石垣への祈り
2012年09月18日
主エル・カンターレ 我らが父よ。
奄美の神々よ。
日本の神々よ。
どうか、石垣の、彼の地の方々が、
すこしでも、不安や恐怖から護られ、
すこしでも、心の平安を得ることができますように。
そして、沖縄のすべての人々が、
同じ琉球の同胞であり、日本の同胞が、
来たる災厄から護られますように。
私の魂は
南の島の兄弟たちと常に共にあり、
兄弟たちよ、
あなたたちの痛みは、私の痛みであり、
兄弟たちよ、
あなたたちの悲しみは、私の悲しみです。
主エル・カンターレ 天なる父よ。
奄美の神々よ。
日本の神々よ。
どうか、彼の地の方々をお護りください。
どうか、彼の地の方々の心をお護りください。
この国を蝕む「保身」と国民が求める「ヒロイズム」
2012年09月18日
私は日蓮聖人とみっしーが大好きだ。
日蓮聖人と三島由紀夫さんがどうしてあそこまで光るのかを考えるとき、
それは「不惜身命」ではなかったかと思う。
民衆から理解されず、石を投げられても、あざ笑われても、
ただひたすらに国を守ろうとし、天意を降ろそうとしたのではないか。
その「大いなる理想のために、自分になにができるのか」という純粋な気持ち、
これを、日本国民があまりに精神が敗戦にうちのめされすぎて、自らの手でつみとってしまったことが、
米国への隷属者の首輪となったのだろう。
隷属の首輪は、盲従であり、保身であり、思考停止だ。
日本は、隷属の首輪をした保身者があふれたのだ。
この時代に、私たち国民一人一人がみっしーから学ぶべきは、
「大衆に迎合するなかれ、真実を掲げ続けよ」ということにつきるのではないかと思う。
しかし、国民の心をひきつける要素が必要だ。
国民をひきつけるもの、それは「情」であり、「希望」であり、「ヒロイズム」ではないかと思う。
保身から遠く離れて、国民の希望となる道とは何か。
希望とはなにか。
伝説をつくるとはなにか。
それを考える。