【転載】産経・増税こそが復興を阻む
2011年04月20日
幸福実現党が三年前に言ってたことですね!(笑)
__________
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110419/fnc11041903320002-n1.htm
編集委員・田村秀男 増税こそが復興を阻む
2011.4.19 03:32
東日本大震災の復興財源問題で、増税論が幅をきかせている。菅直人首相は「復興構想会議」の五百旗頭(いおきべ)真議長に「国民全員の負担が必要」と言わせ、「復興税」で谷垣禎一・自民党総裁を抱き込もうとする。財務官僚の意をくむ学者は「連帯の証しだ」と説いて、消費税増税を勧める。が、だまされてはいけない。
増税はデフレ病に悩む日本経済をさらに萎縮させ、結局は復興と再生を阻む。そもそも大災厄下で真っ先に増税に走る政治指導者が世界のどこにいるのだろうか。
増税論者がよく引き合いに出すのは、1990年に東西統一したドイツが91年に導入した「連帯税」だ。この増税を財源にして旧西独が旧東独を支援したが、当時のドイツと今の日本には決定的な違いがある。統合前夜の西独は物価がなだらかに上昇し、国内総生産(GDP)は着実に拡大していた。統合後、増税しても家計に残る収入(可処分所得)は増え続けていった。
一方、日本は97年から始まったデフレが2008年9月のリーマン・ショック後加速し、所得もGDPの実額も縮小している。増税は細る家計をさらに細らせる。
もとより「困難を分かち合う」という精神は、世界からも称賛されている日本人の美徳である。だれでも同意こそすれ、異論をはさまない。そんな勤勉な国民性につけ込んで、政府が家計から富を奪う。民間は確実に疲弊しよう。
すでに消費者の間では自粛ムードが蔓延(まんえん)し、百貨店やスーパーなどの売り上げは低迷している。客足が半減した東京下町の商店街もある。サラリーマンは夜の飲食を控え、家族は週末の外出をためらう。需要の減退で企業は増産や設備投資に慎重になるだろう。若者の雇用機会はさらに減る。経済規模が縮小すると所得・法人税収は減るので、財政収支は悪化する。財源は枯渇、さらなる増税という悪循環にはまる。
増税ムードはもう一つ、やっかいな負の副産物をもたらす。円高である。日本は対外純債権270兆円、世界最大の債権国である。失われた資産はドル資産売却で楽々と埋められる。政府総債務はGDPの2倍もあるが、ギリシャ、スペイン、ポルトガルなど欧州の問題債務国と違って、国債の95%を国内貯蓄で支えている。おまけに増税まで繰り出す。
だから、円や日本国債の国際信用は高い。対照的に、米国はお札を刷って財政や金融を後押しするインフレ政策をとっている。増税というデフレ政策で支えられる円の価値は相対的に上がる-と海外の投機筋は読む。震災による設備のダメージや放射能汚染風評被害で日本製品はハンディを背負っている。さらに円高圧力が加われば日本の輸出産業は二重苦、三重苦にあえぐ羽目になる。
増税なしに莫大(ばくだい)な復興財源をどう創出するのか。鍵は対外債権にある。
参考例がある。東西ドイツ通貨統合を設計したH・ティートマイヤー西独連銀副総裁(後に独連銀総裁)は当時、「外貨準備こそはわがドイツの予備軍だ」と筆者に語った。余って外に流れ出た貯蓄の一部を政府が運用しているのが外準だ。ドイツがその範囲内でお札を刷って国内に流しても悪性インフレにはならなかった。日本は100兆円規模の外準を上限に国債を増発し、日銀が発行額に見合ったお札を刷ればよい。債権国だからこそ財源を容易に創出できるのだ。
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http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110419/fnc11041903320002-n1.htm
編集委員・田村秀男 増税こそが復興を阻む
2011.4.19 03:32
東日本大震災の復興財源問題で、増税論が幅をきかせている。菅直人首相は「復興構想会議」の五百旗頭(いおきべ)真議長に「国民全員の負担が必要」と言わせ、「復興税」で谷垣禎一・自民党総裁を抱き込もうとする。財務官僚の意をくむ学者は「連帯の証しだ」と説いて、消費税増税を勧める。が、だまされてはいけない。
増税はデフレ病に悩む日本経済をさらに萎縮させ、結局は復興と再生を阻む。そもそも大災厄下で真っ先に増税に走る政治指導者が世界のどこにいるのだろうか。
増税論者がよく引き合いに出すのは、1990年に東西統一したドイツが91年に導入した「連帯税」だ。この増税を財源にして旧西独が旧東独を支援したが、当時のドイツと今の日本には決定的な違いがある。統合前夜の西独は物価がなだらかに上昇し、国内総生産(GDP)は着実に拡大していた。統合後、増税しても家計に残る収入(可処分所得)は増え続けていった。
一方、日本は97年から始まったデフレが2008年9月のリーマン・ショック後加速し、所得もGDPの実額も縮小している。増税は細る家計をさらに細らせる。
もとより「困難を分かち合う」という精神は、世界からも称賛されている日本人の美徳である。だれでも同意こそすれ、異論をはさまない。そんな勤勉な国民性につけ込んで、政府が家計から富を奪う。民間は確実に疲弊しよう。
すでに消費者の間では自粛ムードが蔓延(まんえん)し、百貨店やスーパーなどの売り上げは低迷している。客足が半減した東京下町の商店街もある。サラリーマンは夜の飲食を控え、家族は週末の外出をためらう。需要の減退で企業は増産や設備投資に慎重になるだろう。若者の雇用機会はさらに減る。経済規模が縮小すると所得・法人税収は減るので、財政収支は悪化する。財源は枯渇、さらなる増税という悪循環にはまる。
増税ムードはもう一つ、やっかいな負の副産物をもたらす。円高である。日本は対外純債権270兆円、世界最大の債権国である。失われた資産はドル資産売却で楽々と埋められる。政府総債務はGDPの2倍もあるが、ギリシャ、スペイン、ポルトガルなど欧州の問題債務国と違って、国債の95%を国内貯蓄で支えている。おまけに増税まで繰り出す。
だから、円や日本国債の国際信用は高い。対照的に、米国はお札を刷って財政や金融を後押しするインフレ政策をとっている。増税というデフレ政策で支えられる円の価値は相対的に上がる-と海外の投機筋は読む。震災による設備のダメージや放射能汚染風評被害で日本製品はハンディを背負っている。さらに円高圧力が加われば日本の輸出産業は二重苦、三重苦にあえぐ羽目になる。
増税なしに莫大(ばくだい)な復興財源をどう創出するのか。鍵は対外債権にある。
参考例がある。東西ドイツ通貨統合を設計したH・ティートマイヤー西独連銀副総裁(後に独連銀総裁)は当時、「外貨準備こそはわがドイツの予備軍だ」と筆者に語った。余って外に流れ出た貯蓄の一部を政府が運用しているのが外準だ。ドイツがその範囲内でお札を刷って国内に流しても悪性インフレにはならなかった。日本は100兆円規模の外準を上限に国債を増発し、日銀が発行額に見合ったお札を刷ればよい。債権国だからこそ財源を容易に創出できるのだ。
隊長の話・宿と生と祓い
2011年04月20日
やっと小冊子限定版の隊長の話を書き終えましたよ!
むちゃくちゃヘビーで書いてて疲れた・・・・(;´Д`)ハァハァ
隊長いわく「本来表にするべき話じゃない」そうですので、みなさん、お楽しみに!(笑)
読んだら書いた私を褒めてね!(笑)
「おいおい、本当に小冊子にするつもりか~?」
「もちろんですがな!」
「ゆかりんも物好きだなぁ」
「まったくです(笑)」
「それ、出版したあとは文化大革命みたいにするんだろ?」
「苦労して小冊子にしたヤツを根こそぎ焚書してどうすんですか!」
「(笑) まったく、俺もなにしてるんだか・・・おっと・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、今救急車が通ったんだ」
「救急車も道路使いますからね」
「救急車の上にな」
「上?」
「黒い影がいたよ。たぶん『お迎え』だ」
「ぬおぉぉぉおおおお」
「見えるときと見えないときがあるがな」
「それは何ですか?」
「さぁな。修験ではあれを『死狐』というけどな」
「修験道は間違ってます!狐さんを差別するような言い方はやめてください!」
「うーん。なんていったらいいかな。野狐とか地狐とか天狐とかいうが、要は『人外のモノ』ということだよ。ほとんどは元人間だけどな」
「白菊姫様は『天狐』のトップクラスの方ですよね、たしか」
「そう」
「では『死狐』とはなんでしょう」
「知らん」
「ええええええええええ」
「あれを俺は知らないし、知ろうとも思わない」
「あのー、たとえば修験の先輩とかで『死狐』に関わろうとした方がいましたでしょうか・・・」
「いないな。」
「あ、じゃあ、もう結構です・・・」
「なんと言ったらいいかな・・西洋でいうところの『死に神』みたいなモンかな。といっても、ドクロでも鎌もってるわけでもない、ただの黒い影だけどな。
キミにもわかりやすくいえば、あれは『台風』だ。台風をなんとかしようと思うか?それは人間がなんとかできるもんじゃない。
ただ一つ言えることは、『それが傍に出た人間は必ず近いうちに死ぬ』ということだ。事故だろうが病気だろうが、必ずな」
「それに名前がついているということは、古来からプロの方々には見えていたんでしょうね。そして古来から、『ふれるな、関わるな』という不文律がある・・ということなんですね・・・」
「君がどういうイメージを持ちたいかはわからんが、あまり先入観でそれを解釈しようと思わないことだよ。なんていうかな・・・すごくわかりやすく言うと、あれは『宿命』みたいなもんだ。
運命は変えられる。でも、宿命は変えられない。そういう形に近いな」
「いまいちわかりません」
「そうだな・・・たとえば青酸カリを溶かした水が2リットルあるとする。君がそれに興味を持つ。興味をもつということは関わるということだ。関わると言うことは、飲みたいということだろ?じゃ、俺が言うことは一つだよ。飲んでみれば?」
「・・・・すみません、わかりました。かかわりません・・・」
「まぁ・・・アレが傍に現れるということは、おそらくは『持っていかれるとき』だからな」
「それもまた『宿命』なんですね」
「そうだな。たとえば、病気の人間がいるだろ?それはもしからしたら先祖のせいかもしれない、前世のカルマかもしれない。でもな、人間はかならず病気になるんだよ。病気に一度もかからず死ぬ人間を捜す方が難しい。そのときに、その「病気」をどう思うかだ。これは、宗教やヒーラーにハマりやすい人に強く言いたいね」
「病気を治すことや健康を取り戻したいという思い自体が、過ぎた欲になってしまう可能性もあると・・・」
「そう。人間には、抗えないものが3つある。産まれること、病気になること、死ぬことだよ。それはかならずくる。先祖のせいにしようがカルマのせいにしようがな。それも『宿命』だ。決して変えられない」
「はい」
「世の中は理不尽なことも多いんだよ。一見、自分の責任ではないことも多い。親の因果が子に報いということも厳にある。たとえば堕胎された赤ちゃん。あの赤ちゃんは何をした?何も悪いことしてないのに、親の都合だけで一方的に命を奪われる。ひどい話だと思わないか?」
「・・・・・」
「そういうときに、『カルマ』だの『反省』だの言っても、違うだろ?」
「そうですね」
「自動車事故で、一方的にぶつけられても、保険会社同士のやりとりでは絶対に10:0にはならない。なんでだと思う?それは、「そこにいたこと自体にすでに責任がある」んだよ。それを知らないといけない。自分がそこにいるということ自体が、一つの責任なんだよ。そこで知らずに罪も犯すだろう。理不尽な仕打ちを受けることもあるだろう。それも含めて、『生きてそこにいるという事にともなう宿命』なんだよ。
そこで理不尽な仕打ちを受けたときに、「神なんかいない」というヤツがいる。俺はこう思うんだ。
神は、たしかに我々を創りたもうた。でもな、神は産むだけなんだよ。動物や植物も理不尽に人間に蹂躙されてる。神が彼らを救うか?だから、どう生きるかは我々人間の自己責任なんじゃないか。神は命をつくった。あとどう生きるかは創られた命の自由意志に委ねられてるんだよ」
「だから、道徳が必要なんですね」
「すくなくとも神道がすぐれているのはそこだと思うよ。一切の罪と無関係だと思っていても、生きてそこにいるだけで責任が宿る以上、人間はかならずどこかで罪を犯すし、理不尽な形でケガレを受けることもある。でも祓うことでまたリセットできるんだよ。一度罪を犯しても祓えば罪は清められるからいつまでも裁かれる必要はないし、ケガレは祓えば清められるんだ。この切り替えは大事だと思うがな。」
「ホント、よくできてますよね!」
話が濃すぎて脳がこげる・・・・・
(;´Д`)ハァハァ
むちゃくちゃヘビーで書いてて疲れた・・・・(;´Д`)ハァハァ
隊長いわく「本来表にするべき話じゃない」そうですので、みなさん、お楽しみに!(笑)
読んだら書いた私を褒めてね!(笑)
「おいおい、本当に小冊子にするつもりか~?」
「もちろんですがな!」
「ゆかりんも物好きだなぁ」
「まったくです(笑)」
「それ、出版したあとは文化大革命みたいにするんだろ?」
「苦労して小冊子にしたヤツを根こそぎ焚書してどうすんですか!」
「(笑) まったく、俺もなにしてるんだか・・・おっと・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、今救急車が通ったんだ」
「救急車も道路使いますからね」
「救急車の上にな」
「上?」
「黒い影がいたよ。たぶん『お迎え』だ」
「ぬおぉぉぉおおおお」
「見えるときと見えないときがあるがな」
「それは何ですか?」
「さぁな。修験ではあれを『死狐』というけどな」
「修験道は間違ってます!狐さんを差別するような言い方はやめてください!」
「うーん。なんていったらいいかな。野狐とか地狐とか天狐とかいうが、要は『人外のモノ』ということだよ。ほとんどは元人間だけどな」
「白菊姫様は『天狐』のトップクラスの方ですよね、たしか」
「そう」
「では『死狐』とはなんでしょう」
「知らん」
「ええええええええええ」
「あれを俺は知らないし、知ろうとも思わない」
「あのー、たとえば修験の先輩とかで『死狐』に関わろうとした方がいましたでしょうか・・・」
「いないな。」
「あ、じゃあ、もう結構です・・・」
「なんと言ったらいいかな・・西洋でいうところの『死に神』みたいなモンかな。といっても、ドクロでも鎌もってるわけでもない、ただの黒い影だけどな。
キミにもわかりやすくいえば、あれは『台風』だ。台風をなんとかしようと思うか?それは人間がなんとかできるもんじゃない。
ただ一つ言えることは、『それが傍に出た人間は必ず近いうちに死ぬ』ということだ。事故だろうが病気だろうが、必ずな」
「それに名前がついているということは、古来からプロの方々には見えていたんでしょうね。そして古来から、『ふれるな、関わるな』という不文律がある・・ということなんですね・・・」
「君がどういうイメージを持ちたいかはわからんが、あまり先入観でそれを解釈しようと思わないことだよ。なんていうかな・・・すごくわかりやすく言うと、あれは『宿命』みたいなもんだ。
運命は変えられる。でも、宿命は変えられない。そういう形に近いな」
「いまいちわかりません」
「そうだな・・・たとえば青酸カリを溶かした水が2リットルあるとする。君がそれに興味を持つ。興味をもつということは関わるということだ。関わると言うことは、飲みたいということだろ?じゃ、俺が言うことは一つだよ。飲んでみれば?」
「・・・・すみません、わかりました。かかわりません・・・」
「まぁ・・・アレが傍に現れるということは、おそらくは『持っていかれるとき』だからな」
「それもまた『宿命』なんですね」
「そうだな。たとえば、病気の人間がいるだろ?それはもしからしたら先祖のせいかもしれない、前世のカルマかもしれない。でもな、人間はかならず病気になるんだよ。病気に一度もかからず死ぬ人間を捜す方が難しい。そのときに、その「病気」をどう思うかだ。これは、宗教やヒーラーにハマりやすい人に強く言いたいね」
「病気を治すことや健康を取り戻したいという思い自体が、過ぎた欲になってしまう可能性もあると・・・」
「そう。人間には、抗えないものが3つある。産まれること、病気になること、死ぬことだよ。それはかならずくる。先祖のせいにしようがカルマのせいにしようがな。それも『宿命』だ。決して変えられない」
「はい」
「世の中は理不尽なことも多いんだよ。一見、自分の責任ではないことも多い。親の因果が子に報いということも厳にある。たとえば堕胎された赤ちゃん。あの赤ちゃんは何をした?何も悪いことしてないのに、親の都合だけで一方的に命を奪われる。ひどい話だと思わないか?」
「・・・・・」
「そういうときに、『カルマ』だの『反省』だの言っても、違うだろ?」
「そうですね」
「自動車事故で、一方的にぶつけられても、保険会社同士のやりとりでは絶対に10:0にはならない。なんでだと思う?それは、「そこにいたこと自体にすでに責任がある」んだよ。それを知らないといけない。自分がそこにいるということ自体が、一つの責任なんだよ。そこで知らずに罪も犯すだろう。理不尽な仕打ちを受けることもあるだろう。それも含めて、『生きてそこにいるという事にともなう宿命』なんだよ。
そこで理不尽な仕打ちを受けたときに、「神なんかいない」というヤツがいる。俺はこう思うんだ。
神は、たしかに我々を創りたもうた。でもな、神は産むだけなんだよ。動物や植物も理不尽に人間に蹂躙されてる。神が彼らを救うか?だから、どう生きるかは我々人間の自己責任なんじゃないか。神は命をつくった。あとどう生きるかは創られた命の自由意志に委ねられてるんだよ」
「だから、道徳が必要なんですね」
「すくなくとも神道がすぐれているのはそこだと思うよ。一切の罪と無関係だと思っていても、生きてそこにいるだけで責任が宿る以上、人間はかならずどこかで罪を犯すし、理不尽な形でケガレを受けることもある。でも祓うことでまたリセットできるんだよ。一度罪を犯しても祓えば罪は清められるからいつまでも裁かれる必要はないし、ケガレは祓えば清められるんだ。この切り替えは大事だと思うがな。」
「ホント、よくできてますよね!」
話が濃すぎて脳がこげる・・・・・
(;´Д`)ハァハァ