「祀らないと大変なことになる」とはどういうことか ~先祖の信仰の力と、それを捨てる罪~
2018年05月24日
ここに書いている内容はあくまで個人的意見です。
間違ってたら私が罰を被ります(笑)
奄美のユタさんがよく使う言葉に、
「カミダカイ」
の次に
「あんた神拝みしないと大変なことになるよ」
という言葉があります。
これも誤解を与える言葉筆頭なんですが、でも霊的に見たら事実なんですね。
事実だからこそ、本来細やかな説明が必要なのではないかと思っているわけです。
たしかに、信仰をナメくさって、「自分の都合のいい時だけ神様に頼ればいいや」と思ってる人に対しては、
神様の有り難みを説明するより、多少脅した方が効果があるのも分かりますけどね。
でも、現代においてはちゃんと説明してもそろそろいいんじゃないかと私などは老婆心を発揮してしまうわけです。
そもそも『神棚』そのものは昔はどの家でも持ってるものですで、
ユタさんの言う『神棚』とは、
「奄美の人達が自宅で通常持っていた大工神や水神・火の神とは違う神」
「特定の神様を祀る神棚」という意味であり、
「その家の先祖が長く祀っていた、その家の守護神をされていた特定の神様の為の神棚」
と表現した方が分かりやすいかもしれません。
では、何故、子孫が今になってその神様を祀らないと大変なことになるのか?
これには、2通りの解釈が考えられます。
1つは、その家の守護神からの神罰もしくは運気とりあげがきている場合。
これは、むかーし昔に力のある神格存在を先祖が祀られた時に、
「末永くあなた様をこの家でお祀りいたしますので、どうぞこの家の子供達を健康で繁栄させてください」
とご先祖が数代~数十代に渡って祈り続け、その信仰の力によって、神様のお力で、その家が繁栄していた場合によくあります。
神様からのお力で栄えていた家が、ある代になって突然子孫が「よく分からん祖母がしてた神棚なんか知らねーし、捨てればいいんじゃない?」となったらどうなるでしょうか?
一言で言うと
「殺されても文句言えません」。
これマジです。
まぁ、ほとんどの場合は、その前にご先祖が一生懸命警告してくださいますし、神様も神様で、いきなり殺すようなことはしませんが、
信仰捨てて2代か3代くらいたっても反省できないようなら、ゆっくりとその家の運気をとりあげはじめるように思います。
(そもそもその運気自体が、神様が今まで何世代にもわたってくださってたものだから、とりあげられても文句言えない)
だから、先祖の持ってた信仰を捨てた人本人より、その本人の子供とか孫の代にドカーンとくるんですね。
じゃあ、それは先祖のもってた信仰捨てた本人の責任じゃないかって?
どうもそれは、一族連帯責任らしいんですね。
少なくとも古代は、一族連帯責任という考え方みたいです。
神様だって古代からずーっと神格存在なわけですから、基本その通りのお考えです。
以前、私の家の幸福の科学の祭壇通して、奄美霊界から霊的に
『神山を荒らした男とその家族への神罰を書いた廻状』
が届いてビックリしたことがありますが、
(この一族から祈られても奄美にいるすべての神はこの一族を助けるな、放置せよという内容。
たぶん神山荒らしをした男かその代理人が誠心誠意詫びるまで廻状は有効)
これを見ても分かるように、霊的に見た世界では、一族連帯責任の模様です。
同時に、神様からのご加護のお力を何世代もいただいてきた家であるなら、
連帯責任は至極当然ですよね。
先祖のご加護で生きてたなら、先祖の業で苦しむのもごく当たり前のことです。
でもそれは、ある意味では救いでもあるんですね。
それは、「誰か一人でも神様に寄り添う生き方をすれば、そのおかげによって一族全体がいくらか浮上できる」
ということでもあるからですね。
だから、1つ目としては、
『先祖が契約した神様への信仰を、つい最近の身内が安易に捨てたことによる反作用』
を埋め合わせるための、
償い&信仰の継承としての神棚
ということですね。
2つ目は、その家の徳(善心・善行)が下がったことによって、
元々いただいている守護神からの加護を受け取れなくなった場合。
これは明らかに生きてる人間の心がけの責任ですが、
その家の人間の徳を増やすための器づくりとして、
神棚を持つ、つまり信仰を高めるという作法によって信仰を媒介にして先祖霊や神々からのアドバイスを聞きやすい状態にする場合です。
この場合は、自然消滅に近くなるわけですが、そうなってほしくないがために、ご先祖が警告を出して神棚を持たせることも多いと思われます。
そもそも、何故先祖が「特定の神様への信仰によって、その家を守ろうとしたのか」まで考える必要があります。
その家には、おそらく古代においてなんらかの神がかりがあったでしょうし、
また同時に、その家にはある種の「業(罪業)」のようなものも存在していたのかもしれません。
家の「業」を薄めるために、その家に徳のある人が生まれるというのはよくある話です。
どういう背景があれ、先祖の中で信仰の力に秀でた人達が信仰をはじめ、
また続けてこられた信仰によって、
本来なら業で自滅するはずだった家が神様のご加護のおかげで再び栄え、
多くの人を潤わせたであろう末に、
やがて子孫が信仰の起こりや、信仰によって神様のお力で一族が守られてきた事実を見失い、
安易な宗旨替えや信仰の放棄などをすると、
ご先祖や、守護神が怒らないわけがないし、
また、ご先祖や守護神は怒らずとも、
その『先祖からのご加護や守護神からのご加護の象徴であった信仰を安易に捨てる』という行動そのものに、
一族の徳がさがり、
その分だけ、守護神の力によって薄められつつあった過去の先祖の業や、また本人の過去世の罪業を増幅させる動きとなってしまう部分があるのではないでしょうか?
結論として
『永く家を守ってくださっていた神様やその信仰を立て継承し家を守ってこられたご先祖様に対して非礼を犯したのは誰か』
ということなんですね。
もしも私がユタさんなら、
「信仰の世界とは、決してどこかの宗教だけが偉くてそれ以外は悪魔とかじゃなく、
それぞれの神様が、それぞれの得意分野をもって
古くから家や地域を守っていた、連綿と続いていた霊的現実の世界」
「先祖が立てて祀っていた神様のお力と、先祖の信仰によって、家や一族が守られていた事実」
「だから、安易な宗旨替えや信仰の放棄は、長く家や地域を守ってこられたご先祖様や神様方への大変な非礼にあたる」
「だから、本来は宗旨替えや信仰の放棄に際しても、祖霊や神々への丁寧な配慮や礼儀が必要(ヘタしたらそれに一世代費やしてもいいくらい)」
「それもせずに一方的にご先祖様や神様からの御恩をドブに捨てるような仕打ちをしたら、神罰受けても当然だし、
祟られないまでも今まで神様がくださってた家の運気とりあげられるのは当たり前だし、
そもそもそういう非礼をやっちゃう時点で本人が悪霊呼び込むようなことしてるから、
悪霊に翻弄されるよね。
そしてそれまで悪霊から家を守ってくださってた神様を突き放したのは自分たちだよね」
「本当は本人がそれらに気づいて、考え方を変えて、徳を増す生き方をすると同時に、
神様に誠心誠意お詫びして、再びこの家を栄えさせようとする決意をすることが大事なんだけど、
でもそういうの説明してもどうせ分かんないから、
まずは本人に神棚持たせて、あとは本人が信仰のなかで神様から教えていただけばいいや。
本当に本人が真剣に感謝を先祖と神様に向けてたら教えてもらえるし、それが受け取れなくても最悪神棚大事にしてたら神様がなんとかしてくださるし」
「とりあえず神棚持たないと死ぬぞと言っとくか」
とユタさん達は思ってたんだろうなぁとあくまで憶測です。
繰り返しますが、奄美の神様は本来『拝まないと祟る』神様でもなんでもありません。
むしろ、そういう神様を誤解したのは誰のどんな行いのせいか?という話です。
自分たちが作った原因をすっとばして、結果だけをフォーカスしてはダメなんですね。
だから私達は、神の世界や信仰に対して無知であったことを反省し、
これまで奄美を守り導いてくださった幾多の祖霊と神々に、まず心からの感謝を捧げるべきだと思うんです。
その上で、ご本人がしたい別の信仰があればそれも大切にされたらいいと思いますし、
少なくとも私はそうさせていただいております。
その信仰もやがて、その家や地域を守る神様となるでしょうから。
以上はあくまで野崎梨乃の個人的見解ですので、
鵜呑み厳禁ですからね!!!!
ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
おわり。
間違ってたら私が罰を被ります(笑)
奄美のユタさんがよく使う言葉に、
「カミダカイ」
の次に
「あんた神拝みしないと大変なことになるよ」
という言葉があります。
これも誤解を与える言葉筆頭なんですが、でも霊的に見たら事実なんですね。
事実だからこそ、本来細やかな説明が必要なのではないかと思っているわけです。
たしかに、信仰をナメくさって、「自分の都合のいい時だけ神様に頼ればいいや」と思ってる人に対しては、
神様の有り難みを説明するより、多少脅した方が効果があるのも分かりますけどね。
でも、現代においてはちゃんと説明してもそろそろいいんじゃないかと私などは老婆心を発揮してしまうわけです。
そもそも『神棚』そのものは昔はどの家でも持ってるものですで、
ユタさんの言う『神棚』とは、
「奄美の人達が自宅で通常持っていた大工神や水神・火の神とは違う神」
「特定の神様を祀る神棚」という意味であり、
「その家の先祖が長く祀っていた、その家の守護神をされていた特定の神様の為の神棚」
と表現した方が分かりやすいかもしれません。
では、何故、子孫が今になってその神様を祀らないと大変なことになるのか?
これには、2通りの解釈が考えられます。
1つは、その家の守護神からの神罰もしくは運気とりあげがきている場合。
これは、むかーし昔に力のある神格存在を先祖が祀られた時に、
「末永くあなた様をこの家でお祀りいたしますので、どうぞこの家の子供達を健康で繁栄させてください」
とご先祖が数代~数十代に渡って祈り続け、その信仰の力によって、神様のお力で、その家が繁栄していた場合によくあります。
神様からのお力で栄えていた家が、ある代になって突然子孫が「よく分からん祖母がしてた神棚なんか知らねーし、捨てればいいんじゃない?」となったらどうなるでしょうか?
一言で言うと
「殺されても文句言えません」。
これマジです。
まぁ、ほとんどの場合は、その前にご先祖が一生懸命警告してくださいますし、神様も神様で、いきなり殺すようなことはしませんが、
信仰捨てて2代か3代くらいたっても反省できないようなら、ゆっくりとその家の運気をとりあげはじめるように思います。
(そもそもその運気自体が、神様が今まで何世代にもわたってくださってたものだから、とりあげられても文句言えない)
だから、先祖の持ってた信仰を捨てた人本人より、その本人の子供とか孫の代にドカーンとくるんですね。
じゃあ、それは先祖のもってた信仰捨てた本人の責任じゃないかって?
どうもそれは、一族連帯責任らしいんですね。
少なくとも古代は、一族連帯責任という考え方みたいです。
神様だって古代からずーっと神格存在なわけですから、基本その通りのお考えです。
以前、私の家の幸福の科学の祭壇通して、奄美霊界から霊的に
『神山を荒らした男とその家族への神罰を書いた廻状』
が届いてビックリしたことがありますが、
(この一族から祈られても奄美にいるすべての神はこの一族を助けるな、放置せよという内容。
たぶん神山荒らしをした男かその代理人が誠心誠意詫びるまで廻状は有効)
これを見ても分かるように、霊的に見た世界では、一族連帯責任の模様です。
同時に、神様からのご加護のお力を何世代もいただいてきた家であるなら、
連帯責任は至極当然ですよね。
先祖のご加護で生きてたなら、先祖の業で苦しむのもごく当たり前のことです。
でもそれは、ある意味では救いでもあるんですね。
それは、「誰か一人でも神様に寄り添う生き方をすれば、そのおかげによって一族全体がいくらか浮上できる」
ということでもあるからですね。
だから、1つ目としては、
『先祖が契約した神様への信仰を、つい最近の身内が安易に捨てたことによる反作用』
を埋め合わせるための、
償い&信仰の継承としての神棚
ということですね。
2つ目は、その家の徳(善心・善行)が下がったことによって、
元々いただいている守護神からの加護を受け取れなくなった場合。
これは明らかに生きてる人間の心がけの責任ですが、
その家の人間の徳を増やすための器づくりとして、
神棚を持つ、つまり信仰を高めるという作法によって信仰を媒介にして先祖霊や神々からのアドバイスを聞きやすい状態にする場合です。
この場合は、自然消滅に近くなるわけですが、そうなってほしくないがために、ご先祖が警告を出して神棚を持たせることも多いと思われます。
そもそも、何故先祖が「特定の神様への信仰によって、その家を守ろうとしたのか」まで考える必要があります。
その家には、おそらく古代においてなんらかの神がかりがあったでしょうし、
また同時に、その家にはある種の「業(罪業)」のようなものも存在していたのかもしれません。
家の「業」を薄めるために、その家に徳のある人が生まれるというのはよくある話です。
どういう背景があれ、先祖の中で信仰の力に秀でた人達が信仰をはじめ、
また続けてこられた信仰によって、
本来なら業で自滅するはずだった家が神様のご加護のおかげで再び栄え、
多くの人を潤わせたであろう末に、
やがて子孫が信仰の起こりや、信仰によって神様のお力で一族が守られてきた事実を見失い、
安易な宗旨替えや信仰の放棄などをすると、
ご先祖や、守護神が怒らないわけがないし、
また、ご先祖や守護神は怒らずとも、
その『先祖からのご加護や守護神からのご加護の象徴であった信仰を安易に捨てる』という行動そのものに、
一族の徳がさがり、
その分だけ、守護神の力によって薄められつつあった過去の先祖の業や、また本人の過去世の罪業を増幅させる動きとなってしまう部分があるのではないでしょうか?
結論として
『永く家を守ってくださっていた神様やその信仰を立て継承し家を守ってこられたご先祖様に対して非礼を犯したのは誰か』
ということなんですね。
もしも私がユタさんなら、
「信仰の世界とは、決してどこかの宗教だけが偉くてそれ以外は悪魔とかじゃなく、
それぞれの神様が、それぞれの得意分野をもって
古くから家や地域を守っていた、連綿と続いていた霊的現実の世界」
「先祖が立てて祀っていた神様のお力と、先祖の信仰によって、家や一族が守られていた事実」
「だから、安易な宗旨替えや信仰の放棄は、長く家や地域を守ってこられたご先祖様や神様方への大変な非礼にあたる」
「だから、本来は宗旨替えや信仰の放棄に際しても、祖霊や神々への丁寧な配慮や礼儀が必要(ヘタしたらそれに一世代費やしてもいいくらい)」
「それもせずに一方的にご先祖様や神様からの御恩をドブに捨てるような仕打ちをしたら、神罰受けても当然だし、
祟られないまでも今まで神様がくださってた家の運気とりあげられるのは当たり前だし、
そもそもそういう非礼をやっちゃう時点で本人が悪霊呼び込むようなことしてるから、
悪霊に翻弄されるよね。
そしてそれまで悪霊から家を守ってくださってた神様を突き放したのは自分たちだよね」
「本当は本人がそれらに気づいて、考え方を変えて、徳を増す生き方をすると同時に、
神様に誠心誠意お詫びして、再びこの家を栄えさせようとする決意をすることが大事なんだけど、
でもそういうの説明してもどうせ分かんないから、
まずは本人に神棚持たせて、あとは本人が信仰のなかで神様から教えていただけばいいや。
本当に本人が真剣に感謝を先祖と神様に向けてたら教えてもらえるし、それが受け取れなくても最悪神棚大事にしてたら神様がなんとかしてくださるし」
「とりあえず神棚持たないと死ぬぞと言っとくか」
とユタさん達は思ってたんだろうなぁとあくまで憶測です。
繰り返しますが、奄美の神様は本来『拝まないと祟る』神様でもなんでもありません。
むしろ、そういう神様を誤解したのは誰のどんな行いのせいか?という話です。
自分たちが作った原因をすっとばして、結果だけをフォーカスしてはダメなんですね。
だから私達は、神の世界や信仰に対して無知であったことを反省し、
これまで奄美を守り導いてくださった幾多の祖霊と神々に、まず心からの感謝を捧げるべきだと思うんです。
その上で、ご本人がしたい別の信仰があればそれも大切にされたらいいと思いますし、
少なくとも私はそうさせていただいております。
その信仰もやがて、その家や地域を守る神様となるでしょうから。
以上はあくまで野崎梨乃の個人的見解ですので、
鵜呑み厳禁ですからね!!!!
ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
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