ぽえむん「遠い日のふるさとの土」
2012年07月16日
遠い日の
ふるさとの土を抱き
ひたすらに詫びる
流してきた血と
流させた悲しみと
たくさんの祈りの歌
いまさら
私になにができるだろう
ふるさとよ
ふるさとよ
愛しき土を抱きて
過去に懺悔する
ふるさとの人々よ
ふるさとの人々よ
どうか
私を忘れないでほしい
私の名を
私の名を
忘れないでほしい
過去は現在と重なる
愛する人々は
姿を変えて
場所を変えて
今も在り続ける
私はひとり
過去と現在の狭間で
土を抱く
狂おしくも愛おしい
ふるさとの大地よ
私はあなたに抱かれて眠る
あなたの元で重ねた悲しみの夢を見る
ふるさとの土を抱き
ひたすらに詫びる
流してきた血と
流させた悲しみと
たくさんの祈りの歌
いまさら
私になにができるだろう
ふるさとよ
ふるさとよ
愛しき土を抱きて
過去に懺悔する
ふるさとの人々よ
ふるさとの人々よ
どうか
私を忘れないでほしい
私の名を
私の名を
忘れないでほしい
過去は現在と重なる
愛する人々は
姿を変えて
場所を変えて
今も在り続ける
私はひとり
過去と現在の狭間で
土を抱く
狂おしくも愛おしい
ふるさとの大地よ
私はあなたに抱かれて眠る
あなたの元で重ねた悲しみの夢を見る
仕事での不思議な話~土地の記憶
2012年07月16日
これは妄想。
(妄想シリーズが一部で好評のようですが、あくまで私の仕事はマッサージ業ですので、妄想を期待されてもご期待に添えないことのほうが多いです。あしからず)
数ヶ月前に、あるお客様をさせていただいたときのこと。
そのお客様は、某県某市・商売繁盛系のあるご神仏で有名な土地の在住。
ご本人いわく、
「その土地は霊感のある方々からいつも「ここの土地はキツい」と言われる。
その土地のご神仏か、そのご神仏を拝む人々の思いが関わっているのではないか」
という。
私はその土地やそこの神様はもちろん何の知識もなく、また調べたこともなかったので、まったくその土地に関しては事前情報のない状態でさせていただいた。
「はい、それでははじめさせていただきますね~」
と手をもちあげた瞬間、
普段感じない強烈なイメージを感じた。
たくさんの人が走る音。
ふれあう金属音。
馬が走る音。
男性達の罵声。
正直、この方にかんしては、イメージがでてくるとしても、個人的なイメージだと思っていたので、
でてきたイメージの内容に関しては非常に戸惑った。
しかし、私のことも多少は知っている方なので、感じたことをすべて隠さず話した。
おそらく、その土地は、商売繁盛系のご神仏をお招きする前から、かなりの長い期間にわたり戦場となっていたのではないか。
おそらく、商売繁盛系のご神仏は、その土地の浄化のためにお招きされたものでもあるのではないか。
(商売繁盛という生産的なエネルギーや喜びの思いやそれにつながる願いを集めることで、戦争にかかわる怒りや破壊のエネルギーを相殺・中和する)
そしてこれはあくまで憶測だが、あなたのご家族は、あなた自身も含め、その土地の過去の戦場としての歴史に関わる魂の経験を持つ方々ではないか。
いま、あなたが宗教をされているのは、その土地を浄化することに関わっているのではないか。
そちらの土地に祭られているご神仏は、戦場の記憶の浄化のための神様でもあられるのかもしれないので、どうか宗派が違うからといって無碍になさらず、
むしろ宗派の方々と共に感謝のお参りをされてほしいということ。
これらのことをお伝えさせていただきました。
それぞれの土地の歴史があり、土地の因縁もありますでしょうが、
宗派をこえて、感謝や発展のエネルギーで、悲しみの過去を喜びの未来と一つに結んでいきたいですね。
ちなみに私の仕事での妄想イメージは、100人やって5人くらいしか思い浮かばないような微妙なものですので、
間違っていても責任はとれません。(笑)
くれぐれもファンタジーとしておたのしみくださいね!(笑)
(妄想シリーズが一部で好評のようですが、あくまで私の仕事はマッサージ業ですので、妄想を期待されてもご期待に添えないことのほうが多いです。あしからず)
数ヶ月前に、あるお客様をさせていただいたときのこと。
そのお客様は、某県某市・商売繁盛系のあるご神仏で有名な土地の在住。
ご本人いわく、
「その土地は霊感のある方々からいつも「ここの土地はキツい」と言われる。
その土地のご神仏か、そのご神仏を拝む人々の思いが関わっているのではないか」
という。
私はその土地やそこの神様はもちろん何の知識もなく、また調べたこともなかったので、まったくその土地に関しては事前情報のない状態でさせていただいた。
「はい、それでははじめさせていただきますね~」
と手をもちあげた瞬間、
普段感じない強烈なイメージを感じた。
たくさんの人が走る音。
ふれあう金属音。
馬が走る音。
男性達の罵声。
正直、この方にかんしては、イメージがでてくるとしても、個人的なイメージだと思っていたので、
でてきたイメージの内容に関しては非常に戸惑った。
しかし、私のことも多少は知っている方なので、感じたことをすべて隠さず話した。
おそらく、その土地は、商売繁盛系のご神仏をお招きする前から、かなりの長い期間にわたり戦場となっていたのではないか。
おそらく、商売繁盛系のご神仏は、その土地の浄化のためにお招きされたものでもあるのではないか。
(商売繁盛という生産的なエネルギーや喜びの思いやそれにつながる願いを集めることで、戦争にかかわる怒りや破壊のエネルギーを相殺・中和する)
そしてこれはあくまで憶測だが、あなたのご家族は、あなた自身も含め、その土地の過去の戦場としての歴史に関わる魂の経験を持つ方々ではないか。
いま、あなたが宗教をされているのは、その土地を浄化することに関わっているのではないか。
そちらの土地に祭られているご神仏は、戦場の記憶の浄化のための神様でもあられるのかもしれないので、どうか宗派が違うからといって無碍になさらず、
むしろ宗派の方々と共に感謝のお参りをされてほしいということ。
これらのことをお伝えさせていただきました。
それぞれの土地の歴史があり、土地の因縁もありますでしょうが、
宗派をこえて、感謝や発展のエネルギーで、悲しみの過去を喜びの未来と一つに結んでいきたいですね。
ちなみに私の仕事での妄想イメージは、100人やって5人くらいしか思い浮かばないような微妙なものですので、
間違っていても責任はとれません。(笑)
くれぐれもファンタジーとしておたのしみくださいね!(笑)
先入観の怖さ~natsuさんとの会話から
2012年07月16日
どうして私がnatsuさんにご寄稿をお願いさせていただいているか、その理由は至極単純で、
「アマミキョにとってnatsuさんの話は非常に勉強になる」
からにつきる。
natsuさんのご寄稿の文章は、とにかく反発を買いやすいらしい。
それは、私も最初すごく感じていましたのでよーくわかります(笑)
natsuさんとよくチャットでお話をさせていただくが、ご寄稿のnatsuさんもチャットのnatsuさんも変わらずドSである。(笑)
しかし、つくづく感じるのは、ご寄稿のnatsuさんは「あくまでnatsuさんの一面というか、入り口でしかない」ということだ。
チャットでお話させていただくnatsuさんは、こちらがさせていただいた質問にたいして、こちらに意味が伝わるまで、何度でもアプローチを変えて説明を試みてくださる。
そこではじめて、natsuさんの真意がわかり、同時に
「最初に自分がnatsuさんの言葉から感じていた意味が、自分の先入観によってまったく見当違いに受け取っていた誤解だった」
と知ることも少なくない。
ただのドSなら、意味を質問しても「自分で調べれば?」というだろう。
しかしnatsuさんは「アマミキョさんは日本語の理解力や基礎的な読書量が少ない」と嘆きつつも、なんとか私になるべく近い視点から、ご自分が示した価値観や意味を理解できるように説明を試みてくださるのだ。
私は師匠や隊長ともやりとりをした経験があるのでわかるが、私に説明をしてわからせるという行為は並大抵の精神力ではもたない(笑)
natsuさんは非常に優しい人だと思う。
このとき重要なのは、「natsuさんがそのとき示した価値観も、natsuさんが認識している多様な価値観のなかの一つでしかない」ということだ。
natsuさんは一つの価値観によって支配することはよしとしない。ここが、natsuさんという方の面白さであり、一見複雑怪奇に見えつつも、どこまでも自分にストイックなのだなと私がnatsuさんに感じる所以でもあるだろう。
あるとき、チャット上のことで非常に落ち込んでいたときに、natsuさんがチャット上にある書き込みをしていた。
「アマミキョさんは日本語を理解する能力が低い。もっと勉強をしたほうがいい」
(ずいぶん前のことなのでものすごくうろ覚えですが、このような内容の文章だったと思う)
私はその言葉に非常に傷つき、「natsuさんまで私のことを責めるんだ!」と号泣した。
一時間ほど泣いて、改めてチャットの文章を観て、愕然とした。
natsuさんは私を責める言葉など一箇所も書いていなかった。ただ、natsuさんから見た事実しか書いていなかったのだ。
それを、「傷つけられた」と受け取ってしまったのは、私の先入観と、甘え以外の何者でもなかった。
【natsuさんは私が落ち込んでいることを知っているはず】→
【だから私のことを労って当然なのに、労るどころか、私に注意してくる】→
【natsuさんひどい!】
という、私の甘ったれた心が、勝手にnatsuさんの文章を誤解して、傷ついたのだ。
冷静になった私は、自分のこの一時間の傷ついた心の労苦と涙は一体なんだったのかとさきほどまでの自身にあきれつつ、
同時に、「natsuさんがずっと言われていたのは、このことだったのか!」とやっと理解できた。
事実をありのままに受け止められず、先入観や感情を混入してしまうことで、まったく受け止め方はかわってしまう。
それは、誰のせいでもない、自分がまねいたことでありながら、そこに気付く人はとても少ないということ。
この出来事をそのままnatsuさんにチャットで報告したら、natsuさんは苦笑していた。
natsuさんがご寄稿で繰り返し言われる、「日本語を正しく使う、正しく受け止める」ということの重要さは、
「先入観を排する」
ということにつながる。
natsuさんとの会話で私が学んだのは、
「自分がいかに曖昧な日本語を使い、同時に曖昧な受け止め方をするがために、先入観(思いこみ)に支配され、真実をねじまげて受け止めやすくなるか」
ということだった。
そしてnatsuさんいわく、
「日本語を正しく使えている人は本当に少ない。人間同士の争いも言葉の使い方、受け止め方の間違いからくるものがほとんどだ」
という。
まさに、言葉の使い方とは本当に人生を分けるほどのものなのだ。
natsuさんはまた、こうも言われている。
「自分の好き嫌いの感情を、そのまま善悪と安易に結びつけている人が非常に多い。アマミキョさんにもそれはある。感情と価値観を分けられないことがどれほど危険なものか、よく知ったほうがいい」
これも、先入観とつながるお話だ。
つまりnatsuさんは、いろいろな部分から、「先入観を排することの重要性と、そのために学ぶことの大切さ」を、繰り返し、ご寄稿を通じて教えてくださっているのではないかと、私は感じている。
先入観を排してありのままに自他を観、感情に支配されない自分を持つ。
それは本当に大切なことだと思う。
「アマミキョにとってnatsuさんの話は非常に勉強になる」
からにつきる。
natsuさんのご寄稿の文章は、とにかく反発を買いやすいらしい。
それは、私も最初すごく感じていましたのでよーくわかります(笑)
natsuさんとよくチャットでお話をさせていただくが、ご寄稿のnatsuさんもチャットのnatsuさんも変わらずドSである。(笑)
しかし、つくづく感じるのは、ご寄稿のnatsuさんは「あくまでnatsuさんの一面というか、入り口でしかない」ということだ。
チャットでお話させていただくnatsuさんは、こちらがさせていただいた質問にたいして、こちらに意味が伝わるまで、何度でもアプローチを変えて説明を試みてくださる。
そこではじめて、natsuさんの真意がわかり、同時に
「最初に自分がnatsuさんの言葉から感じていた意味が、自分の先入観によってまったく見当違いに受け取っていた誤解だった」
と知ることも少なくない。
ただのドSなら、意味を質問しても「自分で調べれば?」というだろう。
しかしnatsuさんは「アマミキョさんは日本語の理解力や基礎的な読書量が少ない」と嘆きつつも、なんとか私になるべく近い視点から、ご自分が示した価値観や意味を理解できるように説明を試みてくださるのだ。
私は師匠や隊長ともやりとりをした経験があるのでわかるが、私に説明をしてわからせるという行為は並大抵の精神力ではもたない(笑)
natsuさんは非常に優しい人だと思う。
このとき重要なのは、「natsuさんがそのとき示した価値観も、natsuさんが認識している多様な価値観のなかの一つでしかない」ということだ。
natsuさんは一つの価値観によって支配することはよしとしない。ここが、natsuさんという方の面白さであり、一見複雑怪奇に見えつつも、どこまでも自分にストイックなのだなと私がnatsuさんに感じる所以でもあるだろう。
あるとき、チャット上のことで非常に落ち込んでいたときに、natsuさんがチャット上にある書き込みをしていた。
「アマミキョさんは日本語を理解する能力が低い。もっと勉強をしたほうがいい」
(ずいぶん前のことなのでものすごくうろ覚えですが、このような内容の文章だったと思う)
私はその言葉に非常に傷つき、「natsuさんまで私のことを責めるんだ!」と号泣した。
一時間ほど泣いて、改めてチャットの文章を観て、愕然とした。
natsuさんは私を責める言葉など一箇所も書いていなかった。ただ、natsuさんから見た事実しか書いていなかったのだ。
それを、「傷つけられた」と受け取ってしまったのは、私の先入観と、甘え以外の何者でもなかった。
【natsuさんは私が落ち込んでいることを知っているはず】→
【だから私のことを労って当然なのに、労るどころか、私に注意してくる】→
【natsuさんひどい!】
という、私の甘ったれた心が、勝手にnatsuさんの文章を誤解して、傷ついたのだ。
冷静になった私は、自分のこの一時間の傷ついた心の労苦と涙は一体なんだったのかとさきほどまでの自身にあきれつつ、
同時に、「natsuさんがずっと言われていたのは、このことだったのか!」とやっと理解できた。
事実をありのままに受け止められず、先入観や感情を混入してしまうことで、まったく受け止め方はかわってしまう。
それは、誰のせいでもない、自分がまねいたことでありながら、そこに気付く人はとても少ないということ。
この出来事をそのままnatsuさんにチャットで報告したら、natsuさんは苦笑していた。
natsuさんがご寄稿で繰り返し言われる、「日本語を正しく使う、正しく受け止める」ということの重要さは、
「先入観を排する」
ということにつながる。
natsuさんとの会話で私が学んだのは、
「自分がいかに曖昧な日本語を使い、同時に曖昧な受け止め方をするがために、先入観(思いこみ)に支配され、真実をねじまげて受け止めやすくなるか」
ということだった。
そしてnatsuさんいわく、
「日本語を正しく使えている人は本当に少ない。人間同士の争いも言葉の使い方、受け止め方の間違いからくるものがほとんどだ」
という。
まさに、言葉の使い方とは本当に人生を分けるほどのものなのだ。
natsuさんはまた、こうも言われている。
「自分の好き嫌いの感情を、そのまま善悪と安易に結びつけている人が非常に多い。アマミキョさんにもそれはある。感情と価値観を分けられないことがどれほど危険なものか、よく知ったほうがいい」
これも、先入観とつながるお話だ。
つまりnatsuさんは、いろいろな部分から、「先入観を排することの重要性と、そのために学ぶことの大切さ」を、繰り返し、ご寄稿を通じて教えてくださっているのではないかと、私は感じている。
先入観を排してありのままに自他を観、感情に支配されない自分を持つ。
それは本当に大切なことだと思う。