前の祠で祝詞(お祓い)を受けます。
(七五三の方々は、本殿には昇殿できません)
本殿の右袖から、結構きつい階段をあがり、昇殿。
正直、祖母はここは自力ではあがれない。と小生は感じたほど。
そこで、前の組に見えた91歳の方とすれ違い。
『まだまだ』と懸命に降りて見えたのが印象的でした。
そして、本殿へ。
想像よりこじんまりとした。空間。
母が、遺族会の時は、座れずに立つ方も出る。というのも納得。
ここで、それぞれ亡くなられた方名前を読み上げての祝詞。
実際祖父の名前を読みあげていただくと、感無量。
小生は祖父に、遅くなりましたと心の中で、祈念。
そして、玉串奉納、母ではなく、小生が参拝を申込ましたので、
さらに運良く、真ん中で奉納ができました。
振り返り際に母を見たら、涙ぐんでいたのが、
びっくり。
そして、本殿から、下座し、お神酒をいただきました。
続く・・・。
【愛知県人さん】靖国参拝、続き。
2012年11月05日
靖国参拝、続き。
話は少し戻りますが、
流石、最後の大鳥居をくぐると、
神社独特の清々しい気が感じられます。
伊勢の内宮と違い、靖国神社の気は、
清々しい中にも、どこかホッとさせるような感覚が
混じっていました。
最後の大鳥居をくぐり、手水をする前から小生が感じた感覚です。
そこで、バザー(今思うと、バザーというより何でも市場のような感じか?)
の空間と、神域が区切られているような感じであると、小生は思いました。
お約束の、二等兵のお姿の2人組みの方も見えました。
祖父も、戦死前は二等兵でしたから、って今は、軍曹ですけど。
銃剣構えて、何か叫んでましたが、よく聞こえなかった。
何気に注目を浴びていました。
さて、昇殿参拝を申し込み、暫し、待ちます。
母によると、遺族会(団体)の待合室と、今回の
個人参拝の部屋は、全く別だとのこと、
後ほど、団体参拝の待合室の前を通ることになったのですが。
また、遺族の場合、初穂料が、金2,000円から、でした。
七五三では、どうやら、5,000円からのようで、そのあたりは、
英霊を祀るにあたり、遺族参拝は、低額である配慮が伺えました。
小生は、気持ちを奉納しましたが、小生の気持ちは、
少しばかり、高額であったようです。
ここで、昇殿参拝をご存じない方へ、
一般に、神社では、賽銭箱にお賽銭を入れ、
ニ礼ニ拍手一礼をします。
七五三や、厄年のお祓い時には、
昇殿、といって、境内の上にあがり、神前にて、
祝詞を受け、身を清めていただきます。
靖国神社の場合、一般的な神社と違い、
本殿への昇殿参拝は、遺族しか(皇族等無論除く)できません。
本殿への参拝は、天皇陛下が参拝なさる場所と同じ場所で、
遺族はおこなう(祝詞奏上を受ける)事ができます。
それ程、戦死による国への殉死は、本来尊ぶべき行為であると
されてきました。
・・・続く。
【愛知県人さん】靖国神社参拝。
2012年11月05日
愚筆ながら、失礼します。
小生の念願であった靖国神社の参拝に
11月3日、丁度明治祭の日に、伺うことができました。
当日の朝、祖母の体調がどうしても悪く、同行は断念しました。
非常に残念でしたが、祖父への礼拝に、体調の悪い祖母を
無理に連れるのは、本意ではありません。
道中は、スムーズで、ほとんど渋滞することなく、東京入りを
果たすことができました。対して、反対車線は、大渋滞でしたが。
祖母もいない中、休憩は一回で着いた為、早くに靖国神社内の
駐車場に車を止めることができました。
そこで目にしたのは、やたら、参道に似合わない人々。
右往左往している・・・・
なんと、参道で、バザーを開催していました。
明治祭の日に、参道でバザー・・・・。ハァ。
バザーを避け、最終の鳥居に入り、手水。
七五三参りの家族連れもいましたが、ほとんどが、手水無視・・・。
大鳥居にもたれて記念撮影・・・・。
小生は、祖父を南方で亡くしています。ふつふつと怒りがこみあげました。
靖国は、日本のために命をささげた方々が祀られている場所です。
祖母が見たら、激怒しそうだ。
普通の神社ではないことは、日本人であれば、最低限自覚して欲しい。
自覚のない人は、来ないで欲しい。
しかし、そういう方々は、もう仕方ないと割り切り、
母と、小生の目的は、昇殿参拝ですので、受付へ。
想像より、こじんまりとした受付に、巫女さんが、見え、
遺族であることを伝え、昇殿参拝を希望。
なんと、我々を含め、5組。
これには、びっくり。(組が少なすぎて。)
・・・続く。
【愛知県人さん】ひさしぶりに投稿
2012年10月24日
久しぶりに、投稿(笑)
皆様、何かとお騒がせな愛知県人です。
小生の、正直アホな投稿は、すべて、
知識の基礎が、あります。(え?)
話は少し飛びますが、
就職面接等で、
『全くマニュアル本通り』ちゃん。
は、内定率が、落ちます。
受付嬢などは、別ですが。ね。
企業にとり、必要なのは、もちろん基礎学力があることですが、
一日中、自分が悪くなくても謝罪し続けるとか、
自分でも、絶対に購入しないもの(笑)を、ひたすら
売り続けることも、ありえます。
そういうときに、マニュアル人間は、すぐ脱落する。
だから、企業としては必要順位が下がる。
平等教育は、努力しても報われないことは、
教えない。
【愛知県人さん】久しぶりの投稿です。愛知県人です。
2012年09月17日
今回の投稿は、小生自身のことも含め、
文章にまとめてみました。
結論は、小生は、八方美人ということなのですが。(笑)
小生は、フィクションの映画・ドラマ以外、
何にでも興味がある男、もう41歳になりました。
本厄のおっさんです。(笑)
でも、外見だけは、30代に見られます。
自称おっさんなのですが、
黙っていれば、30代で、真面目に見えるかもしれない。
(かなり、不真面目なのですが)
小生は、太平洋戦争で祖父を亡くしています。
(ニューブリテン島)
祖母が、毎年遺族会で靖国神社に慰霊に行っていたため、
おばあちゃん子であった小生は、
自然に靖国に対する敬意の意識付けがなされたと思います。
(今、祖母が94歳なので、最高齢になる8/15に、祖母が元気なら
慰霊式典に行くか。本年は98歳の方でしたか。)
それが為か、靖国に敬意の深い右翼の方々へのアレルギーは、
普通の方々より低いです。
しかし、そのような小生の考え方は、
当然、戦後教育とは相容れないし、靖国神社を見る世間の目との乖離もある。
その相容れない原因を求め、かつ、
それらにまつわる背景を求め、今日に至ります。
小生の街の近隣には、自衛隊の基地、駐屯地があります。
当然、幼馴染で、父親が自衛官という友人も多く、
『お父さんと一緒に遊びたくても、なかなか時間がない』と
さみしい思いを小生に話してくれた(小学生時)友達もいました。
(月に数日しか、官舎に戻れない激務であったそう)
航空自衛隊のパイロットが父親という友達もいましたが、
一瞬、かっこいいなあと思ったら、
北海道から、福岡まで、F15で無着陸訓練、
離陸から着陸まで一時間もかからず日本列島を縦断するのですが、
体力と、精神力を相当につかうので、
(1回のフライトで、体重が目に見えて減るそう)
訓練だけでも激務に加え、
スクランブルが多い戦闘機パイロットは、長期間の任務がしたくても
肉体を酷使するためにできないという話を
直接そのお父さんから聞いたりして、びっくりしたものです。
親類に、退役軍人のおじさんがいたのも、不思議な縁です。
そのおじさんは、自衛隊との縁が深かったようで、
よく、今津(滋賀県)や、富士の演習に連れて行ってもらい、
戦車や、装甲車に乗ることができました。
(装甲鉄板ぶち抜きも見ましたよ、もちろん遠くからですが)
また、C130Hや、YS11の体験飛行に連れて行ってもらったこともありました。
(YS11の時、酔った。結構アクロバットな飛行をしていただいたので)
(空中でプロペラを止めるとか、90度飛行とか・・・)
そういう縁もあり、
自衛官になりたいという、漫然としたあこがれはあったのですが、
直接、激務の話を聞き、自衛隊の活動を体験した自分は、
進路にすることはありませんでした。
その後、自衛官を父と兄に持つ
小生の友人が、一般の大学を卒業後、
呉の海上自衛隊幹部候補生学校に合格したことは、
小生にとり、衝撃的でした。
(実習中、彼は毎日アリナミンを飲んでいたらしい)
どうやら、隊長や、秋介さんに心惹かれるのは、
小生の性分かもしれない。
そんな小生は、かなり“右”の塊だと思われるでしょう。
その通りです。(笑)
小生の記事、コメに気分を悪くされる方も多いと思いますが、
そういう場合は、是非読み飛ばしを。
ただ、今の会社で、小生の目の前に座っているのは、
中国人の女の子です。
小生の会社の、中国現地法人の総経理(社長)は、
中国人であり、プライベートも、つきあいのある間柄です。
小生の会社の中国でのお客さんには、
中国共産党系の会社もあります。
そういう彼、彼女、客は、
政治的な話は、一切してきません。
小生からも、そういう話題は出しません。
仕事上、全く無益だからです。
そのため、彼らに取り、中国での対日デモには、頭が痛いようです。
日本の技術の粋は、到底中国では追いつけないレベルです。
先進国からの、技術供与により、中国は技術レベルを向上させ、
保っているにすぎません。
というか、右から左にプラントが移動する。(苦笑)
(天然ガス火力発電所も、自国の能力のみでは建設できないのに、
原子力発電所を建設できるというのが・・・凄い)
中国からのお客様は、大抵いつもお土産探しに夢中だ。
粉ミルク、化粧品、カメラ、明治のチョコレート、100円ショップのMADE IN JAPAN品。
・・・MADE IN CHINAは、眼中に無い。
帰国時は、30kgオーバーの荷物。段ボールの山。
(ご存知ですか? 航空手荷物30kgオーバーは追加料金を取られます)
(手荷物カート4台てんこ盛りの段ボールは、空港でも一際目立つ)
しかし、現地(中国本土)での中国人が、日本人を見る目は
刺すような視線。
特に、田舎町の夜のカラオケ店。(爆)
公安も、明らかに欧米人とは違う態度をとる。
が、政府系の人間がいると180度豹変する。(苦笑)
計算高い彼らを知っているだけに、
日本人旅行客の隙の多さが目につく。
政府の対中、対韓姿勢にも、疑問を通り越して
金でも動いているのかと思う。
(中国では、国慶節時に月餅を送る習慣があるが、
普通は月餅のみだが、何やらがくっついてきたりする)
(悪大官に菓子を差し入れる商人みたいなものか)
とにもかくにも、通関も賄賂一発で早い。
公安も、とにかく賄賂が一番。そういう国。
しかし、交渉は、必ず中国人同士で、これは必須。
(100元札を、絶対に出さないこと!)
日本をうまく利用し、自国の発展を進めたい中国にとり、
日本の対中防衛政策先鋭化は避けたいところが本音でしょう。
と、いうことで、自分の天秤で、
有益ならば、実行。
無益ならば、割り切るのが小生のスタイル。
=八方美人。
=ええかっこしい。
アマミさんの祈念のお蔭か、
今の調査業務も、目処がたちました。
ぼちぼち行きます。
【愛知県人さん】投稿
2012年09月04日
気分転換に、今日も投稿です。
過激なら、スルーで。(笑)
再生可能エネルギー(経産省がそう名づけている)について
小生は、7/1に辞令が出るまで、再生可能エネルギーに関わる
業務をしていました。
大きく区別すると、
①太陽光で発電する
②太陽熱を集めて発電する
③水力で発電する
④地熱を利用して発電する
⑤バイオマス資源を利用して発電する
これらを再生可能(クリーン)エネルギーと称しています。
これらに共通して言えることは、
『CO2を全く産出しない』、『オゾンを全く発生させない』訳ではないということ。
(製造過程や、輸送過程等でお分かりですね)
どちらかと言えば、京都議定書によるCO2の排出権の売買に近いか。
また現状では、
『助成金無しには費用対効果が出ない=儲からない』ことです。
ならば、どうしてこれらの自然エネルギーに耳目が集まるのでしょうか?
大きい理由に、上記は多年度の運用を図る事業ばかりであることがあります。
年金基金、ファンド等が、一向に上向きにならない国債や
大損失するケースが増えてきた株式運用から
商社を経由した、自然エネルギー運用を目論んだことにより、
多額の資金が用意できることになったとすれば・・・。
運用は、税金が保証するんですよ。助成金という。
さらに、8月より電気代から漏れなく徴収されている
”再生可能エネルギー発電促進賦課金”という
ほとんどの方がよく訳も知らないまま徴収されているお金。
今や世界一の太陽光パネルを生産する国が画策し、
震災で瓢箪から駒が出た、
混乱の最中の昨年7/1の閣議決定。
北方領土にいきなり目をつけだしたイワンのお馬鹿さんたちの動き。
闇の金が動く動く。(怒)
PS. 家庭用は屋根の上に取り付けるとメンテナンスが大変って。
パワーコンディショナーは本当に10年も故障しないのかって?
故障しなくても、抵抗値が上がって交流直流コンバート機能が
劣化して・・・・(以下略)
PS.2 おい、中○電力!初め全国の電力会社!!
交流は基本ためられない性質なのに
不安定に発電する発電所を乱立させて、将来どうするつもりだ。
自家消費でないとおまえら破滅するぞ。
善良な一般住民が困るじゃないか!
PS.3 民主党さん。アホですか?そうですか。
過激なら、スルーで。(笑)
再生可能エネルギー(経産省がそう名づけている)について
小生は、7/1に辞令が出るまで、再生可能エネルギーに関わる
業務をしていました。
大きく区別すると、
①太陽光で発電する
②太陽熱を集めて発電する
③水力で発電する
④地熱を利用して発電する
⑤バイオマス資源を利用して発電する
これらを再生可能(クリーン)エネルギーと称しています。
これらに共通して言えることは、
『CO2を全く産出しない』、『オゾンを全く発生させない』訳ではないということ。
(製造過程や、輸送過程等でお分かりですね)
どちらかと言えば、京都議定書によるCO2の排出権の売買に近いか。
また現状では、
『助成金無しには費用対効果が出ない=儲からない』ことです。
ならば、どうしてこれらの自然エネルギーに耳目が集まるのでしょうか?
大きい理由に、上記は多年度の運用を図る事業ばかりであることがあります。
年金基金、ファンド等が、一向に上向きにならない国債や
大損失するケースが増えてきた株式運用から
商社を経由した、自然エネルギー運用を目論んだことにより、
多額の資金が用意できることになったとすれば・・・。
運用は、税金が保証するんですよ。助成金という。
さらに、8月より電気代から漏れなく徴収されている
”再生可能エネルギー発電促進賦課金”という
ほとんどの方がよく訳も知らないまま徴収されているお金。
今や世界一の太陽光パネルを生産する国が画策し、
震災で瓢箪から駒が出た、
混乱の最中の昨年7/1の閣議決定。
北方領土にいきなり目をつけだしたイワンのお馬鹿さんたちの動き。
闇の金が動く動く。(怒)
PS. 家庭用は屋根の上に取り付けるとメンテナンスが大変って。
パワーコンディショナーは本当に10年も故障しないのかって?
故障しなくても、抵抗値が上がって交流直流コンバート機能が
劣化して・・・・(以下略)
PS.2 おい、中○電力!初め全国の電力会社!!
交流は基本ためられない性質なのに
不安定に発電する発電所を乱立させて、将来どうするつもりだ。
自家消費でないとおまえら破滅するぞ。
善良な一般住民が困るじゃないか!
PS.3 民主党さん。アホですか?そうですか。
【愛知県人さん】投稿
2012年08月25日
愛知県人さん、投稿文をいただき、ありがとうございます!!!
率直なご意見あざーす!(笑)
______
アマミさん。ご無沙汰です。
投稿です。
少しブログにアマミさんらしさが戻って安心してます。
腹立たしいこと。
①日本人なのに8/15を終戦記念日と言うヤツ。終戦の日だ。
②日本国の日本人の私有地である島に行くのに、政府の許可が必要であること。
③日本国に日本の入国管理局の許可なしに外国人が入国、
その過程で日本国の領海内において海上保安庁の巡視艇を破損させたのに、
強制送還のみの対処をしたこと。
④日本人のファンを無視し、竹島まで泳ごうとした韓国人芸能人。
⑤物忘れの激しい日本の首相と、韓国の大統領。
>日本の首相:日本の法に基づく厳粛な裁判を・・・・2004年
>韓国の大統領:過去の問題は、過去の問題として新しい・・・・就任時
率直なご意見あざーす!(笑)
______
アマミさん。ご無沙汰です。
投稿です。
少しブログにアマミさんらしさが戻って安心してます。
腹立たしいこと。
①日本人なのに8/15を終戦記念日と言うヤツ。終戦の日だ。
②日本国の日本人の私有地である島に行くのに、政府の許可が必要であること。
③日本国に日本の入国管理局の許可なしに外国人が入国、
その過程で日本国の領海内において海上保安庁の巡視艇を破損させたのに、
強制送還のみの対処をしたこと。
④日本人のファンを無視し、竹島まで泳ごうとした韓国人芸能人。
⑤物忘れの激しい日本の首相と、韓国の大統領。
>日本の首相:日本の法に基づく厳粛な裁判を・・・・2004年
>韓国の大統領:過去の問題は、過去の問題として新しい・・・・就任時
【愛知県人さん】寄稿
2012年07月17日
ちょっと ひと息。
最近、ブログの中の記事が硬めなので、
小生のとりとめもない話が浮いてます。
それは小生にとって
とてもうれしいことです。
(場をわきまえよ、って方、スミマセン)
とは、言っても、
小生は少々変わり者なので、
時々堅苦しい表現になりますし、
気の向くままなのはご容赦を。
愛知県人アンチの方。
コメ、待ってます。
"おい、これぐらいの話しろ、とか。"
何か、反応があると嬉しい年頃。
今日は小生の母の話。
母は、子供の時には、4歳年上のお兄さんに負けない、
男勝りの女の子だったそうです。
しかし、一旦風邪を引くと、
生まれつき扁桃腺が大きかったため、
炎症がひどくなり、なかなか治らなかったそうでした。
(すぐに、扁桃炎になる)
時は昭和20年代、
貧乏な母の家は、良い病院で見てもらうことができなかった、
肥大した扁桃腺の切除手術をなかなか受けることが出来ず、
しかし、普通の子より、上級学年で、手術を受けることになりました。
年齢を重ねた分、扁桃腺も大きくなっており、
手術は大変長時間に及んだそうです。
執刀中から、あまり状況は思わしくなく、
祖母は付きっ切りだったそうですが、
医師からは、半ば覚悟をしておいてもらいたいという
言葉もかかったそうです。
(思ったほど出血が多かった)
その頃、母は、
ベットに寝ている自分の姿を、ベットの上から見ていたそうです。
(幽体離脱か?)
その後、意識は河辺?に行ったそうです。
川の向こう側から、
『おいで~、おいで~』
と、何人のもの人の声が聞こえたそう。
川の反対側では、自分を引っ張る(離さない)手がある。
どうしたものかと思っていたら、
男の人の大きな声で、
▲▲(母の名前)、お前はまだ早い!!
と、言われたそう。
その瞬間、母を握っていた手が、祖母の手だったことに気づいた。
母の意識が、病院のベッドの上に戻っていたそうです。
長い時間、意識が無かったそうです。
ちなみに、
それを、母は、腹膜炎(盲腸の悪化した症状)時にも体験したと言う。
母は、その川が三途の川で、声の主は戦争で無くなった祖父だと考えています。
母と、祖母にその時のリアルな話をきくと、事実としか思えない。
私は2回も行って、戻ってきたと胸を張る。
そんな母から生まれた小生は、生まれた時に、
へその緒が首に二重にからまって、仮死状態で出てきた
困ったちゃんです。
自分の体験ではないといえ、母から真面目に話されると
否定はできんな。 というのが小生の見解。
母がそのまま帰ってこなかったら、小生が出生時に旅立っていたら、
ここのブログには全く縁の無かったかもしれない。
細い縁で繋がっていますね。
何事も、そうですな。
最近、ブログの中の記事が硬めなので、
小生のとりとめもない話が浮いてます。
それは小生にとって
とてもうれしいことです。
(場をわきまえよ、って方、スミマセン)
とは、言っても、
小生は少々変わり者なので、
時々堅苦しい表現になりますし、
気の向くままなのはご容赦を。
愛知県人アンチの方。
コメ、待ってます。
"おい、これぐらいの話しろ、とか。"
何か、反応があると嬉しい年頃。
今日は小生の母の話。
母は、子供の時には、4歳年上のお兄さんに負けない、
男勝りの女の子だったそうです。
しかし、一旦風邪を引くと、
生まれつき扁桃腺が大きかったため、
炎症がひどくなり、なかなか治らなかったそうでした。
(すぐに、扁桃炎になる)
時は昭和20年代、
貧乏な母の家は、良い病院で見てもらうことができなかった、
肥大した扁桃腺の切除手術をなかなか受けることが出来ず、
しかし、普通の子より、上級学年で、手術を受けることになりました。
年齢を重ねた分、扁桃腺も大きくなっており、
手術は大変長時間に及んだそうです。
執刀中から、あまり状況は思わしくなく、
祖母は付きっ切りだったそうですが、
医師からは、半ば覚悟をしておいてもらいたいという
言葉もかかったそうです。
(思ったほど出血が多かった)
その頃、母は、
ベットに寝ている自分の姿を、ベットの上から見ていたそうです。
(幽体離脱か?)
その後、意識は河辺?に行ったそうです。
川の向こう側から、
『おいで~、おいで~』
と、何人のもの人の声が聞こえたそう。
川の反対側では、自分を引っ張る(離さない)手がある。
どうしたものかと思っていたら、
男の人の大きな声で、
▲▲(母の名前)、お前はまだ早い!!
と、言われたそう。
その瞬間、母を握っていた手が、祖母の手だったことに気づいた。
母の意識が、病院のベッドの上に戻っていたそうです。
長い時間、意識が無かったそうです。
ちなみに、
それを、母は、腹膜炎(盲腸の悪化した症状)時にも体験したと言う。
母は、その川が三途の川で、声の主は戦争で無くなった祖父だと考えています。
母と、祖母にその時のリアルな話をきくと、事実としか思えない。
私は2回も行って、戻ってきたと胸を張る。
そんな母から生まれた小生は、生まれた時に、
へその緒が首に二重にからまって、仮死状態で出てきた
困ったちゃんです。
自分の体験ではないといえ、母から真面目に話されると
否定はできんな。 というのが小生の見解。
母がそのまま帰ってこなかったら、小生が出生時に旅立っていたら、
ここのブログには全く縁の無かったかもしれない。
細い縁で繋がっていますね。
何事も、そうですな。
【愛知県人さん】寄稿 No.11
2012年07月11日
寄稿、です。
誰にでも、起こりうると思うのですが、
自分と、自分ではない相手が存在する場合。
自分が、考えたこと、言動、行動が、
どれだけ相手を思いやっていたとしても、
相手にとって見れば、
迷惑だったり、苦痛だったりすることが、ありえます。
小生の、昔話(登校・投降)での、Sちゃん、Eさん然り。
小生が二人を、
二人が小生を、思ってくれた行動が、
結果として、すれ違ってしまった。
※Sちゃんはお互いに遠慮。
※Eさんは、小生なら、と信頼?した結果。
さて、例え、思いやりとしても、
親子、兄弟でもすれ違うことがあるでしょう。
ましてや、相手が血のつながりもない場合は尚のこと。
血はつながっていても、10代前のご先祖様。
(隊長、お元気でしょうか?)
存在が違えば、意思が完全に疎通しているという
ことはありえ無いでしょう。
そういう能力をもって見える方はいるでしょうが。(爆)
優しく表現しても、厳しく指摘しても、
柔軟で、撓る(しなる)ものは、折れない。
凝り固まり、しならないものは、粉々になるか、折れる。
あまりに、相手にとって、受け入れ難い、
自己主張のみの意見は、
言葉にすると表現はキツイが、
いざ、対峙し、話を訊くと言葉が軽いことが、多い。
小生が思うのは、自己の主張を聞いてもらいたいのならば
最低限の礼節をわきまえるべき、ということです。
えっ?小生?
勿論、わきまえてません。(謝)
誰にでも、起こりうると思うのですが、
自分と、自分ではない相手が存在する場合。
自分が、考えたこと、言動、行動が、
どれだけ相手を思いやっていたとしても、
相手にとって見れば、
迷惑だったり、苦痛だったりすることが、ありえます。
小生の、昔話(登校・投降)での、Sちゃん、Eさん然り。
小生が二人を、
二人が小生を、思ってくれた行動が、
結果として、すれ違ってしまった。
※Sちゃんはお互いに遠慮。
※Eさんは、小生なら、と信頼?した結果。
さて、例え、思いやりとしても、
親子、兄弟でもすれ違うことがあるでしょう。
ましてや、相手が血のつながりもない場合は尚のこと。
血はつながっていても、10代前のご先祖様。
(隊長、お元気でしょうか?)
存在が違えば、意思が完全に疎通しているという
ことはありえ無いでしょう。
そういう能力をもって見える方はいるでしょうが。(爆)
優しく表現しても、厳しく指摘しても、
柔軟で、撓る(しなる)ものは、折れない。
凝り固まり、しならないものは、粉々になるか、折れる。
あまりに、相手にとって、受け入れ難い、
自己主張のみの意見は、
言葉にすると表現はキツイが、
いざ、対峙し、話を訊くと言葉が軽いことが、多い。
小生が思うのは、自己の主張を聞いてもらいたいのならば
最低限の礼節をわきまえるべき、ということです。
えっ?小生?
勿論、わきまえてません。(謝)
【愛知県人さん】投降?
2012年07月08日
毎々お騒がせしております。
愛知県人です。
前回の登校?で、
反響がありました(笑)ので、
今回は、投降したことを記事にして見ます。
ノンフィクションですが、
フィクションと思っていただいても
一向に構いません。(苦笑)
また、苦情は優しい言葉でお願いいたします。
※全部アマミさんが受けとめてくださっているため。
まだ小生が会社に入社し、2年目ぐらいの頃、
アフターファイブなる、仕事より重要な仕事が存在した。
(今は絶滅した)
男女複数人で、お気に入りの店(居酒屋系)を探し、
2次会にはカラオケに行く。
まあ、社内にはお気に入りの女の子もいる訳で、
男は必死。(笑)
当時は女の子にもノリのいい子がいて、それなりに
盛り上がってた。
直接業務では関係が無かったが、
そういう場で仲が良くなった女の子の内、
営業事務で、Eさんという女の子がいたのですが、
倉庫の男の子といい仲になったという話を
小耳にはさんでいたので、
色即是空(笑)の小生は、第三者的に二人を見ておりました。
ある日。
Eさんから、
"★★さん。相談があるんですけど。"(★★は小生の名前)
キタ━━━(゜∀゜)━━━ !!!!!
別れ話か!
小生:じゃ。喫茶店でも行こうか。
Eさん:いや、来てほしい場所があるんです。
小生:??
Eさん:★★さんしか頼れないんです。
小生:ふ~ん。(そこまでいわれると行かなきゃ男がすたる)
で、行ったら◎ムウェイの集団勧誘イベント会場だった。(泣)
そこに参加することは、一切迷わず投降した。
(実はEさんで5人目だった小生)
もっと◎ムさんで、強烈なのが有りますが、
リクエストが100人以上集まりましたら、記事にします。(笑)