natsuさんが視たモノ・奄美の使命
2013年12月26日
愛知県の旅行から帰ってきた私は、natsuさんに久々に(略)をお願いした。
私としては、伊勢神宮やいろんな神社・神域でいただいた霊的なご神宝を視てほしかったんですが、
natsuさんの視たものは、大変に意外なものだった。
それは、
「氏神を信じて戦った氏族達が敗れたあとの、天孫族(朝廷)への恨み」
だった。
natsuさんによると、これは愛知での旅で関わったものだという。
通常、ここまでの恨みと関わることは、非常に危険らしい。
(私は大丈夫ですけど、他の方は絶対に真似しないでね)
現にnatsuさんは、視ただけでその後大きなダメージを受けた。
natsuさん、すみませんでした・・・。
おそらく、これは私の今回の旅のもう一つの側面だったのだろう。
元々理解はしていたものだし、それをハッキリさせるつもりで愛知に行ってるので、私は別段驚きはしなかった。
でも、せめてもう少し神々しいものを見てほしかった(涙)
これは、私の伊勢神宮での御神楽で捧げた祈願でつながったのだろう。
natsuさんも、「その祈願でつながったものでもある」と言う。
おそらくあの祈願は、奄美という立場だからこそできる祈願だったのだろう。
ソレを視たnatsuさんによると、
「ここまでの強烈な恨みは、すでに説得不可能だけど、
もしもなんとかしたいと思うのなら、
謝罪などではなく、
天孫族がこの国を統一した理念が天意であったことを、
説き続け、理解させる以外にないだろう」
とのことでした。
しかし出雲といい某所といい、どうして私はこんなに戦争の恨みの浄化に関わるのか(笑)
天津神にも属さず、国津神でもない、そしてそのどちらの源流でもある奄美であるなら、
理念と理想への道を指し示すことができるのかもしれない。
歴史には必ず光と陰がある。
どのような立場にも、かならず光と陰がある。
陰は悪ではなく、悲しみと私は理解する。
悲しみを慰め、悲しみを光に変えて共に歩くことは、必ずできるはずだ。
ラ・ムーが示した徳とは、許しと寛容だったのではないだろうか。
不調和を調和に和する日本の徳の力とは、
女神の畏れの向こう側にある、
太陽の理念ではないかと私は感じるのです。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 08:01│Comments(0)
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