ヘラトリ第45号『反原発に流れる中国政府の資金』
2012年08月15日
(転載)
http://heratri-topics-jp.blogspot.jp/
去る8月12日より、幸福の科学の全国の支部・精舎で、
「『核か反核か』~清水幾太郎の霊言」
が開示された。
"清水幾太郎"という名前を聞いて、若い方は全くイメージが沸かないかもしれないが、
おそらく五十代から上の方で、思想方面に関心のあった方には、特別な郷愁を持って思い出される名前だろう。
いわゆる60年安保のときには、反米運動の理論的・精神的支柱として、左翼の安保闘争を引っ張ったにもかかわらず、
闘いに破れた後は、運動から全く離れて70年安保も素通りしていたが、1970年代後半になって、突然、劇的な"転向"を遂げ、旧ソ連、中国を徹底批判して、マルクス主義の批判に鋭く切り込み、
自らの半生(転向)を総括した自叙伝である
『わが人生の断片』(1975年)の他、
『戦後を疑う』(1980年)、
『日本よ国家たれ~核の選択』(1980年)
などを発表して、当時の日本人の度肝を抜いた。
(ちなみに、これら三冊は、いずれも文芸春秋社刊である。特に、清水幾太郎の代表作の一つになった『日本よ国家たれ~核の選択』は、同社の中で月刊「文芸春秋」と並び称された『諸君!』(80年7月号)で発表された。
嗚呼、今や三流風俗誌並みの発刊しかできない現在の文芸春秋とは、天と地ほどの違いだ。
清水幾太郎氏も、草葉の陰で泣いているだろう。)
当時大学生だった筆者は、"転向"後の清水氏の作品としか出会わなかったが、随分と啓発された。
安保闘争での敗北で、左翼の限界(問題)を嫌というほど痛感して"転向"した氏の「心の軌跡」(i.e.上述の「霊言」)は、
現代日本の、この「空気のような左翼思想」の説得に苦労している方々にとっては、大変参考になるところが多いだろう。
(ちなみに、同霊言は、9月に書籍として発刊される予定である。)
反核団体に中国政府から、国内の10倍の寄付金!
1980年という早い段階で、
「核武装という選択肢を検討せよ」
「日本は空母部隊や原子力潜水艦隊を持つべし」
「防衛費はGNPの3%は必要」
という主張を展開した慧眼(けいがん)には、驚かされるばかりだが、今日は、氏の別の論点を採り上げたい。
現在の日本で、これだけ中国政府(軍)のスパイ活動が跋扈(ばっこ)し、それについては、一部の新聞で漸く(ようやく)本格的に報道されるようになったが、それ以外にも、
「反原発運動や沖縄の米軍基地反対運動には、中国政府の工作資金が流れている」
と、関係者の間では半ば公然と語られているのに、それを真正面から報道するマスコミが、全く存在しない。
あたかもそこには完璧なタブーが存在し、
「それについては採り上げてはならない」
と、まるで「報道協定」が存在しているが如くである。
目の前の現実だけ見ると、
「これが日本社会(マスコミ)の常態なのか」
と思わず考え込んでしまいそうになるが、清水幾太郎氏の『日本よ国家たれ』を読むと、
「冗談じゃない。こんな状態は「常識」でも何でもなくて、かつてはきちんと事実を指摘する、気骨のある言論人が存在したのだ」
ということが良くわかる。
具体的に言うと、同書の中では、
「昭和38年8月6/7日付け朝日新聞に寄稿した同氏の文章を引用する形で、
『原水協(原水爆禁止日本協議会)という全国的な反核団体の「会計監査報告書」によれば、日本国内からの寄付金総額の約10倍の金額の寄付が、当時の中国政府から提供されていた』という事実」
が指摘されている。
そうなのだ!
あの頃は、こういうことをしっかり「発表」する気骨のある言論人が存在したのだ。
これに比べると、今の日本のマスコミの「ていたらく」は何としたことか。
こんな状態だから、尖閣列島にも危機を招いているのだ。
(本稿執筆中の8/15夕、「尖閣列島に中国人が上陸した」との第一報が入ってきた。)
日本の心ある言論人、マスコミ人、そして、政府関係者にも問いたい。
「真実を知っているなら、勇気を持って事実を述べよ」
と。(了)
http://heratri-topics-jp.blogspot.jp/
去る8月12日より、幸福の科学の全国の支部・精舎で、
「『核か反核か』~清水幾太郎の霊言」
が開示された。
"清水幾太郎"という名前を聞いて、若い方は全くイメージが沸かないかもしれないが、
おそらく五十代から上の方で、思想方面に関心のあった方には、特別な郷愁を持って思い出される名前だろう。
いわゆる60年安保のときには、反米運動の理論的・精神的支柱として、左翼の安保闘争を引っ張ったにもかかわらず、
闘いに破れた後は、運動から全く離れて70年安保も素通りしていたが、1970年代後半になって、突然、劇的な"転向"を遂げ、旧ソ連、中国を徹底批判して、マルクス主義の批判に鋭く切り込み、
自らの半生(転向)を総括した自叙伝である
『わが人生の断片』(1975年)の他、
『戦後を疑う』(1980年)、
『日本よ国家たれ~核の選択』(1980年)
などを発表して、当時の日本人の度肝を抜いた。
(ちなみに、これら三冊は、いずれも文芸春秋社刊である。特に、清水幾太郎の代表作の一つになった『日本よ国家たれ~核の選択』は、同社の中で月刊「文芸春秋」と並び称された『諸君!』(80年7月号)で発表された。
嗚呼、今や三流風俗誌並みの発刊しかできない現在の文芸春秋とは、天と地ほどの違いだ。
清水幾太郎氏も、草葉の陰で泣いているだろう。)
当時大学生だった筆者は、"転向"後の清水氏の作品としか出会わなかったが、随分と啓発された。
安保闘争での敗北で、左翼の限界(問題)を嫌というほど痛感して"転向"した氏の「心の軌跡」(i.e.上述の「霊言」)は、
現代日本の、この「空気のような左翼思想」の説得に苦労している方々にとっては、大変参考になるところが多いだろう。
(ちなみに、同霊言は、9月に書籍として発刊される予定である。)
反核団体に中国政府から、国内の10倍の寄付金!
1980年という早い段階で、
「核武装という選択肢を検討せよ」
「日本は空母部隊や原子力潜水艦隊を持つべし」
「防衛費はGNPの3%は必要」
という主張を展開した慧眼(けいがん)には、驚かされるばかりだが、今日は、氏の別の論点を採り上げたい。
現在の日本で、これだけ中国政府(軍)のスパイ活動が跋扈(ばっこ)し、それについては、一部の新聞で漸く(ようやく)本格的に報道されるようになったが、それ以外にも、
「反原発運動や沖縄の米軍基地反対運動には、中国政府の工作資金が流れている」
と、関係者の間では半ば公然と語られているのに、それを真正面から報道するマスコミが、全く存在しない。
あたかもそこには完璧なタブーが存在し、
「それについては採り上げてはならない」
と、まるで「報道協定」が存在しているが如くである。
目の前の現実だけ見ると、
「これが日本社会(マスコミ)の常態なのか」
と思わず考え込んでしまいそうになるが、清水幾太郎氏の『日本よ国家たれ』を読むと、
「冗談じゃない。こんな状態は「常識」でも何でもなくて、かつてはきちんと事実を指摘する、気骨のある言論人が存在したのだ」
ということが良くわかる。
具体的に言うと、同書の中では、
「昭和38年8月6/7日付け朝日新聞に寄稿した同氏の文章を引用する形で、
『原水協(原水爆禁止日本協議会)という全国的な反核団体の「会計監査報告書」によれば、日本国内からの寄付金総額の約10倍の金額の寄付が、当時の中国政府から提供されていた』という事実」
が指摘されている。
そうなのだ!
あの頃は、こういうことをしっかり「発表」する気骨のある言論人が存在したのだ。
これに比べると、今の日本のマスコミの「ていたらく」は何としたことか。
こんな状態だから、尖閣列島にも危機を招いているのだ。
(本稿執筆中の8/15夕、「尖閣列島に中国人が上陸した」との第一報が入ってきた。)
日本の心ある言論人、マスコミ人、そして、政府関係者にも問いたい。
「真実を知っているなら、勇気を持って事実を述べよ」
と。(了)
日本よ国威を示せ
2012年08月15日
メールをくださった実現党のTさん、
本当にありがとうございました。
来年は、私自身も靖国神社に参拝させていただけますようにがんばります。
実現党のみなさん、このたびは靖国神社にご参拝、本当におめでとうございます。そしてありがとうございます。
先般の韓国のイ・ミョンバク大統領の発言。
日本に何度も国家破綻の危機を救ってもらっているはずの韓国の、
その大統領が、日本と陛下をこれほど侮辱する発言をできるということに、唖然とする。
(竹島は戦後の混乱期に韓国が日本から武力で無理やり奪った土地だし、従軍慰安婦にいたっては、ちゃんと高給もらってたタダの戦時売春婦です。韓国従軍慰安婦とやらにもしも謝罪するべきだとしたら、それは日本政府ではなく、韓国政府自身です)
ここでどうか分けて考えていただきたいのは、
決して、在日韓国人の方々への差別行為にいたることがないようにしていただきたいということです。
その上で政府にお願いしたい。
日本政府は本気で韓国にたいして経済制裁を検討してほしい。
韓国も中国も、「どうせ日本はなにもできない」と思っているからこそ、下品で非常識きわまりない言動ができるのではないでしょうか。
今回の件に関して、日本政府には決してこれまでのようなぬるい対応でおさめてほしくはありません。
永住外国人地方参政権というトンデモ法案を真面目に通そうとしていた民主党ではありますでしょうが、
それでも、自虐外交はもういい加減にしていただかないと、日本には、示すべき国威というものがあるはずです。
日本はそろそろ、国威について真剣に考えるべきときなのではないでしょうか?
戦後、日本は中国と韓国に十分に先進国としてなすべきことをしてきたと思います。
それでも中国と韓国が自国の政権の安定のために自国民への目くらましとして日本を理不尽に侮辱し攻撃しつづけるなら、
日本は、それなりの態度を示すべきではないかと思います。
先の大戦もそうでしたが
日本のナショナリズムの先には、人道主義に基づいた国際貢献があります。
日本が他の国と決定的にちがうのは、
日本の民族主義は自国に盲目的に陶酔するのではなく、自国の利益のために他国から搾取するのではなく、
むしろ、神国日本の力によって他国にも日本の叡智や発展を分け与え広めたいという、
壮大な理想ではなかったかと思うのです。
中国と韓国の反日思想の迷妄を打ち祓い、アジア人としての共同体意識に目覚めていただくためにも、
どうか、今一度、アジアのリーダーとしての神国日本の国威を示していただきたい。
そう強くのぞみます。
本当にありがとうございました。
来年は、私自身も靖国神社に参拝させていただけますようにがんばります。
実現党のみなさん、このたびは靖国神社にご参拝、本当におめでとうございます。そしてありがとうございます。
先般の韓国のイ・ミョンバク大統領の発言。
日本に何度も国家破綻の危機を救ってもらっているはずの韓国の、
その大統領が、日本と陛下をこれほど侮辱する発言をできるということに、唖然とする。
(竹島は戦後の混乱期に韓国が日本から武力で無理やり奪った土地だし、従軍慰安婦にいたっては、ちゃんと高給もらってたタダの戦時売春婦です。韓国従軍慰安婦とやらにもしも謝罪するべきだとしたら、それは日本政府ではなく、韓国政府自身です)
ここでどうか分けて考えていただきたいのは、
決して、在日韓国人の方々への差別行為にいたることがないようにしていただきたいということです。
その上で政府にお願いしたい。
日本政府は本気で韓国にたいして経済制裁を検討してほしい。
韓国も中国も、「どうせ日本はなにもできない」と思っているからこそ、下品で非常識きわまりない言動ができるのではないでしょうか。
今回の件に関して、日本政府には決してこれまでのようなぬるい対応でおさめてほしくはありません。
永住外国人地方参政権というトンデモ法案を真面目に通そうとしていた民主党ではありますでしょうが、
それでも、自虐外交はもういい加減にしていただかないと、日本には、示すべき国威というものがあるはずです。
日本はそろそろ、国威について真剣に考えるべきときなのではないでしょうか?
戦後、日本は中国と韓国に十分に先進国としてなすべきことをしてきたと思います。
それでも中国と韓国が自国の政権の安定のために自国民への目くらましとして日本を理不尽に侮辱し攻撃しつづけるなら、
日本は、それなりの態度を示すべきではないかと思います。
先の大戦もそうでしたが
日本のナショナリズムの先には、人道主義に基づいた国際貢献があります。
日本が他の国と決定的にちがうのは、
日本の民族主義は自国に盲目的に陶酔するのではなく、自国の利益のために他国から搾取するのではなく、
むしろ、神国日本の力によって他国にも日本の叡智や発展を分け与え広めたいという、
壮大な理想ではなかったかと思うのです。
中国と韓国の反日思想の迷妄を打ち祓い、アジア人としての共同体意識に目覚めていただくためにも、
どうか、今一度、アジアのリーダーとしての神国日本の国威を示していただきたい。
そう強くのぞみます。
靖国神社を大切にしなければならない理由
2012年08月15日
今日は8月15日。
民主党の閣僚がどれだけ靖国神社に参拝したかはわからないが、まぁ、期待はしていない。
国を滅ぼすためにできたような政党だ。いまだに鳩山さんと菅さんを好きにさせてる時点で、もう民主党へのわずかな望みも失せている。
民主党のような政党に政権をとらせてしまったことを、私たちは、靖国の英霊に深く詫びなければならないと思う。
中国相手に天皇陛下を平然と政治利用できる(この小沢さんの大罪もいまだウヤムヤですね)民主党。
韓国大統領に侮辱を受けたと怒っているが、そもそも国内にすでに不敬はあったのだ。
さて、どうして靖国神社を大切にしなければならないのか。
これは私なりに考えた意見なので、稚拙な部分もあるかもしれないが、許していただきたい。
まず、靖国神社ホームページより、引用させていただきたい。
______
http://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html
靖国神社の起源
靖国神社の起源は明治2年(1869)6月29日に建てられた東京招魂社に遡りますが、当時の日本は、近代的統一国家として大きく生まれ変わろうとする歴史的大変革(明治維新)の過程にありました。それ以前、日本は徳川幕府の政権下にあり、約250年にわたって鎖国政策をとり海外との交流を厳しく制限していました。ところが、アメリカや西欧諸国のアジア進出に伴って日本に対する開国要求が強まると、開国派と鎖国派の対立が激化し、日本の国内は大きな混乱に陥ります。そうした危機的状況を乗り切る力を失った徳川幕府は、ついに政権を天皇に返上し、日本は新たに天皇を中心とする近代的な国づくりに向けて歩み出すこととなったのです。
しかし、そうした大変革は、一方において国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力した多くの同士の尊い命が失われる結果となりました。そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社」を創建したのです。この招魂社が今日の靖国神社の前身で、明治12年(1879)6月4日には社号が「靖国神社」と改められ別格官幣社に列せられました。
靖国神社の御祭神
靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。
靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などの神霊も祀られています(参考資料)。
このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。つまり、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しているのです。
靖国神社と日本人
我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。
______
この文を読んでくだされば、私などの拙い解釈はもはや不要とも思えるが、
靖国神社とは、私が思うに、
「神々と為政者と国民との深い絆」
の象徴なのだと思う。
日本古来の宗教である神道の最高位にある神官であり、日本の最高神・天照大神の直系子孫である為政者が、
国のために散華された国民を、深い畏敬と感謝を持って「神として祭る」と言われた。
国民は、神の直系である為政者に「神として祭られる」ということに、国と為政者への信頼を得、慰めと使命感を得る。
これのどこに、「軍国主義」の要素があるのだろう?
私は問いたい。
誰が、この鎮魂と慰霊と顕彰のための尊い神の社を、
政治利用したのだ?
誰が、その唾棄すべき政治利用に、今も屈しているのだ?
靖国神社は、A級戦犯もB級戦犯もそれ以外も、等しく祀っている。
それは、「神の元での平等」の証であり、
そもそもA級戦犯を分祀せよとの意見は、
死後までも死者を外交によって利用しまた偏見によってなじり信仰の世界にまで土足で踏み入ろうという卑しき精神に他ならない。
幸福の科学は、靖国神社とは何の関係もない。
これは、日本国民としての最低限の常識だと私は考えている。
神々と為政者と民との絆の象徴である靖国神社。
靖国神社こそは、日本そのものであり、
だからこそ、私達は、靖国の政治利用を断じて許してはならないし、
靖国神社を軍国主義と安易に結びつける、その矮小な精神に踊らされてはならないと思う。
戦中、軍人たちが「靖国で会おう」といったのは、軍国主義か?
では、軍人たちが死に際に母や妻や子の名を呼び、帰りたいと叫んだのも、軍国主義か?
靖国神社は、「死したのちにも、魂が帰ることができる場所」であったのだ。
私達は決して歴史を軽んじてはならないし、祖先を辱めてはならないと思う。
8月15日、先の大戦で散華されたすべての英霊に、また、戦没者に、鎮魂の祈りと護国の誓いを捧げる。