台湾の漁船団が尖閣にきた理由
2012年09月27日
先日のこちらの出来事。
尖閣混乱…台湾の漁船団、巡視船が侵犯
http://www.daily.co.jp/gossip/2012/09/26/0005405983.shtml
台湾と日本は尖閣近辺に関して漁業協定をむすんでいたらしい。それにたいして、日本が台湾側に説明もなく尖閣を国有化したことに態度を硬化させているとのこと。
対話機運の醸成困難=尖閣国有化への反発根強く-台湾
一方で、今回の台湾漁船団の尖閣訪問には、中国でトップシェアを誇る大企業の寄付金で行われている。
尖閣侵入の台湾漁船団支援の黒幕は 日本企業の技術もとに中国で大成功した菓子メーカー
http://www.j-cast.com/2012/09/26147816.html
どうにも台湾は、中国と日本の微妙なバランスの上に、日本と中国に台湾の影響力を少しでも増したいという意志を感じる。
ただし、くれぐれも忘れないでいただきたいのは、台湾は日本の同胞であり、東日本大震災での恩のある国でもあるということだ。
台湾ともっともっと仲良くしたいですね。
日中国交正常化で断たれた台湾との国交を、見直す時期でもあるのではないでしょうか?
補足
【東日本大震災】No.75 台湾義援金 「世界最高額」の背景
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/05/0517taiwan/
馬総統、目元整形してません?私の気のせいでしょうか?
余談。私のおすすめサイト。
軍事評論家=佐藤守のブログ日記
ここはものすごくわかりやすいです。超勉強になりますよ!
尖閣混乱…台湾の漁船団、巡視船が侵犯
http://www.daily.co.jp/gossip/2012/09/26/0005405983.shtml
台湾と日本は尖閣近辺に関して漁業協定をむすんでいたらしい。それにたいして、日本が台湾側に説明もなく尖閣を国有化したことに態度を硬化させているとのこと。
対話機運の醸成困難=尖閣国有化への反発根強く-台湾
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012092501007
一方で、今回の台湾漁船団の尖閣訪問には、中国でトップシェアを誇る大企業の寄付金で行われている。
尖閣侵入の台湾漁船団支援の黒幕は 日本企業の技術もとに中国で大成功した菓子メーカー
http://www.j-cast.com/2012/09/26147816.html
どうにも台湾は、中国と日本の微妙なバランスの上に、日本と中国に台湾の影響力を少しでも増したいという意志を感じる。
ただし、くれぐれも忘れないでいただきたいのは、台湾は日本の同胞であり、東日本大震災での恩のある国でもあるということだ。
台湾ともっともっと仲良くしたいですね。
日中国交正常化で断たれた台湾との国交を、見直す時期でもあるのではないでしょうか?
補足
【東日本大震災】No.75 台湾義援金 「世界最高額」の背景
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/05/0517taiwan/
馬総統、目元整形してません?私の気のせいでしょうか?
余談。私のおすすめサイト。
軍事評論家=佐藤守のブログ日記
ここはものすごくわかりやすいです。超勉強になりますよ!
今朝の夢 2012.9.26 古代の拝所屋敷(神社?)を探す
2012年09月27日
昨日は一日支部長がいらしてくださっていた。
(そのため日記がアップできませんでした)
そのあと映画「バトルシップ」を見て感動&爆笑させていただき、就寝。
そこで見た夢。
友人か知人(誰かわからないし思い出せない)である誰かと一緒に、奄美の名瀬・平松方面?と思われる場所を歩いている。
どこからかの帰りらしく、見物がてら、宗教的な場所を探しているらしい。
見渡してもコンクリートのビルなどはまったくなく、平屋の建物が多い。なんというか、まるで昭和30~40年代のような雰囲気。しかし違和感は全くない。
途中、山沿いの家々が並ぶ小さな路地のなかに、鳥居を掲げた民家が見えるが、なんとなくそこじゃないと思い、引き返す。
(どうもあてどもなく歩いているらしい)
山から離れ、海沿いを歩いていると、一緒に歩いていた人が「あそこを見て」という。
見ると、海岸沿いの人の背丈ほどもある藪のなかに、そこだけ不自然に藪が生えていないところがみえる。
近づいてみると、公民館ほどの広さの敷地に、赤土の地面の上に直接コンクリートでできた、格子状のすきまだらけの高さ3メートルほどの壁のような囲いのようなものを建ててある。
そのコンクリの壁のような囲いのようなもので三方だけ囲った空間が三つ並べてあり、中央の空間はかなり広い。
屋根はなく、眼の前は海岸。
格子状の囲いの空間の入り口には、しっかしとした作りの案内板が立っている。
「ここは古代からの歴史ある神降ろしの神社のような場所」である旨が書かれてあり、いま囲いがされてる空間よりもかなり広い敷地が本来ある(あった?)らしい。
全部を復元するお金がないからかろうじて一番大事なところだけ囲って重要な空間だととどめているというところか。
案内板には平面図で当時の敷地図が書かれており、まるで大きな屋敷のような広さだったようだ。
それぞれの場所や空間にちゃんと名前まであるらしい。(カタカナ表記だった)
名前は詳しく覚えていないが、「昔のトネヤとかミャーみたいだな(ノロ祭祀に関わる場所の名前)」と思ったので、それに似た名前だったのだろうと思われる。
しかしトネヤやミャーは集落のなかにあるもので、ここは集落の外だ。ここは一体どんな聖域だったのだろうかと思うが、当時の面影を語るものはなにもない。
せめて復元図でも書いてくれたらいいのになーと思いながら、中央の囲いの空間に立って海を眺めている。
その帰りに、バス停まで帰ろうと思うが、どこにいけばバス停があるのかなーと思いながら歩いているところで目が覚めた。
不思議な夢でした。
(そのため日記がアップできませんでした)
そのあと映画「バトルシップ」を見て感動&爆笑させていただき、就寝。
そこで見た夢。
友人か知人(誰かわからないし思い出せない)である誰かと一緒に、奄美の名瀬・平松方面?と思われる場所を歩いている。
どこからかの帰りらしく、見物がてら、宗教的な場所を探しているらしい。
見渡してもコンクリートのビルなどはまったくなく、平屋の建物が多い。なんというか、まるで昭和30~40年代のような雰囲気。しかし違和感は全くない。
途中、山沿いの家々が並ぶ小さな路地のなかに、鳥居を掲げた民家が見えるが、なんとなくそこじゃないと思い、引き返す。
(どうもあてどもなく歩いているらしい)
山から離れ、海沿いを歩いていると、一緒に歩いていた人が「あそこを見て」という。
見ると、海岸沿いの人の背丈ほどもある藪のなかに、そこだけ不自然に藪が生えていないところがみえる。
近づいてみると、公民館ほどの広さの敷地に、赤土の地面の上に直接コンクリートでできた、格子状のすきまだらけの高さ3メートルほどの壁のような囲いのようなものを建ててある。
そのコンクリの壁のような囲いのようなもので三方だけ囲った空間が三つ並べてあり、中央の空間はかなり広い。
屋根はなく、眼の前は海岸。
格子状の囲いの空間の入り口には、しっかしとした作りの案内板が立っている。
「ここは古代からの歴史ある神降ろしの神社のような場所」である旨が書かれてあり、いま囲いがされてる空間よりもかなり広い敷地が本来ある(あった?)らしい。
全部を復元するお金がないからかろうじて一番大事なところだけ囲って重要な空間だととどめているというところか。
案内板には平面図で当時の敷地図が書かれており、まるで大きな屋敷のような広さだったようだ。
それぞれの場所や空間にちゃんと名前まであるらしい。(カタカナ表記だった)
名前は詳しく覚えていないが、「昔のトネヤとかミャーみたいだな(ノロ祭祀に関わる場所の名前)」と思ったので、それに似た名前だったのだろうと思われる。
しかしトネヤやミャーは集落のなかにあるもので、ここは集落の外だ。ここは一体どんな聖域だったのだろうかと思うが、当時の面影を語るものはなにもない。
せめて復元図でも書いてくれたらいいのになーと思いながら、中央の囲いの空間に立って海を眺めている。
その帰りに、バス停まで帰ろうと思うが、どこにいけばバス停があるのかなーと思いながら歩いているところで目が覚めた。
不思議な夢でした。