霧島神宮にて
2010年02月24日
昨年、とあるサイトで知り合ったとある神道関係者の方から、大祓祝詞のコピーをいただきました。昔からの祝詞なので、『大中臣』という言葉などが入っています。
頑張って暗記してしばらくすると、お経と祝詞の旋律にハッキリとはいえませんが、どことなく似たものがあるのを感じました。これは気のせいかもしれませんが。
ちなみに旋律といえば、以前東京にてある方から、奄美の島唄の旋律は、降霊や神事につかう旋律に似ていると指摘をうけました。その方いわく
「なんて唄うたってんだ!場所間違うとあんたみたいなのが歌ったら危ないぞ!!」
へー。しかし、これ、うちのイナカの民謡なんですけど・・・・・・。
あんたみたいなの?なにそれ?
そんな昔話はおいといて、それからしばらくして、鹿児島の霧島神宮に参拝させていただける機会に恵まれました。
前日のみどりの日に、桜島にて見事な日輪を拝むことができた私は、ここにきてある種の導きのようなものを感じていました。
そして主人と二人、お賽銭をささげ、感謝の祈りを捧げさせていただいた時のことです。
突然頭のなかに、何かが光るのを感じました。
それは大祓祝詞と共に頭に入ってきました。
『 神々は 薩摩も奄美も愛している 』
それは、ほんの一瞬でしたが、私は、そこに日本神道の神々の深い慈悲をしりました。
その一瞬で、私の薩摩・鹿児島に対するうらみと怒りは、キレイに消え去りました。
これが、神々の思いなのか。私は自分なんかよりスケールのあまりにでかい眼差しに、ただただ、絶句するしかありませんでした。
私とはなんとちっぽけな存在なのだろう。自分のなかではもう過去の歴史を許した気になっていて、しかし潜在意識ではずっとひきづっていたのです。
その奥に潜んだ悲しみを見通し、浄化してくださったのは、他ならぬ神道の神々でした。
神々は奄美も薩摩も愛している。この言葉を、私は言えるだろうか。
神様の世界の眼差しの深さ、美しさに、自分の愚かなこころを悔いた出来事です。
頑張って暗記してしばらくすると、お経と祝詞の旋律にハッキリとはいえませんが、どことなく似たものがあるのを感じました。これは気のせいかもしれませんが。
ちなみに旋律といえば、以前東京にてある方から、奄美の島唄の旋律は、降霊や神事につかう旋律に似ていると指摘をうけました。その方いわく
「なんて唄うたってんだ!場所間違うとあんたみたいなのが歌ったら危ないぞ!!」
へー。しかし、これ、うちのイナカの民謡なんですけど・・・・・・。
あんたみたいなの?なにそれ?
そんな昔話はおいといて、それからしばらくして、鹿児島の霧島神宮に参拝させていただける機会に恵まれました。
前日のみどりの日に、桜島にて見事な日輪を拝むことができた私は、ここにきてある種の導きのようなものを感じていました。
そして主人と二人、お賽銭をささげ、感謝の祈りを捧げさせていただいた時のことです。
突然頭のなかに、何かが光るのを感じました。
それは大祓祝詞と共に頭に入ってきました。
『 神々は 薩摩も奄美も愛している 』
それは、ほんの一瞬でしたが、私は、そこに日本神道の神々の深い慈悲をしりました。
その一瞬で、私の薩摩・鹿児島に対するうらみと怒りは、キレイに消え去りました。
これが、神々の思いなのか。私は自分なんかよりスケールのあまりにでかい眼差しに、ただただ、絶句するしかありませんでした。
私とはなんとちっぽけな存在なのだろう。自分のなかではもう過去の歴史を許した気になっていて、しかし潜在意識ではずっとひきづっていたのです。
その奥に潜んだ悲しみを見通し、浄化してくださったのは、他ならぬ神道の神々でした。
神々は奄美も薩摩も愛している。この言葉を、私は言えるだろうか。
神様の世界の眼差しの深さ、美しさに、自分の愚かなこころを悔いた出来事です。
昨今のいじめ問題に思う
2010年02月24日
数年前、福岡でおきたいじめ自殺で学校の対処の甘さが全国的な問題になりましたよね。
そのとき、リバティという雑誌で『我が子がいじめに合ったとき、学校側との問題について』体験談を募集していました。
母が「あんたの話をぜひ投稿しなさい」としつこく言ってきましたが、私はそれにあいまいな笑いをうかべて聞き流していました。
しかし先日、あるサイトのチャットでいじめられて学校をやめ、復讐を誓っているという女の子と話しをする機会があり、私は、当時のことを思いだしていました。
もう20年前の話です。小学一年生の時、私は休み時間のたびに男子に毎日机をかこまれ、こづかれたり、悪口を言われていました。
母からは我慢しなさいと言われていたようですが、ある日とうとう我慢できず、男子の一人を思いきり殴りました。
すると、男子は鼻血をだし、その夜、私は両親と男子の家に謝罪にいきました。
私の前で男子の両親に土下座する父の姿は、今も脳裏にやきついています。
寒い帰り道、両親は私の頭をなでて、「あんたは悪くない。もう気にしなくていいんだよ」とやさしく微笑んでくれました。
しかし、そこからが本当の苦しみだったんですね。
なんと男子の両親は「お宅の娘さんに殴られたせいで鼻の血管が傷ついてしまった。治療代をよこせ!」と、当時にして30万もの大金を要求してきたのです。(実は、もともと鼻血がでやすい体質だった。盛ってきたカルテもねつ造だったと病院の先生に相談して判明)
しかも男子の母親がPTAの父兄にあることないことを言いふらしたらしく、その日から父兄からの嫌がらせの電話が鳴り続けました。
毎晩夜中にきては明け方まで「金はまだか!!」と怒鳴りにくる男子の両親に、私の父と母は、ひたすら頭をさげるしかありませんでした。兄二人は夜中から明け方まで隣の部屋で響く罵声と謝罪の言葉を、どのような思いで3か月きいていたのでしょうか。
実はその当時、私は記憶がスッポリ抜けおちてます。いきさつはすべて16の夏に「そろそろ話してもいいかね・・・」と母にきいたものです。たぶん、当時のことは覚えてはいけないと、幼い私なりに封印してしまったのでしょう。
校長先生と教頭先生を間に入れての話し合いも一度もたれましたが、学校側は「この問題は当事者同士でなんとかしてください」と早々に見放しました。
児相・共産党・社会党・日教組・あちこちに母は相談にいきましたが、いずれも「お宅の娘さんが加害者なら、かばうことはできません」と門前払いされました。
しかしある日、ある匿名の電話が、私たち家族を救ってくださいました。
それは、実は学校の養護の先生でした。
「いま、あなたの娘さんの件にかんして、学校では校長から箝口令がしかれてます。ですから、私から電話があったとは決して他言しないでください。でも、教員はみんなあなた方の味方です。どうか、頑張ってください!!!」
そして、「私の親戚が東京で弁護士をしています。数日後にサンプラザホテルにきますので、どうか娘さんの件を話してみてください。私が話しておきましたので、お金は結構です!!かならず力になると思います!」
母がわらにもすがる思いでお会いした弁護士さんは、話をきいて、怒りに声を震わせたそうです。「こんなひどい話はきいたことがない!!お宅の娘さんは被害者ですよ!!」
弁護士さんはすぐ、東京から男子の両親に内容証明を送ってくださいました。「あなたのしていることは犯罪です。これ以上脅迫するなら、刑事告訴します。」
翌日から男子の両親はピタリとこなくなりました。
それから立て続けに、今度はどこから流れたのか、なんと地元・南海日日新聞の13面に、掲載されました。「学校でのトラブルで保護者が不当な慰謝料請求」
その日から父兄たちの態度は一変しました。あれだけの嫌がらせの電話が、途端に「私はお宅の娘さんを信じてたよ!!」などの激励の電話にかわりました。
母は、今でもPTAは大嫌いです。
するとマスコミから責任を追及された校長は「この件に関しては、学校側は最初から関与していません。まったく知りませんでした」とシラを切り通しました。
のちにこの校長は、知らずに入った私の叔母の店で、「あのときの女子の件は私の現職時代唯一の汚点だ!!あの女子のせいで!!」とグチッていたそうです。
当時のI校長先生、汚点を残してしまいまして本当に申し訳ありませんでした。(笑)
全国からマスコミが取材にきましたが、精神的にボロボロだった母は、すべて断りました。
名瀬警察署からも「その気がありましたら相手両親を詐欺罪と脅迫罪で刑事告訴もできますよ」と言われましたが、もう相手と関わりたくない一心で断りました。
朝日新聞の記者さんが取材を断った母に話した言葉が、忘れられないそうです。
「お母さん、こう言ってはなんですが、お宅の娘さんは事件が公になってよかったんですよ。あの学校とあの校長は、こんなひどい事件をいくつもにぎりつぶしてます。我々としても、、情報はきますが、地元紙がとりあげないかぎりは動けないんです・・・・・・」
それから男子は転校し、その両親はまもなく離婚。しつこく慰謝料をとろうとした男子の母親は、数年前、殺人罪で捕まりました。
母は言いました。
「20年前も今も、学校なんてかわらないんだね。子どもを守るのは、親しかいないのよ。」
それからもいじめにあったり、いろいろありましたが、それを乗り越えられたのは、あの時の父と母の、小さな私の頭をなでてくれた手のひらのぬくもり、あたたかさでした。いじめられてつらいとき、母は学校にいけと言いませんでした。そのおかげで、私はいま生きています。
私は、父と母のように、子どもを守りたい。そんな親になりたいです
そのとき、リバティという雑誌で『我が子がいじめに合ったとき、学校側との問題について』体験談を募集していました。
母が「あんたの話をぜひ投稿しなさい」としつこく言ってきましたが、私はそれにあいまいな笑いをうかべて聞き流していました。
しかし先日、あるサイトのチャットでいじめられて学校をやめ、復讐を誓っているという女の子と話しをする機会があり、私は、当時のことを思いだしていました。
もう20年前の話です。小学一年生の時、私は休み時間のたびに男子に毎日机をかこまれ、こづかれたり、悪口を言われていました。
母からは我慢しなさいと言われていたようですが、ある日とうとう我慢できず、男子の一人を思いきり殴りました。
すると、男子は鼻血をだし、その夜、私は両親と男子の家に謝罪にいきました。
私の前で男子の両親に土下座する父の姿は、今も脳裏にやきついています。
寒い帰り道、両親は私の頭をなでて、「あんたは悪くない。もう気にしなくていいんだよ」とやさしく微笑んでくれました。
しかし、そこからが本当の苦しみだったんですね。
なんと男子の両親は「お宅の娘さんに殴られたせいで鼻の血管が傷ついてしまった。治療代をよこせ!」と、当時にして30万もの大金を要求してきたのです。(実は、もともと鼻血がでやすい体質だった。盛ってきたカルテもねつ造だったと病院の先生に相談して判明)
しかも男子の母親がPTAの父兄にあることないことを言いふらしたらしく、その日から父兄からの嫌がらせの電話が鳴り続けました。
毎晩夜中にきては明け方まで「金はまだか!!」と怒鳴りにくる男子の両親に、私の父と母は、ひたすら頭をさげるしかありませんでした。兄二人は夜中から明け方まで隣の部屋で響く罵声と謝罪の言葉を、どのような思いで3か月きいていたのでしょうか。
実はその当時、私は記憶がスッポリ抜けおちてます。いきさつはすべて16の夏に「そろそろ話してもいいかね・・・」と母にきいたものです。たぶん、当時のことは覚えてはいけないと、幼い私なりに封印してしまったのでしょう。
校長先生と教頭先生を間に入れての話し合いも一度もたれましたが、学校側は「この問題は当事者同士でなんとかしてください」と早々に見放しました。
児相・共産党・社会党・日教組・あちこちに母は相談にいきましたが、いずれも「お宅の娘さんが加害者なら、かばうことはできません」と門前払いされました。
しかしある日、ある匿名の電話が、私たち家族を救ってくださいました。
それは、実は学校の養護の先生でした。
「いま、あなたの娘さんの件にかんして、学校では校長から箝口令がしかれてます。ですから、私から電話があったとは決して他言しないでください。でも、教員はみんなあなた方の味方です。どうか、頑張ってください!!!」
そして、「私の親戚が東京で弁護士をしています。数日後にサンプラザホテルにきますので、どうか娘さんの件を話してみてください。私が話しておきましたので、お金は結構です!!かならず力になると思います!」
母がわらにもすがる思いでお会いした弁護士さんは、話をきいて、怒りに声を震わせたそうです。「こんなひどい話はきいたことがない!!お宅の娘さんは被害者ですよ!!」
弁護士さんはすぐ、東京から男子の両親に内容証明を送ってくださいました。「あなたのしていることは犯罪です。これ以上脅迫するなら、刑事告訴します。」
翌日から男子の両親はピタリとこなくなりました。
それから立て続けに、今度はどこから流れたのか、なんと地元・南海日日新聞の13面に、掲載されました。「学校でのトラブルで保護者が不当な慰謝料請求」
その日から父兄たちの態度は一変しました。あれだけの嫌がらせの電話が、途端に「私はお宅の娘さんを信じてたよ!!」などの激励の電話にかわりました。
母は、今でもPTAは大嫌いです。
するとマスコミから責任を追及された校長は「この件に関しては、学校側は最初から関与していません。まったく知りませんでした」とシラを切り通しました。
のちにこの校長は、知らずに入った私の叔母の店で、「あのときの女子の件は私の現職時代唯一の汚点だ!!あの女子のせいで!!」とグチッていたそうです。
当時のI校長先生、汚点を残してしまいまして本当に申し訳ありませんでした。(笑)
全国からマスコミが取材にきましたが、精神的にボロボロだった母は、すべて断りました。
名瀬警察署からも「その気がありましたら相手両親を詐欺罪と脅迫罪で刑事告訴もできますよ」と言われましたが、もう相手と関わりたくない一心で断りました。
朝日新聞の記者さんが取材を断った母に話した言葉が、忘れられないそうです。
「お母さん、こう言ってはなんですが、お宅の娘さんは事件が公になってよかったんですよ。あの学校とあの校長は、こんなひどい事件をいくつもにぎりつぶしてます。我々としても、、情報はきますが、地元紙がとりあげないかぎりは動けないんです・・・・・・」
それから男子は転校し、その両親はまもなく離婚。しつこく慰謝料をとろうとした男子の母親は、数年前、殺人罪で捕まりました。
母は言いました。
「20年前も今も、学校なんてかわらないんだね。子どもを守るのは、親しかいないのよ。」
それからもいじめにあったり、いろいろありましたが、それを乗り越えられたのは、あの時の父と母の、小さな私の頭をなでてくれた手のひらのぬくもり、あたたかさでした。いじめられてつらいとき、母は学校にいけと言いませんでした。そのおかげで、私はいま生きています。
私は、父と母のように、子どもを守りたい。そんな親になりたいです
タグ :いじめ
反省といふもの~初級
2010年02月24日
いま、なんとなく思い出したんです。
うちの宗派の坊さんが、昔受けた反省瞑想研修で、こんな事を言っていました。
自分は出家する前、よく上司とぶつかってばかりいました。
上司は理不尽に上から押さえつけてくる人ばかりで、私は自分の不運をよく嘆いていました。
しかし出家してからも、やはり直属の上司とぶつかる。そしていつまでも出世できない。
これはさすがにどうにかしないとと思い、反省に入りましたが、どうしてもやはり自分には非がないようにしか思えない。
もっと反省に入ろうとすると、心が苦しくなり、頭の中がボンヤリしてしまう。
私はある日決心しました。日本刀を買ってきて、目の前に置いたんです。
これで反省できなければ、自分は死のう。
実際に死ぬわけじゃありませんよ。これで反省できなければ、もう僧職をもつ資格はない。還俗しようと思いました。
そして逃げたくて発狂しそうな思いを耐えて、明け方頃、ようやく探り当てました。
上司とぶつかる原因は、父親との葛藤。
私はずっと父が嫌いでした。正直、にくかった。
でもそのきっかけは、ほんのささいなことだったんです。
忘れていた位のささいな記憶。小さい頃、ちいさないたずらをして、父にものすごく強くしかられたんですね。
でも、自分はそんなに悪いことだとは思ってなかったから、叱られたことにすごく反発して、父の非をあげつらって、ずっと反抗していた。
その幼い頃に父にいだいた自分の誤解。偏見。かたよった見方。それを、ずっと父にも周りにたいしても持ち続けてきたのだとわかりました。
だから、父にも、上司からいただいた善意からの指導にも過剰に反応して反発していた。すべては、自分の見方の誤りだったんです。
それが分かったとき、私は体が震え、涙が止まりませんでした。
その直後から上司にとりたてていただけるようになり、出世して、今、八正道研修の講師としてみなさんにお話させて頂いていることに、大きな神仏のはからいを感じています。
八正道の最初は何故『正見』なのか。それは、自分は周りをどのような先入観で見ているのかが、すべてのはじまりになるからです。
間違った認識をしていないか。先入観や、誤解はないか。色眼鏡でみていないか。自分や相手の立場を正しく認識できているか。さらに、神仏の目から見たらどのように見えるのか。
とくにご家族にたいして、見方の誤りはおきやすいです。それは一番近い関係の人には、甘えがでてくるからです。だから見方も自分本位になってしまいがちです。
どうか、なるべくご自分の言い分やいいわけを排して、深く反省の時に入られてください・・・。
なんで今、それを唐突に思い出したんでしょう。もう4年も前の話ですが。
つまりは私自身の過去からの家族や周りに対する見方・認識を、もう一度整理して反省、脱皮するときなんでしょうか。
うわぁ・・・・・・・・したくねぇなぁ・・・・・・・
イヤイヤ!!させていただきますよ!!!させていただきますとも!!!!
アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ
うちの宗派の坊さんが、昔受けた反省瞑想研修で、こんな事を言っていました。
自分は出家する前、よく上司とぶつかってばかりいました。
上司は理不尽に上から押さえつけてくる人ばかりで、私は自分の不運をよく嘆いていました。
しかし出家してからも、やはり直属の上司とぶつかる。そしていつまでも出世できない。
これはさすがにどうにかしないとと思い、反省に入りましたが、どうしてもやはり自分には非がないようにしか思えない。
もっと反省に入ろうとすると、心が苦しくなり、頭の中がボンヤリしてしまう。
私はある日決心しました。日本刀を買ってきて、目の前に置いたんです。
これで反省できなければ、自分は死のう。
実際に死ぬわけじゃありませんよ。これで反省できなければ、もう僧職をもつ資格はない。還俗しようと思いました。
そして逃げたくて発狂しそうな思いを耐えて、明け方頃、ようやく探り当てました。
上司とぶつかる原因は、父親との葛藤。
私はずっと父が嫌いでした。正直、にくかった。
でもそのきっかけは、ほんのささいなことだったんです。
忘れていた位のささいな記憶。小さい頃、ちいさないたずらをして、父にものすごく強くしかられたんですね。
でも、自分はそんなに悪いことだとは思ってなかったから、叱られたことにすごく反発して、父の非をあげつらって、ずっと反抗していた。
その幼い頃に父にいだいた自分の誤解。偏見。かたよった見方。それを、ずっと父にも周りにたいしても持ち続けてきたのだとわかりました。
だから、父にも、上司からいただいた善意からの指導にも過剰に反応して反発していた。すべては、自分の見方の誤りだったんです。
それが分かったとき、私は体が震え、涙が止まりませんでした。
その直後から上司にとりたてていただけるようになり、出世して、今、八正道研修の講師としてみなさんにお話させて頂いていることに、大きな神仏のはからいを感じています。
八正道の最初は何故『正見』なのか。それは、自分は周りをどのような先入観で見ているのかが、すべてのはじまりになるからです。
間違った認識をしていないか。先入観や、誤解はないか。色眼鏡でみていないか。自分や相手の立場を正しく認識できているか。さらに、神仏の目から見たらどのように見えるのか。
とくにご家族にたいして、見方の誤りはおきやすいです。それは一番近い関係の人には、甘えがでてくるからです。だから見方も自分本位になってしまいがちです。
どうか、なるべくご自分の言い分やいいわけを排して、深く反省の時に入られてください・・・。
なんで今、それを唐突に思い出したんでしょう。もう4年も前の話ですが。
つまりは私自身の過去からの家族や周りに対する見方・認識を、もう一度整理して反省、脱皮するときなんでしょうか。
うわぁ・・・・・・・・したくねぇなぁ・・・・・・・
イヤイヤ!!させていただきますよ!!!させていただきますとも!!!!
アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ
前世物語
2010年02月24日
前世といえば、昔テレビ番組の古代インカ特集をみていたら、わけもなく涙がとまらなくなったことがあります。
泣きながら泣いてる本人は????状態で、ああこれは私じゃない人が泣いてるんだなと思いながら、「なんじゃこりゃ」な気分でした。
それから数年後のある日、宗派がつくった古代インカを舞台にした劇のビデオを観ていたときのことでした。
その劇は古代インカに宇宙人が神を名乗って邪教をひろめようとし、それを当時のインカの王が見破って民衆を正しい神への信仰の道へ導き、宇宙人の支配を阻止するというものでした。古代インカ版のあのハリウッド映画みたいなもんですね。
その冒頭、民衆が『宇宙の神(ホントはレプタリアンて宇宙人)』へ心酔しきって享楽に溺れている場面がでたときのことでした。
いきなり私超号泣。そして無意識に画面に向かって叫んでいました。
「みんな、違うんだ!それは神じゃない!!神じゃないんだ!!気づいてくれ!!」
そして「クラウド王、申し訳ありません・・・・申し訳ありません・・・・・」泣きながら謝ってました。
今まで感じたことのない、たまらない懺悔と悲痛な後悔、過去への悲しみ、自分が犯した償えぬ過ちを繰り返してほしくない心からの叫び、その全部がまじった血のにじむような思いがつきあげてきて、涙がとまらず、泣きどおしました。生まれてはじめて、死ぬほど泣きました。(最後は声がつぶれていたほど。むーん。)
翌日泣きすぎてまぶたが腫れた顔で出社した私は不思議な昨夜の出来事を師匠にたづねました。「せんせぇ、実は昨夜・・・・・」
すると師匠は普通な口調で 「ああ、アマちゃんはあのとき悪い宇宙人を神様だと信じちゃった側の神官だったからね~」
ああ、そうか。私は、死んだあとに、すべてを知ったんだ。自分が信じた神は邪神だった。本当は王様の言うことが正しかった。でも、自分は宇宙人がおこす奇跡現象だけを見て信じてしまい、「心の正しさこそ神への道なのだ」とを説く王様を『クラウド王は盲目の王だ』と公言してしまった。(この自分の言葉が頭にこびりついて離れません。涙。)
死んだあとにすべてを知ったのなら、あの臓腑を灼くような悲痛な思いも納得できました。それはたしかにたまらないわなぁ・・・・・・・
しかし人間は過ちを犯し、それに気づき、後悔して、反省し、また一歩向上できる生き物ですよね。
少なくとも私はもう同じ過ちはしたくない。だから、あれから自分が慢心してしまうことをとても気をつけています。気をつけているつもりです。
私が奄美に極端に執着するのも、一つはそれつながりもあるらしい。
まぁ、そんな人間ドラマもあるというお話でした。
七千年も前だし、さすがにもう時効でしょ?てへっ。
泣きながら泣いてる本人は????状態で、ああこれは私じゃない人が泣いてるんだなと思いながら、「なんじゃこりゃ」な気分でした。
それから数年後のある日、宗派がつくった古代インカを舞台にした劇のビデオを観ていたときのことでした。
その劇は古代インカに宇宙人が神を名乗って邪教をひろめようとし、それを当時のインカの王が見破って民衆を正しい神への信仰の道へ導き、宇宙人の支配を阻止するというものでした。古代インカ版のあのハリウッド映画みたいなもんですね。
その冒頭、民衆が『宇宙の神(ホントはレプタリアンて宇宙人)』へ心酔しきって享楽に溺れている場面がでたときのことでした。
いきなり私超号泣。そして無意識に画面に向かって叫んでいました。
「みんな、違うんだ!それは神じゃない!!神じゃないんだ!!気づいてくれ!!」
そして「クラウド王、申し訳ありません・・・・申し訳ありません・・・・・」泣きながら謝ってました。
今まで感じたことのない、たまらない懺悔と悲痛な後悔、過去への悲しみ、自分が犯した償えぬ過ちを繰り返してほしくない心からの叫び、その全部がまじった血のにじむような思いがつきあげてきて、涙がとまらず、泣きどおしました。生まれてはじめて、死ぬほど泣きました。(最後は声がつぶれていたほど。むーん。)
翌日泣きすぎてまぶたが腫れた顔で出社した私は不思議な昨夜の出来事を師匠にたづねました。「せんせぇ、実は昨夜・・・・・」
すると師匠は普通な口調で 「ああ、アマちゃんはあのとき悪い宇宙人を神様だと信じちゃった側の神官だったからね~」
ああ、そうか。私は、死んだあとに、すべてを知ったんだ。自分が信じた神は邪神だった。本当は王様の言うことが正しかった。でも、自分は宇宙人がおこす奇跡現象だけを見て信じてしまい、「心の正しさこそ神への道なのだ」とを説く王様を『クラウド王は盲目の王だ』と公言してしまった。(この自分の言葉が頭にこびりついて離れません。涙。)
死んだあとにすべてを知ったのなら、あの臓腑を灼くような悲痛な思いも納得できました。それはたしかにたまらないわなぁ・・・・・・・
しかし人間は過ちを犯し、それに気づき、後悔して、反省し、また一歩向上できる生き物ですよね。
少なくとも私はもう同じ過ちはしたくない。だから、あれから自分が慢心してしまうことをとても気をつけています。気をつけているつもりです。
私が奄美に極端に執着するのも、一つはそれつながりもあるらしい。
まぁ、そんな人間ドラマもあるというお話でした。
七千年も前だし、さすがにもう時効でしょ?てへっ。
ぽえむん 「つよくなりたい。」
2010年02月24日
私が石を投げられているとき
かばってくれる人はいなかった
私がなぐられているとき
かばってくれる人はいなかった
私が蹴られているとき
かばってくれる人はいなかった
私がののしられ嘲笑されているとき
かばってくれる人はいなかった
遠巻きに眺めている人たちが
とてもうらめしく思えた
憎しみと不信と怒りがすぎると
悲しみだけがのこった
だが私は守れるか
石を投げられる人を
その人を抱いてかばえるのか
それは勇気がいる
それは自分を捨てるということ
私はそれができるか
胸をはり できる! と断言できない私がいる
人を愛する勇気
人を守る勇気
自分を捨てる勇気
自分をつらぬく勇気
周りにそまらない勇気
天を信じる勇気
その勇気をもてたとき
はじめて私は
あのときの私をすくえるのだ
かばってくれる人はいなかった
私がなぐられているとき
かばってくれる人はいなかった
私が蹴られているとき
かばってくれる人はいなかった
私がののしられ嘲笑されているとき
かばってくれる人はいなかった
遠巻きに眺めている人たちが
とてもうらめしく思えた
憎しみと不信と怒りがすぎると
悲しみだけがのこった
だが私は守れるか
石を投げられる人を
その人を抱いてかばえるのか
それは勇気がいる
それは自分を捨てるということ
私はそれができるか
胸をはり できる! と断言できない私がいる
人を愛する勇気
人を守る勇気
自分を捨てる勇気
自分をつらぬく勇気
周りにそまらない勇気
天を信じる勇気
その勇気をもてたとき
はじめて私は
あのときの私をすくえるのだ