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ぽえむん 「未来からの言葉」

2010年02月09日

どんなに涙を流しても

親が師が自分のために流した涙には遠く及ばない

どんなに汗を流しても

親が師が自分のために流した汗には遠く及ばない

どんなに徳を積み重ねても

故郷という大きな父母の徳には遠く及ばない

神仏を自分の背丈で測ろうとしても

天はかわらず陽を照らし雨をめぐむ

おごるな おごるな

自分などちっぽけなものだ

せいいっぱいできることをやって

あとは後からきた方に託せばいい

悔いをのこすな 罪をのこすな

おごりをつねにふりかえれ

私の流す血などとるにたらぬ

つかれたら頭をたれて祈り祈り

一休みしたらまた立ち上がれ

その繰り返しのなかで

どれだけ自分をみがけるのだろう







  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:59Comments(0)ぽえむん

映画『禅』のすすめ

2010年02月09日

映画『禅』を見た。

、『禅』は曹洞宗の道元様の物語ね。

もう、すごい良かったっす。

私は俳優にはまったく興味がないので道元様の役をした俳優さんの名前すらおぼえてない(こんな大人になってはいけません)が、しかし私的には「道元様の肖像画とちがいすぎだろ!」と思わずツッコミました。(笑)

私は曹洞宗の教えはよくはわからないが、しかしあの時代に道元様がどれだけの覚悟をもって仏道をもとめられたかは、映画からまるで白刃をつきつけられているかのように伝わってきた。なおさら、本当の生きざまは映画の比ではないだろう。

私は自分なりの浅い解釈しかできないが、道元様の説かれた「坐禅」が、ありのままの自分を見、ありのままの世界を見るための「人間としての本来の見方(これを仏性というのだろうか)」に至るためのいわば「もっとも基本的な作法」であるのだろうということはわかった。

なぜなら、思いを止めるということは、それ自体が恐れや囚われや雑念にさらされるこの自分自身すらも捨てなければならないということを意味しているからだ。

これはなかなかに難しい。捨てたつもりでも、すぐにわいてくる。しかもそのたびに自己憐憫にとらわれたり、自己を正当化してごまかそうとする。

自己や世界への欲や囚われを無くし、ありのままの世界をみれば、それはすばらしい世界だろう。

それは仏教においては教えの一部ではあるかもしれないが、しかしそれはもっとも大切なものの一つでもあると思う。

まるで道元様から偽りににごったこの私の目を「みすえられている」ような映画でした。

精神的にドMなそこのあなた、オススメです。

(*´Д`)あはーん
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 08:07Comments(0)