因果をやぶる方法講座~先輩との会話
2010年02月23日
ヤボ用があって久々に東京の会社の先輩に電話をかけた。
「あー、アマちゃん?胃ぃ痛いねぇ~。あのさー、気持ちはうれしいんだけど、あまり気を抜かないでくれる?」
「えーん!(ノд;)そう言われるのも懐かしいけどごめんなさーい!」
「ま、いいんだけどね・・・アマちゃんと電話したらいつもこうだし・・・。リラックスすると“放散”するんだよね~。」
「それがわかればこんなご迷惑おかけしないんですが・・・」
「ははははは、早くわかるようになるといいね~。で、何?」
「(中略)なわけでしてね。・・・・で、そちらはどうですか?」
「ああ、最近も面白いことがあってね・・・(中略)でね・・・そうそう、アマちゃんの好きそうな話があったよ。」
「え?なんすかなんすか?」
「うちの知り合いでさー、自分の使命にやっと気づいた人がいたんだわ。(仮にA君と呼びます)
A君はいままで自分の得意分野いかして適当にふらふらしてたんだけどね。天啓があってね、やっとやるべきことがわかったらしいのよ。ああ、今まで自分がしてきたことは回り道だった。本当はこの道をいくべきだったって。
で、天啓いただいて、よし、もうこの道をいくぞって決めて。帰宅した途端に、電話がなったんだって。
得意分野の仕事の、ものすごいお得意さんからの大きな仕事依頼だったそうなんだよね。
でもその日は、いくぞって決めた道の大事な日と重なってた。
で、その人は、結局選んじゃったのよ。今までと同じ仕事の依頼を。
もうその時点でね、先生と私は「ああ、この人は“先へすすむ覚悟”がないんだなぁ・・・」てね。いろんな言い訳はつけてたよ。でも、ねぇ。わかる?」
「ええ、わかります。うち、よくそういうことありますもんね・・・なつかしいなぁ~」
「霊的にもこの世的にもそうなんだけどさ、因果の法則から抜ける秘訣は、『これまでと同じパターンでの自己判断をしない』ことなんだよね。
でも、因果の法則から抜けようとするときは、かならず『試し』がくるからね。“あなたの気持ちはホンモノですか?”ってね(笑)
それにまんまとひっかかっちゃう人がまた多いこと・・・・」
「うわー!!!先輩、その言葉スゴイっすよ!!!メモメモ!」
「なにしてんの?こんなの当たり前じゃん?(笑)奄美にこもって鈍った?(笑)」
「はい、かなり(笑)」
「でも、ホント『試し』くるんだよね~。(笑)でもさ、やっぱりさ、その試しにのまれるのはさ、結局、自己防衛とかさ、慢心とかさ、恐怖心とかさ、全部まとめて『本人のエゴ』なんだよね。アマちゃんならわかるでしょう?」
「はははははは!それ、昔の私を皮肉ってます?(笑)はい、イヤというほどわかります(笑)マジ、『我』ってキッツイですよね~。それが今までの価値基準なんだから。
そこから脱皮して今までとまったく正反対の判断とらなきゃいけないときなんて、ホント、死ぬ思いですもんね。」
「それも、越えてみて振り返ったら、ホントつまんない価値観だったんだなってわかるんだけどね。(笑)」
「その繰り返しですよね!(笑)でも、何回しても越える時はキッツイ(笑)あー、ホント師匠すげーなー。」
「アマちゃん、早く精進しないと、このまんまじゃおいていかれるかもよ?(笑)先生、まだまだすごいレベルアップなさってるから」
「マジで~!?もう、それ以上いいですよ、先生~!」
「私、全然まだ自分に甘いって、先生みててすごく思うもん。」
「先輩が勉強不足なんてゆったら、私なんかミトコンドリアですよ(笑)」
そういや、東京いたときによくあったな~。
ものすごく考えて考えてだした答えが、師匠から「あなたの考えてる土台そのものが自分本位なんです。そんな土台でいくら考えても結局は逆周りですよ。この問題は~という目で見るべきなんです。素直に神仏の目に合わせなさい。」て一刀両断だったからな~。
そのたびに吐きそうなくらい苦しくてね。でも、そんときに師匠に合わせるか自分の価値観をとるかで、考え方のパターン(=人生の方向性)という因果をこえられるかどうかが分かれ目だったんだよな~。
その吐きそうなほど重たい価値観の転換の積み重ねが、自分のカラをすこしづつ薄皮はぐように、でも確実にぺりぺりむいていったんだよなぁ・・・・。
まだまだ道の入り口にも立っていない自惚れと卑下のかたまりな私だけど、それでも「自分を向上させるということは、新しい選択をするということなのだ」というのだけはたしかに勉強になった。
うーん。なつかしい~。あー、東京いきてー。
そんな思い出で、しばらく目を細めているアマちゃんでありました。
「あー、アマちゃん?胃ぃ痛いねぇ~。あのさー、気持ちはうれしいんだけど、あまり気を抜かないでくれる?」
「えーん!(ノд;)そう言われるのも懐かしいけどごめんなさーい!」
「ま、いいんだけどね・・・アマちゃんと電話したらいつもこうだし・・・。リラックスすると“放散”するんだよね~。」
「それがわかればこんなご迷惑おかけしないんですが・・・」
「ははははは、早くわかるようになるといいね~。で、何?」
「(中略)なわけでしてね。・・・・で、そちらはどうですか?」
「ああ、最近も面白いことがあってね・・・(中略)でね・・・そうそう、アマちゃんの好きそうな話があったよ。」
「え?なんすかなんすか?」
「うちの知り合いでさー、自分の使命にやっと気づいた人がいたんだわ。(仮にA君と呼びます)
A君はいままで自分の得意分野いかして適当にふらふらしてたんだけどね。天啓があってね、やっとやるべきことがわかったらしいのよ。ああ、今まで自分がしてきたことは回り道だった。本当はこの道をいくべきだったって。
で、天啓いただいて、よし、もうこの道をいくぞって決めて。帰宅した途端に、電話がなったんだって。
得意分野の仕事の、ものすごいお得意さんからの大きな仕事依頼だったそうなんだよね。
でもその日は、いくぞって決めた道の大事な日と重なってた。
で、その人は、結局選んじゃったのよ。今までと同じ仕事の依頼を。
もうその時点でね、先生と私は「ああ、この人は“先へすすむ覚悟”がないんだなぁ・・・」てね。いろんな言い訳はつけてたよ。でも、ねぇ。わかる?」
「ええ、わかります。うち、よくそういうことありますもんね・・・なつかしいなぁ~」
「霊的にもこの世的にもそうなんだけどさ、因果の法則から抜ける秘訣は、『これまでと同じパターンでの自己判断をしない』ことなんだよね。
でも、因果の法則から抜けようとするときは、かならず『試し』がくるからね。“あなたの気持ちはホンモノですか?”ってね(笑)
それにまんまとひっかかっちゃう人がまた多いこと・・・・」
「うわー!!!先輩、その言葉スゴイっすよ!!!メモメモ!」
「なにしてんの?こんなの当たり前じゃん?(笑)奄美にこもって鈍った?(笑)」
「はい、かなり(笑)」
「でも、ホント『試し』くるんだよね~。(笑)でもさ、やっぱりさ、その試しにのまれるのはさ、結局、自己防衛とかさ、慢心とかさ、恐怖心とかさ、全部まとめて『本人のエゴ』なんだよね。アマちゃんならわかるでしょう?」
「はははははは!それ、昔の私を皮肉ってます?(笑)はい、イヤというほどわかります(笑)マジ、『我』ってキッツイですよね~。それが今までの価値基準なんだから。
そこから脱皮して今までとまったく正反対の判断とらなきゃいけないときなんて、ホント、死ぬ思いですもんね。」
「それも、越えてみて振り返ったら、ホントつまんない価値観だったんだなってわかるんだけどね。(笑)」
「その繰り返しですよね!(笑)でも、何回しても越える時はキッツイ(笑)あー、ホント師匠すげーなー。」
「アマちゃん、早く精進しないと、このまんまじゃおいていかれるかもよ?(笑)先生、まだまだすごいレベルアップなさってるから」
「マジで~!?もう、それ以上いいですよ、先生~!」
「私、全然まだ自分に甘いって、先生みててすごく思うもん。」
「先輩が勉強不足なんてゆったら、私なんかミトコンドリアですよ(笑)」
そういや、東京いたときによくあったな~。
ものすごく考えて考えてだした答えが、師匠から「あなたの考えてる土台そのものが自分本位なんです。そんな土台でいくら考えても結局は逆周りですよ。この問題は~という目で見るべきなんです。素直に神仏の目に合わせなさい。」て一刀両断だったからな~。
そのたびに吐きそうなくらい苦しくてね。でも、そんときに師匠に合わせるか自分の価値観をとるかで、考え方のパターン(=人生の方向性)という因果をこえられるかどうかが分かれ目だったんだよな~。
その吐きそうなほど重たい価値観の転換の積み重ねが、自分のカラをすこしづつ薄皮はぐように、でも確実にぺりぺりむいていったんだよなぁ・・・・。
まだまだ道の入り口にも立っていない自惚れと卑下のかたまりな私だけど、それでも「自分を向上させるということは、新しい選択をするということなのだ」というのだけはたしかに勉強になった。
うーん。なつかしい~。あー、東京いきてー。
そんな思い出で、しばらく目を細めているアマちゃんでありました。
ボランティアの効用・周りからの影響
2010年02月23日
私は自他共に認めるダメ人間だが、お客様によくお褒めの言葉をいただくところがある。
それは言葉遣いの丁寧さと笑顔。
しかし、それは必ずしも自分の育ちではない。育ちはそりゃぁもうアラっぽくて、母がしつけてくれた作法をことごとく忘却の彼方に追いやった親不孝のカタマリである。
かーちゃん、ごみんなさーい!(´;ω;`)ぴー
それでも荒っぽい事この上ない私がどうしてお客様にお褒めの言葉をいただくまでになれたかと言うと、それは師匠の影響と宗派の寺でのボランティアのおかげだろう。
師匠はどんな人にも腰を低くして接する人だった。つねに配慮あるあたたかい言葉と笑顔を絶やさず、それがまったくいやらしくない方だった。従業員にはそりゃあ厳しかったが、それでも必ず間違いを道理を説いて叱っても決して人格を否定することはなかった。
宗派の寺でのボランティアも、実は師匠からの指示だった。仕事していると突然「いまから精舎(宗派では寺をそう呼ぶ)にボランティアにいきなさい。」
私( ;゚Д゚)ぽかーん
なにをするかというと、ひたすら施設内の掃除。そして参拝にいらした信者さんの接待。たしかに言葉遣いや笑顔はすごく勉強になった。しかし、どうもスッキリしない。
私、なにかヘマしたのか?これは左遷か?そうなのか?
そして悶々として帰ってくると、師匠は何も説明せず一言
「させていただいたことに感謝ですよ。」
正直私は「こっちがしてあげてるのに、させていただいたことに感謝とはこれいかに!?」と意味不明。
ますます納得できず悶々とする。
しかしある日、こんな事があった。
がらんとした寺の食堂でテーブルの拭き掃除をしていると、一人の女性が入ってきた。
食堂はティールームのようにもなっているのでよく会員同士の談話や勉強などに使われる。
この方もそうかな?とも思ったが、どうやらそうではないらしい。どこか雰囲気が落ち込んでいる。顔色がくらい。
私はいつものように笑顔で会釈をし、型どおりのボランティアとしての挨拶といくつかの言葉をかけた。
女性は近くの椅子に腰掛けると、しばらく窓の向こうを眺めていた。
そのうちにハンカチをとりだし、そっと目元を拭っていた。
私は女性の邪魔にならないように、黙々とテーブルを拭く。
五分くらいして、女性が立ち上がった。
女性「あの・・・・」
私「え?私ですか?」
女性「はい・・・ありがとうございました」
私「( ゚Д゚)? なにかございましたでしょうか?」
女性「・・・実は、会社の人間関係で疲れてて・・とうとう頭がおかしくなりそうになってさっき無理矢理早退してきちゃったんです。」
私「そうでいらしたんですか」
女性「でも、さきほどボランティアさん(私のこと)からすごいあったかい言葉をかけていただいて・・・なんか、すごい癒されました・・」
私「いえいえ、私ごとき、そんな・・・」
女性「いえ、ホントなんです。なんか、自分はこんな笑顔とか言葉づかいを会社でしてるかなって思ったら、全然できてないなって・・・そしたらなんかスッキリしたんです」
私「もったいないお言葉です。こちらこそありがとうございます!」
女性「ボランティアさんてすばらしいお役目ですね。私でもできますか?」
私「はい!一階の受付で職員さんにおたづねになられてください。オススメはトイレ掃除です!気持ちいいですよ~!」
女性「クスっ(笑)ホント、楽しそうですね。ちょっと行ってきます。ありがとうございました。」
なんか、すごいジーンとしました。ありがたいというか、丁寧な言葉と笑顔の影響ってすごいなと思いました。
師匠がボランティアに行かせてくださった意味はこれだったのかな?
もしかしたらもうすこし意味があるのかもしれませんが、いまのところわかるのはこれくらいですね。
いま、思い出した過去の出来事です。
それは言葉遣いの丁寧さと笑顔。
しかし、それは必ずしも自分の育ちではない。育ちはそりゃぁもうアラっぽくて、母がしつけてくれた作法をことごとく忘却の彼方に追いやった親不孝のカタマリである。
かーちゃん、ごみんなさーい!(´;ω;`)ぴー
それでも荒っぽい事この上ない私がどうしてお客様にお褒めの言葉をいただくまでになれたかと言うと、それは師匠の影響と宗派の寺でのボランティアのおかげだろう。
師匠はどんな人にも腰を低くして接する人だった。つねに配慮あるあたたかい言葉と笑顔を絶やさず、それがまったくいやらしくない方だった。従業員にはそりゃあ厳しかったが、それでも必ず間違いを道理を説いて叱っても決して人格を否定することはなかった。
宗派の寺でのボランティアも、実は師匠からの指示だった。仕事していると突然「いまから精舎(宗派では寺をそう呼ぶ)にボランティアにいきなさい。」
私( ;゚Д゚)ぽかーん
なにをするかというと、ひたすら施設内の掃除。そして参拝にいらした信者さんの接待。たしかに言葉遣いや笑顔はすごく勉強になった。しかし、どうもスッキリしない。
私、なにかヘマしたのか?これは左遷か?そうなのか?
そして悶々として帰ってくると、師匠は何も説明せず一言
「させていただいたことに感謝ですよ。」
正直私は「こっちがしてあげてるのに、させていただいたことに感謝とはこれいかに!?」と意味不明。
ますます納得できず悶々とする。
しかしある日、こんな事があった。
がらんとした寺の食堂でテーブルの拭き掃除をしていると、一人の女性が入ってきた。
食堂はティールームのようにもなっているのでよく会員同士の談話や勉強などに使われる。
この方もそうかな?とも思ったが、どうやらそうではないらしい。どこか雰囲気が落ち込んでいる。顔色がくらい。
私はいつものように笑顔で会釈をし、型どおりのボランティアとしての挨拶といくつかの言葉をかけた。
女性は近くの椅子に腰掛けると、しばらく窓の向こうを眺めていた。
そのうちにハンカチをとりだし、そっと目元を拭っていた。
私は女性の邪魔にならないように、黙々とテーブルを拭く。
五分くらいして、女性が立ち上がった。
女性「あの・・・・」
私「え?私ですか?」
女性「はい・・・ありがとうございました」
私「( ゚Д゚)? なにかございましたでしょうか?」
女性「・・・実は、会社の人間関係で疲れてて・・とうとう頭がおかしくなりそうになってさっき無理矢理早退してきちゃったんです。」
私「そうでいらしたんですか」
女性「でも、さきほどボランティアさん(私のこと)からすごいあったかい言葉をかけていただいて・・・なんか、すごい癒されました・・」
私「いえいえ、私ごとき、そんな・・・」
女性「いえ、ホントなんです。なんか、自分はこんな笑顔とか言葉づかいを会社でしてるかなって思ったら、全然できてないなって・・・そしたらなんかスッキリしたんです」
私「もったいないお言葉です。こちらこそありがとうございます!」
女性「ボランティアさんてすばらしいお役目ですね。私でもできますか?」
私「はい!一階の受付で職員さんにおたづねになられてください。オススメはトイレ掃除です!気持ちいいですよ~!」
女性「クスっ(笑)ホント、楽しそうですね。ちょっと行ってきます。ありがとうございました。」
なんか、すごいジーンとしました。ありがたいというか、丁寧な言葉と笑顔の影響ってすごいなと思いました。
師匠がボランティアに行かせてくださった意味はこれだったのかな?
もしかしたらもうすこし意味があるのかもしれませんが、いまのところわかるのはこれくらいですね。
いま、思い出した過去の出来事です。
【サークル】長渕剛好き奄美集会所のご紹介
2010年02月23日

えー、奄美の歌えない森久美子ことアマちゃんです。
(o‘∀‘o)
いつもこんなアヤシイぶろぐを読んでくださっているそこのみなさん、本当にありがとうございます。
m(_ _)m
さて、このたび、僭越ながらサークルをつくらせていただきました。
「長渕剛好き奄美集会所」でございます。
http://saakuru.atja.jp/commu_detail.php?sid=amamin.jp&commu_id=1711
そこの長渕剛好きのあなた、ぜひ剛について語りましょう!
えー、私は小学三年のときに春日町であった納涼祭で歌詞の意味もわからず「激愛」を歌った猛者です。
この記憶を消してしまいたい・・・(´;ω;`)ぴー