ある言葉
2010年02月04日
あるお客様。50代前半の女性。
足が痛く、どこにいっても治らないという。
させていただくと、右の腰にひどい疲れがある。
そこを当たると足につよい緊張感がはしる。
「右腰にかなりきてますね」
「わかります?実は足にくる前は腰だったんですよ。」
「これは、ご家庭にある疲れやストレスからくる疲れですよ」
お客様の様子がかわった。
「どうしてですか?」
「この部分にこうくるつかれは、ご家庭にたまってる疲れをもらっておられる種類の疲れの特有の症状なんですよ。ご家族の方で、とてもお疲れの方がいらっしゃるんですね」
「・・・・・・・」
お客様は顔にかけていたタオルをはぎとり、身を乗り出した。
「どうしたらとれますか?」
「お体のみを当たらせていただいてるだけですので、なんともいえませんが・・・もしも強い重圧やストレスや疲労があられたら、絶対に、
おひとりでそれを背負われないでください。
抱えすぎると子宮に負担がかかって、ホルモンバランスが崩れるので気持ちが波立ちやすくナイーブになってしまいます。
どうか周りの方や誰かの知恵や力をお借りして、ご自分だけでなんとかしようとは思わないでください。それが、オススメです。」
「・・・・・・・・」
施術後、お客様は「足の痛みがとれました!全部じゃないけど、一回でこんなにとれるなんて・・・はじめてですよ」
あの施術方法で足の痛みがとれたということは、やはり痛みの原因は「気」なのだ。
実は、そういったお客様は多い。
みんながそれぞれに人生の課題をもっている。
その答えは目の前にあるのに、自分の目線でそれが見つけられずに同じところをぐるぐる回っている人は多い。
どうか、一人で悩まないでほしい。一人でたたかわないでほしい。
一人で孤独にたたかい、答えのみつからない苦悩のなかにいる方が多すぎる。
一人で答えをだせて自分で自分をすくえるなら、はじめから道理などいらないのだ。そのために、私はその言葉を預かったのだろうと思う。
孤独というものは決してカッコイイものではない。
どうかその言葉がたくさんの人に届いてほしい。
まずは、自分の苦しみを誤魔化さないことだろう。
自分の苦しみを聞き届けてあげてほしい。
その苦しみを、他人のようにうけとめ、その苦しみが癒えるように知恵を集めてほしい。
知恵はまわりの人の言葉に宿る。
と、隣りの川崎さんがいってました。(o‘∀‘o)
足が痛く、どこにいっても治らないという。
させていただくと、右の腰にひどい疲れがある。
そこを当たると足につよい緊張感がはしる。
「右腰にかなりきてますね」
「わかります?実は足にくる前は腰だったんですよ。」
「これは、ご家庭にある疲れやストレスからくる疲れですよ」
お客様の様子がかわった。
「どうしてですか?」
「この部分にこうくるつかれは、ご家庭にたまってる疲れをもらっておられる種類の疲れの特有の症状なんですよ。ご家族の方で、とてもお疲れの方がいらっしゃるんですね」
「・・・・・・・」
お客様は顔にかけていたタオルをはぎとり、身を乗り出した。
「どうしたらとれますか?」
「お体のみを当たらせていただいてるだけですので、なんともいえませんが・・・もしも強い重圧やストレスや疲労があられたら、絶対に、
おひとりでそれを背負われないでください。
抱えすぎると子宮に負担がかかって、ホルモンバランスが崩れるので気持ちが波立ちやすくナイーブになってしまいます。
どうか周りの方や誰かの知恵や力をお借りして、ご自分だけでなんとかしようとは思わないでください。それが、オススメです。」
「・・・・・・・・」
施術後、お客様は「足の痛みがとれました!全部じゃないけど、一回でこんなにとれるなんて・・・はじめてですよ」
あの施術方法で足の痛みがとれたということは、やはり痛みの原因は「気」なのだ。
実は、そういったお客様は多い。
みんながそれぞれに人生の課題をもっている。
その答えは目の前にあるのに、自分の目線でそれが見つけられずに同じところをぐるぐる回っている人は多い。
どうか、一人で悩まないでほしい。一人でたたかわないでほしい。
一人で孤独にたたかい、答えのみつからない苦悩のなかにいる方が多すぎる。
一人で答えをだせて自分で自分をすくえるなら、はじめから道理などいらないのだ。そのために、私はその言葉を預かったのだろうと思う。
孤独というものは決してカッコイイものではない。
どうかその言葉がたくさんの人に届いてほしい。
まずは、自分の苦しみを誤魔化さないことだろう。
自分の苦しみを聞き届けてあげてほしい。
その苦しみを、他人のようにうけとめ、その苦しみが癒えるように知恵を集めてほしい。
知恵はまわりの人の言葉に宿る。
と、隣りの川崎さんがいってました。(o‘∀‘o)
『富を引き寄せる七つの言葉』
2010年02月04日
★『大宇宙には富が満ち満ちている。「人類を豊かにしよう」という思いが満ち満ちている。』
『日本の繁栄は絶対に揺るがない』 P154
★『富には「お金」「知恵」「人材」という三種類の富がある。』
『成功の法』 P177
★『富とは、より大きな、より素晴らしい仕事を成し遂げるために、必要な基礎力である。要は、その仕事が神の心にかなったものであればよいのだ。』
『発展思考』 P123
★『「考え」には力があります。考えは、一種の "磁石"のようなものであり、自分が考え続けているもの、求め続けているものを、引き寄せてくる力を持っています。』
『日本の繁栄は絶対に揺るがない』 P123
★『神の理想をそのままに受け止めよ。人間心で妨げることなく、神のエネルギーを受け止めよ。』
『発展思考』P112
★『一筋の「商機」に「勝機」を見出す。』
『社長学入門』あとがき
★『昨日の成功を今日は捨て去り、今日の成功を、明日は破壊し、さらなる創造の新境地を拓く。』
『創造の法』まえがき
昔、とあるサイトに投稿した話[霊山・アマンデーにて]
2010年02月04日
アマミキョさんからの投稿
みなさん、いつもありがとうございます。奄美のしがないマッサージねえちゃんです。
以前、『霊山・湯湾岳にて』を書かせていただきましたので、今回はもう一つの霊山・アマンデーのお話をさせていただきたいと思います。ちょっと恥ずかしい内容ではありますが……。
主人と私が結婚することになり、東京から帰郷した私は主人と共に霊山・アマンデーへ向かいました。
奄美の神々に結婚と感謝のご報告をさせていただくことが目的です。
主人と一緒に参拝をすると、いつものことですが、その間だけ私たちの周りから円形に不思議な静寂の空間ができ、ああ、神様がきいてくださってるんだなぁと、不思議な感動をおぼえます。(A先生がいると、さらにケタ違いに空間が荘厳な雰囲気になり、しかも真上から台風なみにでかい突風がドン!!と降りてきます。日常生活ではまずありえない風です。まるで「よくぞ来た!!」と声が聞こえるかのように。あの人はマジで何者だろう……)
いつものように主人が前に立ち、結婚の報告と感謝の奏上と、お経を奉納させていただきました。
その時、私の中に不思議なイメージが流れ込んできました。
日本の神話にでてくるような古代の装束をまとった男性の神様が、アマンデーの少し上空から、何ともいえないあたたかな眼差しで、私たちを見守っておられる。
私はその慈悲の眼差しに、思わずあふれる涙を抑えることができませんでした。(主人は嬉し涙だと思ったらしいですが。ちがうっちゅーの。)
そして帰りの車に乗り込み、車を走らせた時のことでした。
突然、頭の中に声が響きました。
「はやく一緒になってしまいなさい!」
その声の主は、さきほどの男神さまだとわかりました。
しかし、わたくしにはまだそのような勇気はございません…と心の中でいいわけをしながら目を泳がせた次の瞬間、目を泳がせた視線の先にあったカーステレオから、触れてもいないのに勢いよくカセットが飛び出してきました。
もちろん、どんな悪路を走ってもそんなことはありえません。
私は神様の素敵なお心遣いに思わず笑みがこぼれ、それまで主人に対して頑なであった最後の部分が、大きな力によってあたたかくほぐれていくのをかんじていました。
奄美の神様、おそるべし!(笑)
みなさん、いつもありがとうございます。奄美のしがないマッサージねえちゃんです。
以前、『霊山・湯湾岳にて』を書かせていただきましたので、今回はもう一つの霊山・アマンデーのお話をさせていただきたいと思います。ちょっと恥ずかしい内容ではありますが……。
主人と私が結婚することになり、東京から帰郷した私は主人と共に霊山・アマンデーへ向かいました。
奄美の神々に結婚と感謝のご報告をさせていただくことが目的です。
主人と一緒に参拝をすると、いつものことですが、その間だけ私たちの周りから円形に不思議な静寂の空間ができ、ああ、神様がきいてくださってるんだなぁと、不思議な感動をおぼえます。(A先生がいると、さらにケタ違いに空間が荘厳な雰囲気になり、しかも真上から台風なみにでかい突風がドン!!と降りてきます。日常生活ではまずありえない風です。まるで「よくぞ来た!!」と声が聞こえるかのように。あの人はマジで何者だろう……)
いつものように主人が前に立ち、結婚の報告と感謝の奏上と、お経を奉納させていただきました。
その時、私の中に不思議なイメージが流れ込んできました。
日本の神話にでてくるような古代の装束をまとった男性の神様が、アマンデーの少し上空から、何ともいえないあたたかな眼差しで、私たちを見守っておられる。
私はその慈悲の眼差しに、思わずあふれる涙を抑えることができませんでした。(主人は嬉し涙だと思ったらしいですが。ちがうっちゅーの。)
そして帰りの車に乗り込み、車を走らせた時のことでした。
突然、頭の中に声が響きました。
「はやく一緒になってしまいなさい!」
その声の主は、さきほどの男神さまだとわかりました。
しかし、わたくしにはまだそのような勇気はございません…と心の中でいいわけをしながら目を泳がせた次の瞬間、目を泳がせた視線の先にあったカーステレオから、触れてもいないのに勢いよくカセットが飛び出してきました。
もちろん、どんな悪路を走ってもそんなことはありえません。
私は神様の素敵なお心遣いに思わず笑みがこぼれ、それまで主人に対して頑なであった最後の部分が、大きな力によってあたたかくほぐれていくのをかんじていました。
奄美の神様、おそるべし!(笑)
タグ :アマンデー
昔とあるサイトに投稿した話 [霊山・湯湾岳にて★]
2010年02月04日
アマミキョさんからの投稿
久しぶりに投稿させていただきます。
私は仏教系新興宗教を学んでいますが、元々奄美の神様が大好きで、いまでも何かの折りには必ず霊山にお参りさせていただいております。
奄美には北にアマンデー、南に湯湾岳と二つの神域があり、それぞれが奄美の始祖神アマミコ降臨の地とされ、古くは琉球神道の女性祭司ノロしか立ち入りが許されていませんでした。
しかし今はその教えも廃れ、地元の神々への感謝の参拝をされる人もごくわずかで、それをさみしく思ったり…。
すみません、話がそれてしまいましたね。
その日は当時ただの知人だった主人を誘い、車で一時間ほどかかる奄美大島南部の湯湾岳にむかいました。
すると、いつもは向かうにつれて厳粛な気持ちが高まってくるのに、この日にかぎってどうにもその独特の感覚がいつまでたってもおきません。
それどころか、近づくにつれ違和感がもぞもぞおきはじめました。
「?」と思いながら山道に入ると、なんと、車道のど真ん中に山鳩がこちらに正面を向いて座り込んでいるではありませんか。
普段は人の気配があるだけで逃げる気の小さな山鳩が、まるで車の道行きをふさぐかのように、じっとこちらを睨み、手前に車が迫るまで動かないのです。
しかも三回も。ありえないことでした。
「そうだ!」私は思い出しました。「今日は霊山への立ち入りが禁じられてる日だった!」
主人にそれを伝えると「もうすぐそこなんだし、いこうよ」
しかし、入り口までたどりつき車から下りた私たちを待っていたのは、登山口から先をすっぽりと、まるで『壁』のように頂上をふさいでいる濃霧でした。
「あー、これは本当に入っちゃダメだよ、引き返しましょう」そうしてしぶる主人を引っ張って車をださせると、振り返った私の目には霧がまたまく間に晴れていく湯湾岳の姿。
私は不思議の連続に感動しつつ、奄美の神々に「大変失礼いたしました。本日はこのままかえります。」と合掌しました。
その時、脳裏にあるイメージが流れ込んできました。
私達の車とすれ違うように反対側の車道を歩く、白装束の行列。みんな子供のような背丈で手には行李や山菜や海の幸を持ち、頂上を目指して黙々と歩いている。
「ああ、このようなちいさな信仰者達のために、この日があるんだなぁ。」
私はこの映像を見せてくださった存在にもう一度手を合わせつつ、むくれてしまった主人の機嫌をなだめる方法をかんがえはじめていました。
注・この話の投稿のあと、ある別のサイトで、霊能者の話として動物たちの霊山巡礼の霊的姿がまったく同じ描写で書かれてありました。
久しぶりに投稿させていただきます。
私は仏教系新興宗教を学んでいますが、元々奄美の神様が大好きで、いまでも何かの折りには必ず霊山にお参りさせていただいております。
奄美には北にアマンデー、南に湯湾岳と二つの神域があり、それぞれが奄美の始祖神アマミコ降臨の地とされ、古くは琉球神道の女性祭司ノロしか立ち入りが許されていませんでした。
しかし今はその教えも廃れ、地元の神々への感謝の参拝をされる人もごくわずかで、それをさみしく思ったり…。
すみません、話がそれてしまいましたね。
その日は当時ただの知人だった主人を誘い、車で一時間ほどかかる奄美大島南部の湯湾岳にむかいました。
すると、いつもは向かうにつれて厳粛な気持ちが高まってくるのに、この日にかぎってどうにもその独特の感覚がいつまでたってもおきません。
それどころか、近づくにつれ違和感がもぞもぞおきはじめました。
「?」と思いながら山道に入ると、なんと、車道のど真ん中に山鳩がこちらに正面を向いて座り込んでいるではありませんか。
普段は人の気配があるだけで逃げる気の小さな山鳩が、まるで車の道行きをふさぐかのように、じっとこちらを睨み、手前に車が迫るまで動かないのです。
しかも三回も。ありえないことでした。
「そうだ!」私は思い出しました。「今日は霊山への立ち入りが禁じられてる日だった!」
主人にそれを伝えると「もうすぐそこなんだし、いこうよ」
しかし、入り口までたどりつき車から下りた私たちを待っていたのは、登山口から先をすっぽりと、まるで『壁』のように頂上をふさいでいる濃霧でした。
「あー、これは本当に入っちゃダメだよ、引き返しましょう」そうしてしぶる主人を引っ張って車をださせると、振り返った私の目には霧がまたまく間に晴れていく湯湾岳の姿。
私は不思議の連続に感動しつつ、奄美の神々に「大変失礼いたしました。本日はこのままかえります。」と合掌しました。
その時、脳裏にあるイメージが流れ込んできました。
私達の車とすれ違うように反対側の車道を歩く、白装束の行列。みんな子供のような背丈で手には行李や山菜や海の幸を持ち、頂上を目指して黙々と歩いている。
「ああ、このようなちいさな信仰者達のために、この日があるんだなぁ。」
私はこの映像を見せてくださった存在にもう一度手を合わせつつ、むくれてしまった主人の機嫌をなだめる方法をかんがえはじめていました。
注・この話の投稿のあと、ある別のサイトで、霊能者の話として動物たちの霊山巡礼の霊的姿がまったく同じ描写で書かれてありました。
師匠伝説
2010年02月04日
私が昔はたらいていた仕事の師匠の話。
これはある一番古株の先輩スタッフからきいた。
師匠にはインド人の旅行ガイドしてる知人がいるが、そのガイドさんがタイにいったとき。そこで一番大きな尼寺にいったらしい。(たしか当時尼さん500人くらい?)
そこのトップである尼さんにご挨拶して、話が日本のことになり、そういえば私には日本にこんなにつながりがあるんですよと数枚の写真をみせた。
するとその尼さんは師匠がうつってる写真を手にとり
「この方はヴィーサーカーですね。」
は?としているガイドさん。
「この方と一度お会いしてみたいですね。出会いを大切になさってください」
それをきいて私は
「先輩、ヴィーサーカーってなんですか?」
先輩はあきれてどっかいっちゃいました。
え?私、もしかしてKY?
(ヴィーサーカー:釈尊在世時に在家の立場で釈迦教団を大きく支援した。熱心なジャイナ教徒だった義父を長年かけて釈迦教団に帰依させた嫁の鑑としても評価されている}
これはある一番古株の先輩スタッフからきいた。
師匠にはインド人の旅行ガイドしてる知人がいるが、そのガイドさんがタイにいったとき。そこで一番大きな尼寺にいったらしい。(たしか当時尼さん500人くらい?)
そこのトップである尼さんにご挨拶して、話が日本のことになり、そういえば私には日本にこんなにつながりがあるんですよと数枚の写真をみせた。
するとその尼さんは師匠がうつってる写真を手にとり
「この方はヴィーサーカーですね。」
は?としているガイドさん。
「この方と一度お会いしてみたいですね。出会いを大切になさってください」
それをきいて私は
「先輩、ヴィーサーカーってなんですか?」
先輩はあきれてどっかいっちゃいました。
え?私、もしかしてKY?
(ヴィーサーカー:釈尊在世時に在家の立場で釈迦教団を大きく支援した。熱心なジャイナ教徒だった義父を長年かけて釈迦教団に帰依させた嫁の鑑としても評価されている}
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at
09:52
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