奄美の正月にはコレ!
2010年12月30日
奄美の正月になるとあちこちのスーパーがコイツでにぎわいます。
奄美のお祝い料理、「ゥワンフネ」(豚骨煮物)用の豚肉です。これがなくちゃ正月じゃありません。

塩漬けの豚肉(かたまり)です。アバラ肉、三枚肉、ヘラ骨(足のつけね肉)とあります。
少し前、冷蔵庫のなかった時代は肉といえばその場でツブしたあとはカメの中に塩漬けで保存が一般的だったので、お年寄りは塩漬けのお肉を「なつかしいねー」と好む人が多いですよね。
ちなみに私は苦手です・・・一発で高血圧になりそうな塩加減です・・・・
うまく塩抜きすればそうでもないでしょうが、お肉は冷蔵庫で育った世代なので、塩漬けは結構です・・・

ヘラ骨まるごと一本。これ、どんくらいの大きさかというと縦50センチくらい、横最大幅30センチオーバーくらいですかね。まるまる一本スーパーで売られてたのははじめて見ました。それとも、私が今まで見つけられなかっただけだろうか?
母いわく「昔は正月になったら祖父ちゃんが外で飼ってた豚をツブして、そのままヘラ骨をオノで切り分けて大鍋で炊きおったが。のこりはみんな塩して一年間のお祝い用にのこしてね。だから昔の正月肉はこんなに(占い用水晶玉くらいの大きさを手でしめしながら)大きな肉だったのよー。最近がどこんなに小さくなって、炊くのに楽なアバラ骨なんか使ってるが。昔はヘラ骨だったのよー」
へー。昔はこれが主流だったんすね。で、これ、どうやって切り分けるの?今どき家に肉の切り分け用のオノ置いてるうちが奄美市中心部に何軒くらいあるんでしょうか?それとも店員さんにお願いしたら適当な大きさに切り分けてくれるんだろうか?
で、下が今の主流、アバラ肉。

まぁ、これも十分「あんまりだろ」な大きさだと思うんですが。昔はお肉はめったに食べられなかった分、食べるときは豪快にガツンといってたんでしょうか。
下にあるのはヘラ骨。
上のアバラ骨の隣にあった、黒豚のアバラ。ちなみに鹿児島黒豚は元々奄美の黒豚でした。まぁ、いいけどね。

昔は母の実家もフツーに黒豚を飼っており、大晦日になると各家庭で豚や鳥や牛をツブすので、あちこちで豚や鳥の断末魔の悲鳴があがると「あー、もう正月かー!」とうれしくなったという。なんちゅーノスタルジックな話。
そんな母ちゃんに「本土には部落差別というものがあってね・・・」と話をすると「ああ、昔は◎◎集落と△△集落は仲悪かったよ!」
かーちゃん、そーじゃなくて・・・と説明したところ
「なんで豚とか牛ツブすのが差別されるわけ?バカじゃないの?差別する連中が絶対肉食べんのならわかるけど、肉食べるんでしょ?意味わからん。足らんチュウ(クルクルパーのしぐさ)じゃない?」
と実に明快なご回答をいただきました。みなさん、差別はクルクルパーの所業だそうです。気をつけましょう。
でもって、奄美では最近でこそあんまりメジャーじゃなくなりましたが、今でも絶大な人気を誇る豚の顔の皮。これが食べてみるとめちゃくちゃ美味しい。見た目で引く人は人生損をしているとつくづく思う。

でもって同じくなぜか若い人に引かれるが、食べてみるとハマる豚の耳。

ここにはないが、奄美の某精肉店で売ってる「豚の舌のみそ漬け」は最高です。ほら、和光トンネルから名瀬側に降りてきたすぐ左・バス停前のあの肉屋さん。あそこの。
そういや昔I小学校の裏には屠殺場があり、よく母や近所の人が「豚の尻尾肉」をもらっていたという。
母いわく「あれは豚のなかで一番おいしいよ!」とのこと。だからかタダでもらえたからかわからないが、いつも一番人気ですぐ品切れになったのだとか。
牛のテールも美味しいらしいもんなー。豚の尻尾ってどんな味するんだろう。食べてみたいね!
豚骨と一緒に煮物にするときに欠かせない野菜。

うちの母ちゃんはこれときりぼし大根とたけのことアバラで、「ゥワンフネ」(豚骨煮物)をつくる。
一年間いただいた命に感謝し、またいただく諸々の命に感謝しつつ、年を越したいですね。
ゥワンフネ早く食べてー!
奄美のお祝い料理、「ゥワンフネ」(豚骨煮物)用の豚肉です。これがなくちゃ正月じゃありません。

塩漬けの豚肉(かたまり)です。アバラ肉、三枚肉、ヘラ骨(足のつけね肉)とあります。
少し前、冷蔵庫のなかった時代は肉といえばその場でツブしたあとはカメの中に塩漬けで保存が一般的だったので、お年寄りは塩漬けのお肉を「なつかしいねー」と好む人が多いですよね。
ちなみに私は苦手です・・・一発で高血圧になりそうな塩加減です・・・・
うまく塩抜きすればそうでもないでしょうが、お肉は冷蔵庫で育った世代なので、塩漬けは結構です・・・

ヘラ骨まるごと一本。これ、どんくらいの大きさかというと縦50センチくらい、横最大幅30センチオーバーくらいですかね。まるまる一本スーパーで売られてたのははじめて見ました。それとも、私が今まで見つけられなかっただけだろうか?
母いわく「昔は正月になったら祖父ちゃんが外で飼ってた豚をツブして、そのままヘラ骨をオノで切り分けて大鍋で炊きおったが。のこりはみんな塩して一年間のお祝い用にのこしてね。だから昔の正月肉はこんなに(占い用水晶玉くらいの大きさを手でしめしながら)大きな肉だったのよー。最近がどこんなに小さくなって、炊くのに楽なアバラ骨なんか使ってるが。昔はヘラ骨だったのよー」
へー。昔はこれが主流だったんすね。で、これ、どうやって切り分けるの?今どき家に肉の切り分け用のオノ置いてるうちが奄美市中心部に何軒くらいあるんでしょうか?それとも店員さんにお願いしたら適当な大きさに切り分けてくれるんだろうか?
で、下が今の主流、アバラ肉。

まぁ、これも十分「あんまりだろ」な大きさだと思うんですが。昔はお肉はめったに食べられなかった分、食べるときは豪快にガツンといってたんでしょうか。
下にあるのはヘラ骨。
上のアバラ骨の隣にあった、黒豚のアバラ。ちなみに鹿児島黒豚は元々奄美の黒豚でした。まぁ、いいけどね。

昔は母の実家もフツーに黒豚を飼っており、大晦日になると各家庭で豚や鳥や牛をツブすので、あちこちで豚や鳥の断末魔の悲鳴があがると「あー、もう正月かー!」とうれしくなったという。なんちゅーノスタルジックな話。
そんな母ちゃんに「本土には部落差別というものがあってね・・・」と話をすると「ああ、昔は◎◎集落と△△集落は仲悪かったよ!」
かーちゃん、そーじゃなくて・・・と説明したところ
「なんで豚とか牛ツブすのが差別されるわけ?バカじゃないの?差別する連中が絶対肉食べんのならわかるけど、肉食べるんでしょ?意味わからん。足らんチュウ(クルクルパーのしぐさ)じゃない?」
と実に明快なご回答をいただきました。みなさん、差別はクルクルパーの所業だそうです。気をつけましょう。
でもって、奄美では最近でこそあんまりメジャーじゃなくなりましたが、今でも絶大な人気を誇る豚の顔の皮。これが食べてみるとめちゃくちゃ美味しい。見た目で引く人は人生損をしているとつくづく思う。

でもって同じくなぜか若い人に引かれるが、食べてみるとハマる豚の耳。

ここにはないが、奄美の某精肉店で売ってる「豚の舌のみそ漬け」は最高です。ほら、和光トンネルから名瀬側に降りてきたすぐ左・バス停前のあの肉屋さん。あそこの。
そういや昔I小学校の裏には屠殺場があり、よく母や近所の人が「豚の尻尾肉」をもらっていたという。
母いわく「あれは豚のなかで一番おいしいよ!」とのこと。だからかタダでもらえたからかわからないが、いつも一番人気ですぐ品切れになったのだとか。
牛のテールも美味しいらしいもんなー。豚の尻尾ってどんな味するんだろう。食べてみたいね!
豚骨と一緒に煮物にするときに欠かせない野菜。

うちの母ちゃんはこれときりぼし大根とたけのことアバラで、「ゥワンフネ」(豚骨煮物)をつくる。
一年間いただいた命に感謝し、またいただく諸々の命に感謝しつつ、年を越したいですね。
ゥワンフネ早く食べてー!
検索キーワードをだしてみた
2010年12月30日
・・・・・・え?

奄美のアマミちゃんでの検索はまだわかる。「幸福の科学 奄美」とか「寺尾玲子」とか「レプタリアン」も、まぁわからんこともない。
誰だ、フルネームの「野崎りの」でググったヤツは!(笑)
まだ「微エロ」でググられないだけましですね・・・・
さ、大掃除の続きするか・・・

奄美のアマミちゃんでの検索はまだわかる。「幸福の科学 奄美」とか「寺尾玲子」とか「レプタリアン」も、まぁわからんこともない。
誰だ、フルネームの「野崎りの」でググったヤツは!(笑)
まだ「微エロ」でググられないだけましですね・・・・
さ、大掃除の続きするか・・・
地球の意味・苦難の意味(もうそう)
2010年12月30日
もうそう。
金星やプレアデスが究極の姿なら、「宇宙のひな型」地球をつくる必要はない。
大調和だけならもう金星で完成している。ではなぜ「宇宙のひな型」である地球をつくったか。
なぜあえてさまざまな星の人類を招聘し、レプタリアンという「戦闘型宇宙人」をも包括した「さまざま宇宙の人種をまじえた多様な価値観の文明」を幾多もおこす必要があるのか?
それは大調和にはない悲しみや苦しみが発生する。考えの違い、価値観の違い、「正しさ」の違い。
ここに、私は大宇宙に存在する大いなる意志の方向性を見る思いがする。
大いなる意志の別名をエル・カンターレともいう。
大いなる意志は、多様な価値観のまじわりのなかに、あらたな、より深みのある発展と調和を創らんとなさっておられるのだろう。
大いなる意志はレプタリアンも否定していない。発展の神として、地球文明の興隆に参加させている。(例・天使長ミカエルを筆頭とする七大天使)
個性や出来事にある作用と反作用。原因からくる結果とその報い。その意味をよりよい形で昇華できる私になりたい。
物事を一面的にとらえるのではなく、多角的に、複眼的に見れるようになりたい。その上で、よりよい理念を選択できる私でありたい。よりよい理念とは「無我」であり「愛」であると思うのです。
それが、価値観が一つではない地球にきたことの意味であると、思うのです。
金星やプレアデスが究極の姿なら、「宇宙のひな型」地球をつくる必要はない。
大調和だけならもう金星で完成している。ではなぜ「宇宙のひな型」である地球をつくったか。
なぜあえてさまざまな星の人類を招聘し、レプタリアンという「戦闘型宇宙人」をも包括した「さまざま宇宙の人種をまじえた多様な価値観の文明」を幾多もおこす必要があるのか?
それは大調和にはない悲しみや苦しみが発生する。考えの違い、価値観の違い、「正しさ」の違い。
ここに、私は大宇宙に存在する大いなる意志の方向性を見る思いがする。
大いなる意志の別名をエル・カンターレともいう。
大いなる意志は、多様な価値観のまじわりのなかに、あらたな、より深みのある発展と調和を創らんとなさっておられるのだろう。
大いなる意志はレプタリアンも否定していない。発展の神として、地球文明の興隆に参加させている。(例・天使長ミカエルを筆頭とする七大天使)
個性や出来事にある作用と反作用。原因からくる結果とその報い。その意味をよりよい形で昇華できる私になりたい。
物事を一面的にとらえるのではなく、多角的に、複眼的に見れるようになりたい。その上で、よりよい理念を選択できる私でありたい。よりよい理念とは「無我」であり「愛」であると思うのです。
それが、価値観が一つではない地球にきたことの意味であると、思うのです。