自衛隊への差別偏見に静かに抗議する
2014年10月29日
私は差別が嫌いだ。
昔、うちの父が高校生だったときに、
『破戒』を読んだ父が、鹿児島育ちだった祖母に
「被差別部落とはなにか?」
と聞いたらしい。
すると、鹿児島で生まれ育った祖母は、
被差別部落のことを、口汚く罵ったらしい。
それに父は激怒した。
「おまえは、自分が鹿児島の連中に「大島人」とバカにされてきたのに、被差別部落の人をバカにするのか!」
「俺が周りの連中から「父なし子」とバカにされてるのに、それを知ってるおまえが誰かをバカにする言葉を吐くのか!」
(祖父は父が幼いときに病死し、祖母は極貧のなか父を育てた)
父は祖母に手こそあげなかったものの、鬼の形相で部屋中をめちゃくちゃにしたらしい。
それから、祖母は人をバカにする言葉を一切言わなくなったという。
私はその若き日の父のエピソードを聞いて、
我が父を誇りに思う。
奄美は沖縄と鹿児島に侵略され、差別されていた。
沖縄は自分達の悲劇は語るが、奄美侵攻の歴史は語らない。
(本気で知らない沖縄人の方が多い)
大島陥落のあとも、喜界島は最後まで琉球王朝への抵抗を続けた。
近年まで、沖縄本島の人々に、離島・・・特に奄美と宮古の出身者への強い偏見と差別があったのは周知の事実だ。
惠隆之介先生もそれを経験している。(沖縄の学校で「大島人」とバカにされていたそうです)
また、沖縄は先に日本復帰した奄美に対して、当てつけとして「外国人になった」というとってつけた理由ですべての奄美出身者を公職追放にした。この異常性は言葉を失うものがある。
(これは私の体験談ですが、数年前沖縄国立博物館にいったときに、館内を案内してくれた地元案内ボラの人に「どちらからいらしたんですか?」と聞かれたので「奄美大島です!」と答えたら、いきなりイヤそうに「ああ・・奄美ですか・・・先に復帰しましたね・・・」と言われました。(笑正直ゾッとしました。)
この「沖縄本土において、奄美出身者にたいして長く続いた差別偏見」と「奄美が先に日本復帰したことへの異常な嫉妬」、この二つはつながっているように私は感じている。
鹿児島の人々もそう。
琉球侵攻によって奄美は琉球から薩摩に割譲された。
明治維新の資金源になったのが、奄美でプランテーションされたサトウキビによるものもあったと鹿児島の人々は知らない。
「木曽川の大治水工事」で薩摩藩が負った莫大な負債は、
奄美の島民を農奴につくりあげたことで返済された。
奄美の地元農民に黒糖の自由売買の権利はなく、
飢饉のたびに農奴が増え、ついに住んでいた集落の住民がすべて農奴になり、集落そのものが消滅した例もすくなくはない。
なぜ明治期において奄美の人々が「学問ど」を合言葉にし、立身出世を目指したのか。
それは、丸田南里をリーダーとする「島民による黒糖の自由売買を認めさせる運動」(勝手世騒動)が、
当時の鹿児島県上層部によってにぎり潰されたことも一因だった。
鹿児島の支配下では、このままでは奄美の人間は収奪され続ける。
それを絶望のなかで知った人々は、学問による出世と地位向上の道をめざし、本土を目指した。
これが、戦前の奄美における異常な学力の高さの、もう一つの側面でもあった。
奄美における黒糖売買の不平等(収奪)を変えさせたのは、皮肉にも鹿児島出身の新納中三や、笹森儀助などの、本土からの役人だった。
奄美はこれらの方々をもっと大きく、恩人として讃えるべきだろう。
しかし、奄美に部落解放同盟は根付かなかった。
奄美は「被害者意識による権利獲得」をすでに諦めていた。
奄美は調和と向上を選んだ。
私は、かつて鹿児島市内で、地元の知らない男性から「なんだ、大島人か!」と罵られたことがある。
(中学生のときの県体ですね。ちなみにテニス部でしたwww)
その言葉はいまになっても消えない。
私はその言葉を私に投げた人を憎くはない。
その「蔑みの視線」をつくりあげた歴史が憎い。
その蔑みの視線を、多くの人々が、自衛隊に対して向けている。
旧軍に対して向けている。
名前を出すと、眉をひそめる。
とってつけた理由で、彼らを拒絶する。
「平和な時代に軍隊はいらない」
「自衛隊は戦争を呼び込む」
「自衛隊誘致が必ずしも地域振興とつながるとはいえない」
という言葉で、自衛隊を、日本の軍隊を拒絶する。
誰が、彼らへの嫌悪を植え付けたのか?
誰が、彼らを「関わってはいけない」存在だと決め付けたのか?
私は共産党員の娘だが、幼い頃から、
多くの社会主義者・反戦活動家、そして一般の人々が自衛隊や旧軍に向ける目は、
差別的なる眼差しという以外の表現を探し出せないように感じた。
その目線への違和感を、私は幼い頃から抱えていた。
なぜ日本において自衛隊や軍隊を蔑む視線を、他の国・・・中国やソ連の軍隊には向けないのか?
なぜ反戦平和を訴える人々は、自衛隊を嫌悪し、アメリカの軍隊を嫌い、
一方で中国や北朝鮮の軍隊の横暴には見て見ぬフリをし続けるのか?
なぜ日本人は、自衛隊や軍隊を、そんなにも嫌うのか?
第二次大戦には多くの国が関わったのに、
なぜ日本だけが軍隊を持ってはいけない風潮とされたのか?
日本軍はそんなにも悪いことをしたのか?
これが差別偏見でなくてなんなのか?
この幼き私の内心の問いに答えてくれる人や本はなかった。
誰が、この国を護るために、命をかけた男たちを、バカにしたのか?
誰が、多くの日本人が自国を護るための軍隊を嫌悪し、関わることを拒むようにしむけたのか?
いつまで自衛隊は「日陰者」でなければならないのか?
それは、「長吏」(警察官・刑務官的位置づけの下級役人)「皮革産業」(鎧にも使われるため軍需産業として秘匿されていた)だった被差別部落の人々が、明治期になり体制がかわったあとで、
「ちょうりんぼう」
「あいつらは野蛮だ」
「関わるとろくなことがないから関わるな」
と差別されたことと、なにがちがうのか?
(正確には、被差別部落には様々な成立背景があるので、上記はその一部です)
いつになれば、この国から差別偏見はなくなるのか?
部落解放同盟に言いたい。
荊冠を投げ返すだけでは、新しい差別を作るだけなのではないかと。
天皇を憎むな。自衛隊を憎むな。
奄美は鹿児島も沖縄も嫌悪しない。
差別をこえるのは、
「理解」と「受容」を武器にした戦い、それのみではないかと私は思う。
日本には古代から多くの帰化人がはいり、そのすべてを飲み込み、大いなる和の国を創りつづけてきた。
日本人ならば、きっと、それができると私は信じている。
この国から、すべての差別的なる感情が、それを肯定する思想がなくなることを願う。
自衛隊への偏見・蔑視をやめよ!!!!
今日の父との会話 社会主義と護憲路線について
2014年10月29日
とれたてホヤホヤの父との会話です。
私「父上、中村安太郎の【民族自決】は、自衛隊と矛盾しないよね?」
父「それは違うだろ」
私「どこがちがうの?」
父「そもそも【民族自決】は、他国から支配や抑圧を受けてる民族の立場からの主張だろ。信託統治されてた当時と今は違うだろ」
私「じゃあ、【民族自決】を唱えた共産主義が同時に【人民軍】を肯定してるのは?」
父「人民軍は独立運動における存在であり、国軍とはまたちがうだろ」
私「じゃ、キューバ軍もベトナム軍も否定するわけね」
父「それは・・・(困った顔)」
私「つまり、お父さんの言ってる社会主義における武力及び国軍の認識は、「社会主義国における国軍は肯定されるが、資本主義国における国軍は資本家や帝国主義者による侵略戦争の道具になりやすいから肯定できない」ということですよね?これって社会主義国における国軍だけを盲目的に信頼してませんか?」
父「そうだな・・・・」
私「そもそも国軍を否定するのなら、独立闘争における遊撃隊も否定されるべきだし、そもそもいかなる理由であろうとも武力はすべて否定されるべきでしょ。復帰運動当時の日本共産党は、武力闘争や人民軍を肯定してたでしょ(中村安太郎は日本共産党員でした)」
父「うーん。日本国憲法は、当時のGHQが、ちゃんと手順を踏んでるんだよ。ちゃんと世界の憲法学者の意見もとりいれ、日本人の憲法学者の意見もとりいれてるし、日本国民もあれを認めたんだ。あれが当時の憲法の最高だったんだよ」
私「なら、なんで戦勝国がつくった憲法が、敗戦国に「戦争放棄」を宣言させてるの?この時点でアンフェアじゃないですか?日本国民が認めたって、そもそも日本国憲法公布された当時は日本そのものが信託統治状態みたいなもんでしょ。そこでGHQが差し出した憲法に対して日本側には当時拒否権があったんですか?」
父「ないだろうな・・・・」
私「もしもそれが本当に当時の理想なら、まず造ったアメリカがその理念を遂行すべきでしょ。なんでアメリカは国軍を保持し続けてるの?日本国憲法の理念が正しければ、アメリカも国軍放棄して国連軍のみにしていいはずじゃないですか」
父「だから、悪いのは自民党なんだよ!(ややギレ)そもそもGHQの施策で日本国憲法ができたとき、当時の政党であれに反対したのは(共産)党だけだったじゃないか!党は、「国軍を認めないのは独立権の侵害だ」として日本国憲法に反対した。あれを通したのも自民党だろうが!」
私「だから、その当時の共産党の理念が、なぜいきなり護憲路線に歪んだのかが問題だと私は言ってるわけよ」
父「それが何故かは俺もわからん!とにかく、党は社会党との共同歩調をとるということで護憲路線に方針転換した後、それ以前の階級闘争における武力闘争に関するすべての文書を燃やすように通達したんだ。俺も、あとであれはとっておくべきだったと思ったが・・・・あれは惜しいことをした・・・」
私「この部分に、なんらかの違う意図が見え隠れしませんか?日本共産党における民族自決と階級闘争の理念から言って国軍の放棄・自衛権の否定は本来ありえないでしょ」
父「たしかにそれはおまえの言う通りだ」
私「本来の共産主義は、国軍を否定するものではないんです。護憲路線とは、社会主義運動に最も矛盾するものではないですか?」
父「(突然マジギレ)だから中国がきたねーんだよ!そもそも毛沢東がスターリンみたいに汚い男じゃないか!あの中国が、あいつらが、社会党に入り込んで日本の社会主義運動を腐らせたんじゃないか!そんな汚い中国に自分から近づいたのは当時の自民党と公明党だろうが!党は中国共産党と戦ったぞ!北京空港で紅衛兵に党員が半殺しにされても党は負けなかった!」
私「徳田球一さんはバカなことしたよね」
父「だから、護憲路線がアメリカと中国にとって有益なものでしかないことはわかってるんだよ。でもな・・・」
私「党は鉄の規律ですから、それが間違った方針であっても、決められたものには党員は絶対に従うべき、ですからね」
父「そう。鉄の規律でなければ、党は今頃なくなってるか、社会党のように堕落したよ」
私「だから、せめて国軍を認めていただきたいんですよ」
父「それは難しいだろうな。それをすれば護憲路線が間違いだったと喧伝するようなものだからな」
私「中国に対して、じゃあ、どうやって護るんですか。あの国の共産党のキチガイっぷりを党は知ってるでしょう。アメリカも頼っちゃダメ、自衛隊もダメ、社会主義国の国軍しか認めないって、そんな理屈でどうやってあの中国に・・・・・」
父「しらん、俺はもう寝る」
私「せめて自衛隊みとめて~お願い~~~」
父「おまえは、本当に俺と真逆だなぁ」
私「いや、私はあなたとそっくりですよ(笑)」
母「あんた達は本当によく似てるわ」
結論。
社会主義的に解釈しても護憲・平和路線は間違いではありませんか?
私「父上、中村安太郎の【民族自決】は、自衛隊と矛盾しないよね?」
父「それは違うだろ」
私「どこがちがうの?」
父「そもそも【民族自決】は、他国から支配や抑圧を受けてる民族の立場からの主張だろ。信託統治されてた当時と今は違うだろ」
私「じゃあ、【民族自決】を唱えた共産主義が同時に【人民軍】を肯定してるのは?」
父「人民軍は独立運動における存在であり、国軍とはまたちがうだろ」
私「じゃ、キューバ軍もベトナム軍も否定するわけね」
父「それは・・・(困った顔)」
私「つまり、お父さんの言ってる社会主義における武力及び国軍の認識は、「社会主義国における国軍は肯定されるが、資本主義国における国軍は資本家や帝国主義者による侵略戦争の道具になりやすいから肯定できない」ということですよね?これって社会主義国における国軍だけを盲目的に信頼してませんか?」
父「そうだな・・・・」
私「そもそも国軍を否定するのなら、独立闘争における遊撃隊も否定されるべきだし、そもそもいかなる理由であろうとも武力はすべて否定されるべきでしょ。復帰運動当時の日本共産党は、武力闘争や人民軍を肯定してたでしょ(中村安太郎は日本共産党員でした)」
父「うーん。日本国憲法は、当時のGHQが、ちゃんと手順を踏んでるんだよ。ちゃんと世界の憲法学者の意見もとりいれ、日本人の憲法学者の意見もとりいれてるし、日本国民もあれを認めたんだ。あれが当時の憲法の最高だったんだよ」
私「なら、なんで戦勝国がつくった憲法が、敗戦国に「戦争放棄」を宣言させてるの?この時点でアンフェアじゃないですか?日本国民が認めたって、そもそも日本国憲法公布された当時は日本そのものが信託統治状態みたいなもんでしょ。そこでGHQが差し出した憲法に対して日本側には当時拒否権があったんですか?」
父「ないだろうな・・・・」
私「もしもそれが本当に当時の理想なら、まず造ったアメリカがその理念を遂行すべきでしょ。なんでアメリカは国軍を保持し続けてるの?日本国憲法の理念が正しければ、アメリカも国軍放棄して国連軍のみにしていいはずじゃないですか」
父「だから、悪いのは自民党なんだよ!(ややギレ)そもそもGHQの施策で日本国憲法ができたとき、当時の政党であれに反対したのは(共産)党だけだったじゃないか!党は、「国軍を認めないのは独立権の侵害だ」として日本国憲法に反対した。あれを通したのも自民党だろうが!」
私「だから、その当時の共産党の理念が、なぜいきなり護憲路線に歪んだのかが問題だと私は言ってるわけよ」
父「それが何故かは俺もわからん!とにかく、党は社会党との共同歩調をとるということで護憲路線に方針転換した後、それ以前の階級闘争における武力闘争に関するすべての文書を燃やすように通達したんだ。俺も、あとであれはとっておくべきだったと思ったが・・・・あれは惜しいことをした・・・」
私「この部分に、なんらかの違う意図が見え隠れしませんか?日本共産党における民族自決と階級闘争の理念から言って国軍の放棄・自衛権の否定は本来ありえないでしょ」
父「たしかにそれはおまえの言う通りだ」
私「本来の共産主義は、国軍を否定するものではないんです。護憲路線とは、社会主義運動に最も矛盾するものではないですか?」
父「(突然マジギレ)だから中国がきたねーんだよ!そもそも毛沢東がスターリンみたいに汚い男じゃないか!あの中国が、あいつらが、社会党に入り込んで日本の社会主義運動を腐らせたんじゃないか!そんな汚い中国に自分から近づいたのは当時の自民党と公明党だろうが!党は中国共産党と戦ったぞ!北京空港で紅衛兵に党員が半殺しにされても党は負けなかった!」
私「徳田球一さんはバカなことしたよね」
父「だから、護憲路線がアメリカと中国にとって有益なものでしかないことはわかってるんだよ。でもな・・・」
私「党は鉄の規律ですから、それが間違った方針であっても、決められたものには党員は絶対に従うべき、ですからね」
父「そう。鉄の規律でなければ、党は今頃なくなってるか、社会党のように堕落したよ」
私「だから、せめて国軍を認めていただきたいんですよ」
父「それは難しいだろうな。それをすれば護憲路線が間違いだったと喧伝するようなものだからな」
私「中国に対して、じゃあ、どうやって護るんですか。あの国の共産党のキチガイっぷりを党は知ってるでしょう。アメリカも頼っちゃダメ、自衛隊もダメ、社会主義国の国軍しか認めないって、そんな理屈でどうやってあの中国に・・・・・」
父「しらん、俺はもう寝る」
私「せめて自衛隊みとめて~お願い~~~」
父「おまえは、本当に俺と真逆だなぁ」
私「いや、私はあなたとそっくりですよ(笑)」
母「あんた達は本当によく似てるわ」
結論。
社会主義的に解釈しても護憲・平和路線は間違いではありませんか?