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ぽえむん「砂」

2011年06月03日

記憶が砂のように落ちていく

想い出が砂のように落ちていく

さらさらと さらさらと

感情も 喜怒哀楽も

たくさんの執着も





血と涙でかためた記憶の城は

太陽の光で乾けば 

一握りで砕けて落ちた

にぎりしめた悔しさは

手放せば さらさらとこぼれて落ちた



さようなら 

想い出たちよ

悲しみ達よ

たくさんの笑顔たちよ



その砂を 

母の子守唄に預け

また 悲しくなったら

この海にこよう




過去にはいつでも会える

過去を抱く母は 

優しく微笑んでいる



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 14:47Comments(3)ぽえむん

ぽえむん「雨」

2011年06月03日

大粒の涙に濡れて

私は 独り 




すぐ傍の喧騒に

胸に宿る孤独に



とめどなき感情

すべて流れ去れと




暗くもあり

明るくもある

雲の下の世界



晴れの日もいいけれど

雨の日も好きなのです



時には感傷に浸りたい

自分の弱さ

いつもとは少しだけ違う世界

そんなものに耳を傾ける日があってもいい




自然の喜び

天の恵み



やがてくる清々しき日を待ちながら

木々や鳥たちの喜びの声を待ちながら



喧騒を包む静かなささやきを聞く

雨は美しい

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 14:20Comments(0)ぽえむん

『日本のピラミッド』(ヘラトリ)

2011年06月03日

やはり神道は重要な鍵ですな。

いや、神道の「秘された歴史」と言った方がいいのかな?

るる~




__________

『世界の目を醒ます
ヘラトリ・トピックス』
(第23号)



『日本のピラミッド』



(本稿は、2011年5月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)


 皆様こんにちは。本日はようこそ、北海道正心館にお越しくださいました。今日は、映像をふんだんに使って、映画館か視聴覚教室のような雰囲気で始めましょう。
最初に、このテーマの全体像を掴んでいただくために、最近の御法話である
『天之常立神(あめのとこたちのかみ)の霊言』
から、一部抜粋を拝聴していただきます。
 今日のテーマは、ヘラトリ(私)にとっても、新しい分野の開拓です。
日本神道というのは、過去に遡ろうとしたときに、他の宗教に比べて、歴史書が整理されてこなかったこともあって、解明が難しいと言われています。
たとえばユダヤ・キリスト教の旧約聖書と比べてみても、日本神道の正統な経典は「古事記」と「日本書紀」のみで、それ以外は異端とされてしまっているために、よくわかりません。
古事記はご存知のとおり、「水滴がボテッと落ちて淡路島になった」とか、そういう表現で、それを解明しようと日本開闢(かいびゃく)以来の神々のリーディングを録っても、余り正体を明かされないようです。
実は、
「日本神道系の神様は、全て宇宙人でした」
ということになると、神社本庁はじめ、今の日本神道の枠組みが崩壊してしまうので、「それを明らかにしていく度合い・タイミング」は、私たちの伝道の広がりとの兼ね合いがある、ということなのですね。
そういう状況を睨みながら、神道関係者を過度に刺激することなく、そうは言っても「真理は普及したい」ですから、今日は、
『日本のピラミッド』
という、「微妙ではありますがキャッチーなネーミング」を付けて、「くせ球で勝負しよう」というのが趣旨です。
『黄金の法』にありますように、約2800年前に天之御中主之神が降りられて、ある意味で、(天皇家の肉体先祖としての)日本が始まったのですが、
「それ以前にも、かなり高度な文明があったらしい」
ということが、最近のリーディングでわかってきています。
ただ、
「今の天皇家以前にも、天皇の歴史があった」
と発言することは、戦前なら不敬罪(打ち首?)に当たるでしょうから、そういう議論は、なかなか日の目をみることはありませんでした。
しかし、色々な方のリーディングの中で、
「今の日本の正史以前の高度な歴史・文明の中には、かつてのムー大陸からの流れもあったが、それ以外にも、宇宙をルーツとする文明文化があった」
ということも判明してきていて、それが"こしきゆかしき"日本神道の流れからすると、「ついていけない話」になってしまうわけです。
そこでは、様々な文明、天文学や測量学などの学問が降ろされ、高度な鉱工業が発達し、
「エジプトとほぼ同時期と思われるようなピラミッドも存在していた」
というリーディングが出ており、これは、ある種の考古学的研究の成果とも、後述するように、合致します。(学界の主流派は、顔を真赤にして否定していますが。しかしそれは、どの学問分野でも同じでしょう。)
最近のリーディングの中で、特にこの事実を体系的に説明して下さっているのが、天之常立神です。
「数千年前の日本にもピラミッド文明があった」というのですが、一説によると「国内には3000もあった」とも言われています。
人間によって、人工的に造られたピラミッドでしたが、その後、長きに渡る自然現象などにより、木が生え、今では三角の山にしか見えないものが沢山ありますが、その中には、「本当はピラミッドだったものがあった」というのは、以前より、一部の専門家からは、指摘され続けていました。
それでは『天之常立神の霊言』より一部抜粋をご覧いただきます。

(レジメでは省略)

これにより、はっきり分かったことは、
「私たちが認識している正史より前に、3000〜6000年くらい前に興隆期を迎えた高度な文明があった」
という事実です。それはピラミッドに象徴される文明で、数多くの学問が降ろされたのですが、当時の大津波を伴う天変地異によって、海辺を中心とした人々がすべて水に流され、
また文化的にも、その後大陸から漢字が入ってきたことによって、かつて使われていた「古代文字」が消滅し、文明・文化の証拠そのものが無くなってしまったということです。
にわかには信じ難いと思いますが、これは天御中主之神(宇宙のプロテクター)
や天照大神、国常立之神などの霊言によって、積み重なって明らかになってきた真実で、「それらの神々が、元は宇宙からの来訪者であった」ということと併せて、今後徐々に明かされていくと思います。



最初に発見されたピラミッド(広島)



「日本にかつてピラミッドがあった」という研究は、かなり以前からなされていて、最も古いものは、1934年(昭和9年)に発表されています。
日本で最初に、「ピラミッドだった」と言及された山は、広島県にある葦嶽山(あしたけやま)です。(ここで山の画像が上映される。)
見るからに三角形です。日本のピラミッドの特徴は、頂上にストーン・サークルとかストーン・スクエアと言われる「石の祭壇」のようなものが造られていて、おそらくそこで、神降ろし(&UFOとの交信?)が行われていたものと思われます。
発表された当時には、山頂に祭壇のようなものがあったのですが、今現在は破壊されていて、はっきりとした形跡が残っていません。
なぜ破壊されてしまったのでしょうか。この辺りから、歴史とリーディングの面白い関係が始まります。

 「古事記」や「日本書紀」より古い時代までさかのぼった、「竹内文書」という、「偽書」と言われている古代文書があります。
「歴史上残っている天皇制が始まるはるか前より、為政者(天皇=スメラミコト)が居たのだ」
という主張で、ハッピー・サイエンスのリーディング(本人の霊の弁)でも明らかにされたとおり、「事実と違うことが含まれている」玉石混交の文書ではあるようです。
但し、「真実を突いている」と思われる箇所もあるように思われ、当然のことながら、そういう内容の古文書ですから、「竹内文書」の信奉者は、特に戦時中、弾圧の対象になりました。
この「葦嶽山」を調査・研究した人もその一人で、当時の「教祖」は、警察に逮捕された後、最後は今でいう最高裁(大審院)まで争って、最終的には無罪を勝ち取ったのですが、
その過程で、葦嶽山頂上の「ストーン・サークル跡」も、軍・警察に破壊されてしまったようです。
「竹内文書」自体も、逮捕と同時に、警察に押収され、その後の「東京大空襲」で燃えて無くなってしまいました。
面白いことに、この山の近くには、幾つか他の遺跡(小ピラミッド)があり、専門家によると、そこでは、自然現象ではあり得ない、現代の先端の「セラミックス技術」でなければ実現できない「石の結晶」や「粒子の配合」の「瓦礫」(がれき)が発見され、当時、かなり高度な工業技術があったことがうかがわれます。
(平安時代にも、ある種のコンクリート技術は存在しましたが、「それよりはるかに高度な技術である」との由。)
このあたりが、
『高度な文明があり、工業技術が発展していた』
という「天之常立の神の霊言」と一致する部分です。



大和朝廷より古い、
富山、飛騨、長野のピラミッド



次の画像をご覧ください。
これは富山県にある尖山(せんざん)という山です。これはこの分野では有名な山です。
この山の北側には、ピラミッドのように、石で固められた跡があり、明らかに人工建造物であったことがわかります。
頂上は平らになっていますね。登山道もありますが、その道の途中では、ほとんど石がないのに、頂上に着くと、やたらと(不自然に)石が多くなっています。
おそらく意図的に頂上に石を運んできて、いわゆる何らかの祭壇(結界)を造ったのではないかと思われます。
ちなみに、地元の伝承(及び『竹内文書』)によれば、「大和朝廷以前に、富山から岐阜にかけて、一大王朝があった」とも言われていますので、興味の尽きない山の一つです。
 「一昔前までは、こういう話が結構大手マスコミに登場していた」というという事例を、これから紹介します。
 
次の映像は、「北日本新聞の一面トップの記事」ですが、1984年6月19日号の夕刊トップに、
「尖山はピラミッドだったのでは?」
「UFOの基地?」
「神代の文書にも登場」
という文字が並んでいますね。
漢字が伝来する前に、4種類くらいの、アイヌ文字に似た古代文字があって、それは日本中の遺跡で発見されているのですが、現在の日本の考古学会は、それを一切無視して、表立って触れないようにしています。
出土されているにも拘わらず、見事なまでに「抹殺」しています。北・東日本方面から出た文字で、その後、南の方、西の方、九州などに流れていったようです。つまり、「光が東から生まれて、西に流れていった歴史が、正史以前の過去にはあったのだ」
ということが、これによってわかります。
実はこの記事は、北日本新聞のスクープではなく、共同通信からの配信記事で、同じ日の産経新聞(全国版)の社会面トップでも掲載されました。
今は、こういうジャンルに対して、結構、読者への「洗脳」が進んでいますが、昔は、もう少し"のどかな"時代があったのですね。

更にもう一枚の写真をご覧ください。これは週刊「サンデー毎日」の表紙ですが、同じ年の7月1日号です。
「日本に世界最大・最古のピラミッドがあった!?」
と、特集記事のタイトルが出ています。
ここで扱われているのは、長野県の皆神山(みなかみやま)という山です。これは、北日本新聞の記事で登場した教授とは違う専門家が、シンクロ(共時性)するかたちで、
「日本にピラミッドがあった」
ことを伝えていて、この号から連続して特集が始まりました。
なぜ「世界最大」かというと、現存する世界最大のピラミッドはエジプトのギザのピラミッドですが、この山がもしピラミッドだったならば、ギザのピラミッドをはるかに凌駕(りょうが)する大きさになるからです。
今日の上映には間に合いませんでしたが、皆神山を上から撮った航空写真で見ると、見事なピラミッドになっていて、頂上は台地で、「この山全体が人工的な台形型だ」ということがわかります。
また、この近辺では、UFOの目撃例が非常に多く、地元の神話では、
「天の曳船(あまのひきふね)と言って、今風に言い換えるとUFOなのですが、それの発着基地だった」
ということになっています。
また、この山に音波等を当てて調査したところによると、
「明らかに人工建造物だったところがある」
ということまでわかっています。
こういう先駆的な、立派な研究があるのですが、学会全体が唯物論に染まっていて、こういう研究を後押しする「進取の気風」がないと、時間の流れの中で、やがて風化していって、抹殺されてしまうのですね。
現在の日本は、そういう意味で、まさに「情報統制下」にあるように見えます。
やはり、真実に目を開いて、社会にかかっている「洗脳」を解いていかなければなりません。

次は秋田県の映像です。
黒又山(くろまたやま)というところです。ここの特徴は、近くの遺跡から土器その他が発掘されていて、そこからピラミッドの大体の時期の特定が出来るということです。
それによると、「約3500年から4000年前のピラミッド」だということがわかります。冒頭の霊言の中で言われていた、「3000〜6000年前の文明であった」というところと一致してきます。
この山の特徴は、側面が階段状になっていることです。
エジプトのピラミッドや、マヤ文明のメキシコのピラミッドと同じ階段状だということですね。
きれいに同じ大きさに揃った石が並んでいます。明らかに手を加えられていることがわかります。それは、登山道のところに一番明確に現われていますが、ピラミッドの側面に当たる部分にも、その跡が見られます。
このように白紙の目で見ると、結構、日本には在るんですよ。

ここまでは、何か明確な特徴(証拠)があるものを紹介してきましたが、このあとに出てくる二つは、主として、
「形状がいかにもピラミッドである」
というものを紹介します。
一つ目の映像は、福島県の千貫森(せんがんもり)のものです。
これは、今までの山より更に、「形状が明らかにピラミッド」であることが、お分かり頂けると思います。
この山の特徴は、
「地下基地があるのではないか」
と思いたくなるほど、UFO目撃例が、ものすごく多いことです。
クラリオン星人のリーディングにもありましたが、「どこかの地下にUFO基地がある」という話がありましたね。
この「千貫森」というところは、ピラミッドでも有名ですが、UFO関係者の間では、その方面でもっと有名な山です。

最後に、青森県の靄山(もややま)という山の映像をご覧ください。
見事なほど、形状がピラミッドですね。
これには一説がありまして、中世の東北地方に、「安藤氏」という独立系の豪族がいて、日本海交易などで栄えていたのですが、このピラミッドは、その安藤氏が造ったのではないかという説があります。
しかし、もし本当に安藤氏が造ったのであれば、比較的新しい時代ですから、それだけの人足(にんそく)を動員して造ったとなれば、どう考えても記録に残るはずですから、その記録が歴史に残っていない以上、「これはもっと古い時代から存在した」と考える方が自然でしょう。

さて、ここまで来ると、ご当地ソング(北海道にもピラミッドがないのか)
が欲しくなりますね(笑)。
専門家からは、一つ指摘されている場所があります。
それは、小樽の忍路(おしょろ)にあるのですが、ここにはストーン・ヘンジやストーン・サークルがあったり、土器や壁画もたくさん発掘されています。
「その一角にピラミッドがあったのではないか」とは、専門家の間で言われています。(信者さんが、候補になりそうな山(丘)の写真を撮ってきてくれました。)
 面白い話がありまして、その遺跡の洞窟に壁画がたくさん描かれているのですが、
「これはどう見ても、宇宙人にしか見えない」
という絵がいっぱい出てくるのですね。
その映像を今からご覧頂きます。
翼(つばさ)が生えているのがわかりますでしょう。いわゆる翼竜型とはちょっと違う雰囲気であるのが、おわかりいただけると思います。
こういう壁画が沢山見つかっているのですね。
 


驚異の天文学と測量学!



 最後に3点ほど、この世的な証拠を挙げておきましょう。
1点目は、
『天文学や測量学が非常によく発達していた』
という霊言の内容に関連する話です。
「レイライン」という言葉があります。ヨーロッパを始め、世界中で見られる現象なのですが、「意味のある都市を線でつないでみると、見事に一直線で繋がる」というのは、世界中でよく見られます。
『ダヴィンチ・コード』でもよく登場していました。
「意図的に都市の場所が決められたのだ」、
「目的があって、都市の名前が決められたのだ」
ということを主張する考え方です。
私のところにも、よくそういう話が持ち込まれてきて、適度にお付き合いしていたのですが、但しこれが、
「天文学と測量学が高度に発達していた」
となると、前提がガラっと変わってまいります。
「意味のある形で一直線に並んでいる」
というのは、天文学と測量学が発達していれば、可能になります。(後述)
と同時に、「わざわざそういうことをした」というのは、
「それを見せるべき相手がいた」、或いは、
「それを空から見ている存在がいた」
ということを意味します。
(ref. ペルーのナスカの地上絵)
「現代の測量学から見ても、ほとんど誤差ゼロで一直線に並んでいる」、
「しかもそれが、百キロ以上離れた地点の間で実現している」
というのは驚異です。
 実は、「竹内文書」の中に興味深い箇所がありまして、
「"羽"という文字が使われている地名は、古代に空を飛びたるもの・天の曳船(つまりUFO)の発着場があった場所だ」
というのです。
確かにそう言われてみると、「羽田」に「空港」が造られたことには、思わず唸って(うなって)しまいます。
(統一地方選の頃の質疑応答の中で、「羽田空港の振興策」に関する質問への御答えとして、『羽田空港を「宇宙戦艦ヤマト」の基地にすれば良いではないか』というのがありましたが、
さらりと仰った割には、かなり高度な(意味深な?)ジョーク(本気?)であったことが、今になってわかります。
そして、さきほど申し上げた「富山・飛騨王朝」とおぼしき辺りの「羽」の字のついた地名を並べてみると、驚天動地の「事実」が浮かび上がってきます。
これから、その地図の映像をご覧いただきます。



UFOの定期航路?



次の地図をご覧ください。(富山県から、岐阜県、愛知県に到る地図で、南北に直線が一本引いてあり、その線上に、幾つかの黒点が並んでいる。)
富山県に3箇所、黒い丸が縦に並んでいますが、その下は岐阜県で、そこにある黒丸は、位山(くらいやま)といって、大和朝廷以前の時代に、古い聖地があったと伝承されている場所です。
この北から南への一直線上にいろいろな遺跡があるのですが、計測したところ、ほぼ誤差ゼロで一直線に並びます。
まず、一番上(北)は能登半島にあるのですが、宝立山(ほうりゅうざん)と言いまして、随分昔に私も近くまで行ったことがありますが、ピラミッドに関連すると言われています。
その南の海岸沿いの町は、「羽根」というところです。その下が富山県内で、「呉羽山」(くれはさん)、その南にまた「羽根」、さらに南には、「小羽」(こば)と続きます。
その先が岐阜県に入るのですが、真南にさきほどの「位山」が位置し、その南にも「羽根」という所があります。
更に下って愛知県に入った真南には、岡崎市内に「羽根」というところがあり、そのまた真南の渥美半島の海岸沿いには、「赤羽根町」という町があります。これらが見事に、南北一直線上に並んでいます。  
これは何を意味しているかというと、「春分」と「秋分」に関連しています。春分と秋分には、「日の出」と「日没」の位置が、ちょうど真東と真西になるので、そこから南北の直線を正確に割り出すことが出来ます。
このような天文学の知識に、あと、正確な測量技術が加われば、宝立山-赤羽根町という約300kmの直線上に、寸分違わず場所をピンポイントしていくことが可能となります。
偶然では、ちょっとあり得ないでしょう。(もし偶然なら、「鉄骨とコンクリートの塊り(かたまり)を地面に置いておいたら、風が吹いてビルが建った」という議論に等しいでしょう。)
どういう目的でそういう場所をつくったのかわかりませんが、
「"羽"という地名が、「天の曳き船」(UFO)の発着場(バス停みたいなもの?)を表わす」
ということであれば、空をひとっ飛びした最短距離(直線コース)ということで、至極、筋がとおっています。

更にもっと驚くべき地図をご覧いただきます(先ほどの同じ地図に、もう一本、斜めの直線が加えられたもの)。
これは、先ほどの南北一直線を、位山を中心点として、24度、時計と反対方向に回転させた直線を書き加えたものです。
24度ずらした線は何を意味しているかというと、「立秋」を表しています。
立秋の日に、日の出の時間が同じ時刻になる地点を結んだものが、この24度ずらしたほぼ線上にあたるのです。これも、先ほどと同様、天文学と測量学の知見があると、この線を正確に引くことができます。
まず、位山から北西に伸びる線上を見ると、日本海の海岸線の町が、何と、あの有名な「羽咋市」(はくいし)になります。北陸正心館の近くで、「日本で最もUFOが目撃される場所」として有名ですね。
今度は南東に伸ばしてみましょう。長野県の「根羽村」(ねばむら)というところが線上にありますが、これもまた御当地ソングみたいで恐縮ですが、ここは、私の生まれ故郷の隣の村です。もちろん、信者さんもいらっしゃいます。
更に南東に伸ばした直線上には、静岡県の浅羽町(あさばまち)というところが、太平洋岸近くに出てきます。
これら羽根の字のつく町が、見事に位山を中心にした一直線上に並んでいます。
「天文学や測量学が発達していた」
ということを前提に考えると、これは、恐ろしく凄味のあるメッセージになります。
二点目です。「位山」及びその近くには、巨石遺跡がたくさんあるのですが、それらの中には、人工的に直線が引いたものがあります。
これも、専門家が調べたところによると、この2本の直線は、「夏至」と「冬至」の日に、日没の太陽光が差し込む角度を表わしていて、一種の日時計(或いはカレンダー)の役割を果たしていたと言われています。
以上二つは、理系的アプローチでしたが、最後の三つ目は、文系に転じて、御伽噺(おとぎばなし)から入りたいと思います。
皆様も、「浦島太郎伝説」は、よくご存じかと思います。
これには元ネタがありまして、一番有名なのは、「丹後国風土記」(たんごのくに・ふどき)にある「物語」なのですが、この「風土記」までさかのぼってみると、我々の目から見ると、仰天する内容が書かれているのです。
まず漁師がいました。ここは同じです。そして、浜辺に「亀」がやってくるのですが、この風土記に現れる亀は、人ひとりが乗るには、「巨大な亀」なのです。かつ、七色に光っている「亀」だというのです!
その「亀」の巨大さは、「そもそも来たときに、御迎えの人が乗っていた」と言うところからも分かります。
しかも、その御迎えは、「絶世の美女」だったというではありませんか!
手招きされて、その亀に乗り込んで、着いたところは、見るも美しい島で、輝くような大地と光沢のあるタワー(高殿)があったそうです。
そして、出迎えた人々は、
「私たちは昴(すばる=プレアデス!)の者です」
と答えたのだそうです!
この話、「宇宙人リーディング」を聴いてきた人にとっては、あまりにも筋がとおりすぎていませんか。
まず「亀」が、円盤のように大きかった。
亀には、迎えに来た女性が乗っていて、その女性は絶世の美人だった。
亀から降りたら、美しい大地と光り輝くタワーが見えて、そこに居る人たちは、
「私達はプレアデスの者です」
と言った。
しかも、戻ってきたら、例の「浦島効果」(周りが皆、歳を取るか、既に死んでいた)です。
そう言えば、「全国にある「羽衣(はごろも)伝説」は、大抵がプレアデス起源だ」と、あるリーディングの中でありました。
後世に伝え聞いた伝承者は、理解できないところを削ってしまったのかもしれません。

現時点では、一応、「自己申告ベース」ということになっていますが、
天御中主之神はアンドロメダ星雲出身、
天照大神はベガ星出身、
国常立之神もベガ星出身、
天之常立神はカシオペア座出身だと言っていました。
また、別のリーディングでは、「日本神道を構成している神様の中には、「白鳥座アルファ星(デネブ)」出身の方もいる」とありました。
ではなぜ、そのような宇宙起源の神々が、チームを組んで日本に生まれたのでしょうか。それは、
「来るべき、大救世主エル・カンターレの降臨に備えて、日本民族を興し、指導してきたのだ」
と、「天之常立神の霊言」の中で明言されていました。これが、真説・日本神道の仕事だったというのです。
そしてこれが、今日の結論でもあります。
最近の「宇宙人リーディング」は、このように随分内容が進んできていますので、ぜひ頑張って、拝聴していってください。
本日は、誠にありがとうございました。(以上)   


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:50Comments(1)ヘラトリ・トピックス(幸福の科学)