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長渕剛 震災から一ヶ月 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ

2011年06月15日

あの時期に自衛隊の慰問。これは、周りの目や名声や自分の保身に縛られていたら絶対にできない。

批判を恐れず、正しいことは正しいと言い、正しき道を歩む人々に感謝と祝福を届けられる私になりたい。

もうすぐ本当の国難がくる。

私は、強くなりたい。


長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯
http://www.youtube.com/watch?v=DbMB-GY8Z6I&feature=related


長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_CLOSE YOUR EYES
http://www.youtube.com/watch?v=b9luke94pXk


長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_いのち
http://www.youtube.com/watch?v=djbVLZ8qKOo&NR=1


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:12Comments(1)尊敬する人物

三島由紀夫・最期の檄文

2010年09月24日

三島由起夫を毛嫌いする人は多い。

その最期の日の行いを、生理的に拒絶する人は多い。

しかし、その志は、間違ってはいないと思う。

そして、彼は自らの命によって責任をとったのだ。

私は三島由紀夫の最期には正直賛同しかねる。

彼には生きていてほしかった。生きて、志を説きつづけてほしかった。

三島由紀夫の魂は気高く尊い。



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われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。




 三島由紀夫

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:30Comments(1)尊敬する人物

宮本武蔵という偉人

2010年07月13日

隊長にすすめられて宮本武蔵を調べてみたら、ただ強いだけの剣豪じゃないことがよくわかりました。

強さはまさに「鬼神」の域でしたが、それに裏打ちされた思想があるんですね。

もはや剣聖ですね。

現代にも通じる言葉だと思います。

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 右一流の兵法の道、朝なゝゝ夕なゝゝ勤めおこなふによりて、おのづら広き心になつて、多分一分の兵法として世に伝ふる所、初而書顕はす事、地水火風空、是五巻也。我兵法を学ばんと思ふ人は道をおこなふ法あり。
 第一によこしまになき事をおもふ所
 第二に道の鍛錬する所
 第三に諸芸にさはる所
 第四に諸職の道を知る事
 第五に物事の損徳をわきまゆる事
 第六に諸事目利を仕覚ゆる事
 第七に目に見えぬ所をさとつてしる事
 第八にわづかなる事にも気を付くる事
 第九に役にたたぬ事をせざる事
 大形如此(おおかたかくのごとき)理を心にかけて兵法の道鍛錬すべき也。此道に限りて、直なる所を広く見たてざれば、兵法の達者とは成りがたし。此法を学び得ては一身にして二十三十の敵にもまくべき道にあらず。先づ気に兵法をたえさず、直なる道を勤めては、手にても打勝ち、目に見る事も人にかち、又鍛錬をもつて惣体自由(そうたいやわらか)なれば、身にても人に勝ち、又此道に慣れたる心なれば、心をもつても人に勝ち、此所に至りてはいかにとして人にまくる道あらんや。又大きなる兵法にしては、善人を持事にかち、人数をつかふ事にかち、身をただしくおこなふ道にかち、国を治むる事にかち、民をやしなふ事にかち、世の例法 をおこなひかち、いづれの道においても人にまけざる所をしりて、身をたすけ名をたすくる所、是兵法の道也。

   正保二年五月十二日   新免武蔵
   寛文七年二月五日    寺尾夢世勝延
               山本源介殿

 現代語訳
 右の一流の兵法の道を朝に夕に鍛錬することで、自然と広い心になって、多人数対多人数、一対一の兵法として後世に伝えることを初めて書き表したのが、地水火風空の五巻である。兵法を学ぼうと思う人には、兵法を学ぶ掟がある。
 第一 実直な正しい道を思うこと
 第二 鍛錬すること
 第三 様々な芸にふれること
 第四 様々な職能を知ること
 第五 物事の損得を知ること
 第六 様々な事を見分ける力を養うこと
 第七 目に見えないところを悟ること
 第八 ちょっとしたことにも気をつけること
 第九 役に立たないことはしないこと

 だいたいこのようなことを心がけて、兵法の道を鍛錬すべきである。この道に限っては、広い視野に立って真実を見極めなければ兵法の達人にはなりがたい。これを会得すれば、一人でも20、30の敵にも負けないのである。まず、気持ちに兵法を忘れず、正しく一生懸命鍛錬すれば、まず手でも人に勝ち、見る目においても人に勝つことができる。 鍛錬の結果、体が自由自在になれば体でも人に勝ち、この道に心が慣れれば心でも人に勝つことができるのである。兵法を学んでこの境地にたどりついた時は、すべてにおいて人に負けることはありえない。また、集団の兵法では、有能な人を仲間に持つことで勝り、多くの人数を使うことに勝り、わが身を正すことで勝ち、国を治めることでも勝ち、民を養うことでも勝ち、世の秩序を保つことができる。何事においても人に負けないことを知って、身を助け名誉を守ることこそ、兵法の道である。


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「空を道とし、道を空とみる。」

(意味)

ここでいう「道」とは、武士としての道を意味すると思われ、

「空」とは、「迷いのない心」「とらわれない心」の事。

つまり、「無欲、無心が事をなす」となります。



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「神仏を敬い、神仏に頼らず。」



(意味)

神仏に頼るのではなく、神仏の意にかなう心構え、

生活姿勢が大切。



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千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。




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武士といえば、常に死ができている者と自惚れているようだが、

そんなものは出家、女、百姓とて同様だ。

武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。




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構えあって構えなし。



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打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ




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勝負とは、敵を先手、先手と打ち負かしていくことであり、

構えるということは、敵の先手を待つ心にほかならない。

「構える」などという後手は邪道なのである。



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一生の間、欲心を思わず。



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平常の身体のこなし方を戦いのときの身のこなし方とし、

戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とすること。




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われ事において後悔せず。



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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:55Comments(0)尊敬する人物

日蓮聖人へのあこがれ

2010年05月14日

私は幼稚園の頃からジャンヌ・ダルクとマザー・テレサに憧れていた。

小さい頃は気付かなかったが、今にして思えばどの御方も「不惜身命の信仰者」であり、「ゆるぎない愛と信念の人」であり、「誰よりも国民を愛した女性」ですね。


平穏に生きようと思えば生きられたのに、その安寧を投げうち、国のため、人々のためにたとえ理解されずとも立ち上がり、一人戦い続けた。そのお姿は、私には悲しみに満ちながらもまるで太陽のようにかがやいてみえる。

で、今年になってそんな私の「信仰者」「愛国」「愛と信念」のキーワードど真ん中な方が男性あらわれた。

日蓮聖人ですよ。

日蓮聖人すごくね?

寺を焼かれ、命を狙われ迫害されつづけ、死刑にされかけてもなお国のため民のために声をあげつづけられたんですよ。

私には真似ができるだろうか。できるわけがありませんね。

あるリーディングの方(うちの宗派とはまったく関係ない人)によると、この十年は「まさしく第2の元寇の危機の時代」だそうです。

彼には去年「皇居にミサイルをおとす北朝鮮の計画」がビジョンとして見えていたのだという。同じ時期に突然でてきた幸福実現党がまったく同じ主張したことに驚き、自分は幸福の科学のことはよくわからないが、幸福実現党の行動は意味があるのだと思ったという。そして彼のリーディングの目にはいま、「中国・北朝鮮連合軍が沖縄に攻め入るビジョン」がみえているそうだ。

それを聞いて戦慄が走ったと同時に、ああ、やはり時の政府の平和ボケと内紛はいつの時代も同じなんだなぁと思いました。

第2の元寇の時代、日蓮聖人ならばどうなさるだろうか。

私にはリーディング能力はないが、それでも数年前から「沖縄が中国軍に攻め込まれる」夢を何度かみている。リアルなことに、奄美沖で中国海軍と海上自衛隊の艦隊がにらみ合ってるのまでついていた。(笑)

これは妄想なのだろう。幸福実現党のいうことも、リーディングの彼の見ているビジョンも、私の繰り返し見る夢も、すべては妄想なのだろう。

ただ、私は日蓮聖人に祈る。

どうか聖人様の勇気をお分けくださいと。

妄想になってほしい。



どうか、日米安保を護れ。

日本の民が日本を護れ。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:07Comments(4)尊敬する人物

立正安国論~Wikipediaより

2010年03月26日

立正安国論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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立正安国論(りっしょうあんこくろん)は、日蓮宗を開いた日蓮が文応元年(1260年)に得宗(元執権)北条時頼に提出するために撰述した文章。日蓮本人が文永6年(1269年)に筆写したとされる本が法華経寺にあり(国宝)、他にも直弟子などによる写本が多数伝わる。更に真言密教批判などを加えた増補本(「広本」)が本圀寺にある。

正嘉年間以来、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだ。当時鎌倉にいた日蓮は立正安国論撰述の前年『守護国家論』を撰述したのに続いて、宗教家としての憂慮から政治・宗教のあるべき姿を当時鎌倉幕府の事実上の最高指導者である北条時頼に提示するために駿河国実相寺に籠って執筆した。後にこの書を持参して実際に時頼に提出している。

この中で日蓮は災害の原因を人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法(邪悪な教え)を信じているからであるとして対立宗派を非難し、法華経だけではなく鎮護国家の聖典とされた金光明最勝王経なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱、外国からは侵略を受けると唱え、逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)、国家も国民も安泰となる(「安国」)と主張したのである。

具体的には、当時の漁民に継承された蝦夷の哲学と法華経に秘められた数の奥義が一致することから、自然界の妙法を説いた法華経の正当性を説いたもの。なお、蝦夷の哲学とは、女性の大虫の周期が日の自転周期に一致する事から、その胎から生まれたなん人にも宇宙の理が備わり、日の恩恵を受けているという考え方。

この内容はたちまち内外に伝わり、その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件を招いた上に、禅宗を信じていた時頼からも「政治批判」と見なされて、翌年には日蓮が伊豆国に流罪となった。

ところが時頼没後の文永5年(1268年)にはモンゴル帝国から臣従を要求する国書が届けられて元寇の到来に至り、続いて国内では時頼の遺児である執権北条時宗が異母兄時輔を殺害し、朝廷では後深草上皇と亀山天皇の対立の様相を見せ始めるなど、内乱の兆しを思わせる事件が発生した。これを見た日蓮とその信者は立正安国論をこの事態の到来を予知した予言書であると考えるようになった。日蓮はこれに自信を深め、弘安元年(1278年)に改訂を行い(「広本」)、以後も2回、合わせて3回の「国家諫暁」(権力者への助言)を行うことになる。

この中で日蓮は、“くに”という字を“國”“囻”“国”の3字を使い分けた。 國はLand、囻はNation、国はStateの義であろうとされている





私は日蓮宗系ではありませんが、日蓮さまを尊敬しています。

他宗への激しい排他性は今では賛否わかれるところですが、しかし国難という非常時に、ただ独り立ち、どのような方便をつかってでも正しき道へ人々を導かんとなさったお姿は、とても常人が真似できるものではないと思います。

宗教家でさえも安寧にあぐらをかき、国難を国難とも思わず、目先の損得のみにとらわれていた時代、死を覚悟して孤独のなかから教えをひろめ、それによって国を救わんとされた大きな愛と不惜身命のお姿は、あまりに尊く、また悲しいのです。

いつか、日蓮聖人さまゆかりの地を訪ねたい。そう思います。


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 12:24Comments(0)尊敬する人物