私論・出雲族VS大和朝廷~古代日本の相克について
2013年11月05日
どうも。以前とある方に「あなは過去世において出雲族を謀計で滅ぼした高千穂族の者だから、出雲霊団に謝罪してほしい」と言われたアマミちゃんです。
もちろん土下座させていただきましたよ。ええ。私に記憶はないけどね。
ちなみに私が心から信頼する子房さんのリーディングでは、この私、「出雲族の兵士で、船に乗って海を越えた他国を侵略にいってた過去世(男性)」もありました。
高千穂だろうが出雲だろうが、他国を侵略してたということですね。hahahaha。
(子房さんいわく、大国の尖兵としての他国侵略と、その揺り返しとしての少数派の正義のための捨て身の生き方を繰り返してきたらしい)
そんな私、隊長によると、直前世は「奄美を侵略した薩摩から派遣された大島奉行」です。(笑)
まぁ、察してほしい。そういうことだ。
今日、さる方からメールが届いた。
「伊勢神宮にいくなら、出雲大社にも行ってほしい」
どうしてかというと、
「出雲と大和の相克がすごく苦しい。出雲と大和の和合が、日本にとって大きなテーマだと思う」
と。
私にそんなハードル高いこと言われても・・・・。(笑)
ある意味、出雲と大和朝廷の歴史は、奄美から見たらうらやましくてしょうがないんですが。
正直言いまして、出雲は、歴史のこってるんですよ?他の氏族よりも無茶苦茶優遇されてますぜ。(他の氏族は片っ端から歴史書を焼かれた。奄美もしかり)
もう、神様は一年中ずーっといるしさー。出雲すげーじゃん。と私が軽いノリで言ったら、出雲の人に怒られるのだろうか。
少し真面目に出雲と大和朝廷の相克について私が語ることをお許しいただけるなら、出雲の悲劇性は、ある種の「象徴」だと思う。
平家と源氏、物部と蘇我のように、古代日本を二分する争いはほかにもたくさんにあったわけで、出雲だけが特別じゃないわけですね。
文明の高さで言っても、超古代日本から縄文期の日本にかけては優れた都市はたくさんありましたので、むしろ出雲は優遇されている方。
なのにどうしてこれほどまでに出雲の「大和朝廷に蹂躙された悲しみ」が残るかというと、
それはやはり出雲側の「大国としてのプライド」と
他の滅ぼされた氏族側が感情移入しやすい「象徴」になっているからだと思う。
たとえば私は邪馬台国好き好き人間ですが、
幸福の科学のリーディングによれば、 出雲はかつて朝鮮との連合軍で邪馬台国を挟撃して攻め滅ぼし、その戦いのなかで二代目女王・壱与様が戦死されてますが、
それで私は「おのれ出雲ぉおおおお」とは微塵もならない。
だってには私関係ないもん。(きっぱり)歴史ってそんなものでしょ?と思う。
でも、「私のようには思わない人も多い」ということは理解できる。
この「感情移入」が、すごく危険なんですけどね。
相克というものを越えるには、相互理解と、交流が大事であり、
その点で、出雲と大和朝廷の和解には、「相互理解と交流」が必要で、
その意味で重要なのは、「隠された歴史」ではないかと思うわけです。
ここからは私の妄想ネタなんですが、
思うに、おそらく出雲という国は、縄文の古代からの思想を受け継ぐ、先史王朝の末裔の一派ではなかったか。
(出雲だけと言わず、日本各地に似た文化の王朝があったものと思われる)
縄文時代は弥生時代(大和朝廷が成立した時代)よりもはるかに全国レベルでの交易での交流が進んでいましたが、
おそらく、その交易で全国に及んだ共通文化が「龍神信仰」ではなかったかと、私は考えています。
出雲もふくめ、その交易拠点として勢力を拡大した国の共通の部分は、
「海人(あま)族」ではなかったかということ。
海人(あま)族は龍を祀り、太陽(天帝)を信仰していたものと私個人は考えております。
(この海人(あま)族による日本・朝鮮・中国・その他の国々を結ぶ海上交易による富の象徴が、霊亀ではないかと推測)
これら、各地にいた海人(あま)族の豪族の長(国王)が、おそらく「大国主」と呼ばれ、
大国主は、それぞれの大国にいたのではないでしょうか?
(国主は、氏族の長レベルだと思う)
つまり、出雲は、
古代縄文の日本の誇りと文明をのこした、いわば最大の王朝ではなかったかと。
他の国は、新興王朝である大和朝廷の侵攻により、またそれぞれほかの理由により、滅んだり、国としての変革を遂げていったものと思います。
つまり、何が言いたいかというと、
出雲族のルーツも、高千穂族のルーツも、元々は同じ「ニギハヤヒ」(南方がルーツの縄文王朝)ではないかと私は言いたいわけです。
そして、ニギハヤヒをさらに遡ると、奄美・琉球を主体としたムーの継承王朝に行き、
その先に、古代ムー文明があると、私個人は感じるのです。
(勾玉は元々、琉球一帯からとれていた南洋貝の加工品であり、古代縄文の代表的装飾品。古代の貝による装飾貨幣が神聖化されたもの)
出雲の恨みも、物部の恨みも、平家の恨みも、蝦夷の恨みも、幕末の会津の恨みも、
時代の相克があり、悲しみがあるのは事実です。
しかし、その相克を越えて、
本来のルーツが、同じものであり、
同じ理想であり、
また、これから向かう道が、同じ太陽の父への道であることを、
祝福できると共に、
互に慰め合い、いたわりあい、支え合う、
愛によって過去の悲しみを癒す道をつくっていきたいと願う。
個人的には、興亜観音のように「怨親平等」の慰霊碑を奄美につくりたい。
うーん。やっぱり出雲にいくべきなのかなあー。
お金がマジでないので来年以降ですみません・・・・。
古代の相克を越える、新しい和合の象徴が、必要ではないかと感じる。
それは、奄美から創ることも可能なはずだと思う。
奄美高千穂神社の例大祭に、Aさんと参列させていただきました
2013年11月05日
日曜日に奄美高千穂神社でありました例大祭に、Aさんと参列させていただきました。
私は慣れないよそ行きの服で時間ギリギリに到着し冷や汗をかきまくり。お祝い封筒を購入するので精一杯。(お祝い封筒を売ってたお店が、なぜかボールペン売ってなかったの・・・・)
先に着いていらしたAさんにボールペンをお借りして、御初穂料・・・と書いて、やっと準備OK!
手水舎で禊をしてから見てたんですが、参拝される方でこれをしてない人が意外に多い。知らないのか忘れてるのか?
自分が焦りまくって来たくせに、間に合って余裕が出たら周りが見えることに内心苦笑いしながら、Aさんと拝殿内に昇殿し、
たくさんの方がいるのに少しビックリしつつ、後ろの方に席をいただきました。
おっと、Aさんと一緒に、忘れずにお初穂料もご神前に奉納。
しばらくして、例大祭がはじまりました。
浄衣と呼ばれる白い狩衣をお召しになった神職の方々が、太鼓を叩いて、式典がはじまります。
独特の緊張感が周囲に広がり、なんともいえぬ厳かな感じ。
特別な式典なので、ご神前の扉が開けられ、氏神様との距離がぐぐっと近くなります。
神様へのお供物が捧げられる「献饌」も、いつもよりもたくさんのお供物が並びました。
あの果物、おいしそー!!!!!(笑)
今回の参列者代表の玉串奉納は、里秀和議員がされていました。
島唄の奉納は、とてもこぶしのきいた堂々としたお声で、とっても聞いていて気持ちよかったです。
式典が終わったあと、宮司さんから、挨拶のなかで「奄美高千穂神社のご祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)である」ことのご説明をいただく。
すみません、つい最近知りました・・・・・・。
み・・・みっしー!!!!!!(;ω;)
奄美高千穂神社のホームページ。御祭神が瓊瓊杵尊であると掲載されています。
http://takachihojinja.synapse-blog.jp/jinja/2008/03/post-a246.html
そして、最後にお神酒と、お下がりの赤飯、伊勢神宮から届いた神宮大麻(天照大神のご神符)、暦をいただく。
外でAさんとTさんと手水舎のところで立ち話していると、そこに神主DJさんが。
すかさず私、
「神宮大麻のお祀り方法について教えていただきたいのですが・・・」
神主DJさんから、非常にわかりやすいお言葉でご説明いただきました。
・できれば神棚にお祀りするのがベスト
・神棚がない場合は目線より上の棚
・棚もない場合は壁のサンにかける形で
・壁のサンもなければ、両面テープなどで壁に貼る。画鋲などは使ってはいけない
(貼る方角は太陽に向かう方角が望ましいが、構造上できない場合はお祀りするに適した場所で可)
・できたら朝お水を捧げ、夕にお水を下げるのが望ましい
なるほど!さすが神主DJさん!ちなみに私は壁のサンにかける派でした!
そしてその夜、Aさんからメールが。
なんとAさん、例大祭でいただいた神宮大麻をお祀りするための神棚を、ネットで注文されたそうです!!!!!
「隊長さんの講演会のときのお話にも『お祀り』ってあったし、これを機に、ちゃんとやろうかなぁ~と。野崎さん、お誘いくださってありがとうございました」
Aさん、こちらこそ、本当にありがとうございましたー!!!!!!
しかし、高千穂神社の御祭神が瓊瓊杵尊だったとは・・・・。
そして応神天皇だったとは!!!!(笑)
なんか、繋がりすぎてていろいろおもしろすぎるんですが(笑)
お赤飯、むちゃくちゃもちもちして美味しかったです。(笑)
私は慣れないよそ行きの服で時間ギリギリに到着し冷や汗をかきまくり。お祝い封筒を購入するので精一杯。(お祝い封筒を売ってたお店が、なぜかボールペン売ってなかったの・・・・)
先に着いていらしたAさんにボールペンをお借りして、御初穂料・・・と書いて、やっと準備OK!
手水舎で禊をしてから見てたんですが、参拝される方でこれをしてない人が意外に多い。知らないのか忘れてるのか?
自分が焦りまくって来たくせに、間に合って余裕が出たら周りが見えることに内心苦笑いしながら、Aさんと拝殿内に昇殿し、
たくさんの方がいるのに少しビックリしつつ、後ろの方に席をいただきました。
おっと、Aさんと一緒に、忘れずにお初穂料もご神前に奉納。
しばらくして、例大祭がはじまりました。
浄衣と呼ばれる白い狩衣をお召しになった神職の方々が、太鼓を叩いて、式典がはじまります。
独特の緊張感が周囲に広がり、なんともいえぬ厳かな感じ。
特別な式典なので、ご神前の扉が開けられ、氏神様との距離がぐぐっと近くなります。
神様へのお供物が捧げられる「献饌」も、いつもよりもたくさんのお供物が並びました。
あの果物、おいしそー!!!!!(笑)
今回の参列者代表の玉串奉納は、里秀和議員がされていました。
島唄の奉納は、とてもこぶしのきいた堂々としたお声で、とっても聞いていて気持ちよかったです。
式典が終わったあと、宮司さんから、挨拶のなかで「奄美高千穂神社のご祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)である」ことのご説明をいただく。
すみません、つい最近知りました・・・・・・。
み・・・みっしー!!!!!!(;ω;)
奄美高千穂神社のホームページ。御祭神が瓊瓊杵尊であると掲載されています。
http://takachihojinja.synapse-blog.jp/jinja/2008/03/post-a246.html
そして、最後にお神酒と、お下がりの赤飯、伊勢神宮から届いた神宮大麻(天照大神のご神符)、暦をいただく。
外でAさんとTさんと手水舎のところで立ち話していると、そこに神主DJさんが。
すかさず私、
「神宮大麻のお祀り方法について教えていただきたいのですが・・・」
神主DJさんから、非常にわかりやすいお言葉でご説明いただきました。
・できれば神棚にお祀りするのがベスト
・神棚がない場合は目線より上の棚
・棚もない場合は壁のサンにかける形で
・壁のサンもなければ、両面テープなどで壁に貼る。画鋲などは使ってはいけない
(貼る方角は太陽に向かう方角が望ましいが、構造上できない場合はお祀りするに適した場所で可)
・できたら朝お水を捧げ、夕にお水を下げるのが望ましい
なるほど!さすが神主DJさん!ちなみに私は壁のサンにかける派でした!
そしてその夜、Aさんからメールが。
なんとAさん、例大祭でいただいた神宮大麻をお祀りするための神棚を、ネットで注文されたそうです!!!!!
「隊長さんの講演会のときのお話にも『お祀り』ってあったし、これを機に、ちゃんとやろうかなぁ~と。野崎さん、お誘いくださってありがとうございました」
Aさん、こちらこそ、本当にありがとうございましたー!!!!!!
しかし、高千穂神社の御祭神が瓊瓊杵尊だったとは・・・・。
そして応神天皇だったとは!!!!(笑)
なんか、繋がりすぎてていろいろおもしろすぎるんですが(笑)
お赤飯、むちゃくちゃもちもちして美味しかったです。(笑)