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祀ることと仏性の拝み出しと「感謝・崇敬」の力 メモ

2017年04月22日

注・これはあくまで自分用メモです。支離滅裂です。



いろんなところのいろんなモノを読んでて、最強の力というのは「信仰」であるというのはもうそのとおりなんですが、

これは信じる力(確信波動)ということで当然すぎる話でありまして、

不信というものがいかにヤバイかというのは、

自分への不信が自分の力を思い切り弱めるからなんですね。

だから、自分を信じるということと、神仏や周りを信じるということは等しく大事なわけですね。

では、自分に対する思いが盲信にならないためにどうしたらいいかというと、

これが仏教でいうところの中道、普通に言うところのバランスというもので、

このバランスを判断するのが修行なんだろうなぁと思います。




さて、話は思い切り戻って、本題

「祀ることと仏性の拝み出しと「感謝・崇敬」の力」

ですが、

人は感謝エネルギーによって(感謝をすることもされることも同じく)徳の力を得ます。

徳の力は霊的浮上力となり、また天運の力ともなります。

また、徳の総量によって多くの先祖霊や守護霊・指導霊などから、一定の評価をいただくこととなり、

その評価は「祈りの力」「奇跡を呼ぶ力」となって本人に還元されます。

ですから、「感謝」という念エネルギーは大きな霊力であり、

人生においてより多くの感謝エネルギーと親和性を持つことが、
自分の魂においてまた自分に関わる人々の人生の向上において重要なキーであることが分かります。

ですから、親や目上や周りの方々への感謝、

先祖や故郷への感謝、

自分の人生への感謝、

自分とつながる神仏への感謝が大切だということが分かります。

古代神社などにおいて、霊を神として祀り敬ってきたのは、

まさしくこのエネルギーの法則を古代の人々が識っていたからではないでしょうか。

これほど効率的なシステムを一体古代日本人はどのように考え出したのか?

これはユダヤ教にもキリスト教にも中東多神教にもない思想です。

この「霊エネルギー = 念エネルギー」の性質を熟知した上での、

感謝・崇敬の念エネルギーを用いた鎮魂と昇神への道を開きその作法を形式化した神道のすごさは、

もっともっと評価されてよいのではないかと私は思います。









メモメモ。


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:58Comments(0)スピリチュアルつぶやき