古代琉球と世界文明について(動画)
2013年11月16日
一万二千年前に、世界に共通していた文明とは、なんでしょうか?
宇宙人説やムー文明説はまあ置いていても、なかなか興味深いです。
わくわくですね~~~
ムー遺跡の科学調査をUGSから 紹介(沖縄に一万数千年前にあった大規模な地殻変動とムーとの関連性について)
http://www.youtube.com/watch?v=GPJlmmRIcLg
G.ハンコック博士のハイテク文明の存在についてUSSから紹介(世界遺跡にみられる一万500年前の共通点)
http://www.youtube.com/watch?v=Jciqq98ETww
歴史ミステリー 海底神殿に眠る謎の神像!!人類は世界共通の
http://www.youtube.com/watch?v=5O_aUiovYvU
海底都市と宇宙人
http://www.youtube.com/watch?v=EVbUmSj18IQ
宇宙人説やムー文明説はまあ置いていても、なかなか興味深いです。
わくわくですね~~~
ムー遺跡の科学調査をUGSから 紹介(沖縄に一万数千年前にあった大規模な地殻変動とムーとの関連性について)
http://www.youtube.com/watch?v=GPJlmmRIcLg
G.ハンコック博士のハイテク文明の存在についてUSSから紹介(世界遺跡にみられる一万500年前の共通点)
http://www.youtube.com/watch?v=Jciqq98ETww
歴史ミステリー 海底神殿に眠る謎の神像!!人類は世界共通の
http://www.youtube.com/watch?v=5O_aUiovYvU
海底都市と宇宙人
http://www.youtube.com/watch?v=EVbUmSj18IQ
湯湾岳参拝記その2 Aさん、奉納酒ありがとうございましたの巻
2013年09月21日
覚醒寝言さんですが、
「アマミさんは大丈夫なのか?」
「悪霊にやられたんじゃないか?」
「いや、動物霊じゃないか」
「統合失調症じゃないか」
「このままだと奄美の古い神の側に引っ張られるんじゃないか」
とさっそくあちこちから覚醒寝言さんがご好評いただいているようで、嬉しいかぎりです。
さて、今日は湯湾岳に参拝に行ってまいりました。
一番直近の湯湾岳参拝はこちらhttp://amamikyo.amamin.jp/e354555.html
今回の登山は、湯湾岳ではじまった和歌(「ホダカノ~~~」覚えてる人います?)のまとめ文のブログ公開と、覚醒寝言さんへのご挨拶も兼ねてですが、
覚醒寝言さんは湯湾岳でもアマンデーでもないみたいですが、まぁ、場所の目星はついてます。
そこにいく前に、湯湾岳に参拝する必要ありと判断しました。
はじめに、幸福の科学奄美拠点にて湯湾岳参拝の無事をひとり祈念。
その後、近所のぶどう館さんにて、湯湾岳参拝用の黒糖焼酎「八千代」を購入。
お酒は、そのほか、お客様A様から「奄美の神様にご奉納ください」とかねてよりお預かりしていました、京都の伏見稲荷と貴船神社のお神酒。
三つのお酒をもって車を走らせ、途中で待ち合わせをしていたZ子さんと合流。
話に花を咲かせつつ、まずマテリアの滝へ。
マテリアの滝は私の住む奄美市中心部から車で約一時間。
マテリアの滝の周辺では、以前湯湾岳参拝させていただいた時に先導をしてくれた瑠璃色のトンボがたくさん飛んでいました。
さっそく、マテリアの滝の神様に「これからさせていただく湯湾岳参拝が滞りなく無事成就いたしますように」とお祈り。
その後、新しく届いた石さん達をマテリアの滝の某所でお水に浸けさせていただきました。
(石さんの浄化&龍神様のご神気をいただく)
途中、私の石さん達をマテリアのお水に浸けてくださってるZ子さんの背中に、見たこともない美しい七色のトンボが止まっていました。
Z子さんに、「後ろ!後ろ!」と叫んでも、Z子さんは水の流れの音で私の声が聞こえなかったらしい(笑)
七色のトンボは、Z子さんの背中にしばらく止まっていましたが、その後、近くの岩に止まってZ子さんをしばらく眺めるようにしていましたが、やがて、スーッとどこかに飛んでいきました。
たくさんトンボがいましたが、七色のトンボはあのトンボだけでした。
石さんを浸けさせていただき、マテリアのお水を汲み、これで準備はオッケー!
そこから、車を走らせ、一路、湯湾岳七号目へ!(マテリアの滝から湯湾岳七号目へは車で約20分)
しばらくしてのち、湯湾岳七号目に到着。ここから先は階段。
Z子さんに一部の荷物を持っていただき、レッツゴー。
今回はトンボさんと蝶々さんたちの先導は得られず。残念(笑)
途中、【音が止む場所】にてはじめての参拝。
おそらく、雨が降ったときだけ小川になる天然の水路?だと思われ。
この音が止む一帯は、なぜか独特の強いピリピリした威圧感がします。
ちょっと怖かったのですが、でもここはおろそかにすべきでないとかねてから思っておりましたので、
今回勇気を出して水路になると思われる岩場に入り、
(よく考えたらここ、人為的に作られたんじゃないかと思うくらい岩が階段状になっている)
持ってきた紙コップにお酒(黒糖焼酎「八千代」)とお水を、水路上の岩の上にお供えして、
私はその位置より低くなるようにひざまづき、合掌。
ここでなぜか右目から嬉し涙がこぼれそうになる。(私の感情とは違うもの)
感謝の奏上ののち、いただいた和歌を奏上しようとしたんですが、ここでハプニング!
ここはネットが使えない!和歌はネット上にしか保存してない(笑)
気を取り直して、奄美の神歌「よいすら節」を奉納させていただきました。
お祈りの最中、まるで私の歌声に縄張り荒らしを警戒したのか(笑)、聞いたこともない鳥のデカい鳴き声と、デカい羽ばたきの音がしました。
私より少し離れたところで一緒にお祈りしてくださったZ子さんいわく、Z子さんにも鳥の姿は見えなかったそうです。
でもあの鳴き声と羽ばたきからして、かなりデカい鳥だと思うんですよね。どこの鳥さんだろう。
山の水路?の神様へのお祈りのあと、
Z子さんと二人、またえっこらえっこら登山再開。つるつる滑りそうになりながら、なんとか山上の拝所に到着。
まず、真ん中にある「奄美開闢の神アマミコ・シニレク」の石碑に、
うちのお客様A様から「奄美の神様にご奉納ください」といただいた京都の伏見稲荷と貴船神社のお神酒・お水をご奉納。
奄美の神様にA様(奏上のときはフルネームでお伝えさせていただきました)からいただいたお神酒であることをお伝えさせていただき、
感謝の奏上ののち、幸福の科学の経文『正心法語』を奏上・ご奉納。
お祈りの間だけ、雲の間から陽の光が綺麗に石碑の周りに降りてきて、とってもあったかくて眩しくてきもちよかったです。
(お祈りが終わったら曇り空に戻った)
ただし、石碑の右側の樹木の付近にいるらしい子鳥達のさえずりがうるせーのなんの!(笑)
すこーしだけ、気が散ってしょうがありませんでした(笑)
後ろで一緒にお祈りしてくださったZ子さんによると、
「お祈りの途中、ネコバスみたいな(笑)存在感ありありのデカイ風が、ゴーッ!と通り過ぎていった!」
とのこと。
たしかに、私の左側真横でも「ゴーッ!」というデカイ風が走り抜けました。あれ、なんなんでしょうねー。
真ん中の拝所でお祈りさせていただくと、風がいつも不思議な吹き方をします。
次に、左側の神道系の祠にお参り。こちらへのお参りははじめてです。
こちらにも、Aさんからいただいた伏見稲荷のお神酒と、お水をご奉納させていただきました。
感謝の奏上ののち、神道の祝詞『大祓詞』をご奉納させていただきました。
大祓詞の奏上なんて久々だったので、ところどころ、思い出すために数秒沈黙していました(笑)
途中、目の前の祠の「奥からこちらに向かって降りてくる子供のような足元」を見た気がしましたが、気にせず続行。
(私は目線を下げて大祓詞を奏上していたので、上は見えない)
後ろで一緒にお祈りしてくださったZ子さんによると、
「あくまでイメージだけど、すごく神様が喜んでおられる気がしたよー」とのこと。
Z子さんイメージによると、喜んでおられたのは銅剣を持った男性の神様のイメージだったとか。
(雲の上に乗っておられたそうです)
最後に、こちらもはじめてのお参りなのですが、仏教系のお堂にも参拝させていただきました。
中には左から不動明王、お大師様、地蔵菩薩の御像が並んでおられます。
いつも閉まってるはずのお堂が空いておられたので、はじめてお堂のなかを拝見することができました。
ものすごーくピリピリした威圧的な空気がお堂に満ちていて、恐縮しつつお堂の中に入り、(Z子さんは外におられた)、
お神酒とお水をご奉納させていただいたのち、仏教で最もスタンダードな『般若心経』をご奉納させていただきました。
途中まで、心臓が痛くなるくらいの威圧感を感じ、
「ああ、部外者がミーハーな気持ちで入るべきじゃなかったかもー!」と激しく申し訳ない気持ちに襲われたのですが、
般若心経をあげさせていただいている途中から、だんだん、独特のピリピリした威圧感が薄れてきたので、
「す・・・すこしだけ、お許しいただいたかな・・・・?」とホッといたしました。
後ろで一緒にお祈りしてくださったZ子さんいわく、「すごく威圧的な空気がして、私は絶対中に入るのムリって思った!」とのこと。
はじめて、湯湾岳山上の三つの拝所をすべて参拝させていただきました。
Z子さんと、今までにない清々しさに感動!!!(Z子さんとは何度か湯湾岳参拝をご一緒させていただいていました)
でも、拝所の広場は、草ぼうぼうですごいことになってました・・・・・・
今度は草刈鎌もってきて、草なぎしようねとお話しつつ、拝礼して、山上の拝所をあとにしました。
帰路を下っていると、私の頭に『ヒコサン、ヒコサン』としきりに浮かぶ。
なんじゃいヒコサンて?
海幸・山幸?それとも助さん格さん?(笑)
でもしばらく考えて、「あ!英彦山だ!」と気づく。
気づくのおせーよ!(笑)
どうも、仏教系のお堂が英彦山系でいらしたのか、それとも、私が英彦山系だと思われたかのどちらからしい。
私自身はオオサンショウウオは好きですが、英彦山は特に興味ないんですけど・・・・・。
(前世リーディングでも、修験者が見えたことはない)
帰路の中盤、一番最初に今回はじめて参拝させていただいた【音が止む場所】水路?にかかりました。
いつもはここは通りかかるたびに、かなり強烈な独特のピリピリした威圧感がするんですが、
先程お参りさせていただいたからなのか、
これまで感じたことのない、すごく優しい雰囲気が感じられました。
すべてを終えて、マテリアの滝へ。
湯湾岳参拝が無事にすんだことを、マテリアの滝の神様に感謝申し上げ、
残りのお神酒を滝壺に捧げました。
そのあと、マテリアの滝某所に浸けさせていただいた石さんたちを引き上げ、
ピカピカになった石さんたちをつれて、一路、「マテリア茶屋」へ!!!!!
驚くなかれ、マテリアの滝のすぐそばには、大和村運営のキャンプ場と食堂があるのだ!!!!(笑)
Z子さんは鶏麺(鶏飯のスープのラーメン)、私は唐揚げ定食を選択。
唐揚げは量が多いし激ウマ!!!!Z子さんも「おいしー!私は太麺好きだしサイコー!」とご満悦。
ただしここ、月曜日は休みなので気を付けよう!(笑)
すべてを終えて奄美市中心部に帰宅できたときは、14時を回っていました。
出発が10時頃だったので、軽く4時間たっていました。
でも、あっという間でした。
Z子さんと別れ、ひとり、奄美拠点に向かい、無事に今日の参拝登山が成就したことの御礼のお祈りを捧げ、
終了。
Z子さん、このたびは、本当にありがとうございました!!!!!
マテリアの滝の階段は運動不足の身体にはきついです。(笑)
「アマミさんは大丈夫なのか?」
「悪霊にやられたんじゃないか?」
「いや、動物霊じゃないか」
「統合失調症じゃないか」
「このままだと奄美の古い神の側に引っ張られるんじゃないか」
とさっそくあちこちから覚醒寝言さんがご好評いただいているようで、嬉しいかぎりです。
さて、今日は湯湾岳に参拝に行ってまいりました。
一番直近の湯湾岳参拝はこちらhttp://amamikyo.amamin.jp/e354555.html
今回の登山は、湯湾岳ではじまった和歌(「ホダカノ~~~」覚えてる人います?)のまとめ文のブログ公開と、覚醒寝言さんへのご挨拶も兼ねてですが、
覚醒寝言さんは湯湾岳でもアマンデーでもないみたいですが、まぁ、場所の目星はついてます。
そこにいく前に、湯湾岳に参拝する必要ありと判断しました。
はじめに、幸福の科学奄美拠点にて湯湾岳参拝の無事をひとり祈念。
その後、近所のぶどう館さんにて、湯湾岳参拝用の黒糖焼酎「八千代」を購入。
お酒は、そのほか、お客様A様から「奄美の神様にご奉納ください」とかねてよりお預かりしていました、京都の伏見稲荷と貴船神社のお神酒。
三つのお酒をもって車を走らせ、途中で待ち合わせをしていたZ子さんと合流。
話に花を咲かせつつ、まずマテリアの滝へ。
マテリアの滝は私の住む奄美市中心部から車で約一時間。
マテリアの滝の周辺では、以前湯湾岳参拝させていただいた時に先導をしてくれた瑠璃色のトンボがたくさん飛んでいました。
さっそく、マテリアの滝の神様に「これからさせていただく湯湾岳参拝が滞りなく無事成就いたしますように」とお祈り。
その後、新しく届いた石さん達をマテリアの滝の某所でお水に浸けさせていただきました。
(石さんの浄化&龍神様のご神気をいただく)
途中、私の石さん達をマテリアのお水に浸けてくださってるZ子さんの背中に、見たこともない美しい七色のトンボが止まっていました。
Z子さんに、「後ろ!後ろ!」と叫んでも、Z子さんは水の流れの音で私の声が聞こえなかったらしい(笑)
七色のトンボは、Z子さんの背中にしばらく止まっていましたが、その後、近くの岩に止まってZ子さんをしばらく眺めるようにしていましたが、やがて、スーッとどこかに飛んでいきました。
たくさんトンボがいましたが、七色のトンボはあのトンボだけでした。
石さんを浸けさせていただき、マテリアのお水を汲み、これで準備はオッケー!
そこから、車を走らせ、一路、湯湾岳七号目へ!(マテリアの滝から湯湾岳七号目へは車で約20分)
しばらくしてのち、湯湾岳七号目に到着。ここから先は階段。
Z子さんに一部の荷物を持っていただき、レッツゴー。
今回はトンボさんと蝶々さんたちの先導は得られず。残念(笑)
途中、【音が止む場所】にてはじめての参拝。
おそらく、雨が降ったときだけ小川になる天然の水路?だと思われ。
この音が止む一帯は、なぜか独特の強いピリピリした威圧感がします。
ちょっと怖かったのですが、でもここはおろそかにすべきでないとかねてから思っておりましたので、
今回勇気を出して水路になると思われる岩場に入り、
(よく考えたらここ、人為的に作られたんじゃないかと思うくらい岩が階段状になっている)
持ってきた紙コップにお酒(黒糖焼酎「八千代」)とお水を、水路上の岩の上にお供えして、
私はその位置より低くなるようにひざまづき、合掌。
ここでなぜか右目から嬉し涙がこぼれそうになる。(私の感情とは違うもの)
感謝の奏上ののち、いただいた和歌を奏上しようとしたんですが、ここでハプニング!
ここはネットが使えない!和歌はネット上にしか保存してない(笑)
気を取り直して、奄美の神歌「よいすら節」を奉納させていただきました。
お祈りの最中、まるで私の歌声に縄張り荒らしを警戒したのか(笑)、聞いたこともない鳥のデカい鳴き声と、デカい羽ばたきの音がしました。
私より少し離れたところで一緒にお祈りしてくださったZ子さんいわく、Z子さんにも鳥の姿は見えなかったそうです。
でもあの鳴き声と羽ばたきからして、かなりデカい鳥だと思うんですよね。どこの鳥さんだろう。
山の水路?の神様へのお祈りのあと、
Z子さんと二人、またえっこらえっこら登山再開。つるつる滑りそうになりながら、なんとか山上の拝所に到着。
まず、真ん中にある「奄美開闢の神アマミコ・シニレク」の石碑に、
うちのお客様A様から「奄美の神様にご奉納ください」といただいた京都の伏見稲荷と貴船神社のお神酒・お水をご奉納。
奄美の神様にA様(奏上のときはフルネームでお伝えさせていただきました)からいただいたお神酒であることをお伝えさせていただき、
感謝の奏上ののち、幸福の科学の経文『正心法語』を奏上・ご奉納。
お祈りの間だけ、雲の間から陽の光が綺麗に石碑の周りに降りてきて、とってもあったかくて眩しくてきもちよかったです。
(お祈りが終わったら曇り空に戻った)
ただし、石碑の右側の樹木の付近にいるらしい子鳥達のさえずりがうるせーのなんの!(笑)
すこーしだけ、気が散ってしょうがありませんでした(笑)
後ろで一緒にお祈りしてくださったZ子さんによると、
「お祈りの途中、ネコバスみたいな(笑)存在感ありありのデカイ風が、ゴーッ!と通り過ぎていった!」
とのこと。
たしかに、私の左側真横でも「ゴーッ!」というデカイ風が走り抜けました。あれ、なんなんでしょうねー。
真ん中の拝所でお祈りさせていただくと、風がいつも不思議な吹き方をします。
次に、左側の神道系の祠にお参り。こちらへのお参りははじめてです。
こちらにも、Aさんからいただいた伏見稲荷のお神酒と、お水をご奉納させていただきました。
感謝の奏上ののち、神道の祝詞『大祓詞』をご奉納させていただきました。
大祓詞の奏上なんて久々だったので、ところどころ、思い出すために数秒沈黙していました(笑)
途中、目の前の祠の「奥からこちらに向かって降りてくる子供のような足元」を見た気がしましたが、気にせず続行。
(私は目線を下げて大祓詞を奏上していたので、上は見えない)
後ろで一緒にお祈りしてくださったZ子さんによると、
「あくまでイメージだけど、すごく神様が喜んでおられる気がしたよー」とのこと。
Z子さんイメージによると、喜んでおられたのは銅剣を持った男性の神様のイメージだったとか。
(雲の上に乗っておられたそうです)
最後に、こちらもはじめてのお参りなのですが、仏教系のお堂にも参拝させていただきました。
中には左から不動明王、お大師様、地蔵菩薩の御像が並んでおられます。
いつも閉まってるはずのお堂が空いておられたので、はじめてお堂のなかを拝見することができました。
ものすごーくピリピリした威圧的な空気がお堂に満ちていて、恐縮しつつお堂の中に入り、(Z子さんは外におられた)、
お神酒とお水をご奉納させていただいたのち、仏教で最もスタンダードな『般若心経』をご奉納させていただきました。
途中まで、心臓が痛くなるくらいの威圧感を感じ、
「ああ、部外者がミーハーな気持ちで入るべきじゃなかったかもー!」と激しく申し訳ない気持ちに襲われたのですが、
般若心経をあげさせていただいている途中から、だんだん、独特のピリピリした威圧感が薄れてきたので、
「す・・・すこしだけ、お許しいただいたかな・・・・?」とホッといたしました。
後ろで一緒にお祈りしてくださったZ子さんいわく、「すごく威圧的な空気がして、私は絶対中に入るのムリって思った!」とのこと。
はじめて、湯湾岳山上の三つの拝所をすべて参拝させていただきました。
Z子さんと、今までにない清々しさに感動!!!(Z子さんとは何度か湯湾岳参拝をご一緒させていただいていました)
でも、拝所の広場は、草ぼうぼうですごいことになってました・・・・・・
今度は草刈鎌もってきて、草なぎしようねとお話しつつ、拝礼して、山上の拝所をあとにしました。
帰路を下っていると、私の頭に『ヒコサン、ヒコサン』としきりに浮かぶ。
なんじゃいヒコサンて?
海幸・山幸?それとも助さん格さん?(笑)
でもしばらく考えて、「あ!英彦山だ!」と気づく。
気づくのおせーよ!(笑)
どうも、仏教系のお堂が英彦山系でいらしたのか、それとも、私が英彦山系だと思われたかのどちらからしい。
私自身はオオサンショウウオは好きですが、英彦山は特に興味ないんですけど・・・・・。
(前世リーディングでも、修験者が見えたことはない)
帰路の中盤、一番最初に今回はじめて参拝させていただいた【音が止む場所】水路?にかかりました。
いつもはここは通りかかるたびに、かなり強烈な独特のピリピリした威圧感がするんですが、
先程お参りさせていただいたからなのか、
これまで感じたことのない、すごく優しい雰囲気が感じられました。
すべてを終えて、マテリアの滝へ。
湯湾岳参拝が無事にすんだことを、マテリアの滝の神様に感謝申し上げ、
残りのお神酒を滝壺に捧げました。
そのあと、マテリアの滝某所に浸けさせていただいた石さんたちを引き上げ、
ピカピカになった石さんたちをつれて、一路、「マテリア茶屋」へ!!!!!
驚くなかれ、マテリアの滝のすぐそばには、大和村運営のキャンプ場と食堂があるのだ!!!!(笑)
Z子さんは鶏麺(鶏飯のスープのラーメン)、私は唐揚げ定食を選択。
唐揚げは量が多いし激ウマ!!!!Z子さんも「おいしー!私は太麺好きだしサイコー!」とご満悦。
ただしここ、月曜日は休みなので気を付けよう!(笑)
すべてを終えて奄美市中心部に帰宅できたときは、14時を回っていました。
出発が10時頃だったので、軽く4時間たっていました。
でも、あっという間でした。
Z子さんと別れ、ひとり、奄美拠点に向かい、無事に今日の参拝登山が成就したことの御礼のお祈りを捧げ、
終了。
Z子さん、このたびは、本当にありがとうございました!!!!!
マテリアの滝の階段は運動不足の身体にはきついです。(笑)
ニギハヤヒの都大阪と、奄美の名瀬
2013年09月07日
出口王仁三郎が「世界の雛形が日本であり、日本の雛形は奄美」と言ってますが、
奄美を日本の雛形として見ると、一点、どうにも不可解なところがあった。
奄美で一番栄えている中心地・名瀬は、日本に照らし合わせると、なんと「大阪」にあたる場所にあるように主人と私には思えてなりません。どうも、東京ではないみたいなんですね。
これがどうにも不思議だった。
今日、ふと思い立って先代旧事本紀を調べてみると、
神武天皇よりも古い時代に、すでに近畿に王朝を築いていたニギハヤヒは、なんと大阪を都としていたという。
そしてニギハヤヒの系統が、十種神宝(とくさのかんだから)を持つ「宗教的権威」だったという事実。
(先史研究では、神武より前の王朝ということですね)
さて、なぜに奄美はニギハヤヒの時代の都の形態をそのままとどめているのでしょうか?
私は、ニギハヤヒはアマ族であったのではないかと思う。
日本は、おそらく、はるか古代から、様々な氏族の興亡があったのだろう。
一万年以上の歴史のなかで、わかっているのはたった3000年だ。
しかし、奄美がニギハヤヒの都を今もとどめる理由は、
それが、大きな一つの鍵となるのではないかと感じている。
十種神宝は、領巾と玉と剣と鏡。
女性の力の象徴がほとんどなのが面白いところ。(笑)
くっくっくっ。
Mさんより、でんごん
2013年09月06日
9月3日に、Mさんからいただいた伝言。(奄美の古い方らしい)
Mさんフィルターかかってるので、一部、Mさん的に翻訳されてます。
解読協力者もとむ。
_______
断片だがあしからず。
()内はわたしの個人的な解釈です。間違ってるかもしれないというか、方言をほとんど知らないので、できたら誰か教えてください。
アンギャのヤンバニャ… (安脚場あんきゃば集落の屋仁鼻??)
音無のなきゃしゃ
…
エッタことねーか? (入ったことないか?)
カミャマ、じっとなきゃるけん。
ヤマさうごょ~たる。
ケッパしめ~
ミャー、さげへてはあげん。
でーら、ちゃう。
しろしたゆうでもなきゃみなきゃすかん。
ヤマさ拝みんしゃい。 (神山を拝めということか?)
じゃきんに、ひとおらんわ。 (それをしていないから集落から人が減っている?)
神村?しらんか? (ノロかユタの集う村があったのか?)
ぎゃーしまうとうわ。
えげ、りぽうなうたわ
みじゅ。
ヤムグスクじきゃぃ
ひー
じっば、おらんがねが。
ミャーさげんどす。 (ミャーとは、奄美の古語で祭祀場のことか?)
入り江にすかん。
てけ~しんどす。
ミャーいげどす。
ヤミャトムリャきゃ
ヤミャにゃ
ミャーあるやろ。
ジッタ、げす
じすん…
じきに分かるだす。
御嶽、えげ~
じった、こりゃけん
みぶ、さきゃりすかん
やっぱ、ミャーけんどジッタえげんとす。
なきゃさ、あぐねがらじったすかん
ぎろりょあきんど
みっぱみよる
みぼし、えぼし、さすらひ
ヤミャさ、ミタマ
りゃぱ
さぎなんとす
りゃ、みがんどす
れけ~
ぎっば、げんだす
あぎゃ~
じっば、あがうんちゃう
貴船、縄、
あんぎゃば、船いる。
ミャー、烏帽子、アガシ、いっぺ。
げすんあがんどら
なぎゃ~
岬にゃ立神おらんがのう
だきゃ、えげ~
なきゃ、あぐ~
立派
げまりさっち
じふ
らけ~
いっぺ、繰り返しみろ。
にぎたまはよい
みっけにゃはい (和玉を早くみつけろということか?)
Mさんフィルターかかってるので、一部、Mさん的に翻訳されてます。
解読協力者もとむ。
_______
断片だがあしからず。
()内はわたしの個人的な解釈です。間違ってるかもしれないというか、方言をほとんど知らないので、できたら誰か教えてください。
アンギャのヤンバニャ… (安脚場あんきゃば集落の屋仁鼻??)
音無のなきゃしゃ
…
エッタことねーか? (入ったことないか?)
カミャマ、じっとなきゃるけん。
ヤマさうごょ~たる。
ケッパしめ~
ミャー、さげへてはあげん。
でーら、ちゃう。
しろしたゆうでもなきゃみなきゃすかん。
ヤマさ拝みんしゃい。 (神山を拝めということか?)
じゃきんに、ひとおらんわ。 (それをしていないから集落から人が減っている?)
神村?しらんか? (ノロかユタの集う村があったのか?)
ぎゃーしまうとうわ。
えげ、りぽうなうたわ
みじゅ。
ヤムグスクじきゃぃ
ひー
じっば、おらんがねが。
ミャーさげんどす。 (ミャーとは、奄美の古語で祭祀場のことか?)
入り江にすかん。
てけ~しんどす。
ミャーいげどす。
ヤミャトムリャきゃ
ヤミャにゃ
ミャーあるやろ。
ジッタ、げす
じすん…
じきに分かるだす。
御嶽、えげ~
じった、こりゃけん
みぶ、さきゃりすかん
やっぱ、ミャーけんどジッタえげんとす。
なきゃさ、あぐねがらじったすかん
ぎろりょあきんど
みっぱみよる
みぼし、えぼし、さすらひ
ヤミャさ、ミタマ
りゃぱ
さぎなんとす
りゃ、みがんどす
れけ~
ぎっば、げんだす
あぎゃ~
じっば、あがうんちゃう
貴船、縄、
あんぎゃば、船いる。
ミャー、烏帽子、アガシ、いっぺ。
げすんあがんどら
なぎゃ~
岬にゃ立神おらんがのう
だきゃ、えげ~
なきゃ、あぐ~
立派
げまりさっち
じふ
らけ~
いっぺ、繰り返しみろ。
にぎたまはよい
みっけにゃはい (和玉を早くみつけろということか?)
やっぱりエンキの民がきてました(笑)
2013年09月02日
実は、エンキの民がきてたとか、弥生文明は中東文明じゃね?というのは、半分以上私の妄想だったんですが、
これ見たら、マジでエンキでした・・・・・・ガクブル((((;゚Д゚))))
フェニキア人云々はわかりませんが、奄美にも巨人の豪傑伝説はあります。
そして、アマミキョって、そもそも奄美もごもご。
巨人伝説にサンアイイソバさんも入ってたんですね。へぇー。
まぁ、ピラミッドは全国にあるんですけど。
その起点が日本だったという説、古代ムー(もしくはもっと遡る説)、いろいろありますね。
歴史ミステリー 沖縄海底ピラミッド王国を暴く!
http://www.youtube.com/watch?v=eGh7utZnA8A
歴史ミステリー 沖縄海底ピラミッド王国・巨人の足跡を発見!
http://www.youtube.com/watch?v=0q6-a1MrPNs
歴史ミステリー 新ピラミッド発見!エジプトとの繋がりも!
http://www.youtube.com/watch?v=HfoUZ0Cx48c
これ見たら、マジでエンキでした・・・・・・ガクブル((((;゚Д゚))))
フェニキア人云々はわかりませんが、奄美にも巨人の豪傑伝説はあります。
そして、アマミキョって、そもそも奄美もごもご。
巨人伝説にサンアイイソバさんも入ってたんですね。へぇー。
まぁ、ピラミッドは全国にあるんですけど。
その起点が日本だったという説、古代ムー(もしくはもっと遡る説)、いろいろありますね。
歴史ミステリー 沖縄海底ピラミッド王国を暴く!
http://www.youtube.com/watch?v=eGh7utZnA8A
歴史ミステリー 沖縄海底ピラミッド王国・巨人の足跡を発見!
http://www.youtube.com/watch?v=0q6-a1MrPNs
歴史ミステリー 新ピラミッド発見!エジプトとの繋がりも!
http://www.youtube.com/watch?v=HfoUZ0Cx48c
女神アマミキョと豊受大神(稲荷神)のルーツ仮説
2013年08月01日
(注・この文章はあくまで私の個人的な憶測です)
某所の天照大神の神示を拝聴させていただいて、またしてもMさんのリーディングがかなり近いことに気づいた。
天照大神は神示のなかで、たしかにこうおっしゃっていた。
『九州・沖縄から中国・朝鮮に稲作が伝わった』
Mさんは、以前ここのブログ上で、太古ムー文明の継承である古代奄美琉球文明の当時、今の沖縄に当たる場所は穀倉地帯であり、首都機能は奄美北部~中部にあったと言っていた。
(Mさんによれば、霊山・湯湾岳を抱える奄美南部は、ムー文明末期からいくつかの宗教団体の聖地であったらしい。当時、湯湾岳で捧げられていた祈りは、ラ・ムー再誕の祈りだったそうです。)
子房さんとMさんの共通認識では、ムー文明の継承である奄美琉球文明から、日本と中国に文化が伝播したという。
沖縄の伝説では、「沖縄に稲作や文化を伝えたのは、北方からきたアマミ一族であり、その酋長がアマミキョだった」とされている。
現在、女神アマミキョ(奄美での女神アマミコ)は、琉球開闢の神として、また、五穀豊穣の神として敬われている。
子房さんによると、女神アマミキョは、奄美・琉球をルーツとする邪馬台国の巫女たちが、邪馬台国の滅亡によって最終的に一族のはじまりの地である奄美・琉球に逃げ落ちてきた、その生き残りの巫女たちが神格化されたのが女神アマミキョのモデルだと言う。
さて、ここから先は私のあくまで憶測ですが、
太古ムー文明の継承である古代奄美・琉球文明の時代、
そしておそらくは邪馬台国までの間、
各地に農業指導に行っていたのは、
神事を司る女性神官ではなかっただろうか。
女性神官は、龍を勧請し、豊作の祈りを行う者でもある。
ご存知ない方も多いと思いますが、古代より、稲を実らせるのは稲妻と月光であるという伝承があります。(日光じゃなくて月光なのが面白いですよね)
ここから推測するに、稲とは月と龍の恩恵がないと作れないと思われていたのではないでしょうか?
そして、古来より、月に象徴されるのは、女性の力。
稲妻を操る龍を勧請するのは、神官の祈り。
ここに、女神アマミキョ(アマミコ)と、豊受大神が繋がる気がするのは、気のせいでしょうか?
古代、五穀豊穣の神が女神であったのは、
稲作の神事が女性の領域であったということではないでしょうか?
稲は富の象徴でもあり、同時に神の恩恵の象徴でもあったのではないかと考えます。
(どうしてかというと、お酒がつくれるのも理由の一つではなかったかと思う。お酒は当時はすごく大事なものだったと思います)
よく考えたら、稲荷とウナリ(奄美方言での【姉妹】)、似てません?
え?こじつけすぎ?(笑)
稲荷神とは、国と人々の繁栄のために人生を捧げ祈りを捧げたたくさんの女神(神官)たちの、
霊力の系譜の象徴だったのかもしれませんね。
某所の天照大神の神示を拝聴させていただいて、またしてもMさんのリーディングがかなり近いことに気づいた。
天照大神は神示のなかで、たしかにこうおっしゃっていた。
『九州・沖縄から中国・朝鮮に稲作が伝わった』
Mさんは、以前ここのブログ上で、太古ムー文明の継承である古代奄美琉球文明の当時、今の沖縄に当たる場所は穀倉地帯であり、首都機能は奄美北部~中部にあったと言っていた。
(Mさんによれば、霊山・湯湾岳を抱える奄美南部は、ムー文明末期からいくつかの宗教団体の聖地であったらしい。当時、湯湾岳で捧げられていた祈りは、ラ・ムー再誕の祈りだったそうです。)
子房さんとMさんの共通認識では、ムー文明の継承である奄美琉球文明から、日本と中国に文化が伝播したという。
沖縄の伝説では、「沖縄に稲作や文化を伝えたのは、北方からきたアマミ一族であり、その酋長がアマミキョだった」とされている。
現在、女神アマミキョ(奄美での女神アマミコ)は、琉球開闢の神として、また、五穀豊穣の神として敬われている。
子房さんによると、女神アマミキョは、奄美・琉球をルーツとする邪馬台国の巫女たちが、邪馬台国の滅亡によって最終的に一族のはじまりの地である奄美・琉球に逃げ落ちてきた、その生き残りの巫女たちが神格化されたのが女神アマミキョのモデルだと言う。
さて、ここから先は私のあくまで憶測ですが、
太古ムー文明の継承である古代奄美・琉球文明の時代、
そしておそらくは邪馬台国までの間、
各地に農業指導に行っていたのは、
神事を司る女性神官ではなかっただろうか。
女性神官は、龍を勧請し、豊作の祈りを行う者でもある。
ご存知ない方も多いと思いますが、古代より、稲を実らせるのは稲妻と月光であるという伝承があります。(日光じゃなくて月光なのが面白いですよね)
ここから推測するに、稲とは月と龍の恩恵がないと作れないと思われていたのではないでしょうか?
そして、古来より、月に象徴されるのは、女性の力。
稲妻を操る龍を勧請するのは、神官の祈り。
ここに、女神アマミキョ(アマミコ)と、豊受大神が繋がる気がするのは、気のせいでしょうか?
古代、五穀豊穣の神が女神であったのは、
稲作の神事が女性の領域であったということではないでしょうか?
稲は富の象徴でもあり、同時に神の恩恵の象徴でもあったのではないかと考えます。
(どうしてかというと、お酒がつくれるのも理由の一つではなかったかと思う。お酒は当時はすごく大事なものだったと思います)
よく考えたら、稲荷とウナリ(奄美方言での【姉妹】)、似てません?
え?こじつけすぎ?(笑)
稲荷神とは、国と人々の繁栄のために人生を捧げ祈りを捧げたたくさんの女神(神官)たちの、
霊力の系譜の象徴だったのかもしれませんね。
【子房さん】ムー大陸の真実 古代日本の巨石文明の秘密と潮干玉・潮満玉
2013年07月30日
子房さん、このたびは、すごい記事を書いていただき、まことにありがとうございました!!!!
(;ω;)
そして、この子房さんのお話と合致するお話を、当ブログの重鎮・Mさんが、以前リーディングしてくださってました!
みなさん、覚えておられます?
子房さんのこの記事を拝読しますと、これは私の感想なのですが、
奄美がそのルーツであるともいわれる琉球神道(女性神官による宗教統治)は、古代ムーがそのルーツであると感じました。
そう言われたらそうですよね。古代中東にも古代中国にも、、女性神官を長とする宗教機能はありませんでしたから。
古代ムー文明の継承である古代奄美・琉球文明が、どのような形で日本と中国にひろがり、どのような形で終焉を迎えたのか。
その歴史も、願わくば、子房さんに紐解いていただけることを心からお願い申し上げます!!!!
m(_ _)m(T ^ T)
_______
http://japan-spiritual.blogspot.jp/2013/07/blog-post_29.html
ムー大陸の真実 古代日本の巨石文明の秘密と潮干玉・潮満玉
ムー大陸の末期には、女王が宗教的な指導者として立ち、その男兄弟が政治的な指導者としていました
政治的な力が大きな影響力を持つようになり、次第に古い宗教勢力を弾圧するようになります
日増しに強くなってくる圧力から逃れて、ムー大陸から離れる一団があります
その集団は、古代の奄美・沖縄に続く細長い島に到着します
彼らには隠された秘密がありました
単に逃れてきたのではなく、ある目的を達成するためでもあります
彼らは再臨派とも呼ぶべき集団で、ラ・ムーと呼ばれるムーの救世主であり指導者が再臨することを待ち望むものたちです
そして待ち望むだけでなく、再臨のための地を整える目的も持っていました
ムーからの技術の一つに、物質と共鳴する振動を出して、その物質を重くしたり軽くしたりする技術があります
岩に振動を与えると、その岩が軽くなって持てたり、加工することが出来ます
また海水に共鳴させる振動を出すと、潮を満ちたり干せたりできます
これが潮を操る日本神話の潮干玉・潮満玉の元になったのだとおもいます
ムー大陸ではこれを用いた巨大建造物の建設や、海上を滑るように走る船の技術に使われました
これを用いて、移住先の島では巨石文明ができました
奄美・沖縄の細長い島だけではなく、古代の日本列島全体に及び、打ち捨てられた巨石文明の名残が全国にあります
これは文明としてあったのですが、全国に巨石を配した理由は、日本列島全体に超巨大な結界をはることにありました
日本列島を包むように巨石で結界をはり、ラ・ムーの再臨に備えたのです
(;ω;)
そして、この子房さんのお話と合致するお話を、当ブログの重鎮・Mさんが、以前リーディングしてくださってました!
みなさん、覚えておられます?
子房さんのこの記事を拝読しますと、これは私の感想なのですが、
奄美がそのルーツであるともいわれる琉球神道(女性神官による宗教統治)は、古代ムーがそのルーツであると感じました。
そう言われたらそうですよね。古代中東にも古代中国にも、、女性神官を長とする宗教機能はありませんでしたから。
古代ムー文明の継承である古代奄美・琉球文明が、どのような形で日本と中国にひろがり、どのような形で終焉を迎えたのか。
その歴史も、願わくば、子房さんに紐解いていただけることを心からお願い申し上げます!!!!
m(_ _)m(T ^ T)
_______
http://japan-spiritual.blogspot.jp/2013/07/blog-post_29.html
ムー大陸の真実 古代日本の巨石文明の秘密と潮干玉・潮満玉
ムー大陸の末期には、女王が宗教的な指導者として立ち、その男兄弟が政治的な指導者としていました
政治的な力が大きな影響力を持つようになり、次第に古い宗教勢力を弾圧するようになります
日増しに強くなってくる圧力から逃れて、ムー大陸から離れる一団があります
その集団は、古代の奄美・沖縄に続く細長い島に到着します
彼らには隠された秘密がありました
単に逃れてきたのではなく、ある目的を達成するためでもあります
彼らは再臨派とも呼ぶべき集団で、ラ・ムーと呼ばれるムーの救世主であり指導者が再臨することを待ち望むものたちです
そして待ち望むだけでなく、再臨のための地を整える目的も持っていました
ムーからの技術の一つに、物質と共鳴する振動を出して、その物質を重くしたり軽くしたりする技術があります
岩に振動を与えると、その岩が軽くなって持てたり、加工することが出来ます
また海水に共鳴させる振動を出すと、潮を満ちたり干せたりできます
これが潮を操る日本神話の潮干玉・潮満玉の元になったのだとおもいます
ムー大陸ではこれを用いた巨大建造物の建設や、海上を滑るように走る船の技術に使われました
これを用いて、移住先の島では巨石文明ができました
奄美・沖縄の細長い島だけではなく、古代の日本列島全体に及び、打ち捨てられた巨石文明の名残が全国にあります
これは文明としてあったのですが、全国に巨石を配した理由は、日本列島全体に超巨大な結界をはることにありました
日本列島を包むように巨石で結界をはり、ラ・ムーの再臨に備えたのです
湯湾岳参拝記
2013年06月17日
先日、Hさん、Hさんのお子さんお二人、Tさん、私の五人で湯湾岳参拝に行って参りました。
空には龍神様の雲が大きくかかり、とってもいいお天気。
まず、マテリアの滝に寄り、禊(手を洗う)ののち、マテリアの滝に集われる神々に、湯湾岳参拝が何事に成就できますようにとお祈りを捧げ、あとで山上の拝所で使うお水をペットボトルに汲みいただきました。
その後、数分車を走らせ、湯湾岳七号目駐車場に到着。
階段前に置いてあるどなたかがつくってくださっている登山棒を手に、いざ出発!
(ちなみに私が先頭(笑))
私は何度も湯湾岳に登っているのですが、
この季節だからでしょうか?今回はじめて、不思議なことに、
登っている間、ずっと、美しい蝶や美しいトンボがかわるがわるまるで先導するかのように、目の前を飛んでくれました。
おかげで疲れも感じず、山上の拝所まで向かうことができました。蝶さん、トンボさん、ありがとー!!!
山上の拝所までの間、代わる代わる現れた、かわいいトンボさん。
リュウキュウハグロトンボさんだそうです。

そしてもう一つ、いつもと違うことが。
あの、分かる人は分かる【音が止まる場所】、いつもよりも広範囲の音が止まってました。
というより、今回は、あのゾーンから、下山まで、ずっと、周りの音が止まってたような。
いつもの圧迫感はありませんでしたが、いつもより広範囲にわたって音がやんだので、少し不思議でした。
なんでしょうね。あの独特の感覚は。
山上の拝所に着き、
megamiyamaさんから「奄美の神様に捧げてください」とお預かりしました伊勢神宮のお神酒を箱から出すと、
なんと!!!趣のある陶器の酒器に、ビール栓がしているではないか!!!!
伊勢神宮おそるべし!!!(笑)
しかし、栓抜きなど用意しているはずもないので、「もうフタ開けなくてもそのまま奉納しちゃう?」と私がつぶやいたら、
Hさんの娘さん(ちょっと霊的なお子さん)が一言。
「《開けろ》って言ってる」
あ、すいません、そうですよね。申し訳ありませんでした。(笑) ちゃんと見られてます、はい。
そうこうしてるうちに、Hさんが鍵を使ってテコの原理で栓抜きに成功!!!
Hさん、ありがとうございました!(;ω;)
お神酒が開けば、あとは奉納するだけ!
中央の「奄美開闢二神アマミコ・シニレク」を祀る石碑前の器をとり、マテリアの滝で汲んできたお水で器を濯ぎ、
そこにお神酒とお水をなみなみと注ぎ、石碑の前にお供えし、
みなさんで合掌し、私の方から、参拝者五名のお名前と、奉納酒の奉納者であるmegamiyamaさんの本名をお伝えし、奄美の神様に感謝を捧げさせていただきました。
その後、私が言いだしっぺで、「どうせなら頂上いこうぜ!」
そして五人でぞろぞろと頂上へ。(笑)
頂上から少し進んだところから見る加計呂麻島は、とっても眺めがよく、奄美の広さ、山並みの美しさに笑顔が浮かびました。
その後、下山し、もう一度マテリアの滝へ。
マテリアの滝の神々に、湯湾岳参拝が無事終了したことの御礼を述べて、残りのお神酒を滝壺に注いで捧げました。
そして私達一行は、不思議な光景を発見!!!
なんと!!!
マテリアの滝階段下入口左側で!!!!
グラビア撮影をしていたぁあああああああああ!!!(笑)
はじめてグラビア撮影の現場にでくわしました。(笑)
でも、あの水着のおねーちゃん、寒くなかったかなぁ。川の水は夏でも冷たいですぞよ。
湯湾岳はとっても気持ちのいい場所です!
ただし、これからの季節、虫除けスプレーは必須です!(笑)
Hさんのお嬢ちゃん、蚊に噛まれまくってました。
また湯湾岳にいくぞー!!!!!
megamiyamaさん、このたびは、本当にありがとうございました!!!!
(;ω;)
空には龍神様の雲が大きくかかり、とってもいいお天気。
まず、マテリアの滝に寄り、禊(手を洗う)ののち、マテリアの滝に集われる神々に、湯湾岳参拝が何事に成就できますようにとお祈りを捧げ、あとで山上の拝所で使うお水をペットボトルに汲みいただきました。
その後、数分車を走らせ、湯湾岳七号目駐車場に到着。
階段前に置いてあるどなたかがつくってくださっている登山棒を手に、いざ出発!
(ちなみに私が先頭(笑))
私は何度も湯湾岳に登っているのですが、
この季節だからでしょうか?今回はじめて、不思議なことに、
登っている間、ずっと、美しい蝶や美しいトンボがかわるがわるまるで先導するかのように、目の前を飛んでくれました。
おかげで疲れも感じず、山上の拝所まで向かうことができました。蝶さん、トンボさん、ありがとー!!!
山上の拝所までの間、代わる代わる現れた、かわいいトンボさん。
リュウキュウハグロトンボさんだそうです。

そしてもう一つ、いつもと違うことが。
あの、分かる人は分かる【音が止まる場所】、いつもよりも広範囲の音が止まってました。
というより、今回は、あのゾーンから、下山まで、ずっと、周りの音が止まってたような。
いつもの圧迫感はありませんでしたが、いつもより広範囲にわたって音がやんだので、少し不思議でした。
なんでしょうね。あの独特の感覚は。
山上の拝所に着き、
megamiyamaさんから「奄美の神様に捧げてください」とお預かりしました伊勢神宮のお神酒を箱から出すと、
なんと!!!趣のある陶器の酒器に、ビール栓がしているではないか!!!!
伊勢神宮おそるべし!!!(笑)
しかし、栓抜きなど用意しているはずもないので、「もうフタ開けなくてもそのまま奉納しちゃう?」と私がつぶやいたら、
Hさんの娘さん(ちょっと霊的なお子さん)が一言。
「《開けろ》って言ってる」
あ、すいません、そうですよね。申し訳ありませんでした。(笑) ちゃんと見られてます、はい。
そうこうしてるうちに、Hさんが鍵を使ってテコの原理で栓抜きに成功!!!
Hさん、ありがとうございました!(;ω;)
お神酒が開けば、あとは奉納するだけ!
中央の「奄美開闢二神アマミコ・シニレク」を祀る石碑前の器をとり、マテリアの滝で汲んできたお水で器を濯ぎ、
そこにお神酒とお水をなみなみと注ぎ、石碑の前にお供えし、
みなさんで合掌し、私の方から、参拝者五名のお名前と、奉納酒の奉納者であるmegamiyamaさんの本名をお伝えし、奄美の神様に感謝を捧げさせていただきました。
その後、私が言いだしっぺで、「どうせなら頂上いこうぜ!」
そして五人でぞろぞろと頂上へ。(笑)
頂上から少し進んだところから見る加計呂麻島は、とっても眺めがよく、奄美の広さ、山並みの美しさに笑顔が浮かびました。
その後、下山し、もう一度マテリアの滝へ。
マテリアの滝の神々に、湯湾岳参拝が無事終了したことの御礼を述べて、残りのお神酒を滝壺に注いで捧げました。
そして私達一行は、不思議な光景を発見!!!
なんと!!!
マテリアの滝階段下入口左側で!!!!
グラビア撮影をしていたぁあああああああああ!!!(笑)
はじめてグラビア撮影の現場にでくわしました。(笑)
でも、あの水着のおねーちゃん、寒くなかったかなぁ。川の水は夏でも冷たいですぞよ。
湯湾岳はとっても気持ちのいい場所です!
ただし、これからの季節、虫除けスプレーは必須です!(笑)
Hさんのお嬢ちゃん、蚊に噛まれまくってました。
また湯湾岳にいくぞー!!!!!
megamiyamaさん、このたびは、本当にありがとうございました!!!!
(;ω;)
奄美発東アジア行き始発環状線としての立神
2013年04月07日
なぜ奄美には島を取り囲むようにして立神があり、
しかし本土には数えるほどしかないのか?
その理由を、個人的に考えてみたんです。
ずばり、立神とは「古代海人(アマ)族の当時の勢力範囲」を示すものではないだろうか?
私が思うに、立神とは、交易のための潮流線路の駅ではないかと推測を立ててみました。
ではどうして奄美大島を取り囲むように立神があるのか?
もしかすると、現在の東京の線路網と同じではないだろうか?
奄美の立神は環状線(山手線)だと感じました。
そして、環状線の各駅から、いろいろな路線の電車が走るように、
その終着駅が、日本本土や台湾、朝鮮、中国、あちこちの地方都市の港ではないかと私は感じています。
そして「しおひるたま、しおみつたま」とは、
それぞれが磁石のS極とN極のような引力を持っていて、
それが立神に埋め込まれていて、航路が非常にスムーズになっていたのではないかと。
ということは、もしかするとしおみつたま、しおひるたまは奄美の鉱物である可能性もありますね。
(あくまで憶測ですよ。憶測。)
もう一つのキーワード「盤座としての立神」に関しては、もう少し考えを煮詰めてみたいと思います。
しかしおそらく、日本各地にある信仰の聖地(山頂や山間部)におかれた巨石や盤座と、
海の立神は無関係ではないと私は思うのです。
山頂や山間部の「山のエネルギー」と「海のエネルギー」を結びつける理由とはどこにあったのか。
信仰のエネルギーを当時の人々はどのようにして物理的なエネルギーに変換したのか。
立神や盤座はただの象徴ではなく、おそらくはエネルギーを変換・中継するための「装置」ではなかったか。
そこに「龍神=女神」が関わるのではないかと私は考えています。
そして、その技術を持っていたのが、古代の奄美の民ではなかったか。
想像はかぎりなくひろがります。
早く、奄美から遺跡がでますように!!!!!
しかし本土には数えるほどしかないのか?
その理由を、個人的に考えてみたんです。
ずばり、立神とは「古代海人(アマ)族の当時の勢力範囲」を示すものではないだろうか?
私が思うに、立神とは、交易のための潮流線路の駅ではないかと推測を立ててみました。
ではどうして奄美大島を取り囲むように立神があるのか?
もしかすると、現在の東京の線路網と同じではないだろうか?
奄美の立神は環状線(山手線)だと感じました。
そして、環状線の各駅から、いろいろな路線の電車が走るように、
その終着駅が、日本本土や台湾、朝鮮、中国、あちこちの地方都市の港ではないかと私は感じています。
そして「しおひるたま、しおみつたま」とは、
それぞれが磁石のS極とN極のような引力を持っていて、
それが立神に埋め込まれていて、航路が非常にスムーズになっていたのではないかと。
ということは、もしかするとしおみつたま、しおひるたまは奄美の鉱物である可能性もありますね。
(あくまで憶測ですよ。憶測。)
もう一つのキーワード「盤座としての立神」に関しては、もう少し考えを煮詰めてみたいと思います。
しかしおそらく、日本各地にある信仰の聖地(山頂や山間部)におかれた巨石や盤座と、
海の立神は無関係ではないと私は思うのです。
山頂や山間部の「山のエネルギー」と「海のエネルギー」を結びつける理由とはどこにあったのか。
信仰のエネルギーを当時の人々はどのようにして物理的なエネルギーに変換したのか。
立神や盤座はただの象徴ではなく、おそらくはエネルギーを変換・中継するための「装置」ではなかったか。
そこに「龍神=女神」が関わるのではないかと私は考えています。
そして、その技術を持っていたのが、古代の奄美の民ではなかったか。
想像はかぎりなくひろがります。
早く、奄美から遺跡がでますように!!!!!
クチイレの話・その2 祖母のと母の知り合いの話
2013年02月28日
先の日記で書いたクチイレ(クチタブェとも言う。奄美に伝わる言霊を使った霊術。病気治療や生活に役立つもの、はては呪詛までその種類は多岐にわたる。近年はほとんど残っていない)について、母からこんな話をきいた。
祖母は生前、特に母が小さい頃、よくこんなことを言っていたという。
「○○には人にあげるお茶にクチイレ(この場合はおそらく呪詛)をする人がいるから、あそこでお茶を飲むときは気をつけなさい」
「クチイレされているお茶は、いつまでもくるくる回っているから、よくお茶を見て、
もしもクチイレされてると思ったら、出された湯呑の欠けてるところから飲みなさい。
もしも出された湯呑に欠けてるところがなければ、自分のひとさし指をくの字に曲げて湯呑の内側に指をかけながら飲みなさい。
そうすればクチ(込められた言霊)が、体のなかに入ってこないから」
さて、ここからはあくまで私の憶測だが、
おそらく訪れた客人へのお茶に呪詛のクチイレをする人というのは、
自分のケガレをクチという形でお茶にいれて人に飲ませることで、人に自分のケガレを肩代わりさせているつもりなのではないかと思う。
また、母はユタの知り合いから、昔こうも聞いたらしい。
「(呪詛の)クチイレによって体を壊す人は実はみんなが思っているよりもはるかに多い。
その場合、病院にかかっても治らないので、クチイレができる人に、それが(呪詛の)クチが原因であると見抜いてもらう必要がある。
早めにクチイレできる人間に見つけてもらえたらいいが、それが遅いと死に至ることもよくある。
自分のところに相談にきた人のなかにも、何人かの人が(呪詛の)クチイレによって原因不明の病気に苦しんでいた。
(呪詛の)クチイレをされていることを伝えると、ほとんどの人は「返してほしい」と言ってくるが、心ある人は、「できるならここで収めて、終わりにしてほしい」と言ってくる。自分は相談者の望むとおりにする。
(呪詛の)クチイレを返したあとの話もいくつかきいたが、相手はただじゃ済んでいない。
人を呪わば穴二つ。人を呪う人は、そういう末路をたどる」
生活を便利にし、病気を治し、しかし悪用すれば強い呪詛にもなるクチ(言霊)。
人を幸せにするクチを使いたいですね。
それは、目に見えないだけで、今もわたし達の日常のなかにたしかにあるのかもしれません。
言霊には力が宿る。その力を、誰のために、何のために使うのか。
それを今一度振り返る機会としたいと思います。
追伸
このクチというものは、呼び方を変えて奄美のみならず日本全国にあるそうです。
奄美だけが特別なわけではありません。
また、このクチは、現在ほとんど使える人はいません。
奄美にくるとクチに関わるなど、変な誤解をされないようにご注意ください。
祖母は生前、特に母が小さい頃、よくこんなことを言っていたという。
「○○には人にあげるお茶にクチイレ(この場合はおそらく呪詛)をする人がいるから、あそこでお茶を飲むときは気をつけなさい」
「クチイレされているお茶は、いつまでもくるくる回っているから、よくお茶を見て、
もしもクチイレされてると思ったら、出された湯呑の欠けてるところから飲みなさい。
もしも出された湯呑に欠けてるところがなければ、自分のひとさし指をくの字に曲げて湯呑の内側に指をかけながら飲みなさい。
そうすればクチ(込められた言霊)が、体のなかに入ってこないから」
さて、ここからはあくまで私の憶測だが、
おそらく訪れた客人へのお茶に呪詛のクチイレをする人というのは、
自分のケガレをクチという形でお茶にいれて人に飲ませることで、人に自分のケガレを肩代わりさせているつもりなのではないかと思う。
また、母はユタの知り合いから、昔こうも聞いたらしい。
「(呪詛の)クチイレによって体を壊す人は実はみんなが思っているよりもはるかに多い。
その場合、病院にかかっても治らないので、クチイレができる人に、それが(呪詛の)クチが原因であると見抜いてもらう必要がある。
早めにクチイレできる人間に見つけてもらえたらいいが、それが遅いと死に至ることもよくある。
自分のところに相談にきた人のなかにも、何人かの人が(呪詛の)クチイレによって原因不明の病気に苦しんでいた。
(呪詛の)クチイレをされていることを伝えると、ほとんどの人は「返してほしい」と言ってくるが、心ある人は、「できるならここで収めて、終わりにしてほしい」と言ってくる。自分は相談者の望むとおりにする。
(呪詛の)クチイレを返したあとの話もいくつかきいたが、相手はただじゃ済んでいない。
人を呪わば穴二つ。人を呪う人は、そういう末路をたどる」
生活を便利にし、病気を治し、しかし悪用すれば強い呪詛にもなるクチ(言霊)。
人を幸せにするクチを使いたいですね。
それは、目に見えないだけで、今もわたし達の日常のなかにたしかにあるのかもしれません。
言霊には力が宿る。その力を、誰のために、何のために使うのか。
それを今一度振り返る機会としたいと思います。
追伸
このクチというものは、呼び方を変えて奄美のみならず日本全国にあるそうです。
奄美だけが特別なわけではありません。
また、このクチは、現在ほとんど使える人はいません。
奄美にくるとクチに関わるなど、変な誤解をされないようにご注意ください。
「クチイレ」あのユタの話~石橋和夫さんから
2013年02月28日
私のプロフィールにもある、ユタのSおばさんのお話。
本日、石橋和夫さん(幸福の科学の会員さん)からうかがった、聞きたてホヤホヤです。(笑)
念のため、Sおばさんは幸福の科学とは何の関係もありません。
このSおばさんのエピソードはいろいろ書いてきたが、
○徳田虎雄さんの選挙三回目に、湯湾岳に必勝祈願にのぼり「今回の選挙、○○○票差で徳田が勝つと神様が言ってるよ」
(数日後、的中)
○石橋さんがどの経路を通ってきたか、どの道を通って帰るか、誰に会ったか、説明しなくても全部知っている(誰から邪気をもらった、どの道で邪気を拾ったなど、正確に指摘されてお祓いを受ける)
○テレビを見て石橋さんが心のなかで天皇陛下に毒づくとその瞬間くるっと振り返り「石橋さん、そんな事思ったらいかんよ。天皇は神様なのよ」
(他人の心の中の思いは全部聞こえるらしい)
これまでのエピソードも強烈ですが、今日うかがったこの話もまた強烈でした。(笑)
もう数十年前、まだ石橋さんが幸福の科学の名前も知らないときのお話。
ある日、石橋さんのおうちを訪れたSおばさん、険しい顔をして怒った。
「あんた、クチイレされたね?なんというところに住んでるの!このままだと死ぬよ!」
知らない人も多いが、奄美には『クチ』と呼ばれる一種の呪文(言霊)が古くから伝わっており、
病気直しのクチや災いをヨケるクチ、蜂を操ってはちみつを採りやすくするクチなど、生活に役立つたくさんのクチがあるが、その中のごく一部として、人を呪詛するクチもある。
昔は医者のいない時代、集落に必ず数人はいたクチイレができる人に、病気を治してもらっていたという人も数多い。
うちの父も、幼い頃、ユタだった叔母さんにクチイレで水疱瘡を治してもらったという経験を持つ。
今現在ではほとんどこのクチを扱える人はいないが、希に扱える人がいるらしい。
Sおばさんによると、石橋さんの家に、呪詛のクチイレがされているという。
「○○日に、○○という人を泊めてるでしょ。その時にこの人がクチイレをしてる。
あんたはこの人を友達だと思ってるけど、こいつはあんたに嫉妬して最低なクチイレをしてるよ。
早く祓わないと」
もちろん、Sおばさんにはそんな友人がいることも、数日前に家に泊めたことも、まったく説明していない。Sおばさんにはすべてがはじめからバレバレなのだ。
Sおばさんは石橋さんの家の押入れを開けると、数組ある布団のうち一つを取り、
「これに○○を寝かせたでしょ。これがクチイレされてる。これを残してはいけない。燃やさないと」
(もちろん説明していない。Sおばさんの言ったとおりだったらしい)
そのまま庭に引っ張り出し、火をつけて燃やした。
そして「家を祓わないといけない」
と言うと、なにやらブツブツ唱えながら、家中に塩をまく。
特にトイレには念入りに塩がまかれていたらしい(笑)
最後にSおばさんは、庭に出ると、ある場所に土盛りをつくり、そこに線香を三本立てたという。
「今から○○から石橋さんにかけられたクチをこの線香に集めて全部燃やすからね。」
Sおばさんによると、これは《クチを返す》のではなく、《ここで終わりにする》というやり方だという。
(誰でもできるわけではないと思いますので、真似しないようにしてください)
線香に火をつけると、突然雨が降り始めた。
「見ててごらん、この線香の火は、どんなに雨が降っても消えないから」
Sおばさんの言う通り、雨の勢いは決して弱くなかったにもかかわらず、何故なのか、線香はまったく濡れず、最後まで燃え尽きたのだという。
その後、石橋さんにクチイレをしたとされる○○という人がどうなったかは、ここには書かない。
人は、清い心で生きるのが一番なんだなと思います。
Sおばさん、超おそるべし・・・・・・
ガクブル((((;゚Д゚))))・・・・・
しかしSおばさんに守られてきた石橋さんは、本当に徳のある人だったんだろうなーと思います。
本日、石橋和夫さん(幸福の科学の会員さん)からうかがった、聞きたてホヤホヤです。(笑)
念のため、Sおばさんは幸福の科学とは何の関係もありません。
このSおばさんのエピソードはいろいろ書いてきたが、
○徳田虎雄さんの選挙三回目に、湯湾岳に必勝祈願にのぼり「今回の選挙、○○○票差で徳田が勝つと神様が言ってるよ」
(数日後、的中)
○石橋さんがどの経路を通ってきたか、どの道を通って帰るか、誰に会ったか、説明しなくても全部知っている(誰から邪気をもらった、どの道で邪気を拾ったなど、正確に指摘されてお祓いを受ける)
○テレビを見て石橋さんが心のなかで天皇陛下に毒づくとその瞬間くるっと振り返り「石橋さん、そんな事思ったらいかんよ。天皇は神様なのよ」
(他人の心の中の思いは全部聞こえるらしい)
これまでのエピソードも強烈ですが、今日うかがったこの話もまた強烈でした。(笑)
もう数十年前、まだ石橋さんが幸福の科学の名前も知らないときのお話。
ある日、石橋さんのおうちを訪れたSおばさん、険しい顔をして怒った。
「あんた、クチイレされたね?なんというところに住んでるの!このままだと死ぬよ!」
知らない人も多いが、奄美には『クチ』と呼ばれる一種の呪文(言霊)が古くから伝わっており、
病気直しのクチや災いをヨケるクチ、蜂を操ってはちみつを採りやすくするクチなど、生活に役立つたくさんのクチがあるが、その中のごく一部として、人を呪詛するクチもある。
昔は医者のいない時代、集落に必ず数人はいたクチイレができる人に、病気を治してもらっていたという人も数多い。
うちの父も、幼い頃、ユタだった叔母さんにクチイレで水疱瘡を治してもらったという経験を持つ。
今現在ではほとんどこのクチを扱える人はいないが、希に扱える人がいるらしい。
Sおばさんによると、石橋さんの家に、呪詛のクチイレがされているという。
「○○日に、○○という人を泊めてるでしょ。その時にこの人がクチイレをしてる。
あんたはこの人を友達だと思ってるけど、こいつはあんたに嫉妬して最低なクチイレをしてるよ。
早く祓わないと」
もちろん、Sおばさんにはそんな友人がいることも、数日前に家に泊めたことも、まったく説明していない。Sおばさんにはすべてがはじめからバレバレなのだ。
Sおばさんは石橋さんの家の押入れを開けると、数組ある布団のうち一つを取り、
「これに○○を寝かせたでしょ。これがクチイレされてる。これを残してはいけない。燃やさないと」
(もちろん説明していない。Sおばさんの言ったとおりだったらしい)
そのまま庭に引っ張り出し、火をつけて燃やした。
そして「家を祓わないといけない」
と言うと、なにやらブツブツ唱えながら、家中に塩をまく。
特にトイレには念入りに塩がまかれていたらしい(笑)
最後にSおばさんは、庭に出ると、ある場所に土盛りをつくり、そこに線香を三本立てたという。
「今から○○から石橋さんにかけられたクチをこの線香に集めて全部燃やすからね。」
Sおばさんによると、これは《クチを返す》のではなく、《ここで終わりにする》というやり方だという。
(誰でもできるわけではないと思いますので、真似しないようにしてください)
線香に火をつけると、突然雨が降り始めた。
「見ててごらん、この線香の火は、どんなに雨が降っても消えないから」
Sおばさんの言う通り、雨の勢いは決して弱くなかったにもかかわらず、何故なのか、線香はまったく濡れず、最後まで燃え尽きたのだという。
その後、石橋さんにクチイレをしたとされる○○という人がどうなったかは、ここには書かない。
人は、清い心で生きるのが一番なんだなと思います。
Sおばさん、超おそるべし・・・・・・
ガクブル((((;゚Д゚))))・・・・・
しかしSおばさんに守られてきた石橋さんは、本当に徳のある人だったんだろうなーと思います。
ここんとこの動き
2013年02月27日
奄美と真名井神社について調べてみた。
まだわかんないことばかりですので、参考サイトをば。
マクモニーグルによる卑弥呼・神武天皇の透視 その旅の行程
http://www.nirai-kanai.org/index1_2.htm
マクモニーグルさんによると、真名井神社はかなり重要らしい。
(子房さんによればマクモニーグルさんの卑弥呼の背景の透視には、ネガティブな側からの情報がまじっているという。邪馬台国中国起源はネガティブ情報らしい。これも一ご意見として。)
龍宮神示(大本教関係者が真名井神社で受け取った神示)
http://hanakine.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=12464710
(下手な解釈文は読まない方がいいのは日月神示と同じとはMさん談)
笠利町にある立神が台湾と与那国島の立神と共通点があるという記述あり。
http://blog.yoshiokamanabu.com/?eid=276
(Mさん的には「立神と同時に、奄美の古い地名も調べられるといいかも」とのこと)
そういえば、高千穂峡も「真名井の滝」なのね。
奄美には「マテリアの滝」がありますね。(笑)
(昔は「マテリァ」と呼ばれていた。これ、「マテラ」が訛ったんじゃね?と今思いついた)
まだわかんないことばかりですので、参考サイトをば。
マクモニーグルによる卑弥呼・神武天皇の透視 その旅の行程
http://www.nirai-kanai.org/index1_2.htm
マクモニーグルさんによると、真名井神社はかなり重要らしい。
(子房さんによればマクモニーグルさんの卑弥呼の背景の透視には、ネガティブな側からの情報がまじっているという。邪馬台国中国起源はネガティブ情報らしい。これも一ご意見として。)
龍宮神示(大本教関係者が真名井神社で受け取った神示)
http://hanakine.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=12464710
(下手な解釈文は読まない方がいいのは日月神示と同じとはMさん談)
笠利町にある立神が台湾と与那国島の立神と共通点があるという記述あり。
http://blog.yoshiokamanabu.com/?eid=276
(Mさん的には「立神と同時に、奄美の古い地名も調べられるといいかも」とのこと)
そういえば、高千穂峡も「真名井の滝」なのね。
奄美には「マテリアの滝」がありますね。(笑)
(昔は「マテリァ」と呼ばれていた。これ、「マテラ」が訛ったんじゃね?と今思いついた)
Mさん霊感情報~湯湾岳の古代の姿
2012年10月05日
お気楽チャットの重鎮・Mさんより、またもやスピリチュアル情報をいただきました。
私が古代の奄美と本土の山岳信仰とのつながりをさぐっていることについて、
「(古代の)湯湾岳は山岳信仰なんてモンじゃないよ、デルフィの神託でググれ」
と。(笑)
で、でるふぃのしんたくぅ?と思いながらググりました。
http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_r.html
・・・・・・・古代ギリシャの中心的聖地であり、神託の聖地でした・・・・・
(((( ;゚Д゚)))ガクブル
もしかして、あれか?日本史における宇佐神宮のもっとデカい版が古代の湯湾岳だったとか?
Mさんによれば、ムー大陸の文明末期からの聖地らしいが・・・・・
ムー本土からたくさん巡礼者が奄美まできてたとか・・・・・
ただ、その当時はかなり高い山脈だったそうですが、その後地殻変動で奄美派大きく沈んでますので、現在のような低い山になったそうです。
当時は巡礼者やかぎられた巫女さんと王族しか湯湾岳周辺にははいれなかったらしい。
(ムー文明末期から奄美・沖縄文明にかけてね)
今もMさんは「湯湾岳周辺は自然保護区として立ち入りは制限するべき」と以前から言われてますね。
うーん。
奄美って一体何があったのー!!!!
誰かおしえてー!おねがーい!!!!!
7/13龍神の雲(徳之島・犬田布岬にて)
2012年07月14日
戦艦大和の慰霊碑の近くから撮影。

龍神さま2体と不思議な赤い光。(徳之島であちこちで写真撮ってたけど、赤い光が写ったのはここだけ)
なんとも不思議な写真です。
我ながら、ちょっとビックリ。

龍神さま2体と不思議な赤い光。(徳之島であちこちで写真撮ってたけど、赤い光が写ったのはここだけ)
なんとも不思議な写真です。
我ながら、ちょっとビックリ。
natsuさんのところに奄美の女神の眷属?がいったらしい
2012年05月10日
natsuさん、すいません!奄美の考古学上重要な情報なので、のせます!(笑)
こちらを読まれるみなさまにはくれぐれも誤解なきようにお願いしますが、natsuさんは非常に理知的な方で、本来こんな話はめったにしてくれません(笑)
_________
超俺様(natsuさん) さんじやんうんから
いきなり ご挨拶されたぞ
奄美関係の 巫女だろうよ
日本神道の神というよりは 琉球ぽいような 衣装だったな
琉球と中国と あとプラスアルファ
年齢は14,5歳 の女性と思われる
とっても綺麗な顔立ちだが
阿修羅:三面相、額に宝石やら目やら、チャクラやら あとは
両性具有のような、、、、
そんな印象だったぞ
ゆかりん時々寝落ち 三只眼吽迦羅というものですか?
超俺様 そうそう そんなものみたいだった
もし 奄美が卑弥呼さんと 関係するのあら 三只眼吽迦羅の末裔かもしれんぞ
基本的に こんな話に興味は私はもっていないが 一応ね
伝えておくよ
ゆかりん時々寝落ち 凄いですね。
アマミキョ 凄すぎです!
超俺様 そう?
仕事中に来るのは やめてほしい
アマミキヨさんのブログは 奄美の霊界へのゲートの一つにはなっているようだね
霊界が良いところか そうでないかは 興味が無いが(笑)
アマミキョ そうなんですか!
超俺様 気が付かないの?
良くも悪くも どこでもドアになっているよ
アマミキョ まったく、気づきませんでした
M ここは奄美の霊界ポータルぽいのは知ってたw
超俺様 でしょーーー
ほらーーー
Mさん 今日は いっぱい言ってやってちょーだいな
一応 お礼は言われたよ
ゆかりん時々寝落ち 何に対してもお礼ですか?
超俺様 わからん
お礼を言われるようなことはしていないしね
これから やろうとも思っていないしね
アマミキョ natsuさんのご寄稿再開のお礼でしょうか
超俺様 どうでしょうねー
アマミキョ ポータルってなんですか?
超俺様 ぐぐりなさい
アマミキョ グーグルせんせええええ
超俺様 直接言われたわけではないけど
奄美自体は 昔は交易もあったようですし それなりに栄えていたようだね
アマミキョ (ノд;)
超俺様 で、そのころの人たちが霊界を作っているんだろうけど
今の現状は 過疎化してしまっているのと 住んでいる人たちの能力も心境も低くなっていることは 残念には思っているようだったよ
アマミキョ ポータルは入り口でした!
そうですよね・・・・
アマミキョ natsuさん、その女神の眷属と思われるの方の装束は
もしかしたら、古代百済にちかくはないでしょうか
超俺様 画像検索した限りでは 私がみた映像とは違っていたね
アマミキョ しかし、奄美の女神の眷属と思われる神様が、さんじやんうんからだとは・・・・
超俺様 わからんよ
テキトー極まりない 話だからね
アマミキョ 以前ブログに書きましたが、安倍晴明・賀茂みつよしの霊言きいたとき、第三の目がガン開きするイメージがして、ビックリしました
超俺様 私には そう見えたようなきがしただけだね
ほう
アマミキョ 奄美霊界の底上げに、うちのブログが一役買ってるどころの話じゃなかったんですね・・・・
そのまんまストレートにつながってたとは!
ということは、natsuさんのご寄稿に女神がわざわざ御礼を言いに来られるのもうなづけます!
霊界での実績は「尊敬を集めること」ですから(笑)
超俺様 頭に載せている 飾りが 中国っぽいような。。。
アマミキョ 頭に飾りを載せてるのですか
超俺様 うん つけていたよ
アマミキョ 第三の目は、化粧や飾り(インドの女性がつけるような)ではなく、本当の目だったのでしょうか
超俺様 それに関しては 目というか 宝石?とかかもねー
わからん
アマミキョ しかしこれで、奄美が古代に中国とのつながりが強かったのが改めてわかりました
超俺様 奄美云々は よくわからんけど
一つの 入り口としての 街だったのだろうね
今で言ったら シンガポールや 香港(変換前)のね
アマミキョ あれ?そういえばMさんだっけ?奄美にスターゲートがあったといってたの
ゆかりん時々寝落ち 交易都市・貿易都市ですか‥
調俺様 まあ 美人のようだったからいいよ(笑)
どうも その巫女は やっぱり 女王の家の家系で
その回りには 家柄の仕事として 屈強な男は 戦闘集団として巫女を守っている イメージはあったよ
アマミキョ やはり女性の巫女を男性が守護してるのですね
超俺様 うん
そうだったと思う
どういう形かは わからないけど
アマミキョ となると、神道の源流にもあたるような古い時代なのかもしれませんね
超俺様 巫女のような人は 特別な霊力を授かる代わりに 子供は産めなかったようだね
セックスがいけない というわけではなく
エネルギーとして 持っていかれてしまうような。。。
アマミキョ 子供を産むと霊力が子供にいくそうですからね
_______
のちにnatsuさんからうかがった奄美の女神の眷属と思われる巫女(?)の装束ですが、
「上がひしがたのような形になっている飾りを頭につけていて、中国の皇帝の顔の前にかかってるようなジャラジャラがついている」
「よく考えてみたが、やはり琉球というよりは中国に近いのかもしれない」
「装束はいろいろな白を使った装束に下が赤で、白地には金糸が使われていた。神道系がよく使う紫ははいっていなかった」
だそうです。
古代奄美の装束を知る情報として、重要なてがかりになります!
natsuさん、本当にありがとうございます!!!!
こちらを読まれるみなさまにはくれぐれも誤解なきようにお願いしますが、natsuさんは非常に理知的な方で、本来こんな話はめったにしてくれません(笑)
_________
超俺様(natsuさん) さんじやんうんから
いきなり ご挨拶されたぞ
奄美関係の 巫女だろうよ
日本神道の神というよりは 琉球ぽいような 衣装だったな
琉球と中国と あとプラスアルファ
年齢は14,5歳 の女性と思われる
とっても綺麗な顔立ちだが
阿修羅:三面相、額に宝石やら目やら、チャクラやら あとは
両性具有のような、、、、
そんな印象だったぞ
ゆかりん時々寝落ち 三只眼吽迦羅というものですか?
超俺様 そうそう そんなものみたいだった
もし 奄美が卑弥呼さんと 関係するのあら 三只眼吽迦羅の末裔かもしれんぞ
基本的に こんな話に興味は私はもっていないが 一応ね
伝えておくよ
ゆかりん時々寝落ち 凄いですね。
アマミキョ 凄すぎです!
超俺様 そう?
仕事中に来るのは やめてほしい
アマミキヨさんのブログは 奄美の霊界へのゲートの一つにはなっているようだね
霊界が良いところか そうでないかは 興味が無いが(笑)
アマミキョ そうなんですか!
超俺様 気が付かないの?
良くも悪くも どこでもドアになっているよ
アマミキョ まったく、気づきませんでした
M ここは奄美の霊界ポータルぽいのは知ってたw
超俺様 でしょーーー
ほらーーー
Mさん 今日は いっぱい言ってやってちょーだいな
一応 お礼は言われたよ
ゆかりん時々寝落ち 何に対してもお礼ですか?
超俺様 わからん
お礼を言われるようなことはしていないしね
これから やろうとも思っていないしね
アマミキョ natsuさんのご寄稿再開のお礼でしょうか
超俺様 どうでしょうねー
アマミキョ ポータルってなんですか?
超俺様 ぐぐりなさい
アマミキョ グーグルせんせええええ
超俺様 直接言われたわけではないけど
奄美自体は 昔は交易もあったようですし それなりに栄えていたようだね
アマミキョ (ノд;)
超俺様 で、そのころの人たちが霊界を作っているんだろうけど
今の現状は 過疎化してしまっているのと 住んでいる人たちの能力も心境も低くなっていることは 残念には思っているようだったよ
アマミキョ ポータルは入り口でした!
そうですよね・・・・
アマミキョ natsuさん、その女神の眷属と思われるの方の装束は
もしかしたら、古代百済にちかくはないでしょうか
超俺様 画像検索した限りでは 私がみた映像とは違っていたね
アマミキョ しかし、奄美の女神の眷属と思われる神様が、さんじやんうんからだとは・・・・
超俺様 わからんよ
テキトー極まりない 話だからね
アマミキョ 以前ブログに書きましたが、安倍晴明・賀茂みつよしの霊言きいたとき、第三の目がガン開きするイメージがして、ビックリしました
超俺様 私には そう見えたようなきがしただけだね
ほう
アマミキョ 奄美霊界の底上げに、うちのブログが一役買ってるどころの話じゃなかったんですね・・・・
そのまんまストレートにつながってたとは!
ということは、natsuさんのご寄稿に女神がわざわざ御礼を言いに来られるのもうなづけます!
霊界での実績は「尊敬を集めること」ですから(笑)
超俺様 頭に載せている 飾りが 中国っぽいような。。。
アマミキョ 頭に飾りを載せてるのですか
超俺様 うん つけていたよ
アマミキョ 第三の目は、化粧や飾り(インドの女性がつけるような)ではなく、本当の目だったのでしょうか
超俺様 それに関しては 目というか 宝石?とかかもねー
わからん
アマミキョ しかしこれで、奄美が古代に中国とのつながりが強かったのが改めてわかりました
超俺様 奄美云々は よくわからんけど
一つの 入り口としての 街だったのだろうね
今で言ったら シンガポールや 香港(変換前)のね
アマミキョ あれ?そういえばMさんだっけ?奄美にスターゲートがあったといってたの
ゆかりん時々寝落ち 交易都市・貿易都市ですか‥
調俺様 まあ 美人のようだったからいいよ(笑)
どうも その巫女は やっぱり 女王の家の家系で
その回りには 家柄の仕事として 屈強な男は 戦闘集団として巫女を守っている イメージはあったよ
アマミキョ やはり女性の巫女を男性が守護してるのですね
超俺様 うん
そうだったと思う
どういう形かは わからないけど
アマミキョ となると、神道の源流にもあたるような古い時代なのかもしれませんね
超俺様 巫女のような人は 特別な霊力を授かる代わりに 子供は産めなかったようだね
セックスがいけない というわけではなく
エネルギーとして 持っていかれてしまうような。。。
アマミキョ 子供を産むと霊力が子供にいくそうですからね
_______
のちにnatsuさんからうかがった奄美の女神の眷属と思われる巫女(?)の装束ですが、
「上がひしがたのような形になっている飾りを頭につけていて、中国の皇帝の顔の前にかかってるようなジャラジャラがついている」
「よく考えてみたが、やはり琉球というよりは中国に近いのかもしれない」
「装束はいろいろな白を使った装束に下が赤で、白地には金糸が使われていた。神道系がよく使う紫ははいっていなかった」
だそうです。
古代奄美の装束を知る情報として、重要なてがかりになります!
natsuさん、本当にありがとうございます!!!!
奄美の神々がその昔徳田パパさんを応援してた件
2012年02月06日
これはプロフィールにあるユタの話。ほら、うちの宗派のヘッドが霊的に降りてきたというあのユタのおばあちゃんね。
私を幸福の科学に導いた伝道者であり、当時徳洲会に勤めていた石橋和夫さんからきいた話だ。この石橋さんがあのユタのおばあちゃんとお友達なのですね。
ユタのおばあちゃんの伝説はかぎりなくあるが、幸福の科学を「天照大神様が応援してた」ネタの次にビックリしたネタを披露してしんぜよう。
ちなみに幸福の科学を天照大御神様が応援してるとユタのおばあちゃんが言ってたのは20年以上前から。ユタのおばあちゃんは、もちろん幸福の科学がどんな宗教団体かは知らない。
前もって書いておくが、わたしは読んでのとおり、支持政党は幸福実現党だ。間違っても某政党や特定議員をえこひいきする気はない。(笑)
ユタのおばあちゃんは、保徳戦争のとき、熱心に徳田パパさんを応援していたという。
(そのおばあちゃんの田舎は保岡先生の地元(笑))
なぜ応援するのかときいたら一言。
「奄美の神様方が徳田を応援しろと言ってるから」
さすがユタのおばちゃん、神様の言うことにしか動かない!(笑)
どうやら徳田パパさんが、奄美を変革する使命が大きかったらしい。
ある日、ユタのおばあちゃんに
「湯湾岳に徳田さんの必勝祈願にいきたいから連れて行ってくれ」
と言われた石橋さん、言うとおり連れて行ってあげたという。
そこで一緒にお祈りしてると、ふとこちらをくるっと振り返ったユタのおばあちゃんがこう言った。
「ああ、神様が徳田さん勝たせるって言ってるよ」
石橋さんがそんなパナナと愛想笑いを浮かべると
「ほら、○○村で5000(票)とるって」
思わずギョッとした。
そしてその言葉は、数日後、開票速報によって現実になった。
石橋さんは語る。
「神様は人間世界に関与できないっていうでしょ?あれは方便だよね。実際は、かなり影響を与えることはできると思うよ。だって、票の数をあてるんだよ?予想票数を管理してた僕達でも予想できなかった数を正確に当てたからね。
たぶん、神様は人間が甘えないように、どのへんでどの程度力貸すかとか、適当に調整しながら、ジーッと見てると思うね。」
ちなみに徳田ジュニアさんの評価はまだきいてないそうです(笑)
徳田ジュニアさん、あなたの使命も大きいかもしれませんよ!(笑)たぶん!(笑)
私を幸福の科学に導いた伝道者であり、当時徳洲会に勤めていた石橋和夫さんからきいた話だ。この石橋さんがあのユタのおばあちゃんとお友達なのですね。
ユタのおばあちゃんの伝説はかぎりなくあるが、幸福の科学を「天照大神様が応援してた」ネタの次にビックリしたネタを披露してしんぜよう。
ちなみに幸福の科学を天照大御神様が応援してるとユタのおばあちゃんが言ってたのは20年以上前から。ユタのおばあちゃんは、もちろん幸福の科学がどんな宗教団体かは知らない。
前もって書いておくが、わたしは読んでのとおり、支持政党は幸福実現党だ。間違っても某政党や特定議員をえこひいきする気はない。(笑)
ユタのおばあちゃんは、保徳戦争のとき、熱心に徳田パパさんを応援していたという。
(そのおばあちゃんの田舎は保岡先生の地元(笑))
なぜ応援するのかときいたら一言。
「奄美の神様方が徳田を応援しろと言ってるから」
さすがユタのおばちゃん、神様の言うことにしか動かない!(笑)
どうやら徳田パパさんが、奄美を変革する使命が大きかったらしい。
ある日、ユタのおばあちゃんに
「湯湾岳に徳田さんの必勝祈願にいきたいから連れて行ってくれ」
と言われた石橋さん、言うとおり連れて行ってあげたという。
そこで一緒にお祈りしてると、ふとこちらをくるっと振り返ったユタのおばあちゃんがこう言った。
「ああ、神様が徳田さん勝たせるって言ってるよ」
石橋さんがそんなパナナと愛想笑いを浮かべると
「ほら、○○村で5000(票)とるって」
思わずギョッとした。
そしてその言葉は、数日後、開票速報によって現実になった。
石橋さんは語る。
「神様は人間世界に関与できないっていうでしょ?あれは方便だよね。実際は、かなり影響を与えることはできると思うよ。だって、票の数をあてるんだよ?予想票数を管理してた僕達でも予想できなかった数を正確に当てたからね。
たぶん、神様は人間が甘えないように、どのへんでどの程度力貸すかとか、適当に調整しながら、ジーッと見てると思うね。」
ちなみに徳田ジュニアさんの評価はまだきいてないそうです(笑)
徳田ジュニアさん、あなたの使命も大きいかもしれませんよ!(笑)たぶん!(笑)
妄想・奄美古代史
2011年12月14日
現時点で私ネットワークのスピ系の方々からいただいている奄美情報をならべてみる。あくまで半分半分に読んでね。
○奄美大島は古代ムー末期の植民地というか、地方都市だった。約一万七千年前。
(当時、奄美と沖縄はくっついた一つのかなり大きな島だったらしい。)
○当時のムー植民地であった奄美・沖縄同一国の都は奄美北部から喜界島にかけての場所にあった。
(喜界島もくっついてたというか陸続きだったそう)
○奄美南部の湯湾岳は当時かなり大きな山岳地帯であり、そこがムーのいろいろな宗教の聖地として、年間を通じて巡礼の人々が絶え間なかった
(ムーの様々な宗教のいくつかの総本山が奄美にあり、そのどれもが現在の湯湾岳にあたる山を霊山として祀っていたらしい)
○ムー末期には世紀末様相とあいまって民衆の間に強いラ・ムー再誕願望がおこり(過去実在した偉大な太陽王ラ・ムーが存命時「自分は再誕する」という趣旨の言葉をのこしていたらしい)、ラ・ムー信仰者の聖職者達によるラ・ムー再誕の祈りの地が奄美だったという
○その後ムー本土は大きな地殻変動によって沈んで滅び、ムーの文化は奄美・沖縄同一国にうつり、都があった奄美を中心にして日本、中国の国造り及び宗教文化に大きな影響を与える。
(おそらく天津神と言われた人々のルーツもこの辺)
○当時は奄美北部が商業地区、奄美中部は王族の住む王宮、奄美南部(湯湾岳周辺を含む山岳地帯)は聖地の扱いだったらしい。当時から徳之島?にあたる地域での焼き物の輸出はさかんだった模様。
○奄美・沖縄同一国から伝わったラ・ムー信仰とムー文明がその後の日本の太陽神信仰と神道の源流となる。奄美から伝わったムーのピラミッド文明は日本のあちこちで栄えた。
○しかしその後大きな地殻変動によって日本は山岳地帯を残して水没し、ムーから伝わったピラミッド文化もほとんどがなくなる。(その名残がレイライン上の山岳信仰らしい)
○古事記の舞台・高千穂国は山岳地帯をのこして日本が水没してからの伝承
○上記の地殻変動とつながるかわからないが、奄美・沖縄同一国にも大規模な地殻変動がおき、沖縄と奄美は分断される。現在の奄美大島は当時の山岳地帯が残るのみだという。あとは沈んだんですね
○古事記の舞台・古代高千穂国と奄美国は同盟国だった。巫女が行き来する密接な関係
(奄美は古事記の時代においても諸国の巫女の修行場としての重要な聖地の一つだったらしい)
○スサノオノミコト天照大御神が王と王妃の関係だった。(古代は同族婚姻)
スサノオ王の周辺諸国への侵攻により周辺諸国と高千穂国・奄美国との関係は急激に悪化。奄美国と高千穂国は周辺諸国によって海上封鎖されて分断され、奄美は周辺諸国によって攻められる。(高千穂への見せしめか?)
その後、戦乱をまねいた責によりスサノオ王は高千穂国より追放される
○地殻変動前にムーから継承された都だった奄美から影響を受けて日本や中国のあちこちで文化ができたが、そのうちの一部が卑弥呼一族だった。
卑弥呼の一族は中国南部からベトナム、台湾を経て奄美北部に上陸し、交易によって力を蓄える。
(このルートは当時の奄美・喜界島を中心とした交易ルートだそうです。)
○卑弥呼の一族がいたのは現在の笠利町・赤木名地区。名乗っていた一族の名前は「ヤマト族」
その後数代後にヤマト族は現在の熊本地方に上陸。北九州一帯を領土とするまでになる。
○卑弥呼はヤマト族本土上陸数代後に山口県で生まれる。
○ヤマト族は北九州をおさめた。やがて出雲を中心とした諸国と連合を組み、西日本のほとんどを勢力圏とするまでになる。諸国連合の名前は「邪馬台(ヤマト)国」。
○その後卑弥呼のあとのトヨの時代にヤマト国は戦争によって滅び、生き残った巫女達が奄美に逃げのびる。
(巫女達が逃げてきたということは、おそらく奄美とのやりとりはその後もかなり密接にあったんでしょうね。考古学では古代邪馬台国は北九州と奄美の二箇所であったという説もある)
○その巫女達が残した祭祀が現在ものこる「琉球神道」ノロ信仰にあたる。
○沖縄の文化をつくった「アマミ一族」によってその後文化は沖縄にうつり、長く都であった奄美は突然その役目を終える。
その痕跡すらのこらないように、卑弥呼の名前が日本史から消されたのと同じように、奄美の歴史はなくなる。
奄美になにがあったのか、それを物語る話はいまはない。
○奄美大島は古代ムー末期の植民地というか、地方都市だった。約一万七千年前。
(当時、奄美と沖縄はくっついた一つのかなり大きな島だったらしい。)
○当時のムー植民地であった奄美・沖縄同一国の都は奄美北部から喜界島にかけての場所にあった。
(喜界島もくっついてたというか陸続きだったそう)
○奄美南部の湯湾岳は当時かなり大きな山岳地帯であり、そこがムーのいろいろな宗教の聖地として、年間を通じて巡礼の人々が絶え間なかった
(ムーの様々な宗教のいくつかの総本山が奄美にあり、そのどれもが現在の湯湾岳にあたる山を霊山として祀っていたらしい)
○ムー末期には世紀末様相とあいまって民衆の間に強いラ・ムー再誕願望がおこり(過去実在した偉大な太陽王ラ・ムーが存命時「自分は再誕する」という趣旨の言葉をのこしていたらしい)、ラ・ムー信仰者の聖職者達によるラ・ムー再誕の祈りの地が奄美だったという
○その後ムー本土は大きな地殻変動によって沈んで滅び、ムーの文化は奄美・沖縄同一国にうつり、都があった奄美を中心にして日本、中国の国造り及び宗教文化に大きな影響を与える。
(おそらく天津神と言われた人々のルーツもこの辺)
○当時は奄美北部が商業地区、奄美中部は王族の住む王宮、奄美南部(湯湾岳周辺を含む山岳地帯)は聖地の扱いだったらしい。当時から徳之島?にあたる地域での焼き物の輸出はさかんだった模様。
○奄美・沖縄同一国から伝わったラ・ムー信仰とムー文明がその後の日本の太陽神信仰と神道の源流となる。奄美から伝わったムーのピラミッド文明は日本のあちこちで栄えた。
○しかしその後大きな地殻変動によって日本は山岳地帯を残して水没し、ムーから伝わったピラミッド文化もほとんどがなくなる。(その名残がレイライン上の山岳信仰らしい)
○古事記の舞台・高千穂国は山岳地帯をのこして日本が水没してからの伝承
○上記の地殻変動とつながるかわからないが、奄美・沖縄同一国にも大規模な地殻変動がおき、沖縄と奄美は分断される。現在の奄美大島は当時の山岳地帯が残るのみだという。あとは沈んだんですね
○古事記の舞台・古代高千穂国と奄美国は同盟国だった。巫女が行き来する密接な関係
(奄美は古事記の時代においても諸国の巫女の修行場としての重要な聖地の一つだったらしい)
○スサノオノミコト天照大御神が王と王妃の関係だった。(古代は同族婚姻)
スサノオ王の周辺諸国への侵攻により周辺諸国と高千穂国・奄美国との関係は急激に悪化。奄美国と高千穂国は周辺諸国によって海上封鎖されて分断され、奄美は周辺諸国によって攻められる。(高千穂への見せしめか?)
その後、戦乱をまねいた責によりスサノオ王は高千穂国より追放される
○地殻変動前にムーから継承された都だった奄美から影響を受けて日本や中国のあちこちで文化ができたが、そのうちの一部が卑弥呼一族だった。
卑弥呼の一族は中国南部からベトナム、台湾を経て奄美北部に上陸し、交易によって力を蓄える。
(このルートは当時の奄美・喜界島を中心とした交易ルートだそうです。)
○卑弥呼の一族がいたのは現在の笠利町・赤木名地区。名乗っていた一族の名前は「ヤマト族」
その後数代後にヤマト族は現在の熊本地方に上陸。北九州一帯を領土とするまでになる。
○卑弥呼はヤマト族本土上陸数代後に山口県で生まれる。
○ヤマト族は北九州をおさめた。やがて出雲を中心とした諸国と連合を組み、西日本のほとんどを勢力圏とするまでになる。諸国連合の名前は「邪馬台(ヤマト)国」。
○その後卑弥呼のあとのトヨの時代にヤマト国は戦争によって滅び、生き残った巫女達が奄美に逃げのびる。
(巫女達が逃げてきたということは、おそらく奄美とのやりとりはその後もかなり密接にあったんでしょうね。考古学では古代邪馬台国は北九州と奄美の二箇所であったという説もある)
○その巫女達が残した祭祀が現在ものこる「琉球神道」ノロ信仰にあたる。
○沖縄の文化をつくった「アマミ一族」によってその後文化は沖縄にうつり、長く都であった奄美は突然その役目を終える。
その痕跡すらのこらないように、卑弥呼の名前が日本史から消されたのと同じように、奄美の歴史はなくなる。
奄美になにがあったのか、それを物語る話はいまはない。
奄美への個人的雑感(2010年09月30日)
2011年11月03日
(再掲載)
はいはい、ウゼー自分がたりですっちゃ。
(・∀・)
私は奄美大島で生まれ育った。
奄美の歴史を知り、鹿児島を憎み、沖縄を恨んだ。
奄美への激しい郷土愛は、愛する存在を傷付けた者たちへの負の感情を燃え上がらせた。
失われた歴史を探し続け、奄美を蹂躙した者たちをいつか同じように食い殺してやると誓った。
思春期の多感な時期。目をつぶると、あちこちから悲鳴が聞こえた。・・・たすけて。たすけて。たすけて。
奄美に吹く風は、悲しみを封じた古びた墓碑の上に吹く風と同じようにみえた。
数年前のある日。
沖縄出身の宗派の職員さんがきてくださった。
その方は霊感があったらしく、ホテルに泊まった翌日、目を腫らしていた。
「・・・・一晩中、あちこちから助けを求める声がするんです・・・・」
彼の表情は、ずっと固いままだった。
師匠がきてくださったときも、同じ事を言っていた。
師匠は涙をためながら言われた。
「アマちゃん、奄美をかならず伝道しなさい。
あちこちから、助けを求める声がするの。夜になると、ずっと・・・・・。
仏の光にすがりたくて、集まってくるのよ。
奄美は一度文化が滅んでいる。過去になにがあったの?
迷っている魂たちを救うには、生きている人たちに正しい生き方を広める以外にないのですよ」
師匠は夢を見たという。
古代の白い着物?のような装束をつけた師匠が、大きくなり、奄美大島を抱えてだきあげる夢だったという。
奄美の最高位の神は女神だと伝えると、納得しておられた。
「あれが奄美の女神様の想いなのね・・・・」
と、こぼしておられた。
最近、隊長と子房さんに過去世を見ていただいた。
やはり、過去世は、奄美を蹂躙した側だった。
薩摩の侍。たぶん大島奉行かその側近。
奄美に妾をもっていたという。
私は虐げた側の為政者だった。
なんという因果だろうか?
奄美を愛した私が、憎み恨んだ対象は、過去の私だったとは。
いや、過去の私のしてきたことの償いが、
まさしく因果として今の私になったのだ。
虐げられた者の痛みをリアルに知り、過去の自分の知らなかった痛みを知る。
虐げられた者の怒り憎しみは、まさしく過去の自分への戒めになり罰になる。
ここには書かないが、面白いことに、
実家の因果もまさしくそうなのだ。
カルマというものはどうやら確実にあるらしい。
カルマという大げさな言葉じゃなくても、「因縁果報」でもいい。
隊長がいった言葉が忘れられない。
「沖縄の今の苦しみも、奄美の過去の虐げられた苦しみも、すべては因果だ。
それを忘れちゃいけない。」
この世界というものは、かならずどこかでつながっている。
自分のしたことは、かならず自分に還る。
だからもう、誰かを恨むのはやめよう。
その原因は、私にあったのかもしれないのだから。
鹿児島への恨みは捨てた。神道の神々は薩摩も奄美も同じく愛しているからだ。
沖縄へのわだかまりも、もうすぐなくなるかもしれない。
琉球の女神アマミコ(アマミキョ)は、きっと奄美も沖縄も等しく愛しているだろう。
大いなる愛によって、時空をこえた因縁果報を照らし、真実を知り、
自分の分を知り、自分もその愛と共に生きたい。
私が許せないのは、本当は私自身なのだろう。
はいはい、ウゼー自分がたりですっちゃ。
(・∀・)
私は奄美大島で生まれ育った。
奄美の歴史を知り、鹿児島を憎み、沖縄を恨んだ。
奄美への激しい郷土愛は、愛する存在を傷付けた者たちへの負の感情を燃え上がらせた。
失われた歴史を探し続け、奄美を蹂躙した者たちをいつか同じように食い殺してやると誓った。
思春期の多感な時期。目をつぶると、あちこちから悲鳴が聞こえた。・・・たすけて。たすけて。たすけて。
奄美に吹く風は、悲しみを封じた古びた墓碑の上に吹く風と同じようにみえた。
数年前のある日。
沖縄出身の宗派の職員さんがきてくださった。
その方は霊感があったらしく、ホテルに泊まった翌日、目を腫らしていた。
「・・・・一晩中、あちこちから助けを求める声がするんです・・・・」
彼の表情は、ずっと固いままだった。
師匠がきてくださったときも、同じ事を言っていた。
師匠は涙をためながら言われた。
「アマちゃん、奄美をかならず伝道しなさい。
あちこちから、助けを求める声がするの。夜になると、ずっと・・・・・。
仏の光にすがりたくて、集まってくるのよ。
奄美は一度文化が滅んでいる。過去になにがあったの?
迷っている魂たちを救うには、生きている人たちに正しい生き方を広める以外にないのですよ」
師匠は夢を見たという。
古代の白い着物?のような装束をつけた師匠が、大きくなり、奄美大島を抱えてだきあげる夢だったという。
奄美の最高位の神は女神だと伝えると、納得しておられた。
「あれが奄美の女神様の想いなのね・・・・」
と、こぼしておられた。
最近、隊長と子房さんに過去世を見ていただいた。
やはり、過去世は、奄美を蹂躙した側だった。
薩摩の侍。たぶん大島奉行かその側近。
奄美に妾をもっていたという。
私は虐げた側の為政者だった。
なんという因果だろうか?
奄美を愛した私が、憎み恨んだ対象は、過去の私だったとは。
いや、過去の私のしてきたことの償いが、
まさしく因果として今の私になったのだ。
虐げられた者の痛みをリアルに知り、過去の自分の知らなかった痛みを知る。
虐げられた者の怒り憎しみは、まさしく過去の自分への戒めになり罰になる。
ここには書かないが、面白いことに、
実家の因果もまさしくそうなのだ。
カルマというものはどうやら確実にあるらしい。
カルマという大げさな言葉じゃなくても、「因縁果報」でもいい。
隊長がいった言葉が忘れられない。
「沖縄の今の苦しみも、奄美の過去の虐げられた苦しみも、すべては因果だ。
それを忘れちゃいけない。」
この世界というものは、かならずどこかでつながっている。
自分のしたことは、かならず自分に還る。
だからもう、誰かを恨むのはやめよう。
その原因は、私にあったのかもしれないのだから。
鹿児島への恨みは捨てた。神道の神々は薩摩も奄美も同じく愛しているからだ。
沖縄へのわだかまりも、もうすぐなくなるかもしれない。
琉球の女神アマミコ(アマミキョ)は、きっと奄美も沖縄も等しく愛しているだろう。
大いなる愛によって、時空をこえた因縁果報を照らし、真実を知り、
自分の分を知り、自分もその愛と共に生きたい。
私が許せないのは、本当は私自身なのだろう。
言霊の力・奄美編
2011年09月29日
奄美には「クチ」という呪法があったそうです。
「クチ」とはいわゆる呪文。ある特定の言葉を唱えることで、いろんな現象を発動させるというものですね。
これがすぐれていたのは琉球神道の女性神官ノロの従者であった「クチヌシュ」と呼ばれた男性(ノロの兄弟もしくは従兄弟が原則していたらしい。例外も多々あり)。クチ(呪文)の力はノロよりもすぐれていたといいます。
これはあくまで私の憶測ですが、ノロは神相手の巫女(神官)なので、それ以外のノロにくる「荒っぽい」お仕事を代理的に請け負ってたのでしょうね。ノロに勝るとも言われた強い言霊の力は、悪霊に狙われることも多かったであろう神官ノロの守護も兼ねていたと思われます。
さて、その「クチ」ですが、昭和までは存続していたらしく、「蜂を集めるクチ」「ハブを遠ざけるクチ」「病気を治すクチ」「人に災いをもたらすクチ」「災いを祓うクチ」など、実にさまざまなクチがあったそうです。
うちの父も幼少の頃、ユタをしていた伯母さんに「クチを入れたお酒を吹かれて」水疱瘡を治してもらっています。
また、お祓いの方法の一つとして、クチによって対象者の災いを石にうつし、その石を捨てることで災いを退けるという方法もあったそう。
奄美では「外(特に海辺)の石は持って帰るな」というルールがあります。それも「クチ入れがされてる石かもしれない」ということだからだそうです。
うちの母は幼少の頃、よく祖母や親戚から「○○集落の海岸の石は絶対に拾うな、あそこのユタはよくクチを使うから、クチ入れされた石がたくさん捨ててある。その石を家に持ち込めば災いも一緒に持ち込むから大変なことになる」と何度も注意されたそうです。
また、これは非常にめずらしい一例ですが、クチを使う方が嫌いな相手にクチいれしたお茶を出すこともあるそうです。
そのお茶を飲むと、もちろん体調を崩します。病院にいっても絶対に治りません。(これをやられたのが私の伯母さんですね(笑))
クチ入れをされたお茶は特徴としてわずかに渦を巻いてるそうです。なので余所様でだされたお茶がわずかに渦をまいていたら、湯飲みの欠けたところから飲むか、カギ状に曲げたひとさし指を湯飲みの内側にかけて、クチを見破る作法をして飲むようにと言われました。
そんなことが本当にあるんですねー。
言霊の力とは不思議ですね。
言葉一つで災いを起し、もしくは祓い、病気を治すこともできる。
この言霊の力を、もっと積極的な言葉、自分や他者を理解し肯定し積極的人生を後押しする言霊としてつかいたいですね。
「私は私の周りから貧乏神を追い出す!お掃除が上手になる!物事の整理整頓ができる私になる!」
「あなたはとっても魅力的な人、とってもステキな人!」
「私の笑顔は世の中をすこしだけ明るくする魔法のパワーをもってる!」
積極的で明るい言霊が積極的で明るい力を発動させたら、きっと今よりもほんのすこし、すばらしい世界になると思いませんか?
「クチ」とはいわゆる呪文。ある特定の言葉を唱えることで、いろんな現象を発動させるというものですね。
これがすぐれていたのは琉球神道の女性神官ノロの従者であった「クチヌシュ」と呼ばれた男性(ノロの兄弟もしくは従兄弟が原則していたらしい。例外も多々あり)。クチ(呪文)の力はノロよりもすぐれていたといいます。
これはあくまで私の憶測ですが、ノロは神相手の巫女(神官)なので、それ以外のノロにくる「荒っぽい」お仕事を代理的に請け負ってたのでしょうね。ノロに勝るとも言われた強い言霊の力は、悪霊に狙われることも多かったであろう神官ノロの守護も兼ねていたと思われます。
さて、その「クチ」ですが、昭和までは存続していたらしく、「蜂を集めるクチ」「ハブを遠ざけるクチ」「病気を治すクチ」「人に災いをもたらすクチ」「災いを祓うクチ」など、実にさまざまなクチがあったそうです。
うちの父も幼少の頃、ユタをしていた伯母さんに「クチを入れたお酒を吹かれて」水疱瘡を治してもらっています。
また、お祓いの方法の一つとして、クチによって対象者の災いを石にうつし、その石を捨てることで災いを退けるという方法もあったそう。
奄美では「外(特に海辺)の石は持って帰るな」というルールがあります。それも「クチ入れがされてる石かもしれない」ということだからだそうです。
うちの母は幼少の頃、よく祖母や親戚から「○○集落の海岸の石は絶対に拾うな、あそこのユタはよくクチを使うから、クチ入れされた石がたくさん捨ててある。その石を家に持ち込めば災いも一緒に持ち込むから大変なことになる」と何度も注意されたそうです。
また、これは非常にめずらしい一例ですが、クチを使う方が嫌いな相手にクチいれしたお茶を出すこともあるそうです。
そのお茶を飲むと、もちろん体調を崩します。病院にいっても絶対に治りません。(これをやられたのが私の伯母さんですね(笑))
クチ入れをされたお茶は特徴としてわずかに渦を巻いてるそうです。なので余所様でだされたお茶がわずかに渦をまいていたら、湯飲みの欠けたところから飲むか、カギ状に曲げたひとさし指を湯飲みの内側にかけて、クチを見破る作法をして飲むようにと言われました。
そんなことが本当にあるんですねー。
言霊の力とは不思議ですね。
言葉一つで災いを起し、もしくは祓い、病気を治すこともできる。
この言霊の力を、もっと積極的な言葉、自分や他者を理解し肯定し積極的人生を後押しする言霊としてつかいたいですね。
「私は私の周りから貧乏神を追い出す!お掃除が上手になる!物事の整理整頓ができる私になる!」
「あなたはとっても魅力的な人、とってもステキな人!」
「私の笑顔は世の中をすこしだけ明るくする魔法のパワーをもってる!」
積極的で明るい言霊が積極的で明るい力を発動させたら、きっと今よりもほんのすこし、すばらしい世界になると思いませんか?
アダン林の幽霊~書籍「南島雑話の世界」より
2011年09月26日
(転載)
いちゅび(イチゴ)山登って いちゅび持ってきれくれちょ
アダン山登って アダン持ってきれくれちょ
名瀬間切伊津部村(今の名瀬伊津部町)で、イチゴやアダンの実が実る季節になると毎年、こんな悲しげな亡霊の歌声が聞こえたという。
「先年大島に凶作あり。島中男女多く餓死するもの多く、(中略)皆壮年の者とても葛子根、百合を食物の上とし、草根、木実、海辺は魚類、あらゆるもの食として命をつなぐ」と、左源太は凶作の模様を記している。
さらに両親が餓死し親族もいない幼い名瀬間切の姉弟に思いをはせる。八、九歳と七歳の姉弟は、野山のイチゴやアダンの実などで命をつないでいたが、数日して餓死した。イチゴやアダンの熟するころになると、二人の歌(本分冒頭)が聞こえてきたという。その歌を聴くときは「村中男女聞もの涙を流しける。誠に聞もすさまじき事也」と左源太。
また「此島米少なければ、甘藷を多く植て第一の常食とす。甘藷不作にして実入悪しければ、島中一統の事にて、其時は蘇鉄を上食として、其外、木の実、草の葉、海苔類を食ふ」と記している。
柳田国男も『海南小記』で「或時の飢饉に男女山に入り、苺や阿檀の実を採って食尽くし、野山にはもう何も食ふ物が無くなって、数十人の者が阿檀の木に首を縊って死んだ」と書いてある。
________
どこにでもある話しで、どこにでもある過去だろう。
私はこの悲しみに涙する。
この悲しみが天の父の愛によって慰められますようにと、祈る。
いちゅび(イチゴ)山登って いちゅび持ってきれくれちょ
アダン山登って アダン持ってきれくれちょ
名瀬間切伊津部村(今の名瀬伊津部町)で、イチゴやアダンの実が実る季節になると毎年、こんな悲しげな亡霊の歌声が聞こえたという。
「先年大島に凶作あり。島中男女多く餓死するもの多く、(中略)皆壮年の者とても葛子根、百合を食物の上とし、草根、木実、海辺は魚類、あらゆるもの食として命をつなぐ」と、左源太は凶作の模様を記している。
さらに両親が餓死し親族もいない幼い名瀬間切の姉弟に思いをはせる。八、九歳と七歳の姉弟は、野山のイチゴやアダンの実などで命をつないでいたが、数日して餓死した。イチゴやアダンの熟するころになると、二人の歌(本分冒頭)が聞こえてきたという。その歌を聴くときは「村中男女聞もの涙を流しける。誠に聞もすさまじき事也」と左源太。
また「此島米少なければ、甘藷を多く植て第一の常食とす。甘藷不作にして実入悪しければ、島中一統の事にて、其時は蘇鉄を上食として、其外、木の実、草の葉、海苔類を食ふ」と記している。
柳田国男も『海南小記』で「或時の飢饉に男女山に入り、苺や阿檀の実を採って食尽くし、野山にはもう何も食ふ物が無くなって、数十人の者が阿檀の木に首を縊って死んだ」と書いてある。
________
どこにでもある話しで、どこにでもある過去だろう。
私はこの悲しみに涙する。
この悲しみが天の父の愛によって慰められますようにと、祈る。
ケンムンの悲しみ
2011年09月20日
マッサージの仕事をしていると、ときどきお客様から不思議な話をうかがう。
これもその話の一つだ。
そのお客様(現在50代)が幼少の頃、お父様から聞いたお話だという。
お客様から許可を得てブログに載せる。
奄美にはケンムンという、カッパに似た毛むくじゃらの妖怪がいると伝えられている。
ケンムンの目撃談や遭遇談は今でもあり、私の実兄も見ている。
うちの母も足跡を見てるし、亡くなった祖父は木こりをしていたためか何度もリアルに山で遭遇していたとのこと。
そのケンムンの、ちょっと普通とは切り口の違うお話。
お客様のお父様の体験談。
K町S集落の某所(山奥)に、男が一人で住んでいたという。(男性の名前は伏せますね)
その男は霊感があったのか、「ケンムンと友達」だったそうだ。
その男とケンムンの仲は集落内でも有名だったという。
ケンムンのおかげか、男が漁に出るといつも豊漁だったらしい。
やがて男は病に倒れ亡くなった。
集落の人間で男を弔ったとき、男の家にいる間、ずっとケンムンの泣き声が聞こえたという。
ケンムンの姿を、その場にいたすべての人が姿を見たらしい。(お客様のお父様もその姿を見たという)
ケンムンは独特のきいたこともない呼び声をあげて、
「ウンガラガッタ、ウンガラガッタ!」
と意味不明の言葉を叫びながら男の家の周りを躍り狂っていたという。
その姿が、とても悲しそうに見えたのだという。
あのケンムンはどこにいったのだろうか。
ケンムンと人間にも絆ができるのも驚きですが、なんかこう、せつないお話ですね。
こーゆーお話が大好きです。
これもその話の一つだ。
そのお客様(現在50代)が幼少の頃、お父様から聞いたお話だという。
お客様から許可を得てブログに載せる。
奄美にはケンムンという、カッパに似た毛むくじゃらの妖怪がいると伝えられている。
ケンムンの目撃談や遭遇談は今でもあり、私の実兄も見ている。
うちの母も足跡を見てるし、亡くなった祖父は木こりをしていたためか何度もリアルに山で遭遇していたとのこと。
そのケンムンの、ちょっと普通とは切り口の違うお話。
お客様のお父様の体験談。
K町S集落の某所(山奥)に、男が一人で住んでいたという。(男性の名前は伏せますね)
その男は霊感があったのか、「ケンムンと友達」だったそうだ。
その男とケンムンの仲は集落内でも有名だったという。
ケンムンのおかげか、男が漁に出るといつも豊漁だったらしい。
やがて男は病に倒れ亡くなった。
集落の人間で男を弔ったとき、男の家にいる間、ずっとケンムンの泣き声が聞こえたという。
ケンムンの姿を、その場にいたすべての人が姿を見たらしい。(お客様のお父様もその姿を見たという)
ケンムンは独特のきいたこともない呼び声をあげて、
「ウンガラガッタ、ウンガラガッタ!」
と意味不明の言葉を叫びながら男の家の周りを躍り狂っていたという。
その姿が、とても悲しそうに見えたのだという。
あのケンムンはどこにいったのだろうか。
ケンムンと人間にも絆ができるのも驚きですが、なんかこう、せつないお話ですね。
こーゆーお話が大好きです。
神様がうつってたそうです。アマンデーで撮った写真
2011年08月18日
「ぶどうぐみさんとアマンデーのお掃除 」
http://amamikyo.amamin.jp/e137373.html
で撮れた不思議な光の写メ。

秋介さんとおとさんいわく、「神道の神様の真光」だそうです。
つまり、「アマンデーの神様がその光を方便的に顕してくださった」んですね!
奄美の人ではなく、本土の方からお墨付きをいただきました!
奄美の神様、本当にありがとうございました!!!!
(´;ω;`)ぴー
http://amamikyo.amamin.jp/e137373.html
で撮れた不思議な光の写メ。

秋介さんとおとさんいわく、「神道の神様の真光」だそうです。
つまり、「アマンデーの神様がその光を方便的に顕してくださった」んですね!
奄美の人ではなく、本土の方からお墨付きをいただきました!
奄美の神様、本当にありがとうございました!!!!
(´;ω;`)ぴー
M伯母さんの話・ある親戚の体調不良
2011年08月17日
M伯母さんから聴いた話。
親戚のTさん(女性)と会う約束をしていた。
しかし、直前になって電話がきた。
「どうにも具合が悪い、今日は会うのは無理っぽい」
そのとき、M伯母さんの第六感がピーンときた。
これはおかしい。ちょっと行ってみないといけない。
M伯母さんはTさんに「すぐ行くから待ってなさい」と返事して、すぐにTさんの住む市営住宅に向かった。
玄関の扉をあけたとき、お風呂を空だきしてるのか?と思った。
Tさんの家の中全体が、真っ白な霧に包まれていたのだ。
一寸先も見えない正体不明の濃霧。こんなことははじめてだった。
この濃霧のようなモノが、Tさんの具合を悪くしている。そう感じ取ったM伯母さんはすぐ動いた。
手探りで台所にいき、使い慣れたT家の台所の棚から塩をとった。
祈りの言葉を唱えながら、ある特別な手つきで塩を家中にまく。そして窓をあけ、窓に向かってちがう手つきで塩をまいた。
白い濃霧は追い立てられるように窓の外にでていった。
白い濃霧がひいたあと、畳部屋に寝ているTさんがいた。濃霧のせいでどこに寝てるかさえも見えなかったのだ。
Tさんはそのあと急激に回復したという。
私「M伯母さん、それはなんだったの?」
M伯母さん「どうやら、クチイレ(呪詛)かけられてたらしいよ」
私「え!?」
母「あー、そういえば○○(母とTさんの共通の知人のユタ)が、Tのことそんなふうな変な願立てをしたみたいなこと言ってたわ。聞いててよく意味わからんかったけど、それを聞いたらわかった」
M伯母さん「○○ね。あいつならやりかねんが」
私「つまり、外道ユタの○○さんがTさんにしたクチイレを、はからずもM伯母さんが見抜いて返しちゃったわけですね。基本返しは三倍から20倍らしいですよ」
母「あのあとくらいじゃない?あの子、ものすごいケガしたでしょ。治りもすごい悪かったし。」
M伯母さん「人にクチイレするような人間には、必ず還るのよ。生きてるうちにバチかぶればいいが」
母「○○は神拝みしてるくせにそういえばしょっちゅうあちこち病気したりケガしてるね」
私「神棚に向かったあとは当りがきやすいってパチンコ屋にいく○○さんが真っ当なユタなわけがない(笑)」
母「あの子はおかしいよね」
私「神拝みしてる人間が人を許せないで逆に邪道の願立てするなんて、それが結果的に呪詛になると知らないわけではないだろうに・・・・バカじゃねー」
M伯母さん「あのとき私がいかんければTは死んでるよ。それくらいのモノだった。そこまでするほどのトラブルでもないのに。おそらく○○はクチイレの願立てはあれ一回じゃないね」
私「たぶん本人は気付いてないんだろうね。ただ誰かにムカつきながら神棚に向かってるだけかもしれない。でも、神棚の神様は、その思いを「願い」として聞き入れて動いてしまうんでしょうね。で、結果的に自分に因果が還ってくる。
だから神に向かう人間は、自分の思いが神前に向かうに正しいかチェックできないといけない。それができてない時点で、もう○○さんはユタとしてダメなんでしょうねー」
もちろんこれはユタのごく一部、外道の場合です。
これはすべての信仰者への警告でもある。
あなたの心は神前に向かうに正しいか。
その心が、無意識であっても思わぬ「仕事」をするかもしれないのだ。
だから神に奉仕する者には「下座の心」「心を調律する教え」が必要なのだ。
自らが正しいと思ったときに、すぐそこに魔境はある。
人を許せる信仰者が、本物の「神近き人」なのだと思う。
親戚のTさん(女性)と会う約束をしていた。
しかし、直前になって電話がきた。
「どうにも具合が悪い、今日は会うのは無理っぽい」
そのとき、M伯母さんの第六感がピーンときた。
これはおかしい。ちょっと行ってみないといけない。
M伯母さんはTさんに「すぐ行くから待ってなさい」と返事して、すぐにTさんの住む市営住宅に向かった。
玄関の扉をあけたとき、お風呂を空だきしてるのか?と思った。
Tさんの家の中全体が、真っ白な霧に包まれていたのだ。
一寸先も見えない正体不明の濃霧。こんなことははじめてだった。
この濃霧のようなモノが、Tさんの具合を悪くしている。そう感じ取ったM伯母さんはすぐ動いた。
手探りで台所にいき、使い慣れたT家の台所の棚から塩をとった。
祈りの言葉を唱えながら、ある特別な手つきで塩を家中にまく。そして窓をあけ、窓に向かってちがう手つきで塩をまいた。
白い濃霧は追い立てられるように窓の外にでていった。
白い濃霧がひいたあと、畳部屋に寝ているTさんがいた。濃霧のせいでどこに寝てるかさえも見えなかったのだ。
Tさんはそのあと急激に回復したという。
私「M伯母さん、それはなんだったの?」
M伯母さん「どうやら、クチイレ(呪詛)かけられてたらしいよ」
私「え!?」
母「あー、そういえば○○(母とTさんの共通の知人のユタ)が、Tのことそんなふうな変な願立てをしたみたいなこと言ってたわ。聞いててよく意味わからんかったけど、それを聞いたらわかった」
M伯母さん「○○ね。あいつならやりかねんが」
私「つまり、外道ユタの○○さんがTさんにしたクチイレを、はからずもM伯母さんが見抜いて返しちゃったわけですね。基本返しは三倍から20倍らしいですよ」
母「あのあとくらいじゃない?あの子、ものすごいケガしたでしょ。治りもすごい悪かったし。」
M伯母さん「人にクチイレするような人間には、必ず還るのよ。生きてるうちにバチかぶればいいが」
母「○○は神拝みしてるくせにそういえばしょっちゅうあちこち病気したりケガしてるね」
私「神棚に向かったあとは当りがきやすいってパチンコ屋にいく○○さんが真っ当なユタなわけがない(笑)」
母「あの子はおかしいよね」
私「神拝みしてる人間が人を許せないで逆に邪道の願立てするなんて、それが結果的に呪詛になると知らないわけではないだろうに・・・・バカじゃねー」
M伯母さん「あのとき私がいかんければTは死んでるよ。それくらいのモノだった。そこまでするほどのトラブルでもないのに。おそらく○○はクチイレの願立てはあれ一回じゃないね」
私「たぶん本人は気付いてないんだろうね。ただ誰かにムカつきながら神棚に向かってるだけかもしれない。でも、神棚の神様は、その思いを「願い」として聞き入れて動いてしまうんでしょうね。で、結果的に自分に因果が還ってくる。
だから神に向かう人間は、自分の思いが神前に向かうに正しいかチェックできないといけない。それができてない時点で、もう○○さんはユタとしてダメなんでしょうねー」
もちろんこれはユタのごく一部、外道の場合です。
これはすべての信仰者への警告でもある。
あなたの心は神前に向かうに正しいか。
その心が、無意識であっても思わぬ「仕事」をするかもしれないのだ。
だから神に奉仕する者には「下座の心」「心を調律する教え」が必要なのだ。
自らが正しいと思ったときに、すぐそこに魔境はある。
人を許せる信仰者が、本物の「神近き人」なのだと思う。
具合が悪くなったときの対処法 伯母さんからきいた話
2011年08月15日
母の姉であるM伯母さんはなかなかに霊的な人で、霊は見えないもののかなり霊的存在を意識した生活をしている。
たとえば、すこし具合が悪くなるときにはすぐに感づいて声をかけ、体を「バシッ!」と思い切り三回たたく。これでキツケと霊はずし(体の中に入らないうちはこれで大体はずれる)を兼ねているわけだ。実際、これでかなりよくなるらしい。
お盆の間私も一度急にギックリ腰の前兆のような症状がでたが、そのときハッと気付いて
「誰が私に憑けと言ったか!!」
と思い切り怒鳴ってグッと体に力をいれたら一瞬でなおった。たぶんあのときにはずれたのだろう。
うちの母もお盆の最中二度ほど腰がキツくなったので、私がすぐに腰を叩いたらすぐに治った。オバケか生き念か他の邪気かはわかりませんが、きた瞬間に叩けばすぐにはずれます。
コツは「具合が悪いと思った瞬間に気合いをいれてたたくこと」。これをそのまま我慢して放っておくと体の中に入られます。そうすると体の外に追い出すのがかなりめんどくさくなる。
こーゆーやり方を教えてくれる伯母さんなわけです(笑)
幸福の科学の会員さんなら「おかしいと思った瞬間に脊髄反射なみの早さでファイト」ですね(笑)
また、伯母さんはつねに塩を常備している。山に入るときや海に入るときにはかならず声にだして
「山の神様、海の神様、どうか入らせてくださいませ。この山やこの海を荒らしたりいたしませんので、どうか私達に災いがないようにお守りくださいませ(方言を標準語訳)」
と祈りの言葉を唱えながら塩をふる。伯母さんいわく「これをしてから入ると、おかしくなる前(災いの前兆)がわかる」らしい。きっとキチンと礼を立てたので神様が教えてくださるのだろう。
M伯母さんはそーゆー人なので、「おかしくなる前」と感じたらすぐに動く。
母や親戚達と海に入っているときもそうだったという。その日、M伯母さんと母はみんなから少し離れたところにいたらしい。
そこはたくさん貝がいて、母は喜んで夢中で採っていた。
すると、熱心に貝を採る母の背中をM伯母さんがつついたのだという。
「どうしたの?」と母がきくと、M伯母さんはひとさしゆびを口に当てた。しゃべるな、と。
そのジェスチャーは「空気がおかしい」ときにしかしない。それを見て母は察したという。
M伯母さんは黙ったまま指を他のみんながいる方向にむけた。そのまま二人でその場を離れたのだという。
帰りの車のなかで母がきいた。「なんであのとき離れたの?」
M伯母さんは淡々と答えたという。
「すこし沖側のサンゴの上に猫がいてずっとこっちを見てた。あんなところに猫がいるなんて長く海にでてるけど見たことがない。不自然なものを見たらすぐに離れなさい。かならずあとでおかしいことになるから」
後に、その場所で最近貝拾いの男性が亡くなっていたことを知ったという。
ちなみに「おかしいこと」というのは「災い」を遠回しに表現したM伯母さんなりの言葉だ。
M伯母さんは「クチンバチかぶる(悪い言霊は現実になる)」と言って、なるべく悪いことは直接的な表現はしない。
空気が不自然だったり、おかしいと感じる場所では口をきかずにすぐに離れること。これがM伯母さんの鉄則だ。
親戚の親子数組とピクニックにいったときもそうだった。
ある海辺の涼やかな木の木陰お母さんと赤ちゃん達をおいてしばらく離れて戻ると、赤ちゃんの一人の顔にすこし発疹がでていることにM伯母さんが気付いた。木を見上げると、その木はガジュマルだった。ガジュマルはケンムンという妖怪が宿るとされている。ケンムンはよくイタズラをすると言われていた。
「これはおかしい!すぐその木から離れなさい!」
M伯母さんは赤ちゃんを木陰から離すと「この子は神様の子だからさわったらバチかぶりになるよ!」と唱えながら赤ちゃんに塩をかけた。
しばらくして発疹がひくと、M伯母さんは「七つまでの子供は弱いからすぐ帰そう」とみんなで今日は帰ることを提案した。
発疹がでた赤ちゃんの両親はすぐに同意したが、他の人達やなにもなかった赤ちゃんの両親は露骨にいやがった。どうしてそんなことを言うのかという顔で「せっかくきたんだからまだいる」とのこった。
結局、発疹のでた赤ちゃんの両親とM伯母さんだけがすぐに荷物をまとめて帰ったという。
その日の夜、のこった方の赤ちゃんが高熱を出した。高熱は3日もひかず、一時は危険な状態までいったのだという。
「だから、おかしくなりそうな空気を感じたらすぐに移動するか帰りなさい。特に子供は弱いから、油断してはいかんよ」
とはM伯母さん談。
M伯母さん、カッコイイっす!
たとえば、すこし具合が悪くなるときにはすぐに感づいて声をかけ、体を「バシッ!」と思い切り三回たたく。これでキツケと霊はずし(体の中に入らないうちはこれで大体はずれる)を兼ねているわけだ。実際、これでかなりよくなるらしい。
お盆の間私も一度急にギックリ腰の前兆のような症状がでたが、そのときハッと気付いて
「誰が私に憑けと言ったか!!」
と思い切り怒鳴ってグッと体に力をいれたら一瞬でなおった。たぶんあのときにはずれたのだろう。
うちの母もお盆の最中二度ほど腰がキツくなったので、私がすぐに腰を叩いたらすぐに治った。オバケか生き念か他の邪気かはわかりませんが、きた瞬間に叩けばすぐにはずれます。
コツは「具合が悪いと思った瞬間に気合いをいれてたたくこと」。これをそのまま我慢して放っておくと体の中に入られます。そうすると体の外に追い出すのがかなりめんどくさくなる。
こーゆーやり方を教えてくれる伯母さんなわけです(笑)
幸福の科学の会員さんなら「おかしいと思った瞬間に脊髄反射なみの早さでファイト」ですね(笑)
また、伯母さんはつねに塩を常備している。山に入るときや海に入るときにはかならず声にだして
「山の神様、海の神様、どうか入らせてくださいませ。この山やこの海を荒らしたりいたしませんので、どうか私達に災いがないようにお守りくださいませ(方言を標準語訳)」
と祈りの言葉を唱えながら塩をふる。伯母さんいわく「これをしてから入ると、おかしくなる前(災いの前兆)がわかる」らしい。きっとキチンと礼を立てたので神様が教えてくださるのだろう。
M伯母さんはそーゆー人なので、「おかしくなる前」と感じたらすぐに動く。
母や親戚達と海に入っているときもそうだったという。その日、M伯母さんと母はみんなから少し離れたところにいたらしい。
そこはたくさん貝がいて、母は喜んで夢中で採っていた。
すると、熱心に貝を採る母の背中をM伯母さんがつついたのだという。
「どうしたの?」と母がきくと、M伯母さんはひとさしゆびを口に当てた。しゃべるな、と。
そのジェスチャーは「空気がおかしい」ときにしかしない。それを見て母は察したという。
M伯母さんは黙ったまま指を他のみんながいる方向にむけた。そのまま二人でその場を離れたのだという。
帰りの車のなかで母がきいた。「なんであのとき離れたの?」
M伯母さんは淡々と答えたという。
「すこし沖側のサンゴの上に猫がいてずっとこっちを見てた。あんなところに猫がいるなんて長く海にでてるけど見たことがない。不自然なものを見たらすぐに離れなさい。かならずあとでおかしいことになるから」
後に、その場所で最近貝拾いの男性が亡くなっていたことを知ったという。
ちなみに「おかしいこと」というのは「災い」を遠回しに表現したM伯母さんなりの言葉だ。
M伯母さんは「クチンバチかぶる(悪い言霊は現実になる)」と言って、なるべく悪いことは直接的な表現はしない。
空気が不自然だったり、おかしいと感じる場所では口をきかずにすぐに離れること。これがM伯母さんの鉄則だ。
親戚の親子数組とピクニックにいったときもそうだった。
ある海辺の涼やかな木の木陰お母さんと赤ちゃん達をおいてしばらく離れて戻ると、赤ちゃんの一人の顔にすこし発疹がでていることにM伯母さんが気付いた。木を見上げると、その木はガジュマルだった。ガジュマルはケンムンという妖怪が宿るとされている。ケンムンはよくイタズラをすると言われていた。
「これはおかしい!すぐその木から離れなさい!」
M伯母さんは赤ちゃんを木陰から離すと「この子は神様の子だからさわったらバチかぶりになるよ!」と唱えながら赤ちゃんに塩をかけた。
しばらくして発疹がひくと、M伯母さんは「七つまでの子供は弱いからすぐ帰そう」とみんなで今日は帰ることを提案した。
発疹がでた赤ちゃんの両親はすぐに同意したが、他の人達やなにもなかった赤ちゃんの両親は露骨にいやがった。どうしてそんなことを言うのかという顔で「せっかくきたんだからまだいる」とのこった。
結局、発疹のでた赤ちゃんの両親とM伯母さんだけがすぐに荷物をまとめて帰ったという。
その日の夜、のこった方の赤ちゃんが高熱を出した。高熱は3日もひかず、一時は危険な状態までいったのだという。
「だから、おかしくなりそうな空気を感じたらすぐに移動するか帰りなさい。特に子供は弱いから、油断してはいかんよ」
とはM伯母さん談。
M伯母さん、カッコイイっす!
【natsuさんより】奄美の霊的なイミ
2011年07月16日
薬売り陰陽師さんはnatsuさんです。
呆早淫流 槍術指南さんはタイロンさんです。
___________
アマミキョ ナツさん、奄美は?
奄美はなんでしょう
風小僧 アマミキョさんおかえりなさい
アマミキョ ただいま!
薬売り陰陽師 ちょっとまっていて
アマミキョ はい
あ!つらかったら今日はもう結構ですよ!すみません!!
薬売り陰陽師 いいですか
妄想です
奄美の現代的なイミはいくつかあります
1,
アマミキョ はい、お疲れですから。申し訳ありませんでした。
え!いいんですか?
呆早淫流 槍術指南 ふむふむ。
薬売り陰陽師 沖縄と同様に国防というイミです
アマミキョ はい
薬売り陰陽師 奄美もまた国防上、日本という国を守るために重要な意味をもっています、これはご存じかと思います
2,
これは、この土地にまつわる霊界の話です
アマミキョ はい
風小僧 はい
薬売り陰陽師 それは、この土地に封印されているモノを 解放するイミがあります
アマミキョ 奄美に封印されてる存在
薬売り陰陽師 これは主の力の影響ありて、可能であり、もし、その光が届かない場合には、この封印を解くことは長らくないでしょう
それが良いか悪いかは分かりません
その封印の内容も私には分かりません
アマミキョ はい
薬売り陰陽師 3つ
アマミキョ はい
薬売り陰陽師 この場所は小笠原とつながっています
これが何を意味するのかは分かりません、
どのようにつながっているのかも分かりませんが、縁があります
アマミキョ 小笠原…なんだろう
薬売り陰陽師 元々 ムーの大陸からの流れというか、そういう道筋で同列、、っと言うイミ、、、、
分かりません
ゆかりん(PC) 小笠原とは、興味深いですね。 竜の宝珠にあたるような位置ですね。
薬売り陰陽師 何か、奄美という場所はとても霊的な部分では重要のようです
アマミキョ ありがとうございました!!
薬売り陰陽師 ただ、複数の糸が絡まっているようで、単純ではありません
風小僧 ありがとう御座いました。
薬売り陰陽師 固有の神、日本の神々、海洋の神、古き神、、、
ゆかりん(PC) 有難うございました。
薬売り陰陽師 いろいろが混ざっているようです
呆早淫流 槍術指南 ふむふむ。
薬売り陰陽師 難しく見切れません
以上
アマミキョ やはりですか…
薬売り陰陽師 ただ、沖縄の神とは全く別ですね。
アマミキョ ナツさん、ありがとうございました
薬売り陰陽師 種類が違う
以上
M 小笠原との関係は『雛形』と『国防』。
『二つの雛形の龍体の日本』のそれぞれの雛形。
その関係込みで『世界遺産』。
半ばインスピ込み。
とっちー@ 人種のるつぼかな
呆早淫流 槍術指南 ほ〜〜〜うう。
ゆかりん(PC) 人種というか宇宙人の坩堝ですね、日本は。
アマミキョ 奄美はそう簡単じゃないということですね
呆早淫流 槍術指南 主の光届きてこそ可能。
ゆかりん(PC) さすが奄美、という感じですね。
とっちー@ それくらい複雑ということですな
呆早淫流 槍術指南さんはタイロンさんです。
___________
アマミキョ ナツさん、奄美は?
奄美はなんでしょう
風小僧 アマミキョさんおかえりなさい
アマミキョ ただいま!
薬売り陰陽師 ちょっとまっていて
アマミキョ はい
あ!つらかったら今日はもう結構ですよ!すみません!!
薬売り陰陽師 いいですか
妄想です
奄美の現代的なイミはいくつかあります
1,
アマミキョ はい、お疲れですから。申し訳ありませんでした。
え!いいんですか?
呆早淫流 槍術指南 ふむふむ。
薬売り陰陽師 沖縄と同様に国防というイミです
アマミキョ はい
薬売り陰陽師 奄美もまた国防上、日本という国を守るために重要な意味をもっています、これはご存じかと思います
2,
これは、この土地にまつわる霊界の話です
アマミキョ はい
風小僧 はい
薬売り陰陽師 それは、この土地に封印されているモノを 解放するイミがあります
アマミキョ 奄美に封印されてる存在
薬売り陰陽師 これは主の力の影響ありて、可能であり、もし、その光が届かない場合には、この封印を解くことは長らくないでしょう
それが良いか悪いかは分かりません
その封印の内容も私には分かりません
アマミキョ はい
薬売り陰陽師 3つ
アマミキョ はい
薬売り陰陽師 この場所は小笠原とつながっています
これが何を意味するのかは分かりません、
どのようにつながっているのかも分かりませんが、縁があります
アマミキョ 小笠原…なんだろう
薬売り陰陽師 元々 ムーの大陸からの流れというか、そういう道筋で同列、、っと言うイミ、、、、
分かりません
ゆかりん(PC) 小笠原とは、興味深いですね。 竜の宝珠にあたるような位置ですね。
薬売り陰陽師 何か、奄美という場所はとても霊的な部分では重要のようです
アマミキョ ありがとうございました!!
薬売り陰陽師 ただ、複数の糸が絡まっているようで、単純ではありません
風小僧 ありがとう御座いました。
薬売り陰陽師 固有の神、日本の神々、海洋の神、古き神、、、
ゆかりん(PC) 有難うございました。
薬売り陰陽師 いろいろが混ざっているようです
呆早淫流 槍術指南 ふむふむ。
薬売り陰陽師 難しく見切れません
以上
アマミキョ やはりですか…
薬売り陰陽師 ただ、沖縄の神とは全く別ですね。
アマミキョ ナツさん、ありがとうございました
薬売り陰陽師 種類が違う
以上
M 小笠原との関係は『雛形』と『国防』。
『二つの雛形の龍体の日本』のそれぞれの雛形。
その関係込みで『世界遺産』。
半ばインスピ込み。
とっちー@ 人種のるつぼかな
呆早淫流 槍術指南 ほ〜〜〜うう。
ゆかりん(PC) 人種というか宇宙人の坩堝ですね、日本は。
アマミキョ 奄美はそう簡単じゃないということですね
呆早淫流 槍術指南 主の光届きてこそ可能。
ゆかりん(PC) さすが奄美、という感じですね。
とっちー@ それくらい複雑ということですな
奄美の不思議話・ある神隠し
2011年05月17日
古仁屋に住んでおられるある方からお聞きした話。
十数年前、当時高校生の男性が行方不明になったという。
山の入り口に男性の自転車があったが、地元の警察や消防団の大がかりな捜索にもかかわらず、男性は見つからなかった。
みんなが諦めていた一週間後、男性は自転車のあった山とはまったく違う山から下りてきたという。
「なんでも、山で迷って、同じ所をぐるぐるしてたんだって」
「へぇー」
「そしたら、男の人がでてきて、こっちにきてごらんて言うからついていったんだって」
「ゆ・・・幽霊じゃないですか?」
「よくわかんない。そしたら、向こうに何人か人がいて、おばちゃんが方言で「あんたお腹空いてるんじゃない?これ食べなさい」っておにぎりをくれたって」
「そのおにぎりに見えるモノがなんだったのか激しく気になりますね・・・」
「で、そのおじさんおばさんたちが帰り道を教えてくれたらしいよ」
「なんなんですかね。ケンムンに迷わされたんですかね?」
「どうだろうね。でも、私の世代では結構有名な話だよー」
奄美では昔から「ケンムンに迷わされる」ということがあります。本土でいう「狐に化かされる」というヤツですね。
ケンムンは姿が見えないだけで、実は今もすぐそこの山にいるのかもしれませんね。
ちなみに私は高校生のとき、夕暮れ時に自宅の裏山で「猿のようなモノ」を見たことがあります。
うちの近所に猿飼ってる人はいないんですが、きっとアレは猿です(笑)
十数年前、当時高校生の男性が行方不明になったという。
山の入り口に男性の自転車があったが、地元の警察や消防団の大がかりな捜索にもかかわらず、男性は見つからなかった。
みんなが諦めていた一週間後、男性は自転車のあった山とはまったく違う山から下りてきたという。
「なんでも、山で迷って、同じ所をぐるぐるしてたんだって」
「へぇー」
「そしたら、男の人がでてきて、こっちにきてごらんて言うからついていったんだって」
「ゆ・・・幽霊じゃないですか?」
「よくわかんない。そしたら、向こうに何人か人がいて、おばちゃんが方言で「あんたお腹空いてるんじゃない?これ食べなさい」っておにぎりをくれたって」
「そのおにぎりに見えるモノがなんだったのか激しく気になりますね・・・」
「で、そのおじさんおばさんたちが帰り道を教えてくれたらしいよ」
「なんなんですかね。ケンムンに迷わされたんですかね?」
「どうだろうね。でも、私の世代では結構有名な話だよー」
奄美では昔から「ケンムンに迷わされる」ということがあります。本土でいう「狐に化かされる」というヤツですね。
ケンムンは姿が見えないだけで、実は今もすぐそこの山にいるのかもしれませんね。
ちなみに私は高校生のとき、夕暮れ時に自宅の裏山で「猿のようなモノ」を見たことがあります。
うちの近所に猿飼ってる人はいないんですが、きっとアレは猿です(笑)
須野の神社の神様は女神さまだっちゃ
2011年01月03日
1月1日、主人の実家の目の前にある神社に初詣にいきました。
お義姉さんご夫妻と主人と私。てくてく山を登ること5分。
浄財を捧げ、四人で手を合わせてまいりました。
須野の神社といえば、私が主人と結婚したとき、主人と二人で真っ先にこちらの神社に結婚のご挨拶に参拝いたしました。
「須野の◎◎◎◎の次男、◎の嫁になりました。不束者ではありますがこれからどうぞよろしくお願いします」
二人でお祈りして帰ろうと社に背をむけたとき。唐突に私の脳裏にパン!とビジョンが降ってきたんですね。
神社の板間に美しい十二単をつけたとても気品のある高貴な女性が鎮座しておられ、私にもったいないほどのあたたかい眼差しを向けてくださっているビジョンでした。
のちほど地元の古老から「須野の神社の神様は女の神さま」とお聞きしましたが、十二単をつけておられるのは以外でした。(私の脳内で神様が十二単をつけているというイメージは今までなかった)
とてももったいない、とてもありがたい祝福をいただいた、結婚当時の思い出です。
地元の神社の神様に感謝ですね☆
(・∀・)
そろそろ子供さずかりたいっちゃ!
щ(`Д ´щ)カマァァァン!!
お義姉さんご夫妻と主人と私。てくてく山を登ること5分。
浄財を捧げ、四人で手を合わせてまいりました。
須野の神社といえば、私が主人と結婚したとき、主人と二人で真っ先にこちらの神社に結婚のご挨拶に参拝いたしました。
「須野の◎◎◎◎の次男、◎の嫁になりました。不束者ではありますがこれからどうぞよろしくお願いします」
二人でお祈りして帰ろうと社に背をむけたとき。唐突に私の脳裏にパン!とビジョンが降ってきたんですね。
神社の板間に美しい十二単をつけたとても気品のある高貴な女性が鎮座しておられ、私にもったいないほどのあたたかい眼差しを向けてくださっているビジョンでした。
のちほど地元の古老から「須野の神社の神様は女の神さま」とお聞きしましたが、十二単をつけておられるのは以外でした。(私の脳内で神様が十二単をつけているというイメージは今までなかった)
とてももったいない、とてもありがたい祝福をいただいた、結婚当時の思い出です。
地元の神社の神様に感謝ですね☆
(・∀・)
そろそろ子供さずかりたいっちゃ!
щ(`Д ´щ)カマァァァン!!
奄美のお盆のオカルト話
2010年08月25日
昨日は送り盆でしたね。
親戚のおじさんや知人のおじさんたちと、オカルトな話題で盛り上がりました。
Iおじさん「○○の○○でケンムンみたど!仕事がおして、夜に荷物置き場にいったら、子供みたいな背丈のヤツが三人くらいワイワイ遊んでるわけ!真っ暗でよくみえんかったのがよかったのか、そこら辺の子供かいっち思って怒鳴りつけたら、あわててザザザザ~ッち三人とも近くの竹の上にのぼっていくがな!その瞬間にもうダッシュで逃げたど!次の日はそこら辺一体に塩まけるだけまいたよ!(笑)」
このIおじさんは霊は一切信じないのにケンムンは信じるというとても不思議な人である。(笑)
実証主義者というか、自分が体験したもの以外は一切信じない。ただし、神道(カミミチ)などのまつりごとの禁忌は決しておろそかにしない。
このIおじさんは30年以上前、古仁屋にいく手前で「ミンキラウヮ」(首無し豚)に遭遇したこともある。(笑)
夜どうしても徒歩で古仁屋にいかねばならず、地元の人が止めるのもきかずに古仁屋にむかったという。
神社の鳥居のあるところで「犬?みたいなのがたくさん足下にまとわりついてきた」
本人は大の犬嫌いだったので見もせずに蹴飛ばしながら(よくきいたらそれはそれでひどい)歩いたが、あまりにまとわりついてくるのでよく見たら「首の無い子豚だった」という。
あとは猛ダッシュでひたすら蹴飛ばしながらすすんで、峠をこえたら消えたらしい。
「よかったですね~。そいつに股くぐられたらよくて高熱、最悪死んでましたよ」
と私が言ったら絶句してたな、昔(笑)
古仁屋についたら旅館の人が「あんたあそこを通ってきたの!」とビックリしてたらしい(笑)
もう30年以上の話だ。もう時効でしょ?(笑)
私は隊長に「キミには男性の奄美の神様がいる。それはお母さんびきだろう」と言われた話、Y先輩が「うちの裏山で山いっぱいのデカい顔をした山神さまを見た話」を披露。
さすがIおじさん、山神さまがお母さんびきと言われたいう話のときにすかさず
「キミのお母さんのお祖父ちゃんはできた樵だったからな。だぶん山神様の加護が強いんだろう」
で、言わんでもいいのに
「キミの今住んでるところはかなり土地的に古いからな。良くも悪くもたくさんいると思うぞ。たぶんそのデカい顔の山神様がそこら一帯を治めてるんだろう」
Iおじさん、あんた本当に霊を信じてないんかい!(笑)
あー霊感なくてよかったー ( ゚Д゚)
それにのっかって母ちゃんが「大工道具に足を向けて昼寝してしまい、山の神様に叱られた話」と「樵だった祖父も山小屋で山神様を見た」話、祖父と畑仕事にいったときにケンムンの足跡を見た話を披露。
しかし今回はいい収穫ができた。○○の○○はケンムンがでやすい・・・と。ふーん。
そのあとなぜか話が「ずいぶん昔、工事現場から人骨がでてきた話」になる。
知人のおじさんがある町の個人宅の土地の整備で機械で現場を掘り返したら、掘り返した土のなかからしゃれこうべが見えたらしい。
すぐに当時の現場責任者だったIおじさんを呼ぶと、Iおじさんは骨をすべて集めさせ、すぐ土地の主と共にユタの元にいき供養してもらい、数時間で工事続行(笑)
「・・・あのー、それ、かぎりなく犯罪のニオイがしません?」
「いや、そーゆーのはめずらしくないよ。○○町の○○も昔墓地だったからあそこ掘り返したらすぐ骨でてくるしね。ほら、今公園になってるだろ?あそこ。」
「いや・・・墓地とそこはまた違うような・・・」
「ま、詳しいことはあまり詮索せんことだよ。ボクはそういう経験はめずらしくないんだ。○○町の○○だってよーく見たら、あちこちに人骨がころがってるよ。素人は人骨だとわからなかもしれないけどね。」
「へー!何回もいってますが気付きませんでした!」
「○○町は多いんだよ。たぶん、昔はやり病かなんかあったんだろうね。工事でなんでもない土もりをほりかえしたら人骨がごろごろでてきたことも数回じゃきかない。だから人骨にかまってるときりがないんだよ。土地の人にきいてもわからない。ほとんどは子孫にうち捨てられてたか、時代がかわると墓の場所さえわからなくなっちゃったのかもなぁ~」
「うーむ。」
一番のオカルト話はたぶん「仕事場で人骨がでてきても眉1つ動かさないIおじさんの肝の太さ」だと思います。(笑)
Iおじさん、半年ぶりに会って開口一番「あげー!あんた太りすぎじゃが!歩け!やせろ!」と言ったあなたの言葉を私は忘れません。
むきー。 (笑)
親戚のおじさんや知人のおじさんたちと、オカルトな話題で盛り上がりました。
Iおじさん「○○の○○でケンムンみたど!仕事がおして、夜に荷物置き場にいったら、子供みたいな背丈のヤツが三人くらいワイワイ遊んでるわけ!真っ暗でよくみえんかったのがよかったのか、そこら辺の子供かいっち思って怒鳴りつけたら、あわててザザザザ~ッち三人とも近くの竹の上にのぼっていくがな!その瞬間にもうダッシュで逃げたど!次の日はそこら辺一体に塩まけるだけまいたよ!(笑)」
このIおじさんは霊は一切信じないのにケンムンは信じるというとても不思議な人である。(笑)
実証主義者というか、自分が体験したもの以外は一切信じない。ただし、神道(カミミチ)などのまつりごとの禁忌は決しておろそかにしない。
このIおじさんは30年以上前、古仁屋にいく手前で「ミンキラウヮ」(首無し豚)に遭遇したこともある。(笑)
夜どうしても徒歩で古仁屋にいかねばならず、地元の人が止めるのもきかずに古仁屋にむかったという。
神社の鳥居のあるところで「犬?みたいなのがたくさん足下にまとわりついてきた」
本人は大の犬嫌いだったので見もせずに蹴飛ばしながら(よくきいたらそれはそれでひどい)歩いたが、あまりにまとわりついてくるのでよく見たら「首の無い子豚だった」という。
あとは猛ダッシュでひたすら蹴飛ばしながらすすんで、峠をこえたら消えたらしい。
「よかったですね~。そいつに股くぐられたらよくて高熱、最悪死んでましたよ」
と私が言ったら絶句してたな、昔(笑)
古仁屋についたら旅館の人が「あんたあそこを通ってきたの!」とビックリしてたらしい(笑)
もう30年以上の話だ。もう時効でしょ?(笑)
私は隊長に「キミには男性の奄美の神様がいる。それはお母さんびきだろう」と言われた話、Y先輩が「うちの裏山で山いっぱいのデカい顔をした山神さまを見た話」を披露。
さすがIおじさん、山神さまがお母さんびきと言われたいう話のときにすかさず
「キミのお母さんのお祖父ちゃんはできた樵だったからな。だぶん山神様の加護が強いんだろう」
で、言わんでもいいのに
「キミの今住んでるところはかなり土地的に古いからな。良くも悪くもたくさんいると思うぞ。たぶんそのデカい顔の山神様がそこら一帯を治めてるんだろう」
Iおじさん、あんた本当に霊を信じてないんかい!(笑)
あー霊感なくてよかったー ( ゚Д゚)
それにのっかって母ちゃんが「大工道具に足を向けて昼寝してしまい、山の神様に叱られた話」と「樵だった祖父も山小屋で山神様を見た」話、祖父と畑仕事にいったときにケンムンの足跡を見た話を披露。
しかし今回はいい収穫ができた。○○の○○はケンムンがでやすい・・・と。ふーん。
そのあとなぜか話が「ずいぶん昔、工事現場から人骨がでてきた話」になる。
知人のおじさんがある町の個人宅の土地の整備で機械で現場を掘り返したら、掘り返した土のなかからしゃれこうべが見えたらしい。
すぐに当時の現場責任者だったIおじさんを呼ぶと、Iおじさんは骨をすべて集めさせ、すぐ土地の主と共にユタの元にいき供養してもらい、数時間で工事続行(笑)
「・・・あのー、それ、かぎりなく犯罪のニオイがしません?」
「いや、そーゆーのはめずらしくないよ。○○町の○○も昔墓地だったからあそこ掘り返したらすぐ骨でてくるしね。ほら、今公園になってるだろ?あそこ。」
「いや・・・墓地とそこはまた違うような・・・」
「ま、詳しいことはあまり詮索せんことだよ。ボクはそういう経験はめずらしくないんだ。○○町の○○だってよーく見たら、あちこちに人骨がころがってるよ。素人は人骨だとわからなかもしれないけどね。」
「へー!何回もいってますが気付きませんでした!」
「○○町は多いんだよ。たぶん、昔はやり病かなんかあったんだろうね。工事でなんでもない土もりをほりかえしたら人骨がごろごろでてきたことも数回じゃきかない。だから人骨にかまってるときりがないんだよ。土地の人にきいてもわからない。ほとんどは子孫にうち捨てられてたか、時代がかわると墓の場所さえわからなくなっちゃったのかもなぁ~」
「うーむ。」
一番のオカルト話はたぶん「仕事場で人骨がでてきても眉1つ動かさないIおじさんの肝の太さ」だと思います。(笑)
Iおじさん、半年ぶりに会って開口一番「あげー!あんた太りすぎじゃが!歩け!やせろ!」と言ったあなたの言葉を私は忘れません。
むきー。 (笑)
鳥二題~昔とあるサイトに投稿した話
2010年03月20日
[鳥二題]
アマミキョさんからの投稿
みなさん、いつもありがとうございます。
「奄美ネタもщ(゜∀゜щ)カムカム」との事なので、しばらく地元ネタでいきたいと思います。
これは、私が「奄美の荒神さまの化身」と呼んでいるあるオッサンからきいた話です。
ちなみに、話はいずれも奄美大島の南部にある宇検村、とある集落での出来事です。
①ニホンドリ
終戦の日、天皇陛下のラジオのあと、どこからともなく不思議な鳥が一羽とんできた。
その鳥はとても大きく、羽をのばした姿はまるで鷹のようで、しかし奄美にはそのような大型の鳥などいない。
また不思議なことにその羽は真っ白で、大きく開いた両羽の真ん中だけ丸く赤い模様があり、まるで『日の丸』のようだと、村人はその鳥を「ニホンドリ」と呼んだそうです。
その不思議な鳥は集落の上空をはばたかず、まるで見守るかのようにゆっくり旋回すると、山の彼方へ飛び去ったそうです。
村人も、あのような鳥はこれまで見たことがないし、それからも誰も見ていないそうです。
あの鳥は一体……?
②火花をくわえて飛ぶ鳥
その集落で昔大火があった時のこと。
あるユタ(地元の霊媒師)の女性が、大火の最中に不思議な鳥を見たと証言した。
なんでも、赤い鳥たちが火元になった家を包む炎の周りに集まり、飛んでくる火花をくわえて、次々に周りの家にとびこんでいったという。
その大火では、風が吹いてなかったにもかかわらず、多くの家が焼けた。
また、違うユタも「自分は大火の前日に、神社から大きな赤い鳥がとんできたのを見た」と証言した。
その大きな赤い鳥は、集落を一直線に横切って消えたという。
燃えたのは、その一直線上の家家だったという。
奄美では、「火事は神のさわり」と昔からいわれています。何か関係があるんでしょうか?
アマミキョさんからの投稿
みなさん、いつもありがとうございます。
「奄美ネタもщ(゜∀゜щ)カムカム」との事なので、しばらく地元ネタでいきたいと思います。
これは、私が「奄美の荒神さまの化身」と呼んでいるあるオッサンからきいた話です。
ちなみに、話はいずれも奄美大島の南部にある宇検村、とある集落での出来事です。
①ニホンドリ
終戦の日、天皇陛下のラジオのあと、どこからともなく不思議な鳥が一羽とんできた。
その鳥はとても大きく、羽をのばした姿はまるで鷹のようで、しかし奄美にはそのような大型の鳥などいない。
また不思議なことにその羽は真っ白で、大きく開いた両羽の真ん中だけ丸く赤い模様があり、まるで『日の丸』のようだと、村人はその鳥を「ニホンドリ」と呼んだそうです。
その不思議な鳥は集落の上空をはばたかず、まるで見守るかのようにゆっくり旋回すると、山の彼方へ飛び去ったそうです。
村人も、あのような鳥はこれまで見たことがないし、それからも誰も見ていないそうです。
あの鳥は一体……?
②火花をくわえて飛ぶ鳥
その集落で昔大火があった時のこと。
あるユタ(地元の霊媒師)の女性が、大火の最中に不思議な鳥を見たと証言した。
なんでも、赤い鳥たちが火元になった家を包む炎の周りに集まり、飛んでくる火花をくわえて、次々に周りの家にとびこんでいったという。
その大火では、風が吹いてなかったにもかかわらず、多くの家が焼けた。
また、違うユタも「自分は大火の前日に、神社から大きな赤い鳥がとんできたのを見た」と証言した。
その大きな赤い鳥は、集落を一直線に横切って消えたという。
燃えたのは、その一直線上の家家だったという。
奄美では、「火事は神のさわり」と昔からいわれています。何か関係があるんでしょうか?
ユタ小話~昔とあるサイトに投稿した話
2010年03月20日
[ユタ小話]
アマミキョさんからの投稿
みなさん、いつもありがとうございます。今回も恐くないお話ですが、お耳汚し失礼いたします。
先日、母と話していた時のことです。奄美・沖縄の霊媒師、ユタの話になりました。奄美では昔から「医者半分・ユタ半分」といわれる位ごく自然にユタにお世話になる傾向があります。
以下、母の話です。
そういえばウチのAおばさん(母の姉)なんだけどね、よくあの人カミサマ(ユタのこと)にかかるじゃない?あの人霊感あるしさ、よく人のクチ(呪い・悪想念)もらっちゃうからねー。
むかしさー、市営住宅でさ、隣の人とトラブルになったんだって。そしたら、そのあと隣の人と共通の友達してる、カミサマやってるBさんから電話がきたらしいのね、「お茶飲まない?」って。で、そこでお茶のんで世間話して帰ったんだって。
そしたら、もう翌日から具合悪くなっちゃってね。まともに歩けないくらいになって。でも病院いっても原因不明でしょ?とうとう○○にいる有名なCカミサマ(男性)のところにいったんだって。
そしたらCカミサマ、おばさんを一目みるなり「これはクチいれられたな!どれどれ、早く祓ってあげよう。」
で、事の顛末を話したら、どうやらカミサマやってるBさんが隣の人に頼まれて、お茶に呪いをふきこんで飲ませたというのが明らかになったんだけど、そこでCカミサマの顔色が変わったらしいのね。
「Bは、俺の昔の嫁だ…」
でもってCカミサマ、結構厳しい人なんだけど、やっぱ情がのこってたんでしょうね、
「あんたにかかったクチは、本来ならかけた相手に還すんだが、還したら何倍にもなって還るものなんだ。俺の顔に免じて、今回のこのクチは俺に預けてくれないか?ここで止めておくから。もしこれをBにいま還したら、Bの身がもたんだろう…」
で、Aおばさんはあれだけひどい体の不調がお祓いですっかり治ったんだけどね。
え?BさんもCカミサマももう亡くなってるわよ?
クチ?まぁ、今は昔ほどはないみたいだけどねぇー。
(((゜д゜;)))ガクガクブルブル
四国みてぇ・・・・
アマミキョさんからの投稿
みなさん、いつもありがとうございます。今回も恐くないお話ですが、お耳汚し失礼いたします。
先日、母と話していた時のことです。奄美・沖縄の霊媒師、ユタの話になりました。奄美では昔から「医者半分・ユタ半分」といわれる位ごく自然にユタにお世話になる傾向があります。
以下、母の話です。
そういえばウチのAおばさん(母の姉)なんだけどね、よくあの人カミサマ(ユタのこと)にかかるじゃない?あの人霊感あるしさ、よく人のクチ(呪い・悪想念)もらっちゃうからねー。
むかしさー、市営住宅でさ、隣の人とトラブルになったんだって。そしたら、そのあと隣の人と共通の友達してる、カミサマやってるBさんから電話がきたらしいのね、「お茶飲まない?」って。で、そこでお茶のんで世間話して帰ったんだって。
そしたら、もう翌日から具合悪くなっちゃってね。まともに歩けないくらいになって。でも病院いっても原因不明でしょ?とうとう○○にいる有名なCカミサマ(男性)のところにいったんだって。
そしたらCカミサマ、おばさんを一目みるなり「これはクチいれられたな!どれどれ、早く祓ってあげよう。」
で、事の顛末を話したら、どうやらカミサマやってるBさんが隣の人に頼まれて、お茶に呪いをふきこんで飲ませたというのが明らかになったんだけど、そこでCカミサマの顔色が変わったらしいのね。
「Bは、俺の昔の嫁だ…」
でもってCカミサマ、結構厳しい人なんだけど、やっぱ情がのこってたんでしょうね、
「あんたにかかったクチは、本来ならかけた相手に還すんだが、還したら何倍にもなって還るものなんだ。俺の顔に免じて、今回のこのクチは俺に預けてくれないか?ここで止めておくから。もしこれをBにいま還したら、Bの身がもたんだろう…」
で、Aおばさんはあれだけひどい体の不調がお祓いですっかり治ったんだけどね。
え?BさんもCカミサマももう亡くなってるわよ?
クチ?まぁ、今は昔ほどはないみたいだけどねぇー。
(((゜д゜;)))ガクガクブルブル
四国みてぇ・・・・