カミを信じるということ
2010年03月19日
小さい頃、宜保さんの怖い話を読んでいたとき、一番興味があったのはいわゆる「守護霊」の存在だった。
宜保さんによると守護霊は先祖だという。しかし、私には疑問があった。
もしもウチの家の先祖が守護霊ならば、どうして父母は毎日仏壇に手を合わせ、お水もお酒もかえて、拝んでいるのにウチは不幸なのだろう。
どうして父はいつも苦しそうにかおをしかめていて、母はいつもお金に困らなければならないのだろう。
どうして母はいつも金縛りにあい、どうして父はいつも母を理不尽におこってばかりいるのだ。
先祖とはなんだ。守護霊とはなんだ。
小さい頃から、それだけがいつも解けない疑問だった。
中学生のときに苦しみのあまりノイローゼになった私を助けてくれたのは、昔の中国人っぽい格好をしたおねぇさんだった。(イメージとしては弁天さんみたいな)
この人は誰だろうとイメージのなかで問うたら、「あなた(私)自身」という答えがきた。
つまり、この人ははるか昔の私なのか?先祖なのか?前世なのか?
それをどう説明したらいいか当時はわからなかったが、とにかく、私の過去のなんらかのつながりが、私を助けてくれたのだ。
それから私は奄美の歴史を調べてみたが、残念ながら奄美の歴史はほとんど残っていない。おのれ、薩摩藩めぇぇええええ。
しかし、その存在を信じてから、私はとてもすくわれた。
私は一人ではないのだ。私がどんな人間であっても、そのままの私を愛して私の可能性を信じて待ってくださる、高位の存在がいてくださるのだ。しかもその方と私は、深いところでつながっているのだ。
それを思うと、もったいなく、ふがいない自分に申し訳なく思いながらも、とても嬉しかった。
その方はたぶん神様ではないだろう。様々な宗教書やスピリチュアル系の書籍、師匠からの言葉を総合すると、それは私の「守護霊」の一人であるらしいことがわかった。
中三からの同時期にもう一人私を応援してくださった霊人がいる。新元博文氏のつながりで私のところにきてくださった、通称「おじさま」。古代の大和民族?の装束をきている。隊長によって、母方からのご縁の奄美の民族神の一柱だとわかった。
(くれぐれもお伝えしたいのは、私がえらいのではないということです。私に特別に神様がおりたということではなく、さまざまな神様がいらっしゃいますが、奄美の神様のご加護は奄美のみなさんすべていただいてます。私は元々郷土奄美が大好きだったことと奄美の神様のパワーの強い新元さんと霊的にも鋭敏である時期に知り合ったので、たまたまそれを知覚しやすかっただけなんです。)
おねぇさまも、おじさまも、社会人になって出会った一部の方々は存在を信じてくださった。告げずとも知っておられた方もいた。しかし、たとえ誰も目に見えなくても、たとえ誰がその存在を信じてくれなくても、私に語りかけてきたその良心のカタマリのような存在を、当時の私は信じた。
信じるということは、どれほど大きな支えになれるか、それを強い人は「宗教にたよるような弱い心」というかもしれない。
しかし、私にはその方々を信じるということは、守護霊や指導霊の言う「良心の自分を自分と思え」という道理そのものでもあった。
良心の具現化。それが倫理観であり道徳観なのだ。それが霊という概念を通せば、いわゆる「守護霊」なのだろう、と。
その後私は尊敬できる師に出会い、より「大きな存在の道理を信じる」ということの正しさと厳しさを学んだ気がする。
大きな存在は、自分の感情よりも大きな道理をつきつけてくる。それは、自分の感情の通りにはならないということでもある。
でも、それで私はいまこんなにも自由な心をもっている。
自分ひとりの世界に生きていたとき、私はささいなことで心狂い、苦しみのなかで自分を縛っていた。
本当の自由とは、「より複合的多角的な道理の眼差しをもてること」なのだと、隊長の言葉をかりれば言えよう。
それがどのような形であれ、自分という感情をこえたカミ(上)なる存在の思いを信じること。そのなかで、自分自身を見つめ続け、自分に指し示された天意を問い続けていくこと。
これを教えてくださったあのときのおねぇさまに、いつか直接お礼をのべてみたい。
たぶん、妄想なのだろう。妄想でもいいんだ。それが良心の存在であるのなら。
それが実在のものであるかどうかは、死んだあとに、すべてはわかるんだから。
ありがじゅー。おねーさま。そしておじさま。
いつかあなた方に近づける、私になりたいです。
宜保さんによると守護霊は先祖だという。しかし、私には疑問があった。
もしもウチの家の先祖が守護霊ならば、どうして父母は毎日仏壇に手を合わせ、お水もお酒もかえて、拝んでいるのにウチは不幸なのだろう。
どうして父はいつも苦しそうにかおをしかめていて、母はいつもお金に困らなければならないのだろう。
どうして母はいつも金縛りにあい、どうして父はいつも母を理不尽におこってばかりいるのだ。
先祖とはなんだ。守護霊とはなんだ。
小さい頃から、それだけがいつも解けない疑問だった。
中学生のときに苦しみのあまりノイローゼになった私を助けてくれたのは、昔の中国人っぽい格好をしたおねぇさんだった。(イメージとしては弁天さんみたいな)
この人は誰だろうとイメージのなかで問うたら、「あなた(私)自身」という答えがきた。
つまり、この人ははるか昔の私なのか?先祖なのか?前世なのか?
それをどう説明したらいいか当時はわからなかったが、とにかく、私の過去のなんらかのつながりが、私を助けてくれたのだ。
それから私は奄美の歴史を調べてみたが、残念ながら奄美の歴史はほとんど残っていない。おのれ、薩摩藩めぇぇええええ。
しかし、その存在を信じてから、私はとてもすくわれた。
私は一人ではないのだ。私がどんな人間であっても、そのままの私を愛して私の可能性を信じて待ってくださる、高位の存在がいてくださるのだ。しかもその方と私は、深いところでつながっているのだ。
それを思うと、もったいなく、ふがいない自分に申し訳なく思いながらも、とても嬉しかった。
その方はたぶん神様ではないだろう。様々な宗教書やスピリチュアル系の書籍、師匠からの言葉を総合すると、それは私の「守護霊」の一人であるらしいことがわかった。
中三からの同時期にもう一人私を応援してくださった霊人がいる。新元博文氏のつながりで私のところにきてくださった、通称「おじさま」。古代の大和民族?の装束をきている。隊長によって、母方からのご縁の奄美の民族神の一柱だとわかった。
(くれぐれもお伝えしたいのは、私がえらいのではないということです。私に特別に神様がおりたということではなく、さまざまな神様がいらっしゃいますが、奄美の神様のご加護は奄美のみなさんすべていただいてます。私は元々郷土奄美が大好きだったことと奄美の神様のパワーの強い新元さんと霊的にも鋭敏である時期に知り合ったので、たまたまそれを知覚しやすかっただけなんです。)
おねぇさまも、おじさまも、社会人になって出会った一部の方々は存在を信じてくださった。告げずとも知っておられた方もいた。しかし、たとえ誰も目に見えなくても、たとえ誰がその存在を信じてくれなくても、私に語りかけてきたその良心のカタマリのような存在を、当時の私は信じた。
信じるということは、どれほど大きな支えになれるか、それを強い人は「宗教にたよるような弱い心」というかもしれない。
しかし、私にはその方々を信じるということは、守護霊や指導霊の言う「良心の自分を自分と思え」という道理そのものでもあった。
良心の具現化。それが倫理観であり道徳観なのだ。それが霊という概念を通せば、いわゆる「守護霊」なのだろう、と。
その後私は尊敬できる師に出会い、より「大きな存在の道理を信じる」ということの正しさと厳しさを学んだ気がする。
大きな存在は、自分の感情よりも大きな道理をつきつけてくる。それは、自分の感情の通りにはならないということでもある。
でも、それで私はいまこんなにも自由な心をもっている。
自分ひとりの世界に生きていたとき、私はささいなことで心狂い、苦しみのなかで自分を縛っていた。
本当の自由とは、「より複合的多角的な道理の眼差しをもてること」なのだと、隊長の言葉をかりれば言えよう。
それがどのような形であれ、自分という感情をこえたカミ(上)なる存在の思いを信じること。そのなかで、自分自身を見つめ続け、自分に指し示された天意を問い続けていくこと。
これを教えてくださったあのときのおねぇさまに、いつか直接お礼をのべてみたい。
たぶん、妄想なのだろう。妄想でもいいんだ。それが良心の存在であるのなら。
それが実在のものであるかどうかは、死んだあとに、すべてはわかるんだから。
ありがじゅー。おねーさま。そしておじさま。
いつかあなた方に近づける、私になりたいです。
二度目の退行催眠2020.10.22 ~カタリ派時代・古代エジプト(古代ギリシャ)
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:59│Comments(0)
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