「卑弥呼」と奄美と女神の時代
2012年09月15日
はいはい、いつものごとく根拠のないつぶやきですよ~
マクモニーグルさんの邪馬台国透視の本とDVDをついに購入しました(笑)
謎の邪馬台国発見(書籍)
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邪馬台国発見 ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学 [DVD]
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もう、目が痛くなるくらい見返してます。(笑)
それによると、ヤマト部族は中国雲南省→ベトナム→台湾→奄美に上陸して拠点を築いたのち、
奄美を出て熊本に上陸、しかし熊本は先住民の力が強く、支配はできなかったため、
最終的に長崎県・佐賀県・福岡県にまたがる有明海沿岸部から北九州・山口にかけての地域一帯を支配したといいます。
しかし、これは奄美から離れたわけではありません。以下、書籍の抜粋です。
「その沖縄(本当は奄美)も卑弥呼の部族は4世代後には船出し、今度は九州の福岡に拠点を設けている。ただし、この時点でも南西諸島の領有は続いていたということだから、部族が完全に移動したのではなく、本土へと拡大したのだ」
奄美→(4世代あと)→福岡→(2世代あと)→山口・長門(移動して3世代目に卑弥呼誕生)となっていますが、卑弥呼が育った家庭には、家族の他に、母親の両親が奄美からつれてきた老男女が一緒に生活していました。
つまり、卑弥呼の母方の祖父母は奄美出身なのです。そして卑弥呼は、いわば奄美に本拠地をもっていた部族から本土への移住組から生まれてるわけです。
卑弥呼の家は代々シャーマンとしての家系だったらしく、卑弥呼も幼少時からシャーマンになるための英才教育を施されていたといいます。
そしてこれも書籍からの引用ですが、
「「女性祭祀者がリーダー的存在となりうる伝統が、卑弥呼の部族に元々あったのか、あるいは、琉球地方の文化をとりいれたのかはわからない。しかし、この伝統はすでに奄美にいるときには完成していたといえるだろう。そしてその伝統を、卑弥呼(ヤマト部族)は本土までもってきたのだろう」
琉球にはノロ(女性神官)祭祀というものがあります。これは、一説には奄美発祥との説がありますが、
ヤマト部族も、祭祀は女性のみの集団で行っていたらしい。
これも不思議な符合です。
さて、ここからは私の憶測です。
幸福の科学の初期の霊言集・出口王仁三郎の霊示集によれば、天御中主神以前の文明は、海洋文明だったといいます。
また、子房さんのリーディングでも、ムー文明から琉球にもたらされた文明は、海洋文明だったといいます。
マクモニーグルさんによれば、まさに、ヤマト部族が海洋交易で奄美から出発して有明海沿岸、本州南西端、朝鮮半島南部沿岸まで支配していたそうです。
このヤマト部族が子房さんいわく「本来琉球にあった文化の影響をうけた部族の末裔が、その発祥の地に帰ってきた存在」だとすれば、
ヤマト部族よりもさらにさかのぼる数千年前に、それ以上の海洋交易による繁栄を琉球が中心となってもっていたことになります。
中国の雲南省の山岳民族と古代日本・現代奄美には多数の共通点があります。
これはもしかしたら、はるか古代に、
琉球と中国と日本が、文化的に非常に近いレベルの密接なかかわりを持っていたということではないでしょうか?
(もしかすると、その時代は中国と琉球と日本は陸つづきだったのかもしれません)
その文明はなんらかの事象によって、消え去ってしまったけれども、
山岳部にある部族だけが、その記憶を習俗としてとどめ、
その霊感によって、ヤマト部族が部族の発祥の地に呼ばれたのではないか。
そんな気がつよくするのです。
そしてその太古の文明こそが、
女性の霊性によって秩序を形づくっていた、太陽神信仰の時代ではないかと、私は思うのです。
もっとはっきり言ってしまえば、中国の山岳民族と奄美民族と日本の山岳王朝(高千穂国)は、元々同じ「上古代女神文明」のいきのこりではないのか?
はるか古代の大洪水で、日本は大きく海に没し、それ以前の文明の形跡はなくなりました。
その後、山間部にできた国が「高千穂の国」であり、古事記の舞台ではないかと、私は思っています。
世界一帯が大きく海面上昇してしまい、かつての同じ国の人々がバラバラになったあとも、
今度は交易によって、また霊感によって、
奄美に呼び寄せられたのではないかと、そう思っています。
これはあまりに奄美側に都合のいいお話ですが(笑)
Mさんによれば、奄美の湯湾岳はムー文明末期からの山岳信仰の聖地だったといいいます。
これが本当かはわかりませんが、
私はかつての文明の謎を解き明かすには、中国の山岳民族と奄美、邪馬台国、女神信仰、日本の山岳宗教が、
その鍵ではないかと、ひそかに思ってるのです。(笑)
おそらく奄美産が使われたであろうゴホウラ貝の腕輪が弥生時代に珍重されたのは、渦巻き模様があるからで、
渦巻き模様は同じ時代の銅鐸や銅剣、祭祀用土器にもつかわれていることから、渦巻き模様は神の力の象徴だったのだと思いますが、
南西諸島の海の力である渦巻きが、他のものにも使われていたということは、
南西諸島発祥のなんらかの信仰を意味するものではないでしょうか?
奄美は本土にとってなんらかの聖地的な位置づけにあったのではないか?
おそらく、奄美にヤマト一族がきた理由は、その辺もあるのかもしれません。
当時は日本全体が「霊力」を重んじるある種の宗教的文化をもっており、
その霊力の元になるものが、南西諸島にあったのではないか。また、その象徴の一つがゴホウラ貝などではなかったか。
寺尾玲子さんが霊視した箸墓古墳やその時代(卑弥呼よりも前の時代)の女性シャーマンの多さといい
卑弥呼の前から、女性シャーマンによる祭祀による統治が日本には各部族であり、
その発祥が南西諸島(奄美)だとすると、
古代の人々がゴホウラ貝を宝とした理由がわかる気がします。
本のなかでどうしても不思議なのは、マクモニーグルさんが「卑弥呼と天照大神を同一視」していることです。
マクモニーグルさんによれば高千穂峡は太古からの聖地で、数多くの部族からシャーマンが祭祀にきてたということです。
卑弥呼のおばーちゃん(父方か母方かは不明)も高千穂峡に祭祀にいってるので、
「ヒミコ」という称号は、もしかすると高千穂でもらう称号だったのではないだろうか?と私は思います。
やはり、「卑弥呼」が称号だと考えたら、
もしかすると、天照大御神も「ヒミコ」という称号を持っておられたのかもしれません。(もしくは天照大御神がその称号のはじまりである可能性もないわけではない)
そうすると、マクモニーグルさんが「卑弥呼」と「天照大御神」を同一人物だとしているのもわかる気がします。(笑)
あと、面白いことに気付いたのですが、卑弥呼の出身部族(ヤマト部族)がおさめていたところに、朝鮮半島南部もはいるらしいのですが、
これ、もしかして、「菊理信仰」とかさなるのではないか?と 。
私が見た北九州いのちのたび博物館では、朝鮮半島南部に、松菊理遺跡というものがあると記述がありました。
あの胸キュンな縄文中期土器の真下にその遺跡の写真がありました(笑)
ヤマト部族の神が、媛神(卑弥呼)なら、ヤマト部族の勢力が及んだ場所に、その信仰も必ずやもたらされているはずです。
ヤマト部族が奄美から本土に上陸したのち、直接支配していたのは福岡。
福岡周辺に点在する女神信仰の痕跡。
非常に面白いつながりを感じています。
女神信仰による女性神官による祭祀制度(ノロ)の発祥であるという説がある奄美。
女王であり卓越した政治家でもあった卑弥呼と、皇祖天神である天照大御神のつながり。
湯湾岳という太古よりの生態系をのこす霊山。高千穂という山中につくられた国。卑弥呼が行っていた山頂でおこなわれていた祭祀。
歴史は、どこかでつながっているのかもしれませんね。
最後に、まったく余談ですが、日本は蓬莱の国であり、中国道教思想発祥の地でもあるという説もあります。
私にきているインスピでは、中国からみた日本は「東海竜王」そのものらしいが、これはよくわかんない。たしか東海竜王は一番天帝にちかいはず。
私達が思う以上に、古代の日本は、すごい大きなスケールの叡智をもっていたのかもしれませんね。
マクモニーグルさんの邪馬台国透視の本とDVDをついに購入しました(笑)
謎の邪馬台国発見(書籍)
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それによると、ヤマト部族は中国雲南省→ベトナム→台湾→奄美に上陸して拠点を築いたのち、
奄美を出て熊本に上陸、しかし熊本は先住民の力が強く、支配はできなかったため、
最終的に長崎県・佐賀県・福岡県にまたがる有明海沿岸部から北九州・山口にかけての地域一帯を支配したといいます。
しかし、これは奄美から離れたわけではありません。以下、書籍の抜粋です。
「その沖縄(本当は奄美)も卑弥呼の部族は4世代後には船出し、今度は九州の福岡に拠点を設けている。ただし、この時点でも南西諸島の領有は続いていたということだから、部族が完全に移動したのではなく、本土へと拡大したのだ」
奄美→(4世代あと)→福岡→(2世代あと)→山口・長門(移動して3世代目に卑弥呼誕生)となっていますが、卑弥呼が育った家庭には、家族の他に、母親の両親が奄美からつれてきた老男女が一緒に生活していました。
つまり、卑弥呼の母方の祖父母は奄美出身なのです。そして卑弥呼は、いわば奄美に本拠地をもっていた部族から本土への移住組から生まれてるわけです。
卑弥呼の家は代々シャーマンとしての家系だったらしく、卑弥呼も幼少時からシャーマンになるための英才教育を施されていたといいます。
そしてこれも書籍からの引用ですが、
「「女性祭祀者がリーダー的存在となりうる伝統が、卑弥呼の部族に元々あったのか、あるいは、琉球地方の文化をとりいれたのかはわからない。しかし、この伝統はすでに奄美にいるときには完成していたといえるだろう。そしてその伝統を、卑弥呼(ヤマト部族)は本土までもってきたのだろう」
琉球にはノロ(女性神官)祭祀というものがあります。これは、一説には奄美発祥との説がありますが、
ヤマト部族も、祭祀は女性のみの集団で行っていたらしい。
これも不思議な符合です。
さて、ここからは私の憶測です。
幸福の科学の初期の霊言集・出口王仁三郎の霊示集によれば、天御中主神以前の文明は、海洋文明だったといいます。
また、子房さんのリーディングでも、ムー文明から琉球にもたらされた文明は、海洋文明だったといいます。
マクモニーグルさんによれば、まさに、ヤマト部族が海洋交易で奄美から出発して有明海沿岸、本州南西端、朝鮮半島南部沿岸まで支配していたそうです。
このヤマト部族が子房さんいわく「本来琉球にあった文化の影響をうけた部族の末裔が、その発祥の地に帰ってきた存在」だとすれば、
ヤマト部族よりもさらにさかのぼる数千年前に、それ以上の海洋交易による繁栄を琉球が中心となってもっていたことになります。
中国の雲南省の山岳民族と古代日本・現代奄美には多数の共通点があります。
これはもしかしたら、はるか古代に、
琉球と中国と日本が、文化的に非常に近いレベルの密接なかかわりを持っていたということではないでしょうか?
(もしかすると、その時代は中国と琉球と日本は陸つづきだったのかもしれません)
その文明はなんらかの事象によって、消え去ってしまったけれども、
山岳部にある部族だけが、その記憶を習俗としてとどめ、
その霊感によって、ヤマト部族が部族の発祥の地に呼ばれたのではないか。
そんな気がつよくするのです。
そしてその太古の文明こそが、
女性の霊性によって秩序を形づくっていた、太陽神信仰の時代ではないかと、私は思うのです。
もっとはっきり言ってしまえば、中国の山岳民族と奄美民族と日本の山岳王朝(高千穂国)は、元々同じ「上古代女神文明」のいきのこりではないのか?
はるか古代の大洪水で、日本は大きく海に没し、それ以前の文明の形跡はなくなりました。
その後、山間部にできた国が「高千穂の国」であり、古事記の舞台ではないかと、私は思っています。
世界一帯が大きく海面上昇してしまい、かつての同じ国の人々がバラバラになったあとも、
今度は交易によって、また霊感によって、
奄美に呼び寄せられたのではないかと、そう思っています。
これはあまりに奄美側に都合のいいお話ですが(笑)
Mさんによれば、奄美の湯湾岳はムー文明末期からの山岳信仰の聖地だったといいいます。
これが本当かはわかりませんが、
私はかつての文明の謎を解き明かすには、中国の山岳民族と奄美、邪馬台国、女神信仰、日本の山岳宗教が、
その鍵ではないかと、ひそかに思ってるのです。(笑)
おそらく奄美産が使われたであろうゴホウラ貝の腕輪が弥生時代に珍重されたのは、渦巻き模様があるからで、
渦巻き模様は同じ時代の銅鐸や銅剣、祭祀用土器にもつかわれていることから、渦巻き模様は神の力の象徴だったのだと思いますが、
南西諸島の海の力である渦巻きが、他のものにも使われていたということは、
南西諸島発祥のなんらかの信仰を意味するものではないでしょうか?
奄美は本土にとってなんらかの聖地的な位置づけにあったのではないか?
おそらく、奄美にヤマト一族がきた理由は、その辺もあるのかもしれません。
当時は日本全体が「霊力」を重んじるある種の宗教的文化をもっており、
その霊力の元になるものが、南西諸島にあったのではないか。また、その象徴の一つがゴホウラ貝などではなかったか。
寺尾玲子さんが霊視した箸墓古墳やその時代(卑弥呼よりも前の時代)の女性シャーマンの多さといい
卑弥呼の前から、女性シャーマンによる祭祀による統治が日本には各部族であり、
その発祥が南西諸島(奄美)だとすると、
古代の人々がゴホウラ貝を宝とした理由がわかる気がします。
本のなかでどうしても不思議なのは、マクモニーグルさんが「卑弥呼と天照大神を同一視」していることです。
マクモニーグルさんによれば高千穂峡は太古からの聖地で、数多くの部族からシャーマンが祭祀にきてたということです。
卑弥呼のおばーちゃん(父方か母方かは不明)も高千穂峡に祭祀にいってるので、
「ヒミコ」という称号は、もしかすると高千穂でもらう称号だったのではないだろうか?と私は思います。
やはり、「卑弥呼」が称号だと考えたら、
もしかすると、天照大御神も「ヒミコ」という称号を持っておられたのかもしれません。(もしくは天照大御神がその称号のはじまりである可能性もないわけではない)
そうすると、マクモニーグルさんが「卑弥呼」と「天照大御神」を同一人物だとしているのもわかる気がします。(笑)
あと、面白いことに気付いたのですが、卑弥呼の出身部族(ヤマト部族)がおさめていたところに、朝鮮半島南部もはいるらしいのですが、
これ、もしかして、「菊理信仰」とかさなるのではないか?と 。
私が見た北九州いのちのたび博物館では、朝鮮半島南部に、松菊理遺跡というものがあると記述がありました。
あの胸キュンな縄文中期土器の真下にその遺跡の写真がありました(笑)
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ヤマト部族が奄美から本土に上陸したのち、直接支配していたのは福岡。
福岡周辺に点在する女神信仰の痕跡。
非常に面白いつながりを感じています。
女神信仰による女性神官による祭祀制度(ノロ)の発祥であるという説がある奄美。
女王であり卓越した政治家でもあった卑弥呼と、皇祖天神である天照大御神のつながり。
湯湾岳という太古よりの生態系をのこす霊山。高千穂という山中につくられた国。卑弥呼が行っていた山頂でおこなわれていた祭祀。
歴史は、どこかでつながっているのかもしれませんね。
最後に、まったく余談ですが、日本は蓬莱の国であり、中国道教思想発祥の地でもあるという説もあります。
私にきているインスピでは、中国からみた日本は「東海竜王」そのものらしいが、これはよくわかんない。たしか東海竜王は一番天帝にちかいはず。
私達が思う以上に、古代の日本は、すごい大きなスケールの叡智をもっていたのかもしれませんね。