土地の記憶 とあるサイトに投稿した話
2010年02月15日
土地の記憶
アマミキョさんからの投稿
これはある人から聞いた土地の記憶にまつわるお話です。
知人の女性が、奄美大島南部・宇検村で車を走らせていたときのことです。
ある道を通りかかると、それまでの建物から一変して、昔風のかやぶきの家家が見えてきたそうです。
今思えばあきらかにおかしいのですが、その女性は考え事をしていたらしく、あまり深く考えずにとおりすぎたそうです。
すると、かやぶきの家家の集落をぬけようとする直前に、アスファルトの道路わきの土ほこりたつ道を歩く老婆とふと目が合いました。
(よく考えたらわかるが、アスファルトの道路の真横にほこりが立つほどのむきだしの土の道があるわけがない)
おばあちゃんは昔風のひざまでしかない着物に帯を前結びに巻き、(奄美・沖縄は帯は前結びです)裸足で、テルという竹籠をかついでいました。
女性は思わず車の中からおばあちゃんに会釈すると、おばあちゃんもニコリと笑って会釈してくれたそうです。
なんだかいい気分になり、しばらく車を走らせていましたが、ぼんやり考えはじめていました。
『そういえば、あの付近、人住んでたっけ……?』
翌日通りかかると、そこは集落どころか、人ひとりすんでいない荒れ地でした。
話をしてくれた方によれば、昔そこには集落があったのですが100年前に大きな台風で壊滅状態になり、住民は離散、集落も廃村になって久しいとのことでした。
「きっと彼女は、土地の記憶の中に入ったんだろうな」
なんだか、少しだけうらやましいと思ってしまいました。
これとは違いますが、私も北大島の聖地アマンデーにて、不思議な感覚に襲われたことがあります。
主人と二人で参拝させていただき、奄美の神々への感謝の思いをあらたにしたときのことでした。
頭の中に、突然なんともいえない、不思議な記憶が流れ込んできたのです。
大海原をわたる古代の帆船の船団、さまざまな時代をうつろう島の人々のさまざまな暮らし、喜びとかなしみ。生きものたちの営み。それを永きにわたって見守り、はぐくむ高い眼差し。
私はそれが何かを知りました。ああ、これは奄美の歴史の記憶なのだ。神々の眼差しなのだと。
私が見た感覚は一瞬でしたが、見た時間は一万年にさえ相当するのではないかと思えました。
私は感動ともったいない思いで、涙がこみあげました。
奄美の地にご縁をいただけたありがたさを、深くかみしめた出来事です。
長文・乱文失礼いたしました。
アマミキョさんからの投稿
これはある人から聞いた土地の記憶にまつわるお話です。
知人の女性が、奄美大島南部・宇検村で車を走らせていたときのことです。
ある道を通りかかると、それまでの建物から一変して、昔風のかやぶきの家家が見えてきたそうです。
今思えばあきらかにおかしいのですが、その女性は考え事をしていたらしく、あまり深く考えずにとおりすぎたそうです。
すると、かやぶきの家家の集落をぬけようとする直前に、アスファルトの道路わきの土ほこりたつ道を歩く老婆とふと目が合いました。
(よく考えたらわかるが、アスファルトの道路の真横にほこりが立つほどのむきだしの土の道があるわけがない)
おばあちゃんは昔風のひざまでしかない着物に帯を前結びに巻き、(奄美・沖縄は帯は前結びです)裸足で、テルという竹籠をかついでいました。
女性は思わず車の中からおばあちゃんに会釈すると、おばあちゃんもニコリと笑って会釈してくれたそうです。
なんだかいい気分になり、しばらく車を走らせていましたが、ぼんやり考えはじめていました。
『そういえば、あの付近、人住んでたっけ……?』
翌日通りかかると、そこは集落どころか、人ひとりすんでいない荒れ地でした。
話をしてくれた方によれば、昔そこには集落があったのですが100年前に大きな台風で壊滅状態になり、住民は離散、集落も廃村になって久しいとのことでした。
「きっと彼女は、土地の記憶の中に入ったんだろうな」
なんだか、少しだけうらやましいと思ってしまいました。
これとは違いますが、私も北大島の聖地アマンデーにて、不思議な感覚に襲われたことがあります。
主人と二人で参拝させていただき、奄美の神々への感謝の思いをあらたにしたときのことでした。
頭の中に、突然なんともいえない、不思議な記憶が流れ込んできたのです。
大海原をわたる古代の帆船の船団、さまざまな時代をうつろう島の人々のさまざまな暮らし、喜びとかなしみ。生きものたちの営み。それを永きにわたって見守り、はぐくむ高い眼差し。
私はそれが何かを知りました。ああ、これは奄美の歴史の記憶なのだ。神々の眼差しなのだと。
私が見た感覚は一瞬でしたが、見た時間は一万年にさえ相当するのではないかと思えました。
私は感動ともったいない思いで、涙がこみあげました。
奄美の地にご縁をいただけたありがたさを、深くかみしめた出来事です。
長文・乱文失礼いたしました。
ぽえむん 「苦悩と天人」
2010年02月15日
善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや
自分が悪人であると知ったとき
自分が罪人であるとしったとき
こころがおれた
私とはなんだったのか
私のにくしみはなんだったのか
私のいかりはなんだったのか
私の命はなんだったのか
抗う事のできない大きな「否定」に
のこった感情は ただただ惨めさだった
自分の罪の重さに頭をかきむしった
自分の存在価値がどこかに消えてなくなった
自分のこころから匂い立つ泥沼の腐臭が
いつも背中をがりがりとかんでいた
笑っている顔をはりつけていても
ポケットの中の拳は震えている
私はここにいてはいけない
ではどこにいけばいい?
死ぬ権利など私にはない
私はどうすればいい?
生きてきた罪の重さがつねに私を嘖んだ
しかしあの絶望の中に手を合わせ
誰かにひたすらに祈ったときに
たしかに一条の光はおりたのだ
殺してくださいともいえず
助けてくださいともいえず
許してくださいともいえず
ひたすらに祈るしかなかった私に
光は語ったのだ
“あなたの苦しみをもって
後にくる者の支えとなれ”
これが悪人の使命なんですか
これが罪人の役目なんですか
私でも 私のような者でも
誰かのおやくにたてるんですか
誰かのおやくにたてることがゆるされるんですか
ああこの福音を この愛を
私のような者が頂いていいのですか
天人は笑わないという
でもその心は深く慈愛と寛容にみちているという
あのときつかんだ天人のすそ衣を
私はどなたにおかえしするのでしょう
悪をしり罪を知り己をしり使命をしれば
救われない者などいないのだと
教えてくださったあなたのこのすそ衣を
かならず後にくる方に
もうあれから13年
私はあれからなにかをなせたでしょうか
自分が悪人であると知ったとき
自分が罪人であるとしったとき
こころがおれた
私とはなんだったのか
私のにくしみはなんだったのか
私のいかりはなんだったのか
私の命はなんだったのか
抗う事のできない大きな「否定」に
のこった感情は ただただ惨めさだった
自分の罪の重さに頭をかきむしった
自分の存在価値がどこかに消えてなくなった
自分のこころから匂い立つ泥沼の腐臭が
いつも背中をがりがりとかんでいた
笑っている顔をはりつけていても
ポケットの中の拳は震えている
私はここにいてはいけない
ではどこにいけばいい?
死ぬ権利など私にはない
私はどうすればいい?
生きてきた罪の重さがつねに私を嘖んだ
しかしあの絶望の中に手を合わせ
誰かにひたすらに祈ったときに
たしかに一条の光はおりたのだ
殺してくださいともいえず
助けてくださいともいえず
許してくださいともいえず
ひたすらに祈るしかなかった私に
光は語ったのだ
“あなたの苦しみをもって
後にくる者の支えとなれ”
これが悪人の使命なんですか
これが罪人の役目なんですか
私でも 私のような者でも
誰かのおやくにたてるんですか
誰かのおやくにたてることがゆるされるんですか
ああこの福音を この愛を
私のような者が頂いていいのですか
天人は笑わないという
でもその心は深く慈愛と寛容にみちているという
あのときつかんだ天人のすそ衣を
私はどなたにおかえしするのでしょう
悪をしり罪を知り己をしり使命をしれば
救われない者などいないのだと
教えてくださったあなたのこのすそ衣を
かならず後にくる方に
もうあれから13年
私はあれからなにかをなせたでしょうか
褒めるちから
2010年02月15日
以前、mixiニュースで現役ナンバーワンキャバ嬢の接客のコツについての話があった。
なかなか面白かったが、覚えている範囲内ですごいなぁと思ったのが
「一人ひとりのお客様を決しておろそかにしない。できるかぎり観察する」
「会話のなかでも相手の話、特に趣味・関心領域に心から共感し、そこから話題をふくらませていく。」
「相手が求める理想像(明るい人、おだやかな人、少しドジだけどお茶目な人、けなげでひたむきな人など)を感じ取り、そのようにふるまう」
「相手のすばらしい部分や長所をかならず誉める」
だった。
たしかホストでも、似たような話を昔どこかで読んだ気がする。愚痴を一生懸命にきいてやり、求める理想像を演じ、長所を誉めてあげ、「あなたは特別なひとだ」と伝えること。
これを多くの女性が求めるのだと。
人は評価を求めやすい。それによって心ゆれたり、いい評価をいただけただけでありえないパワーをだせたりする。
これは接客術でもあるだろうが、対人関係、また自分自身を見つめるうえでも大きな知恵になりうるのだと思ってみたわけですよ。
私は相手の会話をじっくり聞けているだろうか?(大体一方的に話す)
私はお客様や周りの方にどれだけの関心をむけているか?(ほとんど関心ない、父ちゃんと母ちゃんの誕生日も最近まで覚えられなかった)
相手のニーズに合わせた自分像でふるまえるか?(しゃべるか黙るかくらいしかできない)
相手の長所を褒められるか?(これはできるぞ!)
まぁ、100点満点で25点もいかないかもしれない。どーん。
対人関係への工夫と問題意識がたりないなぁ~。もっと自分を練らないと・・・
(>'A`)> ウワァァァァ
では、どうして私は自分や他人様を褒めることができるのだろう。ふと思った。
それは私が幸いなことに、周りから褒める言葉をいっぱいいただいていたからだろう。
小さい頃、近所のおばちゃん達は幼い私をなにかと理由つけては褒めてくれた。
「買い物?お母さんのお手伝いね!感心じゃがー」
「お兄ちゃんと仲がいいね!えらいが!」
「もうそんなに大きくなったのね!えらいね~」(意味わかんねー 笑)
つらいときにも、周りの目上の方々が褒めてくれる言葉が私に力をくれた。
「あなたには人知れぬ使命がある。だから世間の者が理解できない苦しみを背負っている。」(一歩解釈を間違うと慢心街道まっしぐらですげーアブない。 笑)
「あなたの笑顔は周りの力になる。その笑顔はすばらしい」
「この文章は普通の人には書けない。」
「アホだけど頭の回転はすごい」
これらの言葉を言ってくださった方々は、そのときの言葉を今はもう覚えておられないかもしれない。
しかし、考えるとそのときの褒めてくださった言葉が、生来愚鈍で周りに迷惑ばかりかけ続け、そのような自分にいつも怒りを向けているばかりであった私を支えてくれていたのだと思える。
だから私は、自分を満たしてくれた言葉を、その恩を、いままわりの方にささやかでもお返しさせていただいているだけなのかもしれない。
自分が苦しいときには自分を褒めてくれた言葉にすがれるものだ。
誰も褒めてくれないときも、自分をある程度知っていれば、自分を褒めてやれる。
自分や他人の長所を褒めて、そこを伸ばせる人間になりたいと考えていたら、思いつくのはやっぱり師匠だった。
し、師匠(*´Д`*)ハァハァ