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政治と宗教は高貴なものではないのか

2013年01月25日

小さい頃のことを思い出す。


よく、「政治と宗教の話をしてはいけない」と大人が言っていた。

共産党の家で育った私には、なぜ政治の話がいけないのかが理解できなかった。

すくなくとも小さな私から見た赤旗は正義と情熱を持って、政治に勇気ある発言をしていた。

奄美には当時保徳戦争というものがあった。そのせいなのかもしれないが、

政治家を選ぶとても大切な選挙で、母がいつも怯えた顔をするのが理解できなかった。

政治の話や選挙の話をすると、周りの大人は冷たい目で私を見た。

周りの大人はいつも政治の話をするとき、印象のよくない言葉をたくさん使っていた。

神棚と仏壇のある家で育った私には、なぜ宗教の話がいけないのかが理解できなかった。

神棚も仏壇もお墓も信仰で、信仰とは宗教であり、それは小さい私には至極当たり前だった。

なのに、どうして世間は宗教という言葉を毛嫌いするのかが、理解できなかった。

私の父は共産党員だったが、昔大工をしていたので、大工神の神棚をお祀りしており、

うちの母は大工道具に足を向けて寝ていて、白髪の大工神に怒鳴られるという体験もしていた(笑)

「宗教は戦争をする」というが、宗教のない国や未開の部族でも戦争をする。

なぜ宗教への悪いイメージばかりが世間にあふれているのかが、小さな私にはわからなかった。

学校で政治と宗教の話を先生に聞くと、先生は困った顔をした。

なぜ自民党がえらいのか、共産党は世間から冷たい目で見られるのか、

なぜ保岡さんは無条件にすごい人で、徳田さんは悪人だと言われるのか、

どうして自民党のことを悪く言う人がたくさんいるのに、自民党がずっと日本を動かしているのか、

なぜ宗教の話をしてはいけないのか、神様や霊の話をしたら周りは変な目で見るのか、

なぜ天皇陛下はえらいのか、

周りの大人に、それを答えてくれる人はいなかった。



政治と宗教は高貴なものであるはずだ。

どうして、それを大人はまるでふれてはいけないもののように扱うのか。

小学校三年生の私は、

そのことに、いつも胸を痛めていた。





もしも私と同じことで胸を痛めてる子供がいたら、

今、私は教えてあげたい。

政治も宗教も、すばらしい理想があって、

でも、たくさんの考え方があって、

うまくいかないことも多くて、

でも、そのすばらしい理想を、

みんなで叶えられるように、

たくさんの人が、力を合わせてがんばろうとしている、

今が、その理想を叶えるための途中なのだと。

だから、政治も宗教も、とってもすばらしいもので、

政治も宗教も、たくさんの人の幸せのために、

なくてはならないものだから、

たくさん粗があるかもしれないけど、

理想のすばらしさを、大事にしてほしいと。




ネガティブなところを強調して見るのではなく、

尊い理想に向かってそれぞれの人達が、それぞれの考えから、

一生懸命たくさんの人のために汗を流している。

そのことを、感謝できる私でありたい。

私は政治も宗教も大好きだ。





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:00Comments(0)奄美つぶやき