宗教はおきらいですか?
2010年07月07日
『世界宗教事典』では上記のリューバの分類・分析を踏まえ、また、宗教を成立させている基本要素が超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)をみとめる特定の観念であることを踏まえつつ、宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団である[19]とまとめている。
『世界宗教事典』での上記の定義のまとめに沿って、もう少し具体的な例も含めて示せば[20]、宗教とは、超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)についての信念、超越的なものと個人の関係、超越的なものに対する個人の態度(信仰など)、信仰に基づいた活動(礼拝、巡礼など)、組織・制度(教会、寺社制度など)、信者の形成する社会、施設(教会堂、モスク、寺院など)等々である。
(以上、ウィキペディアより)
ここのところ、ブログをしていて思うことがある。
私がこのブログをしていてたたかれる理由、それは「宗教団体」である「幸福の科学」および「幸福実現党」のことを書くことだ。
それ以外でもたたく人はいるが、やはりたたく根拠となりうるのはこの私のブログ発信における「宗教的内容・布教的内容」への嫌悪感・違和感・宗教の話は共同体には不適応であるという偏った価値観があるのだろう。
いま私は、とても大事な、かつ恐ろしいことを明らかにしようとしている。
それは日本人にいまだ根深い「宗教」への差別意識だ。宗教と信仰はイコールであることは上記のとおりだ。
私が私のブログで何を書こうと本来問題になろうはずがない。それが宗教であろうが、スピリチュアルであろうが、政治であろうが、これは言論の自由であり表現の自由であり思想信条の自由である。ちなみに言論の自由のそもそもの成り立ちは「信仰告白の自由」であり「信教の自由」である。
しかし、私のブログがたたかれるのは「宗教」をだしたときなのだ。
これは明らかな「特定思想」いや、はっきり言って「宗教」への差別意識である。
違うというなら、どうしてスピリチュアルや師匠や隊長シリーズはたたかれないのか?同じように霊的価値観であり、宗教的な教えであり、目に見えない「非科学的内容」であり、特定思想の「布教」的内容ですらある。なのに、たたかれるのは「幸福の科学」「幸福実現党」をとりあつかったときのみだ。
ここに私は意図的なものと、差別的なもの、両方を感じる。意図的なものについては今は問わない。
私は、そこに「宗教」を共同体にふさわしくないと排除してきた戦後日本の「常識」の恐ろしさを感じる。
私は共産主義者の家に生まれたが、父は「どのような思想信条もすばらしさにおいて平等である」というスタンスだった。そのおかげで私は幼いころから赤旗を読みながら聖書に親しみ、般若心経を学んだ。GLAの本を読みものみの塔の本を読みオウムの本も読み生長の家の本も読んだ。ハッキリ言えば私のなかでは奄美の神々も幸福の科学もカトリックも共産党も保守思想も政治も神道も同じように尊く、同じように公の場で堂々と語られてしかるべきであると思っている。
大人になったとき、「政治の話と宗教の話はするな、変人だと思われる」と言われ、その言葉を吐かせてしまう社会の精神レベルを心の底から嫌悪した。そんなことを言うのは日本と共産主義国くらいだっつーの。
いつからこの国は、公の精神である宗教を軽蔑し、軽んじ、馬鹿にするようになってしまったのだろう。
神社がありながら神社の神様への感謝をもたず、お寺がありながら仏の加護を軽んじ、神を拝みながら信仰ではありません、宗教ではありませんと語り、天皇陛下は天照大神様の直系子孫であるのに「日本は神の国」と言う政治家の発言を公の機関がたたく。
天皇陛下は現人神であらせられる。それがそんなに恥ずかしいか。日本が神の国であることはそんなに恥ずかしいか。
私は幸福の科学という宗教の情報発信をとおして、あまりに宗教を軽んじ共同体から排除してかまわないとするこの戦後うえつけたれた「ニセモノの価値観」をぶち壊したい。私の宗教が天理教でも創価学会でもプロテスタントでも同じようにする。これが私の個性であり性質であるからである。
私が宗教を語ることをたたくならたたけばいい。私の宗教を否定し、信仰を否定し、神も霊的価値観も否定すればいい。
その行為は、あなたの思想信条が「そう」であることをそのまま示しているのだから。
それが新興宗教であれ伝統宗教であれかまわない。どうせ同じ「差別」であり「偏見」であり「排他」なのだ。あなたが私の信仰を否定することは、あなたが私の仏壇やお墓や神棚に糞尿を投げつけることと同じなのだ。
しかし、あなたが私の宗教を否定し私の思想信条を否定する自由をも、私はうけいれる。同時に私は私の信教の自由・言論の自由・表現の自由を貫く。
うわっつらだけの付き合いなどまっぴらごめんだ。愛想笑いなどどうせ見抜かれるのだから。
私はもっと自由でありたい。そして私だけじゃなく、いろんな宗派・党派の人々がやがて忌憚なく自分の思想信条を公に表現しあい、違う宗派・党派同士がその違いを尊重しあい語りあえる時がくると、信じている。
宗教は尊敬されるべきものであり、大いなる存在への敬意は人間として最低限の品性であると私は信じている。それが伝統宗教であれ新興宗教であれ、だ。これが私が幸福の科学会員でありながら神道の教えを書き奄美の神を愛してやまない理由である。
宗教者にとっての地獄とは、自分の信じる存在以外をうけいれない価値観そのものだと思っている。
申し訳ありませんが、この日記にかぎりコメントはご遠慮ください。
『世界宗教事典』での上記の定義のまとめに沿って、もう少し具体的な例も含めて示せば[20]、宗教とは、超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)についての信念、超越的なものと個人の関係、超越的なものに対する個人の態度(信仰など)、信仰に基づいた活動(礼拝、巡礼など)、組織・制度(教会、寺社制度など)、信者の形成する社会、施設(教会堂、モスク、寺院など)等々である。
(以上、ウィキペディアより)
ここのところ、ブログをしていて思うことがある。
私がこのブログをしていてたたかれる理由、それは「宗教団体」である「幸福の科学」および「幸福実現党」のことを書くことだ。
それ以外でもたたく人はいるが、やはりたたく根拠となりうるのはこの私のブログ発信における「宗教的内容・布教的内容」への嫌悪感・違和感・宗教の話は共同体には不適応であるという偏った価値観があるのだろう。
いま私は、とても大事な、かつ恐ろしいことを明らかにしようとしている。
それは日本人にいまだ根深い「宗教」への差別意識だ。宗教と信仰はイコールであることは上記のとおりだ。
私が私のブログで何を書こうと本来問題になろうはずがない。それが宗教であろうが、スピリチュアルであろうが、政治であろうが、これは言論の自由であり表現の自由であり思想信条の自由である。ちなみに言論の自由のそもそもの成り立ちは「信仰告白の自由」であり「信教の自由」である。
しかし、私のブログがたたかれるのは「宗教」をだしたときなのだ。
これは明らかな「特定思想」いや、はっきり言って「宗教」への差別意識である。
違うというなら、どうしてスピリチュアルや師匠や隊長シリーズはたたかれないのか?同じように霊的価値観であり、宗教的な教えであり、目に見えない「非科学的内容」であり、特定思想の「布教」的内容ですらある。なのに、たたかれるのは「幸福の科学」「幸福実現党」をとりあつかったときのみだ。
ここに私は意図的なものと、差別的なもの、両方を感じる。意図的なものについては今は問わない。
私は、そこに「宗教」を共同体にふさわしくないと排除してきた戦後日本の「常識」の恐ろしさを感じる。
私は共産主義者の家に生まれたが、父は「どのような思想信条もすばらしさにおいて平等である」というスタンスだった。そのおかげで私は幼いころから赤旗を読みながら聖書に親しみ、般若心経を学んだ。GLAの本を読みものみの塔の本を読みオウムの本も読み生長の家の本も読んだ。ハッキリ言えば私のなかでは奄美の神々も幸福の科学もカトリックも共産党も保守思想も政治も神道も同じように尊く、同じように公の場で堂々と語られてしかるべきであると思っている。
大人になったとき、「政治の話と宗教の話はするな、変人だと思われる」と言われ、その言葉を吐かせてしまう社会の精神レベルを心の底から嫌悪した。そんなことを言うのは日本と共産主義国くらいだっつーの。
いつからこの国は、公の精神である宗教を軽蔑し、軽んじ、馬鹿にするようになってしまったのだろう。
神社がありながら神社の神様への感謝をもたず、お寺がありながら仏の加護を軽んじ、神を拝みながら信仰ではありません、宗教ではありませんと語り、天皇陛下は天照大神様の直系子孫であるのに「日本は神の国」と言う政治家の発言を公の機関がたたく。
天皇陛下は現人神であらせられる。それがそんなに恥ずかしいか。日本が神の国であることはそんなに恥ずかしいか。
私は幸福の科学という宗教の情報発信をとおして、あまりに宗教を軽んじ共同体から排除してかまわないとするこの戦後うえつけたれた「ニセモノの価値観」をぶち壊したい。私の宗教が天理教でも創価学会でもプロテスタントでも同じようにする。これが私の個性であり性質であるからである。
私が宗教を語ることをたたくならたたけばいい。私の宗教を否定し、信仰を否定し、神も霊的価値観も否定すればいい。
その行為は、あなたの思想信条が「そう」であることをそのまま示しているのだから。
それが新興宗教であれ伝統宗教であれかまわない。どうせ同じ「差別」であり「偏見」であり「排他」なのだ。あなたが私の信仰を否定することは、あなたが私の仏壇やお墓や神棚に糞尿を投げつけることと同じなのだ。
しかし、あなたが私の宗教を否定し私の思想信条を否定する自由をも、私はうけいれる。同時に私は私の信教の自由・言論の自由・表現の自由を貫く。
うわっつらだけの付き合いなどまっぴらごめんだ。愛想笑いなどどうせ見抜かれるのだから。
私はもっと自由でありたい。そして私だけじゃなく、いろんな宗派・党派の人々がやがて忌憚なく自分の思想信条を公に表現しあい、違う宗派・党派同士がその違いを尊重しあい語りあえる時がくると、信じている。
宗教は尊敬されるべきものであり、大いなる存在への敬意は人間として最低限の品性であると私は信じている。それが伝統宗教であれ新興宗教であれ、だ。これが私が幸福の科学会員でありながら神道の教えを書き奄美の神を愛してやまない理由である。
宗教者にとっての地獄とは、自分の信じる存在以外をうけいれない価値観そのものだと思っている。
申し訳ありませんが、この日記にかぎりコメントはご遠慮ください。
ぽえむん おじさまメッセージ
2010年07月07日
この雨は天の涙だ
きこえぬか あの太鼓の音が
天は告げる 大いなる御業のはじまりを
そのはじまりは奄美大島なのだ
清めの雨は天の涙
まだわからぬかまだわからぬかと
深きかなしみ 地におとす
どうか貴方よ それをわかるなら
日本を愛せ
日本の神を信じよ
はじまりの太鼓はたたき続ける
日本護るべし
この国の民への愛を
伝えんが為に
わが言葉せまよいごと
たわごとと 語れども
神々の想いは降り続く
選択のとき
選択の道
日本を護れ
この国の民への愛を
伝えんが為に
天の涙に
ひとり 伏して祈る
胸せまる
きこえぬか あの太鼓の音が
天は告げる 大いなる御業のはじまりを
そのはじまりは奄美大島なのだ
清めの雨は天の涙
まだわからぬかまだわからぬかと
深きかなしみ 地におとす
どうか貴方よ それをわかるなら
日本を愛せ
日本の神を信じよ
はじまりの太鼓はたたき続ける
日本護るべし
この国の民への愛を
伝えんが為に
わが言葉せまよいごと
たわごとと 語れども
神々の想いは降り続く
選択のとき
選択の道
日本を護れ
この国の民への愛を
伝えんが為に
天の涙に
ひとり 伏して祈る
胸せまる
ぽえむん 「私でありたい」
2010年07月07日
身勝手な怒りは肚を焼き
見苦しき嫉妬は目を緑色にする
反発はそれは正しいか否かにかかわらず
相手を見えぬ刃できりつけ
届かぬ存在への悪意は自らの糞尿をなすりつけること
報われぬことへの怒りは
それ自体が見返りの搾取であり
自己卑下と自己保身が
いつも責任から目をそらす
どうか透明な私でありたい
悪意なく裁きなく言い訳なく卑下も慢心もなく
ありのままに透明な風のように
すべてを受け流してあたたかな風を吹かせたい
人は皆 あの太陽の子
あの光のように本来形なく本来器なし
なのになぜ 私は小さな自分に縛られる
小さな自分の感情に自分を染めて生きる
透明な私でありたい
あたたかな風でありたい
大いなる意志の風
奄美ふきわたる風
透明な私
近く はるか遠い
見苦しき嫉妬は目を緑色にする
反発はそれは正しいか否かにかかわらず
相手を見えぬ刃できりつけ
届かぬ存在への悪意は自らの糞尿をなすりつけること
報われぬことへの怒りは
それ自体が見返りの搾取であり
自己卑下と自己保身が
いつも責任から目をそらす
どうか透明な私でありたい
悪意なく裁きなく言い訳なく卑下も慢心もなく
ありのままに透明な風のように
すべてを受け流してあたたかな風を吹かせたい
人は皆 あの太陽の子
あの光のように本来形なく本来器なし
なのになぜ 私は小さな自分に縛られる
小さな自分の感情に自分を染めて生きる
透明な私でありたい
あたたかな風でありたい
大いなる意志の風
奄美ふきわたる風
透明な私
近く はるか遠い
30になりました。
2010年07月07日
はっぴーばーすでい。
ああ、30になっちまった。
カミナリが心地よい。最近の天気最高。ええ、私は変態ですが何か?
稲光をみると興奮します。カミナリが鳴るともう(*´Д`*)ハァハァ
自分はカミナリが落ちても死なないと信じてます。
そんなことはどうでもいいんです。
誰かプレゼントください。できれば食べ物がいいです。あ、パワーストーンとかはいりません。(笑)開運印鑑も結構です(笑)
30歳の抱負。
自分の人格・人生の課題・使命・志を総点検する年とする。
もっと「愛」「利他」であれる自分に脱皮したい。
ダイエットを今年こそ成功させる(毎年言っている)
もっと女性らしくなる。
魅力的な人格をもてるようにする。
今までの自分の選択ジャンルと異なる知識を学ぶようにする。
隊長に「天狗」をおろしてもらう。(笑) 護身法も知らずにやったら死ぬっちゅーねん。
年を経るにつれて今まで誤魔化していた「課題」がどんどん浮き彫りになりますね。
自分と向き合うことを恐れるなかれ。
もっと静寂の時間をもち、自分と対話する時間をもたねば。
師匠からなぜか米が10キロ送られてきた。
師とはありがたいものです。
合掌。
ああ、30になっちまった。
カミナリが心地よい。最近の天気最高。ええ、私は変態ですが何か?
稲光をみると興奮します。カミナリが鳴るともう(*´Д`*)ハァハァ
自分はカミナリが落ちても死なないと信じてます。
そんなことはどうでもいいんです。
誰かプレゼントください。できれば食べ物がいいです。あ、パワーストーンとかはいりません。(笑)開運印鑑も結構です(笑)
30歳の抱負。
自分の人格・人生の課題・使命・志を総点検する年とする。
もっと「愛」「利他」であれる自分に脱皮したい。
ダイエットを今年こそ成功させる(毎年言っている)
もっと女性らしくなる。
魅力的な人格をもてるようにする。
今までの自分の選択ジャンルと異なる知識を学ぶようにする。
隊長に「天狗」をおろしてもらう。(笑) 護身法も知らずにやったら死ぬっちゅーねん。
年を経るにつれて今まで誤魔化していた「課題」がどんどん浮き彫りになりますね。
自分と向き合うことを恐れるなかれ。
もっと静寂の時間をもち、自分と対話する時間をもたねば。
師匠からなぜか米が10キロ送られてきた。
師とはありがたいものです。
合掌。
隊長の話・「合祭」の問題点
2010年07月07日
「俺のところにきた相談でな。一つこんなのがあったよ」
「どきどき・・・・・・」
「50代の主婦からの相談でな。家にとにかく人の気配がする、よく怪我をする、家族にまで災いが及ぶようになってな。
俺に「視てほしい」ときたわけだ」
「行ったんですか?」
「そりゃそうさ。行かなきゃわからんからな。そしたら開けてビックリだよ。
なんとそこの奥さん、亡くなった元旦那の位牌を、再婚した旦那の仏壇に『合祭』してたんだな」
「( ゚д゚ )ごうさい?ってなんですか?」
「あー、そうか。要は、前の旦那の位牌を、今の旦那のもってる一族の仏壇にいれて位牌を並べて拝んでたんだよ」
「( ゚Д゚)
( ゚Д゚)
(((( ;゚Д゚)))ガクブル 」
「亡くなった元旦那は怒り狂ってたよ。よくもこんなことをしてくれた、お前は俺をなんだと思ってるんだってな。家に起きた災いの原因は、そういうことだったんだな。まぁ、元旦那さんの気持ちはわかるよ。
奥さんも無神経のきわみだよな。本人は位牌を大事にしてるつもりなんだろうが、本当に相手のことを考えてたらとてもじゃないができないことだよな。人間、自分本位になるとどこまでも自分に都合よく物事すすめるもんだ」
「・・・それ、ヘタな怪談よりも怖い話です・・・。生きてる側の傲慢さが、死んだ人をどれだけ傷つけてるかってことですよね・・・」
「実際、これで起きてるトラブルは少なくないな。 情や生前の交友だけで、一族と無関係な人間を自分の身内の墓に葬ったりな。
もしも自分が同じ立場ならどう思う?事故か何かで口がきけなくなり、体が動かせなくなった。そしたら奥さんが再婚した。そこまではいい。なんと再婚した相手の一族郎党が住んでる家のど真ん中に自分のベッドおかれて世話されてみろ。うれしいか?すさまじい居心地の悪さだろ。
まるで拷問だよ。ひどい話だな。死んだ元旦那さんは奥さんやその家族に触るまでに追いつめられたんだ。」
「どうなったんですか?」
「あ?ソッコーで合祭をやめさせて、元旦那を説得したよ。奥さんに悪気はなかった、もう一緒にすることは二度とないからこれで水にながせってな。それで収まったよ。」
「生きてる側の思い上がりの恐ろしさを思い知らされますね・・・・」
「俺は何度も言ってるだろ?生きてる人も死んだ霊も同じ人間だよ。喜びもすれば悲しみもするし、愛する思いもあれば怒りもわくんだ。
だから亡くなった方をないがしろにしちゃいけない。ちゃんと敬意をもって接するべきだし、祈りをささげるときもちゃんと感謝の思い口に出して伝えるべきなんだよ。ただ手を合わせられても、相手は神様じゃない。気持ちをカンペキにわかれって方がムリなんだから。
な?」
このように教えていただけると、亡くなられた方々やご先祖様のことがすごく身近に感じられると思いません?
ご先祖様や氏神さま、奄美の神様、日本の神様に感謝ですね☆
(・∀・)
「どきどき・・・・・・」
「50代の主婦からの相談でな。家にとにかく人の気配がする、よく怪我をする、家族にまで災いが及ぶようになってな。
俺に「視てほしい」ときたわけだ」
「行ったんですか?」
「そりゃそうさ。行かなきゃわからんからな。そしたら開けてビックリだよ。
なんとそこの奥さん、亡くなった元旦那の位牌を、再婚した旦那の仏壇に『合祭』してたんだな」
「( ゚д゚ )ごうさい?ってなんですか?」
「あー、そうか。要は、前の旦那の位牌を、今の旦那のもってる一族の仏壇にいれて位牌を並べて拝んでたんだよ」
「( ゚Д゚)
( ゚Д゚)
(((( ;゚Д゚)))ガクブル 」
「亡くなった元旦那は怒り狂ってたよ。よくもこんなことをしてくれた、お前は俺をなんだと思ってるんだってな。家に起きた災いの原因は、そういうことだったんだな。まぁ、元旦那さんの気持ちはわかるよ。
奥さんも無神経のきわみだよな。本人は位牌を大事にしてるつもりなんだろうが、本当に相手のことを考えてたらとてもじゃないができないことだよな。人間、自分本位になるとどこまでも自分に都合よく物事すすめるもんだ」
「・・・それ、ヘタな怪談よりも怖い話です・・・。生きてる側の傲慢さが、死んだ人をどれだけ傷つけてるかってことですよね・・・」
「実際、これで起きてるトラブルは少なくないな。 情や生前の交友だけで、一族と無関係な人間を自分の身内の墓に葬ったりな。
もしも自分が同じ立場ならどう思う?事故か何かで口がきけなくなり、体が動かせなくなった。そしたら奥さんが再婚した。そこまではいい。なんと再婚した相手の一族郎党が住んでる家のど真ん中に自分のベッドおかれて世話されてみろ。うれしいか?すさまじい居心地の悪さだろ。
まるで拷問だよ。ひどい話だな。死んだ元旦那さんは奥さんやその家族に触るまでに追いつめられたんだ。」
「どうなったんですか?」
「あ?ソッコーで合祭をやめさせて、元旦那を説得したよ。奥さんに悪気はなかった、もう一緒にすることは二度とないからこれで水にながせってな。それで収まったよ。」
「生きてる側の思い上がりの恐ろしさを思い知らされますね・・・・」
「俺は何度も言ってるだろ?生きてる人も死んだ霊も同じ人間だよ。喜びもすれば悲しみもするし、愛する思いもあれば怒りもわくんだ。
だから亡くなった方をないがしろにしちゃいけない。ちゃんと敬意をもって接するべきだし、祈りをささげるときもちゃんと感謝の思い口に出して伝えるべきなんだよ。ただ手を合わせられても、相手は神様じゃない。気持ちをカンペキにわかれって方がムリなんだから。
な?」
このように教えていただけると、亡くなられた方々やご先祖様のことがすごく身近に感じられると思いません?
ご先祖様や氏神さま、奄美の神様、日本の神様に感謝ですね☆
(・∀・)