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金神の艮の文(かなーり長文です)

2010年03月21日

私的にすさまじく重要だと思われる霊示。
かなり長文ですが、読んでみてください。
いろんな意味で震えが来ます。









これは以前、ネット上で見つけ、個人的に保存しておいたものです。
 このメッセージを降ろした存在が、本当は誰なのかは不明ですが、内容からして、かなり核心をついていると思われるため、今、再び世に出すことにしました。

注)原文に付けられていた「読みがな」が拡大されていますので、単語が「ひらがな」と「漢字」で重複しますが、ご容赦下さい。


ついにぞ来たれし天の時、あまか天翔けくにか国馳けてん天をま舞い天下に雷鳴轟かせ神の御国と建て替える。
あらゆる教えを混ぜ混ぜて一つの法といたすぞよ。
神無し思想の者どもが栄え栄しその裏で金神眼見開いて見ておる事ともつゆ知らず、やりたい放題、し放題、あたかもこの世は人の世とはき違いたる主義思想、かん間ぱつ髪い容れず人の世に一厘入ってまるつぶ潰れ、神無し思想ぞまる潰れ、神信心は馬鹿なりと人の世界ぞ思う頃、神の仕組みは整うた。
あらゆる宗派はいち一となる、神の合図で一となる。
神の仕組みの出来上り。
聞いてびっくり見てびっくり、このカラクリを知りたなら開いた口とてふさ塞がらぬ。
嬉し嬉しで開く口とあびきょうかん阿鼻叫喚に開く口のふたつとなりし時なりと覚悟の上で知るがよい。
異変が天に起こる時、大地に異変起こるなり。
天地十字に結ばれし嬉し嬉しの大異変、この時、神が現われて各宗各派を統治する。
まず宗教は大異変、宗教界は大異変、一厘入った宗教はこれまでやり来たさまざまな事ではこれより立ち行かぬ、これよりやり方変えようぞ、あちらにやり方変えようぞ、打って変りてひるがえ翻り、手のひら返しておで出なお直し、それはそうなり、そうなりと各宗各派はよみがえ甦る。
さすれば目的なんなりと各宗各派は思案する。
以外や以外これまでは戦い競うて来たなれど、我らの目的ただ唯一つ、世界の平和に貢献と各宗各派は湧き上がる。
一厘はい入った宗教と一厘はい入らぬ宗教は誰が目にとてわかるから宗教界は大騒ぎ上に下にの大騒ぎ。
一厘はい入った宗教はこれぞ、これぞとも盛りあが上り、昔のやり方さようなら、神をわからん者達のごきげん機嫌取りともさようなら、さよう、なら神信心をさせてくれ、わしにも信心させてくれ。
このご後におよびて申しても、こなたにかもうておれんからこなたの岸とはさようなら。
全ての教えは舟となる、一厘入って舟となる。
彼岸に登る舟となる。
神信心の尊さをと説けどもわからん者達がこなたに残りてさようなら。
人のよ世のなか中終る日の、終るせつな刹那の物語。
涙、なみだの物語。
金神正体明かすぞよ。
天理教にて金の龍、もと元の神にてじつ実の神、できたるばかりのこの大地、泥海の如き有様を、ここまでちく馳駆しかた固めたるおや親がみ神、天のしょうぐん将軍はこんごうりき金剛力の金龍とかしこみつつしみ知るがよい。
天の命にて三千年いんせい隠棲いたせしおおもと大本の神のでぐち出口のくちびら口開きうしとら艮の神と現われて三千世界を建て直す。
これより申すさまざまのこれまで隠せし仕組み事。
けすじ毛筋の幅も違わんと申しておくゆえかくご覚悟せよ。
神信心の信徒より順々一厘ぎんみ吟味する。
神信心の人々はこれよりさば裁きの庭に出る。
こく国そ祖、くに大国とこ常たち立しんのう親王が、これよりじきじき直々裁きする。
善人、悪人顔に出る、神が中心宿る者、形だけなる神信心、ぎょうじゅうざが行住坐臥もさながらに一目見た時、顔にで出る、わしが見るからすぐわか判る。
問答無用と申すぞよ、言いわけ訳無用と申すぞよ。
じゅうにひとえ十二単に身を包み、みやびゆうが優雅にふ振るま舞えど一厘無くばわら藁ごろも衣、まるめて捨て去るふくろおび袋帯。
美人美形の者でさえ鼻毛一本まる潰れ、それほど一厘わかるぞよ、それほど一厘わからんぞよ。
その一厘ぞ別れ道、たった一厘分れ道。
ぬれ濡ぎ着よご汚れぎ着身にまといみの蓑を負いたる者でさえ一厘あらば大丈夫、わしが言うから大丈夫。
針穴くぐれる人となり天にも昇る身となれる。
いかなるざいしょう罪障、悪因縁、汚れしころも衣と脱ぎ捨てる。
神信心のありがたさ、かたじけなきは神信心。
正しき心の神信心、以外の事では味わえぬうま旨い話とわかるまで人それぞれにかかりてもけっきょく結局わかる神信心、ありがたきこそは神信心。
それゆえに心に一厘無い者は何が何とてわからずに言って聞かせる事も無い。
げに恐ろしきは神信心、よこしまごころ邪心の神信心。
天理教にもわしが出る、キリスト教もわしが行く各宗各派ことごとく金神これより参るぞよ。
わしの姿は見えずともわしの意とする者が出る。
例えて言わば天理教、増井りんなるその者は針穴通るか通れぬかその魂を吟味する裁きの役目の者なるぞ、裁く役目の者達が各宗各派に現われて、神信心の信徒より順々一厘吟味する。
それがわしだと思えども姿も見えず声も無い。
ただ唯、金神が見きわめる。
神信心の者達を上から下まで吟味して一厘宿りし者のみを針穴通して連れ帰る。
これにて申するもろもろは毛筋の幅も違わんぞ、毛筋の幅も違わんぞ。







神をシカリとつか掴みたら何をやりても大丈夫。
何をやりても青信号、うなぎつか鰻掴みの者たちがうおう右往さおう左往をする様がおもしろおかしく見ゆるのぞ。
マツリの型ぞと申すぞよ。
ど真ん中で約り合うた真釣りの型こそ人の身ぞ。
これまでやり来た神信心真釣りの型ぞと申すぞよ。
こっけい滑稽なりや神信心、奇っ怪なりや神信心。
その真ん中ぞ釣り合わぬ奇妙奇け裂、神信心。
自分可愛い一念が鰻掴みとしとるのぞ。
早く知らしてやりとうて地団駄踏んでもおぼつかぬ。
何を拝んでおるのぞと哀れおかしや神信心。
人が言うても聞こえぬし神が見せても気がつかんお偉いお方が申す事これしか救いはござんせん。
お偉いお方が申すなら何が何とていたします。
言われてした事やりた事、わかりましたと申しても鰻は逃げて水の中、何が何とてわからずに謎は深まる一方ぞ。
己が思いを形にし汗だし泣き見て涙してもがき苦しみ道求め神はいずこと渡り来てようやく知りうる神の守護。
これぞ誠の金剛石ぞ、神信心の宝なり。
この宝、ただやりとうて見せたる守護ぞ、あっと驚きあだ仇となる、良かれと思い出す守護に人の取り方逆に出てあだ仇となるこそいと哀れ。
雨風降りてやり槍降りて金剛石が降り出てもただ唯、中心は人救い、この一点が真ん中のど真ん中にしず鎮まりてシカリとはい入りておりたなら何をやりても大丈夫
その身その者する事は神がするのと同じ事。
何事やりてもピンと出て何事やりてもサマとなる社殿ぬかづき手を合わせ祝詞わあーわあー上げたとて何が何とて何が為、何を拝んでおるのぞと、哀れ滑稽ど真ん中、この一厘が大違い。
違い、気違い、気が振れてわあーわあー祝詞上げたとて神は聞くやら聞かぬやら、哀れ儚き神信心。
自己中心の神信心、自己中心の神信心。




やれと言われてやりた事、ほ誉めてたた称えてやりた事、一厘入ってクズとなる。
やれども、やれども誉められず途方に暮れて泣きを見るもくず藻屑の如き行いが一厘入ると徳となる。
夜の切り替えぞと言うたぞよ、世の切り変えぞと言うたぞよ。
夜の時代の勝ち相撲、勝てば勝つほど辛くなる。
負けば負くほど強くなる。
ま蒔け蒔け蒔け蒔け一の種、蒔くけば蒔くほど花と咲き、捲け捲け捲け捲け寅の巻、捲けば捲くほどみ実ぞみの実る。
春まけ夏まけ秋にまけ冬にまければハルマゲドン
魔の神、ドンと落ち行くを我ら喜びハルマゲドン
春、魔、下、ドンこそハルマゲドン。
善と悪とは同じ事、大神様には同じ事。
悪があるから善がある、相対世界の実相は互いは互いの証明書、影こそ光の証なり。
陽と陰との融合をひつき日月で示すこの度の真文明の世界なり。
この事、先にてわかるから、いやでもこれより、わかるから楽しみ事はまだ言わぬ。
東京強しと言うた頃、これぞ、あれぞと言うた頃猫やシャクシを真似まねて貴き豆腐のたた叩き売り豆腐一丁、かね金一兆、一兆つ積もうが預けぬ尊き豆腐は蔵ざらえ。
気も振れたりと思いきや、あれを目ざせとさわ騒ぎ立てやりたる神徳まる潰れ、一厘入ってまる潰れ。
それをあお煽った者たちがそれ見た事かと言う者に、う打って変って翻る転身のじゅつ術の見事さに、さすがの神もギョギョギョのギョ、びっくり仰天ギョギョギョのギョ。
ぬれ濡ぎ着よご汚れぎ着さしあう本正見えたるその時の神の残念わからぬか、自己愛は悪のごんげ権化であるなれどここ、のわからぬ利他愛に神の御用はつと勤まらぬ。
あれやる時ぞあれをやる、これやる時ぞこれをやる。
あれとこれとのはざかい境目はあれこれ申さずうずくま蹲れ。
峠来たならおよ押し寄せる。
わけ訳のわからん人々が、何とてするで連れ行けと、どこがどうしてどうなりて言われてした事、どこ悪い。
置き去るすじ筋ぞあるまいと、めくらめっぽうお押しか駆ける。
神の残念わからぬか、神の残念わからぬか。






御書ぞシカリと読みなされ、尋ねられてもわしゃ知らぬ。
上のお方に聞きなされ、上から言われ言ち出されこれが良いぞと言われれば、これが良いぞと言うだけぞ。
心、第二のその頃は、わかりえぬのも無理ないがさらに自然に宿りたる神々様の恩恵を取り次ぐ心も持たぬから農作業など目もくれぬ。
これまでこれで行けたぞよ、これぞ夜間のりっぽう律法ぞ、そんなむたい無態な時期にいて自己の損徳帰り見ず、そんな無態な打ち出しにさか逆らいそむ背きたて楯をつ突く、そんなぎゃくぞく逆賊おりゃせんか、ぎゃく逆の逆賊おりゃせんか。
逆の逆から日が昇る、しんにょ真如の逆ぞ真理ぞよ。
裏の裏こそ表なり、表返って翻る。
尻に火のつく者たちと、頭に角を頂いた、獣性、神性入れ替えて三千世界ぞ建て直す。
神が表に現われてむげ無碍の光で照らすなら、悪業、悪徳出てこぬか、陰徳、博愛出てこぬか。
出てこぬように祈るぞよ、出て来るように祈るぞよ。
神が人様祈るぞよ。
教師のきょう教の狂いたるこの有様は何事ぞ、資格者、失格者この度は神がキチリとかたづ片付ける。
教師、狂師を立分けて、大神様にお詫びせよ。
狂師、恐師は生み直し、もっぺん一からやり直し。
この事、前にも申したぞ。
どなたか前にも申したぞ。
利他愛の人は地獄に沈むぞよ、自己愛の人は極楽登るぞよ。
ごくごく苦しくごくごく楽でどちらもさっぱり、わからずじまい。
あにはからんや日の出かな、自己を救いに登りし者と人を救いに沈みし者が、逆さとなりしおもしろさ。
昇り昇りて日が昇りゴモクと宝分けんかな。
天下分け目の閻魔堂スッキリ、キッチリ片付ける。
この目誤魔化す事のみをあれこれ企て私案して、一心不乱に嘘を吐く舌は腐りてくると知れ、目の玉腐りてくると知れ、あまつさえ手足腐りてくると知れ、腹も腐りてくると知れ。
利他の愛、耳だこできるそれほどに説いて説いて説き聞かし蔭から守護して来たなれど、わからん魂もういらん、ご機嫌取りはここまでじゃ。
神の戸が開く直前に金が降る、金銀玉があふ溢れ出て人間様の目がくら眩む。
神が心に宿る人、これにて人様救えると感謝、感激、あめあられ雨霰。
おかげも貰えば良い人はただ唯それだけの人々は、あっと言う間に気が振れる。
これにて己れは救われた、ここまで来たら大丈夫どちらがどうとは申さねど、自ら選びし道なれどかんながら惟神、かんながら、他人がさせるやないほどに、神がさせるやないほどに、お徳もさび錆も身からふ噴く。
金神正体明かさぬを知るや知らずや人の世は、バブル、バブルのその頃にあれて濡手にあわ粟のくずぜに屑銭を屑がひ拾うて屑使い、屑買いしめたる屑の山。
同じことがら事柄二度とする仕組、同じ事柄二度する仕組。
グズグズしておる暇は無い。
悪神、悪仏金が降る、大地が震うまぎわ真際まで。
神にこ焦がるる人々は喰うや喰わずの食なれど、それでもう飢えず苦しまず、嬉しき事のみ増えてくる。
おかげ中心、神中心。
どちらを神が選ぶやら、さら攫ってに逃げてめ愛でるやら。





天にめ召されしさる方に天のお方は申された。
いさおし勲た立てたるその方に天のお方は問いかけた。
ろんこう論功こうしょう行賞何望む、勲立てたるそのてがら手柄、何をほうび褒美にとらそうぞ。
かんぱつ間髪い容れずにそのお方、天なるお方に望まれた。
いち一の救済望むゆえ尊いお姿ふみえ踏絵する。
己が命はいらぬゆえ、あと後は野となれ山となれ。
こういう事になりたれば、どんな者にも手は出せぬ。
時節が来んうち手が出せぬ、どんな無理事、難題も我身投げ出しするかぎり聞かぬわけ訳には行かんぞよ。
金神時節に勝てぬのもそんなこんながありたから肝腎要、勧進帳、金神これぞ閻魔帳。
神幽現の三界の裏に隠れし金神の無念残念三千年この度、時節来たからは怨みつらみを晴らさんと天のおざしょ御座所にか駆けのぼ上り三千世界を建て直す。
時節来たりて幕が開く、三千年の序幕なり。
人が神なるこの度の三千世界の幕明けは、火の雨降らす大洗霊、岩戸開きのその時は人が神にて現われん。
この事シカと申したらシカとわかりし者たちとシカとわからん者たちぞシカと分かれる時期と知れ利他の愛、栄える世界ぞ築かんと泣く泣く踏絵ぞした者と、自己の愛、我こそ救うてもらわんと、平気で踏絵ぞした者がシカと分かれる時なりと、金神シカと申したぞ。
天に召されしその方のお名前知らぬと言わせぬぞ。
ごしょうめい召名、知らぬなりとは言わせぬぞ。
キリストの再臨の謎、解くるなり、ほどなく謎ぞ解くるなり。
大神様のお出ましを一身と賭して食い止めた尊きお方の論功を、き切りの
スト主徒ぞと申すぞよ。
ヨハね子、ヨハね子は黒ネズミ、キリストならば白ネズミ。
この謎ほどなく解くるなり、この謎ほどなく解くるなり。




気狂いの者に何事説いたとてわからん時節となりたゆえみじたく身支度いたして下されよ。
神一厘の別れ道、お覚悟いたして下されよ。
これまで大家にす住まいしてびしょく美飾びい美衣にてくるまれてノンキ、ノンキの方々はは剥ぎ取るものとて多いゆえシカリとお覚悟下されや。
地獄の沙汰は金しだい、金神しだいと申すぞよ。
金神許さぬ金品も物も住居も人さえも通す事無き大峠。
まことごころの人々をまず引き上げて建て直し。
狂うた世界ぞ建て直し。
政治、経済、貿易や種々雑多なるまつりごと政、神信心から衣、食、住、何から何までこの度は一ぺんつぶ潰してま混ぜま混ぜて一から出直し、やり直し。
誠心が中心のしん芯にシカリとおさ納まりて神の守護ぞ息吹きする光輝くものとして世界まるごと生み直し。
その手初めが日本国、東、東と進み出たおひがし東さま様の日本国、世界の中心ど真ん中。
すめらみ皇の国と申すぞよ。
昔々のその昔、ことたま言霊さちわう国なりと申し聞かせて来た事は金龍この度現われて金神の世となるおさしずぞ。
建て替えのうず渦ぞ見えたなら、ほどなく渦ぞ見えたならたづ訪ねてござれと申すぞよ。
どこがどうとは申さねど渦ぞ日に日に現われて、世のぶちこわ壊し見えるぞよ、世の建て直しが見えるぞよ。
色なり音なりくんこう薫香で見え出す頃にはきづ気付くぞよ。
われ我も我もと押し駆けて人垣できて来たるなら、そこがそうぞと申すぞよ。
一旗上げて金神の守護のでどころ出所わかりたら、渦がシカリと見えるぞよ。
渦が渦巻き渦となり渦から渦が生まれ出てシカリと物事見える者、これぞ、こうなり、こうなりとうず疼く心も渦巻いて渦にあわせて一踊り。
グズって渦に乗れんだら損になりやと次々に人押し駆ける金の渦、金剛力の金の渦。
身仕度いたして下されや、身仕度いたして下されや。
気の違いたる人々に渦の話をいたしても回る方向違うゆえわかる道理はござらぬぞ。
これまで来たるは暗の渦、押し寄せ来たりた渦巻きはよご汚れ水ぞと申すぞよ。水のわざわい禍、逃れん為の月の守護ぞと申すぞよ。
金神表に出たかぎりまみず真水にいたして押しもどす。
汚れ一切許さんぞよ、汚れ一切許さんぞよ。
一厘違いは大違い、あん暗とめい明では大違い。
み魂磨いて下されと申してきたるはこの事ぞ。
この道理わかるみ魂となる事ぞ、この道理わかるみ魂となる事ぞ。
金神表に出たからはきんぎん金銀ざい財を降らそうぞ。
これまで我慢を重ねたは金神とても同じ事。
子供欲しがるあれこれを、やれぬは親のふびん不愍なり。
子の不愍知りつつ見つつ我慢した親の不愍も不愍ぞよ。
これより天下を分けるゆえ上と下とに別けるゆえ金銀財を降らそうぞ。
この大地馳駆し固めし金龍の金剛力はいかほどぞ見せぬわけには納まらぬ。
まなこ眼、開らきて金神の世直しシカと見とどけて手柄上げなん神の子よ。
人は皆、神の子なりて神の宮、中央神がしず鎮まれる尊きお宮ぞ人の身は、眼開きて見よとても道理のわからん人々にこれほどわからん道理無し。
道理、道理は文字通り道の理屈であるからに、道を渡れん者達にこんな道理ぞ知るどうり無しとし申さばそのとうりめあ目開き、めくら盲ぞ別かれゆく。
金神表に出たるなら目鼻口さえ開けられず立ちて歩くもおぼつかぬ人々どっと出るゆえに、その時シカリと目を開き大地踏みしめ歩むのぞ。
神はこれまで言わなんだ、何が何とて言わなんだ。
一厘隠しは神隠し。
一厘ふ伏せねば立ちゆかん、これまでの世ぞ立ちゆかん。
されど時節ぞ来たからは一厘伏せては立ちゆかん、これからの世ぞ立ちゆかん。
ゆえに一厘明かすぞよ、これより一厘明かすぞよ。
神信心、無くばこれまで治まらん、これまでの世ぞ治まらん。
されどこれより神信心、超えねば世の中治まらん、これからの世ぞ治まらん、ここに一厘ひ秘めたぞよ。
あらゆる教えは九分九厘、どなたの尊き教えとて一厘隠して九分九厘、一厘隠しはカミ隠し。
わしの神さん一番ぞと、どこの信徒も思とるし、それでなければ神信心、成り立つ筋もあるまいぞ、ひつき日月、出たりと申すぞよ、最後の日月現われて、全ての日月がわかるぞと皆々様に申すれば、わかりてくる者数知れず。
この日、この時、待ちていた、全ての日月はわかりたと言って出る者そこここに現われ出たるぞ、やれ不思議。
これまでの日月神示も九分九厘、何が何とてわからずや、なれどおかしやおかしやと一厘伏せて申したら、あんなものぞと思いきや、一厘のふた蓋ぞ開けたれば、これはおかしやおもしろや、やれ、おもしろや、おもしろや。
目の開く者ぞ現われん、されどこれにて日が昇る。
日月のふみ書にも日が昇り何が何やらわからずに文字見るどころか書さえも手に取る事さえかなわずに足から手から錆の噴く哀れ悲しき人々ぞどっと出るぞと申すぞよ。
目開き盲が別かれゆく時節なりとはこの事ぞ。
越すに越せない大峠、せま迫り来たゆえ申すのぞ。
金神前より伏せていた一厘の事を申すのぞ。
上と下とのど真ん中、右と左のど真ん中、腹の中心ど真ん中、はらおび腹帯し締めて下されや。
こことこことの真ん中にそれぞれ神が降りるのぞ。
人それぞれの真ん中にこの度、神々舞い降りて、人なる肉身に鎮まりて三千世界ぞ建て直す。
世の建て替えとぶち潰し同時に起こると申すぞよ。
どちらに出るかその沙汰は金神次第と申すぞよ。
金神のご沙汰次第と申すぞよ。







金神表に出たならば、そこが都と申すぞよ。
奇想天外、驚天動地、奇妙奇け烈、まか摩訶不思議。
摩訶摩訶不思議な事とても、マニマニ、マニィがあら顕われて一切合財照らすなら、こんな事ぞとわかるぞよ。
一切合財わかられて拍子ぬ抜けしてつんのめり尻もちつかんで下されや、もち餅はうす臼にてつ搗きなされ。
餅はきね杵にて搗きなされ、キツネツキではいかんぞよ。
人の世の中終る頃、狐、狐のきつねつ狐憑き、上から下まで霊憑り、その九分九厘が狐ぞと人間様にはわかられぬ。
あら、情無や狐憑き、月の守護の時代ゆえ憑きもの有利の時期ゆえにきつね狐、たぬき狸やそのほか他の種々雑多なる憑きものが人間世界に踊り出て悪さしてたと申しても、人の学理で固まりた頭で理解不可能ぞ。
これこそまさにこりこりにこ狐り狸固まりたこ狐り狸こ狐り狸の狐狸の霊ぞと申すぞよ。
こんな手合いのお相手はもうこりごりぞと申すぞよ。
金神表に出たからは、これより人にばんきょ蟠踞した狐狸かたまりが大騒ぎ、上に下にの大騒ぎ、七転八倒するさまが世のあちこちで見えるゆえシカリと見定め下されや、尻餅つかず落ち着いてシカリと見定め下されや。
金神光が強いゆえ表の守護となりたなら今までゆるりと落ち着いて蟠踞していた悪霊が住み所無しぞと泡喰いて跳んで火に入る事となり、わかりてくるぞよ、おもしろや、やれ面白や、面白や。
悪のねだや根絶しおもしろや。
人の身の頭脳内部のこことここ、ここに狐が住みたなら、やる事なす事狐憑き、キツネアブラゲ好物と申してきたはここの事。
こここそここ個々のここ箇々なるぞ。
社会人心見わたせば、とても人とは思えない極悪非道ぞ常なりとこれがキツネの常なるぞ。
新聞種とはならずとも少女は売春少年非行、果ては暴行殺人と、あら情無や狐憑き、不倫、不倫と狙うとる人も狐のいれもの容物ぞ、神をも恐れぬ世の様は神を認めておらぬゆえ、やもうえずとは申しても金神怒髪天を突き、てんつく天突くてんてん点。
天着く、天着く、天天天、天の御座所の天辺で火の雨降らすと思い知れ。
黒龍、赤龍大騒れ暗のとばり帷が落ちるまで、好き放題にさせたるは、次なる世界を産む為の用むきそれぞれありたるを金神密かに知るからぞ。
黒い龍とは海の王、次なる世界ぞ産む為のようすい羊水なりぞと申すぞよ。
赤い龍とはこの度の世界が産まれる時までのへそ臍のお緒なりぞと申すぞよ。
この度、時節となり成りて金剛力の龍と成り鳴り鳴りまくり鳴りまくり、悪の親玉九分九厘、九尾の狐も焼くからにお覚悟めされと申すぞよ。
ごようしゃ容赦一切いたさぬぞ、悪は一切灰となり影さえ落せん世といたす。
その一切の様なるが人の世界の隅々にいかな形で出ようともこの度だけはやめられぬ、やめるわけにはいかんぞよ。
これにて一切お出直し、改心いたさば許すぞよ。
白い狐となれたなら金神許してつか遣わすぞ。
悪のけんぞく眷族わかりたか、聞こえぬ事とは言わせぬぞ。
金神表に顕れた、たけり轟く金龍のおた雄叫び聞こえておらぬぞとふらち不埒なたわごと戯言、言わさぬぞ。
金神ご容赦いたさぬぞ、一切ご容赦いたさぬぞ。
一切ご容赦いたさぬぞ。



うま午はこ肥えよが肥えまいが秋にはてん天くう空は跳ね上がる。
突如の事ぞと申すぞよ。
くう空を行く午、行かぬ午、喰うに事欠く午も出る。
哀れ、青菜の跳ね上がる前触れなりぞと申すぞよ。
しな萎だれく朽ちたる青野菜、見るも無残な秋野菜、原因不明、意味不明、行けど果て無き枯野かな、と思いきゃ、眼前突如現われん金銀見まえたが違えたかあっと驚く秋野菜、人々ドンチャカ踊りたる、神の田畑ぞ現われん。
景色ぞ一転、目は二点、その身はスッテン転がりて煮ても焼いてもどうしても、どうにもできない岸からは行くに行けずに彼岸花。
彼岸の岸に行く舟を見送るしかない人々がどっと出たるは可哀そう、ゆえに延ばしに延ばし来た。
世の建て替えとぶち壊し。
改心できるはここまでぞ、ここまでなりぞと申すぞよ。
この豊作は何事ぞ、この凶作は何事ぞ。
吉凶二筋現われて世の建て直しが見えるぞと、ここまでなりぞと申すぞよ。
待ちて待たせて待ちわ侘びて、それでもせっせっと野良稼ぎ、わかりし人々野良稼ぎ、そこに兎が出て来たる、コロリ、転げし木の根っこ、それが巨木の根っこなり。
喰い物粗末にしたかたき敵、喰い物う討つぞと申し出て、親のかたき敵は子の敵、金神のあだ仇を討つなりと野菜、果物、米に酒、果ては貝から魚までが一つきょぼく巨木に集まりて金神のあだ仇を討ちに出る相談あれこれ整いて世に出る事ぞあいなりた。
金神の仇は人救い、何が何とて人救い。
一人も多くの人々を神の御国に連れ帰り、遊び遊ばせ喜ばし金神無念ぞ晴らすぞとドンチャカ、ドンチャカあれこれが一つ巨木に集まりてドンチャカ、ドンチャカ踊りだす。
こんな可愛いものどもが集まる所に金神が行かぬ道理があるまいぞ。
福徳神に身を変えて金神シカリとまい参るぞよ、ドンチャカ、ドンチャカ参るぞよ。
巨木の根っこに金神の顕われ出たるを知りたれば一旗上げてくだしゃんせ、ひつじ未に米が当る頃、金銀降らせ、玉降らせシカリと守護ぞいたすぞよ。
改心いたすは午の秋、ここまでなりぞと申すぞよ。
午の秋ぞと申すぞよ。
未が出たなら皮をむ剥きしき敷もの物変えると申すぞよ。
これまでビシリとし敷きつ詰めた社殿のむしろ筵は焼きはら祓い未の皮でつむ紡いだるさら新なる敷物敷くからに、これまでした事、やりた事、未に皮をは生やす為、やりたる手柄といたすぞよ、二度と無き尊き手柄といたすぞよ。
嬉し嬉しやこの度は金龍表に現われて金神の世となりたぞよ。
じょうげ上下、さゆう左右にまえ前、うしろ後、全て金神かま構うぞよ。
金神構わぬ前の世は何が何とてわからずにわからず終いで店終い。
金神構いし次の世は何が何とて何事も見す透かし見とお通し見えす透いた水晶世界と申すぞよ。
さん燦、善世界、とこ常たち立開く午のはな葉菜。
うえ上で開いてまつ末で修める、うまうま午々のこんじん建森の世と成りたぞよ。
うま午で開いてうま旨く治めるうしとら艮の金神の世となりたぞよ。








喰い物の怨みは恐いとあれこれと重ねて申し来たる事、いよよ形と現われん。
来たりし秋の恐さかな、あきませんとはこの事ぞ。
うま午が天空舞うなれば、喰い物の値も跳ね上がり、青菜、根菜、米までが天空高々舞い上がる。
こんな物など喰えるかと足蹴にして来たあれこれがこんな者には喰われぬと言い出す時ぞ来たなれば、後のマツリとあきら諦めてお覚悟決めて下されや。
先にマツリをされた方、中央、真ん中ど真ん中、シカリとマツリておる者は、これより先の喰い物をドンドコ作りに出やしゃんせ、金神あとお後押しドンドコショ。
高々と積み上げたるはゴミの山クズの山ぞと思いきや、なんと前まで食べていたいろど彩り豊な食なりが煮ても焼いても喰えぬとは見るも語るも哀れなり。
ひつじ未に米は大当り、ドンドコできると喜びておむすびこさえてやりたとて、あっと驚き、その米は喰えぬ人には大当り、さ触わる事とてかなわずや。
同じ米でも大違い、一厘違いの米と米。
同じ人でも大違い、一厘違いの人と人。
一厘有ると無いのでは別ものなりぞと申すぞよ。
秋にはあちらとこちらではへだ隔てのへい併ぞ現われて、隔ての線ぞ現われて、目には見えねど現われて、ヘイ、あきまセンとはこの事ぞ。
ギリギリ午の秋までと申して来たるその日まで、改心いたしてくだしゃんせ。
いずれ天空舞うなどと知らねど、そこここ現われた、物事し識りたる方々を一切合財引き連れて、金神天地に橋を架け、神の御国に連れ帰る。
その日来るまで一苦労、もっあと後一苦労と申すぞよ。
今が秋ぞと申すまで善悪正邪はあれこれとまぜまぜづくめの混ぜずくし、クソミソ一緒に見えたとて金神シカリと見えとるで最後の我慢ぞ一苦労。
その日、その秋来るまでは、わしはこれぞと思う事、何が何とてやりてくれ。
金神表に出たからは無理事やめて下されや、無理はキッパリ諦めて、心が素直にできる事、ふっと浮びたあれこれも無理なくいたして下しゃんせ。
金神それぞれお手引いておもむ赴く方に連れ行くぞ。
利他がお好きなお人なら利他の赴く方向へ、自己のお好きなお人なら自己の赴く方向へ、それぞれ無理なくお心の赴く方へといざな誘わん。
ま交ぜま混ぜづくめも二方向、どちらがどうとは言わんから赴く方へ二方向、どなたもどうこう言わんからお好き方へと行かしゃんせ。
通うとりゃんせぞよ、通うりゃんせ、天神様の細道をお好きな方へと通うりゃんせ。
行きはよいよい通うりゃんせ、お好きな方へと通うりゃんせ。
クルリ、回りてふた蓋、開きて舞台スクリと入れ替えて帰り道、返り道ぞと申したら、今が秋ぞと申したら、これより先の御用無き、者は金神通うさぬと上と下とに真っ二つ。帰りは恐いと申すぞよ。
その秋来たならアキマ線、併開きま線ぞと申すぞよ。
金神、キッパリ申すぞよ、へい、あきませんぞと申すぞよ。
一厘無しではあきません、心のまなこ眼のあきめくら盲、あきませんぞと申すぞよ。
蓋ぞ開いたらあきません、あきま線ぞとこ来れま線。
金神、この線、付けるぞよ、キッパリこの線付けるぞよ。
金神、あ、キッパリ付けるぞよ。






さらりさらりと出たる事、無理なくさらさら出たる事、これこそなりぞと申すぞよ。
無理なく出たるは神の守護、神の仕業と申すぞよ。
金神表に出た上は、皆々様のお手引いて安全地帯に引き連れてお連れいたすと申すぞよ。
無理なくさらさら行く方に無理せず歩いて下しゃんせ、無理事やるは逆方向、潰す道筋行く事ぞ。
栄えのお道はさらさらと小川の流れと申すぞよ。
行路如流水、ご無理なし。
今は善悪入り乱れ交ぜ混ぜづくめのお道ゆえ、心配無しは無理なれど、神の御役に立つ者を金神守護をいたすのは、わかりきりたる事ゆえに、無理事一切ござらぬぞ。
無理苦理通してやり通し、うっとうしきは悪の気ぞ。
神のおこころ、心としすらすらやる事、出来る事さらりさらりとする事ぞ。
無理が出たならやめなされ、素直な心でやれる事スラスラ心は素直ぞよ、サラサラ心は新(さら)なるぞ。
人様救うお心が芯にご鎮座いたしたら後はなんなりいたすぞよ、神にお任せ下されよ。
逆の効果ぞ狙えぞと申うされたるはこの事ぞ、救うは神の務めなり、救われるお人となるは世の務め、尊き人の務めなり、救いは救われ救われる。
人の世スキリとせんうちは、神々様とて救われぬ。
救われたお人となりて下されや、この事、わかりて下されや。
ここさえシカリとわかりたら、人が神さん焦がるるよりも神は人さん焦がれとる、その幾倍も幾倍も神は人さん焦がれとる、その事わかりてこられるぞ、その事わかりて下されよ。
無理の無いお人となりて下されよ、人らしき、お人となりて下されよ。
ミロクの御世となりたれば、人はこの世の神となりやりたい放題し放題、ほどなく悪罪、悪因縁、スッカリ無くしてお出直し、人はこの世の神となり人間世界ぞお出直し。
今、この時点で申してもわかれと申すは無理せんばん、無理は一切申せんばん。
無理苦理づくしの世の中で無理なく行けると言う事は変に思うも無理ないが無理があるから変なりと知ってしまえば無理もなく無理にわからす事もない。
神は順序と型なりと申し聞かせた事なりと無理なくわかりてくれたなら、無理事一切無うなるぞ。
霊体一致は霊が先、神が先ぞと申すぞよ。
神の世界に無いものが人なる世界に出るが無理、神の世界に現われて人間世界に現われん。
これよりこれで参るぞよ、霊ぞ主体で体は従。
霊主体従、無理なしとこの道理さえわかりたら、神の世界に無いものを人間あれこれ思案して、こねくりたおしてやりたとて霊の世界に無いものはこの度、一切消するなり。
この度は神の世界は清と出て一切合財整いて人の世界に移り込む。
おー恐ろしや、恐ろしや、やれ恐ろしやお恐ろしや。
神の世界に無いものが、ワンサカ、ワンサカ山となり積りしさまぞ恐ろしや。
濁に清ぞ移写すらば、いかにて約り合いとる事ぞ。
おー恐ろしや、恐ろしや。
無理苦理捏(こ)ねて築きたる、人の世界ぞ無理の山。
無理苦理一切無うなりた、神の世界ぞ移り込む。
どういう事ぞとあいなるか、おー恐ろしや恐ろしや、恐ろしがるなと申しても、それぞ無理ぞと申すもの、おお、それこそが無理なるぞ。
無理、無理、無理ぞ、無理なるぞ。



あわ善くば、この橋渡れる時なりと、安心せんで下されや、泡しか見えぬお方には、阿波の鳴戸ぞ見えたなら、水の泡ぞと申すぞよ。
哀れ哀れぞ、いと哀れ、泡ぞ弾けていと哀れ、あわよ、あわよと泡喰いて泡は消え去る事となり、天の橋立て見ゆるぞよ。
この橋渡るか、渡れぬか、神が決めると申すぞよ。
金神の沙汰と申すぞよ。
こうならば、さらりさらりと行かぬ事、やらぬが良いぞと申すぞよ。
神の世界となりたなら霊体一致は霊が先、神が先ぞと申すぞよ。
神がそこまで行かぬうち人はそこまで行けぬぞよ。
この事、わかりて下されや、重々、わかりて下されや、嬉しき事のみ楽にして神徳積めると申すのぞ、取り越し、先越し、無理せずにゆったりかま構え下されや、人なる肉身に慎まりた、神が順々渡るゆえ、いやでもその身は追いて来る。
神の御国に連れ帰る一本橋ぞ渡るのぞ。
その橋立ての鼻先に閻魔がドンと陣を取り、一厘持つ者、持たぬ者、白か黒かを分けるのぞ。
おぬしは絶対許さんぞよ、悪因縁のかたまりぞよ、見るも無惨な魂なれど一厘有るで許さんぞよ何が何とてどうしても神の御国に連れ行くと閻魔が申さば大丈夫。
悪業、悪罪、悪因縁、あっと言う間に水の泡。
あわや、あわやと大慌て、慌てふためく目くる眩く、神のお慈悲のありがたさ。
おぬしに言う事ござんせん、どうぞお好きにされたしと閻魔が匙(さじ)を投げぬようシカリと一厘掴むのぞ。
この一厘が別れ道、何が何とて分れ道。
一厘違いは大違い、一厘違いは大違い。
山が見えたら大峠、山が見えたら上下に分れ行くこそ大峠、未練、残念、ヤマヤマなれど、山が見えたら大峠、宝の山でも大峠。
遥か下界のそこここに業火燃ゆると申すぞよ。
哀れ人の世燃え尽くす霊火なりぞと申すぞよ。
神徳積みて救われし、神有り思想の人々の出番はここぞと申すぞよ。
ここぞ、出番と申すぞよ、待ってましたと申すぞよ。
神はハイカラ申すぞよ、ポールシフトと申す事、地軸の異変と申す事、人なる肉身に起こるぞと、この度、初めて明かすぞよ。
上から下まで一直線、人の身の内一直線、ポールシフトとあいなりて、上に行く者、落ちる者、この時来たれば誰なりと、その目でシカリとわかるぞよ。
神徳積みて救われし人の助けが無かりたらこの大峠は越えれぬと世間の人々気が付いて、そこここ押し駆け列をなし順々助けを請う事ぞ。
シカリといたして下されよ、火の禍の恐ろしさ、凄さ惨(むご)さは人々の憶断(おくそく)遥か越えた事、神の予想も越えた事、シカリといたして下されよ、この時、来たれば何とてもシカリといたして下されよ。
国の頭(かしら)と申された、お偉いお方が申うされた。
日本は神の国なりと、それを聞いたる取り巻きは、非難ゴウゴウ野次ゴウゴウ、袋叩きにした上に、詫びろ詫びろと大騒ぎ、神無し思想は大騒ぎ。
外より外より知ると知れ、外なる国の外国人、日の本、日本のご威光をまざまざ知ると思い知れ。
日本、日の本、神国なりとワンサカ、ワンサカ。
押し駆けておろがみ、ひれ伏す事となり、お東(ひがし)様にぬかづいて、そのご神徳、我が国の我が人民にも下されと請い願う時来たるぞよ。
その日、その時来たるなら、お偉い方々どうなさる、神無し思想のお偉方、どうなさられるおつもりぞ。
いやがおうでも神有るを知らねば峠は越えれぬと無神思想の方々も肝に命じて下されよ。
唯神思想の方々の立分け順次終られて、世にあっ晴れと出たる時世の大峠ぞ越したくば、その方々の、そのお手にシカリとお縋(すが)りする以外、術(すべ)無き事ぞと明すぞよ。
金神シカリと明すぞよ、この度シカリと明かすぞよ。









上下二段と申すぞよ、三段二道はシャカの慈悲、地蔵の慈悲ぞと申すぞよ。
地蔵入滅したるゆえ地底の蔵ぞ開くと知れ。
中途半端の中の段、無くなりたぞと申すぞよ。
神を知るやら知らぬやら、あちぞと言わば、あちに行き、こちぞと言わばこちに来る、なまこに手足ぞ出たような、コンニャクダマぞ用は無し。
中心神の息吹きする兵(つわもの)集めて出るかぎり、世の建て替えとぶち壊し中途半端で済むまいぞ。
わかれぬ者にことさらにわかりてくれとは申さぬど、一人も多くの人々をこの大峠ぞ越さそうと、裏から小出しにしたなれど、出せば出すほど見えぬとは、あら情無や情無や、神は心底情無や。
お偉い方があれこれと申す表の言葉しか、聞く耳持たぬか、きくらげは、お偉いお方の裏、表、その玉眼(ぎょくがん)には映らめか、裏の裏こそ表なり、お偉いお方はエライさん、エライ仕事をしとるのに、お口上手のカズノコは、そんな事しか申せぬか。
こんな場所から逃げなされ、こんな場所から逃げなされ、哀れなお声ぞ聞こえぬか。
閻魔、地蔵は表裏、表返って翻る。
地蔵がその身翻し天輪菩薩と現われて光明如来となりたれば上下二段と翻り、何が何とてわからずに何もわからず目の眩む、人々どっと出たるから閻魔はこの事目を伏せて、タンマ、タンマとしとるのぞ、この世のタンマとしとるのぞ。
受ける、受けんは別にして神もジョークは申すぞよ。
恐ろしき事はできるだけ、なるだけ言わんでいたなれど、火の禍が人の世に、どんな形で出るのぞと、知りておかねばいかん時機、来たゆえはしばし端々申すぞよ。
行間お読みて下されよ、行間、お読みて下されよ。
神々様とて逃れえぬ火の禍の恐ろしさ。
行間お読みて下されよ。
金神も皆々様にお覚悟をめされと表に出たかぎり金神とてもその覚悟、決めねばならぬと申すほどそのもの凄きことと申すぞよ。
日(じつ)、月(げつ)、地(ち)、一直線に結ばれん、その日、その時天空に巨大な黒ぞ顕われん。
大神様こと主(す)の神の神聖極まるご正体。
元極体主王大御神(むとふみくらいぬしおおかみ)のご出御座(しゅつぎょ)、黒ぞと申すぞよ。
真っ黒、黒の大太陽、人なる世界の天空に顕われ出たりたその時は畏(かしこ)み慎(つつし)み拝(おろが)めよ。
大地も黒ぞと申すぞよ、上下黒の挟み撃ち、逃げ失せる事はできんぞよ、これまで人類汚したる、海、山、大地、空とても、黒なる世界の中に入り大洗霊を仰ぐのぞ。
丁度、これまできた世界、月の守護にて三千年、水と土とをこねくりて細工、彩色整えて、形にいたして九分九厘、できたる世界をこの度の釜入れの時ぞ来たるぞよ。
磁器、でける時期、じき直来ると金神直々申すぞよ。
土とは菌のかたまりぞ、何億何兆住む菌で、大地成立しとる事、人の学理も知りた事。
人の肉身も土にして口の中にも菌が住み腹の中にも菌が住む。
菌が人の身支えたる、その事誰とてわかるとて、この菌なるの大変化、この度起きんと申すぞよ。
真っ黒太陽出たならば、真っ黒大地と大変化。
人なる内の仰山の菌もこれにて大変化、これまで人々汚したる海山、大地空に住む仰山の菌も大変化、元の大地に戻さんと、汚濁、汚物を喰いに出る。
発酵するもの、腐るもの、発光するもの、朽ちるもの、上に行くもの、落ちるもの、飛んだり跳ねたりいたすもの、地べたガサゴリいたすもの、二筋できんと申すぞよ。
発酵、腐乱ぞ分れゆく、二筋道ぞと申すぞよ。
人の手足に仰山のプツプツ噴き出てきたなれば、その時なりぞと申すぞよ。
口やら書(ふみ)ではこの程度、ここまでなりぞと申すぞよ。
到底、口やら書にては表わす事とてできんから、口やら書ではこの程度、程度次第にわかるぞよ。
聖母マリアがその眼(まなこ)、お血の涙を流された、その時機なりぞと申すぞよ。
行間のお読みて下されよ、呉々も行間お読みて下されよ。
金神幾度も筆先で世の有様の変わる事、順々知らしてきたなれど、この度出たる書(ふみ)こそは、金神艮(とどめ)の書(ふみ)なりと申しておく事忘れるな。
これより先は新世界、銘々己々筆をとり、神の息吹きぞ元とした千差万別それぞれの新なる書が出るゆえに金神直々出す書はこれぞ艮(とどめ)と申すぞよ。
親神(おやがみ)天理の書なるも大本なるの書なるも日月と申した書なるも全て金神人の世の蔭から守護した文ゆえに一厘隠しは神隠し、まとまる事とてなかりたが一厘明かして出す文ぞ、艮(とどめ)にいたすと申すぞよ。
三千世界、紅白の梅咲き揃うと言うた事、いよよ参ると申すぞよ、人の世の隅々までも紅白の梅咲き揃うぞその様がいよよ危難と迫るぞよ。
危難ぞ、気難と迫るぞよ。
白き梅、その真白さぞ清らかさ謹厳実直、律儀なる月の精なる働きを写した梅ぞと申すぞよ。
雪の梅ぞと申すぞよ、白梅は月の精ぞと申すぞよ。
白一面にぞ咲き誇る、雪のお庭は輪止り、雪に雪ではゆきづまり、雪に白では厘止り。
九割九分九厘ぞ、どうすることとてできぬまま、一厘隠しの梅の庭、一輪隠しの梅の庭。
一厘隠しは神隠し、時節待てやと申しても、にっちもさっちもいかぬまま、雪は積りてくるばかり、はてくやしきは梅の庭、さもくやしき南天の赤さなりやと思いきや難点なりやと思いきや、雪霜かぶ被りし南天が難転じんと翻り、難点一輪花と咲きまかり出たるや梅の庭。
炒り豆が一輪開いたその梅は紅、臨とまかりでて一厘出たりた梅の庭、後から後から難点が紅輪と出る嬉しさや、なんてんことぞと驚けど、嬉し嬉しのその様は、時節待てやと申うされた、時節、これぞと申すぞよ。
紅梅はお日様昇る、その時を明かす梅ぞと申すぞよ、紅梅は日の精なりやと申すぞよ。
日の精なりや火素なりと月の精なる水素とが密合調和の時なりと、ホーホケキョウと鶯が法華の功徳も口々に黎明なりやとホー法華経、東に日の出とホー法華経。
紅梅は日の精いでますかぐわ芳しさ、光々なりやと申すぞよ、香々なりやと申すぞよ。
時みちて閻魔堂にも春風のそよ戦ぐ嬉しさ恐ろしさ、木戸が開いたるその時節、閻魔と出たりた大王は、金神なりぞと申すぞよ、艮(うしとら)の神の出座と申すぞよ。
牛に角有り虎に無し、虎に牙有り牛に無し。
角と牙とを合せ持つ金龍なりぞと申すぞよ。
おお、こざかしや、こざかしや。
キリキリ舞いしてござるのが閻魔の眼に写るなり。
浄玻璃の鏡につらつら写るなり、その邪(よこしま)なるあれこれが、この後におよびて、うつけ事聞いとる暇ぞあるまいに、次から次に沙汰下し早くスキリとせんことにゃ本筋遅れるばかりなり。
もうこれ以上は無理なるぞ、待ちて待たせて、待ち侘びた、世の建て替えと建て直し、遅らす訳にはいかんぞよ。
紅白の梅ぞ一度にそこここに開く時節となりたなら人の世包む空気なる、目にぞ見えずに万人を守護して参りた水の精、空気なりやと申すもの、それぞ一変すると知れ。
やれ、恐ろし気は空気界、空気、気難と迫るぞよ、紅白のその間をばへだ隔てたる、金の川こそ金龍神。
こうりん光輪もよう模様の金の川、金龍昇天する際の金剛力ぞと申すぞよ、金龍神、現れましにけると申すぞよ。
水ぞ逆さに登るぞと申しきたるはこの時ぞ。
火素と水素が一致してス主の形と成りた時、幽界なりぞと申し来た、天地間なる空気界、一変するぞと申すぞよ、金龍出たりと申すぞよ。
空はマル○にてクウなれど、キ・が中央、ど真ん中、融合いたすと申すぞよ。
人の世包むクウ○とキ・が次々融合一致する、この一瞬の大気難、ほどなく参ると申すぞよ。
クウ空○、キ気・、クウキ空気の大危難、危難気難の大変化。
空気吸えるか、吸えぬのか、己々、神がこの度は選択いたすと申すぞよ、魂の洗濯できたか、どうなのか、選択いたすと申すぞよ。
裁きの庭とはこの時ぞ、三千世界ぞ梅の庭、一度に開くと申す事、この事なりぞと申すぞよ。
神の許しの無い者は、息する事とて叶わずに、目鼻口とて開けれずに足腰立たぬと申すぞよ。
「恐怖時代」と申された、重ね重ねて申された、その恐ろしき、その時節、いよよ来たると申すぞよ。
紅白の梅ぞそこここ咲くならば人によりてはその空気、その霊気なる、そのクウ、キ。
毒ガスなりぞと申すぞよ。
改心いたして下されよ。改心いたして下されよ。
神がここまで筆に出す、いよいよの時となりたぞよ。
今までした事、やりた事、良いや悪いや思うより、戒心いたして下されよ。
べにいちりん紅一輪は悪の花、悪に隠れし神一厘、これまで悪ぞと説いてきた、悪ぞ悪ぞと説いてきた、紅一輪ぞ悪の花。
この一厘のわかる人、わからぬ人ぞと出て来るが、そんなとこまで行けぬ人、到底行けぬそれ以前、箸にも棒にも楊枝にも掛からん者ぞ次々に、丘に上がりた河童かと、はたまた金魚がふな鮒にこい鯉、パクパクくち口を開けたまま、地べたバタバタは這う様を、見たら何より改心ぞ、わからん人とて改心ぞ。
戒心なくばわからぬぞ。
改心するより他無いと何より金神申すぞよ、戎心なりぞと申すぞよ、回心なりぞと申すぞよ。
回心なりぞと申すぞよ。





叱りて分れる事ならば、きつく叱りてやるなれど、説いて分れる事ならば、つらつら説いてやるなれど、この事だけはどうしても、押しても引いても揺すりても、わかれる道理と違うから、ここ一厘は人任せ、人間任せと申すぞよ。
この事わかれる方々が出る程、道は別れ道、分れと申せど別れ道、わかれる人々増えたならわからん人々増えるぞと、道は二手に別れると、金神言う事、わかれるか。
理屈にて、わかる、わからん別にして、神が有るやら、有らぬやら、これまで続いた無駄話、この一厘にもケリの付く、分れ道ぞと申すぞよ。
たて経とよこ緯とが結ばれん、形を字にして十の字の、その真ん中のど真ん中、ここの話のわかられる、お人と成りて下されや、まことごころが芯に有る、お人となりて下されや。
経と緯との結び目は経から見てもここにして、緯から見てもここにして、どちらもここしかごさんせん。
こことこことの結び目が、こころなりやと申したら、まことごころと申したら、神の心のわかられる人達、わからん人達が二手にお別れする時ぞ。
ここで一断ちいたすぞよ。神から見ればこの話、わかれ話と申すぞよ。
ここの話のわかられぬ者に御用は務まらん、ここらでここにケリ付けて出直す時ぞとなりたので、こことこことのど真ん中、心の事にちと触れて、どちらも心を残さずに、心残りはいたさずに、わかれ話をいたすぞよ。
一厘は人間任せと申すぞよ、神は人間つく創造する時、あれこれ苦心したなれど、それはどうこう言わんから、恩着せがましく言わんから、分りてほしいはただ唯一厘、こころ一厘、ここ一厘、ここの一厘知る事ぞ。
人が言おうが言うまいが、これしか無いぞと思うもの、人がやろうがやるまいが、わしはこれぞと思うもの、芯から湧くもの出づるもの、溢れ溢れる真のもの、その出所が心ぞよ。
経と緯、こことこことの結び目の芯からい出ずる、まごころ真心に神の住む人、住めぬ人、別れ行くぞと申すぞよ、分れ行くぞと申すぞよ。
むね旨に一厘有る無しで分れ行くぞと申すぞよ。
中途半端は無くなりて二筋できると思すぞよ。
この度だけは何とても、どうでもこうでも二筋の道になるぞと申すぞよ。
まこと、まこと、もこことここ。
中心真ん中、ど真ん中、まことごころと申すもの。
全て解決いたすもの、まこと、まことのここと、ここ、神が宿るか宿らぬか、この事わかりて下されよ、この事わかりて下されよ。
四角四面で真っ直ぐな、カチリ、キチリも誠なら人良し人良し、お人よし、まず人様ぞと考える、やわ柔い誠も誠ぞよ。
別々なれば役立たず、どちらの誠も野垂れ死に。
一本通りて柔らかい誠心に神が住み、やがて栄えの道となり、いや増、栄えの道となる。
一本通らずガチガチの誠は誠と言えぬから、神々様は目も呉れず見向きもせぬからさようなら。
さような事なら、さようなら、わからんままにてさようなら、何が何とてわからずにわからんままにてさようなら。
我身可愛い一念で、まこと、まこととほざいても神から見ればその誠、困った誠と申すぞよ。
困らん誠はこ独ま楽まわ回し、中心心棒ドンとすえ、あれこれしたとて心棒は上下いちず一途につらぬ貫いて、何が何とてゆず譲らねど心棒奥にひた隠し、へらへら人良し、お人良し、心棒強いお人良し、辛抱強いお人良し。
人にはシンボウ第一で金と言う字となるとやら。
どこぞのお方が申された、その言葉こそ金神の金なる世のお指図と金神この度申すぞよ。
誠なるかな、誠かな、経緯誠結ばれて、二つ一つに融け合うた誠心となるならば鐘が鳴るなり、金が成る。
金神行くとこ、出る所、鐘鳴りやまずと申すぞよ。
金成り山積みと申すぞよ。
新時代、来たりて御用に使わんと、仕度させたるあれこれがお蔵開いて出て来ても、びっくりせんで下されや。
跳んだあれこれ出て来ても、びっくりせんで下されや。
跳んだ事とて思う程、跳んで飛んで飛び回る、羽の生えたる人間や角の生えたる人の出る、跳んだ事とて起こりても腰抜かさんで下されや。
こことこことのこの話、忘れずお仕度下されや、地べたガサゴソ這いまわる、惨い有様見えたとて心残りはいたさずに、天の時ぞと諦めて、キッパリその事諦めて、飛んだり跳ねたりしなされや。
こことこことがあるのなら、まことごころが有るのなら、どれ程贅沢いたしても金神文句は言わんから、飛んだり跳ねたりしなされや。
みろく弥勒の御世なる金神の世の隅々のあちこちで、飛んだり跳ねたりしなされや。
こことこことが有るのなら、誠心が有るのなら、やりたい放題し放題、ご遠慮一切いらんぞよ、ご遠慮一切いらんぞよ。











この大地馳駆し固めしおやがみ親神のこれまで隠れししず賤の家は金銀財の溢れ出る鐘の鳴る家と早変り。
人の立分け終る頃、大地二手に張り裂けん、時、近づきて気付けども、足腰立たず目も見えず、どちが前やら後やら、阿鼻叫喚に耳塞ぎ、振り向かぬこそ大峠、地べたガサゴソ這う様を振り向かぬこそ大峠、今は暗、善悪正邪は入り乱れ混ぜ混ぜづくめの大晦日、三千年の大晦日。
晦日暗ぞと申す事、鐘ぞ鳴るぞと申す事、シカリとわかりて下されよ、百と八つの梵鐘の訳わかる時来たりなば、目睫の寸前、真近と申すぞよ。
神のなさけ情のわかる人、何もわからずこれまでの煩悩共々滅ぶ者、誰が目にとてわかる時、目睫なりぞと申すぞよ。
この暗抜ければおうかんどう往環道、上下一本貫いた、世界、いちれつ一列、ひとたいら一平、何とて見え透くミロクの世。
世の正月ぞと申すぞよ、代の正月ぞと申すぞよ。
元旦や昨日の鬼が礼に来る。
金神に豆をぶつけて栄えたるあま天のじゃ邪く鬼とて礼に来る、昔の鬼が礼に来る、今の鬼とて礼に出る。
その時鬼族無くなりて世界国家といたすぞよ。
この事わかりて下されよ、重々わかりて下されよ。
鬼の金棒捨てなされ、心に金棒握りしめ、にらみきかしておるうちは、いつまでたてどもわかられぬ、わからぬ棒にわかられぬ。
いままでやりきたあれこれが、根棒みたく固まりて、心の棒となりたるを知らぬ存ぜぬわかられぬ。
悪鬼と身を変えやりた事、らせつ羅刹となりてやりた事。
折角尊きお手柄が、金棒握りておるうちは、何が何とてわからずに、悪鬼羅刹の姿から解脱できぬと申すぞよ。
鬼のかしら頭をかたどりた、屋根に頂く鬼瓦、あのもの凄きつらがまえ、月の守護ぞと申すぞよ。
これまで出たりた神信心、どことも月の守護にて上よりにら睨むは月の神、鬼瓦なりぞと申すぞよ。
この樹登らば鬼女となるべし夕もみじ。
神信心をしたならば鬼女となるぞと申すぞよ、これまで出たる神信心、どことも鬼女ぞと申すぞよ。
たい胎ぞうかい臓界と申された三千年のこれまでは、鬼女の身内、腹の内、お復のややこを守らんと、鬼女と身を変え突き進む、哀れ悲しき鬼女なりが神信心ぞと申すぞよ、なみ那美の身内と申と申すぞよ。
子供可愛い一念が、女の業ぞと申す事、宿業なりぞと思す事、世の誰なりとわかるとて、これまで来たる宗教が、それぞれ業で戦いて競うて来たぞと申す事、知る時なりぞと申すぞよ。
身の内はら孕みし次世代をりっぱに世に出し送り出しその日その時来るまでは、何が何とてふんばりて鬼が邪にとてならいでか、この事おわかり下されよ、この事おわかり下されよ。
神信心のお方達、ここをわかりて下されよ。
今までした事、やりた事、鬼女の御用と申す事、どれ程尊き教えとて、一厘隠してやるかぎり、拡め拡めてやるほどに、真の救いはできぬから、ツキ、ツキ進みて突き進み振り向く時ぞ来たならばひっくり返ると申すぞよ。
今までした事やりた事、良いや悪いやそれ以前、あきれかえると申すぞよ。
神信心の方々や宗教界が真っ二つ、別れ別れとなる事のその根本はここなりと金神初めて明かすぞよ。
羊水、臓盤、お臍の緒、どれとて大事な腹の内。
子に栄養ぞ与えんと、御自身喰らうもこれ大事。
何より御自身大事ぞと喰らい喰らいて突き進む、自己愛大事と申すぞよ。
自己愛は悪の権化であるなれど、ここのわからぬ利他愛に真の利他愛わかられぬ。
次世代生まれた暁は、それまで大事なあれこれも不浄なりぞと申されて、これより用無し役目無し。鬼女のお面も御用済み、お面取れるか取られぬか、御面な去れぞと申せるか、御免なされぞと申せるか天下御免の別れ道、なに程、どれ程あれこれが隅々充分できたとて、鬼女の役目はここ止り、ここ一厘にて厘止り、ここ一厘にて輪止り。
あとは子達があれこれをそれぞれ銘々楽しむを、高いとこから眺めては楽しみたいが親心、親神なりぞと申す事、重々わかりて下されや。
陰気暮らしは月の守護、鬼瓦なりぞと申すぞよ。
陽気暮らしの世となりて月様高みに行かれたら、お多福飾りて下しゃんせ。
世界一列皆我子、鬼の頭と成り果てて、心痛めて身を痛め、取りい出したる我子なら分けも隔てもいたさぬと月様申して下さるぞ。
神信心の方々はどうぞお覚悟下されや。
鐘の鳴る時来たなれば、上に行くもの、落ちるもの、双方お覚悟されたしと、金神覚悟で申すぞよ。
金神とてもこの度は、覚悟の上で申すぞよ。
覚悟、覚悟と申すぞよ。








信心個々ぞと言うたぞよ、銘々一人は一の種。
尊き尊き一の種、人が飯喰い用を足し、それにてその身立ち行くか、立ち行く道理ぞあるまいに、人のお徳にしがみつきどこどこまでも参ります。
小判鮫でもあるまいに、そんな信心増すばかり、後から後から沸いて出る。
己れの救済乞い願い何が何とてする者が千人万人沸いたとて楽園世界ぞ出来まいに、わしは人様救いたい、何が何とて救いたい、そういう者ぞおるだけで、そこは極楽突き抜けた天国なりぞと申すぞよ。
峠、峠、大峠、近み来たのが見えんかな、見えぬ者にはもう見えぬ、捨て去る古着、いちいち洗い干して乾かす者は無い、何が何とてわからずに、消えて行くのぞ、いと哀れ。
準備期間は1ヶ年、午年迎えて1ヶ年。
それより早よても遅うてもこの救済はまる潰れ。
金神この事三千年、大神様は幾万年。
仕組みの準備をされたゆえ潰す訳には参らじぞ。
うま午年、青菜跳ね上がりひつじ未に米は当りだす、それが合図の時なりとあけ明のからす烏が鳴いたればかのととり辛酉まであとわずか、飛んで火に入る夏虫とミロクの民は真っ二つ、きっちり、すっきり立分れ、彼岸の岸ぞ舟が行く。
これよりは電光石火で参るぞよ、神の裁きに待った無し、目にも止らぬ早技で、善、悪、正、邪ぞ別けに出る。
一目瞭然、千里眼、見抜き見透し、まるわかり。
よこしまごころ邪心の人間はただ唯の一目でわか判るぞよ。
中心なりぞと申すぞよ、中心なりぞと申すぞよ。
百花爛漫咲き誇るキンピカピカのお人とて、悪業三昧あかまみ垢塗れババチイ、ババチイお人ととて、神の目で見りゃ同じ事、双方まったく同じ事。
なぜに、いかにてその様は、さような姿となられたか、一目見た時わからいで、判らんような事なれば、神ぞと申して偉そうに人様裁ける訳ぞ無し。
えん閻ま魔、えんま焔摩は千里眼、この世の閻魔は千里眼。
神々様とてよく見えぬ、人に宿りし一厘ぞ、手に取る如くにわか判るゆえ、この世の閻魔と申すぞよ。
月の時代の終る頃、月下美人ぞ咲くと知れ。
この世の閻魔と出たるなら月下美人か不美人か、人それぞれぞと申すぞよ。
金神閻魔の長なれど、この世の閻魔は恐いぞよ。
この世の悪罪、悪業は全て見透し見抜くから、この世の閻魔と申すぞよ。
ここ一厘はなさけ情ぞよ、こころ一厘なさけ情ぞよ。
情無ければこの閻魔、なにほどあれこれできたとて情無き事する者に、一切情かけぬぞよ、情無きほどかけぬぞよ。
ここをわかりて下されよ、こころわかりて下されよ。
人の身のこことこことが結ばれる、ここが情の出所ぞ、ここに情が無いなれば情無いとはこの事ぞ神のお情わかられる、お人となりて下されや。
無理難題のその頃は肉身の情ぞ振り捨てて、たとえ火の中、水の中、悲願成就のその日まで、お情無用で参り来た。
月、月、ツキにて突き進む、情は悪ぞと説いて来た、ねどし子年までお情無用の御時世ぞ。
善悪正邪は入り乱れ混ぜ混ぜづくめの月の下。
どうぞこご凍えて下さるな、どうぞ凍えて下さるな。
月は皓々照らせども、心はすさ荒んでいくばかり、情凍えていくばかり。
ひつき日月なりぞと申すぞよ、これより時節入れ替り、日月なりぞと申すぞよ。
日月一つに結ばれん、ここ一厘ぞ情なり、めい明の時代となりたれば充分御用に使わんと、腐らんように雪霜をかけて被せて隠し来た、悪一厘は情なりここ一厘はなさけ情なり。
ここ一厘シカリと掴みて下されや、シカリと掴みて下されや。
情無き閻魔が情に目が眩みトンマなエンマと見える程、閻魔の眼ぞ曇らせる、お人となりて下されや、歓喜に裁きの無い如く、情にお裁きござらぬぞ、今までした事、やりた事、良いや悪いや思うより、これまでやりきた様々の奥に脈打つ神の愛お情わかりて下されや。
神のお情わかる人、わかる心のお人なら、どちらが神ぞと思う程、りっぱな御用に立てるのぞ、神のご守護をするような、たいした御用に立てるのぞ、この事隠して言わなんだ、ここは金神情ぞとこの度初めて申すのぞ。
わあわあ、閻魔が取り乱し、情無い事、情無い。
閻魔の眼ぞ曇らせる、お人となりて下されよ。
月下美人か、不美人か、月下美人か不美人か。
泣かぬ閻魔ぞ泣いたなら、利他の情と申すぞよ。
自己の情でこの閻魔、泣きも笑いもいたさぬと、金神情で申すぞよ、情、情と申すぞよ。

悪ぞ善、善ぞ悪、悪ぞ善ぞと申すぞよ。
悪無いなれは善なりといくらえばりて申しても、証明でけぬと申すぞよ。
善悪正邪ぞね練り混ぜてこ捏ねて捏ねて捏ねたおし、スパリと解決いたすぞよ、桃の実出るぞと申すぞよ、桃の実の玉出たりなば全て決着いたすぞよ。
筆先ここまで出たるなら、み魂次第と申すぞよ。
もうこれ以上は銘々の感性次第と申すぞよ。
難しい事言う神と、わからん事ぞ言う神と、眉背けんで下されや、これまでした事、やりた事、善や悪やとこだわりてその先行けん事ならば残念無念と申すぞよ。
神のお心こころとす、おこころもろ貰ろうて下されや、ほか他はなんにもいらんから、お心貰ろうて下されや、それさえシカリと貰うたら、そのた他はあとから着いて来る、いくらいらんと申しても、あとから、あとから着いて来る、なんぼなりとも着いて来る。
逃げても逃げても着いて来る。
こころ、こころぞ、心ぞよ、まことごころと申すぞよ、誠心と申すぞよ。
白紙になりて下されや、桃の実の玉出るまでに、白紙となりて下されや。
今までやりきた様々は全て夢ぞと申すぞよ。
理想世界ぞ生む為の悪夢なりぞと申すぞよ。
寝る子は育つと申すぞよ、練る子は育つと申すぞよ。
練って練って練り上げて二つが一つと成り成りて桃の実出動したなれば、夢から醒めると申すぞよ。
うんさん雲散むしょう霧消と申すぞよ、雲散夢消と申すぞよ。
ぬく温める事しか能の無いお日様なりぞと申す方。
冷やすしか無いお月様、どちらのあるじ主も不完全。
貴き方とて不完全、一厘欠けては不完全。
無限絶対なる方が完全無欠のままなれば、何も無いぞと申すぞよ、はなから何も無いままで無限になんにも無いままぞ、無無無ぞ無の世界、元は無ぞと申すぞよ、無が元ぞと申すぞよ。
二極一体成り成りて二つ一つに融け合うて完全無欠に帰る時、桃成る時機ぞと申すぞよ。
元どうり戻る時節と申すぞよ。
カミガタなりぞと申すぞよ、神型なりぞと申すぞよ、解けた世界ぞ結ばれんカミの型ぞと申すぞよ。
日月、日月と筆に出す、日月桃ぞと申す事、どうぞわかりて下されよ、これぞおわかりくれたなら、善ぞ悪ぞとそしり合う時期は終りと申すぞよ。
善と悪とは同じ事、大神様には同じ事。
善悪正邪は入り乱れ、これまでやりたる様々は、人間世界に神型ぞ造らせ賜うた大手柄、尊き手柄と申すぞよ、あっ晴れなりぞと申すぞよ。
い意お富か加む牟づ豆み美の発動と重ね重ねて申された、ね祈ぎたてまつ奉り申されたその夢叶う時なりと金神シカリと申すぞよ。
これぞ、これさえ出たるなら水の泡ぞと申すぞよ。
これまでやりたる様々な善や悪やとののしりて、出たりたゴモクやカスやらが水の泡ぞと申すぞよ。
阿波の鳴戸の渦巻きでかき消し行くぞと申すぞよ。
今、この時点で申したら本末転倒いたすから、嬉しき事は干ト伏せてとうげん桃源きょう郷はこことここ、ここにできると申すぞよ。
トンネル出口ぞ見えたなら、お楽しみぞと申すぞよ。
暗ぞ抜けたら桃源郷、天なるお方がしたためた、シナリオどうりに参るぞよ、ウキウキいたして下しゃんせ、ワクワクいたして下しゃんせ。
桃源郷はこことここ、ここにできると申すぞよ。
ここまで来たならここ次第、銘々次第と申すぞよ。
金神言う事、見せる事、個々次第ぞと申すぞよ。
ここ次第ぞと申すぞよ、こころ次第と申すぞよ。


紅白の梅咲き揃うはうま午の春、桃はそのご後と申すぞよ。
神のお扉開くまでに立分けお済ませ下されよ。
この世の閻魔と出る時節、一切衆生は知らぬ事。
神々様とて知らぬ事。
むね旨に一厘有る無しをシカリと見抜いて下されよ。
犬が西向きゃ尾は東、東西終わりが見えたなら、お東様のお出ましぞ、岩戸開きにお出ましぞ。
籠の上なるこの竹は幽界なりぞと申すぞよ。
籠の下なるこの龍を金龍なりぞと申すぞよ。
鶴と亀との泣き別れ、神々様とて知らぬ事、この事金龍説いたなら、神のお扉真っ二つ。
右と左に泣き別れ、兎、あひる家鴨の別れ道、この事、金龍説いたなら、神のお扉真っ二つ。
上へ下へと生き別れ、その真ん中のど真ん中、証が出たならつの角が出る、上と下とに角が出る。
おてんとうさまが昇りたら、金龍のぼ上りてミロクの世、金神の世となる嬉しさや、嬉し嬉しの様なれば、こんなお人をお道具に金神これより仕度する。
表の蔭より現われて、これより密かに仕度する。
金神の隠れ忍ぶるしず賤の家はうしとら艮なりぞと申すぞよ。
あんなお人となるまでは、いま一苦労ぞあるなれど、これぞ嬉しき苦労ぞと、神のお扉開くまでに立分けお済ませ下されよ。
証、いちいち出したるを、重々わかりて下されよ。
一 出したるを十わかるイヅのみ魂であるがゆえ裁きのお役目託すぞよ、金神シカリと託すぞよ。
一点一角狂い無い閻魔とお出まし下れよ。
神のお扉押し開く、岩戸開きの時期となり、開かずの扉ぞ開け賜う、お東様が出られたら、いかなる悪罪、悪業も全て手柄とされるから、シカリとお裁き下られよ、シカリとお裁き下されよ。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:35Comments(0)スピリチュアル

昭和二十九年のある霊示(長文です。)

2010年03月21日

たぶんこの霊示を送ったのは、出口王仁三郎さま系ではないかと思われる。
出口さま系の霊示は多少霊媒によっての違いはあれど、すべて同じ特徴がある。
未来への警告・救世へのヒント・あるキーワード等。
長いんで、興味ある方だけみてちょ。













「瑞霊神天津日嗣ノ神示ス」
ずいれいしんあまつひつぐのかみしめす

末の世の迫り来る時危ふけれ
    救主を頼みて只祈るのみ

(昭和二十九年頃天水氏が書いたものを後に辻登美古氏筆者)

救世主は三ツの御魂の大神である。
次の如く常に御神号を奉称すること。口と心と行とを以て真剣に祈れ、救いの綱は必ずか
かる。
「三ツの御魂の大神 守り給へ幸へ給へ」
神ながらたまちはへませ。

みろくの神代は近づけり。
「誠」こそ無上の宝、人々よ、金ある者、物ある者、地位ある者を羨む勿れ。
「誠」以外みろくの神代には持ち行けぬ。

大峠が来る前に
○日本国内に革命、暴動、内乱が起こる。鳩山内閣が出現したらいよいよその時が近づいた時であると、昭和十八年一月に警告されている。 (当時鳩山父は内閣をつくることができなかったのでこの預言は外れたかと思われた。そう・・・民主党という存在がでてくるまでは。)
  未申(昭和五十四、五十五)年となれば大変なことになると昭和二十四年、既に予言されている。未と申が腹を減らして惨たらしい酉あいが始まるという事は、大本神諭に明言されている。世界各国の学者、政治家が平和を叫び、その為の会議や運動を始めた時が日本の一番危険な時であると示されている。一夜にして天地挙げての大騒動が起こると強く予言警告されてあるのだ。日本国内に革命、暴動が起こればその結果はどういう状態になるのか、裏の神示を総合すると大要次のようなことである。 (欄外=昭和五十八年 亥年の秋ぞ偲ばるる・・・・・・のるかそるかの世の中じゃ/皇紀二千六百四十三年 二六四三総和六/丑 寅/寅の年 白赤の戦い 西暦一九八六総和六/辰巳の年に光出で・・・・・・錦の神救い給う)

二段目の苦行(何人もこの苦行を免れる事はできぬ)
○一夜にして革命、暴動各地に起こり、無政府状態になる。日本人同士が殺し合いを始める。
○交通、通信機関が全部途絶してしまい、身動きできなくなる。
○富も地位も宝も一切が御破算となり、人間は全部裸になる。皆一列平等の丸裸にされ、日干しにして鍛えられるのである。こうした荒行をさせねば無信仰の者を、大峠の際に助ける事が出来ぬのである。これは神の大愛であるが、信仰のない者はそれが判らぬから大変なことになる。
○宗教団体は全部潰れてしまう。神社仏閣も勿論破壊されてしまう。一時は神様のことを口に出す事さえ出来なくなる。神床はもとより取払わねばならぬ。従来の様な信仰の仕方は全部駄目になる。
○住む家も食うものも衣るものもなくなり、衣食住の争奪戦が起こる。そうなると頼るところは全然なくなって、すべての人間は発狂状態になって、苦悶の末自殺する者が沢山出来て来る。白骨が至る所ゴロゴロする様になる。
○みんな一時はチリヂリバラバラになり、親子、兄弟、夫婦といえども、一所に居ることは出来ない様な状態が起こって来る。
○政治家も役人も宗教家も金持ちも、上に立って威張っている連中は全部投獄され、或いは殺されてしまう。苦しさのあまり獄中で自殺する者もある。金や物や地位がある為にかえって苦しみ、又は命まで捨てねばならぬ事になる。
○学者も商売人も金持ちも物持ちも、宗教家も医者も坊主も全部が一時は労働せねばならなくなる。万人が土の故郷に還るのである。信仰なく体を鍛えていない者はなかなか苦しい行である・
○こうなると学でも智でも見当がとれなくなる。況んや、金や物ではどうにもならなくなる。出てくれば皆分かるのだが、その時では遅い。今言うて聞かしても、そんな馬鹿な事があるかと鼻の先で笑っているが、出て来る時には何故言ってくれなかったかと文句をいう。そういう手合
いは灰になるよりしかたがない。
○今にえたいの知れない病気がはやり出し、この病気は医者でも薬でも癒らない。(梅干しの用意せよ)
○各村各町と各々の居る所で自給自足せねばならなくなる。そうなるとみんな共食いを始める事になる。
○治安が非常に乱れ殺人、強盗が横行する。警察も何もなくなるのだから、自分は自分で護らねばならなくなる。
○このような混乱状態になると、神の容れ物と獣の容れ物とがはっきり立て分けられる。獣の容れ物になっている人間は自らその正体を現し、暴れ出すが、だんだん苦しくなり七転八倒するのである。
○二段目の苦行が終わる頃になると、因縁あり且つ身魂の磨けた者は神が直接守護をなし給い神眼霊耳が許される事になる。こうなると三千世界のことが一時にわかる様になって来る。
  そこまでの荒行は並大ていではない。頑張らねばならぬ。

三段目の大苦行
○日本国内が右(上記)の様な状態になった時、全世界が束になって一時にどっと日本の国へおしよせてくる。その時大部分の日本人は外国へついてしまう。足腰の立つ者は殆ど兵隊として徴用されることになる。そうして戦闘は益々激しくなり、惨状言語を絶することになる。
○この時日本全土はナマスの如く切り刻まれ、丸潰れの状態になる。神も仏もあるものかと皆が神様をさかうらみする様な状態になる。もうどうなとなれという捨て鉢の気持ちになり、やけくそになって来る。此の時が一番大切な時である。
○この段階になると赤色勢力も白色勢力もへとへとに疲れ、腰が抜けて動きがとれなくなる。青息吐息ということである。悪と悪、鬼と大蛇のたたき合いはこうなる処まで徹底的にやるのである。
○この時分から雨の神、風の神、岩の神、荒れの神の本格的御活動となり、最後に地震の神の御出動となる。即ち九万九億の龍神界の総決起となって、地上物資界は最後の大洗濯をされることになるのである。「一二三四五六七八」と八き盡すのである。天地まぜこぜに練り直されるのである。
○かくの如く生神様の総活動が開始されると共に、人間界に於いては救世使によって言霊神軍が組織され、神人合一の救世神業が救世主神・三ツの御魂の大神の指揮下に展開されるのである。この段階に於いてはじめて「誠の言霊の威力」が万人に分かる様になると同時に、身魂の高下が判然とするのである。
○次に九の段階にある「九」はつくしである。此の世の終わりである「九と十」の間が真の大峠であり、この間には宇宙大変動が起こるのである。人郡物類ことごとく仮死の状態となる。「九」で終わってしまい灰になるか。神人合一して「十」となるか、万事はこの間に於いて決定
されるのである。皆共に仮死していたのでは救世の大神業はやれない。仮死しない為には此の大峠が来るまでに神人合一できる迄に身魂を磨き、言霊の神法が活用できる様になっていなければならぬ。したがって普通の人々よりは激しい行をさせられるのである。因縁の身魂は勇猛心を出して進まねばならない。輝かしい弥勒の神代に一切を助け出して導く大使命を果たす為に。


■最後の大審判の実状と救世神軍の実際とは何れ詳細に説く時が来る。今はまだその時ではない。前記の様な段階を経て練り上げた者にのみその事は知らす事になるであろう。御神業は順序がある。順序を無視し、やることをやらず、また単に知識として知りたがる人間がいるがそういう人間は今後は何の役にも立たない。努力なくしては神は宝を授け給わぬ。

特殊使命
◎神霊界では精霊が霊魂浄めの行を大神様より命じられているのである。現界では人間が丸裸にされて身魂浄めの苦行を命じられるのである。説明の便宜上、前者を・で表し、後者を○で表すことにする。・は神霊であり。○は肉体である。○が浄まれば・は○に入魂して・となるのである。故に因縁の身魂(即ち大峠に生き残る身魂)はどうもがいても丸裸にされ、死に勝る苦行をさせられるのである。現界での苦行をあくまでも反対すれば、霊界に引き取ってでも絶対にその行をさせられるのである。霊界での行は現界での行より一層苦しいのである。因縁の身魂は三千世界、逃げる場所はないのである。
  どうあっても身魂を磨いて神の容れ物になり、世の終わりに救世の大神業に奉仕せねばならぬ特別な使命があるのである。此の大使命を終われば、神の列に加えられ、再び人間界には生まれて来ないのである。どんな事があってもこばり抜いて、吾々は最後のこの輝かしい御用を務めねばならぬ。神様が常について守護されているのである。神霊界より神使は天降り給い、因縁の身魂を守護しつつ、現界の経綸を進め給うておられるのである。
  吾等は常に神使と共に在り!

瑞霊神示
■宇宙動変の前期的現象
一、宇宙大気の動きの変化を五感が感じる様になる。
二、天地の間に悪鬼邪気ますます充満し、人身に影響が激しくなる。
三、月の周囲の変化が起こる故、よく注意する事。
四、呼吸困難になる様な事が一日に何回もあり出す。
五、太陽の色が種々に変化する故、よく注意する事。
六、動変直前になると東方上空の雲の色、動きに異常が起こるから注意する事。
七、終末近づくに従って智、学ともに働かなくなる。
八、町は火車の如くなり、倒れる物が続出する。
九、土が焼け水の温度が上昇し、非常に苦しくなる。
十、終末近づくに従って従来の学問、知識では判らぬ事が続出する。
十一、訳の判らぬ病気が非常に多くなる。
十二、動植物はこれを早く感知するからよく注意する事。
■動変直前の人心の動き(人間の種々相)
一、人間の心は俄に動揺し、不安の為いらいらしだす。
二、散る花の如く知覚を失うもの、発狂する者が続出する。
三、利口に立ち廻るものがある。
四、ぬらりくらりの者が類をもって集まる。
五、助けてくれとオンオン泣く者がある。
六、口先ばかりで上手に言って真実のない者がある。
七、今まで反対した者、悪口を言った者でも恥を知らず、図々しく頭を下げて頼みに来る者がある。
八、終末が近よっても尚それを冷やかし、からかっている者もある。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:27Comments(0)政治

隊長の話~霊道について

2010年03月21日

「たいちょー、よく怖い話とかで霊道ってあるじゃないすか。」

「ああ。あるな」

「よく霊能者が霊道をずらすっていいますけど、あれってできるんですか?」

「できるものとできないものとがあるな。そもそも霊道っつーのは二種類あるんだよ。」

「へー。」

「一つは自然に出来てる霊道。これはずらせる。が、しばらくしたら元に戻る。自然のものだからな。ずらす方が不自然だろ?」

「そう言われたらそうですね。じゃ、心霊漫画とかでよくある霊道ずらすってのは一時しのぎなんですね」

「俺ならフツーに引っ越せって言うな。そもそも霊道っつっても本当は地面にあるもんじゃない。空中に通ってるんだ。だから昔は関係なかったんだよ。いまはどうしてそれが障るか?簡単さ。2階建ての家やらマンションやらが増えてるからだよ。」

「あ!そういうことなんですか!」

「もう一つの霊道は人為的に張られた霊道。これは、単純だな。その霊道を通した術者よりこっちの方が力が上なら消せる。下なら消せない。・・・ただ、ほとんどは難しいだろうな。昔の人間といまの便利なものにかこまれた人間、どっちが呪にかける思いは強いと思う?」

「どう考えても昔の人ですね・・・」

「いまの人間は失うものが多すぎる。そんな連中に昔の先達の張ったものはちっとやそっとじゃ解けないだろうな」

「どうして人為的に霊道なんて張る必要があるんですか?」

「意味はそのときによっていろいろさ。戦術的に張る場合が一般的だけどな。たとえば、地雷みたいに。狙った相手がそこにきたら発動するタイプとかな。」

「うーん。いまいち分りません。なぜ道に仕掛けをしなければいかんのか。心霊漫画にもときどきそういう人為的な霊道の話はでてきますが、どうもわかんないなぁ」

「よく辻ってあるだろ?(ここからご説明をしばらくいただくが、見事にわけわかめ)」

「わかんないですねー。なんでかなぁー」

「奄美なんかも霊道は多いと思うぞ。たぶんそこらの土地よりはよっぽどな。奄美は龍の頭だろ?」

「え?なんすかそれ?」

「あ?知らないのか?」

「全然知りません。なんですか?」

「あー、じゃ、いいわ」

「いや、だからなんですか」

「もうその食いつきはいいから(笑)そのうちわかるよ(笑)」

「知りてぇぇぇぇえええええええ!!」



(`・ω・´)ゴゴゴ・・・

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:57Comments(5)隊長(眷属さん)

ぽえむん 「えほんのように」

2010年03月21日

たまには肩のちからをぬいて

のんびりふわふわしてみよう

まずはイメージ 好きなアロマでも焚きながら

あったかいお部屋で ゆっくり横になって

ゆっくり深呼吸 体のちからをぬいて

めのまえにひろがるイメージのまま




いま 私は しゃぼん玉

ふわふわふわふわ 風にのって

高いところへ いっぱいの仲間と

きらきらきらきら 舞い上がる 

ふわふわふわふわ 舞い上がる





いま 私は いっぴきのこねこ

お母さんねこと ひなたぼっこ

お母さんねこにゴロゴロしたり

あったかい地面で いっぱいおひさまを浴びたり





いま 私は 大きなおふとん

ベランダに干されて だらーんとぽかぽか

体のおくまでぽっかぽか

こってるところをぽんぽんたたかれ

ホコリもでれば 気分すっきり





いま 私は 一陣のかぜ

天の雲の間から すーっと降りて

空気を泳いで 山を泳いで

谷を飛んで 町をそよいで

海にわたって すーいすい





わたしはなんにでもなれるんだよ

いまはいっとき 人間だけど

外をでれば ほら風だった私に会えるよ  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:10Comments(0)ぽえむん

ぽえむん 「目には見えずとも」

2010年03月21日

いまが挫折の時にあるなら

砂をかみしめて時間を耐え

ひたすらに涙を落として

独り ただ生きる

惨めさが臓腑を灼いても

悲しみに胸押し潰されても

代わる者もなく

独り 時間を耐える


つらいだろう

つらいだろう

だが 貴方は知らないのだ

貴方にはそれは必要だったのだ

それが貴方というアコヤ貝が

美しい真珠をうむための苦しみなのだ

貴方の真珠が私には見える

どうか 貴方よ それに気付いてほしい

貴方だけの光り輝く珠(魂) 

天が貴方に与えた挫折の意味を

この人生に無駄などない





時間を耐える貴方の寝顔を

そっと撫でる手のひらがある

貴方の事を祈る想いがある

そのなかに私もいる




貴方を愛している  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:07Comments(0)ぽえむん

あるユタの話と、私が宗教したきっかけ(半分宗教注意)

2010年03月21日

その方のことは知っている方はほとんどいないかもしれない。

そりゃそうだ。私も奄美の民族神の一柱の化身と勝手に思ってる新元博文さんとの出会いと、新元氏を通しての幸福の科学の会員・石橋さんとの出会いがなければ、そのユタのことはまったく知らないままだっただろうから。


そのユタは宇検村のある集落の出身。その人がユタであることをほとんどの人はしらない。

石橋さんは新元さんとのつきあいの中でそのユタと出会った。新元さんの親戚にあたる方だそうだ。

そのユタは枝手久島の石油備蓄基地反対運動のときも新元氏に電話をかけ、「神様からの言葉を伝えるよ。枝手久は奄美の二番目に偉い神様のおわす地だから内地の人間をいれて穢してはいけない」と伝えたらしい。つまりあの闘争は、聖地を守るたたかいだったわけだ。

そのユタは神様の言葉しかきかない。神様が●●にいる霊を供養しにいきなさいと言えば、どんな約束があってもすべてやめて神様の言葉を優先させる。

そのユタは、ものすごく人を選ぶ。たとえば、ウワサをきいて誰かが相談にきても〈自分がまいた種の災い〉や〈邪教を拝んでいる人〉、〈不倫〉のにおいのする者は無視。まったく相手にもしないという。理由をきくと「あの人はケモノくさいから」「あの人は真っ黒にしか見えないから」そういった方に共通の霊臭や陰がダメらしい。

要は人の心からでる『ケガレ』がだめらしく、石橋さんも何度かユタのところに遊びにいくと庭先にきた時点で向こうから出てきて(もちろん来ると連絡もしていないのに)

「どこどこにいってきたでしょ!こんなにいっぱいつけて!このまま家にはいれんよ!」

といいながら塩でお祓いされたらしい。 バレバレなんすね。

当然、人の心も普通に見抜く。ある日石橋さんとテレビを見ていて天皇が写り、思わず石橋さんが「この税金泥棒が・・・・」と心の中で毒づくと、そのユタは突然くるっと石橋さんの方をふりかえり、

「あんた、天皇のことを悪く思ったらいかんよ。天皇は神様なんだからね。」

石橋さんはのちに新元氏から「面白い男がいるぞ」と渡された本をきっかけにして幸福の科学に入会するわけだが、そのときに書籍にのっていた大川隆法総裁の写真をみたユタが

「この人は(神霊通信で)自分のところにきたよ」

でもユタいわく「この人はすかん」理由は神道の神々の装束でないからwwww

ホントに神道系以外はダメらしい。カタイっすね。

また、石橋さんがもっていた幸福の科学の根本教典・正心法語をみて

「このまぶしい本はなに?」

(某宗派がおいていく本や冊子などは真っ黒に見えるらしい。)

そのユタはスタンスとして奄美の民族神以外は認めなかったが、他の宗派への態度とはちがい、石橋さんにたいして

「あんた達(幸福の科学の活動)を邪魔すると天の神様方に叱られるから」と言ってよく協力していた。

ちなみに今私を加護してくださっている山神さま、私を幸福の科学に無理矢理ひっぱった神道系の霊人は、ずばり新元さんからのつながり。

新元さんは幸福の科学の会員ではないのだが・・・・

神霊の世界はいまいちよくわからない。

これが私が宗教してるきっかけです。(笑)

どうでもいい話ですが、顰蹙買うとおもっていた宗教シリーズ、なぜか群をぬいてアクセスが多いことにビックリしてます。(笑)

正直かなり複雑です(笑)

つまんないかもだけど、他の日記もよんでよぅー

(ノд;)うぇーん  (笑)  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:02Comments(0)奄美

師匠伝説はち

2010年03月21日

[不思議な会社⑤]
アマミキョさんからの投稿


私が以前勤めていた、ちょっぴり不思議な会社での話です。

社長のA先生はお客さまの悩みや問題をすぐに言い当てられる不思議な方でした。

しかし本当にスゴイのは先生のアドバイスで、内容はお坊さんの説法のようでもあり、しかしその時だけあたりに漂う天女の羽衣のような(決して大げさな表現ではなく、そうとしか表現できない。)不思議な芳香は本当に不思議そのものでした。

その時の先生の周りに天使や金色に光るお坊さんを見たというお客さまも複数いて、「天使って本当にいるんだ!」とビックリしたり泣きだしたり。

しかし先生によると

「お客さまが困難な状況にある時、かならずその方の指導霊がそばで応援してるものです。

その愛に、ほとんどの人が気付いてないだけですよ」


そんなある日、東京にいた私と千葉にいた兄、故郷にいた母が相次いで不思議な夢を見ました。

故郷・奄美大島にに大水害がおきるという夢です。冗談で先生に話すと、先生の顔色がかわりました。

「それは正夢です!今ならまだ間に合う。すぐあなたの故郷に行きます!」

そしてA先生は、本当に会社を閉めて私の故郷にきてくれました。

(無粋かもしれないが、師匠はこのときに30万ちかく使った。店を閉めた損害もかなりの額だった)

地元の霊山(湯湾岳)に登り、祈りを捧げたあと、地元の人々と積極的に触れ合いました。

夜も何故か寝ていないらしく、時間があるとホテルでシャワーを浴びていました。そしてその年は何も起きずにすぎました。

年が明けたある日、知人からあるユタの話をきき、ビックリしました。

「●●さん、未来みえてるらしいんだけど、言わないんだよね。

『自分が見えてることを全部石橋さんに話したら石橋さんは頭がパニックになるから』

ってね。ほら、アマちゃんのA先生が水害とめるためにきてくださったことがあったでしょ?

あのときも、その前に『神様の水の祓いがある、何人も天にひきあげられる。これ以上は言えない』ってゆってたんだもん。

そのあとA先生がきて、年明けに●●さんがぼそっと『神様が予定を変えられた。』でしょ?

そのあとA先生のきた意味きいて、はじめて●●さんの言ってたことの意味わかったんだもん。驚いたねー。こんな世界なんだなぁって。上じゃつながってるんだねー。」

はじめて事の重大さを知りました。

その事を東京で先生に話すと

「故郷を愛するあなたの心が私を動かしたのです。愛はすべてに勝ります。でも、もうこんなことはしませんよ」

と微笑んでいました。

先生、あなたは何者…?


(((( ;゚Д゚)))ガクブル  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:36Comments(2)

師匠伝説なな?

2010年03月21日

[不思議な会社⑥]
アマミキョさんからの投稿


私が以前勤めていた東京の会社では、不思議な決まり事がありました。乃木坂には入るな、チラシのポスティングから帰ったらすぐシャワーを浴びろ、お客様の邪気と目をあわせるな、(どーしたらえーんじゃい!。)お客さまの施術に入る時は、必ず心を平静にして経を唱えろ、などなど。

しかしある日、何故か私だけ特別な決まりをつくられてしまいました。

ある日、お客さまを施術していると、突然猛烈な眠気に襲われ気絶寸前になってしまいました。

体もあちこち重痛くなり、もう施術どころじゃなく正気を保つのでせいいっぱい。

本来ならばそこで経を唱えなければいけないのですが、私はあまりの苦しさに思わず心の中で叫んでしまいました。

『奄美の神々よ、私にお力をお貸しください!このケガレをうちはらいください!』

その瞬間、私の頭に強烈なイメージが流れ込んできました。

ドカーンという音と一緒にものすごい奔流のようなものが吹き抜け、私にすごいエネルギーをくださったと同時にお客さまの邪気を根こそぎはぎ取ってしまったのです。

あまりの出来事に呆然としてると、間髪いれずにA先生が駆け込んできました。

「アナタ、一体何をしたの!?」

正直に話すと、めちゃくちゃ叱られました。

「ここは疲れを愛で浄化するところであって、力で払うところではないわ!医療系の天使のいるところに荒神さまを呼んでどうするの!!」

私のせいで磁場がかわってしまったらしく、元に戻すのに二時間ちかくかかったと後々まで叱られつづけ、それから私にたいして、「奄美の神様召喚禁止令」がでました。

トホホ…。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:30Comments(2)