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今こそ、世界に靖国参拝の正当性を説明するべき

2013年12月27日

安倍首相の靖国参拝に、東アジア三カ国の反応はどうでもいいとして、その他の国からも懸念や批判の声が出ています。

アメリカ、EU、フランス、ロシアなどですね。

しかし、これは日本にとって最大のチャンスと捉えるべきと感じます。

ここで、日本をあげて説明すべきときではないでしょうか。

「靖国神社は侵略戦争の肯定の為の墓地ではなく、
自衛戦争で散華した英霊を祀る宗教施設である」

と。

そして、返す刃で、言うべきだと思うのです。

「日本が国土を灰にしてまで戦った自衛戦争の間、あなたがたの国は一体何をしていたのか」

と。

「日本は完全な自衛戦争であった。その自衛戦争を侵略戦争と汚名を着せて批判する欧米諸国は、当時何をしてきたか」

と。

これが、書籍『日本を救う陰陽師パワー』に書かれていた
「世界から日本に向けられた日本封印の念の打ち返し(念返し)」
だと思うのですが、いかがでしょうか?


そもそも【A級戦犯】とは何か。

戦争するつもりがなかった日本を戦争に無理やり引き込んだアメリカをはじめ、

当時の有色人種の国への侵略戦争の首謀者だった国々と、

そこに利用された当時の植民地寸前の日本の隣国が、

自衛戦争に負けた日本を裁いたときに日本軍人に無理やり着せた汚名ではないですか。

中国に言いたいのは、

欧米列強にくいものにされ崩壊寸前だった当時の中国の、

かろうじて立ち上がった愛国の有志による中国独立運動を支援し続けていたのは、

日本の民間人有志であったことを忘れてはならないということです。

当時の中国独立運動の指導者・孫文の弟子であった蒋介石は、

アメリカに媚びて日本から受けた恩を仇で返し、アメリカに擦り寄って属国の王たろうとしたのが実情です。

また、日本を戦争に追い込んだアメリカの悪意の象徴・ハル・ノートを作った当時財務省補佐官のハリー・ホワイトは、

のちにコミンテルンのスパイとして訴追される直前に自殺しています。

(佐竹館長、情報あざーす!)

つまり、明治維新・日露戦争から、日米開戦まで、その背後で「誰が動いていたか」。そこまでを知れば、日本が侵略戦争であったことは微塵もないのです。




護国の英霊が祀られる靖国を批判することは、靖国に対して無知であるか、もしくは靖国を政治利用することに無恥であるかのどちらかだと私は感じております。

どのような国であっても、無神論の国共産主義国であってさえも、

国のために戦った軍人は「英雄」として尊敬され、国家レベルでの最高儀礼をもっての慰霊があって当然です。

それが、「国家」を維持するための暗黙のルールであるからです。

国のために戦う人々への尊敬がなくて、どうして人々は国への忠誠と愛を貫けるでしょうか?

それは、国家と国民との絆の象徴なのです。

なのに、なぜ日本にはそれが許されないのか!!!!

ここに、ある特定の国々、もしくはその背後にいる一部の人々による、日本を差別する意図と、日本を封じる傲慢があります。

日本の靖国を批判するなら、まず侵略戦争を行った自国の過去すべての軍人達の顕彰を徹底的に否定すべきです。

それから他国に口を出すのが最低限の品性というものでしょう。

なぜ自国ではそれをせず、

欧米帝国主義の最大の被害者であり、したくもない戦争にまきこまれ、果てに汚名を着せられた日本だけに、糾弾のひとさしゆびを向けるか!!!!

これを無恥と私は言いたいのです。






コミンテルンと欧米帝国主義の策謀に有色人種として唯一毅然と立ち向かった日本。

その誇りを継承する私達であるなら、

今度は私達が、護国の英霊の誇りと尊厳を護るべき時ではないでしょうか。

私は靖国に祀られた英霊に、永遠に感謝します。

どうか世界のみなさんには、靖国をその目で直接見ていただきたい。

靖国神社とは、現人神であらせられた当時の天皇から、

国のために戦った人々を軍神として奉ずるとされた、

国と国民との絆の象徴であるのです。



どうか、気づいていただきたい。

靖国にいるのは、国の英雄であり、

命を捨てて私達の国を守ってくださった、父祖の御霊であるということを。

父祖の御霊に冤罪の糾弾のひとさしゆびを向けるなら、

あなたもまた、子孫にいわれなき糾弾のひとさしゆびを突き刺されるだろうと。

国と国民との絆を壊し、死者に罪を負わせ続けることが、

天の道理に基づいて、どう見えるのか。

それをよくよく考えていただきたいと願います。










コミンテルンとアメリカの当時の策謀について、詳しくは以下のサイトをドゾー。

日米戦争とは何だったか
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi07.htm


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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 13:35Comments(2)つぶやき

瓊瓊杵尊と神武天皇~神託と武力

2013年12月27日





さて、天孫族の日本統一と神託について考えるこのシリーズ。

ここまでの私なりの整理で、

「神武天皇をはじめとする天孫族には、国津神の高位霊界から、天孫族を統一者として認める神託が当時すでに降りていた、しかし国津神の氏族達がその神託自体を認めなかった」

という一つの仮説にいきつきました。

そうでなければ、ニギハヤヒ→ニニギという後継の正当性に、かならず完全否定する伝承があるはずです。

しかし、その伝承がない。

つまり、ニニギは、先史における統一王であるニギハヤヒ王朝のルーツを持つ氏族の一つであり、その証明となるもの(三種の神器)を持っていたということは、国津神側であっても否定できない事実だったということではないでしょうか?

つまり、ニニギとは元々「国津神のなかの新興勢力」であり、

その継承の正当性は理解しつつも、

権限の委譲(中央集権制)を大国が認めなかったために、

国津神と天孫族の相克がおきたものと感じます。

しかし、ニニギの正当性をいち早く理解して、恭順した氏族がいました。

それが、オオヤマツミの神の一族であり、

オオヤマツミとは、神山をさししめすのではないかと推測します。

つまり、オオヤマツミの神とは、当時の日本全土にあった国津神の信仰・神山信仰をとりまとめる、神官の長の一族ではなかったでしょうか。

その力は、娘であるコノハナサクヤヒメにも現れています。

すでに、ニニギに対して、天孫(日本統一という天照大御神の意を受けた正当皇位継承者)であるという国津神霊界の神託が降りていたことがわかります。

しかし、ニニギから神武につながる新興勢力にたいして、恭順を拒む氏族は非常に多く、(そりゃ既得権益を失いたくはないですよね)

氏族達への説得は困難を極めたと推測されます。

おそらく、ニニギ自体はほとんど武力を使わなかったのではないでしょうか。

幸福の科学で、ニニギノミコトの生まれ変わりとリーディングされている三島由紀夫を見る限り、

私設軍隊を持っていてもほとんど使わず、もっぱら理想を示すことや国民の感化・教育・美意識の向上を主眼に置いていたことがわかります。

三島自身、武力とは「宗教的シンボルとなる存在を護るためのもの」(野崎意訳)と明言しております。

だから、三島の作った私設軍隊・楯の会は、天皇の盾という意味でした。

結果的に、武力をほとんど行使しなかったであろうニニギは、日本統一の使命を果たすことができなかったのではないでしょうか。

その反動もあり、神武ははじめから、「東征」を目的としたのだと思います。

つまり、神武の数代前に示されていた変革の天意と、その動きを、

多くの氏族は拒み、結果的に当時大国出雲と同盟関係を結んでいた朝鮮からの思想侵略を放置することになり、

朝鮮族はおそらく氏族の神への信仰のみへの一本化・・・・内戦への誘導をしかけていたのだと思います。

それによって、やがて日本全土に関わる国防の危機が起きたものと推察されます。

その結果、神武の東征という「未曾有の内戦」を招いたのだと感じます。

神武東征とは、侵略ではなく、国防のための最終手段ではなかったでしょうか。

(同じようなことが起きたときに、いち早く動いたのが、神功皇后だったと推察します)










かつて同じ文化で統一されていた日本。東北・北海道から沖縄まで、大きな交流のあった縄文時代。

何によってそれが断絶されたのかはわかりませんが、おそらくは全国規模での天災があり、

当時の交通ネットワークが一時的に全面遮断されてしまったものと推測します。

その後、交流がなくなった国々では、それぞれの氏族の独自性が強くなり、

氏族達が覇を競い争いが絶えなくなった時代に、

かつてのニギハヤヒのように、

再びの宗教理念による日本統一を、

天上の神々は意図されたときに、

その神託を拒んだのは誰か。

その神託を歪めたのは誰か。

それは、宇宙の邪神であり、その尖兵である地球の邪神ヤーベかもしれません。

でも、最終的には、神託を拒んだのは、

自分達の利益のために古い神にしがみつく「自己保身」そのものが、

多くの悲しみを生んだ原因であったと私は感じます。

本物の古い神々は、多くの幸福のための変革をのぞまれていたのに、

地上の人々は、古い神の名において変革を拒んだ。

そこにあったのは、信仰心ではなく、自己保身(自分の正しさへの執着)でした。







本物の古き神々の悲しみを思います。

神を崇拝する人々が、

神の理念よりも人間心での保身を選び、

神の名を叫びながら死んでいく。

たくさんの悲しみが降り積もり、

神託は届かない。





古き神の嘆きは、

それでも、その子等の魂を救いたいと泣いています。

元なる神の元へ集えと。

そこに、この国の救いがある。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 12:41Comments(0)つぶやき

やっとわかった!寝言さんのある発言

2013年12月27日



寝言さんが「2700年前に神託が歪められた」と言っていたのは、

神武を天が選んだという神託が、

正しく氏族達に伝わらなかったということではないか。

おそらく、ニニギから神武という天孫族の正当性について、

当時の国津神の氏族の神官達にはすでに神託で予言が降ろされていたのではないか。

しかし、その神託は正しく伝えられなかった。

だから、ニニギから神武の流れに「侵略者」という反発が起きた。

おそらく、「祀られるべきでない神々」とは、

氏族達の利己的な自尊心を煽り、古い神にしがみつくことのみを正しさと吹聴し、内戦を誘発させた神。

この正体に関しては、すでに答えは出ている。

幸福の科学のリーディグで指摘された存在。

おそらく国津神側に入り込んでいた朝鮮族。(大國主による出雲立て直しの妨害をしていた側)

朝鮮族にもヤーベ信仰があった。というか、今の韓国という国の国民性って、まんまヤーベじゃないですか?

(ヤーベ=エンリルは妬む神であり激しい劣等感を持つ神。歪んだ原理主義と信仰を利用した恐怖支配。信仰の乗っ取りで自分が慈悲の神を名乗る。実績の詐称や歴史の捏造を当たり前にする神。マジでまんまじゃねーか!)

神託よりも、氏族の誇りや利益を優先させたときに、

付け入るスキができた。

そこに、氏族側にささやきかけ、天孫族を侵略者として戦いを挑む方向に導いた者達がいるのではないか。

しかし、それは朝鮮族だけのせいではなく、

戦いを挑んだ氏族たちだけの責任でもない。

すべては、

新旧のぶつかり合いであり、

それも含めて、変革は天意だった。

明治維新がたくさんの血を流し、それでも結果的に天意であったように、

変革は天意だった。

古き神にしがみつくことを、本物の古き神はのぞんではいなかった。

しかし、地上の人々は神託よりも氏族の名誉を優先させた。

ここに、すべての悲しみがあった。

なるほど、だから「神託をないがしろにしてはいけない」と寝言さんは言ってたわけね。



神託の象徴・金鵄は、

仕事をしようとした。

それを妨害したのが誰かは問わない。

伝えられなかった悲しみが、

つくられた相克を止められなかった悲しみが、

封じられた真実を伝えてほしいと、

精一杯の翼をひろげている。










  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:17Comments(0)つぶやき