奄美霊界で20年以上前から計画されていた幸福の科学奄美伝道
2011年12月02日
奄美霊界で幸福の科学奄美伝道が実は20年以上前から計画されていたというお話。
私のプロフィールにあるユタは、三柱の神を拝んでいるという。
「山神」「水神」そして「天照大御神」
ご神前にお伺いをたてるとき、「山神」と「水神」がノーと答えても、「天照大御神」がイエスと答えたら問答無用でイエスの判断に従うという。
「天照大御神」はそれほどに奄美のポピュラーな民間信仰である「山神」「水神」よりもはるかに格上で特別な存在だという。
(ちなみに私の指導霊をされてる民族神・通称「おじさま」はユタ信仰のなかでは山神にあたるらしい)
なぜそのユタが幸福の科学を応援したかというと、ある日「天照大御神」から、「(幸福の科学を)邪魔してはならない」と神示があったからだという。
そのユタはある集落の出身だったが、普段は集落のことはおろか俗世のことにもほとんど関心も示さないユタが、その集落のなかで異端だったふたりの男性だけはずっとかばいつづけた。
新元博文さんと石橋和夫さん。
「天照大御神」に、「この二人が奄美を救う。二人を護れ」と神示を受けたからだという。
のちに私は新元氏との出会いでその友人である石橋氏に出会い、石橋氏によって幸福の科学を伝道された。
私を幸福の科学に導き、今もサポートする奄美の民族神・通称「おじさま」は、新元氏の著書「奄美独立革命論」を読み涙した次の日から私に通信をおくってきている。
石橋氏が幸福の科学に入会したのは、新元氏からある日すすめられた「太陽の法」がきっかけだったという。(新元氏は入会していない)
その後、東京にておじさまの半強制的な霊的指導(笑)で入会した私は、師匠の力を借りて奄美での幸福の科学の活動を東京から支援し、その間の奄美での集いの場所は私の実家が中心となった。
東京にいる間、私は年に三回奄美に帰って幸福の科学の活動を手伝っていた。おかげでお金は全然たまらなかった(笑)
このとき、いつも奄美で一人がんばってくれ、東京にいた私と密に連絡をとりあっていたのが、私の現在の主人だ。
奄美帰郷後は、私と主人が奄美での活動の中心となり、私のブログを通じて多くの会員さんからの尊いご支援をいただくまでになった。
いずれ、私もバトンタッチする日がくる。そう遠くない将来に。
奄美霊界によって20年以上前から計画されていた奄美伝道。
奄美という霊域が、主エル・カンターレを護る柱の一つとなることを選んだ。
その神々の判断に報いることができる私となりたい。
堂々と、「奄美霊界は幸福の科学を選んだのだ」と語りたい。
奄美伝道、コツコツがんばる!
(n‘∀‘)η
私のプロフィールにあるユタは、三柱の神を拝んでいるという。
「山神」「水神」そして「天照大御神」
ご神前にお伺いをたてるとき、「山神」と「水神」がノーと答えても、「天照大御神」がイエスと答えたら問答無用でイエスの判断に従うという。
「天照大御神」はそれほどに奄美のポピュラーな民間信仰である「山神」「水神」よりもはるかに格上で特別な存在だという。
(ちなみに私の指導霊をされてる民族神・通称「おじさま」はユタ信仰のなかでは山神にあたるらしい)
なぜそのユタが幸福の科学を応援したかというと、ある日「天照大御神」から、「(幸福の科学を)邪魔してはならない」と神示があったからだという。
そのユタはある集落の出身だったが、普段は集落のことはおろか俗世のことにもほとんど関心も示さないユタが、その集落のなかで異端だったふたりの男性だけはずっとかばいつづけた。
新元博文さんと石橋和夫さん。
「天照大御神」に、「この二人が奄美を救う。二人を護れ」と神示を受けたからだという。
のちに私は新元氏との出会いでその友人である石橋氏に出会い、石橋氏によって幸福の科学を伝道された。
私を幸福の科学に導き、今もサポートする奄美の民族神・通称「おじさま」は、新元氏の著書「奄美独立革命論」を読み涙した次の日から私に通信をおくってきている。
石橋氏が幸福の科学に入会したのは、新元氏からある日すすめられた「太陽の法」がきっかけだったという。(新元氏は入会していない)
その後、東京にておじさまの半強制的な霊的指導(笑)で入会した私は、師匠の力を借りて奄美での幸福の科学の活動を東京から支援し、その間の奄美での集いの場所は私の実家が中心となった。
東京にいる間、私は年に三回奄美に帰って幸福の科学の活動を手伝っていた。おかげでお金は全然たまらなかった(笑)
このとき、いつも奄美で一人がんばってくれ、東京にいた私と密に連絡をとりあっていたのが、私の現在の主人だ。
奄美帰郷後は、私と主人が奄美での活動の中心となり、私のブログを通じて多くの会員さんからの尊いご支援をいただくまでになった。
いずれ、私もバトンタッチする日がくる。そう遠くない将来に。
奄美霊界によって20年以上前から計画されていた奄美伝道。
奄美という霊域が、主エル・カンターレを護る柱の一つとなることを選んだ。
その神々の判断に報いることができる私となりたい。
堂々と、「奄美霊界は幸福の科学を選んだのだ」と語りたい。
奄美伝道、コツコツがんばる!
(n‘∀‘)η
宗教はすばらしい!
2010年05月03日
五月一日はいまの宗派に帰依してから12年です。
入会したのが1999年だったから、たぶん12年ですよね?あれ?間違ってる?算数にがてなのよー
まさか奄美の神様(おっさん)に新興宗教をすすめられるとは思わなかったが(笑)、そうでなくとも、やはり私は宗教に縁があったのだと思います。
幼少時から誰に教えられずともあった天皇陛下への敬慕の念、霊的世界を否定する小学校教育への疑念、キリスト教との縁、郷土奄美への強烈な愛郷心。
とくに天皇陛下の部分はよく共産党員のパパとぶつかってました(笑)
小さい頃から私は疑問だったんですよ。
なぜオバケや守護霊さま、ご先祖さまがいるのに、護ってくれることも、オバケのたたりとかもあるのに、学校の先生がそれをちゃんと教えてくれないのだろう。供養とか感謝とかを教えてくれないんだろう。
なんで天皇陛下のことをもっと偉いってみんな言わないんだろう。天皇陛下はすごーく偉い人なのに。
中学生のころ、新約聖書と新元博文さんの「奄美独立革命論」を読んでから、ますますその思いは強くなりましたね。
奄美の人間はかならず読んでください。すごいですから。マジで。本気で泣けたのは新約聖書と奄美独立革命論がはじめてでした。自分に子供ができたらかならず読ませたい「七歳の捕虜」読んだときもあそこまで泣かなかった。
高校生になってから神道思想や奄美の古代神道思想(姉妹神信仰)、いろんな新興宗教を知るわけですが、結果として今の宗派に出会い、帰依したけれども、正直わたしには「宗教をわける垣根は本当はない」と思うわけです。
宗教はそれぞれがすばらしいです。宗教がイヤなら信仰という言葉でもいい。
天皇陛下への信仰、郷土奄美への信仰、ご先祖さまへの信仰、イエス様への信仰、いまの宗派への信仰。
それはすべて、私にすばらしい財産になり、大きな希望になってくれました。宗教を知って損をしたことは一度たりとてありません。
私が生意気にも奄美の女神さまの御名をハンドルネームに使わせていただいているのも、奄美の神様への信仰と敬慕の証というわけです。
大いなる存在への信仰をよりどころとして、その精神・教え・さししめされた道によって自分をただしてよりよい方向へ歩んでいく。
その姿は、とても美しいと思います。
人生に感謝がみちれば、その心は宗教心におのずとちかづくのではないでしょうか。
宗教はなにも特別なものではなく、親孝行やご先祖への感謝、故郷への敬慕への延長線にあり、感謝の心のなかにあるといってもいいのかもしれません。
入会したのが1999年だったから、たぶん12年ですよね?あれ?間違ってる?算数にがてなのよー
まさか奄美の神様(おっさん)に新興宗教をすすめられるとは思わなかったが(笑)、そうでなくとも、やはり私は宗教に縁があったのだと思います。
幼少時から誰に教えられずともあった天皇陛下への敬慕の念、霊的世界を否定する小学校教育への疑念、キリスト教との縁、郷土奄美への強烈な愛郷心。
とくに天皇陛下の部分はよく共産党員のパパとぶつかってました(笑)
小さい頃から私は疑問だったんですよ。
なぜオバケや守護霊さま、ご先祖さまがいるのに、護ってくれることも、オバケのたたりとかもあるのに、学校の先生がそれをちゃんと教えてくれないのだろう。供養とか感謝とかを教えてくれないんだろう。
なんで天皇陛下のことをもっと偉いってみんな言わないんだろう。天皇陛下はすごーく偉い人なのに。
中学生のころ、新約聖書と新元博文さんの「奄美独立革命論」を読んでから、ますますその思いは強くなりましたね。
奄美の人間はかならず読んでください。すごいですから。マジで。本気で泣けたのは新約聖書と奄美独立革命論がはじめてでした。自分に子供ができたらかならず読ませたい「七歳の捕虜」読んだときもあそこまで泣かなかった。
高校生になってから神道思想や奄美の古代神道思想(姉妹神信仰)、いろんな新興宗教を知るわけですが、結果として今の宗派に出会い、帰依したけれども、正直わたしには「宗教をわける垣根は本当はない」と思うわけです。
宗教はそれぞれがすばらしいです。宗教がイヤなら信仰という言葉でもいい。
天皇陛下への信仰、郷土奄美への信仰、ご先祖さまへの信仰、イエス様への信仰、いまの宗派への信仰。
それはすべて、私にすばらしい財産になり、大きな希望になってくれました。宗教を知って損をしたことは一度たりとてありません。
私が生意気にも奄美の女神さまの御名をハンドルネームに使わせていただいているのも、奄美の神様への信仰と敬慕の証というわけです。
大いなる存在への信仰をよりどころとして、その精神・教え・さししめされた道によって自分をただしてよりよい方向へ歩んでいく。
その姿は、とても美しいと思います。
人生に感謝がみちれば、その心は宗教心におのずとちかづくのではないでしょうか。
宗教はなにも特別なものではなく、親孝行やご先祖への感謝、故郷への敬慕への延長線にあり、感謝の心のなかにあるといってもいいのかもしれません。
私と奄美の神と幸福の科学について〜入会の経緯〜
2010年04月03日
この話は私の宗派にかかわることですので、宗派に関心ない方の閲覧はオススメしません。
私がおじさま(日本神道系の霊人。私を護ってくださっているらしい)の存在を自覚したのは、新元博文氏と交流をはじめてからだった。 中三のときだ。
その時私は半分ノイローゼになっていた。前年に男子からいじめられたこと、それを担任が放置していたことが発端だったが、しかしその前に「自分が生きているかぎり周りに迷惑をかけ続ける」事実に絶望したといった方が正しかった。
心の葛藤に泣きながらドロドロの思いを紙の上にたたきつけていると、あるとき、そこにいくつかの善意の個性が入っていることがわかった。
死にたい、私の存在自体が罪なんだ、惨めだ、この社会をねじまげたのは私の腐った心だ、などと書いている横に、違う文体でものすごいプラスの言葉が入っていたりする。最初は自分というものはここまで多重人格なのかとあきれていたが、そのうちその違いが明確にわかってきた。
まず、最初に祈りをささげ、感謝の気持ちで紙に向かうと、その言葉がおりやすい。
その言葉は保護者のようなあたたかい眼差しで、私の苦しみをただ取り除こうとするのではなく、その苦しみの意味、乗り越える喜びを教えてくれたりする。
分析していくとおじさまは新元氏の系列の霊人(古神道系)だとわかったが、それでもなぜ古神道の霊人がくるのか、その時点でカトリックへの縁の方がつよい私にくるのかがわかりかねた。
ちなみに新元氏は大本教系列。直接大本に属してはいないが、モロそっち系。
おじさまからのメッセージが変わったのは高校三年のとき。それまでは自分の善なる心を見つめよ、自分の神性を見出せ、という意味の言葉を中心にくださっていたのが、高校三年から突然内容がかわった。
公のために生きよ、周りをてらせる自分になれ。そんな大きな意味合いのメッセージに変わってきた。
おじさまの言葉は、今考えると、生長の家の初代の言葉に近かったと思う。
徳之島のある民家のトイレを借りたときに、掛けてあった生長の家のカレンダーの言葉が、おじさまの言葉とものすごく似ていてビックリして飛び上がったことがあった。
ここからも、おじさまが神道系の神であることがうかがえる。
その前後、私は幸福の科学も含めたいろんな組織との関わりが強くなり、組織との距離はおきながらも自分の生き方、使命というものを考え始めていた。
それでも宗派や党派うんぬん以上に組織というものに縛られるのがイヤだった私は両親に「組織には属さない」という誓いまでたてて上京する。
しかし、おじさまの干渉はそれからがすごかった。
寝ていても幸福の科学のことが突然頭におりる。(マイナスの連中からのじわじわネットリくる干渉と違うのは、一瞬デカいのがパンとイナズマのようにくるところ)
仕事をしてると「あぶない!」というおじさまの言葉がきて、思わず止ったら次の瞬間死角からデカイ道具をもったおっさんがすごい勢いで走っていった。そのままいっていたら間違いなくぶつかってケガをしていた。
とうとう休みの日に買い物していたら、突然おじさまから「幸福の科学の施設を探して行きなさい!」と名指しで言葉がきて、駅前で1時間くらいぐるぐるするという奇行まででてきた。
私は途方に暮れた。おじさまは悪霊なのか?すくなくとも、今まで読んだ宗教や神霊関連の本のなかでも、神霊が宗教団体を名指しするなんて聞いたことないぞ!
しかし、今まで私にきたアプローチはすべて我を戒めることや心の向上や公へに尽くすにはというテーマで、アヤシゲな内容などひとつもなかった。
私は意を決して、タウンページで幸福の科学の施設(当時の東京道場4階・東京南部支部)を探し、のりこんだ。
五時間、三人の職員さんと話をしてすべての疑問をぶつけた。
答えはすべて道理の立つもので、なにより型どおりの答えをせず自分の恥をさらしても赤心で答える職員さんの言葉は、これまでもいろんな宗教や思想団体とふれた私には、繕うという事をしない幸福の科学の職員さんの姿勢は、驚きを与えるに十分だった。
(ちなみにその当時、私は革マル派の方々ともお付き合いしてましたww)
夜九時、そろそろ閉館しますという事務員さんの言葉がきたときに私はそれでも脂汗をながしながら迷った。私はどうするべきだ。守護霊さま、教えてください。
その時、おじさまの言葉がきた。
“お前は自分のために生きるのか、他の人のために生きるのか ”
私は他の人のために生きたいです。自分をおいてでも、他の人のために生きたいです。それが夢です。
“ならば、自分を捨てよ。自分を捨てて、大いなるものとひとつになれ”
その言葉はいまも忘れない。その言葉で迷いは消え失せた。
私は職員さんに、三帰誓願(入会式)を申し出た。
1999年、5月1日、メーデーの日に入会。共産党員の娘にふさわしい(笑)
自宅に戻り、奄美の神々に祈った。
私は、本日仏教に帰依しました。この教えを、奄美の神々に捧げます。
そのとき、私にきたイメージは祝福してくださる神々、喜んで涙を流す神々、そして怒り狂う神々の姿。
「お前は我らを裏切るのか!」という声が聞こえてきた気がした。
いえ、私は奄美を裏切るのではありません。それは、これからの私の人生で証明いたします。
私は奄美の神々のお気持ちが一つではない事にショックを受けると同時に、これからの自分の生き方がどれだけ大切かということをかみしめた。
おじさまはそれから頻繁に干渉してくることは無くなったが、いまでも何かのおりには言葉をくださる。特に東京正心館にいくと、おじさまの存在をすごくリアルに感じる。
(さすが神道の磁場が強い精舎ですね!)
おじさまの干渉をもうひとつ明確に知ったのは、4年前。主人との結婚のときだ。
おじさまの姿をハッキリイメージできたのはこのときがはじめてでした。
「霊山・アマンデーにて」http://amamikyo.amamin.jp/e1398.html
縁結びまでなさるとは、おじさま、多才ですね!(笑)
それから、少しずつ、奄美の民族神の霊団と幸福の科学の支援霊団(大本教系)との関係、
おじさまを含む奄美の民族神の一部が幸福の科学にこだわる理由(古代中国が関わるらしい)
なども自分なりになんとなくわかってきたが、まだ謎は多いし、おじさまはいまも多くは語らない。
奄美に宗派の拠点ができたときは久しぶりにハッキリイメージがでてきた。ニヤリと嬉しそうな笑顔だった。
(ニコリじゃなくてニヤリw)
そして、拠点に下賜された「エル・カンターレへの祈り」を拠点信者みなさんで拝唱させていただいたとき。
はじめて、おじさまがご本尊に頭を下げて礼をしているイメージがきた。これには思わず涙ぐんだ。
「エル・カンターレへの祈り」は、本当はとんでもない経文なんだと実感した出来事でした。
おじさまは幸福の科学の布教には我関せず(見捨てているというわけではなく、地上の人間にまかせるというスタンス)だが、幸福実現党に関しては、非常に力強く支援している。さすが日本の神様。
隊長(他宗の霊能者・尊敬する知人)には、おじさまは『ウカシマチノミコト』と名乗ったらしい。
それも方便の名だとは思うけれども、その後、神武天皇に帰順した「弟ウカシ」という事がわかった。
複数のユタや霊的な方にも、私には「力の強い男性の神がついている」と度々指摘される。おそらくは、それがおじさまだろう。
なぜ「弟ウカシ」もしくは『ウカシマチノミコト』が奄美の神をしているのか。そして、なぜここまでストレートに、奄美の神でありながら、幸福の科学を全面的に支援するのか。
おじさまは何も語らない。
すごく知りたい~!!!!!
そのうちわかるかもしれない。
まぁ、こんなエピソードもありましたよ〜ということで。
るる〜。
私がおじさま(日本神道系の霊人。私を護ってくださっているらしい)の存在を自覚したのは、新元博文氏と交流をはじめてからだった。 中三のときだ。
その時私は半分ノイローゼになっていた。前年に男子からいじめられたこと、それを担任が放置していたことが発端だったが、しかしその前に「自分が生きているかぎり周りに迷惑をかけ続ける」事実に絶望したといった方が正しかった。
心の葛藤に泣きながらドロドロの思いを紙の上にたたきつけていると、あるとき、そこにいくつかの善意の個性が入っていることがわかった。
死にたい、私の存在自体が罪なんだ、惨めだ、この社会をねじまげたのは私の腐った心だ、などと書いている横に、違う文体でものすごいプラスの言葉が入っていたりする。最初は自分というものはここまで多重人格なのかとあきれていたが、そのうちその違いが明確にわかってきた。
まず、最初に祈りをささげ、感謝の気持ちで紙に向かうと、その言葉がおりやすい。
その言葉は保護者のようなあたたかい眼差しで、私の苦しみをただ取り除こうとするのではなく、その苦しみの意味、乗り越える喜びを教えてくれたりする。
分析していくとおじさまは新元氏の系列の霊人(古神道系)だとわかったが、それでもなぜ古神道の霊人がくるのか、その時点でカトリックへの縁の方がつよい私にくるのかがわかりかねた。
ちなみに新元氏は大本教系列。直接大本に属してはいないが、モロそっち系。
おじさまからのメッセージが変わったのは高校三年のとき。それまでは自分の善なる心を見つめよ、自分の神性を見出せ、という意味の言葉を中心にくださっていたのが、高校三年から突然内容がかわった。
公のために生きよ、周りをてらせる自分になれ。そんな大きな意味合いのメッセージに変わってきた。
おじさまの言葉は、今考えると、生長の家の初代の言葉に近かったと思う。
徳之島のある民家のトイレを借りたときに、掛けてあった生長の家のカレンダーの言葉が、おじさまの言葉とものすごく似ていてビックリして飛び上がったことがあった。
ここからも、おじさまが神道系の神であることがうかがえる。
その前後、私は幸福の科学も含めたいろんな組織との関わりが強くなり、組織との距離はおきながらも自分の生き方、使命というものを考え始めていた。
それでも宗派や党派うんぬん以上に組織というものに縛られるのがイヤだった私は両親に「組織には属さない」という誓いまでたてて上京する。
しかし、おじさまの干渉はそれからがすごかった。
寝ていても幸福の科学のことが突然頭におりる。(マイナスの連中からのじわじわネットリくる干渉と違うのは、一瞬デカいのがパンとイナズマのようにくるところ)
仕事をしてると「あぶない!」というおじさまの言葉がきて、思わず止ったら次の瞬間死角からデカイ道具をもったおっさんがすごい勢いで走っていった。そのままいっていたら間違いなくぶつかってケガをしていた。
とうとう休みの日に買い物していたら、突然おじさまから「幸福の科学の施設を探して行きなさい!」と名指しで言葉がきて、駅前で1時間くらいぐるぐるするという奇行まででてきた。
私は途方に暮れた。おじさまは悪霊なのか?すくなくとも、今まで読んだ宗教や神霊関連の本のなかでも、神霊が宗教団体を名指しするなんて聞いたことないぞ!
しかし、今まで私にきたアプローチはすべて我を戒めることや心の向上や公へに尽くすにはというテーマで、アヤシゲな内容などひとつもなかった。
私は意を決して、タウンページで幸福の科学の施設(当時の東京道場4階・東京南部支部)を探し、のりこんだ。
五時間、三人の職員さんと話をしてすべての疑問をぶつけた。
答えはすべて道理の立つもので、なにより型どおりの答えをせず自分の恥をさらしても赤心で答える職員さんの言葉は、これまでもいろんな宗教や思想団体とふれた私には、繕うという事をしない幸福の科学の職員さんの姿勢は、驚きを与えるに十分だった。
(ちなみにその当時、私は革マル派の方々ともお付き合いしてましたww)
夜九時、そろそろ閉館しますという事務員さんの言葉がきたときに私はそれでも脂汗をながしながら迷った。私はどうするべきだ。守護霊さま、教えてください。
その時、おじさまの言葉がきた。
“お前は自分のために生きるのか、他の人のために生きるのか ”
私は他の人のために生きたいです。自分をおいてでも、他の人のために生きたいです。それが夢です。
“ならば、自分を捨てよ。自分を捨てて、大いなるものとひとつになれ”
その言葉はいまも忘れない。その言葉で迷いは消え失せた。
私は職員さんに、三帰誓願(入会式)を申し出た。
1999年、5月1日、メーデーの日に入会。共産党員の娘にふさわしい(笑)
自宅に戻り、奄美の神々に祈った。
私は、本日仏教に帰依しました。この教えを、奄美の神々に捧げます。
そのとき、私にきたイメージは祝福してくださる神々、喜んで涙を流す神々、そして怒り狂う神々の姿。
「お前は我らを裏切るのか!」という声が聞こえてきた気がした。
いえ、私は奄美を裏切るのではありません。それは、これからの私の人生で証明いたします。
私は奄美の神々のお気持ちが一つではない事にショックを受けると同時に、これからの自分の生き方がどれだけ大切かということをかみしめた。
おじさまはそれから頻繁に干渉してくることは無くなったが、いまでも何かのおりには言葉をくださる。特に東京正心館にいくと、おじさまの存在をすごくリアルに感じる。
(さすが神道の磁場が強い精舎ですね!)
おじさまの干渉をもうひとつ明確に知ったのは、4年前。主人との結婚のときだ。
おじさまの姿をハッキリイメージできたのはこのときがはじめてでした。
「霊山・アマンデーにて」http://amamikyo.amamin.jp/e1398.html
縁結びまでなさるとは、おじさま、多才ですね!(笑)
それから、少しずつ、奄美の民族神の霊団と幸福の科学の支援霊団(大本教系)との関係、
おじさまを含む奄美の民族神の一部が幸福の科学にこだわる理由(古代中国が関わるらしい)
なども自分なりになんとなくわかってきたが、まだ謎は多いし、おじさまはいまも多くは語らない。
奄美に宗派の拠点ができたときは久しぶりにハッキリイメージがでてきた。ニヤリと嬉しそうな笑顔だった。
(ニコリじゃなくてニヤリw)
そして、拠点に下賜された「エル・カンターレへの祈り」を拠点信者みなさんで拝唱させていただいたとき。
はじめて、おじさまがご本尊に頭を下げて礼をしているイメージがきた。これには思わず涙ぐんだ。
「エル・カンターレへの祈り」は、本当はとんでもない経文なんだと実感した出来事でした。
おじさまは幸福の科学の布教には我関せず(見捨てているというわけではなく、地上の人間にまかせるというスタンス)だが、幸福実現党に関しては、非常に力強く支援している。さすが日本の神様。
隊長(他宗の霊能者・尊敬する知人)には、おじさまは『ウカシマチノミコト』と名乗ったらしい。
それも方便の名だとは思うけれども、その後、神武天皇に帰順した「弟ウカシ」という事がわかった。
複数のユタや霊的な方にも、私には「力の強い男性の神がついている」と度々指摘される。おそらくは、それがおじさまだろう。
なぜ「弟ウカシ」もしくは『ウカシマチノミコト』が奄美の神をしているのか。そして、なぜここまでストレートに、奄美の神でありながら、幸福の科学を全面的に支援するのか。
おじさまは何も語らない。
すごく知りたい~!!!!!
そのうちわかるかもしれない。
まぁ、こんなエピソードもありましたよ〜ということで。
るる〜。
宗派と民族神との関係(宗教注意)
2010年03月27日
この日記は非常にうちの宗派に片寄った内容なので、うちの宗派に関心ない方、宗教ちょっと・・・という方はスルーでお願いします。
(・∀・)
去年の五月一日はいまの宗派に入ってちょうど10年だった。
私の入会のきっかけは新元さんだった。
新元さんの友人の幸福の科学会員・石橋さんに高一の春に幸福の科学の書籍をもらったことがきっかけだった。
読んだ感想は「これは偽者ならたいしたもんだ。しかし、ホンモノなら大変なことだ」という恐怖だった。
私はいろんな宗派の本を読んできたが、これほどいろんな意味で「デカい」ことを書いてるのははじめてだった。
(特に般若心経の『色即是空・空即是色』の真意を二行で的確に表現してたのは読んだときとびあがりました)
その後あのユタのおばちゃんの話をきいて、
「そうだろうな、タダモンじゃないのはわかるよ」とうなづいたものだった。
中三の時から新元さんつながりできていた神道系の指導霊・通称おじさまが降ろしてくださるメッセージは、どちらかというと生長の家の教えに似ていた。この指導霊のおじさまは、のちに奄美の民族神の一柱だどわかる。
東京に上京したとたんその指導霊から言われた言葉は忘れない。
「幸福の科学の施設を探して行きなさい!」
これが3ヶ月毎日きた(笑)毎日霊的に催促され、しぶしぶたずね、三人の職員さんと五時間話してあらをなんとか見つけようとし、さらにおじさまからガツンと最後の一発くらってやっと入会。
しかも面白いことに、自宅に帰ってから奄美の神々に
「私は今日仏教に帰依しました」と祈りながら報告したら、かえってきた反応のイメージが見事にまっぷたつだった。
神様の半分はものすごく喜んでるのに、もう半分の神様方は露骨に激怒していた。
「我らを裏切るのか!!!!!」という声が聞こえた気すらした。
私は反発する神々へ「これが奄美のためなのです。私の人生で、それを証明いたします」とお伝えしたが、その体験で私は『神々の意志は結構バラバラなのだ』ということを知ることになる。
さる隊長にうかがったお話では、宗旨替えに祖霊や氏神が反発することはめずらしくないらしい。
でもなー。私はいちおーお上からひっぱられたんだし、意志統一くらいしておいてくださらないと困るっちゃ。
たぶん奄美の神様の中でも、いろんな個性や意見の違いがあられるのだろう。
神様の世界ってなにげに人間ぽくない?と思った出来事でした。
そもそも、奄美には元々ノロ信仰・または琉球神道ともいわれる祭政一致の制度があった。
ノロという女性神官が集落を支配し、その言葉は厳格に守られた。
ノロは琉球王の姉妹が即位する最高神官・聞得大君から選ばれ、その血統は豪族の血筋ときまっていた。
ノロの祭りを告げる鐘がなると、集落の人々はすべての仕事をおいて広場にあつまり、土下座してノロの祭りを迎えた。ノロの姿を仰ぎ見ることは死にも等しい罪だった。
面白いことに、ノロの祭祀を補佐する選ばれた付き人のなかで男性は一人か二人だけ。女性たちより下の位置だった。ノロを魔から守る役目だったのか、男性の役目は呪文に長けていた。
琉球神道は古代日本の初期神道の形をのこしていると思える。だからこそ、奄美・沖縄に1000年前の大和言葉が今までのこったのだろう。
おおっと。神様の話をするとやっぱりそっちにひっぱられる。あぶねーあぶねー。
数年前、私の実家で宗派の小さな集まりをしていたとき、たまたまきていた師匠がこんなことを言っていた。
「ここのベランダから奄美の神様が見にこられるから、ここのベランダはキレイにしておいてね」
私( ゚д゚ )ぽかーん
へー。奄美の神様が?たしかにうちの宗派のシンパはおじさまはじめかなりいらっしゃるっぽいですが・・・ホントですかに?
それからしばらくたったあるとき、実家でした集まりの数時間後、遊びにきた霊感友人(奄美に天皇陛下が行幸されたとき、天皇陛下が霊的にまぶしくて見えなかったというヤツ。本人は天皇陛下を全然尊敬していないww)にいたずら半分できいてみた。
「ねぇねぇ、どこかかわったところある?」
友人はベランダとタンスの上、タンスの脇を指さした。
「そこだけ不思議な光がのこってる。なんか儀式とかした?」と。
母ちゃんと私(οдО;)がびーん!!
タンスの上に本尊おいてたし、タンスの横に職員さん(お坊さん)いたし、ベランダは師匠に奄美の神様がくる場所と言われたところじゃん?
全部片づけてたので、見た目はわかんないはず・・なのに。
へー。そんな風にみえるんだー。へー。霊感っていいなー。
東京にいたとき、奄美の実家にヘンなトラブルが続いたことがあった。
私は奄美の実家にむけて東京の支部で「悪霊撃退祈願」をさせていただいた。
父と母をお守りください。お願いします。
すると、翌日、母から電話があった。
「昨日、不思議な夢を見たよ!ベランダにね、ノロかユタの格好をした人が7人いて、そのうち五人くらいがベランダから部屋の中に入ってくるの!全然怖くはないんだけど。で、部屋を祓いはじめてね。そのなかにすごく偉いような威厳のある人がいたから、「なんでうちにきたんですか?」てきいたら、その人が、「上の方に言われてきた。ここの魔をおいださんばいかんから(方言を標準語訳)」て。そこで目が覚めたよ」
母ちゃんに祈願のことは言ってなかったのに・・・伝えたらマジでビビッてました。
霊的世界というか、神様の世界ってどうなってんだ?なにげに人間ぽくね?
そっから、私は宗派に垣根ってホントはないんだなと思っておるわけです。
そんなことを思い出した、五月一日、メーデーでした。
追伸
母ちゃんのことでおもいだしたが、こんなエピソードもありました。
同じく東京でまた実家でトラブルがあり、私は母を心配していた。
すると夢を見た。夢で私は実家の外にいる。なぜか空をとべるらしく、ジャンプして空をとんでベランダの外側から母の様子をのぞいていた。
母の眠る姿がみえ、安心しているところで目が覚めた。
二日たち、その夢も忘れかけたころ、母から電話があった。
「そういえば二日くらい前にあんたの夢みたよ。夜ベランダの外から中に浮いてるみたいにしてベランダの格子に手をかけて部屋の中を見てたから、あんたなにしてるの、中にはいらんねって言ったら、にこにこ笑ってたよ。」
私が念体(いわゆる生霊)で実家にいったという、そんなエピソードでした。
師匠に言ったら、「アマちゃんはホント念がつよいわね〜」と笑ってました。
ぷにぷに。
(・∀・)
去年の五月一日はいまの宗派に入ってちょうど10年だった。
私の入会のきっかけは新元さんだった。
新元さんの友人の幸福の科学会員・石橋さんに高一の春に幸福の科学の書籍をもらったことがきっかけだった。
読んだ感想は「これは偽者ならたいしたもんだ。しかし、ホンモノなら大変なことだ」という恐怖だった。
私はいろんな宗派の本を読んできたが、これほどいろんな意味で「デカい」ことを書いてるのははじめてだった。
(特に般若心経の『色即是空・空即是色』の真意を二行で的確に表現してたのは読んだときとびあがりました)
その後あのユタのおばちゃんの話をきいて、
「そうだろうな、タダモンじゃないのはわかるよ」とうなづいたものだった。
中三の時から新元さんつながりできていた神道系の指導霊・通称おじさまが降ろしてくださるメッセージは、どちらかというと生長の家の教えに似ていた。この指導霊のおじさまは、のちに奄美の民族神の一柱だどわかる。
東京に上京したとたんその指導霊から言われた言葉は忘れない。
「幸福の科学の施設を探して行きなさい!」
これが3ヶ月毎日きた(笑)毎日霊的に催促され、しぶしぶたずね、三人の職員さんと五時間話してあらをなんとか見つけようとし、さらにおじさまからガツンと最後の一発くらってやっと入会。
しかも面白いことに、自宅に帰ってから奄美の神々に
「私は今日仏教に帰依しました」と祈りながら報告したら、かえってきた反応のイメージが見事にまっぷたつだった。
神様の半分はものすごく喜んでるのに、もう半分の神様方は露骨に激怒していた。
「我らを裏切るのか!!!!!」という声が聞こえた気すらした。
私は反発する神々へ「これが奄美のためなのです。私の人生で、それを証明いたします」とお伝えしたが、その体験で私は『神々の意志は結構バラバラなのだ』ということを知ることになる。
さる隊長にうかがったお話では、宗旨替えに祖霊や氏神が反発することはめずらしくないらしい。
でもなー。私はいちおーお上からひっぱられたんだし、意志統一くらいしておいてくださらないと困るっちゃ。
たぶん奄美の神様の中でも、いろんな個性や意見の違いがあられるのだろう。
神様の世界ってなにげに人間ぽくない?と思った出来事でした。
そもそも、奄美には元々ノロ信仰・または琉球神道ともいわれる祭政一致の制度があった。
ノロという女性神官が集落を支配し、その言葉は厳格に守られた。
ノロは琉球王の姉妹が即位する最高神官・聞得大君から選ばれ、その血統は豪族の血筋ときまっていた。
ノロの祭りを告げる鐘がなると、集落の人々はすべての仕事をおいて広場にあつまり、土下座してノロの祭りを迎えた。ノロの姿を仰ぎ見ることは死にも等しい罪だった。
面白いことに、ノロの祭祀を補佐する選ばれた付き人のなかで男性は一人か二人だけ。女性たちより下の位置だった。ノロを魔から守る役目だったのか、男性の役目は呪文に長けていた。
琉球神道は古代日本の初期神道の形をのこしていると思える。だからこそ、奄美・沖縄に1000年前の大和言葉が今までのこったのだろう。
おおっと。神様の話をするとやっぱりそっちにひっぱられる。あぶねーあぶねー。
数年前、私の実家で宗派の小さな集まりをしていたとき、たまたまきていた師匠がこんなことを言っていた。
「ここのベランダから奄美の神様が見にこられるから、ここのベランダはキレイにしておいてね」
私( ゚д゚ )ぽかーん
へー。奄美の神様が?たしかにうちの宗派のシンパはおじさまはじめかなりいらっしゃるっぽいですが・・・ホントですかに?
それからしばらくたったあるとき、実家でした集まりの数時間後、遊びにきた霊感友人(奄美に天皇陛下が行幸されたとき、天皇陛下が霊的にまぶしくて見えなかったというヤツ。本人は天皇陛下を全然尊敬していないww)にいたずら半分できいてみた。
「ねぇねぇ、どこかかわったところある?」
友人はベランダとタンスの上、タンスの脇を指さした。
「そこだけ不思議な光がのこってる。なんか儀式とかした?」と。
母ちゃんと私(οдО;)がびーん!!
タンスの上に本尊おいてたし、タンスの横に職員さん(お坊さん)いたし、ベランダは師匠に奄美の神様がくる場所と言われたところじゃん?
全部片づけてたので、見た目はわかんないはず・・なのに。
へー。そんな風にみえるんだー。へー。霊感っていいなー。
東京にいたとき、奄美の実家にヘンなトラブルが続いたことがあった。
私は奄美の実家にむけて東京の支部で「悪霊撃退祈願」をさせていただいた。
父と母をお守りください。お願いします。
すると、翌日、母から電話があった。
「昨日、不思議な夢を見たよ!ベランダにね、ノロかユタの格好をした人が7人いて、そのうち五人くらいがベランダから部屋の中に入ってくるの!全然怖くはないんだけど。で、部屋を祓いはじめてね。そのなかにすごく偉いような威厳のある人がいたから、「なんでうちにきたんですか?」てきいたら、その人が、「上の方に言われてきた。ここの魔をおいださんばいかんから(方言を標準語訳)」て。そこで目が覚めたよ」
母ちゃんに祈願のことは言ってなかったのに・・・伝えたらマジでビビッてました。
霊的世界というか、神様の世界ってどうなってんだ?なにげに人間ぽくね?
そっから、私は宗派に垣根ってホントはないんだなと思っておるわけです。
そんなことを思い出した、五月一日、メーデーでした。
追伸
母ちゃんのことでおもいだしたが、こんなエピソードもありました。
同じく東京でまた実家でトラブルがあり、私は母を心配していた。
すると夢を見た。夢で私は実家の外にいる。なぜか空をとべるらしく、ジャンプして空をとんでベランダの外側から母の様子をのぞいていた。
母の眠る姿がみえ、安心しているところで目が覚めた。
二日たち、その夢も忘れかけたころ、母から電話があった。
「そういえば二日くらい前にあんたの夢みたよ。夜ベランダの外から中に浮いてるみたいにしてベランダの格子に手をかけて部屋の中を見てたから、あんたなにしてるの、中にはいらんねって言ったら、にこにこ笑ってたよ。」
私が念体(いわゆる生霊)で実家にいったという、そんなエピソードでした。
師匠に言ったら、「アマちゃんはホント念がつよいわね〜」と笑ってました。
ぷにぷに。