猿田毘古大神と比良夫貝(転載)
2013年12月16日
猿田彦は海人族だったんじゃね?というか、古事記の部族って大体海人族じゃね?
そもそも邪馬台国が海人族としか考えられない生活してるもんね!
そう、邪馬台国のルーツは奄美だもんね!
てゆーか、古代縄文は全国規模で海人族の文化だもんね!!
てことは、日本のルーツは奄(以下略
と思う方はこれを読んで唸るがよい。
猿田毘古大神と比良夫貝
http://www2.ocn.ne.jp/~syouji/kodaisi_12-E.html より
猿田毘古大神は「天孫降臨」説話において、案内者として語られますがここではその実像を探ります。
1、
「サルタビコ(猿田毘古)大神は、あざか(阿耶訶)にいらっしゃったとき、漁をなさろうとして「ひらぶ(比良夫)貝」という貝にその手をくい合わされて海水中に沈み溺れられました。
その時、海底に沈んでいた時の名を底着くみ霊と言い、海中がつぶつぶ泡立つ時はつぶ立つみ霊と言い、その泡がはじけ裂ける時の名を、泡裂くみ霊と言います。
~(略)~こういうことで、御代御代、志摩の国の海人部が急ぎの便で天つ神の御子(ニニギの命)にお供えの魚介類等を奉る時には、「サルメ(猿女)の君」(猿田毘古の神+うずめの命=サルメの君とした合成語)らにそれをわけて下さるのです」と、語られます。
-------ここまで『古事記』引用
このように猿田毘古の大神は国つ神の中で特別な存在の「高天原や葦原の中つ国に輝く太陽神」です。古事記神話の中で大神として語られるのは「天照大御神」とこのサルタビコの二神だけです。天照は征服者サイドの神として、猿田毘古は被征服者サイドの神として。それと勝者側から付けられたサル「猿」タビコと貶められた漢字表記として。
そして、ニニギの命に次ぐ(no2)の扱いを受けているのは「天孫降臨」の局面において豊葦原の瑞穂の国側(国つ神)を統合して水先案内人として協力した結果と、記述されています。
古事記の語る猿田毘古神が阿耶訶(あさか)において比良夫貝に手を食合わされて溺れた後、どういう運命をたどったかは古事記には語られていませんが(この部分は非常にわかり難い)。
猿田毘古大神が阿耶訶にいた時、の阿耶訶の場所を解説では三重県松坂市の西に大阿坂・小阿坂の地名があり、猿田毘古神を祭る阿射加神社がある。・・・とありますが(『古事記』上184ページ)この説話の天孫降臨の場所は九州であって、奈良県や三重県へ舞台が移るのはずっと後の神武天皇の大和侵入後のことです。
2、
ひらぶ(比良夫)貝について
さて、上の説話がリアリテーを持たないと思われているのは、ひらぶ貝がどんな貝か未詳となっていることと「サルタビコ=猿田毘古」の特に「猿」の漢字表記にあるわけですがこの比良夫貝は沖縄やその周辺の南方のサンゴ礁の海で太陽の光の合成を養分として生育している沖縄で「ギーラ」と呼ばれている「シャコ貝」ではなかろうか?
それとサルタビコは古事記が記すように元々は高天原や葦原の中つ国に輝く大神であり太陽神。
これの意味するところは高天原にいる天照大神や葦原の中つ国を支配する大国主よりも、ずっと古くて、上位の神です。
① 1メートルを超える程に大きくなる大型の二枚貝であって、手を食い合わされ溺れる可能性のある貝を探すと「シャコ貝」の他に見当たらない。
シャコカイの参考:
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/kataru/mori/syakogai/index.html
② サンゴ礁の海の海深10メートル以下の太陽光を栄養素として生きている。
この説話が語られる原初の場所は「阿耶訶」と語られますがこの場所は沖縄・奄美の海ではなかろうか。
・・・・・国つ神々の信奉する倭人(志摩の国=糸島半島の海人部)は元々の祖先は黒潮の流れくる沖縄・奄美方面の海=常世国に住む「鯨面文身」と「二倍年暦」を持つ海洋民だったと思います。そこから分流の対馬海流に載ってやってきた。その倭人の始祖神。
③シャコ貝はかって新石器(縄文)には貝斧の素材としても使用されていて、黒曜石にも似た重要な役割を果たし、南太平洋文化圏を構成するひとつである。
宮古島北海岸の海岸線に近い砂地から、先史時代、沖縄の島々が南太平洋の文化圏と関連があったのではないか?と見られる遺跡が出土した。イモガイ製装飾品と共に、大シャコ貝製貝斧約120点である。
--------以上『古代史発掘(’88~’90)』24ページから引用
そこにはその地域の固有の貝を伴った数々の神話が有ったんだろう。・・・その一つに上のサルタビコの「み霊」神話があり、この神話が人と共に伝播して、ゴボウホラ貝やイモ貝の腕輪を伴った遺跡が出土する理由でもあるわけです。
このように、「記紀神話」は数々の神話形態を持つ「海洋民」の語る神話となっています。
そもそも邪馬台国が海人族としか考えられない生活してるもんね!
そう、邪馬台国のルーツは奄美だもんね!
てゆーか、古代縄文は全国規模で海人族の文化だもんね!!
てことは、日本のルーツは奄(以下略
と思う方はこれを読んで唸るがよい。
猿田毘古大神と比良夫貝
http://www2.ocn.ne.jp/~syouji/kodaisi_12-E.html より
猿田毘古大神は「天孫降臨」説話において、案内者として語られますがここではその実像を探ります。
1、
「サルタビコ(猿田毘古)大神は、あざか(阿耶訶)にいらっしゃったとき、漁をなさろうとして「ひらぶ(比良夫)貝」という貝にその手をくい合わされて海水中に沈み溺れられました。
その時、海底に沈んでいた時の名を底着くみ霊と言い、海中がつぶつぶ泡立つ時はつぶ立つみ霊と言い、その泡がはじけ裂ける時の名を、泡裂くみ霊と言います。
~(略)~こういうことで、御代御代、志摩の国の海人部が急ぎの便で天つ神の御子(ニニギの命)にお供えの魚介類等を奉る時には、「サルメ(猿女)の君」(猿田毘古の神+うずめの命=サルメの君とした合成語)らにそれをわけて下さるのです」と、語られます。
-------ここまで『古事記』引用
このように猿田毘古の大神は国つ神の中で特別な存在の「高天原や葦原の中つ国に輝く太陽神」です。古事記神話の中で大神として語られるのは「天照大御神」とこのサルタビコの二神だけです。天照は征服者サイドの神として、猿田毘古は被征服者サイドの神として。それと勝者側から付けられたサル「猿」タビコと貶められた漢字表記として。
そして、ニニギの命に次ぐ(no2)の扱いを受けているのは「天孫降臨」の局面において豊葦原の瑞穂の国側(国つ神)を統合して水先案内人として協力した結果と、記述されています。
古事記の語る猿田毘古神が阿耶訶(あさか)において比良夫貝に手を食合わされて溺れた後、どういう運命をたどったかは古事記には語られていませんが(この部分は非常にわかり難い)。
猿田毘古大神が阿耶訶にいた時、の阿耶訶の場所を解説では三重県松坂市の西に大阿坂・小阿坂の地名があり、猿田毘古神を祭る阿射加神社がある。・・・とありますが(『古事記』上184ページ)この説話の天孫降臨の場所は九州であって、奈良県や三重県へ舞台が移るのはずっと後の神武天皇の大和侵入後のことです。
2、
ひらぶ(比良夫)貝について
さて、上の説話がリアリテーを持たないと思われているのは、ひらぶ貝がどんな貝か未詳となっていることと「サルタビコ=猿田毘古」の特に「猿」の漢字表記にあるわけですがこの比良夫貝は沖縄やその周辺の南方のサンゴ礁の海で太陽の光の合成を養分として生育している沖縄で「ギーラ」と呼ばれている「シャコ貝」ではなかろうか?
それとサルタビコは古事記が記すように元々は高天原や葦原の中つ国に輝く大神であり太陽神。
これの意味するところは高天原にいる天照大神や葦原の中つ国を支配する大国主よりも、ずっと古くて、上位の神です。
① 1メートルを超える程に大きくなる大型の二枚貝であって、手を食い合わされ溺れる可能性のある貝を探すと「シャコ貝」の他に見当たらない。
シャコカイの参考:
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/kataru/mori/syakogai/index.html
② サンゴ礁の海の海深10メートル以下の太陽光を栄養素として生きている。
この説話が語られる原初の場所は「阿耶訶」と語られますがこの場所は沖縄・奄美の海ではなかろうか。
・・・・・国つ神々の信奉する倭人(志摩の国=糸島半島の海人部)は元々の祖先は黒潮の流れくる沖縄・奄美方面の海=常世国に住む「鯨面文身」と「二倍年暦」を持つ海洋民だったと思います。そこから分流の対馬海流に載ってやってきた。その倭人の始祖神。
③シャコ貝はかって新石器(縄文)には貝斧の素材としても使用されていて、黒曜石にも似た重要な役割を果たし、南太平洋文化圏を構成するひとつである。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:54│Comments(0)
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