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日本のマスコミの三つのタブー(ヘラトリ)

2011年10月12日

『世界の目を醒ます
ヘラトリ・トピックス』
(第30号)



『日本のマスコミの
三つのタブー』



 この日本の国には、いくつかのタブーがありますが、その社会的影響力という点から言えば、"マスコミにおけるタブー"こそが、その最たるものと言えるでしょう。
大手新聞、テレビ局、通信社が、なるべく国民の目に触れさせまいとしている、彼らの
「三つのタブー」
について、今日は採り上げたいと思います。



なぜ大手マスコミは、
中国政府と
報道協定を結んで
いるのか?



 一つ目が、1964年に日本の大手新聞・テレビ局等と中国政府の間で結ばれた、
「日中記者交換協定」
の問題です。
これは、関係者の間では有名な話なのですが、日本のマスコミが黙して決して語らないこと(あえて言えば日本の"恥部")です。簡単に言うと、
「中国国内(北京)に特派員を置かせてもらいたかったら、中国政府の意向に反した報道をしてはならない」
という取決めです。
実際、その翌年から始まった「文化大革命」に関する報道振りを口実にして、次々と日本人特派員を国外追放(産経、毎日)したり、場合によっては、スパイ容疑で逮捕・拘留(日経)したりしたため、北京に残るのは朝日新聞の特派員だけとなり、各社が震え上がることとなりました。
結果、(産経が部分的抵抗をしているようには見えますが)各社の報道は、現在に到るまで、みごとに中国政府の意向に沿ったものとなりました。
最近でも、先般の「中国新幹線衝突死亡事故」の遠因になったと言われている、中国鉄道省の前大臣(今年2月に更迭・現在取り調べ中)が、
「スイスの銀行の秘密口座に28億ドル(約2,100億円)の賄賂(わいろ)の入金があった」
として、
「中国建国以来最大の収賄である」
と、中国国内の在野系のメディアが報じていましたが、私は寡聞にして、このニュースを報道した日本の大手メディアを知りません。
ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、フィナンシャル・タイムズの3紙を毎日チェックしている人間からすると、
「日本の大手マスコミの、少なくとも中国報道の内容は、ほとんど人民日報並みだ」
(最近、産経を中心に若干の改善が見られますが)
と言い切って、ほぼ間違いないように思われます。
「私達は毎日、人民日報を読まされている」
と考えれば、事態を正確に認識できるでしょう。
この事実は、私のような人間が白紙の目で観ると、
「言論の自由を保障した日本国憲法違反」
に見えるのですが、これが「憲法違反」でないという説明を、是非とも大手マスコミの方に要請したいところです。



なぜNHK渋谷センターに
スパイのたまり場?
があるのか?



 二つ目は、渋谷にあるNHK放送センターの建物内に、
「中国国営放送局である中国中央電子台(CCTV)の日本支局が、堂々と入っている」
ということです。(注)
これは、諸外国では、ちょっとあり得ない事態です。(例えば英国BBC放送など。)
「一党独裁国家のテレビ局や通信社は、情報収集・謀略の機能を兼ね備えている」
というのは常識で、主要な人事権は共産党中枢の中央委員会が事実上握っています。
ですから、普通の国は、こういうことはしないのですね。この場で、
「日本の過去の首相のうち、誰が中国のハニートラップ(異性の罠)にかかって、現存する総理候補のうち誰が、既にかかっているのか」
という話を持ち出すつもりはありませんが、それにしても、NHKの無神経振りには唖然とします。
それとも、2年前の映画『仏陀再誕』の中で、予言めいて描かれていたとおり、
「来たるXデイに備えて、テレビ局占拠を手引きする要員を、すでに招き入れているのだ」
とでも言いたいのでしょうか。
この点についても、NHKの明確な回答がほしいところです。



なぜ新聞だけ、
独占禁止法逃れが
許されているのか?



 そしておそらく、この三つ目が、「日本最大のタブー」でしょう。みなさんは、
「ほぼ新聞業界だけが、政治力を使って、本来、独占禁止法違反である「価格カルテル」を認めさせている」
という事実をご存じですか。(これを「新聞特殊指定」と言います。)
簡単に言うと、「値引きを法律で禁止して、新聞社だけが利益を確保できるようにする」ことです。
皆さんは不思議に思いませんか。スーパーに行けば、特売日というのがあって、安売り商品をウリにして、お店の創意工夫でお客を呼び寄せます。
同じように、例えばコンビニが、
「今日は読売新聞の特売日で特別に90円!その代わり、読売関連のグッズで特典があります!」
というようなことを、どんどん創意工夫して、自分の判断で売上げを伸ばしていくことを、自由主義経済は認めています。
ですから、このような小売店の自由な販売活動を制限することは、独占禁止法違反になるのですが、「新聞だけは例外だ」と、国会に認めさせているのですね。
 しかし、常識で考えればわかりますが、こんなことをやっている諸外国はありません。
新聞関係者は、「日本の活字文化を守るためだ」と反論するでしょうが、最近の新聞は、「男性の精力増強剤」や「アダルトまがいのDVD」の広告まで掲載しているくらいですから、
「新聞こそが日本文化の守護神」などとは、客観的に見て、誰も思わないでしょう。
 事態はもっと深刻です。先程も触れた「中国新幹線衝突死亡事件」で、
「中国の在野系新聞はもちろん、政府系の新聞まで、政府に反旗をひるがえす」
という前代未聞のことが、今回起きました。
これは、中国版ツイッター(weiboと言います)の現場からの発信・伝播力によって、大手メディアが報道する前に、国民が事実を知るところとなってしまい、たとえ政府系新聞といえども、
「ここで政府発表の記事しか流さなかったら、読者に見放されて、自分達が倒産する」
という瀬戸際に立たされたからです。これが、温家宝首相が現地の記者会見で「集中砲火を浴びた」ことの真相です。
つまり、あの中国の新聞ですら、競争原理が働いたわけで、
「日本の新聞は、欧米の新聞どころか、中国の新聞以下だ」
ということが、今回わかってしまったわけですね。
 競争がないと、人はどれだけ"堕落"するか、という典型でしょう。
これについても、新聞関係者は、陰でコソコソしないで、表舞台で堂々と議論するなり反論するのを期待します。

(注)『大マスコミ疑惑の報道』(三橋貴明/飛鳥新社)第4章参照   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:09Comments(0)ヘラトリ・トピックス(幸福の科学)

師匠伝説9(師匠話限定復活)

2011年10月12日

不思議な会社④]
アマミキョさんからの投稿


私が以前勤めていた、こじんまりとした会社でのお話です。

自称「まったく霊能力など無い」社長のA先生は不思議な出来事の尽きない方でした。

お客さまの体をしたあとに、「こんなに太いのが巻き付いてたわよー」とか「すごいふさふさのシッポ」とか先輩と話しているのですが、私が近づくと「また霊好きがきたわー」と言ってすぐ話題を変えられました。

ある日、左肩がひどく凝るといって来店された女性のお客様がおられました。

A先生は普段はほとんど口にしないのですが

「あの人、左肩に嫉妬の矢が刺さってるわね」

女性から聞いたら、もうすぐ結婚するのだが結婚が決まってから痛くなった、ストレスかもしれないとの事。

先生は女性に話し掛けました。その肩の痛みは、あなたの結婚を知った同僚の皆の嫉妬ですよ。

でもよく考えてごらんなさい。あなたは結婚が決まってから、自分の幸せに浸ってばかりで、周りの同僚への配慮がほとんど無かったのでは?

皆これまでつらさも分かち合う『戦友』だったのに、突然あなた一人周りを無視して違う幸せに浸ったら、悲しいでしょう?

どうか、自分が幸せな時こそ、周りの皆への感謝と配慮を忘れないでください。あなたのありがとうの一言を、みんな待ってるのよ。

女性は心あたりがあるみたいで、泣きながらうなづいていました。その後、左肩の痛みはキレイに完治したそうです。

私「先生の霊能力を使えば嫉妬の矢なんて簡単にとれるんじゃないですか?(なんであんなまわりくどい事を?)」

先生「私がそんな事をしても、本人が気付かなければまた場所を違えて繰り返します。因果応報。結果には必ず原因があります。それに気付くために、病や事故があるんです」

私「そんなレベルの高い考え方、できますかねー」

先生「まずはあなたが自分を振り返りなさい。まずはそこからです。」
私「え…っ(ギクッ)」

先生とお話すると、いつも最後は「まず自分を磨け」な話になるのでまいりました。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 13:57Comments(3)

『不況に打ち勝つ法』学習会湯布院佐竹館長講話③

2011年10月12日

ですから結論ははっきりしてるんですけれども、じゃあその霊的な経典をですね、パワーにするためには何が必要かというとですね、それは「信仰心」なんだと。

この経典を信仰心のある方がよむ場合と、信仰心無き者にたいしても効果はあるとは思いますが、信仰心のある方が読むとものすごいパワーになってくるということなんですよ。すごいパワーになると。これがこの経典の主張しているところだと思うんですね。

そこで「まえがき」にもありましたけれども、結局経営て何かというのはこれは第三章にも載ってることでもございますけれども「人間学」と「採算学」だと、こう言ってるわけなんですよ。

で、「人間学ってなんですか?」と言ったらですね、「人使えなかったら経営者じゃないから」ということなんですよ。ということは、人の気持ちを分からない人間がなんで経営者になれるんですかと。あるいはお客様の気持ちを分からない人がどうしてお客様に商品を提供できるんですかということで、人間学を分からない人はありえないと言ってるんですよ。

というのはですね、自分はいくら経営者になりたいといったからって、「人使えません」じゃ話にならない。これは男性であろうが女性であろうが、経営者になりたいんだったら人を使えるようにならなきゃならないということが一つです。

そして、「採算学」だと。お金が動きますので、黒字を出さなきゃいけないわけで、トントンじゃダメですね。なぜ黒字を出さなきゃいけないか。

「経営における『中道』とは『黒字』である」とはっきり言われているわけです。

なぜ黒字かというのはですね、ドラッカーが言うようにその利益というものは未来のコストですからいつまでもあるもんじゃありません。懐に入るもんでもなくて、次の投資、あるいは次の仕入れ、そういったことに使っていくわけですので、いつまでもあるものではなくて、回っていくものです。

ですから常に目の前に黒字がなければ会社は潰れると言ってるわけですよ。だから黒字を出さなきゃいけない。この黒字をですね、何か搾取して余分にお客様から取ってるというふうに思う人は、そもそも経営者ではありませんから。もう経営者なんかやめたほうがいいという考え方ですね。ここが大事なところでございます。

そこでですね、まず順番にいきますと、まず目次を見ていただいて、こういった経営書の場合はいろんな事が書いてありますので、ちょっと全体を大づかみにしてからですね、学ばせていただいた方がいいだろうと思うんですね。

第一章はですね、「リストラ予備軍への警告」という、まぁ、すごい題がついているんですよ。大きく言いますとこうなんですよ。「クビにならないためにはどうすればいいのか」っちゅうことがまず書いてあるわけですね。

これはまぁ一般従業員ですね。そのために「個人としてクビにならないためにはどうすればいいのか」ということが書いてあるわけなんですね。

もう一つがですね、「組織がクビになる」場合があるんですよ(笑)これ、倒産ですね。淘汰された場合どうするか。「組織としてクビにならないためにどうするか」ということが書いてあります。

そして「生き延びるためにどうすればいいのか」ということで、「『営業力』と『企画力』が大事だ」と、こう書かれてるんですよ。

次にですね、第二章はですね、「不況に打ち勝つ社員学入門」ということで、まず個人としてリストラされないために何が必要かというと、まぁ「勤勉さが必要」だということなんですけれども、勤勉さも「イチローみたいな勤勉さ」というのが表現として出てきてるんですよ。

要はですね、自分のスタイルを崩さないで、コツコツコツコツやる方が才能は開花すると、こういう言い方なんですよ。イチロー選手見てくださいよ、本当にコツコツコツコツ、真面目ですごい勤勉。あのような勤勉さをモデルにしてほしいということなんですね。

そうすると、生きすじが見えてきますよ。だからですね、あまり他人さんの言うことばっか聞いてですね、バッティングホーム変えると、イチローにはならないんですね。こういう考え方が一つです。

またでですね、組織として生き残ることについても書いてあります。多くの人が集まって仕事してますので
その人の個性とか強さ、能力というものを引き出すことができれば(組織も)強くなりますよと、だから潰したらダメですよということですね。

これは今回の主のご人事を見たらわかりますように、立宗25周年を前にして、25歳(女性)の理事長が誕生したということですから、まことにおめでたいことでございますね。適材適所、年齢も性別も関係ありません。能力のある方は出していくと、こういう考え方でございます。

また第三章がこれはまたすごい法が載っておりまして、「幸福の科学的仕事法」ということでですね、これは一言で言いますと、「霊的な仕事方法」のことを書かれてあります。

(つづく)





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 13:13Comments(1)S館長(幸福の科学)

意識と守護霊との関係(師匠話限定復活)

2011年10月12日

最近ごく一部で「守護霊の暴走」が話題になってるみたいですので、ここでアマミちゃんのびみょーな体験談をしてしんぜよう。
(・∀・)


ちなみに師匠はごくフツーの幸福の科学会員で、ごくフツーのおばちゃんで、私のマッサージの先生です。好物はカニと辛いのです。(客商売なんでキムチは不可)

師匠好きなそこのあなた、師匠に貢ぎ物をもっていくときはカニにしたまへ。(笑)

最近ブログにきた人に「師匠って誰ですか?」とよくきかれるので。

隊長は某神社の神主さんです。幸福の科学とは関係ありません。48歳、既婚、絶倫です。
え?きいてない?




さて、そんな師匠との日々で、私が学んだことが一つある。

それは「守護霊は自分の分身であり、決してカンペキではない」ということ。

そして「守護霊も自分も、相手を霊的に一方的に傷つけることがある」ということだった。




ある日、師匠に突然呼び出された私。

「アマちゃん、私に不平不満があるならちゃんと言いなさい!」

いきなり説教をいただきました。

私は「なんのことですか?( ゚Д゚)ポカーン」状態。

この意味がわかるのは一ヶ月後のことでした。




一ヶ月後、あることがきっかけに私は師匠に対し不平不満のカタマリになったんですね。

不平不満というより、もう「被害妄想」状態ですね。

「こんなにやってるのに師匠はわかってくれない!師匠は私がにくいんだ!」となるわけですね。

もう、心は煮え湯を飲んだ状態となり、被害妄想で精神的に暴風雨です。



こうなると、もう自分でどう反省しようとしてもムリです。

このときはハッキリ言って、師匠にいただく言葉のすべてにいちいち口答えがでるんですね。「でも~」とか「私はこういうつもりで~」とかが入って、自己正当化と言い訳と責任転嫁の嵐です。


結局、その被害妄想の呪縛を解くにはただ一つ。

「自分の言い分をすべて捨て、師匠の見識(師匠の教え)をすべて受け入れる」

これしかありませんでした。その場では納得しがたい師匠の見識を、全部受け入れるんです。

とても不思議なことに「私の言い分もわかってほしい!」と思っていたときには心は泥沼なのに、

清水の舞台から飛び降りる気持ちで自分の言い分を捨て、

「師匠の見識にすべてを委ねます!」

と決めた途端、目の前が「パン!!」と晴れるのはなんとも言えない感覚でした。

これは結局「我」を捨てることで、「つかんでいた執着」(+ここに憑いてた悪霊)を捨てたんですね。

自分の言い分や「私の気持ちを理解してほしい」という思いさえも『執着』なのだと知った瞬間は大変な驚きであり、また、

「師匠の見識を受け入れた」と同時に「パン!」と視界が晴れ、自分が招いた因果の全体が見え、自分の過ちがキレイに見えたときの恥ずかしさと不思議な清々しさは、とても言い表すことができないものでした。


反省をしようと思ってもできない方、最終手段として「自分の言い分をすべて捨て」て「大いなる見識(教え)に自らを全託する」ことはとても大事です。

自分が納得できるできないは別として、やはり「自分より認識の高い人の意見が正しい」んですね。

アマミちゃんオヌヌメだっちゃよ☆
(・∀・)



さて、師匠はどうして私が不平不満の蓄積から被害妄想のカタマリになると一ヶ月前にわかったのでしょう。

それは、なんと私の守護霊が一ヶ月も前に「不平不満のカタマリとなって、師匠に抗議にいった」そうなんです。

それはどういうことかというと、守護霊というのは潜在意識とつながってるといわれますね。

たとえば、コップがあります。コップの七分目までが潜在意識で、そこから上が顕在意識(自分で自覚できる心)だとします。

そこに一滴ずつ不平不満がたまると、三分目と半分まできたときに、守護霊としてはもう精神領域の半分まで不平不満がたまってしまったので、たまらず行動を起こすわけです。

しかし当の本人は、七分目まで不平不満がたまるまで一ヶ月間自覚なく、あるときをきっかけに七分目からあふれたときに、すでに心の七割が不平不満に支配されていることが急激に自覚され、「ここまで不平不満がたまったのはお前のせいだ!」と被害妄想に囚われてしまったというわけですね。


「一ヶ月前から夜中になるとときどきアマちゃんの顔がとんできて、私にわーっと文句をぶつけていたのよ。ある程度きいてあげると落ち着いて帰るんだけど、アマちゃんが気持ちが揺れたりするとまた文句を言いに来るの。あれはアマちゃんの念というより、守護霊さんなのね。(寝ているときには潜在意識が解放されるので、守護霊さんが野放しになるらしい)

アマちゃん、ちゃんと仏法真理を学びなさいね。ちゃんと心を見つめるのよ。守護霊さんは、自分で制御するの。アマちゃんの潜在意識が、守護霊さんなんだからね」


師匠によると、守護霊とは別に、師匠の説教に対し私の反発の念が刀になって斬りつけてきたことも度々あったのだという。もちろん師匠はその場合霊的に無事ではすまない。しかし師匠は「返すこともできたけれど、返すとアマちゃんが倒れるから」と、そのまま受け止めてくださったのだという。

師匠・・・・本当に申し訳ありません・・・・。
。・゚・(ノД`)・゚・。


自らの心に盲目であるということが、どれほどおそろしいかということを、私は師匠により学ばせていただきました。

敬愛する方へさえも、反発を抱けば念の刀で斬りつけ、不平不満がたまれば自分は自覚なくとも守護霊が抗議にいく。いや、師匠は語られないだけで、きっとそれ以上もしたのだろう。

自らの心を見つめ、守護霊と同通するレベルになる。それが幸福の科学会員の当座の目標であるが、それはすなわち、「より自らの心を知る」ということにつきるのだ。

私は恥をしのんでこれを書いた。


どうか私のようにならないでほしい。

自らを省みない一方的な「正義感」や「自分に言い分があると思われる意見」が、たとえ敵意がなくとも、
それ自体によって相手に毒矢を射ているのだということを。

驕ってはいけない。

「私に、その言い分を持つほどの実績があるか」をまず問え。





心とは難しい。

だからこそ、幾たびもの過ちを見つめながら、心を探究するのだろう。

悟りたいと願う。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:52Comments(6)