見抜かれることを恐れるモノ(師匠話限定復活)
2011年07月30日
今日はめずらしく早めにねんねしてたのに、「見抜く目」というインスピでとびおき、つらつらといつものように夜更かしさん。
でもって「見抜かれることを恐れる」とはなんだろうなと考えてみました。
「ウソ」や「誤魔化し」「繕う心」があると、「見抜かれることを恐れ」ますよね。
「見抜く」とは「白日の下にさらされる」ということ。
白日の下にさらされたくないモノとはなんだろう。
○自分の過去の失敗
○自分の過去の罪
○虚飾(偉ぶってるけどそれにみあう実績が全然なかったということ)
○明らかなウソ・偽り
○明らかに正しいと思われない部分
○計略・謀略
師匠とお仕事させていただいたときに、師匠は人の心を見抜く方だった。
「あなたの相手を想う気持ちは愛ではなく同情です。慈悲魔は相手も自分もダメにします。相手を想うならきちんと諫めなさい。さもなくば縁をきりなさい」
「今あなたが考えている思いが周りに逆回りな思いを発散しています。やめなさい」
「あなたの今考えている反省はただの自己弁護です。考えるだけ無駄です。行動でただしなさい」
師匠はなぜあれほど私自身も気付いていない私の心を見抜けたのだろうと考えると、それは霊能力ではなく、「認識力」だったのだと今わかる。
師匠はどんな時もつねにご自分に一番厳しく、内省を欠かさない方だったからだ。
師匠は「己心の魔」を見抜く達人でもあられたが、「魔」はかならず「論理のすり替え」や「責任転嫁」をする。
私も何度か経験したが、それは残念ながら、自分の認識力だけではとても破りがたかった。
「師匠の見識を受け入れた」ときに、はじめて「パン!」と視界が晴れて、道理が観えたものだ。
どんなに苦しくとも「自分の言い分」を捨て、「より正しい見識を受け入れる」ことが、魔境の分かれ道だった。
きっと師匠自身が何度も「その選択をなさった」のだろうと思う。
見抜かれることを恐れるモノは、自己保存欲だ。
しかし、とるにたらない自分の言い分をいくら守ろうとも、守った自分などたかがしれている。
自分を白日の下にさらし、自分の過ちや未熟さを受け入れる勇気。
どんな状況にあっても、「正しい見識(仏法真理)」を選択する勇気。
師匠はすごい人だったのだと改めて思う。
私にとって「見抜かれたくないモノ」とはなにか。
自分のなかにある暗がりは、やはりとるにたらない自己保存欲なのだ。
病の原因(師匠話限定復活)
2011年07月30日
幸福の科学現役信者にして私の恩人である師匠のお話が、チャットでかなりのニーズがあり、限定で復活します。
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これは5年前のお話です。
八月頃、私は今までにない体の不調に悩んでおりました。
ある時期から子宮の右側に妙な痛みと痙攣がおき、痛みはたいしたことないのですが、その症状がでると体がだるくて動けなくなるのです。
最初はたいしたことなかったのですが、じょじょにひどくなる症状に、私は不安をつのらせていました。
仕事をしている時にも痛みと痙攣はおきるし、痛みドメはきかないしで、歯をくいしばって仕事をつづけていました。
九月、いよいよ症状もひどくなり、しかし私にはいかなければいけないところがありました。
以前お世話になった職場の師匠の元に、研修にいかなければいけなかったのです。
研修から帰ったら病院にいこうと思いながら東京へいき、我慢しながら研修をうけていましたが、二日目の夜に痛みでのたうちまわり、とうとう三日目にA先生に弱音をはいてしまいました。
「……先生、実は一ヵ月前から右の子宮が痛むんです。病院にいったほうがいいでしょうか……?」
するとA先生は私のお腹を一瞥して
「これ、アマちゃんのじゃないわよ。」
(゜Д゜)ハァ?となってしまっていると、先生はつづけて
「お母さん、最近お父さんとあまりうまくいってないでしょ?」
「…はぁ。そうですねー」
「最近お母さんがなにかしらかまってほしがってるでしょ」
「そうですね。正直すこしだけ困ってます」
「いつごろからなの?」
「えーと………七月の終わり頃から八月………あ。」
A先生は困った笑顔をみせて
「それはね、お母さんの寂しさなのよ。」
「お母さんは、お父さんへの寂しさを娘のアマちゃんにむけてるのね。でも、アマちゃんはお母さんのその思いを心でうけとめてあげられなかったから、体でうけとめちゃったのねー」
私は自分だけしか見えていなかった目の前を、人を斬らない真剣で両断されたようなショックをうけました。
なんだかわからないけど、その通りなのだと、なにかが体に走るのを感じました。
「しっかり親孝行なさいね」
A先生はにっこりと笑っていわれました。
翌日、あれだけ病んだ症状がぴたりと治まったのはもはやいうまでもありません。
たぶん、精神世界やオバケ関係もそうらしいですが、『正体(原因)を見破れば半分は解決したも同じ』というものなんでしょうか。仏教や神道でいう因果の法則って、これなんですね。
なんだかしらないけど、すさまじい経験をした出来事でした。
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これは5年前のお話です。
八月頃、私は今までにない体の不調に悩んでおりました。
ある時期から子宮の右側に妙な痛みと痙攣がおき、痛みはたいしたことないのですが、その症状がでると体がだるくて動けなくなるのです。
最初はたいしたことなかったのですが、じょじょにひどくなる症状に、私は不安をつのらせていました。
仕事をしている時にも痛みと痙攣はおきるし、痛みドメはきかないしで、歯をくいしばって仕事をつづけていました。
九月、いよいよ症状もひどくなり、しかし私にはいかなければいけないところがありました。
以前お世話になった職場の師匠の元に、研修にいかなければいけなかったのです。
研修から帰ったら病院にいこうと思いながら東京へいき、我慢しながら研修をうけていましたが、二日目の夜に痛みでのたうちまわり、とうとう三日目にA先生に弱音をはいてしまいました。
「……先生、実は一ヵ月前から右の子宮が痛むんです。病院にいったほうがいいでしょうか……?」
するとA先生は私のお腹を一瞥して
「これ、アマちゃんのじゃないわよ。」
(゜Д゜)ハァ?となってしまっていると、先生はつづけて
「お母さん、最近お父さんとあまりうまくいってないでしょ?」
「…はぁ。そうですねー」
「最近お母さんがなにかしらかまってほしがってるでしょ」
「そうですね。正直すこしだけ困ってます」
「いつごろからなの?」
「えーと………七月の終わり頃から八月………あ。」
A先生は困った笑顔をみせて
「それはね、お母さんの寂しさなのよ。」
「お母さんは、お父さんへの寂しさを娘のアマちゃんにむけてるのね。でも、アマちゃんはお母さんのその思いを心でうけとめてあげられなかったから、体でうけとめちゃったのねー」
私は自分だけしか見えていなかった目の前を、人を斬らない真剣で両断されたようなショックをうけました。
なんだかわからないけど、その通りなのだと、なにかが体に走るのを感じました。
「しっかり親孝行なさいね」
A先生はにっこりと笑っていわれました。
翌日、あれだけ病んだ症状がぴたりと治まったのはもはやいうまでもありません。
たぶん、精神世界やオバケ関係もそうらしいですが、『正体(原因)を見破れば半分は解決したも同じ』というものなんでしょうか。仏教や神道でいう因果の法則って、これなんですね。
なんだかしらないけど、すさまじい経験をした出来事でした。