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霊力とは何か・アマミちゃんの考察(再掲載)

2012年10月21日



2011年11月22日




一部宗教団体や一部スピリチュアル系の方々で最近フィーバーしてる「霊力」という言葉ですが、中学二年からこの言葉を使いまくってた私の時代がきたと感慨ひとしおなわけですよ、ええ。

はい、私は自分大好き人間です。
(*´Д`)あはーん

正確には新元博文氏の「奄美独立革命論」に書いてあったからなんですけどね。

新元氏の書かれた「奄美独立論」は、ちょっと内容的にぶっとんでますが絶対奄美の民族神のインスピレーションをうけていると思う。それくらい私には神々しい文章だった。

あ、その次にのってる「奄美革命論」は別に読まなくてもいいです。

そんなわけで、「霊力とは何か」という題をつけてみました。

女性が男性を護る力、それが「霊力」だと姉妹神信仰では位置づけられてますが、じゃー、霊力ってなんでしょう。


男性よりも女性が勝るもの、それは「優しさ」だと私は思っています。

子供を育て、子供の未熟さを許し、夫の分までも働く古代の女性の強さは「優しさ」からきていたのではないでしょうか。

優しさは、傷つきやすい心でもありますが、護るべきものを得た時なにより強靱な強さに変わります。

この優しさを積極的な思いに翻訳するなら「愛」となり、積極的な行動に翻訳するなら「奉仕行・祈り」となるのではないかと私は思います。

また、優しさはやわらかな波調でもあります。

優しい波調をもつ存在、それは自然の恩恵であり、世界を慈しむ神の思いであり、子孫を護る先祖の思いではないでしょうか。

それらと同調する女性は神を降ろし、神に感謝し、神の側に立つ思いへの感化力を有しているものと思うのです。

波調は水面の波紋のように、必ず周囲に影響を与えます。特に女性は「言霊の力」がすぐれていますので、女性の積極的な言葉は大きなプラスのパワーを周りに与えるようです。

霊力とはやさしさであり、相手を立てる心であり、調和の力であり、調和のための守護の力であり、また調和を害するすべての邪悪な存在への破邪の力であり、許す力であり、育む力であり、さらにさらに愛ぶかい存在の力を降ろす力であるのではないかと、私は考えています。

思いにおいて「愛」、行動において「奉仕・祈り」これが、優しさをその根源とした女性の霊力の発動条件であるのではないかと私は思います。

かつて奄美は霊力の島であり、調和の島でした。

女性の霊性の優位性が固く信じられ、女性の霊力は女神阿麻彌古をその象徴として讃えられてきました。

その奄美から、今一度、女性の霊力の根源である「優しさ」を復活させていただきたいと、願っています。














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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:27Comments(2)

「自分の言い分が正しい」という生霊(再掲載)

2012年10月21日

2012年01月19日





去年から嫉妬やらなまれいやらとお友達(いやだ・・・)なアマミキョです(笑)

しかし一番厄介なのは「自分の正しさへの盲信」だと知ったのが一番の収穫です!(号泣)

うちの師匠や隊長が普段から言われてる
「自分が正しいと信じてる言い分を捨てる事の重要性」
が、念をうける立場にたってみて改めてわかりました・・・

これは特定の方を揶揄するものではなく、あくまで「私自身の生霊とばし体験」からも見た「パターン分析」です。

私も師匠を念の刀で何度も斬りつけてた側なので言えるんですが(号泣)、

ほとんどの場合、生霊をとばすときは「無自覚」です。

いや、マジでマジで。

ただ私の場合は職場が特殊(笑)だったもので、「自分の目で見る反省や客観視」などという生易しいモノではなく、「師匠からの直接のお叱り」というストレートな潜在意識のえぐり出しが日常だったので、

自分の生霊(生き念)というモノの正体がなんであるかも早めにわかりました。

師匠に生霊をとばしたときの私の感情はずばり「私の言い分が正しい!」という気持ちです。

100%自分が正しいとまで思わなくとも「すくなくともこの部分においては私の言い分のほうが師匠よりも分があるはず!」という思いも、「自分の言い分が正しい」という思いに入ります。

「私の方が師匠より道理がたってる!だから私の方が正しい!師匠に魔が入ってるにちがいない!」

という思いが、まさに生霊となっていたのです。私にその自覚はなくとも。

そして、その思いこそが私の「魔境」だったわけです。(笑)

このときの「自分が正しい!」と信じてるときの自分は、明らかに「法で理論武装」してます。誰からに聞かれたら、本当に1から10まで自分の正当性を並べ立てることができます。

しかし、もっとも根本的な部分で、大きく欠けているものがありました。

それは「基本的な礼儀」の部分でした。

自分が「この人は間違ってる」と思っている相手に「礼」をもって接することができるかどうかが、「自分が魔境にいるかどうかのリトマス試験紙」なんですね。

いや、これ、すごーく大事なんですよ。

たとえば私の言い分が表向き正しかったとしても、私の気持ちがねじ曲がっているときは、師匠に対して明らかに礼儀を軽んじるような言動がでていました。

これは自分ではわからなくても周りのスタッフから「あんた、先生に対してその態度なに?その言葉はなに?」と率直に指摘されることでわかりました。

同じように、私にたいして「アマミキョより自分が正しい!」と信じてる人たちからおかしい念をとばされてるときも、相手の方からいただく言動は明らかに「常識で考えてもおかしい言動」でした。

(私は自分の主観を信じない人間なので、かならず周りのみなさんに意見を求めます。三人以上の意見が共通しているときに「そうなんだな」という判断をくだします)

私本人のときも含め、「自分が正しい、相手が間違っているという魔境」にいるときは、本人は道理が立ってるつもりでいても、「基本的な道徳心が欠けた振る舞い」を、しらずしらずに本人がしてしまっているんですね。なぜなら、その時点で本人が「自分の方が正しい!」と慢心しきってるからです。

これが、一番わかりやすい「魔境チェック」です(笑)

つまり、「相手よりも自分の方が正しい、優れている」と、優位性を主張しようとする心が、その時点で魔境のすぐ近くにあるんですね。

私は人と比べて優位でありたいという願望が非常に強い虚栄心の強い人間なので、本当に気をつけないといけないと思います。

人と比べず、「他人に対して理解をし、自分に対しては反省せよ」という仏言は、霊的には最大の防御なのだと思います。

そういう意味では、私が去年会員さんからの生霊によって苦しんだのも、かつて自分が一方的なゆがんだ「自分の言い分への盲信」から師匠に何度も生霊をとばして苦しめた、その因果応報なのかもしれません。

理不尽な仕打ちを受けたり、自分の気持ちが正しくうけとめてもらえない苦しみにいる方は、

その気持ちに「自分の責任を認めたくない被害者意識があるのではないか」、「本当にそれは自分に原因が微塵もないのか」という観点からどうか「正見」の思慧を深めていただき、

私のような愚かな「生霊とばし」という罪を犯さないように、お気をつけていただきたいと思います。

ご本尊に毎日手を合わせて、相手の幸せを願ってるから、自分は生霊とばしてないという保証はどこにもありません。

幹部の方であっても主に生霊をとばすことからもそれは明らかですね。

自分の心を観るという修行と、与える愛に必要な「無我観」の重要性を思います。

ああ、下座の生き方を身につけ、無我なる愛になりたい。















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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:16Comments(1)つぶやき