イサナさん通信1
2017年09月09日
特に書きたい文章がない時は、イサナさんにおまかせ。
(でもイサナさんに書いていただくと、ほとんど私へのダメだしになるというwww)
守護霊ってこんな方ばっかなの?ねぇねぇ。
__________
このような機会を与えていただきまことにありがとうございます。
私の言葉は、この機会を与えてくれたこの者への言葉となります。
あなたは本日、さる方とのやり取りの中で
「歴史」について尋ねられました。
それについて、私が感じましたことをお伝えしたく思います。
本日いただいた言葉は、あなたにとってとても重要な言葉です。
歴史に対して一面的に見てはならないこと。
一般的に伝えられている歴史とは一面的なものでしかないということ。
一般的に伝えられていない歴史も含め、すべての物事は多角的に見なければならないということ。
すべては推論であり確定論ではないので、断定してはいけないということ。
それらをバランスよく理解する知性がなければ自分は惑わす側であり同時に惑わされる側であること。
検証の力とは知性に比例するものであり、検証を大切にすること。
どうして私があなたにこれをお伝えになるのか分かりますか?
あなたは、これらのことを、自分では「できているつもり」と思っていましたね。
ですが実際には、あなたはまだその階にも立っておりませんでした。
そのことをどうかさらにさらに自己理解していただきたいのです。
どうして私がいま自覚という言葉を使わないのかも含めて、
あなたに、もっとあなた自身のことを知っていただきたいのです。
あなたはとても素直で、周りの方々からのすぐれた情報を乾いた砂地が水を含むように吸収しておられる。
けれども、あなたは一方であなた自身に対して多くの無知と自惚れがあります。
どうか、もっと謙虚さを持たれてください。
情報への謙虚さ、
他者への謙虚さ、
歴史への謙虚さ、
それは、関わるすべてのものへの敬意です。
敬意のない振る舞いや感情は、すべてあなたの言葉に宿ります。
あなたはいつかしら敬意を忘れ、また軽んじて、
知らずしらず、自らをえらしとされています。
あなたは思っておられるでしょう。
「他の人と比べたら、私は歴史や情報への敬意を持っている」と。
よいですか?
それがあなたの過ちであることをまずご理解ください。
「他の人と比べる」こと、これが大きな過ちです。
あなたがいま学んでおられる神の御教えに、
「他者との比較」は説かれておられますでしょうか?
そうではないはずです。
ならば、あなたの本音に他者との比較で自分を上位に置くその心の動き自体が、
あなたの過ちであり、あなたの心の未熟さであることを、
どうかご理解いただきたいのです。
私はあなたを叱ってはおりません。
あなたを責めてもおりません。
よいですか?
私があなたにこれを伝えるのは、
あなたがこの事実を教えてくれることを望んでおられるからです。
だから私はあなたにお伝えいたします。
「他者との比較」によってご自分の優位性を確認することをおやめください。
他者との比較でもたらされる優劣や幸不幸に、どれほどの価値があるのでしょうか?
あなたは常々言われています。
人は外見ではない、生まれでもない、心だと。
だから、外見や生まれや、この世的なものの見方で人を判断するのではなく、その人の持つ心で判断すべきであると。
そうであるならば、あなたもまた、他者との比較で優位かどうかを持つ必要はないのです。
他者との比較は、この世的なものの見方であるからです。
神は、それぞれの方に、それぞれの役割と光を宿されました。
光である者同士が、何故に比べ合い、上か下かを競わねばならないのでしょうか。
あなたご自身がそこに気づいていただきたいのです。
ご自身が他の人と比べて優位だと思う心、
そこに、あなた自身が唾棄する「差別」があるのです。
本当の差別心とは、
(野崎注・これは仏教における「差別観」のことだと思われる)
自身を優位に置くことでも、他者を蔑むことでもなく、
それぞれの個性の光を尊重することです。
ですから、他者と自分を比べてしまう時点で、
それは本来の差別心ではなく、
優劣を競うあさましき名誉心ではないでしょうか?
その欲心が、差別となり、様々なる苦しみをつくるのであれば、
どうかあなたに、歪みとなる「差別」ではなく、
元なる「差別心」すべてのものに宿りし個性への尊重を理解していただきたいと願います。
全てのものに個性という光を投げかけられた神の御心を慮れば、
他者との比較は、まことにまことに愚かしいことではないでしょうか。
私のお伝えしていることは、あなたのごくわずかな部分を指摘していると思われるでしょう。
けれども、これを些末事と思わず、
あなたがあなたの持つわずかな部分の緩みに目を留めていただき、
それを積極的に善き方向へ舵を傾けていただくこと、
ここに、あなたの持つ神の光がさらにさらに輝くための精進の道があるのではないかと、
私は感じるものです。
どうか、ご自身を大切にしていただきたいと思います。
ご自身が大目に見ている内心のわずかなる緩み、綻びが、
あなたの知らぬところで人を傷つけたり、自分自身を傷つけたりしているからです。
どうか、私の言葉をお心に留めていただき、
他者と比較することなく、
あなたが関わるすべての方々への敬意と謙虚さを、さらにさらに深めていただきますことを、
心より願うものです。
ありがとうございました。
(でもイサナさんに書いていただくと、ほとんど私へのダメだしになるというwww)
守護霊ってこんな方ばっかなの?ねぇねぇ。
__________
このような機会を与えていただきまことにありがとうございます。
私の言葉は、この機会を与えてくれたこの者への言葉となります。
あなたは本日、さる方とのやり取りの中で
「歴史」について尋ねられました。
それについて、私が感じましたことをお伝えしたく思います。
本日いただいた言葉は、あなたにとってとても重要な言葉です。
歴史に対して一面的に見てはならないこと。
一般的に伝えられている歴史とは一面的なものでしかないということ。
一般的に伝えられていない歴史も含め、すべての物事は多角的に見なければならないということ。
すべては推論であり確定論ではないので、断定してはいけないということ。
それらをバランスよく理解する知性がなければ自分は惑わす側であり同時に惑わされる側であること。
検証の力とは知性に比例するものであり、検証を大切にすること。
どうして私があなたにこれをお伝えになるのか分かりますか?
あなたは、これらのことを、自分では「できているつもり」と思っていましたね。
ですが実際には、あなたはまだその階にも立っておりませんでした。
そのことをどうかさらにさらに自己理解していただきたいのです。
どうして私がいま自覚という言葉を使わないのかも含めて、
あなたに、もっとあなた自身のことを知っていただきたいのです。
あなたはとても素直で、周りの方々からのすぐれた情報を乾いた砂地が水を含むように吸収しておられる。
けれども、あなたは一方であなた自身に対して多くの無知と自惚れがあります。
どうか、もっと謙虚さを持たれてください。
情報への謙虚さ、
他者への謙虚さ、
歴史への謙虚さ、
それは、関わるすべてのものへの敬意です。
敬意のない振る舞いや感情は、すべてあなたの言葉に宿ります。
あなたはいつかしら敬意を忘れ、また軽んじて、
知らずしらず、自らをえらしとされています。
あなたは思っておられるでしょう。
「他の人と比べたら、私は歴史や情報への敬意を持っている」と。
よいですか?
それがあなたの過ちであることをまずご理解ください。
「他の人と比べる」こと、これが大きな過ちです。
あなたがいま学んでおられる神の御教えに、
「他者との比較」は説かれておられますでしょうか?
そうではないはずです。
ならば、あなたの本音に他者との比較で自分を上位に置くその心の動き自体が、
あなたの過ちであり、あなたの心の未熟さであることを、
どうかご理解いただきたいのです。
私はあなたを叱ってはおりません。
あなたを責めてもおりません。
よいですか?
私があなたにこれを伝えるのは、
あなたがこの事実を教えてくれることを望んでおられるからです。
だから私はあなたにお伝えいたします。
「他者との比較」によってご自分の優位性を確認することをおやめください。
他者との比較でもたらされる優劣や幸不幸に、どれほどの価値があるのでしょうか?
あなたは常々言われています。
人は外見ではない、生まれでもない、心だと。
だから、外見や生まれや、この世的なものの見方で人を判断するのではなく、その人の持つ心で判断すべきであると。
そうであるならば、あなたもまた、他者との比較で優位かどうかを持つ必要はないのです。
他者との比較は、この世的なものの見方であるからです。
神は、それぞれの方に、それぞれの役割と光を宿されました。
光である者同士が、何故に比べ合い、上か下かを競わねばならないのでしょうか。
あなたご自身がそこに気づいていただきたいのです。
ご自身が他の人と比べて優位だと思う心、
そこに、あなた自身が唾棄する「差別」があるのです。
本当の差別心とは、
(野崎注・これは仏教における「差別観」のことだと思われる)
自身を優位に置くことでも、他者を蔑むことでもなく、
それぞれの個性の光を尊重することです。
ですから、他者と自分を比べてしまう時点で、
それは本来の差別心ではなく、
優劣を競うあさましき名誉心ではないでしょうか?
その欲心が、差別となり、様々なる苦しみをつくるのであれば、
どうかあなたに、歪みとなる「差別」ではなく、
元なる「差別心」すべてのものに宿りし個性への尊重を理解していただきたいと願います。
全てのものに個性という光を投げかけられた神の御心を慮れば、
他者との比較は、まことにまことに愚かしいことではないでしょうか。
私のお伝えしていることは、あなたのごくわずかな部分を指摘していると思われるでしょう。
けれども、これを些末事と思わず、
あなたがあなたの持つわずかな部分の緩みに目を留めていただき、
それを積極的に善き方向へ舵を傾けていただくこと、
ここに、あなたの持つ神の光がさらにさらに輝くための精進の道があるのではないかと、
私は感じるものです。
どうか、ご自身を大切にしていただきたいと思います。
ご自身が大目に見ている内心のわずかなる緩み、綻びが、
あなたの知らぬところで人を傷つけたり、自分自身を傷つけたりしているからです。
どうか、私の言葉をお心に留めていただき、
他者と比較することなく、
あなたが関わるすべての方々への敬意と謙虚さを、さらにさらに深めていただきますことを、
心より願うものです。
ありがとうございました。