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【子房さん】個人的に思った事など

2012年07月28日

このmixiの日記で、人の前世とおぼしきものが見えることがある話を、はじめて書いたのはアメリカの大統領選の民主党の候補者を選ぶための選挙で、ヒラリーとオバマ氏が競い合っているころでした
今年も大統領選挙が行われますので、米大統領の任期は四年ですから、あれからちょうど四年たったことになります
私は生来からそうした能力があったのではなく、四〜五年くらい前からはじまりました
その頃は人生における谷間に位置していたように思います
いわゆるどん底にいたと思いますが、ある心境の変化をたどってから、いろんなスピリチュアルな不思議な経験をつむようになりました
その心境の変化とは、簡単に言えば心の風景が現象として現れてきていることを自覚したということですが、詳しくはいずれ書いてみたいと思います
その覚醒を得ることで、感激が身体のうちから込み上げてきました、そして周りの景色が、まるでベールを脱いだように美しく生まれ変わって見える不思議な体験をしました
まるで世界が本当の姿をあらわして目の前に現れてきたと表現したらよいでしょうか
体験的なことなので言葉では言い表しずらいこたですので説明はこのへんにいたします
そうした、心的な変化と発見をした時から不思議な出来事が起こるようになりました
他人の前世が見えるようになったのも、そのうちの一環であったようで、それ以前には霊的な感覚はほとんどなかったように思います
もちろん、はじめから見えるようになったと思っていなくて、おそらく頭で考えだしたストーリーなのだろうと初期には考えていました
その後のいろんな不思議な符合の積み重ねで、徐々に単に私の頭で考えたことだけでは説明がつかないなと思うようになりました

はじめて公開した人の前世として、米大統領選のヒラリーとオバマさんを書いたわけですが、有名な人たちなので、おそらく他にも彼等の前世を書く人がいるだろうから、実際に同一の前世を言う人がいるだろうかと、検証する意味もあって書いたものでした
ネットで調べて見ると大統領に選ばれたオバマ氏の前世を書かれている人が何人かいました、日本の維新に生まれた人であったり、ケネディであったりと千差万別で、やはり同じようなものを言っている人がおらず、個々の頭で考えだされたものなのかなと思いました
私の書いたオバマ氏の前世はインカの最後の王であったのですが、あとに同じことをいっている人がいることを聞きました
その方は宗教者なのですが、同じくオバマ氏の前世をインカの最後の王と言っていたようです
私のほうが半年ほど前に書いていますので、参照して書くことはできませんし、私の日記を読んで参考にしたというのも考えられないので、おそらく同じように見えたのでしょう
オバマ氏については黒人で初の大統領に選ばれるのではないかとされていただけで、実績とかはあまりなかったと思うので先入観はほとんど無くて見たのですが、同じようにインカの滅ぼされた国の王だと頭で考えて一致するのも難しいのではないかと思います
偶然の可能性は低いだろうと感じられました

前世を見て何になるんだということもありますが、オバマさんの前世を見て、白人によって滅ぼされた国の者が、アメリカの大統領になることで、呪いではないですけど、おそらくアメリカの衰退を意味するのではないかと思いました
アメリカは経済的にも衰退していき、世界の警察の役割を自負していたこともあったでしょうが、いまは現に撤退していっています
歴史的に見ると彼を分岐点としてアメリカは衰退していったと認識されるようになるかも知れません
このように過去を見ることで将来を推測する参考になることがあります

余談ですが、アメリカでヒッピー文化が流行った時期がありましたけど、おそらく、白人によって殺されたり、抑えられたネイティブアメリカンの人々が、アメリカの白人として大量に生まれ変わり、ヒッピー文化なるものを創り出したのではないかと感じられます

さらに余談を言うと、コンビニの前で地べたに座ってお菓子食べている人を見ると、未開の土地の原住民が浮かんできます
森の中に入ってカブト虫の幼虫などをお菓子のようにその場で食べていますね
顔にかわった化粧をしたり、身体を激しく動かすダンスなどが好きかも知れません
悪気があるのではなく、文化的な生活に慣れていないだけかもしれません
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:06Comments(1)洪正幸さん(子房さん)

【natsuさん特別寄稿】原子力発電について

2012年07月28日

ブログ主からの依頼により「原子力発電」に対して私見を書かせて頂きます。

本来ならば、相当に長い文書になるようなことが頭の中にはあるのですが、
以下は、かなり割愛して書いている文章であるという認識をして頂ければと思います。

大きくは以下の3点の柱で話をしてみたいと思います。
・3.11後の原子力発電の問題点は何か?
・原子力発電を必要としているのかどうか
・私たちの人生にとって最も有益なものは何だろうか

【3.11後の原子力発電の問題点は何か?】
 原子力発電というものは極めてリスクが高いということは、前々から指摘をされていました。
少し以前にはチェルノブイリでの事故がそのピークだったのではないかと思います。
私は科学者ではありませんが、科学というものを考えることは好きなので、チェルノブイリ事故の
負の面を強調した本を読みあさった時期もありました。
 日本では3.11前は、原子力発電というものに関して「安全神話」というものが作られてきました。
それは政治的にも経済的にも諸事情により、多くの人にとって、そう考えた方が良いという
極めて曖昧な雰囲気の中で認識されていた「安全神話」でした。
 日本の文化では、冷徹に冷酷に事実を明確にするという行為は忌み嫌われます。
今回の3.11以後に崩れたのは、建物でも、発電所でもなく、「安全神話」と「盲目的な信頼」だったと思います。
それは政府が安全だと曖昧に宣伝し、その曖昧さを自らの利便性を放棄できずに盲目的に受け止めた
国民の無能さに対して極めて現実的な問題として目の前に突きつけられたということだと思います。
 原子力発電が良いとか悪いとかを論じる前に、まず、日本政府は盲目的な安全神話を打ち出し
国民はそれを冷徹に自分の頭で考えることなく受け入れ、その結果、もしものリスクは、考えないという
先の大戦でも行われた「誰も責任をとらない雰囲気」というものがあったと思います。
そして、目の前に突きつけられた現実に対して、曖昧に考えた内容が、さらに曖昧に感情的になって
負の面から悲鳴になっているのが、今の日本の原子力発電反対運動だと思います。

経済的な問題でも、効率の問題でも、安全の問題でもないんです。
政府が国民に信じれれば良いんだよ、考えなければ幸せなんだよ、と言い続けてきた
幻想が崩れた、裏切られたという”感情”の話だと思います。

男女の話にすれば分かりやすいかもしれません。
人を好きになり、裏切られ、場合によっては非効率的な殺人まで犯すというのは
本人も決して効率的な行動でも考えではないことは理解出来ています。
感情の問題であり、感情が昂ぶった状態では、効率の話では説得できません、納得しません。

この結果として裏切られたという感情を落ち着かせない限りは
経済効率などを出しても、納得も説得も難しいと思われます。

【原子力発電を必要としているのかどうか】
原子力発電はリスクが必ずあります。説明の仕方は人それぞれですが、技術者に聞けば
ノーリスクなんてことはあり得ないと誰もが言いますし、少し考えれば、そんなものは
どの世界にもないことは明らかです。
原子力には、原子力のリスクがあり、火力発電には火力発電のリスクがあります。
ノーリスクなエネルギーというものは存在しません。

原子力発電は危ないから止めたとしましょう。
火力発電なら安全でしょうか?
少し考えれば分かります。必ずしも安全ではありませんし、石油の値段という経済的リスクもあります。

では、電気というエネルギーを放棄するのでしょうか?
電気エネルギーを放棄したならば、病院関係の医療技術は下がりますし、医療機器は安定して
動かすことが出来ないですから、間違いなく死ぬ人は増えます。
また石油の値段が相対的に上がり、ガソリン価格が上がれば
物価も上がりますから、今よりも年金生活者の経済的負担は大きくなり
物価高騰+医療費高騰などの先では、今よりも死ぬ確率は間違いなく上がります。

また、エネルギーの値段が上がりますから、暑さも寒さも死ぬ確率を上げるでしょう。

簡単な話、現在よりも石油エネルギーに対しての依存は高くなり、
生きることが難しくなります。

もっとも、これによって強引に医療技術の発達によってチューブにつながれて
生きながら死んでいる老人はちゃんと死ねますし、食料事情も悪くなりますから
人間の体力に対してエネルギーという強い鎧がはがれて、本人の本来の生命の力に
依存する世界になるのかもしれません。

少し視点を変えますが、原子力を放棄するということは、国防費の高騰を意味します。
国防に使用する戦闘機も、戦艦も、戦車も全てエネルギーを使います。
石油産出国の”さじ加減”によって、結局は、世界の国々の国防力は揺らぎだす可能性もあります(笑)

このような様々な文明の利便性を放棄するということが、原子力を捨てるということを
意味してきます。

【私たちの人生にとって最も有益なものは何だろうか】
多くの人は自分の人生を自分にとって、もっても価値の高い状態にしたいと願い、
努力して生きていると思います。
その価値というのは、人それぞれなので、一概にこれだ!とは言えません。

日本人と世界の多くの人達との生きるということの隔たり(ギャップ)の一つとして食料と医療があります。

世界の多くの国々では食料問題と医療問題というのは、生命にとって非常に大きな問題です。
日本ぐらい、この2つの問題を考えなくて済む国は世界でも数えるほどでしょう。
私達にとっては高レベルなことが当然のように感じるのかもしれませんが、
そういう幻想に生きられるということは、非常に幸運なことです。

アジアの人達は日本に住みたいと願います。
欧米の人達は、好みませんが(笑)

医療と安全な食料は得られて当然と思い込んでいる日本人は多いと思いますが
何を得られて、何を失うのかは、それぞれに考えるべきだと思います。

どちらも安易に手に入ると思っている人は。。。

許容範囲外です(笑)



以上


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 08:30Comments(1)natsu さん