しーまブログ 日記/一般奄美大島 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

【愛知県人さん】寄稿

2012年07月17日

ちょっと ひと息。

最近、ブログの中の記事が硬めなので、
小生のとりとめもない話が浮いてます。

それは小生にとって
とてもうれしいことです。
(場をわきまえよ、って方、スミマセン)

とは、言っても、
小生は少々変わり者なので、
時々堅苦しい表現になりますし、
気の向くままなのはご容赦を。

愛知県人アンチの方。
コメ、待ってます。

"おい、これぐらいの話しろ、とか。"

何か、反応があると嬉しい年頃。


今日は小生の母の話。

母は、子供の時には、4歳年上のお兄さんに負けない、
男勝りの女の子だったそうです。

しかし、一旦風邪を引くと、
生まれつき扁桃腺が大きかったため、
炎症がひどくなり、なかなか治らなかったそうでした。
(すぐに、扁桃炎になる)

時は昭和20年代、
貧乏な母の家は、良い病院で見てもらうことができなかった、
肥大した扁桃腺の切除手術をなかなか受けることが出来ず、
しかし、普通の子より、上級学年で、手術を受けることになりました。

年齢を重ねた分、扁桃腺も大きくなっており、
手術は大変長時間に及んだそうです。

執刀中から、あまり状況は思わしくなく、
祖母は付きっ切りだったそうですが、
医師からは、半ば覚悟をしておいてもらいたいという
言葉もかかったそうです。
(思ったほど出血が多かった)

その頃、母は、
ベットに寝ている自分の姿を、ベットの上から見ていたそうです。
(幽体離脱か?)

その後、意識は河辺?に行ったそうです。
川の向こう側から、
『おいで~、おいで~』
と、何人のもの人の声が聞こえたそう。

川の反対側では、自分を引っ張る(離さない)手がある。
どうしたものかと思っていたら、
男の人の大きな声で、
▲▲(母の名前)、お前はまだ早い!!
と、言われたそう。

その瞬間、母を握っていた手が、祖母の手だったことに気づいた。
母の意識が、病院のベッドの上に戻っていたそうです。

長い時間、意識が無かったそうです。
ちなみに、
それを、母は、腹膜炎(盲腸の悪化した症状)時にも体験したと言う。

母は、その川が三途の川で、声の主は戦争で無くなった祖父だと考えています。
母と、祖母にその時のリアルな話をきくと、事実としか思えない。
私は2回も行って、戻ってきたと胸を張る。

そんな母から生まれた小生は、生まれた時に、
へその緒が首に二重にからまって、仮死状態で出てきた
困ったちゃんです。

自分の体験ではないといえ、母から真面目に話されると
否定はできんな。 というのが小生の見解。

母がそのまま帰ってこなかったら、小生が出生時に旅立っていたら、
ここのブログには全く縁の無かったかもしれない。

細い縁で繋がっていますね。 
何事も、そうですな。


同じカテゴリー(愛知県人さん)の記事画像
箸休め・愛知県人さんの趣味の愛車
【愛知県人さん】秋介さんに会う3
同じカテゴリー(愛知県人さん)の記事
 【愛知県人さん】久しぶりに白眉な記事 (2015-08-06 23:52)
 箸休め・愛知県人さんの趣味の愛車 (2013-12-07 18:05)
 【愛知県人さん】とうこう。 (2013-07-19 23:04)
 【愛知県人さん】奄美紀行 5 (2013-03-14 22:33)
 【愛知県人さん】奄美紀行4 (2013-03-12 00:06)
 【愛知県人さん】奄美紀行3 (2013-03-01 23:16)

Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:52│Comments(2)愛知県人さん
この記事へのコメント
誰かの言葉で「人生はマラソンというよりも駅伝である。自分が受けたバトンは、それぞれの形で次の人につながないと流れが終わってしまう。いくら辛くても途中棄権はいけない」という言葉を思い出しました。
Posted by ふりふり at 2012年07月19日 07:32
>ふりふりさん。

駅伝は日本が発祥の地と
聞いたことがあります。
飛脚制度の名残とも。

皆様のお知恵を頂きながら
途中棄権することなくつないで生きたい。

でも、勇気を持って
休憩することも、
何もかも自分が背負わなくても
いいんですよ。
ね。
Posted by 愛知県人 at 2012年07月21日 01:44
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
【愛知県人さん】寄稿
    コメント(2)