「カミダカイ」の本当の意味 ~自慢に使う前に知ってほしいこと~
2018年05月23日
これは個人的意見です。
奄美市内のとあるブログ読者様(スピ系)とお電話させていただいていて、
とある話題になりました。
それは
「最近、自分のことを『カミダカイ』と自称する女性が増えている。
大体、カミダカイの意味を勘違いしていて、
自分のことを特別だと自慢したいニオイがぷんぷん漂ってくる。
正直頭が痛い。」
(このお電話の主Xさんは超真面目な方です)
う~ん・・・
これは、奄美のユタさん側の説明不足と、
女性側の認識不足の両方があると思うんですよね。
どうもXさんいわく、一部の女子は
「私ってぇ~カミダカイんだってぇ~
もしかして私、特別な存在?かもぉ~」
と思ってるらしい。
そういう一部の女子の夢をある意味ではぶち壊すことを書きます(笑)
そもそも、『カミ高い』とはなんでしょうか?
沖縄には「セジ(霊力)高い」という表現があるように、
「セジ(霊力)」とは、「カミ(ヂカラ)」と同義ではないかと思われます。
(私の口寄せに出てきた生前ユタしてた父の伯母の霊が、母に対して
「カミヂカラをつけろ」
って言ってたので、たぶんカミダカイってのはカミヂカラのことだと推測)
では、その「セジ」とはなんでしょうか?
沖縄では、セジとは「先祖の霊力」であり、「先祖や一族に関わる神々の霊力」とされています。
つまり、一言で言うと、セジ(霊力)とは、
『自分に関わる先祖霊や、先祖が信仰していた神々からのご加護の霊力』
(と同時に、自分がそれらの先祖霊や神々を深く信じ感謝する信仰心による確信波動による念力)
のことだと思われます。
では、セジダカイ=カミダカイとは何か?
一言でざっくり言ってしまうと
「あなたのご先祖やご先祖が崇拝されていた神様からのご加護の霊力がお強いですね」
ということだと思われます。
「先祖の徳」であって、本人の徳じゃないんですね。
まぁ、たまには百歩譲って前世が霊能者だったり巫女だったりして信仰心による霊力を高めてきた人もいるでしょう。
ただ、それであっても、それは「前世の徳」であり、本人のモンじゃありません。
ですから、ユタさんがそれを感じた相手に「カミダカイ」とお伝えする時には、
「あなたはご先祖やご先祖が信仰されていた神様方に深く守られ愛されていますから、
ご先祖やご先祖が信仰されている神様方に感謝を常に忘れないようにして、
さらに、そのご加護を自分一人のものとせず、
多くの人に分けるような愛と思いやりのある生き方をされるといいですよ」
とお伝えされるのが望ましいと個人的には思いますし、
それを聞く側は
「自分はご先祖様と神様に守られているんだ!ありがたいことです」
とそれを恭しくいただく気持ちを新たにされたらいいと思うんですね。
だから、『カミダカイ』とは、先祖と神々に感謝を向けるべきことであり、
自慢にはならないどころか、
ある意味においてはとても怖いことなんです。
だって、考えてもみてください。
「ご先祖とご先祖が信仰していた神々から守られている人」
が、
「ご先祖への感謝もご先祖が信仰していた神々への信仰心もないくせに」
「自分のくだらない自慢の種にそれを使う」
って行為が、何を招くと思いますか?
普通に見て、本人が徳(心のレベル)を落としますね。
徳とは、ご先祖の霊や神々からの霊力を受け取る器です。
徳が落ちたらどうなるでしょうか?
いくらご先祖が強くても、神々が強くても、
本人が徳をすり減らしていけば、それだけ霊力をいただく器が小さくなり、
結果的にご先祖や神々が本人を守ろうとしても守れなくなるんですね。
「生まれはカミダカイ(ご先祖様の力が強い)けどそれを自慢した時点で本人の徳は凡人以下」
奄美市内のとあるブログ読者様(スピ系)とお電話させていただいていて、
とある話題になりました。
それは
「最近、自分のことを『カミダカイ』と自称する女性が増えている。
大体、カミダカイの意味を勘違いしていて、
自分のことを特別だと自慢したいニオイがぷんぷん漂ってくる。
正直頭が痛い。」
(このお電話の主Xさんは超真面目な方です)
う~ん・・・
これは、奄美のユタさん側の説明不足と、
女性側の認識不足の両方があると思うんですよね。
どうもXさんいわく、一部の女子は
「私ってぇ~カミダカイんだってぇ~
もしかして私、特別な存在?かもぉ~」
と思ってるらしい。
そういう一部の女子の夢をある意味ではぶち壊すことを書きます(笑)
そもそも、『カミ高い』とはなんでしょうか?
沖縄には「セジ(霊力)高い」という表現があるように、
「セジ(霊力)」とは、「カミ(ヂカラ)」と同義ではないかと思われます。
(私の口寄せに出てきた生前ユタしてた父の伯母の霊が、母に対して
「カミヂカラをつけろ」
って言ってたので、たぶんカミダカイってのはカミヂカラのことだと推測)
では、その「セジ」とはなんでしょうか?
沖縄では、セジとは「先祖の霊力」であり、「先祖や一族に関わる神々の霊力」とされています。
つまり、一言で言うと、セジ(霊力)とは、
『自分に関わる先祖霊や、先祖が信仰していた神々からのご加護の霊力』
(と同時に、自分がそれらの先祖霊や神々を深く信じ感謝する信仰心による確信波動による念力)
のことだと思われます。
では、セジダカイ=カミダカイとは何か?
一言でざっくり言ってしまうと
「あなたのご先祖やご先祖が崇拝されていた神様からのご加護の霊力がお強いですね」
ということだと思われます。
「先祖の徳」であって、本人の徳じゃないんですね。
まぁ、たまには百歩譲って前世が霊能者だったり巫女だったりして信仰心による霊力を高めてきた人もいるでしょう。
ただ、それであっても、それは「前世の徳」であり、本人のモンじゃありません。
ですから、ユタさんがそれを感じた相手に「カミダカイ」とお伝えする時には、
「あなたはご先祖やご先祖が信仰されていた神様方に深く守られ愛されていますから、
ご先祖やご先祖が信仰されている神様方に感謝を常に忘れないようにして、
さらに、そのご加護を自分一人のものとせず、
多くの人に分けるような愛と思いやりのある生き方をされるといいですよ」
とお伝えされるのが望ましいと個人的には思いますし、
それを聞く側は
「自分はご先祖様と神様に守られているんだ!ありがたいことです」
とそれを恭しくいただく気持ちを新たにされたらいいと思うんですね。
だから、『カミダカイ』とは、先祖と神々に感謝を向けるべきことであり、
自慢にはならないどころか、
ある意味においてはとても怖いことなんです。
だって、考えてもみてください。
「ご先祖とご先祖が信仰していた神々から守られている人」
が、
「ご先祖への感謝もご先祖が信仰していた神々への信仰心もないくせに」
「自分のくだらない自慢の種にそれを使う」
って行為が、何を招くと思いますか?
普通に見て、本人が徳(心のレベル)を落としますね。
徳とは、ご先祖の霊や神々からの霊力を受け取る器です。
徳が落ちたらどうなるでしょうか?
いくらご先祖が強くても、神々が強くても、
本人が徳をすり減らしていけば、それだけ霊力をいただく器が小さくなり、
結果的にご先祖や神々が本人を守ろうとしても守れなくなるんですね。
「生まれはカミダカイ(ご先祖様の力が強い)けどそれを自慢した時点で本人の徳は凡人以下」
になるわけです。
だから、「カミダカイ」という言葉を安易に自慢に使うのは私自身はオススメしません。
むしろ、「カミダカイ」という言葉を言われた人は
自分のこれまでのご先祖様とご先祖様が信仰されていた神々への不信心と不徳を恥じて、
自分がご先祖の徳によって守られていることへの感謝を高め、
多くの人にそれを分けていくことが重要であると私は思うんです。
繰り返し述べますが、
「カミダカイ」とは、本来とても重い言葉だと思います。
神々の世界とは、それを自慢の種にすべきものではありません。
神の世界とは、本来とても崇高かつ厳しいものです。
神への信仰とは、本来は多くの人の命であり指針であり社会規範であり願いであり希望であり公の発展と調和そのものです。
一族の繁栄と幸福を願う利他の祈りによって、ご先祖は心のレベルを高め、同時に霊力を高め、
信仰の霊力とその実践によって一族を守り、また導いてこられました。
その霊力の源は、ご先祖様が敬って祀られた神々であり、また長い利他行の末にカミアガリ(昇神)されたさらに古いご先祖様方です。
つまり私達は、神々と先祖霊につねに守られているのです。
その『無私無我なる想いの重ねられた道』の上に、今の私達があります。
それは自慢すべきことでしょうか?
否。
それを知る私達は、ただただ、その事実に深く頭を下げ、ひざまづき、感謝すべきだと思いませんか?
この事実のどこに、「私ってカミダカイって言われるんですよぉ~」と自慢できる要素があるんですか?
だから、「カミダカイ」という言葉を安易に自慢に使うのは私自身はオススメしません。
むしろ、「カミダカイ」という言葉を言われた人は
自分のこれまでのご先祖様とご先祖様が信仰されていた神々への不信心と不徳を恥じて、
自分がご先祖の徳によって守られていることへの感謝を高め、
多くの人にそれを分けていくことが重要であると私は思うんです。
繰り返し述べますが、
「カミダカイ」とは、本来とても重い言葉だと思います。
神々の世界とは、それを自慢の種にすべきものではありません。
神の世界とは、本来とても崇高かつ厳しいものです。
神への信仰とは、本来は多くの人の命であり指針であり社会規範であり願いであり希望であり公の発展と調和そのものです。
一族の繁栄と幸福を願う利他の祈りによって、ご先祖は心のレベルを高め、同時に霊力を高め、
信仰の霊力とその実践によって一族を守り、また導いてこられました。
その霊力の源は、ご先祖様が敬って祀られた神々であり、また長い利他行の末にカミアガリ(昇神)されたさらに古いご先祖様方です。
つまり私達は、神々と先祖霊につねに守られているのです。
その『無私無我なる想いの重ねられた道』の上に、今の私達があります。
それは自慢すべきことでしょうか?
否。
それを知る私達は、ただただ、その事実に深く頭を下げ、ひざまづき、感謝すべきだと思いませんか?
この事実のどこに、「私ってカミダカイって言われるんですよぉ~」と自慢できる要素があるんですか?
もしも「私ってカミダカイって言われるんですよ」と他者に対して用いる時には、
そのあとに続く言葉が、ご先祖と神々への感謝の言葉であってほしいと、
私は思います。
奄美の人に、知ってほしいことがたくさんたくさんあります。
本来私はそれを伝える任にはない者ですが、
私の浅知恵がどなたかのお役に立てたら幸いです。
奄美の人に、知ってほしいことがたくさんたくさんあります。
本来私はそれを伝える任にはない者ですが、
私の浅知恵がどなたかのお役に立てたら幸いです。
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