過去記事「『思いは実現する』らしい」から10年
2020年01月17日
今気づいたんですが
私は小さい頃からの夢
奄美の魅力を日本に宣伝したいという願いを
すでに自分が
「ネット上でアマミを名乗る」
ことによって
叶えている。
思いは実現していた。
_________
『思いは実現する』らしい2010年09月29日
ウゼー自分がたりですので、興味ない人は見ない方がいいですっちゃ。
(・∀・)
いろんな本を読んだ。
もちろん中途半端な斜め読みなので、名前をだすのも恥ずかしいので、ここではださない。
でもそんないろんな本に、共通の真理があった。
『思ったことは実現する』
だ。
それが良きビジョンであれ、悪しきビジョンであれ、
どのような場所か、どのような時間か、どのような状況でか、わからないが、
かならず実現する。
だから、思いを明確に持て。さらに、良き思いを実現したいと思え。
それは、かならず自分だけでなく、周りにも影響するからだ。
ま、ざっと書くとこんな感じだったと思う。
これは宗教だけじゃなく心理学でも経営本でも偉人伝でもでてきますわね。
自分の過去の「明確な思い」を振り返ってみる。
幼稚園の頃、はじめて人を尊敬し、憧れる感情というものをおぼえた。
幼稚園でもらえる絵本にあった「マザー・テレサ」。あんな慈愛と奉仕の女性になりたいと思った。
小学校三年のときに、宜保愛子さんの心霊体験の本を読み、霊の世界を知った。
生前の思いによって、死後オバケになる人と、いい霊になる人に分かれるのだと知った。
特に「目に見えない先祖霊や守護霊がつねに護ってくれている」という事実は、すごく驚いたし、感動した。
小学生四年のときに、いじめられていたあまりのつらさに、自殺したいと思った。
でも迷惑をかけた両親のため、両親が死ぬまで自殺してはいけないと思い、それからは毎日いじめっこたちを殺すことばかりを考えていた。
なるべくむごたらしく、苦しめてから殺すビジョンばかりを思い描いた。このピークが五年生のときだったか。
小学校六年のころから、夢ができた。
「郷土奄美の為に尽くしたい。お役に立ちたい」
これはたしか道徳の時間の待ち望んだ郷土教育のページに、奄美のことが西郷さんのエピソードの一個しかのっていなかったのがきっかけだったと思う。
中二のときに男子にいじめられたことをきっかけに頭がおかしくなり、
そのときに「精神障害にいたる原因の半分は他の意識体からの干渉がある」と知る。あれですね。
「雑鬼のささやき」というヤツですね。
中三のときに新元博文氏と交流をもち、新元氏に手紙をいただき、ずいぶん助けられた。
不登校の私に毎日スピリチュアル的な内容の手紙をくださり、独特の表現で励ましてくださった。
これをきっかけに、「雑鬼のささやき」(現実的にいうと「被害妄想」)のなかに、「守護霊・指導霊の意識」がまじるのをわかるようになる。この意識は「良心」とつながっていることもわかる。
中学三年のときに目標ができた。
「ノロ信仰の源流である奄美の姉妹神信仰を広めたい。奄美の精神思想を世にだしたい」
ここまで見ると、私の幼少期から思春期には「虐げられたことへの絶望・怒り」と「霊的世界・宗教的神秘・精神的世界への希望」が両方あったことがわかる。
そういえば、父ちゃんの影響で小五のときから赤旗を読み、高校卒業時まで新日本出版社や第三書館の本をいっぱい読んでいた。
でも考えれば考えるほど「この泥沼の世界を理想の世界にすることは不可能だ」と知り、絶望でいつも枕を濡らしていた。
「私の使命は私には背負えない。私はこの社会を変えられない」
そうすると、「まず自分が自分を救わなければ、何もはじまらない」と気付き、そこから精神世界の本を読みあさるようになる。これが高校生になってから。
自分を知るとはどういうことか。探求すればするほど、自分に盲目であり、自分のことを他人様よりも見えていない事実に驚き、自分という人間の見る目の未熟さに
「自分は今までこんな危うい世界でいきていたのか」
と、自分の主観をうのみにすることの危険性を学んだ。
思いこみのつよい人間だったので、それから「まず周りの人の意見をきく」ということの大事さを学んだ気がする。
ここまでまとめてみてわかるのは私におきた「社会正義への挫折」と「自分を知ることへの探求心」。
面白いことに幼稚園から中学までの「虐げられたことへの絶望・怒り」と「宗教性的神秘、精神世界への希望」と、
高校入学から卒業までの上記の思いはすべてリンクしている。(笑)
これまでの思いが「実現している」とすると、今の私はまだ暗がりから真実の光を求めて見上げている状態なのだろうか?
もうそろそろ、暗がりから自分を探しはるか天からの希望をいただくのではなく、「自分から暗がりを照らす側」になりたい。
それには、『今、何を思うか』その思いにそってどう動くか。
私は思いの点検・志の点検をしてみるべきなのかもしれない。
自分を照らすカンテラは、まだ光が弱い。
やはり、テーマは「愛」なのだろう。
「愛」か・・・・「愛」ねぇ・・・・・・(遠い目)
私は小さい頃からの夢
奄美の魅力を日本に宣伝したいという願いを
すでに自分が
「ネット上でアマミを名乗る」
ことによって
叶えている。
思いは実現していた。
_________
『思いは実現する』らしい2010年09月29日
ウゼー自分がたりですので、興味ない人は見ない方がいいですっちゃ。
(・∀・)
いろんな本を読んだ。
もちろん中途半端な斜め読みなので、名前をだすのも恥ずかしいので、ここではださない。
でもそんないろんな本に、共通の真理があった。
『思ったことは実現する』
だ。
それが良きビジョンであれ、悪しきビジョンであれ、
どのような場所か、どのような時間か、どのような状況でか、わからないが、
かならず実現する。
だから、思いを明確に持て。さらに、良き思いを実現したいと思え。
それは、かならず自分だけでなく、周りにも影響するからだ。
ま、ざっと書くとこんな感じだったと思う。
これは宗教だけじゃなく心理学でも経営本でも偉人伝でもでてきますわね。
自分の過去の「明確な思い」を振り返ってみる。
幼稚園の頃、はじめて人を尊敬し、憧れる感情というものをおぼえた。
幼稚園でもらえる絵本にあった「マザー・テレサ」。あんな慈愛と奉仕の女性になりたいと思った。
小学校三年のときに、宜保愛子さんの心霊体験の本を読み、霊の世界を知った。
生前の思いによって、死後オバケになる人と、いい霊になる人に分かれるのだと知った。
特に「目に見えない先祖霊や守護霊がつねに護ってくれている」という事実は、すごく驚いたし、感動した。
小学生四年のときに、いじめられていたあまりのつらさに、自殺したいと思った。
でも迷惑をかけた両親のため、両親が死ぬまで自殺してはいけないと思い、それからは毎日いじめっこたちを殺すことばかりを考えていた。
なるべくむごたらしく、苦しめてから殺すビジョンばかりを思い描いた。このピークが五年生のときだったか。
小学校六年のころから、夢ができた。
「郷土奄美の為に尽くしたい。お役に立ちたい」
これはたしか道徳の時間の待ち望んだ郷土教育のページに、奄美のことが西郷さんのエピソードの一個しかのっていなかったのがきっかけだったと思う。
中二のときに男子にいじめられたことをきっかけに頭がおかしくなり、
そのときに「精神障害にいたる原因の半分は他の意識体からの干渉がある」と知る。あれですね。
「雑鬼のささやき」というヤツですね。
中三のときに新元博文氏と交流をもち、新元氏に手紙をいただき、ずいぶん助けられた。
不登校の私に毎日スピリチュアル的な内容の手紙をくださり、独特の表現で励ましてくださった。
これをきっかけに、「雑鬼のささやき」(現実的にいうと「被害妄想」)のなかに、「守護霊・指導霊の意識」がまじるのをわかるようになる。この意識は「良心」とつながっていることもわかる。
中学三年のときに目標ができた。
「ノロ信仰の源流である奄美の姉妹神信仰を広めたい。奄美の精神思想を世にだしたい」
ここまで見ると、私の幼少期から思春期には「虐げられたことへの絶望・怒り」と「霊的世界・宗教的神秘・精神的世界への希望」が両方あったことがわかる。
そういえば、父ちゃんの影響で小五のときから赤旗を読み、高校卒業時まで新日本出版社や第三書館の本をいっぱい読んでいた。
でも考えれば考えるほど「この泥沼の世界を理想の世界にすることは不可能だ」と知り、絶望でいつも枕を濡らしていた。
「私の使命は私には背負えない。私はこの社会を変えられない」
そうすると、「まず自分が自分を救わなければ、何もはじまらない」と気付き、そこから精神世界の本を読みあさるようになる。これが高校生になってから。
自分を知るとはどういうことか。探求すればするほど、自分に盲目であり、自分のことを他人様よりも見えていない事実に驚き、自分という人間の見る目の未熟さに
「自分は今までこんな危うい世界でいきていたのか」
と、自分の主観をうのみにすることの危険性を学んだ。
思いこみのつよい人間だったので、それから「まず周りの人の意見をきく」ということの大事さを学んだ気がする。
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