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昨今のいじめ問題に思う

2010年02月24日

数年前、福岡でおきたいじめ自殺で学校の対処の甘さが全国的な問題になりましたよね。

そのとき、リバティという雑誌で『我が子がいじめに合ったとき、学校側との問題について』体験談を募集していました。

母が「あんたの話をぜひ投稿しなさい」としつこく言ってきましたが、私はそれにあいまいな笑いをうかべて聞き流していました。

しかし先日、あるサイトのチャットでいじめられて学校をやめ、復讐を誓っているという女の子と話しをする機会があり、私は、当時のことを思いだしていました。



もう20年前の話です。小学一年生の時、私は休み時間のたびに男子に毎日机をかこまれ、こづかれたり、悪口を言われていました。

母からは我慢しなさいと言われていたようですが、ある日とうとう我慢できず、男子の一人を思いきり殴りました。

すると、男子は鼻血をだし、その夜、私は両親と男子の家に謝罪にいきました。

私の前で男子の両親に土下座する父の姿は、今も脳裏にやきついています。

寒い帰り道、両親は私の頭をなでて、「あんたは悪くない。もう気にしなくていいんだよ」とやさしく微笑んでくれました。

しかし、そこからが本当の苦しみだったんですね。

なんと男子の両親は「お宅の娘さんに殴られたせいで鼻の血管が傷ついてしまった。治療代をよこせ!」と、当時にして30万もの大金を要求してきたのです。(実は、もともと鼻血がでやすい体質だった。盛ってきたカルテもねつ造だったと病院の先生に相談して判明)

しかも男子の母親がPTAの父兄にあることないことを言いふらしたらしく、その日から父兄からの嫌がらせの電話が鳴り続けました。

毎晩夜中にきては明け方まで「金はまだか!!」と怒鳴りにくる男子の両親に、私の父と母は、ひたすら頭をさげるしかありませんでした。兄二人は夜中から明け方まで隣の部屋で響く罵声と謝罪の言葉を、どのような思いで3か月きいていたのでしょうか。

実はその当時、私は記憶がスッポリ抜けおちてます。いきさつはすべて16の夏に「そろそろ話してもいいかね・・・」と母にきいたものです。たぶん、当時のことは覚えてはいけないと、幼い私なりに封印してしまったのでしょう。

校長先生と教頭先生を間に入れての話し合いも一度もたれましたが、学校側は「この問題は当事者同士でなんとかしてください」と早々に見放しました。

児相・共産党・社会党・日教組・あちこちに母は相談にいきましたが、いずれも「お宅の娘さんが加害者なら、かばうことはできません」と門前払いされました。

しかしある日、ある匿名の電話が、私たち家族を救ってくださいました。

それは、実は学校の養護の先生でした。

「いま、あなたの娘さんの件にかんして、学校では校長から箝口令がしかれてます。ですから、私から電話があったとは決して他言しないでください。でも、教員はみんなあなた方の味方です。どうか、頑張ってください!!!」

そして、「私の親戚が東京で弁護士をしています。数日後にサンプラザホテルにきますので、どうか娘さんの件を話してみてください。私が話しておきましたので、お金は結構です!!かならず力になると思います!」

母がわらにもすがる思いでお会いした弁護士さんは、話をきいて、怒りに声を震わせたそうです。「こんなひどい話はきいたことがない!!お宅の娘さんは被害者ですよ!!」

弁護士さんはすぐ、東京から男子の両親に内容証明を送ってくださいました。「あなたのしていることは犯罪です。これ以上脅迫するなら、刑事告訴します。」

翌日から男子の両親はピタリとこなくなりました。

それから立て続けに、今度はどこから流れたのか、なんと地元・南海日日新聞の13面に、掲載されました。「学校でのトラブルで保護者が不当な慰謝料請求」

その日から父兄たちの態度は一変しました。あれだけの嫌がらせの電話が、途端に「私はお宅の娘さんを信じてたよ!!」などの激励の電話にかわりました。

母は、今でもPTAは大嫌いです。

するとマスコミから責任を追及された校長は「この件に関しては、学校側は最初から関与していません。まったく知りませんでした」とシラを切り通しました。

のちにこの校長は、知らずに入った私の叔母の店で、「あのときの女子の件は私の現職時代唯一の汚点だ!!あの女子のせいで!!」とグチッていたそうです。

当時のI校長先生、汚点を残してしまいまして本当に申し訳ありませんでした。(笑)

全国からマスコミが取材にきましたが、精神的にボロボロだった母は、すべて断りました。

名瀬警察署からも「その気がありましたら相手両親を詐欺罪と脅迫罪で刑事告訴もできますよ」と言われましたが、もう相手と関わりたくない一心で断りました。

朝日新聞の記者さんが取材を断った母に話した言葉が、忘れられないそうです。

「お母さん、こう言ってはなんですが、お宅の娘さんは事件が公になってよかったんですよ。あの学校とあの校長は、こんなひどい事件をいくつもにぎりつぶしてます。我々としても、、情報はきますが、地元紙がとりあげないかぎりは動けないんです・・・・・・」

それから男子は転校し、その両親はまもなく離婚。しつこく慰謝料をとろうとした男子の母親は、数年前、殺人罪で捕まりました。

母は言いました。

「20年前も今も、学校なんてかわらないんだね。子どもを守るのは、親しかいないのよ。」

それからもいじめにあったり、いろいろありましたが、それを乗り越えられたのは、あの時の父と母の、小さな私の頭をなでてくれた手のひらのぬくもり、あたたかさでした。いじめられてつらいとき、母は学校にいけと言いませんでした。そのおかげで、私はいま生きています。

私は、父と母のように、子どもを守りたい。そんな親になりたいです

タグ :いじめ

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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:11│Comments(0)自分がたり
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