私と奄美の神と幸福の科学について〜入会の経緯〜
2010年04月03日
この話は私の宗派にかかわることですので、宗派に関心ない方の閲覧はオススメしません。
私がおじさま(日本神道系の霊人。私を護ってくださっているらしい)の存在を自覚したのは、新元博文氏と交流をはじめてからだった。 中三のときだ。
その時私は半分ノイローゼになっていた。前年に男子からいじめられたこと、それを担任が放置していたことが発端だったが、しかしその前に「自分が生きているかぎり周りに迷惑をかけ続ける」事実に絶望したといった方が正しかった。
心の葛藤に泣きながらドロドロの思いを紙の上にたたきつけていると、あるとき、そこにいくつかの善意の個性が入っていることがわかった。
死にたい、私の存在自体が罪なんだ、惨めだ、この社会をねじまげたのは私の腐った心だ、などと書いている横に、違う文体でものすごいプラスの言葉が入っていたりする。最初は自分というものはここまで多重人格なのかとあきれていたが、そのうちその違いが明確にわかってきた。
まず、最初に祈りをささげ、感謝の気持ちで紙に向かうと、その言葉がおりやすい。
その言葉は保護者のようなあたたかい眼差しで、私の苦しみをただ取り除こうとするのではなく、その苦しみの意味、乗り越える喜びを教えてくれたりする。
分析していくとおじさまは新元氏の系列の霊人(古神道系)だとわかったが、それでもなぜ古神道の霊人がくるのか、その時点でカトリックへの縁の方がつよい私にくるのかがわかりかねた。
ちなみに新元氏は大本教系列。直接大本に属してはいないが、モロそっち系。
おじさまからのメッセージが変わったのは高校三年のとき。それまでは自分の善なる心を見つめよ、自分の神性を見出せ、という意味の言葉を中心にくださっていたのが、高校三年から突然内容がかわった。
公のために生きよ、周りをてらせる自分になれ。そんな大きな意味合いのメッセージに変わってきた。
おじさまの言葉は、今考えると、生長の家の初代の言葉に近かったと思う。
徳之島のある民家のトイレを借りたときに、掛けてあった生長の家のカレンダーの言葉が、おじさまの言葉とものすごく似ていてビックリして飛び上がったことがあった。
ここからも、おじさまが神道系の神であることがうかがえる。
その前後、私は幸福の科学も含めたいろんな組織との関わりが強くなり、組織との距離はおきながらも自分の生き方、使命というものを考え始めていた。
それでも宗派や党派うんぬん以上に組織というものに縛られるのがイヤだった私は両親に「組織には属さない」という誓いまでたてて上京する。
しかし、おじさまの干渉はそれからがすごかった。
寝ていても幸福の科学のことが突然頭におりる。(マイナスの連中からのじわじわネットリくる干渉と違うのは、一瞬デカいのがパンとイナズマのようにくるところ)
仕事をしてると「あぶない!」というおじさまの言葉がきて、思わず止ったら次の瞬間死角からデカイ道具をもったおっさんがすごい勢いで走っていった。そのままいっていたら間違いなくぶつかってケガをしていた。
とうとう休みの日に買い物していたら、突然おじさまから「幸福の科学の施設を探して行きなさい!」と名指しで言葉がきて、駅前で1時間くらいぐるぐるするという奇行まででてきた。
私は途方に暮れた。おじさまは悪霊なのか?すくなくとも、今まで読んだ宗教や神霊関連の本のなかでも、神霊が宗教団体を名指しするなんて聞いたことないぞ!
しかし、今まで私にきたアプローチはすべて我を戒めることや心の向上や公へに尽くすにはというテーマで、アヤシゲな内容などひとつもなかった。
私は意を決して、タウンページで幸福の科学の施設(当時の東京道場4階・東京南部支部)を探し、のりこんだ。
五時間、三人の職員さんと話をしてすべての疑問をぶつけた。
答えはすべて道理の立つもので、なにより型どおりの答えをせず自分の恥をさらしても赤心で答える職員さんの言葉は、これまでもいろんな宗教や思想団体とふれた私には、繕うという事をしない幸福の科学の職員さんの姿勢は、驚きを与えるに十分だった。
(ちなみにその当時、私は革マル派の方々ともお付き合いしてましたww)
夜九時、そろそろ閉館しますという事務員さんの言葉がきたときに私はそれでも脂汗をながしながら迷った。私はどうするべきだ。守護霊さま、教えてください。
その時、おじさまの言葉がきた。
“お前は自分のために生きるのか、他の人のために生きるのか ”
私は他の人のために生きたいです。自分をおいてでも、他の人のために生きたいです。それが夢です。
“ならば、自分を捨てよ。自分を捨てて、大いなるものとひとつになれ”
その言葉はいまも忘れない。その言葉で迷いは消え失せた。
私は職員さんに、三帰誓願(入会式)を申し出た。
1999年、5月1日、メーデーの日に入会。共産党員の娘にふさわしい(笑)
自宅に戻り、奄美の神々に祈った。
私は、本日仏教に帰依しました。この教えを、奄美の神々に捧げます。
そのとき、私にきたイメージは祝福してくださる神々、喜んで涙を流す神々、そして怒り狂う神々の姿。
「お前は我らを裏切るのか!」という声が聞こえてきた気がした。
いえ、私は奄美を裏切るのではありません。それは、これからの私の人生で証明いたします。
私は奄美の神々のお気持ちが一つではない事にショックを受けると同時に、これからの自分の生き方がどれだけ大切かということをかみしめた。
おじさまはそれから頻繁に干渉してくることは無くなったが、いまでも何かのおりには言葉をくださる。特に東京正心館にいくと、おじさまの存在をすごくリアルに感じる。
(さすが神道の磁場が強い精舎ですね!)
おじさまの干渉をもうひとつ明確に知ったのは、4年前。主人との結婚のときだ。
おじさまの姿をハッキリイメージできたのはこのときがはじめてでした。
「霊山・アマンデーにて」http://amamikyo.amamin.jp/e1398.html
縁結びまでなさるとは、おじさま、多才ですね!(笑)
それから、少しずつ、奄美の民族神の霊団と幸福の科学の支援霊団(大本教系)との関係、
おじさまを含む奄美の民族神の一部が幸福の科学にこだわる理由(古代中国が関わるらしい)
なども自分なりになんとなくわかってきたが、まだ謎は多いし、おじさまはいまも多くは語らない。
奄美に宗派の拠点ができたときは久しぶりにハッキリイメージがでてきた。ニヤリと嬉しそうな笑顔だった。
(ニコリじゃなくてニヤリw)
そして、拠点に下賜された「エル・カンターレへの祈り」を拠点信者みなさんで拝唱させていただいたとき。
はじめて、おじさまがご本尊に頭を下げて礼をしているイメージがきた。これには思わず涙ぐんだ。
「エル・カンターレへの祈り」は、本当はとんでもない経文なんだと実感した出来事でした。
おじさまは幸福の科学の布教には我関せず(見捨てているというわけではなく、地上の人間にまかせるというスタンス)だが、幸福実現党に関しては、非常に力強く支援している。さすが日本の神様。
隊長(他宗の霊能者・尊敬する知人)には、おじさまは『ウカシマチノミコト』と名乗ったらしい。
それも方便の名だとは思うけれども、その後、神武天皇に帰順した「弟ウカシ」という事がわかった。
複数のユタや霊的な方にも、私には「力の強い男性の神がついている」と度々指摘される。おそらくは、それがおじさまだろう。
なぜ「弟ウカシ」もしくは『ウカシマチノミコト』が奄美の神をしているのか。そして、なぜここまでストレートに、奄美の神でありながら、幸福の科学を全面的に支援するのか。
おじさまは何も語らない。
すごく知りたい~!!!!!
そのうちわかるかもしれない。
まぁ、こんなエピソードもありましたよ〜ということで。
るる〜。
私がおじさま(日本神道系の霊人。私を護ってくださっているらしい)の存在を自覚したのは、新元博文氏と交流をはじめてからだった。 中三のときだ。
その時私は半分ノイローゼになっていた。前年に男子からいじめられたこと、それを担任が放置していたことが発端だったが、しかしその前に「自分が生きているかぎり周りに迷惑をかけ続ける」事実に絶望したといった方が正しかった。
心の葛藤に泣きながらドロドロの思いを紙の上にたたきつけていると、あるとき、そこにいくつかの善意の個性が入っていることがわかった。
死にたい、私の存在自体が罪なんだ、惨めだ、この社会をねじまげたのは私の腐った心だ、などと書いている横に、違う文体でものすごいプラスの言葉が入っていたりする。最初は自分というものはここまで多重人格なのかとあきれていたが、そのうちその違いが明確にわかってきた。
まず、最初に祈りをささげ、感謝の気持ちで紙に向かうと、その言葉がおりやすい。
その言葉は保護者のようなあたたかい眼差しで、私の苦しみをただ取り除こうとするのではなく、その苦しみの意味、乗り越える喜びを教えてくれたりする。
分析していくとおじさまは新元氏の系列の霊人(古神道系)だとわかったが、それでもなぜ古神道の霊人がくるのか、その時点でカトリックへの縁の方がつよい私にくるのかがわかりかねた。
ちなみに新元氏は大本教系列。直接大本に属してはいないが、モロそっち系。
おじさまからのメッセージが変わったのは高校三年のとき。それまでは自分の善なる心を見つめよ、自分の神性を見出せ、という意味の言葉を中心にくださっていたのが、高校三年から突然内容がかわった。
公のために生きよ、周りをてらせる自分になれ。そんな大きな意味合いのメッセージに変わってきた。
おじさまの言葉は、今考えると、生長の家の初代の言葉に近かったと思う。
徳之島のある民家のトイレを借りたときに、掛けてあった生長の家のカレンダーの言葉が、おじさまの言葉とものすごく似ていてビックリして飛び上がったことがあった。
ここからも、おじさまが神道系の神であることがうかがえる。
その前後、私は幸福の科学も含めたいろんな組織との関わりが強くなり、組織との距離はおきながらも自分の生き方、使命というものを考え始めていた。
それでも宗派や党派うんぬん以上に組織というものに縛られるのがイヤだった私は両親に「組織には属さない」という誓いまでたてて上京する。
しかし、おじさまの干渉はそれからがすごかった。
寝ていても幸福の科学のことが突然頭におりる。(マイナスの連中からのじわじわネットリくる干渉と違うのは、一瞬デカいのがパンとイナズマのようにくるところ)
仕事をしてると「あぶない!」というおじさまの言葉がきて、思わず止ったら次の瞬間死角からデカイ道具をもったおっさんがすごい勢いで走っていった。そのままいっていたら間違いなくぶつかってケガをしていた。
とうとう休みの日に買い物していたら、突然おじさまから「幸福の科学の施設を探して行きなさい!」と名指しで言葉がきて、駅前で1時間くらいぐるぐるするという奇行まででてきた。
私は途方に暮れた。おじさまは悪霊なのか?すくなくとも、今まで読んだ宗教や神霊関連の本のなかでも、神霊が宗教団体を名指しするなんて聞いたことないぞ!
しかし、今まで私にきたアプローチはすべて我を戒めることや心の向上や公へに尽くすにはというテーマで、アヤシゲな内容などひとつもなかった。
私は意を決して、タウンページで幸福の科学の施設(当時の東京道場4階・東京南部支部)を探し、のりこんだ。
五時間、三人の職員さんと話をしてすべての疑問をぶつけた。
答えはすべて道理の立つもので、なにより型どおりの答えをせず自分の恥をさらしても赤心で答える職員さんの言葉は、これまでもいろんな宗教や思想団体とふれた私には、繕うという事をしない幸福の科学の職員さんの姿勢は、驚きを与えるに十分だった。
(ちなみにその当時、私は革マル派の方々ともお付き合いしてましたww)
夜九時、そろそろ閉館しますという事務員さんの言葉がきたときに私はそれでも脂汗をながしながら迷った。私はどうするべきだ。守護霊さま、教えてください。
その時、おじさまの言葉がきた。
“お前は自分のために生きるのか、他の人のために生きるのか ”
私は他の人のために生きたいです。自分をおいてでも、他の人のために生きたいです。それが夢です。
“ならば、自分を捨てよ。自分を捨てて、大いなるものとひとつになれ”
その言葉はいまも忘れない。その言葉で迷いは消え失せた。
私は職員さんに、三帰誓願(入会式)を申し出た。
1999年、5月1日、メーデーの日に入会。共産党員の娘にふさわしい(笑)
自宅に戻り、奄美の神々に祈った。
私は、本日仏教に帰依しました。この教えを、奄美の神々に捧げます。
そのとき、私にきたイメージは祝福してくださる神々、喜んで涙を流す神々、そして怒り狂う神々の姿。
「お前は我らを裏切るのか!」という声が聞こえてきた気がした。
いえ、私は奄美を裏切るのではありません。それは、これからの私の人生で証明いたします。
私は奄美の神々のお気持ちが一つではない事にショックを受けると同時に、これからの自分の生き方がどれだけ大切かということをかみしめた。
おじさまはそれから頻繁に干渉してくることは無くなったが、いまでも何かのおりには言葉をくださる。特に東京正心館にいくと、おじさまの存在をすごくリアルに感じる。
(さすが神道の磁場が強い精舎ですね!)
おじさまの干渉をもうひとつ明確に知ったのは、4年前。主人との結婚のときだ。
おじさまの姿をハッキリイメージできたのはこのときがはじめてでした。
「霊山・アマンデーにて」http://amamikyo.amamin.jp/e1398.html
縁結びまでなさるとは、おじさま、多才ですね!(笑)
それから、少しずつ、奄美の民族神の霊団と幸福の科学の支援霊団(大本教系)との関係、
おじさまを含む奄美の民族神の一部が幸福の科学にこだわる理由(古代中国が関わるらしい)
なども自分なりになんとなくわかってきたが、まだ謎は多いし、おじさまはいまも多くは語らない。
奄美に宗派の拠点ができたときは久しぶりにハッキリイメージがでてきた。ニヤリと嬉しそうな笑顔だった。
(ニコリじゃなくてニヤリw)
そして、拠点に下賜された「エル・カンターレへの祈り」を拠点信者みなさんで拝唱させていただいたとき。
はじめて、おじさまがご本尊に頭を下げて礼をしているイメージがきた。これには思わず涙ぐんだ。
「エル・カンターレへの祈り」は、本当はとんでもない経文なんだと実感した出来事でした。
おじさまは幸福の科学の布教には我関せず(見捨てているというわけではなく、地上の人間にまかせるというスタンス)だが、幸福実現党に関しては、非常に力強く支援している。さすが日本の神様。
隊長(他宗の霊能者・尊敬する知人)には、おじさまは『ウカシマチノミコト』と名乗ったらしい。
それも方便の名だとは思うけれども、その後、神武天皇に帰順した「弟ウカシ」という事がわかった。
複数のユタや霊的な方にも、私には「力の強い男性の神がついている」と度々指摘される。おそらくは、それがおじさまだろう。
なぜ「弟ウカシ」もしくは『ウカシマチノミコト』が奄美の神をしているのか。そして、なぜここまでストレートに、奄美の神でありながら、幸福の科学を全面的に支援するのか。
おじさまは何も語らない。
すごく知りたい~!!!!!
そのうちわかるかもしれない。
まぁ、こんなエピソードもありましたよ〜ということで。
るる〜。
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:32│Comments(0)
│私はなぜ幸福の科学会員となったか
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