25日のおもひで クリスマスプレゼントと復帰の灯
2013年12月26日
25日は、朝からとっても嬉しいクリスマスプレゼントをいただきました!

アメリカのブログ読者様から、たくさんのお菓子をいただきました!
今年の私の誕生日に、ビーズでつくられた七夕飾りをくださったKさんからです。
二年前にKさんからいただいたビーズの手作りクリスマスツリーは、いま玄関に飾らせていただいております。
お客様が目を見張って「これ、すごいですね!」といつも驚かれるんですよ。
Kさん、いつもいつも、お気持ちをいただき本当にありがとうございます!!!
。゚(゚´Д`゚)゚。
しかもゴディバ・・・前回もそうでしたが、ゴディバって高級・・・・・。
ありがたくいただきます!(*´∀`*)
ダイエット粉砕!!!(笑)
さて、午後からは、私が暫定リーダーをさせていただいておりますボランティアグループ「THINK BIG AMAMI」の奉仕作業で、高千穂神社に行ってまいりました。
ちなみに来年で三回目になります隊長講演会も、THINK BIG AMAMI企画なんですよ。
THINK BIG AMAMIは、思想・宗派問わず、奄美のためになると思ったらお手伝いさせていただきますです。
月イチでさせていただいている高千穂神社の清掃奉仕は第四日曜日でして、今回は、昨日皆様にご案内させていただいた、以下の企画のお手伝いです。

企画者のYさんが高千穂神社の宮司様に篝火のお話をされたときに、宮司様から
「月に一度掃除しにきてくれる若者がいるので、声をかけたらどうか」
と言われて、こちらにもYさんからお声をいただいたというわけです。
今回は残念ながら年末の多忙もあって、メンバーさんの参加見送りも多かったのですが、
最終的には私含め三人がお手伝いに参加させていただきました。
二人は男性で、まぁ、そのうち一人は私の主人という(笑)
今までTHINK BIG AMAMIのイベントはなかなか現場参加できなかったんですが、やっとタイミングが合いました。
もうひとりはKさん、うちの宗派の信者さんです。Kさん、ありがとぉぉおおおおお!!!!
さて、二人の男性はYさんとMさんの篝火のお手伝い、
私は神社に集まってるたくさんの婦人団体のご婦人達にお茶を配ったり「日本復帰の歌」の歌詞カードを配ったり。
前日に婦人団体のみなさんとボランティアの方で、てづくりののぼり旗(和紙に墨で書いてあり、それをビニールで覆ってある)を作られたらしく、
あちこちの団体のみなさまののぼり旗があり、とても壮観でした。
すると、ある団体の方が「うちのもつくりたい!」ということで、
急遽、のぼり旗のお手伝いをすることに。(笑)
社務所で和紙と墨をお借りして、和紙をセロテープでくっつけて、なんとか旗はつくったものの、どうやってこれを吊るすの?となり、
私のショボいアイディアで申し訳なかったのですが、
短い竹に和紙のてっぺんを巻いてセロテープで固定し、
セロテープをこよりにして束ねて紐替わりにし、短い竹の両側に巻いて釣り紐にし、
(震災のときの緊急方法の本に、ガムテープを紐替わりにする方法として載ってたのを思い出して応用)
竹のてっぺんにナタで切れ目を入れて、釣り紐を切れ目に挟んで、
即席ののぼり旗完成!!!(笑)
そして式典がいつの間にか開始!
式典は司会がいないので少し流れが見えづらかったり、マイクが壊れてたり、名瀬小学校のイベントの流れに合わせないといけないので時間が伸びたり、
一時はどうなることかと思いましたが、なんとかうまくいきました。
途中から、流れがわからなくなった皆さんを心配して、私が発起人のTさん(女性・長年高千穂神社の氏子総代として活躍。先般高千穂神社から表彰された)に
「これからこんな流れになると思うのですが、皆様にご案内させていただいたほうが・・・・」と提案すると、
「じゃ、あなたがして頂戴」。
私、内心「げえええええええ!!!!」
でも言われたことはしないといけないので、なぜか私が大声張り上げてご婦人の皆様に流れをご案内してたのはどうしてだろう(笑)
あとでわかりやすかったと御礼をいただきましたが、実はああいう場所での司会もどきは初体験でした・・・・。死ぬほど緊張した・・・。
イベントって司会が要ですね~~~。勉強になった。
あとでMさんに
「いい声出てたけど、おたく、スポーツかなんかしてたの?剣道とか?」
と聞かれましたが、
剣道してたらこんなにぶくぶく太ってません。(笑)
うちの父の難聴に合わせたらいつのまにか地声で大声が出せるようになりました。はい。
式典としては大まかにこのような流れでした。
①今回のイベントに関して、発起人の一人であるTさんからご挨拶をいただく
②婦人団体のみなさんで、高千穂神社内でお清め神事を受ける(ここで神社から忌み火を受け取る)
③忌み火から篝火に火を移す
④参加者全員で「日本復帰の歌」を合掌
(なぜか私が音頭をとって歌うw音痴なのに・・・。)
⑤待機していた青年団のみなさんが、篝火を松明に移す
⑥篝火の青年団を先頭に、みなさんでメイン会場となっている名瀬小学校へ行列をつくって「日本復帰の歌」を歌いながら移動。
(それぞれの手にはたくさんの日の丸やのぼり旗。ちなみに日の丸は発起人Tさんの手作り。)
行列の途中でハプニング!さっき和紙で即席の所属団体ののぼり旗をつくったおばちゃん、どこかにぶつけたらしく、てっぺんがやぶれてしまっていた。
でも諦めきれないのか、「どうにかしてほしい」と私に言ってくる。いや、どうにかしてと言われても・・・。
そこで私に天啓的ひらめきが!(笑)
名瀬小学校についたとき、校庭入口に大量にかためられている、市役所の「日本復帰60周年記念」の旗を指差し、
「こちらを一本お借りします!」
そして、破れた和紙をその旗の上に「こちらもお借りします!」と宣言した市役所のガムテープで貼り付け!!!!(笑)
団体の男性は嬉しそうに、その即席旗を持って群衆のなかに入っていかれました。
やっぱり、こういう「思い入れのあるもの」はムゲにしちゃいけないと思うの。
そして、青年団が司会に誘導されて校庭に入り、
「高千穂神社の復帰運動の火」が特別に用意された壇上の篝火台にうつされました。
うーん。さまになるなぁと、うなる。男性二人も到着。
これ、篝火があるのとないのとで、全然その場の雰囲気がちがいます。篝火やってよかった!!!!!!
奄美取材レポ。 様ブログより(三つ目が私がお手伝いした企画「復帰の篝火」です)
http://hmk.amamin.jp/e405183.html
でも、さすが篝火だけあって、時々はじけて火花が散るので、そのたびに火バサミを持って塊を取ったり、踏んで火花を消したり。
式典のメインイベント「提灯行列(日本復帰の日に当時の市民がお祝いでした提灯行列の再現)」には、
高千穂神社ののぼり旗がたくさん見えました。
また、忌み火も提灯行列に加わっていただきましたので、
これで、高千穂神社での式典が、そのまま提灯行列まで加わったことになります。
最後に壇上の篝火を校庭中央に移動させ、
提灯行列から戻ってきた市民のみなさんが、
篝火を囲んで踊りを踊って、復帰60周年記念式典は無事終了となりました。
そしてその後、ある程度燃えるまで待って、炭に水を掛けて消して、撤収。
自宅に戻ったのは九時半でした。
市民のみなさま、メリークリスマス!!!
式典終了後、残り火を調整しているMさんと私(の左手。)

式典終了後、片付けが進められている舞台と、その前の燃え尽きる前の篝火。


アメリカのブログ読者様から、たくさんのお菓子をいただきました!
今年の私の誕生日に、ビーズでつくられた七夕飾りをくださったKさんからです。
二年前にKさんからいただいたビーズの手作りクリスマスツリーは、いま玄関に飾らせていただいております。
お客様が目を見張って「これ、すごいですね!」といつも驚かれるんですよ。
Kさん、いつもいつも、お気持ちをいただき本当にありがとうございます!!!
。゚(゚´Д`゚)゚。
しかもゴディバ・・・前回もそうでしたが、ゴディバって高級・・・・・。
ありがたくいただきます!(*´∀`*)
ダイエット粉砕!!!(笑)
さて、午後からは、私が暫定リーダーをさせていただいておりますボランティアグループ「THINK BIG AMAMI」の奉仕作業で、高千穂神社に行ってまいりました。
ちなみに来年で三回目になります隊長講演会も、THINK BIG AMAMI企画なんですよ。
THINK BIG AMAMIは、思想・宗派問わず、奄美のためになると思ったらお手伝いさせていただきますです。
月イチでさせていただいている高千穂神社の清掃奉仕は第四日曜日でして、今回は、昨日皆様にご案内させていただいた、以下の企画のお手伝いです。

企画者のYさんが高千穂神社の宮司様に篝火のお話をされたときに、宮司様から
「月に一度掃除しにきてくれる若者がいるので、声をかけたらどうか」
と言われて、こちらにもYさんからお声をいただいたというわけです。
今回は残念ながら年末の多忙もあって、メンバーさんの参加見送りも多かったのですが、
最終的には私含め三人がお手伝いに参加させていただきました。
二人は男性で、まぁ、そのうち一人は私の主人という(笑)
今までTHINK BIG AMAMIのイベントはなかなか現場参加できなかったんですが、やっとタイミングが合いました。
もうひとりはKさん、うちの宗派の信者さんです。Kさん、ありがとぉぉおおおおお!!!!
さて、二人の男性はYさんとMさんの篝火のお手伝い、
私は神社に集まってるたくさんの婦人団体のご婦人達にお茶を配ったり「日本復帰の歌」の歌詞カードを配ったり。
前日に婦人団体のみなさんとボランティアの方で、てづくりののぼり旗(和紙に墨で書いてあり、それをビニールで覆ってある)を作られたらしく、
あちこちの団体のみなさまののぼり旗があり、とても壮観でした。
すると、ある団体の方が「うちのもつくりたい!」ということで、
急遽、のぼり旗のお手伝いをすることに。(笑)
社務所で和紙と墨をお借りして、和紙をセロテープでくっつけて、なんとか旗はつくったものの、どうやってこれを吊るすの?となり、
私のショボいアイディアで申し訳なかったのですが、
短い竹に和紙のてっぺんを巻いてセロテープで固定し、
セロテープをこよりにして束ねて紐替わりにし、短い竹の両側に巻いて釣り紐にし、
(震災のときの緊急方法の本に、ガムテープを紐替わりにする方法として載ってたのを思い出して応用)
竹のてっぺんにナタで切れ目を入れて、釣り紐を切れ目に挟んで、
即席ののぼり旗完成!!!(笑)
そして式典がいつの間にか開始!
式典は司会がいないので少し流れが見えづらかったり、マイクが壊れてたり、名瀬小学校のイベントの流れに合わせないといけないので時間が伸びたり、
一時はどうなることかと思いましたが、なんとかうまくいきました。
途中から、流れがわからなくなった皆さんを心配して、私が発起人のTさん(女性・長年高千穂神社の氏子総代として活躍。先般高千穂神社から表彰された)に
「これからこんな流れになると思うのですが、皆様にご案内させていただいたほうが・・・・」と提案すると、
「じゃ、あなたがして頂戴」。
私、内心「げえええええええ!!!!」
でも言われたことはしないといけないので、なぜか私が大声張り上げてご婦人の皆様に流れをご案内してたのはどうしてだろう(笑)
あとでわかりやすかったと御礼をいただきましたが、実はああいう場所での司会もどきは初体験でした・・・・。死ぬほど緊張した・・・。
イベントって司会が要ですね~~~。勉強になった。
あとでMさんに
「いい声出てたけど、おたく、スポーツかなんかしてたの?剣道とか?」
と聞かれましたが、
剣道してたらこんなにぶくぶく太ってません。(笑)
うちの父の難聴に合わせたらいつのまにか地声で大声が出せるようになりました。はい。
式典としては大まかにこのような流れでした。
①今回のイベントに関して、発起人の一人であるTさんからご挨拶をいただく
②婦人団体のみなさんで、高千穂神社内でお清め神事を受ける(ここで神社から忌み火を受け取る)
③忌み火から篝火に火を移す
④参加者全員で「日本復帰の歌」を合掌
(なぜか私が音頭をとって歌うw音痴なのに・・・。)
⑤待機していた青年団のみなさんが、篝火を松明に移す
⑥篝火の青年団を先頭に、みなさんでメイン会場となっている名瀬小学校へ行列をつくって「日本復帰の歌」を歌いながら移動。
(それぞれの手にはたくさんの日の丸やのぼり旗。ちなみに日の丸は発起人Tさんの手作り。)
行列の途中でハプニング!さっき和紙で即席の所属団体ののぼり旗をつくったおばちゃん、どこかにぶつけたらしく、てっぺんがやぶれてしまっていた。
でも諦めきれないのか、「どうにかしてほしい」と私に言ってくる。いや、どうにかしてと言われても・・・。
そこで私に天啓的ひらめきが!(笑)
名瀬小学校についたとき、校庭入口に大量にかためられている、市役所の「日本復帰60周年記念」の旗を指差し、
「こちらを一本お借りします!」
そして、破れた和紙をその旗の上に「こちらもお借りします!」と宣言した市役所のガムテープで貼り付け!!!!(笑)
団体の男性は嬉しそうに、その即席旗を持って群衆のなかに入っていかれました。
やっぱり、こういう「思い入れのあるもの」はムゲにしちゃいけないと思うの。
そして、青年団が司会に誘導されて校庭に入り、
「高千穂神社の復帰運動の火」が特別に用意された壇上の篝火台にうつされました。
うーん。さまになるなぁと、うなる。男性二人も到着。
これ、篝火があるのとないのとで、全然その場の雰囲気がちがいます。篝火やってよかった!!!!!!
奄美取材レポ。 様ブログより(三つ目が私がお手伝いした企画「復帰の篝火」です)
http://hmk.amamin.jp/e405183.html
でも、さすが篝火だけあって、時々はじけて火花が散るので、そのたびに火バサミを持って塊を取ったり、踏んで火花を消したり。
式典のメインイベント「提灯行列(日本復帰の日に当時の市民がお祝いでした提灯行列の再現)」には、
高千穂神社ののぼり旗がたくさん見えました。
また、忌み火も提灯行列に加わっていただきましたので、
これで、高千穂神社での式典が、そのまま提灯行列まで加わったことになります。
最後に壇上の篝火を校庭中央に移動させ、
提灯行列から戻ってきた市民のみなさんが、
篝火を囲んで踊りを踊って、復帰60周年記念式典は無事終了となりました。
そしてその後、ある程度燃えるまで待って、炭に水を掛けて消して、撤収。
自宅に戻ったのは九時半でした。
市民のみなさま、メリークリスマス!!!
式典終了後、残り火を調整しているMさんと私(の左手。)

式典終了後、片付けが進められている舞台と、その前の燃え尽きる前の篝火。

natsuさんが視たモノ・神武の金鵄の重要性
2013年12月26日
natsuさんによると
「国津神の恨みを解く鍵は、神武の金鵄だと思う」
とのことで、
金鵄について考察してみます。
金鵄について知らない人は、各自調べてください(笑)
ついてこれない人は置いていきます(笑)
でも優しいリノぴょんだから、どうぞ。
金鵄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%B5%84
つまり、神武勝利の鍵となった金色のトビのことですね。
この金鵄ってなんの象徴?と思ったんです。
ただ太陽を背にして相手に目くらまししただけじゃ芸がない。
神話になるには、それなりの宗教的正当性が必要となります。
じゃ、金鵄ってなんだろうと思うと、
これって、当時の神託じゃないですかね?
つまり、神武は金鵄が舞い降りたということによって、
「神託によって統治者として示された」と解釈できた信仰が、当時あったと思うんですね。
ただ、これは神武側より、奈良の氏族達側にとって説得力を持つ必要があります。
ということは、どういうことか?
ナガスネヒコはじめとする奈良の氏族達が当時信仰していた神からの託宣が、神武に祝福を授けたと解釈できると思うのです。
(つまり金鵄は高千穂族の神ではなく、奈良の氏族=物部族の側の神の神使)
では、物部・・・国津神の神とは誰か?
国常立神であり、ニギハヤヒノミコトであり、
かつての日本統一の王であった方ではないでしょうか?
だからこそ、金鵄は説得力をもてたと思うのです。
金鵄は鳳凰でもあり、
鳳凰は天帝の使いであり、
鳳凰は南の守護神・スザクとも同一視され、
うちの宗派においては、湯布院正心館の神使でもあります。
(宇佐神宮も鳳凰がよくモチーフにされている)
では、金鵄という「神託」を降ろした当時の信仰の聖地とはどこだったのか?
宇佐ではないとは思うんですが、ではどこかであるかというと、それがどこかがまだ判然としないんですよねー。
当時の奈良の国津神の聖地とはどこでしょう?
大神神社?それとも鳥見山?
一つだけわかるのは、
日本の最も古代の信仰形態は「神山信仰」であり、
(これは沖縄・奄美においては近代までのこってました)
それは、神山を祀る神官が神託をうけるという最も分かりやすい形だったわけです。
当時の氏族の神の使いが、神武を選んだという正当性が、
神武による統一の大きな後押しになったとしたら、
金鵄とは「誰」だったのか?
ここを紐解くと、なかなか面白いものが見えてくるのかもしれません。
誰~~~!!!知りたい~~!!!
.
natsuさんが視たモノ・奄美の使命
2013年12月26日
愛知県の旅行から帰ってきた私は、natsuさんに久々に(略)をお願いした。
私としては、伊勢神宮やいろんな神社・神域でいただいた霊的なご神宝を視てほしかったんですが、
natsuさんの視たものは、大変に意外なものだった。
それは、
「氏神を信じて戦った氏族達が敗れたあとの、天孫族(朝廷)への恨み」
だった。
natsuさんによると、これは愛知での旅で関わったものだという。
通常、ここまでの恨みと関わることは、非常に危険らしい。
(私は大丈夫ですけど、他の方は絶対に真似しないでね)
現にnatsuさんは、視ただけでその後大きなダメージを受けた。
natsuさん、すみませんでした・・・。
おそらく、これは私の今回の旅のもう一つの側面だったのだろう。
元々理解はしていたものだし、それをハッキリさせるつもりで愛知に行ってるので、私は別段驚きはしなかった。
でも、せめてもう少し神々しいものを見てほしかった(涙)
これは、私の伊勢神宮での御神楽で捧げた祈願でつながったのだろう。
natsuさんも、「その祈願でつながったものでもある」と言う。
おそらくあの祈願は、奄美という立場だからこそできる祈願だったのだろう。
ソレを視たnatsuさんによると、
「ここまでの強烈な恨みは、すでに説得不可能だけど、
もしもなんとかしたいと思うのなら、
謝罪などではなく、
天孫族がこの国を統一した理念が天意であったことを、
説き続け、理解させる以外にないだろう」
とのことでした。
しかし出雲といい某所といい、どうして私はこんなに戦争の恨みの浄化に関わるのか(笑)
天津神にも属さず、国津神でもない、そしてそのどちらの源流でもある奄美であるなら、
理念と理想への道を指し示すことができるのかもしれない。
歴史には必ず光と陰がある。
どのような立場にも、かならず光と陰がある。
陰は悪ではなく、悲しみと私は理解する。
悲しみを慰め、悲しみを光に変えて共に歩くことは、必ずできるはずだ。
ラ・ムーが示した徳とは、許しと寛容だったのではないだろうか。
不調和を調和に和する日本の徳の力とは、
女神の畏れの向こう側にある、
太陽の理念ではないかと私は感じるのです。