【natsuさん】世の中は人の数だけの思いの糸が絡まる世界
2015年02月03日
【開店休業親父の戯言】
世の中とは、人の数だけ想いがあり、思いがあり、その情念の意図と糸が絡まった世界です。
理解できぬ不思議に感じることも、一本の糸を紡いだ意図を読み取ることが出来るのならば
織り上がった布の複雑な模様は、すべからく「必然の絵」であることが分かります。
それを模様と見るか、糸と見るか、意図と見るか、、、
同じものが目の前に晒されても、人の意によって、口にする結論は違ってきます。
幾層にも、幾重にも、人の思いが絡みに絡まったものの先に、何を見るかが重要ではないでしょうか。
さすれば、各々が発する思いこそが全ての始まりであり、
己の思いは、先人より受け継がれたものであることを見抜くことが、何よりも大切。
斬る、紡ぐ。
意図と糸が交差するところを斬れば、四方八方に糸は乱れ、
別の場所をきれば、新たな模様が生み出されます。
自らが発しているのか、絡みとっているのか、絡み取られているのか
見抜くことが重要です。
世の中とは、人の数だけ想いがあり、思いがあり、その情念の意図と糸が絡まった世界です。
理解できぬ不思議に感じることも、一本の糸を紡いだ意図を読み取ることが出来るのならば
織り上がった布の複雑な模様は、すべからく「必然の絵」であることが分かります。
それを模様と見るか、糸と見るか、意図と見るか、、、
同じものが目の前に晒されても、人の意によって、口にする結論は違ってきます。
幾層にも、幾重にも、人の思いが絡みに絡まったものの先に、何を見るかが重要ではないでしょうか。
さすれば、各々が発する思いこそが全ての始まりであり、
己の思いは、先人より受け継がれたものであることを見抜くことが、何よりも大切。
斬る、紡ぐ。
意図と糸が交差するところを斬れば、四方八方に糸は乱れ、
別の場所をきれば、新たな模様が生み出されます。
自らが発しているのか、絡みとっているのか、絡み取られているのか
見抜くことが重要です。
日本の戦後平和主義の真相は米国からの首輪であった事実
2015年02月03日
一部お花畑のみなさんが「戦後平和主義を崩すな」と言ってますが、
そもそも日本の戦後平和主義そのものが、
欧米列強から迫害され、結果的に生じた大東亜戦争によって、
アメリカの植民地となった日本が、
憲法九条という首輪によって、軍隊を持てなかったからであり、
その意味において、
「戦後平和主義」とは、「米国のメイドにさせられた屈辱的無軍隊国」の
あがきでしかなかったことをハッキリさせるべきであると感じます。
日本は平和であったのではなく、「従属させられた課程で守られていた」のです。
その中でも日本が尊敬を集めてきたのは、軍隊がなかったからではなく、
日本がビジネスという「経済戦争」と、そのなかでも揺るがぬ武士道(道徳心)をもって必死に戦ってきたからです。
国際外交のルーツの一つであるイギリスでは、
ノブレス・オブリージュがあり、
貴族はすすんで危険な地域で戦うべきだとされています。
それが貴族の義務であり、国民の上に立つ者の義務なんですね。
つまり、何が言いたいかというと、
「どのような言い訳をしようが、戦うべきときに戦わないのは、ただの二等国」
だと欧米からは見られていると思った方が良いということです。
結果的にそれが功を奏したこともあるでしょう。
朝鮮戦争やベトナム戦争の時には「アメリカ様の与えてくださった平和憲法のおかげ」で、参戦せずにすみましたし、
自衛隊のように、武器を持てない分、地元と交流することで争いを起こさせない努力をされたことで、地元から尊敬され慕われたという素晴らしい実績もあります。
しかし、それはあくまで「副次的な産物」であり、
そもそもの義務が果たせてないことの言い訳にはならないのです。
他国軍隊に守られなければならない、戦力を行使できない軍隊(笑)という時点で、
日本は「欧米にとって都合がいい無戦力の二等国である」という事実を知るべきなのです。
日本は戦後70年において、
主権国家・独立国家として復活せねばならぬと思います。
それには「戦後平和論」について、根本から見直す必要ありだと私は感じます。
一部お花畑さんのいう平和は、従属的平和であり、そもそも戦力を持てない時点で民族自決論から遠くはなれたものであるという部分で矛盾していること、
つまり、外国にとって都合のいい自虐的無戦力状態を自ら納得させるために自己洗脳しているとういこと、
それはGHQ統治下における日本国民の精神状態をそのままひきづっているのに他ならないということ、
(国民総ストックホルム症候群とでもいいましょうか?)
軍隊なんかイヤだ!戦争なんかもううんざりだ!アメリカ様ありがとー!平和憲法ばんざーいと言ってるけど、
そもそも「その戦争をしかけてきたのがアメリカ」というのをなんで都合よく見えないのでしょうか。
それが「自己洗脳」=従属のためにアメリカに媚びてる負け犬の状態だとわからないのでしょうか?
(保守系の方はその辺わかった上で過去は過去として、外交のためにアメリカとの協調を訴えてるので、素直にすごいと思う)
それらを明らかにしたうえで、
主権国家としてのあり方とはなにか、
国際社会において果たすべき役割とはなにか、
それを欧米諸国をうまく説得し丸め込みながら、
(日本が主権国家として独立する課程を一番不快に思い邪魔するのは欧米諸国だというのは明らかであるため、
日本がかつてのように欧米列強の資源を奪わないこと、むしろ欧米社会に新たなパイを供給できることを、
しつこくアピールしていくことが適切ではないかと感じます。
たしかに戦前の日本は欧米列強がほとんどのアジア地域に持っていた植民地を「開放」の名の元にバンバンぶんどったという意味では、ちょっとやりすぎたよねwww
そりゃ恨みも買うよね!!!!)
国内世論をも目覚めさせ、
実現しなければなりません。
その上で、主権国家日本が世界のリーダーとして
「和の国・日本からの福音~戦争よりも経済発展のすすめ~」
を世界に明示すべきではないでしょうか。
平和とは、従属された状態でつくるものではありません。
それはただ単に「自分の身を守る権利すら許されない奴隷の首輪」です。
日本の戦後平和主義とは、「アメリカのアジアにおける橋頭堡としての役目により核の傘で守られた」というのが、
世界各国、そして世界の軍隊の共通認識である事実を知るべきです。
戦争を自分からしかけるのはもっての他ですが、
戦争とは外交の一手段であるという事実をストレートに受け入れ、
先進国における外交とはなにか。
平和とはなにか。主権国家とは何か。
国際社会におけるルールと義務とはなにか。
そして、日本が世界を照らしうる思想・方向性・役割・福音とはなんなのか。
それらを真剣に議論できる日本になっていただきたいと、強く願います。
八百万の神の国にして、世界最古の歴史を持つこの国ならば、
それができると私は信じております。
真の平和主義は、
世界に誇る独立国家・日本の復活からはじまると、私は思います。
そのうえで、
日本が世界の調停役となり、調和を広げ、
崇高なる日本精神と日本の智慧を世界全体の豊かさと発展に結びつけていけるといいですね。
いま世界では、民族間・宗教間の相克とそこに紛れ込んだ悪意(戦争利権)が、たくさんの戦争とたくさんの悲しみをうんでいます。
しかし日本なら、
幾多の陰謀によって追い込まれた大東亜戦争で絶望的な戦いに挑み、
たくさんの女子供(非戦闘員)を意図的に焼き殺され、
それでも奴隷の首輪の屈辱から、ここまでの繁栄を築いて、
さらに加害者であるアメリカをも憎まず許してきた日本なら、
世界の調停役になりうるのではないでしょうか?
私はそう思います。
日本よ、世界の希望となれ!!!!
そもそも日本の戦後平和主義そのものが、
欧米列強から迫害され、結果的に生じた大東亜戦争によって、
アメリカの植民地となった日本が、
憲法九条という首輪によって、軍隊を持てなかったからであり、
その意味において、
「戦後平和主義」とは、「米国のメイドにさせられた屈辱的無軍隊国」の
あがきでしかなかったことをハッキリさせるべきであると感じます。
日本は平和であったのではなく、「従属させられた課程で守られていた」のです。
その中でも日本が尊敬を集めてきたのは、軍隊がなかったからではなく、
日本がビジネスという「経済戦争」と、そのなかでも揺るがぬ武士道(道徳心)をもって必死に戦ってきたからです。
国際外交のルーツの一つであるイギリスでは、
ノブレス・オブリージュがあり、
貴族はすすんで危険な地域で戦うべきだとされています。
それが貴族の義務であり、国民の上に立つ者の義務なんですね。
つまり、何が言いたいかというと、
「どのような言い訳をしようが、戦うべきときに戦わないのは、ただの二等国」
だと欧米からは見られていると思った方が良いということです。
結果的にそれが功を奏したこともあるでしょう。
朝鮮戦争やベトナム戦争の時には「アメリカ様の与えてくださった平和憲法のおかげ」で、参戦せずにすみましたし、
自衛隊のように、武器を持てない分、地元と交流することで争いを起こさせない努力をされたことで、地元から尊敬され慕われたという素晴らしい実績もあります。
しかし、それはあくまで「副次的な産物」であり、
そもそもの義務が果たせてないことの言い訳にはならないのです。
他国軍隊に守られなければならない、戦力を行使できない軍隊(笑)という時点で、
日本は「欧米にとって都合がいい無戦力の二等国である」という事実を知るべきなのです。
日本は戦後70年において、
主権国家・独立国家として復活せねばならぬと思います。
それには「戦後平和論」について、根本から見直す必要ありだと私は感じます。
一部お花畑さんのいう平和は、従属的平和であり、そもそも戦力を持てない時点で民族自決論から遠くはなれたものであるという部分で矛盾していること、
つまり、外国にとって都合のいい自虐的無戦力状態を自ら納得させるために自己洗脳しているとういこと、
それはGHQ統治下における日本国民の精神状態をそのままひきづっているのに他ならないということ、
(国民総ストックホルム症候群とでもいいましょうか?)
軍隊なんかイヤだ!戦争なんかもううんざりだ!アメリカ様ありがとー!平和憲法ばんざーいと言ってるけど、
そもそも「その戦争をしかけてきたのがアメリカ」というのをなんで都合よく見えないのでしょうか。
それが「自己洗脳」=従属のためにアメリカに媚びてる負け犬の状態だとわからないのでしょうか?
(保守系の方はその辺わかった上で過去は過去として、外交のためにアメリカとの協調を訴えてるので、素直にすごいと思う)
それらを明らかにしたうえで、
主権国家としてのあり方とはなにか、
国際社会において果たすべき役割とはなにか、
それを欧米諸国をうまく説得し丸め込みながら、
(日本が主権国家として独立する課程を一番不快に思い邪魔するのは欧米諸国だというのは明らかであるため、
日本がかつてのように欧米列強の資源を奪わないこと、むしろ欧米社会に新たなパイを供給できることを、
しつこくアピールしていくことが適切ではないかと感じます。
たしかに戦前の日本は欧米列強がほとんどのアジア地域に持っていた植民地を「開放」の名の元にバンバンぶんどったという意味では、ちょっとやりすぎたよねwww
そりゃ恨みも買うよね!!!!)
国内世論をも目覚めさせ、
実現しなければなりません。
その上で、主権国家日本が世界のリーダーとして
「和の国・日本からの福音~戦争よりも経済発展のすすめ~」
を世界に明示すべきではないでしょうか。
平和とは、従属された状態でつくるものではありません。
それはただ単に「自分の身を守る権利すら許されない奴隷の首輪」です。
日本の戦後平和主義とは、「アメリカのアジアにおける橋頭堡としての役目により核の傘で守られた」というのが、
世界各国、そして世界の軍隊の共通認識である事実を知るべきです。
戦争を自分からしかけるのはもっての他ですが、
戦争とは外交の一手段であるという事実をストレートに受け入れ、
先進国における外交とはなにか。
平和とはなにか。主権国家とは何か。
国際社会におけるルールと義務とはなにか。
そして、日本が世界を照らしうる思想・方向性・役割・福音とはなんなのか。
それらを真剣に議論できる日本になっていただきたいと、強く願います。
八百万の神の国にして、世界最古の歴史を持つこの国ならば、
それができると私は信じております。
真の平和主義は、
世界に誇る独立国家・日本の復活からはじまると、私は思います。
そのうえで、
日本が世界の調停役となり、調和を広げ、
崇高なる日本精神と日本の智慧を世界全体の豊かさと発展に結びつけていけるといいですね。
いま世界では、民族間・宗教間の相克とそこに紛れ込んだ悪意(戦争利権)が、たくさんの戦争とたくさんの悲しみをうんでいます。
しかし日本なら、
幾多の陰謀によって追い込まれた大東亜戦争で絶望的な戦いに挑み、
たくさんの女子供(非戦闘員)を意図的に焼き殺され、
それでも奴隷の首輪の屈辱から、ここまでの繁栄を築いて、
さらに加害者であるアメリカをも憎まず許してきた日本なら、
世界の調停役になりうるのではないでしょうか?
私はそう思います。
日本よ、世界の希望となれ!!!!