反省といふもの~初級
2010年02月24日
いま、なんとなく思い出したんです。
うちの宗派の坊さんが、昔受けた反省瞑想研修で、こんな事を言っていました。
自分は出家する前、よく上司とぶつかってばかりいました。
上司は理不尽に上から押さえつけてくる人ばかりで、私は自分の不運をよく嘆いていました。
しかし出家してからも、やはり直属の上司とぶつかる。そしていつまでも出世できない。
これはさすがにどうにかしないとと思い、反省に入りましたが、どうしてもやはり自分には非がないようにしか思えない。
もっと反省に入ろうとすると、心が苦しくなり、頭の中がボンヤリしてしまう。
私はある日決心しました。日本刀を買ってきて、目の前に置いたんです。
これで反省できなければ、自分は死のう。
実際に死ぬわけじゃありませんよ。これで反省できなければ、もう僧職をもつ資格はない。還俗しようと思いました。
そして逃げたくて発狂しそうな思いを耐えて、明け方頃、ようやく探り当てました。
上司とぶつかる原因は、父親との葛藤。
私はずっと父が嫌いでした。正直、にくかった。
でもそのきっかけは、ほんのささいなことだったんです。
忘れていた位のささいな記憶。小さい頃、ちいさないたずらをして、父にものすごく強くしかられたんですね。
でも、自分はそんなに悪いことだとは思ってなかったから、叱られたことにすごく反発して、父の非をあげつらって、ずっと反抗していた。
その幼い頃に父にいだいた自分の誤解。偏見。かたよった見方。それを、ずっと父にも周りにたいしても持ち続けてきたのだとわかりました。
だから、父にも、上司からいただいた善意からの指導にも過剰に反応して反発していた。すべては、自分の見方の誤りだったんです。
それが分かったとき、私は体が震え、涙が止まりませんでした。
その直後から上司にとりたてていただけるようになり、出世して、今、八正道研修の講師としてみなさんにお話させて頂いていることに、大きな神仏のはからいを感じています。
八正道の最初は何故『正見』なのか。それは、自分は周りをどのような先入観で見ているのかが、すべてのはじまりになるからです。
間違った認識をしていないか。先入観や、誤解はないか。色眼鏡でみていないか。自分や相手の立場を正しく認識できているか。さらに、神仏の目から見たらどのように見えるのか。
とくにご家族にたいして、見方の誤りはおきやすいです。それは一番近い関係の人には、甘えがでてくるからです。だから見方も自分本位になってしまいがちです。
どうか、なるべくご自分の言い分やいいわけを排して、深く反省の時に入られてください・・・。
なんで今、それを唐突に思い出したんでしょう。もう4年も前の話ですが。
つまりは私自身の過去からの家族や周りに対する見方・認識を、もう一度整理して反省、脱皮するときなんでしょうか。
うわぁ・・・・・・・・したくねぇなぁ・・・・・・・
イヤイヤ!!させていただきますよ!!!させていただきますとも!!!!
アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ
うちの宗派の坊さんが、昔受けた反省瞑想研修で、こんな事を言っていました。
自分は出家する前、よく上司とぶつかってばかりいました。
上司は理不尽に上から押さえつけてくる人ばかりで、私は自分の不運をよく嘆いていました。
しかし出家してからも、やはり直属の上司とぶつかる。そしていつまでも出世できない。
これはさすがにどうにかしないとと思い、反省に入りましたが、どうしてもやはり自分には非がないようにしか思えない。
もっと反省に入ろうとすると、心が苦しくなり、頭の中がボンヤリしてしまう。
私はある日決心しました。日本刀を買ってきて、目の前に置いたんです。
これで反省できなければ、自分は死のう。
実際に死ぬわけじゃありませんよ。これで反省できなければ、もう僧職をもつ資格はない。還俗しようと思いました。
そして逃げたくて発狂しそうな思いを耐えて、明け方頃、ようやく探り当てました。
上司とぶつかる原因は、父親との葛藤。
私はずっと父が嫌いでした。正直、にくかった。
でもそのきっかけは、ほんのささいなことだったんです。
忘れていた位のささいな記憶。小さい頃、ちいさないたずらをして、父にものすごく強くしかられたんですね。
でも、自分はそんなに悪いことだとは思ってなかったから、叱られたことにすごく反発して、父の非をあげつらって、ずっと反抗していた。
その幼い頃に父にいだいた自分の誤解。偏見。かたよった見方。それを、ずっと父にも周りにたいしても持ち続けてきたのだとわかりました。
だから、父にも、上司からいただいた善意からの指導にも過剰に反応して反発していた。すべては、自分の見方の誤りだったんです。
それが分かったとき、私は体が震え、涙が止まりませんでした。
その直後から上司にとりたてていただけるようになり、出世して、今、八正道研修の講師としてみなさんにお話させて頂いていることに、大きな神仏のはからいを感じています。
八正道の最初は何故『正見』なのか。それは、自分は周りをどのような先入観で見ているのかが、すべてのはじまりになるからです。
間違った認識をしていないか。先入観や、誤解はないか。色眼鏡でみていないか。自分や相手の立場を正しく認識できているか。さらに、神仏の目から見たらどのように見えるのか。
とくにご家族にたいして、見方の誤りはおきやすいです。それは一番近い関係の人には、甘えがでてくるからです。だから見方も自分本位になってしまいがちです。
どうか、なるべくご自分の言い分やいいわけを排して、深く反省の時に入られてください・・・。
なんで今、それを唐突に思い出したんでしょう。もう4年も前の話ですが。
つまりは私自身の過去からの家族や周りに対する見方・認識を、もう一度整理して反省、脱皮するときなんでしょうか。
うわぁ・・・・・・・・したくねぇなぁ・・・・・・・
イヤイヤ!!させていただきますよ!!!させていただきますとも!!!!
アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:51│Comments(0)
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