奄美の選挙について
2014年04月06日
いろんなところから「なんか書かないの?」というご意見を頂戴しますが、我慢して書きません(笑)
以前は好き勝手書いてましたが、その代償はあまりに大きく、いらぬ誤解をあちこちで招いてしまいましたので、
最近は自重しておりますです。(*'ω'*)
ただ、○○大学を出たのに経歴に書かないというのは、それはどうなの?とは思うけど(笑)、
それもまぁ、経歴なんて別に全部知らせないといけないわけじゃないしね。
個人的に、奄美が政治とカネの代名詞として二回全国規模で話題になったというのは、
これは、ある意味では奄美の大きな雛形としての役割を示しているのではないかとも思うのです。
金権選挙は奄美だけなのか?と問われれば、そりゃー住民巻き込んで金が飛び交ったのは奄美くらいでしょうけれども(笑)、
そんな露骨にはしないまでも、その金権体質はかなり古くから日本全国に根付いていたのは暗黙の事実でした。
『救急医療という医療の理想の体制を広げようとした徳洲会が、なぜ政治力を持たなければならなかったのか?』
この問いにすべてがあるように思えます。
自由を潰したのは誰か。
自由を阻害していたのは誰か。
理想を掲げる声を無視したのは誰か。
結局、自由と理想を叶えるために、必要なのは、
自由と理想を阻害した金と権力だったという皮肉を、
誰がその総括をするのか。
二つの戦いが終わって、
繰り返される姿に、
私は天意がどこにあるのかを問います。
今回の選挙にも、私は言いたいことはたくさんあります。
しかし、否定的な意見をすべて排除して最後に残る言葉は、
「理想を掲げる人の言葉を、可能性を、努力を、応援できる奄美であってほしい」
ということです。
奄美は「神高い島」であるという声をよく聞きます。
奄美の神々の目からみたときに、政治の理想とはどこにあるのか、
それを問える奄美であってほしいと願います。