師匠伝説ろく
2010年03月19日
[不思議な会社⑦]
アマミキョさんからの投稿
私が以前勤めていた会社の社長のA先生は、不思議な出来事の尽きない方でした。
ある日、はじめて来たお客さまにいきなり先生
「あなた、不倫なんかおやめなさい!」
と一喝。どうしてわかったのかと聞くと、不倫をしている女性には大概キツネ(動物霊としてのキツネではなく色情の総称)が憑いていて、なにより『かなしそうな眼』をしているからすぐにわかるそう。
「不倫が幸せなら、あんな眼をしていいはずがないんです。」
先生には人霊以外のものも見えるらしく、ある日私がモップにつまづいて痛がっていると「いつもその子をあなたは乱暴に扱うから、そんな風に仕返しされるのよ。すべてのものには傷つく心があるのに、いつも自分の事だけ考えている報いです」え?モップの仕返し?!
コンビニで男性誌を立ち読みした後に出社したら「エッチな本を読んだでしょ!今すぐシャワー浴びてきなさい!」
え、なんでわかったの(((( ;゚Д゚)))ガクブル
そんな先生なのでこちらの悩みや心の迷いなどお見通しで、相談すると「それはあなたが考える事ではありません。相手の選んだ道にまかせなさい。同情は自分も相手もダメにします」とか「いまあなたが気持ちの中でいくら悩んでも、取り越し苦労どまりです。悩む時間の余裕があるなら具体的に改善してみせなさい。」とか「自分に浸るまえに周りのことを考えなさい。あまり悩まれると気が乱れて迷惑です」と、あられもなく一刀両断。
しかしあとでよくよく考えると、まさしくそのとおりでうなる事度々でした。
先生おそるべし!!
アマミキョさんからの投稿
私が以前勤めていた会社の社長のA先生は、不思議な出来事の尽きない方でした。
ある日、はじめて来たお客さまにいきなり先生
「あなた、不倫なんかおやめなさい!」
と一喝。どうしてわかったのかと聞くと、不倫をしている女性には大概キツネ(動物霊としてのキツネではなく色情の総称)が憑いていて、なにより『かなしそうな眼』をしているからすぐにわかるそう。
「不倫が幸せなら、あんな眼をしていいはずがないんです。」
先生には人霊以外のものも見えるらしく、ある日私がモップにつまづいて痛がっていると「いつもその子をあなたは乱暴に扱うから、そんな風に仕返しされるのよ。すべてのものには傷つく心があるのに、いつも自分の事だけ考えている報いです」え?モップの仕返し?!
コンビニで男性誌を立ち読みした後に出社したら「エッチな本を読んだでしょ!今すぐシャワー浴びてきなさい!」
え、なんでわかったの(((( ;゚Д゚)))ガクブル
そんな先生なのでこちらの悩みや心の迷いなどお見通しで、相談すると「それはあなたが考える事ではありません。相手の選んだ道にまかせなさい。同情は自分も相手もダメにします」とか「いまあなたが気持ちの中でいくら悩んでも、取り越し苦労どまりです。悩む時間の余裕があるなら具体的に改善してみせなさい。」とか「自分に浸るまえに周りのことを考えなさい。あまり悩まれると気が乱れて迷惑です」と、あられもなく一刀両断。
しかしあとでよくよく考えると、まさしくそのとおりでうなる事度々でした。
先生おそるべし!!
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at
22:28
│Comments(2)
いんすぴ
2010年03月19日
私が過去何回か日記に自分におりたインスピレーションについて書いているせいか、私のことを霊能があると思っている人も少なくないらしい。
霊能があったらね、あなた、今ごろ力水とか
とか
でも売ってお金がっぽがっぽ・・・・
おっと、あぶねーあぶねー(笑)
正直に言います。私に霊能はありません。スプーン曲げられないし、電波時計狂わすどこかの隊長のような特殊能力もございません。私はただのなんのへんてつもない一般ぴーぷるです。マジで。
へんに期待されると実物に会ったときに地の底までたたき落とされるガッカリ感に苛まれます。へんに私を美化しちゃいけません(笑)
でもインスピは、なにもかわった感性じゃないのですよ。みなさん気をつけてないだけで、インスピには頻繁にお世話になっているのです。
なんとなく傘もって外でたら昼から雨だった。
いつもいかないお店にふらっと寄ったら会いたかった友達に会えた。
友達の悩み相談にのってたら、普段の自分が想像もしないイイ事を言ってた。
これはすべてインスピですよ。守護霊さまかご先祖さまかはしりませんが、とにかくインスピです。
このインスピをうまく受け取れるようにするには簡単な方法があります。
思いつきやアイディアをすぐメモることです。
ベートーベンとかはインスピがおりたらどこででもすぐにメモったそうですね。
インスピは一瞬できます。そしてすぐ忘れます。だからすぐメモること。ものすごい内容も何十秒かで風のように去っていきます(笑)
できればつねにポケットメモとペンをいれているといいですね。
そしてなにかいいこと、普段の自分にはおもいもよらないような内容を思いついたら、条件反射のようにまずメモる!(笑)
そしてメモはかならず読み返す!そのときの思いつきだと思ってた内容が、あとで重要な意味をもつことも少なくないからです。
私は東京にいるとき、バックにつねにノートとペンと薬(胃腸薬・痛み止め・風邪薬・温湿布)と裁縫キッドをいれてました。ある日のインスピですすめられたからです。
持っていると、自分もずいぶん助かりましたが、それ以上に周りの方が必要とするときがあるんですね。ずいぶん都会で知らない人のお役にたつことができました。
しかしそのインスピですが、よくよく気をつけねばいけないことがあります。それは
「今の自分にその内容が分相応か」
オバケやあまりろくでもない系統は、いきなり神仏や肩書きのある守護霊を名乗ってきます。そんなときは無視しましょう。
神様や肩書きある高級霊におりてほしい気持ちもわかりますが、もしも本当にそういう事態になったときは、同時に自分自身に「天命」がおりたということです。それを背負えますか?とてつもない責任ですよ?
それを考えることもなく、実績もなく、人格もともなわない人間にいきなり「神様」が降りることはありえません。神様を名乗っているどこかのイタい御方である可能性の方がはるかに高いです。(笑)
また、欲望や悪い思い(色情、猜疑心、嫉妬心、恐怖心、孤独感、不安感、同情、心配、自惚れ)をもっていると、そっち系のオバケからのインスピがきます。
そーゆーものとはなるべく離れた方がいいので気を付けてください。
ヤバい系のものほど、甘い言葉で自分の堕落への言い訳や自己弁護を正当化させたり、自分や他人を疑う方向にしむけたりします。
インスピの程度や善悪を見極める見方と、自分とインスピどちらにも偏らない中道的観点、中立的視点が大事ですね。 ここで重要なのが「自分の感情から一歩はなれた客観的な視点」と「多角的な道徳観」ですね。
私の場合、一番いいインスピは誰かのために祈るとき、もしくは公の為に益したいとおもうとき、もしくは自分の人生を前向きに開きたいと思うとき(あくまで自分の思いどおりではない、天意にあわせたよりより未来を与えたまえと思うとき)にいただけます。
今回うちの家族にまつわるインスピをいただけたのも、こちらには詳しくは書きませんが、私が祈りをささげたあとに紙に描いたある発展的ビジョンからそのつながりでいただいたものでした。決して偶発的なものではなかったわけですね。 つねに見られていて、こちらに応じて降ろしてくださるインスピも合わせてくださる模様。
どうかみなさんにも、すばらしいインスピがいただけますように…。
最近、個人的にいいインスピいただけてないなぁ・・・反省。
(ノд;)
霊能があったらね、あなた、今ごろ力水とか




おっと、あぶねーあぶねー(笑)
正直に言います。私に霊能はありません。スプーン曲げられないし、電波時計狂わすどこかの隊長のような特殊能力もございません。私はただのなんのへんてつもない一般ぴーぷるです。マジで。
へんに期待されると実物に会ったときに地の底までたたき落とされるガッカリ感に苛まれます。へんに私を美化しちゃいけません(笑)
でもインスピは、なにもかわった感性じゃないのですよ。みなさん気をつけてないだけで、インスピには頻繁にお世話になっているのです。
なんとなく傘もって外でたら昼から雨だった。
いつもいかないお店にふらっと寄ったら会いたかった友達に会えた。
友達の悩み相談にのってたら、普段の自分が想像もしないイイ事を言ってた。
これはすべてインスピですよ。守護霊さまかご先祖さまかはしりませんが、とにかくインスピです。
このインスピをうまく受け取れるようにするには簡単な方法があります。
思いつきやアイディアをすぐメモることです。
ベートーベンとかはインスピがおりたらどこででもすぐにメモったそうですね。
インスピは一瞬できます。そしてすぐ忘れます。だからすぐメモること。ものすごい内容も何十秒かで風のように去っていきます(笑)
できればつねにポケットメモとペンをいれているといいですね。
そしてなにかいいこと、普段の自分にはおもいもよらないような内容を思いついたら、条件反射のようにまずメモる!(笑)
そしてメモはかならず読み返す!そのときの思いつきだと思ってた内容が、あとで重要な意味をもつことも少なくないからです。
私は東京にいるとき、バックにつねにノートとペンと薬(胃腸薬・痛み止め・風邪薬・温湿布)と裁縫キッドをいれてました。ある日のインスピですすめられたからです。
持っていると、自分もずいぶん助かりましたが、それ以上に周りの方が必要とするときがあるんですね。ずいぶん都会で知らない人のお役にたつことができました。
しかしそのインスピですが、よくよく気をつけねばいけないことがあります。それは
「今の自分にその内容が分相応か」
オバケやあまりろくでもない系統は、いきなり神仏や肩書きのある守護霊を名乗ってきます。そんなときは無視しましょう。
神様や肩書きある高級霊におりてほしい気持ちもわかりますが、もしも本当にそういう事態になったときは、同時に自分自身に「天命」がおりたということです。それを背負えますか?とてつもない責任ですよ?
それを考えることもなく、実績もなく、人格もともなわない人間にいきなり「神様」が降りることはありえません。神様を名乗っているどこかのイタい御方である可能性の方がはるかに高いです。(笑)
また、欲望や悪い思い(色情、猜疑心、嫉妬心、恐怖心、孤独感、不安感、同情、心配、自惚れ)をもっていると、そっち系のオバケからのインスピがきます。
そーゆーものとはなるべく離れた方がいいので気を付けてください。
ヤバい系のものほど、甘い言葉で自分の堕落への言い訳や自己弁護を正当化させたり、自分や他人を疑う方向にしむけたりします。
インスピの程度や善悪を見極める見方と、自分とインスピどちらにも偏らない中道的観点、中立的視点が大事ですね。 ここで重要なのが「自分の感情から一歩はなれた客観的な視点」と「多角的な道徳観」ですね。
私の場合、一番いいインスピは誰かのために祈るとき、もしくは公の為に益したいとおもうとき、もしくは自分の人生を前向きに開きたいと思うとき(あくまで自分の思いどおりではない、天意にあわせたよりより未来を与えたまえと思うとき)にいただけます。
今回うちの家族にまつわるインスピをいただけたのも、こちらには詳しくは書きませんが、私が祈りをささげたあとに紙に描いたある発展的ビジョンからそのつながりでいただいたものでした。決して偶発的なものではなかったわけですね。 つねに見られていて、こちらに応じて降ろしてくださるインスピも合わせてくださる模様。
どうかみなさんにも、すばらしいインスピがいただけますように…。
最近、個人的にいいインスピいただけてないなぁ・・・反省。
(ノд;)
カミを信じるということ
2010年03月19日
小さい頃、宜保さんの怖い話を読んでいたとき、一番興味があったのはいわゆる「守護霊」の存在だった。
宜保さんによると守護霊は先祖だという。しかし、私には疑問があった。
もしもウチの家の先祖が守護霊ならば、どうして父母は毎日仏壇に手を合わせ、お水もお酒もかえて、拝んでいるのにウチは不幸なのだろう。
どうして父はいつも苦しそうにかおをしかめていて、母はいつもお金に困らなければならないのだろう。
どうして母はいつも金縛りにあい、どうして父はいつも母を理不尽におこってばかりいるのだ。
先祖とはなんだ。守護霊とはなんだ。
小さい頃から、それだけがいつも解けない疑問だった。
中学生のときに苦しみのあまりノイローゼになった私を助けてくれたのは、昔の中国人っぽい格好をしたおねぇさんだった。(イメージとしては弁天さんみたいな)
この人は誰だろうとイメージのなかで問うたら、「あなた(私)自身」という答えがきた。
つまり、この人ははるか昔の私なのか?先祖なのか?前世なのか?
それをどう説明したらいいか当時はわからなかったが、とにかく、私の過去のなんらかのつながりが、私を助けてくれたのだ。
それから私は奄美の歴史を調べてみたが、残念ながら奄美の歴史はほとんど残っていない。おのれ、薩摩藩めぇぇええええ。
しかし、その存在を信じてから、私はとてもすくわれた。
私は一人ではないのだ。私がどんな人間であっても、そのままの私を愛して私の可能性を信じて待ってくださる、高位の存在がいてくださるのだ。しかもその方と私は、深いところでつながっているのだ。
それを思うと、もったいなく、ふがいない自分に申し訳なく思いながらも、とても嬉しかった。
その方はたぶん神様ではないだろう。様々な宗教書やスピリチュアル系の書籍、師匠からの言葉を総合すると、それは私の「守護霊」の一人であるらしいことがわかった。
中三からの同時期にもう一人私を応援してくださった霊人がいる。新元博文氏のつながりで私のところにきてくださった、通称「おじさま」。古代の大和民族?の装束をきている。隊長によって、母方からのご縁の奄美の民族神の一柱だとわかった。
(くれぐれもお伝えしたいのは、私がえらいのではないということです。私に特別に神様がおりたということではなく、さまざまな神様がいらっしゃいますが、奄美の神様のご加護は奄美のみなさんすべていただいてます。私は元々郷土奄美が大好きだったことと奄美の神様のパワーの強い新元さんと霊的にも鋭敏である時期に知り合ったので、たまたまそれを知覚しやすかっただけなんです。)
おねぇさまも、おじさまも、社会人になって出会った一部の方々は存在を信じてくださった。告げずとも知っておられた方もいた。しかし、たとえ誰も目に見えなくても、たとえ誰がその存在を信じてくれなくても、私に語りかけてきたその良心のカタマリのような存在を、当時の私は信じた。
信じるということは、どれほど大きな支えになれるか、それを強い人は「宗教にたよるような弱い心」というかもしれない。
しかし、私にはその方々を信じるということは、守護霊や指導霊の言う「良心の自分を自分と思え」という道理そのものでもあった。
良心の具現化。それが倫理観であり道徳観なのだ。それが霊という概念を通せば、いわゆる「守護霊」なのだろう、と。
その後私は尊敬できる師に出会い、より「大きな存在の道理を信じる」ということの正しさと厳しさを学んだ気がする。
大きな存在は、自分の感情よりも大きな道理をつきつけてくる。それは、自分の感情の通りにはならないということでもある。
でも、それで私はいまこんなにも自由な心をもっている。
自分ひとりの世界に生きていたとき、私はささいなことで心狂い、苦しみのなかで自分を縛っていた。
本当の自由とは、「より複合的多角的な道理の眼差しをもてること」なのだと、隊長の言葉をかりれば言えよう。
それがどのような形であれ、自分という感情をこえたカミ(上)なる存在の思いを信じること。そのなかで、自分自身を見つめ続け、自分に指し示された天意を問い続けていくこと。
これを教えてくださったあのときのおねぇさまに、いつか直接お礼をのべてみたい。
たぶん、妄想なのだろう。妄想でもいいんだ。それが良心の存在であるのなら。
それが実在のものであるかどうかは、死んだあとに、すべてはわかるんだから。
ありがじゅー。おねーさま。そしておじさま。
いつかあなた方に近づける、私になりたいです。
宜保さんによると守護霊は先祖だという。しかし、私には疑問があった。
もしもウチの家の先祖が守護霊ならば、どうして父母は毎日仏壇に手を合わせ、お水もお酒もかえて、拝んでいるのにウチは不幸なのだろう。
どうして父はいつも苦しそうにかおをしかめていて、母はいつもお金に困らなければならないのだろう。
どうして母はいつも金縛りにあい、どうして父はいつも母を理不尽におこってばかりいるのだ。
先祖とはなんだ。守護霊とはなんだ。
小さい頃から、それだけがいつも解けない疑問だった。
中学生のときに苦しみのあまりノイローゼになった私を助けてくれたのは、昔の中国人っぽい格好をしたおねぇさんだった。(イメージとしては弁天さんみたいな)
この人は誰だろうとイメージのなかで問うたら、「あなた(私)自身」という答えがきた。
つまり、この人ははるか昔の私なのか?先祖なのか?前世なのか?
それをどう説明したらいいか当時はわからなかったが、とにかく、私の過去のなんらかのつながりが、私を助けてくれたのだ。
それから私は奄美の歴史を調べてみたが、残念ながら奄美の歴史はほとんど残っていない。おのれ、薩摩藩めぇぇええええ。
しかし、その存在を信じてから、私はとてもすくわれた。
私は一人ではないのだ。私がどんな人間であっても、そのままの私を愛して私の可能性を信じて待ってくださる、高位の存在がいてくださるのだ。しかもその方と私は、深いところでつながっているのだ。
それを思うと、もったいなく、ふがいない自分に申し訳なく思いながらも、とても嬉しかった。
その方はたぶん神様ではないだろう。様々な宗教書やスピリチュアル系の書籍、師匠からの言葉を総合すると、それは私の「守護霊」の一人であるらしいことがわかった。
中三からの同時期にもう一人私を応援してくださった霊人がいる。新元博文氏のつながりで私のところにきてくださった、通称「おじさま」。古代の大和民族?の装束をきている。隊長によって、母方からのご縁の奄美の民族神の一柱だとわかった。
(くれぐれもお伝えしたいのは、私がえらいのではないということです。私に特別に神様がおりたということではなく、さまざまな神様がいらっしゃいますが、奄美の神様のご加護は奄美のみなさんすべていただいてます。私は元々郷土奄美が大好きだったことと奄美の神様のパワーの強い新元さんと霊的にも鋭敏である時期に知り合ったので、たまたまそれを知覚しやすかっただけなんです。)
おねぇさまも、おじさまも、社会人になって出会った一部の方々は存在を信じてくださった。告げずとも知っておられた方もいた。しかし、たとえ誰も目に見えなくても、たとえ誰がその存在を信じてくれなくても、私に語りかけてきたその良心のカタマリのような存在を、当時の私は信じた。
信じるということは、どれほど大きな支えになれるか、それを強い人は「宗教にたよるような弱い心」というかもしれない。
しかし、私にはその方々を信じるということは、守護霊や指導霊の言う「良心の自分を自分と思え」という道理そのものでもあった。
良心の具現化。それが倫理観であり道徳観なのだ。それが霊という概念を通せば、いわゆる「守護霊」なのだろう、と。
その後私は尊敬できる師に出会い、より「大きな存在の道理を信じる」ということの正しさと厳しさを学んだ気がする。
大きな存在は、自分の感情よりも大きな道理をつきつけてくる。それは、自分の感情の通りにはならないということでもある。
でも、それで私はいまこんなにも自由な心をもっている。
自分ひとりの世界に生きていたとき、私はささいなことで心狂い、苦しみのなかで自分を縛っていた。
本当の自由とは、「より複合的多角的な道理の眼差しをもてること」なのだと、隊長の言葉をかりれば言えよう。
それがどのような形であれ、自分という感情をこえたカミ(上)なる存在の思いを信じること。そのなかで、自分自身を見つめ続け、自分に指し示された天意を問い続けていくこと。
これを教えてくださったあのときのおねぇさまに、いつか直接お礼をのべてみたい。
たぶん、妄想なのだろう。妄想でもいいんだ。それが良心の存在であるのなら。
それが実在のものであるかどうかは、死んだあとに、すべてはわかるんだから。
ありがじゅー。おねーさま。そしておじさま。
いつかあなた方に近づける、私になりたいです。
ぽえむん 「かみさまとのおはなし」
2010年03月19日
あるひかみさまがおりてきて
わたしにこうおっしゃいました
わたしのめをかしてあげよう
わたしのめでおまえをみてごらん
かみさまのめでみたわたしは
とてもみじゅくで
とてもおおくのつみをかさねていて
とてもむちで
じぶんのことをなにもしらず
じぶんのおもいをことごとくごまかし
ひとをよくきずつけては
おなじあやまちになみだをながす
おろかしいいきものでした
でもそんなわたしは
とてもいとおしくて
そのみじゅくさもいたらなささえも
とてもかわいくて
おやまちのなかにありつみをおかしているときは
とうめいなかなしみのまなざしでわたしをみつめ
このこがはやくきづきますようにといのり
みずからをしりあやまちをしり くるしいしれんにたえているときは
ふかいかなしみとあいのまなざしでわたしをみつめ
どうかこのこがこのめぐみのあめからおおきくはなひらくことができますようにといのり
しあわせにみちてそのあいをおおくのひとにかんしゃでおわけしているときには
とうめいなよろこびのまなざしでわたしをみつめ
どうかこのこのこうふくがもっともっとたねをひろげめぶいていきますようにといのり
こんなんのなかにあってくるしみのなかからそれでもわずかのきぼうとあいをまわりにたむけようとしているときは
ふかいあいとよろこびのまなざしでわたしをみつめ
どうかこのこがもっともっとふかいあいでみたされますようにといのり
つねにわたしのきぼうのみらいをしり さいじょうのみらいをしり
わたしのすばらしさをしり わたしのうつくしさをしり
だからこそ じぶんをおとしめているわたしにかなしみ
それでも わたしをふかくふかくあいしている
かみさまがおっしゃいました
いつもよくがんばっているね
わたしはいつもおまえをみているからね
つらいときにはわたしをよびなさい
わたしはいつもおまえといっしょだよ
おまえをあいしているからね
おまえはたくさんのひとをあいしなさい
かみさまかみさまかみさまかみさま
あなたからいただいたこのまなざしを
どうかわすれさせないでください
あなたのことしてのわたし
はるかなあなたへのみち
わたしにこうおっしゃいました
わたしのめをかしてあげよう
わたしのめでおまえをみてごらん
かみさまのめでみたわたしは
とてもみじゅくで
とてもおおくのつみをかさねていて
とてもむちで
じぶんのことをなにもしらず
じぶんのおもいをことごとくごまかし
ひとをよくきずつけては
おなじあやまちになみだをながす
おろかしいいきものでした
でもそんなわたしは
とてもいとおしくて
そのみじゅくさもいたらなささえも
とてもかわいくて
おやまちのなかにありつみをおかしているときは
とうめいなかなしみのまなざしでわたしをみつめ
このこがはやくきづきますようにといのり
みずからをしりあやまちをしり くるしいしれんにたえているときは
ふかいかなしみとあいのまなざしでわたしをみつめ
どうかこのこがこのめぐみのあめからおおきくはなひらくことができますようにといのり
しあわせにみちてそのあいをおおくのひとにかんしゃでおわけしているときには
とうめいなよろこびのまなざしでわたしをみつめ
どうかこのこのこうふくがもっともっとたねをひろげめぶいていきますようにといのり
こんなんのなかにあってくるしみのなかからそれでもわずかのきぼうとあいをまわりにたむけようとしているときは
ふかいあいとよろこびのまなざしでわたしをみつめ
どうかこのこがもっともっとふかいあいでみたされますようにといのり
つねにわたしのきぼうのみらいをしり さいじょうのみらいをしり
わたしのすばらしさをしり わたしのうつくしさをしり
だからこそ じぶんをおとしめているわたしにかなしみ
それでも わたしをふかくふかくあいしている
かみさまがおっしゃいました
いつもよくがんばっているね
わたしはいつもおまえをみているからね
つらいときにはわたしをよびなさい
わたしはいつもおまえといっしょだよ
おまえをあいしているからね
おまえはたくさんのひとをあいしなさい
かみさまかみさまかみさまかみさま
あなたからいただいたこのまなざしを
どうかわすれさせないでください
あなたのことしてのわたし
はるかなあなたへのみち
ぽえむん 「直言」
2010年03月19日
おごりだよ それは
あんたの主観はそんなにえらいのかい
あんたの考えは本当にそんなに正しいのかよ
そんなことないって?
じゃ、なんで自分より見えてる人の意見をきかないのよ
なんで自分よりすぐれてる人の意見を揚げ足とってバカにしてんのよ
へー、たいしたもんですね
それでそんなに苦しんでるんですか?なんで?あなたの主観はただしいんでしょ?
不思議ですね。
そこまで苦しんでまで、なんで自分の主観にしがみついてんの?
捨てればいいんだよ、そんなつまんねぇ自分なんて。
捨て方がわかんないかい
師をもてよ
師の目線に立てよ
愛の目線に立てよ
てめぇの目線がじゃまなんだよ
あんたの主観にはね
あんたのみてきた親や周りのパターンとかね
あんたのガキん時のショボい思い込みとかね
あんたに憑いてるオバケとかね
余計なモンばっかりなんだよ
そんなモン捨てちまえ
それを捨てて
主観を捨てて
はじめて見えてくるものがある
その世界はね
とってもキレイだよ
あんたも周りもね
過去も未来もね
全部つながってるんだよ
きらきら光ってるよ
涙がでるほどきれいだよ
あんたの主観はそんなにえらいのかい
あんたの考えは本当にそんなに正しいのかよ
そんなことないって?
じゃ、なんで自分より見えてる人の意見をきかないのよ
なんで自分よりすぐれてる人の意見を揚げ足とってバカにしてんのよ
へー、たいしたもんですね
それでそんなに苦しんでるんですか?なんで?あなたの主観はただしいんでしょ?
不思議ですね。
そこまで苦しんでまで、なんで自分の主観にしがみついてんの?
捨てればいいんだよ、そんなつまんねぇ自分なんて。
捨て方がわかんないかい
師をもてよ
師の目線に立てよ
愛の目線に立てよ
てめぇの目線がじゃまなんだよ
あんたの主観にはね
あんたのみてきた親や周りのパターンとかね
あんたのガキん時のショボい思い込みとかね
あんたに憑いてるオバケとかね
余計なモンばっかりなんだよ
そんなモン捨てちまえ
それを捨てて
主観を捨てて
はじめて見えてくるものがある
その世界はね
とってもキレイだよ
あんたも周りもね
過去も未来もね
全部つながってるんだよ
きらきら光ってるよ
涙がでるほどきれいだよ