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第三回隊長講演会 講演録(1)

2014年02月27日

みなさん、大変お待たせいたしましたー!

やっと、隊長講演会の書き起こしができました!!!

ボランティアくださったAさん、本当にありがとうございました!!!!!
(;ω;)

これから数回に分けてアップさせていただきますね!


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こんばんわ。三回目呼んでいただき、大変ありがとうございます。

もう今ご紹介いただいたような、あのたいそうな人間じゃなくてですね、普通の見たとおりのただのおっさんなので、あんまり肩に力入れないで、ざっくばらんに聞いてください。

世間話の延長みたいなかんじでお話しさせていただきたいと思いますんで。

毎回ですね、一番最初の最初の五分くらいは少しあがっちゃうんですね。あがり症なんですよ、すごい。

で、五分位して好きなこと言い出すとちょっと調子が出てくるんですけど、それまではちょっとたどたどしいしゃべり方になるかもわかりませんけどよろしくお願いします。

と、すごい九州訛りがひどいんですね。だから標準語でしゃべるのはあんまり慣れてないんですよね。

けど一応みなさんにお分かりいただけるように、なるべく標準語でしゃべるように努力いたしますんで、聞き取りにくい点とかございましたら、また後で質問等ある時間に聞いていただければなと思っております。


【黒板に書かれてる言葉】

「高いつもりで低いのが教養、
低いつもりで高いのが気位、
深いつもりで浅いのが知識、
浅いつもりで深いのが欲望、
厚いつもりで薄いのが人情、
薄いつもりで厚いのが面皮、
強いつもりで弱いのが根性、
弱いつもりで強いのが自我、
多いつもりで少ないのが分別、
少ないつもりで多いのが無駄」



これあの、変なこといっぱい書いてます。

僕はあの、これ一番耳に痛いことをず~っと今、ここの人に書いていただいたんですよ。

変な話、いっぱい書いてますけど、要はこれ、どういうことかというと、下のほうで常に意識してくださいって話なんですね。

意外と自分、人の話を聞いてうんぬんで、気位はそんなになくて、欲望もなく人間性はなるべく優しめにとかって思ってるけど、思ったほど周りがそれを評価していない可能性があるって話を少し認識されて、で、じゃあ自分自身がどのように生きていくかということを考えながら、前に進まれるといいのかなと

今日のあの、お話なんですけど前世についてと、あと憑依についてのお話を少しさせていただこうかなと。

どう言ったらいいかな。

神道的にはですよ。前世ってのは否定しているんですよ。ないと。

で、私が今紹介いただいた修験者、真言宗の○○派なんですけど、福岡県○○市の方で、ま、○○ってお寺さんやっとって、そっちのほうにうちの本院の籍があってですね、そっちの方の教えは、あの仏教なんで、お分かりのとおりやっぱり因果応報だのなんだのって話があります。

で、あえて神道の方で今日はお話させていただくんですけど、前世がないって話ではなくて、なんていうかなぁ、あまり前世があっても人生にってあまり支障はきたさないって話をしようかなと。

どういうことかというと神道の方の考え方っていうのはまず基本が何であるかというと、『過ぎ去った時間は帰ってこない』ですね。

過ぎ去った時間は帰ってこないけど、これから先の未来は自分が作っていくことができると。これからくる時間は自分の支配下にあるってことです。

過ぎ去った過去を振り返らないっていうのは嫌なことは全部忘れちゃえって話じゃないですよ。

あの、当然反省を踏まえた内容で過去の経験を未来に生かしていくのは必要なことなんですけど、

でもなんていうかな、

とらわれてどんどん悔やんじゃう、そういうのが一番よくないですよという話ですね。

とらわれない。何事も。

特に嫌なことがあったりとか、悔やまれることがあったりとか、交通違反で捕まっちゃっいましたとか

交通違反で捕まった時に、あそこにおまわりさんがおるから、いかんやんと言う前にですよ、

なんで私がそこで安全運転をしなかったんだろうかという反省の方を少し頂くような状態に切り替えていただければ、先、未来がですよ、どんどん良くなっていくんですね。

でも、それを怠って前のことを悔やみ続けるってことは、いつまでも時間を止めてるんですよ、自分で。

足を引っ張る状態で。

そうなって欲しくないって話ですね。

よく霊能者の先生方が「前世、あなたはこういう行いをやっていたから、今世でこういうふうな因果応報がきてますよ」とって話をされるんですけど、

まぁ、否定するわけじゃないんですよ。

じゃないんですけど、なんていうかな、ほどほどにとらえてください。

そのために自分の今世を費やしなさいって話じゃないんですよ。

じゃなくて今をいかに一生懸命強く生きるかっていうことの糧にして欲しいってつもりで言われている方が大半だと思うんですね。

それを多分、素直な皆さんは勘違いされちゃうんですよね。それを償うための今世だと。

それを償うための今世を送っちゃうんだったら自分の本来やらなきゃならない人生ってのはなんなんだろうって話になっちゃうでしょ。

じゃないんですね、それはそれで置いといて。

で、あくまでいま現在の自分に有意義にどのように過ごしていくかってことが一番大事なことなんですね。



前世を覚えておられる方がいますか?(しーん)

なんで覚えてないと思います?

神様が(ま、いるんですけど)仮にいたと仮定して(いるんですよ、いるけど、あの)

前世で本当にそれを悔やみ抜いて、で、今世でそれの償いをしなさいっていうことを神様が望んでいるんなら、

おのずと自分に分かるような方向にもっていくと思うんですね。

それが神の働きだろうと。

でもそうじゃいってのは、どういうことかというと、それにとらわれるべきではないっていう考えも一つは出てくるんですね。

自分の人生、どのように評価してどのように考えれば、ですね、前に進む。

まぁ、どういったらいいのかな。

お嫁さんが家に来て、仲良くすべきなのか、それともけんかするのか。
旦那さんと連れ添って、この先どうやってやっていくのか。
ご友人方とおしゃべりして心の底じゃ何考えてるかわからないから、どの程度まで付き合っていくのか。

そんなこと考えてたら面白くないでしょう?

だから周りにいる人達と自分とをですよ、一緒にしあわせの高みに運ぶように自分で努力すればいいんですよ。全然問題ないです。

そうするための第一歩を踏んでいこうっていう考え方が一番大事なんですね。

でも人間って考え方を変えるのに何が一番必要かっていったらきっかけなんですね。

何かしらのきっかけがないと人間って動けないんですよ。

そういうのを自縛って言うんですね。自分で自分のことを縛っちゃう。

自縛霊とかいますね。自分で自分のことを縛っちゃう身動き取れない状態ですね。

生きてる人間にもあるんですよ。

で、挙句の果てに生霊飛ばしたのなんだのって話をされて、

じゃなくて自分を解放してやるんですね。

どういうふうに開放してやるかっていったら、なんていうかな、精神の安定を図る。

ま、我々神道家は四魂の安定を図るとかって言うんですけど、心を平穏な状態にすることですよ。

じゃあ、どうすれば平穏な状態になれるかっていうと、それは昔からやってきてるんですね、我々は。

ご先祖さんに手を合わせたり、お墓参りに行ったり、ご兄弟と仲良くしたり、親兄弟を敬ったり、これが一番、なんていうかな、心の平穏を得るのに、一番の近道なんですよ。

別に滝に打たれて荒行しなきゃいけないとか、冷たい水の中で禊しなきゃいけないとか、全然そういうことはないんですよ。



病気になっちゃうんですね、この四魂がずれると。心の病から体の病に移り変わる。

病気の原因の八割から九割は原因がわかってないのを知ってます?

ウィルスだ、なんだって言うじゃないですか、実際でもわかってないところが大半なんですね。

今、じゃあ病院はなにをやってるのかって言ったら、対処療法。

病気になった人を治すってことを全面に考えて、それをならないようにするための方策ってことが、今までは考えてこられてなかったんですね、あんまり。

でも最近になってやっと、その考え方が修正されて、考えを直すようになったんですよ。

何をしたかって言ったら、びっくりする話ですよ。

笑いなさいとか散歩しなさいとか、現代科学で考えられます?

でも、一番大事なことなんですよ。

回帰する。一番もとの人間のところに戻るってことですね。

自分自身の心を安定させる、落ち着かせることが病気にならない最大の秘訣なんですよ、本当は。

昔から言いませんかね?人の悪口を言う人は口の周りに災いが出るとか、顔に出るとか。恥をかかせる人は顔に吹き出物が出るとかね。

そういうのもありますよね。まぁ、どこまでが本当か、わからないですけど。でもそのくらい災いをもたらすことはあるんですよね、やっぱり。

で、そういう隣を妬む、隣の庭の方がきれいだって気持ちをもつくらいなら、

自分の方にもう少し一生懸命傾いて欲しいんですよ。まっすぐですね。

で、何度もさっきから言ってるように、自分の家族とか、自分の周りの人間を敬うようにして欲しい。

そうすれば、あんまりきつい病気にならずにすむんじゃないかなって思うんですけど。



あの因果応報っていうのは、本来どういう時に使われる言葉か、知ってます?

よく言うでしょう?親の因果が子に報いとかって。それはそのままですよね。

じいちゃんが山持っとったのに、お父さんが山売っちゃったから、私は貧乏になりましたってのは因果応報ですよね、形的に。

これが本来ある本当の姿なんですよ。

だからスタートが違うんです、各々の。これは前世の責任ではなくて、その一族のなしてきた生業、内容によって変ってくるということ。

じゃあ、どうすればいいかといったら、自分の代で修正するように考えればいいんですよ。いい方向にいい方向に。

大体相談に来られる方々の八割、九割の人は二代前まで裕福だったとかいう人が多いんですよ。

その頃は信心はないんですよね。すごく人生充実して満喫できるから、頼るものがない。

むしろ自分を頼って来いって話ですね。

それが三代後くらいになっちゃうと、すごい疲弊し切った状態になっちゃって、なんとかしてくださいっていう気持ちになっちゃう。

こりゃ、なにか祟られてるぞと。

いや、祟られてるんじゃなくてですね、そういうふうに系統を追ってきちゃってるんですよ。

まぁ、霊的な部分もあります、確かに。

でも系統を追っているんです。それを修正する必要がある。

どこでって言ったら、自分ですね。自分が修正しないと自分の子供達が苦労するんです。

これが因果応報を覆す方法ですね。でしょ?

これは誰が聞いてもそのとおりだと思いますよ。

曖昧な話じゃなくて、今そこにある現実というのをまずとらえるべきなんですね。

そして自分が置かれた立場というものを考えて、どのように覆していくかってことを考える。

そのためには何が必要かって言ったら、さっきも言ったようにきっかけ。だから今回こうやって話させていただいているんです。

あの、私程度で結構ですんで、きっかけの原因にしてください。

そうするといい人生に変えられる可能性も出てきます。十分いい人生だと思うんですよ。なのに自分がいい人生だと認識してない可能性が高いから。







(2)に続く


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:00Comments(0)隊長(眷属さん)