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修験道(鬼道)継承者としての空海 6月16日

2013年06月28日



どうもこの話を書いとかないといけないかなと思うわけです。





ある一部では、修験道についてあまりいいイメージを持っておられない方々がいらっしゃるかと思います。


しかし、修験道とは、古代から日本の民にとっては、「選ばれた氏族のみが属することができる神社神道」という枠組みにとわられない、非常に幅広い情報と柔軟なネットワークを持っていたようです。

医者、陰陽師、技術者、情報収集、商人など、修験者としての学びからできることは多岐にわたったようです。

より多くの人々の救済のための実践行としての性質を強くもつ宗派であったように感じます。

その修験道のなかで、ひときわ秀でた方がおられます。

弘法大師・空海。

この方のあり方は、まさしく修験者としての性質を強く現していると感じます。

元々山岳修行をしていた行者・・・つまり修験者であり、

中国に渡って密教の正統後継者となって日本に帰国したのちも、

霊域や霊場の開山によって日本に結界を張るというやり方は、修験道でしょ?(笑)

また、真言密教には、古神道の作法が「なぜか」数多くとりいれられています。

このスタイル、私には、どうみても修験道にみえるのですね。

また、空海が手がけたたくさんの工事なども、個人のネットワークの範囲を超えた背景がなければ難しいものがあります。

私は、修験道(山岳信仰)の歴史は、現在伝わっているほど浅くはないと感じています。



さて、陰陽道と真言密教、つながってるのは、古神道・・・・・鬼道ではないでしょうか?

あくまで私の推測です。何の根拠もありません。

ですが、どうにも、私は修験道と真言密教に、ある共通の何かを感じております。

その何かが、今はハッキリとは申せませんが、

その鍵は、奄美大島にあるのではないかと、静かに推測を重ねております。












  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 04:23Comments(4)スピリチュアルつぶやき

日本ピラミッドと竹内文献(動画)

2013年06月22日

こんなステキな動画を発見。

これはおさえとかないとね!

てづくり感いっぱいの動画です。製作・アップしてくださった方に感謝。


.VTS 01 1 .
http://www.youtube.com/watch?v=UN87xxN5ZZw


VTS 01 2 .
http://www.youtube.com/watch?v=UpkhRZVnpME


VTS 01 3 .
http://www.youtube.com/watch?v=id8bvLzBhj8  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:27Comments(0)スピリチュアルおすすめサイト

マッサージ悶々妄想日記

2013年05月31日

エロくない妄想ばかりなので、書いてみると案外つまらないマッサージ妄想日記。

言うまでもなく、この話に裏打ちとなるものはない。なので妄想だと胸を張って言える!(笑)

ファンタジーだぞ!ファンタジーなんだからな!









マッサージをさせていただいていると、100人させていただいてお一人かお二人くらいの割合で、どうにも不思議なイメージが湧くことがあるのですが、

そのなかでも、なんとも説明しがたい内容があるのです。

私の妄想のなかでもぶっちぎりで説明不可能なので、これは今まで公にしてこなかった。




今までマッサージをさせていただいて、数百人はさせていただいてきただろうか。

そのなかで、ホンの十数人しかいないが、お客様から、ある共通の感覚を受けたことがある。

それは、・・・・なんといえばいいのか。

ものすごく危うい翻訳をすれば、

「人からの恨みを強烈に受けている」

雰囲気がした。

それは、もう一つ共通のものがある。

それは、いずれも40代以上ということだった。

私のファンタジー脳をフル稼働させたときに、解釈した内容、それは

「過去にひどく誰かを傷つけ苦しめた、その相手の恨みが、本人の身体が弱りはじめたころに、本人(もしくは家族)にかかってくる」

ということだった。(あくまで憶測です)

これはねー、すごーく怖いことだと思いましたね。

おそらく、させていただいた方々のなかで、それを自覚している人はいまい。(だからこそ私が感じるのだろう)

また、ひどく相手を傷つけた出来事のイメージが、10代後半のころという人もいた。
(学生のときにある女子をひどくいじめぬいたというイメージが映った初老のご婦人がいた)




つまり、たとえ相手を傷つけたのが数十年前の内容であっても、

相手からの恨みは、たとえ本人が普段は忘れていたとしても、発動しつづけ、こちらに向き続け、

それが若々しく健康であるうちは自分の発する生命エネルギーと前向きな目的という念波によって跳ね返せているけれども、

子育てや仕事の忙しさがひと段落し、また、身体の衰えを意識しはじめた40代という節目に、

一気にかかってくるということではないだろうかと考えます。(重ねて言いますがあくまで憶測です)

その恨みの念は、一見なんの力も持たない。

しかし、受ける人物の神仏の加護が薄れていたり、ご先祖の加護が弱まっていたり、

悩みや弱みを持っているときに、

恨みの念は、確実に「不運」の後押しをするものだと個人的に感じます。

小難を大難にする、不運の増幅を、恨みの念はしてしまうということかもしれないと、私は感じました。



そして、その恨みのバイブレーションが、本人にかからない間はどこに作用を及ぼすかというと、

「家庭不和・家族の病」(恨みの念を本人は跳ね返せても家族の弱い人がやられる)

「50代以降の大病」(運気おとすのでちっさい病気が大病になりやすい)

と感じました。

ただ、これはあくまで一側面なので、すべてがすべてそうであるとは申しません。どうかこれをすべてととらえないでほしいのです。

そしてこれあくまで私のイメージですが、

恨みを受けている人ほど、視野が狭くなりやすい、被害者意識になりやすいということでした。

(霊的には常に周りを恨みの念で囲まれてる状態なので、なおさら感情的に自己正当化に特化してしまうのだろうと想像)





では、この恨みの念を解消するにはどうしたらいいかというと、

もうね、これは感覚的なものですので、説明しようがないんですが、

おそらくは「傷つけたことの自覚」と「謝罪」しかないんじゃないかと思うのです。


なるべく相手を探し出し、直接謝罪をするか、もしくは、謝罪の気持ちをこめた何かをさせていただくこと。

もしもそれもできない場合は、相手に赤心からの謝罪と相手の幸福を願うご祈願を正式な場所でされることだろうと思います。

最終的には、神仏の力をお借りすることも重要だと思うからです。




そして、もしも誰かに過去ひどく傷つけられ、

そのことが忘れられない人がいたら、

私はその人と共に泣きたい。

そして言いたい。

もう水に流してやってほしいと。

あなたが恨んだ時間は、これからあなたが誰よりも幸せになる時間にしてほしいと。

そのために、私はたくさんお手伝いしたいと。

新しい絆を結んで、古い悲しみのロープを手放してほしいと。




許しには、祝福と同じように、天意がのぞむと思うのです。

共に呼び名は違えども、天の父を信じ、神々や天にある光の存在を信じ、

新しい歴史をつくっていけたらいいと思います。




因果応報と念のちから。

それを超える、天上の慈悲。

双方の悲しみを知る者として、

反省と許しを伝えさせていただきたいと思います。




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:45Comments(0)スピリチュアルアマミちゃんの不思議体験

つれづれ妄想日記

2013年05月04日

Q月@日

寝てると部屋の外で久々に露骨なラップ音がする。

(普通の雑音とそれ以外の音の違いは、鳴る前に動悸の前兆がきます)

別にこちらは用はないのでそのまま寝る。






?月Y日

さるところのさることに関わったところ、

いまだかつてない不調に襲われた。

気が遠くなり、妙に力が抜け、立てなくなる。とにかく体が自分のものではないよう。

このなんとも表現しがたい激烈な具合の悪さは、なにやら覚えがあるぞ。

そう、過去数回あった「なまれい騒動」のときの症状と酷似している!(笑)

私はなまれいさんは苦手だ。自分が師匠に昔反発心からなまれい飛ばししていた前科がある分、

よほどでなければはね返すイメージを持てない。

(師匠は受け止めてくれたんだから、私も返しちゃいけないと思ってしまうのよね)

しかし、ある時から体が急に楽になった。

プロっぽいどなたかが何かをしてくださったらしい。

あくまで憶測なんですけどね。

ありがたやありがたや。





(*゚▽゚*)月OOOO日

あるとき、どうにも怒りが湧いてとれなくなる。

歯ぎしりをしたり、どうにも今回の怒りは、通常のときの怒りの表し方と違う。

「これはちょっとおかしいよなぁ。こういう怒りの表現は私にはないよなぁ」

と振り返り、静かに手を合わせて、

「この怒りはどこからもたらされたものですか?」

と聞いてみると、

『野崎りのに対して向けられている怒りの念』

というお答え的な妄想。

なるほど、私本人に向けられてる怒りに、私自身が同調しちゃったわけですね。あのときと同じパターンなのね。

(以前、なまれい騒動のときに、私に怒りを向けている人の精神状態がそのまま乗りうつってしまったことがあった)

それを主人に説明しようと口に出した瞬間、

「スパーン!」と怒りがまるで逃げるかのように体から抜けたのが分かった。

こういうこともあるんですね。自分の感情には気を付けないといけませんわー。






&月MM日

さる場所でさることをしていると、面白い現象がおきた。

さるときだけ、男性Aさん(4x歳)の姿が、違う姿に見えるのだ。

まっすぐに見ると、普通のAさんなのに、

●●を見ながら視界の隅にAさんをとらえると、

髷をゆった裃をつけた姿に見える。

「お小姓」の姿だろうか?

それをAさん本人に言うと、「侍とは言われたことがあるけど、小姓ははじめだなぁ」と首をひねっていた。


一週間後、さるときにAさんが私に話しかけてきた。

どうも小姓について調べてると、自分は●●県にいたんじゃないかと思うとのこと。

根拠はないが、どうもそんな思いがするらしい。

その話はそこで終わった。


つい最近。

さるところでのさるときに、みんなで「四禅定」(守護霊との対話瞑想)をしようということになった。

四禅定終了後、Aさんが頬を紅潮させて、堰を切ったように話しはじめた。

今までAさんは、実はかなり疑い深い性格で、

インスピレーションや、他の人から「あなたの守護霊はこういう人ですよ」と言われても、

つねにどこかで半分以上疑ってかかっていたのだという。

そのせいか、瞑想のなかで守護霊の姿を意識しても、まったく守護霊からのメッセージも感じることもなく、

20数年、守護霊との対話ができたことは一度もなかったらしい。

しかし、今回の四禅定で、「小姓の守護霊」をイメージして心のなかで呼びかけてみたところ、

はじめて、あちらからメッセージが返ってきたのだという。

しかも、そのメッセージは、今の自分に非常に必要なものであったらしく、

Aさんは、はじめて知る「自分には守護霊という魂の仲間がいる」という実感に、感動していた。


その後、さるところでAさんと話した。

Aさんにとって、昨夜の四禅定での守護霊との対話は、人生観を変えるほどの出来事だったらしい。

それを聞いている私に、どうも繰り返し「メッセージ」のようなものがくる。

「これからもっとこまめにさるところに通い、さる場所でひとり静かな祈りの時間を持ち、私たちの声を受け取ってほしい」

というような内容だった。

あまりにしつこいので、とうとうそれをAさんに話すと、私の目に、不思議にAさんの周りが不思議にひかって見える。

こんなことははじめてだ。

それも伝えると、Aさんは嬉しそうに笑っていた。







という、ファンタジーな物語を考えていた。(笑)

ファンタジーだ!これはファンタジーだからな!

Aさん、その後続報お待ちしております。


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:54Comments(0)スピリチュアル日々の出来事アマミちゃんの不思議体験

高千穂神社の例祭・昭和祭にて(ぷち不思議体験)

2013年04月30日

本日は、朝10時より、高千穂神社で執り行われました例祭・昭和祭に参列させていただくことができました。

先月も先々月も、お仕事で参列できなかったんです。やっと参列させていただけましたー!!!!

(;ω;)

式典がはじまるまえに、椅子のはしっこに腰掛けていると、神主DJさんから

「野崎さん、本日は参列者代表として玉串奉納されてください」

ぎえーーーーーーーーー!!!!!!!

:(;゙゚'ω゚'):

ええ、もう汗ダラダラで、それから玉串奉納までずっと挙動不審でした・・・・・

アマちゃんはネット弁慶ですが、リアルはうさぎさんのような小心者です。すみません・・・・・


今回で何度目かの式典参加ですが、本日は、はじめてすこしばかり不思議な感覚を覚えました。


例祭のなかで、氏神様がお鎮まりされている扉を開いて、氏神様に捧げ物をされるのですが、

宮司さんが扉を開けられてから、

いきなり空間が「熱風状態」となりました。

思わず私、唖然。(笑)

空間の光度が段違いにあがったというか、空間の空気の熱量がケタ違いに増えたというか。

そして、宮司さんが扉をお締めになった瞬間、

空間にみちていたなんともいえない熱エネルギーが、

露骨に「スーッ」とひいていきました。

扉を開けられる前の神社の空間に戻った。(笑)

思わず私、内心「なんじゃこりゃー!!!!!!!」

私が感じたものは、氏神様のご神気だったのでしょうか?



感性がニブニブの私ですが、

「神社で例祭や月次祭への参列をさせていただくということは、実はものすごくありがたいことなのかもしれない」

ということを自覚させていただいた出来事でした。

みなさんも、ぜひ、神社の月次祭や例祭・大祭などにご参列なさってみてください。

きっと、より氏神様とのご縁がいただけるのではないかと私は思います。



ちなみに、神主DJさんによると、「参列のときにご奉納させていただく初穂料は、お気持ちでいいですよ」

とのことです。

私はいつも、式典前にお祝い袋に入れたお初穂料をご神前に奉納させていただいておりますが、

今回はじめて『今まで自分が奉納させていただいていたお祝い袋の向きが間違っていた』ことを知り、

もう頭のなかは「キャー!はずかぴー!ひぃぃぃいいいいいいいいいい」でした。穴があったら(以下略





個人的には、式典のあとの、宮司さんのお話が、いつもとっても勉強になりますので、

ぜひ、宮司さんのお話を、ブログにアップしていただきたいなーと思うのですが、

どうなんでしょうか!(笑)

地域を護り育んでくださる氏神様を、

若い私達でお支えできたらといいなぁと思います。






誰か、いい知恵もとむー!(笑)













  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 03:23Comments(3)スピリチュアルアマミちゃんの不思議体験

イワクラと縄文文明がわかりやすい動画ハケーン!

2013年04月13日

Kさん、情報提供ありがとうございました!

超ながいけど、絶対見るべし!!!!

すべてを鵜呑みにすることは危険ではありますが、

すごく勉強になることも多いです。

この方、すごいですね!

個人的には縄文文明の解明がすごーく気になります!!!!







皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 序章 神についての一考察 .
http://www.youtube.com/watch?v=5Y0egVqe2Og



皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第一章 アダムスキー計画
http://www.youtube.com/watch?v=qPth4dKN5oY


.皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第二章 テレパシー
http://www.youtube.com/watch?v=yVWeUJhL4pM


皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第三章 UFOと神 .
http://www.youtube.com/watch?v=a_9Np6oa-4c



皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第四章 世界を支配するもの .
http://www.youtube.com/watch?v=n-_0_pbUSiU


皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第五章 黙示録の獣
http://www.youtube.com/watch?v=eCaNFK5Hng0


皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第六章 宇宙の大使 .
http://www.youtube.com/watch?v=_1LHVt7aLy8


皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第七章 瀬織津姫物語 .
http://www.youtube.com/watch?v=eFIt1QM8UuI


皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第八章 フトマニクシロ 謎の四世紀
http://www.youtube.com/watch?v=1eLqk8UHhRg


皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第九章 白山菊理姫 消えた白山王朝 .
http://www.youtube.com/watch?v=daqtt1mgEJ4



.皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第十章 飛鳥・大和三山の謎に迫る .
http://www.youtube.com/watch?v=lrkRrieA0i4



皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第十一章 我々はどこから来たのか? .
http://www.youtube.com/watch?v=6BeI1342EoQ



皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第十二章 日本の霊統
http://www.youtube.com/watch?v=urQTLpE7yrA






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:40Comments(0)スピリチュアルおすすめサイト

下ヨシ子さんのお祓いが超カッコイイ件

2013年04月05日

頑張って抜き出しました!(笑)

下せんせいー、カッコイイです!!!!!
(≧∇≦*)キャー!



#1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル03 .(3:51より)
http://www.youtube.com/watch?v=_ifx1gYv63Y


#1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル04
http://www.youtube.com/watch?v=VktVMhs21xM


#1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル05
http://www.youtube.com/watch?v=jxTkjw4sEwU


#1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル06 .
http://www.youtube.com/watch?v=Gz7huFtJ1fE


#1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル07
http://www.youtube.com/watch?v=pQUpR1ATqZI






#2 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル02 .(12:24より)
http://www.youtube.com/watch?v=gcM1Jonw1JY


#2 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル03 .
http://www.youtube.com/watch?v=ovNp-NWJEsk


#2 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル04 .
http://www.youtube.com/watch?v=PAR8eD0rPlU


#2 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル05 .
http://www.youtube.com/watch?v=KLXDeAg_XIs


#2 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル06
http://www.youtube.com/watch?v=2oQ_qvq4Tno


#2 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル07
http://www.youtube.com/watch?v=Pd5ht_eRKf0








#3 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル06 .(4:20より)
http://www.youtube.com/watch?v=C9gEuBj_KhY


#3 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル07
http://www.youtube.com/watch?v=mOHKlU1Wfsw


#3 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル08
http://www.youtube.com/watch?v=yH_boueWlNE





#4 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル04
http://www.youtube.com/watch?v=Q0t1Lrr7diM


#4 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル03
http://www.youtube.com/watch?v=tFl5oUZOlps


#4 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル06
http://www.youtube.com/watch?v=GYRNpxFZyd0








#5 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル01 (13:12より)
http://www.youtube.com/watch?v=JcQlZDJEgZY


#5 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル02 .
http://www.youtube.com/watch?v=5DYZSvkzUJQ


#5 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル03 .
http://www.youtube.com/watch?v=mZVC_vA5S20
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 20:27Comments(4)スピリチュアルおすすめサイトつぶやき

霊感先輩との電話

2013年04月01日

昨日、どうしても気になることがあり、思い切って霊感先輩(一般)に電話をかけてみた。

この先輩の伝説については、過去ここでも書いたと思う。

霊感先輩が昔、私の背後に視た「貫頭衣をつけた集合霊」についてを、聞いてみた。



私「あの・・・最近、私の過去世がらみで、私がやらかしてる系の方と出会うことが多くてですね・・・・
それで、あの集合霊ももしかしたらそうだったのかなぁ~なんて・・・」

霊感先輩「ああ、それを気にしてるんだー。
えっとね、りのピー(と先輩から呼ばれている)にきてる霊の八割は、まったくりのピーとは関係ない霊なの。
元々りのピーと関わりのある霊は二割くらいだよ。あとの八割は、二割の霊に引き寄せられてきたのね。
この八割の人達は、とにかく、妬みと恨みの対象がほしくて、りのピーにきてるだけ。」

私「 ((((;゚Д゚)))) 」

霊感先輩「りのピーはよく戦争に関わったことがあるみたいでね。
戦争で亡くなった霊を浄化させるのって、すごーく大変なんだよ。お互い、自分の正義を信じてるからね。
それはりのピーもわかるでしょ?
そんな人達は、どうしても残っちゃうの。
その人達が、りのピーにきてるみたいなのね。もちろん、八割はりのピーとは関係ないんだよ。
でも、もう恨みつらみしか残ってないってなったら、その思いにすがっちゃうんだよね。その人達にとっては、それがすべてなんだから。
りのピーが関わってる戦争の、一番新しいのは戦国時代だけど、この貫頭衣の人達は、かなり古いよね。
どのくらい古い時代なのかはわからないけど、その当時、りのピーは戦争を指揮する立場で、
そのときに大義名分を押し付けて動かした人達が、その貫頭衣の人達だと思う。
でもその当時りのピーが何か悪いことをしたとかじゃなくて、その当時はそれが正しいと信じてたことだと思うよ。絶対に、何か犯罪をおかしたとか、悪いことじゃないのはたしか。
りのピーは、自分がやらないといけないことをやっただけだと思う。だから、そんなに気にする必要はないよ」

私「でも、今世、どうしても過去世において私が傷つけた人との絡みがでてくるんです・・・
私は何度も謝ってきてますし、おそらくはこれからも・・・・・」

霊感先輩「過去にいろいろな接点がある人との出会いがあって、今世はいろんな形になるよね。
でもりのピーは、謝らなくてもいいと思うよ。
そんな人達にりのピーができるのは、表裏のない、嘘のない、誠心誠意の気持ちで接してあげることなんじゃないかな。
謝るよりも、まっすぐな気持ちで接してあげて、あと、りのピーの方から歩み寄ってあげられたら、それでいいと思うよ」

私「目から鱗です!!!!ありがとうございます!」

霊感先輩「そう?(笑) 貫頭衣の人達だけど、もう浄化の過程をたどってるから、りのピーは心配する必要はないと思うよ。」

私「よかったですー!・゜・(ノД`)・゜・」

霊感先輩「ただでさえ古い霊だからねー。どうしても風化しちゃうし、前よりもキレイになってるよ。」

私「それをお聞きできただけで、すごくホッとしました・・・・・」

霊感先輩「でも、りのピーは守護霊様には感謝したほうがいいと思うよー」

私「?どうしてですか?」

霊感先輩「関係ないのが八割といっても、やっぱり、それだけ妬み恨みを持った人達がきてるって、かならず自分とか周りに影響がでると思うの。
でも、りのピーの場合は、守護霊様がそうならないようにかなり護ってくれてるの。
それは、すごく感謝したほうがいいと思うよー」

私「守護霊様、ありがとうございます!(´∀`)」




霊感先輩によると、私の守護霊は、古代の豪族の普段着みたいなのをつけた女性だそうです。
(どんな格好なのかはげしく知りたい)

数人の方に目撃されている、天平時代の女官の装束の方とはまた別の方なのかな?

昔は話してくださらなかったことを、今回はたくさんお聞きできました。ありがたやありがたや。

(先輩いわく、私とのはじめての出会いをさかのぼると、「まだ大陸が一つだった時代」にまでさかのぼるらしい・・・・どんだけ前だよ!)

しかし、言葉を丁寧に選んでお話してくださる先輩のお話は、とても勉強になりました!

私もあんな風に、人の心を波立たせない、優しいお話ができるようになりたいなー!
















やっぱり戦争と縁がありました。はい。

奄美にすべての御霊を供養するクリスタルの供養塔たてたいです。
(;ω;)





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:08Comments(0)スピリチュアル日々の出来事自分がたり

最終兵器ローズアロマオイル!

2013年03月28日


こう見えて、意外と繊細なアマミさん。

20代すぎて自分で自分を繊細と言うことの痛さは分かっている。野暮なツッコミはやめてほしい。(笑)

さて、ダメージを受けることが無駄に多い私は、どうしても自分を守るものが必要になった。

宗教?ちがう。パワーストーン?それもちがう。

結果的に見出したもの、それが「ローズアロマオイル」です!(笑)

いや、香りの力をバカにしてはいけません。

先日も、かなりキツいお客様に向かわねばならなくなったのです。

普段は何にも頼ることのない私ですが、ここぞとばかりにローズのアロマオイル(購入byシルク)をとりだし、

Tシャツの左胸(心臓)のところに一滴垂らすと、

あーら不思議!

それまでピリピリ体にきていたネガティブな威圧感が、サーッとひいていくのがわかりました!

ローズのアロマオイルの香りが、バリアのようになって、ネガティブなものからの干渉を遠ざけてくれるんですね。

これはねー、キツいときにはてきめんに分かります。

ローズさん、ありがじゅー!(;ω;)

マッサージのときにお客様の疲れがあまりにひどいときは、使用している薬草オイルにローズアロマオイルを数滴垂らしてブレンドすると、ものすごく疲れの取れ方がよくなります。


普段は香水などもつけない飾りっけのない私ですが、

ここぞというときにローズの香りがしたら、

「ああ、今日は防御体制バッチリなんだな」と思ってあげてください。(笑)

ローズの香りは免疫力の強化や細胞の活性化、胸から喉の感情のチャクラの傷を浄化する力、女性的パワーの補完などの効果もありますが、

私の場合は、なんといっても「邪気除け」&「疲れの回復」&「ネガティブな干渉からの防御」です!(笑)

ローズさん、いつもお世話になってます!

これからもよろぴくね!(笑)











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:04Comments(2)スピリチュアル

「橘 奄美原産」でググるとうふふ

2013年02月23日


「橘 奄美原産」でググッたら、海洋系ユダヤが奄美経由で日本に上陸してるとあちこちで書いてました(笑)

卑弥呼及びヤマト一族もその流れらしい。

以下転載ね。
____

さて、日本列島の歴史の中で、 皆既日食が大きなドラマだった日は、
 あるでしょうか?

 そうです。皆さんご存知の、「天岩戸神話」は、皆既日食を 暗示します。 

 3世紀に、247年と248年に、 皆既日食が起きています。

 前者は、九州のみでした。
 後者が、関西・中部でも、皆既日食が見れました。

 で、 今回、皆既日食が現れるトカラ列島ですが、
 これまで、日本史に登場したことがあったでしょうか?

 あります。

 BC330年ごろ。
 アレクサンダーがペルシャを滅ぼした直後です。

 このとき、古代イスラエルの関係者が、奄美大島を経由して
 日本列島に来ています。

 私は、これが、倭国に王権が生まれる切欠けと考えています。
 それが、奄美地方原産の柑橘類・橘を象徴にした「橘」紋で、
 これは、日本列島での王権の正統性の起源となっています。
 御所の紫宸殿にある「右近の橘・左近の桜」の橘、そして、 文化勲章。

 今回の皆既日食は、日本の政権交代次元の変革にとどまらず、
 国家体制(これは、王権)そのものまで、大きく変える、トリガーになります。
_____




あくまで一つの説であり、鵜呑みにすることは避けたいですが、

しかし、不思議なお話ですよね。

古代ユダヤだけではなく、中東の様々な地域の民もふくめたたくさんの部族が、奄美を経由して日本本土に渡り、

たくさんの理想を集めて、大和の国をつくってこられたのだと私は考えております。

そのことに感謝しつつ、

たくさんの部族の方々に、また大和の国の繁栄に、大いなる祝福をもたらした奄美の女神の霊威に、奄美の民としてつつしんで感謝を捧げたいと思います。







  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:09Comments(1)スピリチュアル

教皇退任とファティマの預言とマラキ預言書

2013年02月12日

Mさんが書けというので書きます(笑)

しかし「2013年の旧正月(中国暦)日本の紀元節」に引退表明した(最後の?)教皇。

なかなか意味深だと思いませんか?(笑)

ファティマの預言とマラキ預言、ひふみ(日月)神示、ブッダ再誕神話、

この共通点は、一体なんでしょうか?

「世界の危機(最後の審判・大洗濯)」

「救世主」

「新しい時代」

「人間の二極化」

いろいろと、興味深い流れだと思います。





マラキ書が描く終末
http://flamboyant.jp/eschatology/esc016/esc016.html

■マラキ書の基礎知識

 マラキ書は旧約聖書正典の最後に置かれている一書である。
 題名にある「マラキ」には、「私の使者」という意味もあり、マラキという人物がいたのではないと考える学者が現在は多いという。後代の編集者が「マラキ」を固有名詞と考え、その名の預言者がいたと誤解したことから、マラキ書という題名がつけられたのである。
 旧約聖書の黙示文書としては最も古いとされるダニエル書は紀元前2世紀に書かれたといわれるが、これ以前に書かれたものにも、終末の日の最後の審判やメシア(救世主)の来臨について触れているものは多い。マラキ書もそのような旧約文書で、成立したのは前450年頃だといわれている。
 この時代はイスラエルが衰退した時代であり、凶作や困窮のために宗教的情熱も衰えていた。モーセの律法に書かれた規則を破る者たちも多くなっていた。このようなときに神の命を受けた預言者マラキが、人々に向かって神のメッセージを伝えるというのが本書のテーマである。
 ところで、ここで黙示文書ではないマラキ書を取り上げるのは、この書の中で、終末の日にメシアに先立って地上にやってくる者として預言者エリヤの名が挙げられているからである。このため、マラキ書以降は、メシアに先立ってエリヤの再来とされる預言者が出現するといわれるようになり、この思想は新約の時代にも影響を与えた。
 新約の福音書では、イエスの前にバプテスマのヨハネという預言者が登場するが、この人物こそエリヤの再来であり、初代教会の人々はこれによって旧約聖書の預言が成就されたと考えたのである。
 捕囚以降に書かれた旧約の預言書には、メシアの到来を熱烈に待望するものが多いが、そのような預言書の中にあって、新約の思想と強いつながりを持つのがここで紹介するマラキ書なのである。

■準備のためにやってくるメシアの先駆者

 マラキ書の中には、信仰の衰えた人々に対するさまざまな忠告や警告が記されており、その後で終末時の出来事が語られているが、終末に至るまでの段階は少しも記されていない。
 マラキ書によれば、神の使いであるメシアは突然、神殿に出現し、地上に恐ろしい出来事をもたらすのである。この出来事は当然、神を敬わない者たちや異教徒たちにもたらされるわけだが、信仰心が衰退していた当時の状況からすると、地上はほとんど滅亡することになってしまう。そこで、イスラエルの民を愛する神は、まず初めにメシアの先駆者として預言者エリヤを地上に送るというのである。
 この部分はマラキ書では次のように記されている。

  見よ、
  ヤーウェの大いなる恐ろしい日が来る前に、
  わたしは預言者エリヤを遣わす。
  彼は父の心を子に向け、子の心をその父に向けさせる。
  わたしが来て、地を呪いで滅亡させることのないためである。

(聖書 原文校訂による口語訳 ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書、哀歌、バルク書、エレミヤの手紙(フランシスコ会聖書研究所訳注/中央出版社)より)

 これからもわかるように、先駆者エリヤの仕事は終末の準備を整えることにあり、それは人々の心を刷新し、神に向けさせるということである。
 こうして先駆者エリヤがやってきた後に、真のメシアがやってくるわけだが、その到来はとても恐ろしいものとされている。

■終末の日には誰も耐えられない

 終末の日がいかに恐ろしいものかは、メシアの来る日には誰も耐えられず、誰も立っていられないと記されていることからはっきりとわかる。マラキ書によれば、メシアは精錬する火であり、布を洗う灰汁(あく)のようだという。ここで、火といっているのは、焼き尽くし清めるものとしての火である。人々が火で焼かれるというと、いかにも地獄の責め苦のようだが、それは単なる責め苦ではなく、人々を清めるためのものである。したがって、人々は火や灰汁によって金や銀のように純化され、神を信仰するようになるのである。
 しかし、悪しき者たちへの裁きは確実に行われる。悪しき者の例としては、魔術を行う者、姦淫する者、偽りの誓いをたてる者、不正な賃金で異国の者や未亡人や孤児を圧迫する者などが上げられている。
 こうして最後の裁きが行われることで、正しい者と悪人の違いがはっきりわかるようになるという。この裁きによって、悪人たちはみな、まるで藁のように燃え上がってしまうからである。この火は悪人たちを完全に燃やし尽くすので、根も枝も残らないという。
 これに対して、信仰ある者は優遇される。これらの人々には正義の太陽が輝き、彼らは喜びに満ちて飛び跳ねる。しかも、彼らは飛び跳ねながら悪人を踏みつけ、悪人たちは彼らの足の下でまるで灰のようになってしまうのである。
 このように、最終的にイスラエルの全国民が救われるのではなく、一部のよい者だけが救われ、悪い者たちは滅びるという考えは、バビロン捕囚以降に登場した新しい考えだといわれている。
 審判にあっては、神はすべてを知っているので間違えることはあり得ないが、「記録の書」という特別の書を利用するらしい。これは、閻魔帳のように人々すべての善行悪行を書き記した書である。マラキ書では、この書を神が審判の場面で使うとは記されていない。が、マラキが人々に預言するときに神がそれを聞いており、人々の中で神を敬っている者がいれば、その人のことがこの書に記録されたという場面があるからである。
 審判の後にどのような世界が訪れるかについては、マラキ書はとくに語っていない。が、悪人は滅びてしまうことから、その後は善人だけの暮らしやすい世界が実現されることは確かだろう。

■福音書にも登場するエリヤ

 マラキ書は旧約聖書の最後に置かれた書であり、預言者エリヤがメシアの先駆者としてやってくるという思想を新約の時代へともたらしたわけだが、この思想は福音書の中にはっきりと語られている。
 例えば、マタイの福音書(17.10-13)には次のように記されている。

 彼ら(イエスの弟子たち)はイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだといっているのでしょうか」と尋ねた。イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来てすべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤはすでに来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのある。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。 (聖書・新共同訳(日本聖書教会))

 こうして、メシアであるイエスが人の子として登場する前に、エリヤは再来したわけだが、メシアイエスが世の終わりに再臨する際にも先駆者としてエリヤがやってくるといわれている。   


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古代日本謎の中東思想渡来考(メモ)

2013年02月06日


古代日本謎の中東思想渡来考
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-index.html



第二章 古事記と超古代史
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-2.html



日の巫女の制度、鬼道とカバラ祭祀の類似
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-4.html#33


  


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物部氏と先代旧事本紀(メモ)

2013年02月05日



『皇祖神饒速日大神の復権』   大野七三
http://www.shinto.org/forum/forum18/mybookreview.htm




天 璽 瑞 宝
http://mononobe.digiweb.jp/index.html




先代旧事本紀の世界
http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/index.html



『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』とは?
http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/aidai.html


現代語訳 『先代旧事本紀』
http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/yaku/index.html




12.文献は語る -日本神話・その5
http://inoues.net/yamahonpen10a.html



  


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五色人について(メモ)

2013年02月05日


「超古代文明」様より転載
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/kodaibnmei.html


五色人

「五色人」というと、中伊豆に本部がある世界真光文明教団や、飛騨高山に本部のある崇教真光の専売特許のように思っている人がいるかもしれない。あるいは、もう少し勉強しているならば、それは真光の岡田光玉(1901-74)が『竹内文書』の影響を受けた証拠だ、というかもしれない。

ところが、竹内巨麿がまだ四歳の明治十二年、越中立山から遠く離れた豊前小倉で、すでに「五色人」について言及していた神道家がいたのである。黒住・禊・天理・金光・修成・大成・神習・大社・扶桑・実行などと同じ神道十三派の一つに数えられる神理教の教祖・佐野経彦(1834-1906)である。

すなわち、佐野経彦は「五色人」について、同家の物部伝承をもとに、次のように指摘したのである。

「木火土金水は、果たして知る十神よりはじまる。五色の人種は五祖人にはじまる。天神もろもろのみこともちて、諾冊ニ神に詔りして、国土をつくり固めしむ。又諸の祖神をうむ。人の人たる道をもって、累世に相続し伝わる。繩々として絶ゆるなし。子孫八十つづき」

さして五祖人と五色人について、次のように示すのである。

木 オーストラリア人   勾々奴智神  青
火 アメリカ人      火具土神   赤
土 アジア人       埴安姫神   黄
金 アフリカ人      金山彦神   黒
水 ヨーロッパ人     水波女神   白

すなわち、この『神理学入門』が執筆された明治十二年六月の時点では当然のことながら、まだ『竹内文書』は公表されていないのである。だが、佐野経彦という物部氏の末裔を名乗る神道家によって、「五色人」はすでに明らかにされているのだ。彼が、そのことを、自家の物部伝承から得たのか、あるいは物部氏の<記紀>である『』(十巻)や、『旧事本紀大成経』(七十二巻)を読んで知ったのか、それとも単なる五行思想から発想したのか、それについて想像するしかないが、佐野経彦の著書には超古代史文献的要素が散見されるのである。

それは佐野経彦が生まれ育った豊前の小倉(現在、福岡県北九州市小倉南区)という風土からきたのかもしれない。というよりも、九州全体が古代文明の発祥の地であったのだ。とくに、豊の国・肥の国は埋もれた古代伝承の宝庫となっている。たとえば、「五色人」関係でいえば、熊本県阿蘇郡蘇陽町大野には「五色の神面」と「水の玉」の神器を伝えている幣立神宮がある。また、佐野経彦ゆかりの小倉の豊前北部に対し、豊前南部の大分県宇佐地方から<日本最古の神道>を自認した禊流の川面凡児(1862-1929)が出ている。彼の神道霊学にも超古代史文献的要素が色濃く漂っているのである。


「古神道の系譜」菅田正昭・著
 

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 20:16Comments(3)スピリチュアル

不平不満という猛毒(再掲載)

2013年02月04日

不平不満という猛毒



2010年02月16日

以前つとめていた会社でのこと。

上司(師匠)はつねに「神仏の目に合わせなさい。道理を判断の基準にしなさい。自分の感情にながされず、つねに一歩ひいた目で自他をみつめなさい。不平不満をもってはいけない」と言っていた。

私はそれが理解できず、上司に不平不満をもっていた。

上司の正しさはわかる。しかし、10%の部分に不平不満があった。

しかしあるとき、自覚した。

不平不満をもった瞬間、自分からすさまじい悪臭がしていた。(霊臭?)

また、仕事ができない自分をガッチガチに正当化して会社への不平不満を語るスタッフから、
その瞬間気持ち悪い黒いケムリがあがり、そのときだけものスタッフからものすごい悪臭が強烈に漂っていた。
(耐え切れず、途中でトイレに駆け込んで吐いた)

やがて不平不満を語る人間ほど仕事ができていないということも見えてきた。つねに結果としての実績をあげ、安定した人格の方ほど、不平不満と遠いところにいるということも。

事実、師匠はどんな状況であっても不平不満を口にすることはなかった。理不尽な目に遭っても、黙々と、実績を重ねる後ろ姿を見せてくれた。

不平不満は、因果をわかっていないことからくる。因果がわかり、自分がわかれば、不平不満を言えるような実績を自分が出していないことが、そんな自分が不平不満を並べる事がいかに「恥ずかしい」かということかが、わかる。

しかし不平不満の毒は、つねに私の心の隙をうかがっている。

それは実績を出せない、そこまでの努力をしていない自分を正当化できる、まことに口あたりの甘い極上の猛毒だ。

それは環境においても、組織にたいしても、家庭にたいして、過去にたいしてもそうだろう。

不平不満を持つことから、魔は忍び寄ってくる。

暗いと不平を言うよりも、すすんで明かりをつけましょー
(昔のキリスト教の早朝番組のはじまりのフレーズ。なつかすぃー)

もしも心に不自然に不平不満がでてきて止まらないときは、誰か(霊的なモノ)の干渉もあるかもしれない。それを見抜いたうえで、静かに心を鎮めることだ。

私は今まで、心のなかに強烈に目上や神仏を疑う言葉がきこえたことが三回ある。非常に恥ずかしいことだが、私は隠す気はない。

そのとき、私は最初怒鳴りまくって対抗した。しかし、こちらがムキになればなるほど、私にささやきかける「周りの人々の善意を疑い、神仏という善なる存在を疑う声」もまた大きくなる。

これではキリがない、このままでは自分の負の思いとの同じ土俵での念力合戦だと思った私は、合掌して、疑の言い分にしずかに耳を傾けた。

言い分をすべて聞いたあと、穏やかに聞き返した。

「で、あなた(私)は目上の方々や神仏を裁くほど神仏に並ぶ救済をしてるんですか?
影響力を、徳力をもっていますか?
様々な宗派でいわれ証明されているところの神・仏は、それぞれの民族・歴史において公平な希望の法を説いてくださってます。
それによってたくさんの善なる思いがうまれ、その善なる思いにおいて人々は人生への光明を得てきました。
また、神仏を深く信じる方々ほど、栄光や名声をいただきながら、かぎりなくストイックであり自己に厳しく、それぞれの立場から公に益しようとする愛にみちています。
あなたはどうですか?できてますか?これからできますか?
それができるあなたであるなら、言い分も聞く価値がありますが、どうですか?
できますか?できるんですか?」

すると、負の思いの言葉はピタリと止んだ。(笑)

自分の未熟さを棚にあげて、周りの欠点をあげつらうことは、あまりに幼稚なこころだ。

しかし、その幼稚なこころをいまだ持っている自分を、忍び寄せる自分を、恥じなければ、正さなければいけない。

目上の方に不平不満をもつとき、家庭に不平不満をもつとき、職場に不平不満をもつとき、そのときこそ、大切なのは「智慧」なのだと思う。

感情に振り回されず、つねに神仏の方を、つまり道理の方を向く。まず自らをただす。

上司にいわれた言葉を思い出す。

「神仏の目に合わせなさい。道理を判断の基準にしなさい。自分の感情にながされず、つねに一歩ひいた目で自他をみつめなさい。不平不満をもってはいけない」

自分を知り、自分を改める。傷つくことを恐れてはいけない。

それができる私になりたいと思う。



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:48Comments(0)スピリチュアル

琉球のある神示神話

2013年02月02日


奄美とムー文明とのつながりについて調べていたら、こんなサイトを見つけました。

子房さんとMさんの話と、違う部分もありますが、すさまじくかぶる!!!!!

(幸福の科学の「卑弥呼の霊言」でも、二代目女王壱与が死去したのは出雲との戦いであったと記述してますね)

このへん、マクモニーグルさん、ボカしたのだろうか(笑)

この方のサイトはいろいろと興味深いです。(ムーとの関係もふれてますし、天帝が本来の最高神であることもふれておられます)




http://ameblo.jp/chikulin-houshi/theme-10036869994.html

琉球と邪馬台国




3世紀から4世紀頃の日本では、各地で豪族たちによる勢力争いがつづいておりました。

『魏志倭人伝』 のなかに記された卑弥呼の邪馬台国は、九州北西部辺りを治めていました。

その時代は、朝鮮半島の勢力と結びつきを持った出雲の豪族たちがその勢力を拡大していました。

そして、卑弥呼亡き後の邪馬台国は、彼ら出雲の豪族たちによって滅ぼされてしまいます。




かろうじて生き残った邪馬台国の武人や巫女たちは、

散り散りになりながらも舟を使って南へ南へと逃れていきます。

そして、たどり着いた場所が、奄美や沖縄の島々です。

開闢の神アマミキヨ伝説が奄美や沖縄の各地に数多く残っているのは、

島の人々が、邪馬台国の巫女たちを神々の降臨のように受け止めたことが影響しています。




さて、当時の沖縄つまり琉球には、南方より高度な技術をもたらした或る異民族の集団がおりました。

航海技術に長け、製鉄の心得があり、特に石工技術は目を見張るものがありました。

体格良く、顔は彫が深く、赤茶けた髪をしています。

島民からすれば、彼らもまた異界人・神人と思われていました。

彼らの多くは、島民の集落とは離れて、隠れるように居を構えていましたが、

しばしば、集落を訪れては、島民を教導しておりました。




邪馬台国より逃れた人々と南方から来た者たちとはお互いの優れたところを認め合い、

島民ともども協力してこの琉球の地でしばらく生活をしてゆくことになります。

そして、この地で、邪馬台国の末裔たちはしだいに力を蓄えていきました。

彼らには、いつかは邪馬台国を再建させようとの望みがありました。

異民族の人々も本土への渡航を目指しており、利害が一致していました。

その中で主導的立場にいた方は、伊平屋島にその足場を置き、

本土進攻への綿密な計画を練っていました。

当時は、黒潮の恩恵により、南九州地方や四国地方との交易もすでに開かれていて、

その地方の豪族たちとの協力関係も、密かに結ばれていました。

( 当時の琉球との関係については、海幸彦山幸彦の神話から窺うことができます。)




やがて、琉球から発した軍団は、九州に上陸し、九州の豪族たちを取り込みながら、西へと進行します。

そして、出雲地方を平定し、その後、さらに近畿地方へと進みます。

近畿にも協力な豪族集団が存在しましたが、四国の豪族との二方面からの侵攻により屈服させます。




このような経緯で、近畿の地に新しい国家が成立しました。

九州で一旦滅んだ邪馬台国は、近畿にて大和朝廷として復活してゆくのです。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 07:49Comments(1)スピリチュアル

遠隔ヒーリング その2(再掲載)

2013年01月20日

注意・子房さんは現在は遠隔ヒーリングはなさっておられません。



これは特定の宗派および個人のススメではなく、あくまで私の体験としてのエピソードです。
安易に感情移入しやすい方、依存しやすい精神傾向をおもちの方はここから先の閲覧はお勧めしません。

















マイミク・子房さんに二回目のヒーリングをお願いしました。

今回は「自分を縛る恐怖心・自分に感じている自己を抑圧する思いの克服」がテーマでした。

子房さんに12日の21時をお願いさせていただいておりました。


前回のヒーリングであぶりだされた贖罪意識と、説明のできない「自分のしてしまったこと」への恐怖心・プレッシャーが強くでてきていたからです。

ヒーリングをいただく前にシャワーを浴びていると、「中世の教会のような鐘の音」「重い扉をひらく音」「白い衣をつけた麗人が歩み、扉の外にでる」「扉の外は白い町並みが一望できる」イメージがしました。

ヒーリングをさせていただく前に

『私はすべての抑圧を私から解放します』

と唱えましたところ、なぜかポップなイメージで「唱えた私の言葉から鍵がでてきて宝箱を開け、中からティアラが出てきて私の頭にのる」イメージがいたしました。(なぜポップなイメージw)

今回は前回のような苦しい思いはまったくなく、とても心地よくヒーリングをうけさせていただくことができました。なぜか恥丘にしばらく脈動をかんじました。(なんだこれw)

「たくさんのものを体で受け止めすぎている」「風のようにただ流しなさい。つかんではならない」「本来霊とは透明な存在」「使命に生きよ」というイメージがしました。(隊長や師匠からも同じ意味の言葉を多々いただいているので、私の指導霊からのメッセージだと思われる)

自身のなかで<私が積極的に動くのを止める恐怖の原因はなんですか?>と問うと

「人々の悲しみの記憶」と答えました。


しかし20分ほどたった時点でなぜか集中力がきれ、日常的な雑音的な感覚に戻りました。(これは前回もそうでした。たぶん私自身の集中力の欠如が原因だと思われる)

横になると海のニオイがして、左薬指に痛みが走りました。
「いじわるなお婆さん」「出っ歯の男が私の右足のサイズを測る」「ひそひそ話をする中世の貴婦人たち」「左手を誰かがさかんにつかむ感覚」
がしました。


以上が、私が子房さんのヒーリングをいただいたときのイメージです。



ヒーリング後、子房さんからメッセをいただきました。

_____________


ヒーリング終了いたしましたので途中見えましたことをお伝えいたします

古代の日本です
アイヌではないかと思いますが、女性で霊能もあるようで女酋長のような方です
与那国のサンアイイソバみたいな感じですね
(注・その後子房さんからサンアイイソバだと特定される)

ある部族を率いていたのですが、大和民族かな?他の大きな部族によって侵略されて滅ぼされました
そのときの悔しさ恨みと憎しみなどがいくらかは残っています


もうひとつ、これは正史とは違うので信じていたたかなくてよいのですが、潜在意識の心象風景としてきいてください
とても古い時代、古代のシュメールかも知れません
ある宇宙人が特定の民族に介入していたことがあります
遺伝子操作や様々なことを家畜にするような態度で地球の原住民におこなっていました
その時に、直接自分らが介入するのではなく、一部の原住民の者たちのうちから、自分らの代理として原住民を管理させるために、能力の優れたものを造り、そのものたちに支配階級のようにしていました
そのうちの一人だったようです
神と崇められながらもこの恐るべき者たちに、恐怖心によって従わされていました
そして支配下にある者たちを隷属させ、時には捕らえて神神に差し出さなければなりません
もうそうしたことは辞めたいと思っても反抗すれば今度は自分が犠牲になるだけです
心に抵抗がありながらも恐怖によって命令にしたがわなければなりませんでした
そのことで心に深い深い傷を負いました

人々の苦しみを背負う魂よ。あなたは許された。私はあなたを責めることはない。だからあなたも自分を許し、全ての人々と出来事を許しなさい。

そのようなメッセージが伝わってきました


今回のヒーリング中に見えたビジョンはこのような内容でした
ありがとうございました


_____________


実は私は小学生の頃から「むかし指導者として道を誤り、その償いとして自分のすべての積極性を封印する」という感覚がしていました。

目に見えない封印が自分を縛っている感覚がつらく、人々になんらかのアプローチをしなければならない潜在意識の自分の欲求があるのに、いつも「自分がもたらす結果」の恐怖におびえて動けず、その相反する思いが永く苦しみだったのです。


後者の内容は、実は幸福の科学の最近だされた霊示とまったく同じです。
(古代シュメールに宇宙人が関わっていたこと。ちなみにこの宇宙人はレプタリアンですね。恐怖で縛るのは彼らの常套手段ですから。)

子房さんは幸福の科学とはまったく関係ない人なのに。



ありがとうございます。

自分を縛る封印をときはなち、ありのままの私になりたいと思います。

自分が受けたこと、してしまった罪と罰(恐怖と罪悪感と怒り)をつかみつづけるのではなく、また抑圧された歴史と憎しみも捨て、本来の使命に生きることのできる私になりたいと思います。

このたびは本当にありがとうございました。m(_ _)m



私も誰かのために祈れる私になりたいと、はじめて思いました。

子房さんのようにはなれなくとも、誰かの痛みを慰められる私になりたいです。



子房さん、本当にありがとうございました!

惚れた・・・(*´Д`*)ハァハァ




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:48Comments(0)スピリチュアル

遠隔ヒーリングについて(再掲載)

2013年01月20日



遠隔ヒーリングを受けてみました。



40分前にシャワーを浴びてたら早くもキタのか、シャワーを浴びてる自分の体が西洋人の男性になった感覚がする。体の感覚が異様にデカい!ゴツい!(笑)

これは不思議だな〜と思いながらいざ遠隔ヒーリングの時間。


左上半身がめっちゃいたくなりました。

ええ、「天上の光」がおりているときにおきる症状なんです。私のなかの負の潜在意識が光によってあぶりだされるんですね。宗派の寺で研修うけると必ずなる症状ですから(笑)

「あ、本当に光が降りてる。スゲー!」と思いました。

途中で何回か空気がかわったので、たぶんヒーリングの祈りをいれてるときのアプローチの切り替えがあったんでしょうね。

でてきたキーワード。

◎男性の強い苦悩と苛立ちの意識(はじまったら私から邪気がぬけているらしく、隣りにいた主人がせきこみはじめた。その咳き込みに激しくいらついた)

◎左肩胛骨から腕にかけての痛み(体の右側がか細く、左側だけものすごく腫れてるイメージ)

◎ものすごい胸の動悸・息苦しさ

◎私の前にひざまづいて祈りをささげる女性

◎白い貫頭衣をつけた女性

◎遠くでたたかいの音。金属がぶつかる音、馬の走る音

◎左足のすねの一点が痛む(まるで指でおされてるような痛み)

◎目に張り付く黒い膜(目隠し?)

◎走って逃げている外人の男性(私?自分の罪から逃げている?)

◎暗い底でとぐろをまいて眠る禍々しいトゲトゲのあるドラゴン(龍というよりドラゴン)

◎「どうやってつぐなえばいい!」という絶望的な怒り

◎抑圧された悲しみ、どうにもならない気持ち、暗い目


ヒーリングの時間が終わると、メッセをいただきました。


「こんばんは
ヒーリング終了いたしました

途中見えましたことをお伝えいたします

つばの丸まった帽子をかぶる西洋人が見えました
男性で赤毛をしていてカールがかっています
大きな帆船で何処かへ向かっています
未開の地のようで、そこで現地人を追い出したりしながら開拓しているようです

もうひとつは南米で、インカかな
この時も男性でした
神官と政治家をあわせたようなことをしています
神に捧げ物をしています
その国は周囲からすると発達していたようで、大きな神殿などがたち、周囲の小さな部族などを征服して奴隷にしたりしていたようです

こうした二つの前世が見えました」

「ヒーリングですので強く課題のある前世が出てきたのでしょう
何の問題のない人生の場合はヒーリングする必要もありませんからね

半身の痛みは、潜在意識にあるブロックでしょう
浮上してきたら痛みとして感じているのですね
後悔の念が強く残っているのだと思います」


「これは黙っておこうかと思いましたが、ご自身でとぐろを巻くドラゴンというキーワードを言われたのでお伝えしておきます
これは前世からの縁だと思いますが、私には恐竜のような爬虫類に見えましたが、そうした存在との繋がりがまだ残っていたようです
その縁を解除していただくように祈りました

それとインカはそんな古くないですね千年くらい前かと思います
同じような前世が他にもあったのかもしれませんね」


「ここまで話したのではっきりいえば、その竜というのはレプティリアンと呼ばれる存在でしょう
昔のアメリカ映画で「V」というのがありましたがそうした存在が実在するようです
南米で信仰していた翼のある蛇というのがこのレプティリアンだったのでしょう
前世で信仰していたご縁でまだいくらか繋がりがあるようでした。

はい、もうミリタリーオタクは卒業されたほうがよいかも知れませんね」




マジでバレバレやった・・・・(((( ;゚Д゚)))ガクブル


私のなかにつねにある恐ろしく傲慢な自我(それこそ言うこと聞かない人間は何してもかまわないという考え方)と、それが表にでること(によって同じ罪を重ねてしまうこと)を極度に恐れる卑下は、ここからきてるのだなと感じましたね。

すごく腑におちました!ありがとうございました!

だから女性としてのやさしさ、愛深さを身につけて、男性のエネルギーを中和する必要があったわけだな。やはりテーマはそこか。

贖罪からの希望。慈愛と許しを学ぶこと。

私のなかの「傷つけられた少女」の自己イメージは、まさしく「被害者としての経験をもつことで加害者としての罪のカルマに浄化の段階を与える」ための神仕組みでもあるわけです。

わかっているつもりでしたが、どこかで「自分の妄想だろう、そうに違いない」と思っていましたが、ここまで客観的にハッキリでると、もう逃げられませんね。

たぶん道を過ったのはあのインカのときからだろう。あのときの主を指さした傲慢さと、宇宙の神を名乗るレプタリアンを信仰してしまったことが、私の道を狂わせた。 愛と正しき心の信仰を説いた王の教えより、成功と奇跡とその代償としての生け贄の信仰を示した宇宙の神をとった。それが私のカルマですね。

あー、だから今の宗派で本尊に向かうと「私にはこの御方の前に立つ資格はない」と居心地悪くて逃げようとする潜在意識がいるんだな。おめーか!(笑) 


いままで自分の妄想だと思ってたことが、これで腑におちたぞ。やっぱ客観的な視点て大事ですね。ありがたいです。

この奄美との縁も、私の今までの瞑想から導き出されたものが答えであるのだろう。おそらく。




過去をうけいれ、現在を歩み、未来を拓く。

それが道なのだと思う。

過去は逃げるべきじゃない。安易に前だけを向いていいはずがない。

過去と共に歩む。過去と共に希望の道に到ってやる。

私は、過去の私を見捨てない。



子房さん、本当にありがとうございました。

しかし子房さんにご指摘をいただかなかった内容もふくめ、転生輪廻ってほんとうによくできてますね(笑)

かみさまってすげー!(笑)



大昔にレプタリアンを宇宙の神と信仰したのが今の今までひきづってたとは・・・

魂の記憶、おそるべし!(・∀・)ドキューン

でもカルマとやらも浄化したらむしろスゲー武器になるから、この魂修行ってヤツは面白いナリ。



ちなみに女性の過去世もあります。

今回はヒーリングに必要なかったのででませんでした(笑)

主人との過去世での出会いはほとんど女性ですけん(笑)

父との出会いはたぶん男性だったときだな(笑)たぶん魂の課題もほぼ同じ(笑)


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:29Comments(0)スピリチュアル

アマミキョさん的におさえときたい場所 その1

2012年11月27日



こちら。

お近くの方はぜひともご参拝いただけましたらありがたいです。

アマミキョさん的には伊豆はかなりいまおさえておきたい場所ですので。




礼拝山興亜観音公式ホームページ
http://www.koakannon.org/


以下、ウィキペディア先生より。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BA%9C%E8%A6%B3%E9%9F%B3


興亜観音

興亜観音(こうあかんのん)は静岡県熱海市伊豆山にある観音像。

また、同観音像を祀る宗教法人礼拝山興亜観音(らいはいざんこうあかんのん。以下「興亜観音」という)。

日蓮宗から分かれた法華宗陣門流(本山: 新潟県三条市)の系ではあるが、興亜観音はこれにも属さず、日本で唯一の独自の歴史と祭祀を持った独立した寺院である。

宗派を問わず参拝客を受け入れている。





沿革

1937年(昭和12年)7月に勃発した支那事変における上海派遣軍司令官であった松井石根陸軍大将が、

退役後の1940年(昭和15年)、日支両軍の戦没将兵を「怨親平等」に祀るため、私財を投じてこの地に聖観音を建立した。

観音像は松井石根が転戦した南京周辺地等の戦場の土を材料として作られた。

同年2月24日には芝増上寺大島徹水僧正(浄土宗)他朝野の名士を集めて開眼式が行われた。

なお松井大将はこの近くに庵を建てて住み、毎朝御山に登り観音経をあげていた。

現在の興亜観音は、上記の支那事変全戦没者の他、特に所謂「A級戦犯」として処刑された七名の遺骨が埋葬されていることで知られている。

その訳は次のとおりである。

1948年(昭和23年)12月23日(今上天皇、当時皇太子の誕生日)、極東国際軍事裁判(東京裁判)においていわゆるA級戦犯として処刑された松井石根、東條英機等七人は、横浜の久保山火葬場で荼毘に付された。

遺骨灰の殆どは米軍が処理したが、当時の飛田美善火葬場長と小磯国昭の弁護人三文字正平らにより密かに骨壷一杯分が集められ、翌年5月3日、松井大将ゆかりの興亜観音に持ち込まれた。

当時の住職、伊丹忍礼師(法華宗陣門流、僧正)は即座に七人の遺骨灰と直感し、時期が来るまでとこれを匿い、ようやく1959年(昭和34年)4月19日、吉田茂筆による「七士之碑」が建てられ、遺骨灰はこの下に埋葬された。

なお愛知県幡豆郡(現西尾市)三ヶ根山にある「殉国七士墓」は、1960年(昭和35年)に興亜観音の七士遺骨から香盒一ヶ分を分骨して埋葬したものである。

現在はA級戦犯の刑死者7柱に加え、BC級戦犯の刑死者1,061柱を合わせた1,068柱の供養碑(大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑)、大東亜戦争戦没戦士菩提(昭和19年)も建立されて同戦争の全戦没者を祀り、「小さな靖国神社」とも喩えられている。

伊丹靖明が、忍礼師長女前住職妙徳尼の養子となり、寺務運営を司っている。

現在は妙徳の妹妙浄が靖明の補佐を得て、住職を務めている。

興亜観音には、お墓や檀家と云うものが無く、広く一般の皆様のご支援を頼りにしている。

護持支援団体は、1942年(昭和17年)に設立され、主に地元熱海の信者達により守られてきた「興亜観音奉賛会」(初代総裁松井石根)である。

尚1994年(平成6年)設立された「興亜観音を守る会」は、陸軍士官学校58期生を中心とする有志で運営されていたが、皆高齢という事もあり、2011年(平成23年)3月、解散した。

興亜観音は平成22年4月より「興亜観音を守る会」との間で裁判をしていたが、平成23年5月興亜観音の勝利で終結した。





事件

(HPより)東京裁判の七士処刑の執行責任者ヘンリー・ウォーカー中将は朝鮮戦争では米軍司令官であった。

七士二年目の祥月命日である1950年(昭和25年)12月23日、中将は第一戦視察の途中自ら運転していたジープの操縦を誤り事故死してしまった。

周囲が七士の祟りと思ったのも無理はない。

中将の副官は友軍の韓国将校の意見を入れ、興亜観音に七士の墓があると聞き参拝した。

話を聞いた伊丹忍礼師は「怨親平等」のもと彼等を温かく迎え、ウォーカー大将(戦死後進級)の霊を丁重に供養した。

1971年(昭和46年)12月、過激派東アジア反日武装戦線が七士之碑、大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑、興亜観音像の爆破を試みた。

七士之碑は破壊されたが、導火線がショートしたため大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑と興亜観音像は破壊を免れた。

なお、七士之碑はその後有志の支援により修復されている。

詳細は「興亜観音・殉国七士之碑爆破事件」を参照





交通

JR熱海駅より伊豆東海バス湯河原駅行きで停留所「興亜観音」下車。徒歩。JR湯河原駅より熱海・伊豆山方面行きバスの便もある。




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:14Comments(0)スピリチュアル

カバラ数秘術について(笑) 再掲載

2012年11月14日



2010年06月21日




信頼できる方からこんなのをご紹介いただきました。

なかなか客観的で面白いのでオヌヌメ。

「カバラ数秘術」
http://homepage2.nifty.com/ssry/u/uranai.html


ちなみに私は昭和五五年七月七日生まれ、
幸福の科学に入会したのは五月一日、
結婚式は七月三日と七月五日(奄美で身内だけでの結婚式と、その二日後に沖縄の幸福の科学の精舎でもしたので)、

カバラでの誕生数は5、覚醒数は7、ペルソナ5です。

どうにも7と5および奇数に縁がある模様。

たまにはこんなのもいいんじゃなくて?


下記はおいらの情報の一部です。参考までに。

読んでて難しすぎて頭いてぇ~

____________________



奇数と偶数の違い


奇数と偶数は性格がかなり異なります。奇数は男性的、偶数は女性的で、陰陽で例えるなら、奇数は陽、偶数は陰です。

奇数の人は物事を頭で考え感情を切り離すことができますが、偶数の人は自分の感情に正直です。偶数の人は個人的なことや身近なことから重視しますが、奇数は個人的なことよりも世の中全体など広い世界に目を向けます。

偶数の人は絆を大切にしますが、これは人と繋がっていないと感じる不安から来るもので、不安ゆえに執着心が強かったり安定を求めます。奇数の人は世の中との繋がりを漠然と感じているので普遍的なものを重視し、変化も好み、個人的なことを疎かにする場合があります。

そのため奇数は奇数と相性が良く、偶数は偶数と相性が良い傾向がありますが、どちらが優れているわけでもなく、長所・短所はあります。



__________________________

誕生数 属性 思考型(3、4、5、22)



論理的思考の持ち主で、頭の回転がはやく、コンピュータのような頭脳をしています。この世界をシステムとしてとらえ、世界に満ちた法則を見抜くことで物事に対応しようとする生きた計算機で、合理的な判断が得意です。

情報に敏感で、何でも情報としてとらえ、頭の中にデータベースを持っていて、会話の内容も情報としていつまでも覚えていて、そのデータを元に物事を判断します。一瞬で関連性を見抜き、方法を考えることが得意なので問題解決能力があり、何でもいちおうこなす器用な性格をしていて、体の動きもロジックで考えるのでダンスやスポーツが上手いです。

機械的な思考回路なので淡々としていますが、言葉を操るのが上手いので人に説明するのも上手く、矛盾なく理路整然と語り、議論好きです。会話は貴重な情報源なので話し始めるとよくしゃべり、このタイプにとって口は特別な意味を持っています。

頭の中で自動的にロジックが展開し続けるので、座禅を組んで無の極地に至るのは困難なタイプで、この特徴のため、頭の中で堂々巡りに陥ると可能性の海で溺れノイローゼの危険がある数字でもあります。その問題解決のためにも自由に情報収集できる環境は必須で、このタイプにとって情報とは生きるために最も価値を持つものです。

そのため知りたいことに対しては積極的な情報ハンターで、新しい情報を求め続けますが、知識を吸収してしまうと目的は達成し熱が冷めてしまい、この行動が極端な場合は次々対象を変える飽きっぽい人に見られてしまいます。特に、恋愛でこれを繰り返すと軽く見られるので、ここは上手くやる必要があるでしょう。

回転し続ける頭脳は様々な可能性を生み出し、数え切れない可能性の海に生き、確かなものを見つけるため辻褄合わせを繰り返します。その可能性の中から新しいアイデア、新しい理論、新しい明日を生みだし続ける未来予想型で、意識は未来に向かっています。

そのため未来に関することに強く、様々な企画、リスク、最善の方法を考え出すのが得意です。情報処理能力が高いので情報を扱う分野に向いていて、システムを組むのも得意なのでIT業界にも向いていますが、インターネットの世界とはこのタイプの頭の中を現実化させたようなもので、情報のネットワークとは、このタイプの頭脳そのものです。

情報に執着するので人の言葉を重視しますが、世の中には嘘が多いので真偽の判断は難しく、これがこのタイプの悩みどころです。辻褄が合わないと納得せず、矛盾を見つけては追求し、その姿勢は学者的ですが、パラノイア的な面もあります。




誕生数5の詳細



+ 知識欲、器用、鋭敏、分析力、柔軟性、適応力、客観性、洞察力、自制心
- 神経質、分裂的、不安定、狡猾、他人行儀、内気、消極的、杞憂、頑固

数字の属性⇒思考型、奇数

5は世界を数字やシステムとして頭の中だけで把握できるタイプで、物質世界に対しては不満が多く反抗的な面があり、解放を求め、カバラで5は「峻厳」を意味します。

5は情報コレクター的な性格で、かなりマニアックです。神経質で細かいところがあり、一つの分野を徹底的に追求する専門家タイプで、得意な分野については何でも知っていて、あらゆることを徹底的に知ろうとする情報オタクです。知識を披露することが好きなので、得意な分野について聞かれると丁寧に教えてくれます。

数字に強いので経済にも強く、専門的な人なので起業家に向いていて、器用なので複数の会社を経営することもあります。精神的に自立しているので何でも自力で解決して行くタイプで、慎重で堅実です。

5は衝動で動くタイプではなく、体とは操るものなので自分の体を操作していて、上手く場に合わせ、この能力を生かすと役者の才能を発揮します。歌の上手い人が多いのも特徴で、落ち着いていてトークが上手く頭が真っ白になることがないせいかバンドのボーカルにも多いです。でも、人より疲れやすい体質なので無意味に体力を消耗させることを嫌い、気分屋だと思われてしまうことがあり辛いところです。

5は感情も豊かですが、奇数の場合、ロジックと感情は相反するものとなり、感情面では不器用で、5は分裂型の数字の基本形です。分裂型の数字は感情を冷静に客観視し博愛主義者ですが、内面に葛藤を抱え悶々としていて、5の場合、この特徴が辛辣さを生み出します。

5の言葉にはキツいところがあり、この特徴が評論家や文筆家の才能と結びつくと、社会に影響を与える人物となります。人を納得させるのが上手く、相談役も得意で、相手にとって一番良い方法を考えアドバイスすることができ、言葉は厳しくても思いやりのある人です。

恋愛面でも複雑さが出てしまい、寂しがり屋で愛情深い反面、感情に流されることへの抵抗があります。干渉されることを嫌い一人の時間を求め、恋の駆け引きなど頭を使うことに長けているのでプレイボーイやプレイガールと言われる人もおり、本気の恋愛には消極的です。理解ある人なので相手に何も要求せず、無理しないので、相手に無関心だと思われてしまうこともあり、そのためマイペースで強引な相手にリードされることが多いようです。

内面は激情型なので、周囲が反対するほど燃え上がり、5は結婚すると豹変します。空しかった人生が満ち足りたものに感じられ、特に子供ができると溺愛し、家族を守り頼もしくなります。優柔不断さも消え強い意志が芽生え、理解ある明るい家庭を築いて行こうとします。






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 13:36Comments(0)スピリチュアル

ご来光

2012年11月03日




私が特に好きなお話です。


______



ご来光


484 雷鳥一号 ◆zE.wmw4nYQ sage 04/01/01 16:09
友人の話。

彼の所属する青年部では、毎年、初日の出登山というものを開催している。
元旦の前には、山頂の小さな祠に、当日晴天に恵まれるようお参りするのだそうだ。

一度、雲が多く天気が悪い年があった。
どうなることかとスタッフ一同心配していた。
日の出時間間近、彼は山頂の一番高い木に、何かが止まっているのに気がついた。
はっきりと見えなかったが、何だか山伏のようだったという。
それは分厚い雲に向かい、一生懸命に団扇のようなものを振っていた。
なぜか分からないが、彼も心の中で必死に応援したそうだ。

日の出寸前、雲の一部がぽっかりと口を開けた。
皆の口から歓声が上がり、無事にご来光を拝むことができた。
雲が切れたのは、ちょうど日の出の前後、十分くらいだけだったという。
いつの間にか木上の影は見えなくなっていた。

彼はそれ以来、年末のお参りには欠かさず参加しているそうだ。
今のところ、六年間無事にご来光を拝めているらしい。









  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:55Comments(2)スピリチュアル

天上界の三島由紀夫の姿

2012年08月20日

(宗教注意)

幸福の科学の会員さんで、ある、とても信頼できる霊的な会員さんTさんが、天上界の三島さんとコンタクトをとってくださいました。

(Tさんは今度上映される映画「神秘の法」の内容もわからない去年からコノハナサクヤヒメのことや出雲について注目していたすごい人です(笑))

影響を考え、すこしの時間でしたが、すごくありがたかったです!

Tさんよると、三島さんは今、日本の神として、防衛と日本人の目覚めのためのインスピレーションをあちこちに降ろしておられるとのこと。

以下、Tさんからの引用です。

(念のためお伝えすると、霊降ろしというものは、霊の言葉であっても霊媒側の主観の影響や、言葉づかいなどに霊媒のクセがまじります。また、死後の考え方の転換により、生前の言い分とかわることもあります。そこはご了承ください。)


【三島由紀夫からのメッセージ】

『日本男児よ、侍たれ。眠れる魂を呼び覚ませ。
諸君の国を護りし魂に期待する。
大和の国は幾転生、諸君の魂達によりてまもられた。
度重なる侮辱に対しては、日本男児よ、勇ましく立ち向かえ。』

『神々よ、決起せよ。八百万の神々よ、国土を護れ。』




Tさんが視る三島の印象

「三島さんが、英霊達に、魂の呼び掛けをされてる様です。
そっか、三島さんが生前声を大にして言われていたのは、戦争で亡くなられた英霊への呼び掛けだったんだ。
君達の死は決して無駄にしないと。」

「大戦後、日本兵は賊軍にされてしまった。
それを三島さんが背負って、そうじゃないんだ、君達は国を命がけで護ろうとした英雄だったんだという事を主張したかった様です。」

(ここで三島由起夫が生前2.26事件をテーマとしていたことの理由が明らかになる。2.26も賊軍だからだ)

「日本兵の無念をはらすのは、本当に今しかない。と。言われている気がします。
国が破れて、悲しまない兵士は一人もいないと。国土が焦土化されて、心が痛まない英霊など存在しないと。
日本神道の神々は決して君達を見捨てたりしない。
だから、今なんだ。と。」

「三島さん、五分がりで、軍服を着ている姿に見えます。ハチマキを巻いているのかな?」

「三島さん、眼がくりっとされ、お若い姿です。瞳が純粋な感じがします。」

「軍刀を持っておられます。いつでも切腹できる様に短刀もお持ちな感じがします。」





ちなみにこの方は、まったく三島由紀夫さんのことを知りません。(笑)

Tさん、本当にありがとうございました!!!!!






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:13Comments(1)スピリチュアル

神功皇后について

2012年05月31日



神功皇后    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



第(明治時代以前)15代天皇

在位期間
201年11月14日 - 269年6月3日
(神功元年10月2日 - 神功69年4月17日)
大臣 武内宿禰
将軍 武振熊命
先代 仲哀天皇
次代 応神天皇

皇后
在位期間
193年3月1日-201年11月14日
(仲哀2年1月11日-神功元年10月2日)

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誕生 170年
崩御 269年6月3日(4月17日)
陵所 五社神(ごさし)古墳
異称 聖母(しょうも)
気長足姫尊
息長帯比売命
大帯比売命
大足姫命皇后
父親 息長宿禰王
母親 葛城高顙媛
皇配 仲哀天皇
子女 応神天皇
皇居 磐余稚桜宮(若桜宮)

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明治時代以前は神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなして15代の帝と数えられていた。


神功皇后関係系図神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))は、仲哀天皇の皇后。『紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。彦坐王の4世孫、応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。

三韓征伐を指揮した。


事跡

『日本書紀』などによれば、201年から269年まで政事を執り行なった。夫の仲哀天皇の急死(200年)後、住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫より玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。

渡海の際は、お腹に月延石や鎮懐石と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。月延石は3つあったとされ、それぞれ長崎県壱岐市の月讀神社、京都市西京区の月読神社、福岡県糸島市の鎮懐石八幡宮に奉納されたと言われている。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産し、志免でお紙目を代えたと伝えられている。他にも壱岐市の湯ノ本温泉で産湯をつかわせたなど、九州北部に数々の伝承が残っており、九州北部に縁の深い人物であったと推測される。

神功皇后が三韓征伐の後に畿内に帰るとき、自分の皇子(応神天皇)には異母兄にあたる香坂皇子、忍熊皇子が畿内にて反乱を起こして戦いを挑んだが、神功皇后軍は武内宿禰や武振熊命の働きによりこれを平定したという。

実在性

明治時代以前は、『新唐書』220巻列伝第145 東夷 倭日本[1]「仲哀死 以開化曾孫女神功爲王」、『宋史』491巻列伝第250 外国7 日本国[2]に「次 神功天皇 開化天皇之曽孫女 又謂之息長足姫天皇」とあり、日本でも神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなして15代の帝と数えられていた。1926年(大正15年)10月の詔書により、歴代天皇から外された。江戸時代から実在の人物かどうか様々な論考があったが、明治から太平洋戦争敗戦までは学校教育の場では実在の人物として教えていた。現在では実在説と非実在説が並存している。

『日本書紀』において、巻九に神功皇后摂政「66年 是年 晋武帝泰初二年晉起居注云 武帝泰初(泰始)二年十月 倭女王遣重貢獻」として、中国晋の文献における倭の女王についての記述が引用されている。このため江戸時代までは、卑弥呼が神功皇后であると考えられていた。しかしながらこの年は266年で卑弥呼はすでに死去しており、この倭の女王は台与の可能性が高いとされている(ヤマト王権の項など参照)。また、これとは別に、直木孝次郎は、斉明天皇と持統天皇がモデルではないかとの説を唱えている。

神功皇后を卑弥呼や台与と同じような巫女王であったとする見方もある[要出典]。



関連史蹟 陵墓

神功皇后の陵墓については、古事記では「御陵は沙紀の盾列池上陵(さきのたたなみのいけがみのみささぎ)に在り」、日本書紀では「狭城盾列陵(さきのたたなみのみささぎ)に葬る」と記している。狭城盾列陵とは佐紀盾列古墳群のことである。

承和10年(843年)、盾列陵で奇異があり、調査の結果、神功皇后陵と成務天皇陵を混同していたことがわかったという記事が『続日本後紀』にある。後に、「御陵山」と呼ばれていた佐紀陵山古墳(現 日葉酢媛陵)が神功皇后陵とみなされるようになり、神功皇后の神話での事績から安産祈願に霊験ありとして多くの人が参拝していた。

その後、西大寺で「京北班田図」が発見され、これにより神功皇后陵が奈良市にある五社神(ごさし)古墳であることが判明し、文久3年(1863年)、五社神古墳が神功皇后陵に治定された。宮内庁は、この五社神古墳を神功皇后陵(狭城楯列池上陵)としている。

2008年、宮内庁は日本考古学協会などの要請に答え、五社神古墳の立ち入り調査を許可した。これは、考古学者の要請に答えて古墳の調査が許可された初めての例となった。ただし調査は古墳外周の表層だけとされたため、調査ではさしたる成果は上がっておらず、宮内庁調査の確認と円筒埴輪列が新たに発見されたに留まっている。この古墳は4世紀末から5世紀初めの築造とされていたが、円筒埴輪列によってやや新しくなるのではないかと推測される。




神社・考古資料

住吉三神とともに住吉大神の1柱として、また応神天皇とともに八幡三神の1柱(祭神)として信仰されるようになる。

大分県の宇佐神宮、大阪府大阪市の住吉大社をはじめ、福岡県福津市の宮地嶽神社、福岡県大川市の風浪宮など、いくつかの神社の祭神となっている。所縁ある福岡市の香椎宮や筥崎宮、福岡県宇美町の宇美八幡宮、壱岐市の聖母宮でも祀られている。

そのほか、以下のものがある。


朝鮮遠征。1880年月岡芳年。甲山
廣田神社
長田神社
生田神社
三石神社(神戸)
二宮神社(神戸)
宮地嶽神社
田蓑宿禰
牛窓神社
警固神社(福岡)
皿倉山
弓弦羽神社
大分八幡宮
花岡八幡宮(山口)
平山旅館
和白(福岡・日本議会最初の発源地とされている場所)
貫通石
七支刀
船鉾(祇園祭)
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:46Comments(0)スピリチュアル

栄西禅師について

2012年05月26日


栄西  : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永治元年4月20日 - 建保3年7月5日[1]
(1141年5月27日 - 1215年8月1日)

号 (道号)明庵
(房号)葉上房
諡号 千光国師
尊称 栄西禅師
生地 岡山
没地 鎌倉?・京都?
寺院 聖福寺・建仁寺
師 虚庵懐敞
著作 『誓願寺盂蘭盆縁起』・『喫茶養生記』・『興禅護国論』・『一代経論釈』

栄西(えいさい、ようさい)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧である。明菴 栄西(みんなん えいさい、みんなん ようさい)とも呼ばれる。臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。また、喫茶の習慣を日本に伝えたことでも知られる。

生年には異説がある。生地は備中国賀陽郡(岡山県加陽郡は現在加賀郡吉備中央町)。

経歴

永治元年(1141年)吉備津神社の権禰宜賀陽貞遠の子として誕生。曽祖父は薩摩守貞政。誕生地は、賀陽町(現岡山県加賀郡吉備中央町上竹)という説もある。
『紀氏系図』(『続群書類従』本)には異説として紀季重の子・重源の弟とする説を載せているが、これは重源が吉備津宮の再興に尽くしたことや重源が務めていた東大寺勧進職を栄西が継いだことから生じた説であり、史実ではないと考えられている。
久安4年(1148年) 8歳で『倶舎論』、『婆沙論』を読んだと伝えられる。
久寿元年(1154年) 14歳で比叡山延暦寺にて出家得度。
以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学ぶ。行法に優れ、自分の坊号を冠した葉上流を興す。
仁安3年(1168年) 形骸化し貴族政争の具と堕落した日本天台宗を立て直すべく、平氏の庇護と期待を得て南宋に留学。天台山万年寺などを訪れ、『天台章疎』60巻を将来する。
当時、南宋では禅宗が繁栄しており、日本仏教の精神の立て直しに活用すべく、禅を用いることを決意し学ぶこととなった。
文治3年(1187年) 再び入宋。仏法辿流のためインド渡航を願い出るが許可されず、天台山万年寺の虚庵懐敞に師事。
建久2年(1191年) 虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。
福慧光寺、千光寺などを建立し、筑前、肥後を中心に布教に努める。
建久5年(1194年) 彼や大日房能忍の禅宗が盛んになり、天台宗からの排斥を受け、禅宗停止が宣下される。
建久6年(1195年) 博多に聖福寺を建立し、日本最初の禅道場とする。
同寺は後に後鳥羽天皇より「扶桑最初禅窟」の扁額を賜る。栄西は自身が真言宗の印信を受けるなど、既存勢力との調和、牽制を図った。
建久9年(1198年) 『興禅護国論』執筆。
禅が既存宗派を否定するものではなく、仏法復興に重要であることを説く。
京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、幕府の庇護を得ようとした。
正治2年(1200年) 北条政子建立の寿福寺の住職に招聘。
建仁2年(1202年) 源頼家の外護により京都に建仁寺を建立。
建仁寺は禅・天台・真言の三宗兼学の寺であった。以後、幕府や朝廷の庇護を受け、禅宗の振興に努めた。
建永元年(1206年) 重源の後を受けて東大寺勧進職に就任。
建仁寺、京都市東山区建暦2年(1212年) 法印に叙任。
建保元年(1213年) 権僧正に栄進。
政治権力に追従する者と、栄西に執拗な批判が向けられたのは、従来の利権を利かせたい者による。よって栄西が幕府を動かし、大師号猟号運動を行ったことは、生前授号の前例が無いことを理由に退けられる。天台座主慈円は『愚管抄』で栄西を「増上慢の権化」と罵っているが、栄西の言動は、むしろ政争や貴族の増上慢に苦しむ庶民の救済と幸福を追求したからに相違ないことは、他の記録から明白である。
建保3年(1215年) 享年75(満74歳没)で病没。終焉の地はの2説がある。
他者からの栄西観 [編集]日本曹洞宗の開祖である道元は、入宋前に建仁寺で修行しており、師の明全を通じて栄西とは孫弟子の関係になるが、栄西を非常に尊敬し、夜の説法を集めた『正法眼蔵随聞記』では、「なくなられた僧正様は…」と、彼に関するエピソードを数回も披露している。なお、栄西と道元は直接会っていたかという問題は、最近の研究では会っていないとされる。
主な著作 [編集]『誓願寺盂蘭盆縁起』 - 栄西唯一の肉筆文書で国宝。福岡市西区の誓願寺に滞在した折書いたと見られ、現在も同寺が所蔵(九州国立博物館寄託)。
『喫茶養生記』 - 『喫茶養生記』は上下2巻からなり、上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれ、下巻では飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に対する桑の効用と用法が説かれている。このことから、茶桑経(ちゃそうきょう)という別称もある。書かれた年代ははっきりせず、一般には建保2年(1214年)に源実朝に献上したという「茶徳を誉むる所の書」を完本の成立とするが、定説はない。

_______
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-kama/eisai.htm

栄西禅師(1141-1215)

日本に禅宗をもちらした栄西禅師は栄治元年(1141)に生まれ、建保3年(1215)
7月5日に亡くなりました。

禅とは仏教における瞑想の技法であり、釈迦の時代から重要な修行法として使
用されていました。釈迦が菩提樹の下で瞑想をして悟りに到達したのは有名な
話です。この禅を行うことをその中核に据えたのが禅宗であり、その歴史は一
般にインドから中国へやってきた達磨大師(6世紀)に始まります。

その後五祖弘忍のあとを正式には神秀が継いだものの弘忍自身は実はひときわ
大きな器を持つ慧能にも密かに衣鉢を与えます。弘忍は騒ぎを避けるため慧能
を南方に逃し、以後神秀の系統を北宗禅、慧能の系統を南宗禅といいます。そ
してその後の禅は南宗禅の系統が発展し、これにより慧能は六祖とされ慧能の
偉大さ故に「祖」を付けるのは慧能までとしています。

この慧能の弟子の行思の系統からやがて曹洞宗が、懐譲の系統からやがて臨済
宗が生まれました。日本の禅はこの臨済宗・曹洞宗と、江戸時代にインゲン豆
で知られる隠元禅師が伝えた黄檗宗、そして虚無僧で知られる普化宗がありま
す。黄檗と普化はいづれも臨済系の一派です。

栄西は岡山の吉備津宮の神官の家に生まれました。(この吉備津宮にしろ奈良
の石上神宮にしろ、こういう古い神社の周辺には偉大な宗教家を生む環境があ
るようにも思います。)14歳で比叡山に上がりその後2度にわたって中国に留
学。黄龍派の臨済を学びました。

帰国後、栄西は最初博多の聖福寺(1195)を拠点として活動を始めます。これは
当時京都では天台宗・真言宗の2大平安仏教の勢力が強く、この新しい仏教を
奉じた活動をすることはできなかった為です。そこである程度理解者が増える
と今度は、頼朝が開いた新幕府のお膝元・鎌倉へ赴き、ここで幕府の中核に働
きかけ北条政子の援助で寿福寺(1200)を建てることに成功。

そして更に幕府の庇護のもとでようやく京都に建仁寺(1205)を建て、以後栄西
は京都と鎌倉を頻繁に往復して、精力的な活動を続けます。この栄西の活動に
より、仏教には天台・真言以外にも色々あるのだということが人々に認識され、
以後の道元(曹洞宗),法然(浄土宗),親鸞(浄土真宗)らの活動を支える下地が形
成されることになります。

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興禅護国論   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

興禅護国論(こうぜんごこくろん)とは、鎌倉時代初期、日本に臨済宗を伝え広めた栄西による仏教書。栄西が禅の布教にあたったとき、南都北嶺より激しい攻撃が加えられたのに対し、禅宗の要目を論じた著作[1][2]。栄西にとっては主著にあたり、「日本における禅宗独立宣言の書」とも評価される[3]。

概要
明菴栄西建久9年(1198年)以前の成立と考えられる[2]。全3巻で、禅宗は決して天台宗の教えに違背するものではなく、根本的には対立・矛盾するものではないとして、仏典(経・律・論[注釈 1])において説かれる禅の本旨を述べた著作である[2][4]。仏道を追究して悟りを得ることのできる人の心の広大さを称える一文「大いなるかな、心(こころ)哉(や)」で始まり、全編は、第一「令法久住門」、第二「鎮護国家門」、第三「世人決疑門」、第四「古徳誠証門」、第五「宗派血脈門」、第六「典拠増進門」、第七「大綱歓参門」、第八「建立支目門」、第九「大国説話門」、第十「回向発願門」の10門に分けられる[1][2]。禅の普及に圧力をかける南都北嶺とくに山門(比叡山延暦寺)に対する弁明・反論と朝廷から布教の許可を得ることを目指して著述された。

建久6年(1195年)の『出家大綱』、元久元年(1204年)の『日本仏法中興願文』とならび、栄西の思想を知るのに重要な著作である[1]。原文は漢文で、巻首には筆者不明の栄西の伝記、巻後には栄西自身による『未来記』が付されている[3]。

著述の経緯と目的
建久2年(1191年)、2度目の渡宋を終えて南宋より帰国した栄西は、九州地方北部において、聖福寺(福岡市博多区)[注釈 2]をはじめ、徳門寺(福岡市西区宮浦)、東林寺(福岡市西区宮浦)、誓願寺(福岡市西区今津)、報恩寺 (福岡市東区香椎)、龍護山千光寺(福岡県久留米市)、智慧光寺(長崎県高来郡)、龍灯山千光寺(長崎県平戸市)、狗留孫山修善寺(山口県下関市)などを構えて禅の普及に尽力したが、建久5年(1194年)7月5日、日本達磨宗の大日房能忍らの摂津国三宝寺の教団とともに布教禁止の処分を受けた[2]。

いっぽう筑前国筥崎(福岡市東区)の良弁という人物[注釈 3]が、九州において禅に入門する人びとが増えたことを延暦寺講徒に訴え、栄西による禅の弘通を停止するよう朝廷にも働きかけたため、建久6年には関白の九条兼実は栄西を京に呼び出し、大舎人頭の職にあった白河仲資に「禅とは何か」を聴聞させ、大納言の葉室宗頼に対してはその傍聴の任にあたらせた。しかし、京の世界にあっては禅を受容することは難しいものと判断された[2]。

そこで、明菴栄西によって、禅に対する誤解を解き、最澄(伝教大師)の開いた天台宗の教学に背くものではないとして禅の主旨を明らかにしようとして著されたのが本書である。九州で著されたと考えられる[5]。栄西は、禅を興すことは王法護国をもたらす基礎となるべきものであるという自身の主張から、経典『仁王護国般若波羅密多経』の題号により『興禅護国論』と命名した[2][注釈 4]。

内容

上述の通り、本書は10門より構成されており、それぞれの内容は以下に示す通りである[1][2]。

第一「令法久住門」…仏法の命の源は戒にあり、戒律を守って清浄であるならば仏法は久住する。
第二「鎮護国家門」…般若(=禅宗)は戒を基本としており、禅宗を奉ずれば諸天はその国家を守護する。
第三「世人決疑門」…禅に対する無知や疑惑、いわれなき誹謗(禅は悟りのない禅定をするだけである、「空」だけを強調する誤った教義であるなど)に対する反論。偏執の世人に対する批判。
第四「古徳誠証門」…古来の仏僧は禅を修行したことの証拠。
第五「宗派血脈門」…仏の心印は途絶えることなく栄西に至っていること。
第六「典拠増進門」…諸経論のなかにおいても教外別伝・不立文字の教えが説かれていること。
第七「大綱歓参門」…禅は仏教の総体であり、諸宗の根本であるとして以心伝心の真義を明らかにし、禅宗の大要を示す。
第八「建立支目門」…禅宗の施設・規式・条件などを示し、宗教界の刷新改革と戒律の重要性を説く。
第九「大国説話門」…インド・中国における禅門について示す。
第十「回向発願門」…功徳を他にふり向ける心を発せさせることの重要性を示す。
栄西は、この書において、戒律をすべての仏法の基礎に位置づけるとの立場に立ち、禅宗はすべての仏道に通じていると述べて、念仏など他の行を実践するとしても禅を修めなければ悟りを得ることはできないとした。また、生涯を天台宗の僧として生きた栄西は、四宗兼学を説いた最澄の教えのうち、禅のみが衰退しているのは嘆かわしいことであるとし、禅宗を興して持戒の人を重く用い、そのことによって比叡山の教学を復興し、なおかつ国家を守護することができると説いた[2][6]。そして、禅宗に対する批判は、比叡山そのものを謗ることになると主張した。

この論を著述するにあたっては数多くの仏典が引用されており、引用にはすべて典拠を掲げて厳正を期している[2][3]。

なお、栄西の手になる『未来記』1編は、自身の死去50年後には日本で禅の隆盛が訪れんことを期待するというもので、これは、日本の天台僧覚阿も師事した中国の高僧、杭州霊隠寺の仏海禅師慧遠が宋の乾道9年(1173年、承安3年)に自身の入滅後20年には禅は日本に渡って興隆すると予見したことを踏まえ、自身の帰国はこれに適合することを訴えたうえで禅の将来への期待を示したものであった[2]。

刊本

刊本としては、

『大正新脩大蔵経』第80巻(大蔵出版、1924年-1934年)
『大正新脩大蔵経』第80巻(大正新脩大蔵経刊行会、1992年)ISBN 4804395806
『日本思想大系』第16巻「中世禅家の思想」(岩波書店、1972年)ASIN B000J9AKC0
『国訳禅宗叢書』第2輯第8巻(第一書房、1974年)ISBN 978-4-8042-0218-1
などに収載されている[2]。

脚注

注釈 [編集]1.^ この3つの仏典を総称して「三蔵」という。
2.^ 博多聖福寺は、後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」の宸翰を賜っている。安国山聖福寺
3.^ 奈良時代の華厳宗の僧良弁とは別の人物である。
4.^ 仁王般若波羅蜜経は、法華経および金光明最勝王経とともに「護国三部経」と称された。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 16:01Comments(1)スピリチュアル

Mさんより、スピリチュアルなご依頼 

2012年05月08日

めずらしく、チャットメンバーのMさんからご依頼をいただきました。

「ブログ読者のみなさんに、お近くの国分寺、国分尼寺で護国と国家鎮守の祈りをしてもらえるようにブログで呼びかけてください。

あと、みなさんに春日大社へ瓦代の寄進をお願いします。こちらは一口千円から。詳しくはお問い合わせください」

とのことです。

なお、幸福の科学の会員向けには「降魔型に救国の祈りをセットで」とのことです。




東大寺盧舎那仏像
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E7%9B%A7%E8%88%8E%E9%82%A3%E4%BB%8F%E5%83%8F

時代背景
大仏造立の詔の2年前の天平13年(741年)、聖武天皇は詔して、国ごとに国分寺と国分尼寺を造ることを命じた。そして、東大寺は大和国の国分寺であると共に、日本の総国分寺と位置付けられた。この国分寺造立の思想的背景には護国経典である「金光明最勝王経」(10巻、唐僧の義浄訳)の信仰があった。同経によれば、この経を信じる国王の下には、仏教の護法善神である四天王が現れ、国を護るという。聖武は、日本の隅々にまで国分寺を建て、釈迦像を安置し、金光明最勝王経を安置することによって、国家の安定を図ろうとする意図があったものと思われる。

聖武が位に付いていた8世紀前半、すなわち天平時代の日本は決して安定した状況にはなかった。天平9年(737年)には、当時の政治の中枢にいた藤原武智麻呂・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂の四兄弟が、当時猛威をふるっていた天然痘(疫病)で相次いでこの世を去った。そのほかにも、天平時代は例年旱魃・飢饉が続き、天平6年(734年)には大地震で大きな被害があり、国分寺建立の詔の出る前年の天平12年(740年)には九州で藤原広嗣の乱が発生するなど、社会不安にさらされた時代であった。聖武による国分寺の建立、東大寺大仏の造立には、こうした社会不安を取り除き、国を安定させたいという願いが背景にあったものと推測されている。



春日大社
http://www.kasugataisha.or.jp/about/index.html

春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。


御祭神である武甕槌命様・経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神様であります。また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神様として、比売神様は天照大御神様だとも天児屋根命様の妃神とも伝えられています。平和と愛の尊い神様であり、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神と申しあげてまいりました。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 15:51Comments(2)スピリチュアル

イヤシロチとケガレチ(土地の浄化法)

2012年05月05日

例のあれがおきてから特に最近私のなかで注目してる技術。

日本には、古来からケガレを浄化する技術がある。それは多いに活用していいんじゃないかと思う。

ケガレを恐れる心がケガレに通じるというのは私の持論ですが、

ケガレをおそれず、淡々とケガレを浄化するのは大事です。

みなさんに太鼓判押してすすめるわけではありませんが、まぁ、こういう技術もありますよとのことで。



http://www.cau-d.jp/jp/works/tanmai/3riasons.html


http://www.ne.jp/asahi/sachiup/sugimoto/iyasiroti.html


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:09Comments(1)スピリチュアル

縄文時代の哲学文字・ヲシテ

2012年04月24日

古事記や日本書紀の原典にあたる「ヲシテ文献」を30年以上研究されてる池田さんという方のサイト。
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/

【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-1
http://www.youtube.com/watch?v=Dm8zldpBVDU&list=PLAF4FFB4DAB5ACB42&index=1&feature=plpp_video


【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-2
 http://www.youtube.com/watch?v=fZZqcrlCmJg&list=PLAF4FFB4DAB5ACB42&index=2&feature=plpp_video


【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-3
http://www.youtube.com/watch?v=sFy96NceeGY&list=PLAF4FFB4DAB5ACB42&index=3&feature=plpp_video


【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-4
http://www.youtube.com/watch?v=2gaGgU5JGBk&list=PLAF4FFB4DAB5ACB42&index=4&feature=plpp_video



【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-5
http://www.youtube.com/watch?v=rTIIN_jO7mc&list=PLAF4FFB4DAB5ACB42&index=5&feature=plpp_video





【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6-6
http://www.youtube.com/watch?v=Uz2REa6BRKU&list=PLAF4FFB4DAB5ACB42&index=6&feature=plpp_video





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 14:40Comments(0)スピリチュアル

日本復活のための『靖国』というキーワード(再掲載)

2012年02月05日

(これは大変重要なので、これからちょくちょく繰り返しのせさせていただきたいと思います。)



千葉さんとチャットの中で、靖国神社とA級戦犯について

「日本人が靖国神社とA級戦犯へ向ける嫌悪感や偏見や悪意こそは、米中から日本人の意識にかけられた【太平洋戦争と英霊への偏見】という、日本衰退のプログラム(霊的封印)である」

ということを話した次の日、靖国神社の神門が中国人に放火されたという一報をききました。

いやー、あちらの方々(霊的存在)はなんともわかりやすい行動しますよね!(笑)

そんなわけで、こちらはこちらで26日深夜に千葉さんとゆかりんさんに私から託した靖国の軍神方への誓願をここで披露します。

「幸福の科学はあなた方(英霊)が護国の軍神であることを高らかに掲げます」

「 幸福実現党は、この国を護られたあなた方の軍神としての使命を誇りに思い、その使命を継承いたします」

この私の誓願に異議のある幸福の科学信者は本部に「当会の印象を捻じ曲げるあぶないブログがある」などと通報という姑息で卑しいことなどせず、直接私に抗議しなさい。ブログ上で堂々と議論しようではないか。

その前に経典『天照大神の神示』、『日本を救う陰陽師パワー』をよーく読んでくださいね。

日本人よ、どうか靖国と英霊に、この国を護るために命を捧げた高貴なる御霊に、敬意という名の信仰心をささげてほしい。

そうすれば、英霊は地上の人々の信仰心によって押し上げられ、本来の姿である「軍神」となれる。

「軍神」となられた靖国の英霊方は、地上の人々による偏見という「念縛り」から解かれ、再び、護国のために今度は神として巨大な霊力をもって戦ってくださるだろう。

「軍神」を気持ち悪い、怖いという無理解な人々に言うと、この日本の神道の神々は、六割までも軍神です。

天皇(スメラミコト)も元々は軍神です。

(その軍神方の上に鎮座するのが女神というのがこの国のすごいところ)

その日本の国で、護国の軍神に敬意を持てない戦後からの現状が、どれほどの「狂った状態」なのかを知るべきだと思うのです。

「信仰心」とは、霊を神に押し上げ、その霊力を数十倍、数百倍にする地上最強の念力なのです。

(だから悪魔は神への信仰を穢そうとし、信仰や宗教が無価値なものと思いこませようとしているのですね)




そして、これが私にとって一番重要なことなのですが、

「護国の誇り」こそは、国家の霊力を高める秘法の一つなのです。

だからこそアメリカと中国は、日本から国力を削ぐ最も効率的手段として、「天皇と日本の神々への信仰心」「護国の誇り」を奪ったのだと私は思います。

どうか日本の人々よ、靖国と英霊に誠心誠意詫びてほしい。

命を捨てて国を護った英雄を、堂々と信じ敬うことができなかったこの国の国民の不徳を、心から詫びてほしい。

そして、靖国の軍神の偉業をたたえ、その護国の生きざまに素直に頭を垂れてほしい。

靖国の軍神よ、あなた方を縛ってきた偏見の檻を私は粉々に破壊します。

奄美から、「護国の誇り」を堂々と掲げ、あなた方が軍神であることを述べ伝えます。

靖国の英霊よ、どうか軍神となりたまいて、この国をお護りください。

この国のなりたちよりの元津神であらせられる主エル・カンターレの御名において、官軍も賊軍もない。この国には太陽の大親神の意志を掲げる使命がある。

この国に「神々への信仰心」を取り戻せ。この国は古来より信仰の国なのだ。

地球神エル・カンターレの御名において、この国に神々への信仰を取り戻せ。

それが、幸福の科学会員の使命ではないだろうか。






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:22Comments(3)スピリチュアル

千葉さんより・ヘルメス思想と奈良の仏教のつながり

2012年02月02日

アマミキョさん、こんばんは。

明日、研修に参加する前に、奈良時代の事が良く頭に浮かびました。

以前、奈良時代の東大寺の大仏はヘルメス思想と関係があるとお話しましたので。

ヘルメス思想の宇宙観と、仏教世界の宇宙観と比較してみたいと思います。

情報はWikipediaから、拾いました。

エメラルドタブレットの世界観、ヘルメス思想の中心の世界観は、この世界は多次元宇宙の世界である事。そして、ミクロコスモス小宇宙は、マクロコスモス大宇宙の中に内包される世界観です。

そして、宇宙の中心には創造の神様がおり、慈悲の願いで宇宙に光りを供給している世界観です。

仏教にも、全く同じ世界観があり。知る人ぞ知る三千大千世界です。

細かい説明は省きまして。この私達が住む世界、霊的な世界、神々が住む世界を含めて一世界と言います。

この一世界。ひとつの小さな世界が宇宙の中には千個ある考え。一世界が千集まる世界が、小千世界。更にこの小千世界という宇宙が千集まると中千世界という更に大きな宇宙に繋がります。

更に中千世界という大きな世界が、千個集まる宇宙が大千世界です。更に大千世界は、大・中・小の3つの千世界からなるので、三千大千世界と呼ばれるそうです。

計算すると、私達の住む世界は、同じ様な世界が十億存在し。それぞれの世界ごとに、神様や仏様、菩薩観音が存在し。更に大きな多次元宇宙の中に内包されていくという、途方もない広大な宇宙論が存在しています。

そして、奈良の時代の、東大寺毘盧舎那仏は、華厳経の中の、大方向仏。時間も空間も超越した絶対的な仏として、建立されています。

史実のゴータマシッダルタを越え、宇宙の真理をあまねく人々に照らし、悟りに導くご存在の事です。

光明遍照、その御光で宇宙を編まねく悟りの力で照らしだす仏で。太陽の輝きの仏としょうされるそうです。

ここまでのお話で行きますと。ヘルメス思想の多次元宇宙の構造論と、魂を高次元世界に引き上げる宇宙創成の知恵の神様のお話。

そして、仏教における所の三千大千世界。多次元宇宙の構造論と、宇宙を慈悲の光で編まねく照らし、悟りの御光で導きを与える、時間や空間を越えた宇宙の根本仏の考え。

これが大変そっくりな事がわかってきます。

 ギリシャの時代のヘルメスから、三倍偉大なヘルメス、ヘルメストリスメギストスが現れ。ゴータマシッダルタ、釈尊から、時代を越えて宇宙の根元の仏の思想が現れています。

西洋思想も、東洋思想も、根本では繋がりがある様に感じます。

神秘的な世界観ですが。ヘルメス思想と、奈良仏教の毘盧舎那仏の大方向仏華厳経の考え方が、大変似ていますので。東大寺大仏に流れるヘルメス思想と呼んでみました。 

時間や地域を越えて、脈々と流れる思想には、何かしらの真実があるのだと思います。

また、次の世代にわかる事なのかもしれません。  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:00Comments(0)スピリチュアル

【千葉さんより】エメラルド・タブレッド翻訳文(序文)

2012年01月30日

千葉さん、いつも本当にありがとうございます!

昨年末の私が翻訳した「火水伝文」は、2012年の入り口に幸福の科学会員が幸福の科学の情報を“鍵”として使うことで、はじめてすべての意味が読み解ける」という、すさまじい天の仕掛けが施された霊示の書でした。

もしもエル・カンターレが本物であるなら、このような「エルの教え」が“鍵”となる霊示の書がたくさんあるのではないかと思っておりました。

そして、その予想は、当たっておりました。

もしも超うがった見方で、大川隆法総の方が、「火水伝文」や「エメラルド・タブレッド」をいちはやく独自解釈で現代語訳して、それを教えにしていたとしても、

それはそれで宗教家としてすさまじく前人未到です(笑)




千葉さんが翻訳してくださる「エメラルド・タブレッド」は、錬金術(科学)の元となりカトリックに隠れた真実の神秘思想の元となった古代ヘルメス思想の中核となる古代エジプトの霊示(神示)の書です。

千葉さん、かさねがさね、本当にありがとうございます!

幸福の科学会員さんは、これを読んで、涙が流れると思います。

幸福の科学の経典が、数千年前にもあった。主は普遍の主であった、その奇跡に。






私はそうでした。




主はかくも偉大なり。




______________




アマミキョさん、こんばんは。
エメラルドタブレットの翻訳文を送ります。
翻訳と言いましても、個人的な感性で通訳してみました。
新しい解釈ということでお願いします。
翻訳していたら、内容が、そのまま。経典「永遠の仏陀」でした。
エメラルドタブレットの解釈をしたら、主がそこに居られたという感激です。
太古の昔にエルカンターレに出会えた不思議な感覚がしました

錬金術の秘法と言われていますが。
個人的には、人間の生命の転生輪廻が書かれていると思います。
不滅の法の時代に合わせた新しい解釈です。




エメラルドタブレット序文、新たなる解釈と翻訳


この事は偽る事の出来ない真実であり。
変える事の出来ない宇宙の真相であり、普遍的なる真理である。

全ては、唯一なる宇宙の創造主が願われる、理想を実現する為。
そして、唯一なる至高なる存在が願われる奇跡を実現する為。
我は宇宙の真相をここに明らかにする。

宇宙の真相は。多次元宇宙の中の下位なる存在は、全て多次元宇宙の中の上位の世界の投影図として造られている。
そして多次元宇宙の上位の世界は、下位なる世界と交互に影響しあいながら存在している。

宇宙を創造された、唯一なる根元なる意思の元。想いの世界において、かくあるべしという理想の元に、この世界は創造されたのである。

この世界においては、太陽は全てに光を供給する、無尽蔵の父なる慈愛の存在として。
月は、優しさと優美さを与える母性として。
霊的なエネルギーは霊界と地上を貫き、全ての生きとし生けるものを育む風となる。
大地は生きとし生けるものを育む大いなる、乳母なる存在である。

それは、万物の源なる創造の父がつくりあげた世界である。

その力は地上世界においても、完全なるものである。

創造主、造物主の力は念いが集まれば世界を物質化し創造する事が出来。また念いが解消されれば、物質はエネルギーへと変化する。


地上に生まれ、そして、また霊的世界に帰る。
人の転生において、地上世界の経験より、より精妙なる魂へ進化を遂げよ。
大いなる知恵の働きによって、生まれ変わりを重ね。
地上から天上世界へ。
そして、天上世界から再び地上に生まれ変わる。
天上世界の優れた精妙なる世界と、地上世界の物質世界。両者を受け入れ。

かくて、あなた方の魂は、全世界を造られた創造主の繁栄の息吹きを受け入れ。
無知なる、暗愚なるものは、汝らの魂より消え去るだろう。
あなた方の魂は不滅の叡知を宿し。
万物を越える最強の叡知と繋がる事ができる。
あらゆる霊的世界に精通し、あらゆる地上世界の叡知まで精通する為である。

この様に、この世界は根元なる念いにおいて創造され。
かくのごとき、真理がこの世界が創造された理由である。

我はヘルメストリスメギストスなり。
宇宙の真理、霊界世界の真理、地上の世界の真理に通じるものである。
故に、三倍偉大なるヘルメスと称する。

我が説く、太陽の教えにおいて、何一つ間違いたるものはない。



Posted by 千葉優 at 2012年01月30日 03:20


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:58Comments(5)スピリチュアル