つぶやき~奄美の保守運動と大アジア主義
2014年10月26日
(注・これはあくまで私の作り話です)
おそらく先日の惠隆之介講演会の企画・遂行も、今年の8月に、殉国七士廟に行ったからだと思うんです。
だって、惠隆之介講演会が自衛隊誘致とドンピシャで奄美の地元マスコミ大注目で、
惠隆之介講演会の直後に奄美にはじめて航空自衛隊の空将がこられて、
惠隆之介講演会をさせていただいたおかげで、本当は関係者しか入れない空将の講話会に私とうちの主人は特別に参加させていただけて、
しかもその空将の方は惠隆之介さんの二期下の方で、(つまり惠先生の後輩)
すぐあとに日米合同演習発表ってwwwwwww
出来すぎとるwwwwwwwwwwww
つくづく、広田弘毅さんて何者なんでしょうね。
(殉国七士廟で私に語りかけてきた御魂。もしかするとこの方に呼ばれた??)
というより、愛知県という磁場はどうなってるんだ!!!!(笑)
どうでもいい話かもしれませんが、
豊受大神の祀られている外宮のある町の名前は豊川町です(笑)
愛知県人さん、隊長ファンさん、重ねてその節はありがとうございました
m(_ _)m
A級戦犯とされた七柱の英霊の御魂を祀る殉国七士廟。
そのご遺骨は、松井石根大将が生前祀られていた「興亜観音」に長年隠されていたものを分骨されたものです。
松井石根大将が祀られていた「興亜観音」こそ、
日本とアジアの相克を修復させ、日本が掲げた「八紘一宇の理想」の正当性を日本と世界に知らしめる重要なキーだと私は思っておりました。
そんな中、惠隆之介講演会をさせていただいて、お近づきになれた隊友会の方のお宅に、
頭山満の掛け軸を見つけたときには、もう飛び上がりそうになったわけですよ(笑)
全部つながっとるがな(笑)
つくづく日中戦争を起こさせたソ連許すまじ。
スターリンの( ゚Д゚)ヴォケ!!
はい、ここからは私の根拠のないイメージですよ~。
この明治維新直後から戦中にかけての大アジア主義こそ、
まだ明らかにされていない、ムー文明の継承文明としての上古代日本が、
東アジア全土に文明をもたらし、アジアの中心として中国沿岸部までも統治していた時代の思想の、
その復興運動ではなかったかと思うのです。
ただ、上古代における「大東亜共栄圏」とは、欧米列強への対抗を主眼においたものではなく、
「盟主日本のもとに、日本の文化の力によって周辺諸国を豊かにしていく」
という、あくまでも周辺諸国の発展繁栄を目的としたゆるやかな連合体ではなかったでしょうか。
でもって、これってヘルメス型統治ともつながるのよね。
その時代において盟主日本にあった思想は、「道教」として中国大陸にも受け継がれたと私は推測しています。
道教こそ当時の倭国にあった「元なる神」への信仰であったと私は考えております。
(つまり天帝とは「元なる神」であり、その代理人がアマカミ(天皇)だったと思うの)
だって、おかしいと思いません?あの道教の世界観。あれ、四海がないと成り立たないんですよ。
四方が海で囲まれてる国発祥の教えでしょうよどうみてもwwwww
そして、中国の道教の導師複数が「道教の教えははるか古代に日本からきたもの」と明言しています。
はるか数千年前に、「大東亜共栄圏」を実現していた上古代日本の、
その復興運動としての、大アジア主義。
その大アジア主義による日中融和の理想を引き裂いたのは誰か。誰が日中戦争を起こさせてしまったのか。
また、何がそこに足りなかったのか。
現代において「上古代・大東亜共栄圏」を復活させるならば、それはどのような形であるべきか。
その問いと答えを、奄美大島そして南西諸島は見つける必要があると私は思います。
日本と中国を繋ぎ、日本とアジアを繋ぎ、日本と世界を繋ぐための「共栄」の理想。
これは、日本がリーダー(盟主)となるときにはじめて可能になるのではないでしょうか?
そのためにも、強い日本、そして今ふたたびのリーダーたる日本、徳ある日本を創る必要があるのではないかと、
私は思います。
奄美そして南西諸島が、そのための導き手とならんことを願います。
間違っても中国の傀儡にならぬように。(翁長さん、あなたのことよ)
奄美大島が上古代においてどのような位置づけだったかは分かりませんが、
皇居の神殿ではいまだに一族継承の女性神官しか立ち入りが許されない神域があるということと、
伊勢神宮で今も守られる倭姫(斎王・祭主)という存在から鑑みて、
神道に女性神官をのこしたなんらかの霊的作法・宗教観の源流でもあるんでしょうね。
という妄想でした。(笑)
妄想だぞ妄想!
あくまでも戯言として聞き流すように!!!!(笑)
なんか、昔愛知県人さんが、私に「北一輝」がかぶると言われてましたけど、言われてみたらそうかも~(笑)
秋介さんもそう言われたら三島派ですし、しかも大アジア主義ですし。
偶然て不思議ですねぇ~~~~。
(誤解なきように申し添えると私は決して北一輝が前世とかではありません。あんな大物、怖くて絶対になりとうないわ!)
その後よく調べてみたら、
広田弘毅、玄洋社の社員でした(笑)
つまり頭山満の弟子でした(笑)
でもって、松井石根も大アジア主義者だったwwwww
うーん。福岡が熱いぞ!!!(頭山満と広田弘毅は福岡出身)
はい、そして、私のブログのはるか三年前に出てきたこの方。
そう、北九州いのちのたび博物館にいらしたあの方です。
安川敬一郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%B8%80%E9%83%8E
この人、玄洋社のスポンサーだったんじゃん!!!!!
スゲェエエエエエエエ!!!!!!
全部つながりすぎててガクブル・・・・・
(ちなみに松井石根は愛知県名古屋市出身ね)
そして、この上古代大東亜共栄圏の理念を最も近い時代において実践しようとした方こそ、
私は、神武天皇その方ではなかったかと思う。
それは国津神と言われる各地の豪族を、天津神信仰という宗教(共通理念)によって統合・統治する試みであり、「大和朝廷」の名の元によるゆるやかな諸国連合のはじまりであったのだと思うのですね。
(おそらく神武天皇自体には盟主としての権威はあれど各地方の豪族をすべて実質支配できるような武力も実権もなかったであろうと思われる。
長髄彦との戦争に勝ったあとに橿原に朝廷をつくることができたのは、神武天皇による「統治における徳」が各地の豪族に認められたのが大きかったのではないだろうか?)
うーん、まだまだ勉強不足だ。
とりあえず蒋介石がいたら殴りたいです。
おそらく先日の惠隆之介講演会の企画・遂行も、今年の8月に、殉国七士廟に行ったからだと思うんです。
だって、惠隆之介講演会が自衛隊誘致とドンピシャで奄美の地元マスコミ大注目で、
惠隆之介講演会の直後に奄美にはじめて航空自衛隊の空将がこられて、
惠隆之介講演会をさせていただいたおかげで、本当は関係者しか入れない空将の講話会に私とうちの主人は特別に参加させていただけて、
しかもその空将の方は惠隆之介さんの二期下の方で、(つまり惠先生の後輩)
すぐあとに日米合同演習発表ってwwwwwww
出来すぎとるwwwwwwwwwwww
つくづく、広田弘毅さんて何者なんでしょうね。
(殉国七士廟で私に語りかけてきた御魂。もしかするとこの方に呼ばれた??)
というより、愛知県という磁場はどうなってるんだ!!!!(笑)
どうでもいい話かもしれませんが、
豊受大神の祀られている外宮のある町の名前は豊川町です(笑)
愛知県人さん、隊長ファンさん、重ねてその節はありがとうございました
m(_ _)m
A級戦犯とされた七柱の英霊の御魂を祀る殉国七士廟。
そのご遺骨は、松井石根大将が生前祀られていた「興亜観音」に長年隠されていたものを分骨されたものです。
松井石根大将が祀られていた「興亜観音」こそ、
日本とアジアの相克を修復させ、日本が掲げた「八紘一宇の理想」の正当性を日本と世界に知らしめる重要なキーだと私は思っておりました。
そんな中、惠隆之介講演会をさせていただいて、お近づきになれた隊友会の方のお宅に、
頭山満の掛け軸を見つけたときには、もう飛び上がりそうになったわけですよ(笑)
全部つながっとるがな(笑)
つくづく日中戦争を起こさせたソ連許すまじ。
スターリンの( ゚Д゚)ヴォケ!!
はい、ここからは私の根拠のないイメージですよ~。
この明治維新直後から戦中にかけての大アジア主義こそ、
まだ明らかにされていない、ムー文明の継承文明としての上古代日本が、
東アジア全土に文明をもたらし、アジアの中心として中国沿岸部までも統治していた時代の思想の、
その復興運動ではなかったかと思うのです。
ただ、上古代における「大東亜共栄圏」とは、欧米列強への対抗を主眼においたものではなく、
「盟主日本のもとに、日本の文化の力によって周辺諸国を豊かにしていく」
という、あくまでも周辺諸国の発展繁栄を目的としたゆるやかな連合体ではなかったでしょうか。
でもって、これってヘルメス型統治ともつながるのよね。
その時代において盟主日本にあった思想は、「道教」として中国大陸にも受け継がれたと私は推測しています。
道教こそ当時の倭国にあった「元なる神」への信仰であったと私は考えております。
(つまり天帝とは「元なる神」であり、その代理人がアマカミ(天皇)だったと思うの)
だって、おかしいと思いません?あの道教の世界観。あれ、四海がないと成り立たないんですよ。
四方が海で囲まれてる国発祥の教えでしょうよどうみてもwwwww
そして、中国の道教の導師複数が「道教の教えははるか古代に日本からきたもの」と明言しています。
はるか数千年前に、「大東亜共栄圏」を実現していた上古代日本の、
その復興運動としての、大アジア主義。
その大アジア主義による日中融和の理想を引き裂いたのは誰か。誰が日中戦争を起こさせてしまったのか。
また、何がそこに足りなかったのか。
現代において「上古代・大東亜共栄圏」を復活させるならば、それはどのような形であるべきか。
その問いと答えを、奄美大島そして南西諸島は見つける必要があると私は思います。
日本と中国を繋ぎ、日本とアジアを繋ぎ、日本と世界を繋ぐための「共栄」の理想。
これは、日本がリーダー(盟主)となるときにはじめて可能になるのではないでしょうか?
そのためにも、強い日本、そして今ふたたびのリーダーたる日本、徳ある日本を創る必要があるのではないかと、
私は思います。
奄美そして南西諸島が、そのための導き手とならんことを願います。
間違っても中国の傀儡にならぬように。(翁長さん、あなたのことよ)
奄美大島が上古代においてどのような位置づけだったかは分かりませんが、
皇居の神殿ではいまだに一族継承の女性神官しか立ち入りが許されない神域があるということと、
伊勢神宮で今も守られる倭姫(斎王・祭主)という存在から鑑みて、
神道に女性神官をのこしたなんらかの霊的作法・宗教観の源流でもあるんでしょうね。
という妄想でした。(笑)
妄想だぞ妄想!
あくまでも戯言として聞き流すように!!!!(笑)
なんか、昔愛知県人さんが、私に「北一輝」がかぶると言われてましたけど、言われてみたらそうかも~(笑)
秋介さんもそう言われたら三島派ですし、しかも大アジア主義ですし。
偶然て不思議ですねぇ~~~~。
(誤解なきように申し添えると私は決して北一輝が前世とかではありません。あんな大物、怖くて絶対になりとうないわ!)
その後よく調べてみたら、
広田弘毅、玄洋社の社員でした(笑)
つまり頭山満の弟子でした(笑)
でもって、松井石根も大アジア主義者だったwwwww
うーん。福岡が熱いぞ!!!(頭山満と広田弘毅は福岡出身)
はい、そして、私のブログのはるか三年前に出てきたこの方。
そう、北九州いのちのたび博物館にいらしたあの方です。
安川敬一郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B7%9D%E6%95%AC%E4%B8%80%E9%83%8E
この人、玄洋社のスポンサーだったんじゃん!!!!!
スゲェエエエエエエエ!!!!!!
全部つながりすぎててガクブル・・・・・
(ちなみに松井石根は愛知県名古屋市出身ね)
そして、この上古代大東亜共栄圏の理念を最も近い時代において実践しようとした方こそ、
私は、神武天皇その方ではなかったかと思う。
それは国津神と言われる各地の豪族を、天津神信仰という宗教(共通理念)によって統合・統治する試みであり、「大和朝廷」の名の元によるゆるやかな諸国連合のはじまりであったのだと思うのですね。
(おそらく神武天皇自体には盟主としての権威はあれど各地方の豪族をすべて実質支配できるような武力も実権もなかったであろうと思われる。
長髄彦との戦争に勝ったあとに橿原に朝廷をつくることができたのは、神武天皇による「統治における徳」が各地の豪族に認められたのが大きかったのではないだろうか?)
うーん、まだまだ勉強不足だ。
とりあえず蒋介石がいたら殴りたいです。