ヤマトヒメ妄想探訪(笑)~奈良・北九州・奄美~
2012年09月30日
これは妄想なので、ファンタジックな話題が苦手な方はスルーしてください(笑)
先日、あるお客様をさせていただいたときに、なんとも不思議なイメージを感じた。
お客様をさせていただいていると、唐突に
『やまとひめ』
という言葉と、赤紫色の大きな布が何度も何度も頭に浮かぶのです。
今までマッサージのイメージにいろいろな色の布をイメージとしてわざと使うことはあっても、
意図していないのにハッキリと、しかもこれほどまでに大きな布を見せられたのははじめてだった。
しかも『やまとひめ』って???なにこれ???
なんじゃこりゃーと思っていると、お客様がこんなお話をしてくださった。
「奄美はこのままのこしててほしいです。
私はいろんなところにいきましたけど、奄美の山にはすごくご神気が感じられます。
本土でここと同じご神気がのこってるのって、私の感覚では、奈良の奥地の、修験道とかの修行場がある◎◎山とか(聞き取れず)、てんかわむらとかあの周辺くらいですよ。あそことすごく似た雰囲気がするんです。
奄美大島はできたらこのまま、人の手をいれずにのこしてもらいたいなぁー」
実は『やまとひめ』という言葉がでてくるのは、これがはじめてではありません。
8月に北九州に旅行にいったとき、奄美を立つ日の朝に、起きけにパシーン!と
『やまとひめ』
という言葉だけ強烈に頭にやきつけられたことがあったのです。
お恥ずかしながらやまとひめなんて全然しらなかった私はあわててパソコンでググり(笑)、
やまとひめ(倭媛?)について調べてみたところ、以下にあたりました。
①天照大御神をお祭りする場所(今の伊勢神宮の場所)を定めた皇女の巫女さん
②伊勢神宮の斎宮してたヤマトタケルノミコトの伯母さん
ここから推察するに、 おそらく『ヤマトヒメ』は、個人の名前ではなく、伊勢の斎宮としての称号なのではないかと仮定する。
あくまで私の憶測なので、違ってたらすいません。
では、どうして北九州に行く日の朝に、『やまとひめ』という言葉が私のところにきたのか?
北九州とヤマトヒメという言葉のつながりを調べると、景行天皇(ヤマトタケルノミコトのパパ)がでてくる。
えーと、ということは、ヤマトタケルノミコトの伯母さんは北九州出身ということかな?
でもそれだと、どうして奈良と奄美を結ぶ話がでたときに『やまとひめ』と赤紫色の布がでてきたのだろうか?
えーと、たしか私のうつす写真にはよく赤紫色の奇妙な光うつるが、どうもそれは奄美の民族神の光らしい。
奄美の民族神で私を加護してくださっているのは、「ウカシマチノミコト」という名前の男性の神様だそうです。
奄美のユタ神様的には「山神」に位置する神様らしい。
このウカシマチノミコトは、なぜか、日本書紀にでてくる「弟ウカシ」だという。(さる方の霊視ではそうらしい)
もうこの時点で、どうして奈良の豪族だった神が奄美の民族神をしているというのかまったく理解できない。誰か、ことのいきさつを説明してくれ!(笑)
しかし、はからずも旅行者の方から「奄美大島と奈良の奥地は同じご神気を感じる」という言葉をきけたわけだ。
では、そのお話を聞いたときに私のイメージにでてきた『やまとひめ』とはなんだろうか?
やまとひめは奈良と奄美をつなぐ存在?でも、弟ウカシさんとどうつながりが?
と、天川村のホームページを調べてみたら、
『7世紀後半、皇位継承をめぐる争いで窮地にたたされた大海人皇子は、大和朝廷を守護する神々のふるさと吉野を訪れ、勝利を祈願して琴を奏じました。
すると、その音に乗って天女が現れ、戦勝の祝福を示しました。
この天女は、役行者が弥山山頂に祀ったとされる弥山大神でした。
これに力を得た皇子は、壬申の乱に勝利を収め、即位して天武天皇となります。
その後、天皇はこの天女の加護に報いるため、弥山の麓に神殿を造営し、「天の安河の宮」とされました。これが天河大辨財天社の始まりだと伝えられており、天川村の名前の由来となったとされています。
日本の三大弁天のひとつに数えられているこの天河大辨財天社では、中央にその弁才天女、右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来)左に吉野権現(蔵王権現)がお祀りされており、神仏習合の形態を今も残しています。
また、神社は大峯本宮あるいは吉野総社として、大峯修験の要の行場とされ、古来、高僧や修験者たちが集まりました。
とくに弘法大師空海の参籠後は、大峯参り、高野詣と併せて多くの人々が訪れるところとなりました。』
えーと、よくわかんないけど、女神様が祀られてるのはよーくわかったぞ!(笑)
奄美とは女神つながりなのか!そうなのか!でもそうなると、弟ウカシ様はどこでつながるんだ!(笑)
この女神が『やまとひめ』なのか?だとすると、やまとひめとは誰だ?
余談ですが、兄ウカシのからくり屋敷と弟ウカシのすぐれた計略を見ると、忍者みたいな雰囲気がしなくもない。
天川村の人々も南朝の天皇をずっとかくまってたし、忍者みたいな身のこなしなのよね。
この辺少し気になります。
話は戻りまして、私にふってきた妄想とはいえ、奄美と北九州と奈良をつなぐ『やまとひめ』という言葉が何を示すのか、
それを考えると、やはり「卑弥呼なのかな?」と思うわけです。
(マクモニーグルさんによると、卑弥呼の一族であるヤマト部族は奄美から勢力を拡大して北九州に部族の一部が移住し、有明海から福岡・山口西側一帯の支配圏をもっていた。
その後ヤマト国は出雲と同盟を結び、出雲と敵対していた近畿の複数の部族とも同盟を結んで「ヤマト国連合」をつくり、卑弥呼がその女王となる。
卑弥呼は奈良と山口に宮殿をもち、季節によって住まいを変えてそれぞれ指導していたらしい)
卑弥呼の夏の居城があったとされる奈良県宇陀市榛原の鳥見山。ウカシマチノミコトは、その一帯となんらかの関わりがあるのだろうか?
さらにいえば、おそらくは卑弥呼のルーツであるところの、奄美の古代の位置づけが、はげしく気になります。
余談その2。昨夜これを調べながらウトウトしたので寝ようとしたら、「あまわり」という言葉が頭にフッと思い浮かびました。
どっかできいたことがあるなーと思ったら、琉球王朝に滅ぼされた沖縄南部の豪族でした。
今はすこしでも奄美考察に関する材料がほしいので、これも記しておきたいと思います。
追記。これはあくまで私にきたインスピレーションであり、私の前世などとはまったく関係ありません。
私はやまとひめの一人でもないですし、弟ウカシでもありません(笑)
私にくる歴史にまつわるインスピレーションは、あくまで奄美の歴史の探究のために与えられたヒントであると考えております。
先日、あるお客様をさせていただいたときに、なんとも不思議なイメージを感じた。
お客様をさせていただいていると、唐突に
『やまとひめ』
という言葉と、赤紫色の大きな布が何度も何度も頭に浮かぶのです。
今までマッサージのイメージにいろいろな色の布をイメージとしてわざと使うことはあっても、
意図していないのにハッキリと、しかもこれほどまでに大きな布を見せられたのははじめてだった。
しかも『やまとひめ』って???なにこれ???
なんじゃこりゃーと思っていると、お客様がこんなお話をしてくださった。
「奄美はこのままのこしててほしいです。
私はいろんなところにいきましたけど、奄美の山にはすごくご神気が感じられます。
本土でここと同じご神気がのこってるのって、私の感覚では、奈良の奥地の、修験道とかの修行場がある◎◎山とか(聞き取れず)、てんかわむらとかあの周辺くらいですよ。あそことすごく似た雰囲気がするんです。
奄美大島はできたらこのまま、人の手をいれずにのこしてもらいたいなぁー」
実は『やまとひめ』という言葉がでてくるのは、これがはじめてではありません。
8月に北九州に旅行にいったとき、奄美を立つ日の朝に、起きけにパシーン!と
『やまとひめ』
という言葉だけ強烈に頭にやきつけられたことがあったのです。
お恥ずかしながらやまとひめなんて全然しらなかった私はあわててパソコンでググり(笑)、
やまとひめ(倭媛?)について調べてみたところ、以下にあたりました。
①天照大御神をお祭りする場所(今の伊勢神宮の場所)を定めた皇女の巫女さん
②伊勢神宮の斎宮してたヤマトタケルノミコトの伯母さん
ここから推察するに、 おそらく『ヤマトヒメ』は、個人の名前ではなく、伊勢の斎宮としての称号なのではないかと仮定する。
あくまで私の憶測なので、違ってたらすいません。
では、どうして北九州に行く日の朝に、『やまとひめ』という言葉が私のところにきたのか?
北九州とヤマトヒメという言葉のつながりを調べると、景行天皇(ヤマトタケルノミコトのパパ)がでてくる。
えーと、ということは、ヤマトタケルノミコトの伯母さんは北九州出身ということかな?
でもそれだと、どうして奈良と奄美を結ぶ話がでたときに『やまとひめ』と赤紫色の布がでてきたのだろうか?
えーと、たしか私のうつす写真にはよく赤紫色の奇妙な光うつるが、どうもそれは奄美の民族神の光らしい。
奄美の民族神で私を加護してくださっているのは、「ウカシマチノミコト」という名前の男性の神様だそうです。
奄美のユタ神様的には「山神」に位置する神様らしい。
このウカシマチノミコトは、なぜか、日本書紀にでてくる「弟ウカシ」だという。(さる方の霊視ではそうらしい)
もうこの時点で、どうして奈良の豪族だった神が奄美の民族神をしているというのかまったく理解できない。誰か、ことのいきさつを説明してくれ!(笑)
しかし、はからずも旅行者の方から「奄美大島と奈良の奥地は同じご神気を感じる」という言葉をきけたわけだ。
では、そのお話を聞いたときに私のイメージにでてきた『やまとひめ』とはなんだろうか?
やまとひめは奈良と奄美をつなぐ存在?でも、弟ウカシさんとどうつながりが?
と、天川村のホームページを調べてみたら、
『7世紀後半、皇位継承をめぐる争いで窮地にたたされた大海人皇子は、大和朝廷を守護する神々のふるさと吉野を訪れ、勝利を祈願して琴を奏じました。
すると、その音に乗って天女が現れ、戦勝の祝福を示しました。
この天女は、役行者が弥山山頂に祀ったとされる弥山大神でした。
これに力を得た皇子は、壬申の乱に勝利を収め、即位して天武天皇となります。
その後、天皇はこの天女の加護に報いるため、弥山の麓に神殿を造営し、「天の安河の宮」とされました。これが天河大辨財天社の始まりだと伝えられており、天川村の名前の由来となったとされています。
日本の三大弁天のひとつに数えられているこの天河大辨財天社では、中央にその弁才天女、右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来)左に吉野権現(蔵王権現)がお祀りされており、神仏習合の形態を今も残しています。
また、神社は大峯本宮あるいは吉野総社として、大峯修験の要の行場とされ、古来、高僧や修験者たちが集まりました。
とくに弘法大師空海の参籠後は、大峯参り、高野詣と併せて多くの人々が訪れるところとなりました。』
えーと、よくわかんないけど、女神様が祀られてるのはよーくわかったぞ!(笑)
奄美とは女神つながりなのか!そうなのか!でもそうなると、弟ウカシ様はどこでつながるんだ!(笑)
この女神が『やまとひめ』なのか?だとすると、やまとひめとは誰だ?
余談ですが、兄ウカシのからくり屋敷と弟ウカシのすぐれた計略を見ると、忍者みたいな雰囲気がしなくもない。
天川村の人々も南朝の天皇をずっとかくまってたし、忍者みたいな身のこなしなのよね。
この辺少し気になります。
話は戻りまして、私にふってきた妄想とはいえ、奄美と北九州と奈良をつなぐ『やまとひめ』という言葉が何を示すのか、
それを考えると、やはり「卑弥呼なのかな?」と思うわけです。
(マクモニーグルさんによると、卑弥呼の一族であるヤマト部族は奄美から勢力を拡大して北九州に部族の一部が移住し、有明海から福岡・山口西側一帯の支配圏をもっていた。
その後ヤマト国は出雲と同盟を結び、出雲と敵対していた近畿の複数の部族とも同盟を結んで「ヤマト国連合」をつくり、卑弥呼がその女王となる。
卑弥呼は奈良と山口に宮殿をもち、季節によって住まいを変えてそれぞれ指導していたらしい)
卑弥呼の夏の居城があったとされる奈良県宇陀市榛原の鳥見山。ウカシマチノミコトは、その一帯となんらかの関わりがあるのだろうか?
さらにいえば、おそらくは卑弥呼のルーツであるところの、奄美の古代の位置づけが、はげしく気になります。
余談その2。昨夜これを調べながらウトウトしたので寝ようとしたら、「あまわり」という言葉が頭にフッと思い浮かびました。
どっかできいたことがあるなーと思ったら、琉球王朝に滅ぼされた沖縄南部の豪族でした。
今はすこしでも奄美考察に関する材料がほしいので、これも記しておきたいと思います。
追記。これはあくまで私にきたインスピレーションであり、私の前世などとはまったく関係ありません。
私はやまとひめの一人でもないですし、弟ウカシでもありません(笑)
私にくる歴史にまつわるインスピレーションは、あくまで奄美の歴史の探究のために与えられたヒントであると考えております。
北九州の旅四日間まとめ
北九州に行く前に土器さん関連と前世関連を整理(超ファンタジー日記)
とある出来事 夢と符号 故人からのメッセージ
徳之島はやっぱりすごい島だった!!
殉国七士廟参拝その後(つぶやき)
今回の旅のまとめ(メモ)
北九州に行く前に土器さん関連と前世関連を整理(超ファンタジー日記)
とある出来事 夢と符号 故人からのメッセージ
徳之島はやっぱりすごい島だった!!
殉国七士廟参拝その後(つぶやき)
今回の旅のまとめ(メモ)
この記事へのコメント
急に昔聞いた事あるような、ないような言葉がフッと頭に浮かんだりして、なんだったっけーと調べると、今知りたかった情報に繋がったりすることって、結構あるよね(^^) 色々調べてまた教えて~!(^^)!
天川村だったか、吉野だったか、その辺の神社の人達が、明神崎の音楽祭で祈祷みたいのしてたかも(;一_一) テクノにのせて護摩焚きしてたような・・・ 不思議な光景でしたよ(T_T)
天川村だったか、吉野だったか、その辺の神社の人達が、明神崎の音楽祭で祈祷みたいのしてたかも(;一_一) テクノにのせて護摩焚きしてたような・・・ 不思議な光景でしたよ(T_T)
Posted by ゆみ at 2012年09月30日 17:59
あまわりと奄美の関係・・・
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4916087909/blogzine-22/ref=nosim
この本の論考にあったような、なかったような(;一_一)
県立図書館にあるよ~ 読書の秋におススメです
北部の人じゃなくて、南部の勝連を拠点に交易してた伝説上の人物ですね
いい名前(^^)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4916087909/blogzine-22/ref=nosim
この本の論考にあったような、なかったような(;一_一)
県立図書館にあるよ~ 読書の秋におススメです
北部の人じゃなくて、南部の勝連を拠点に交易してた伝説上の人物ですね
いい名前(^^)
Posted by ゆみ at 2012年09月30日 22:22
赤紫。
フッとイメージが湧いたのが、縄文時代のこの衣装。
ご参考までに…
ねずさんの ひとりごと
「世界に誇る縄文文化」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html
フッとイメージが湧いたのが、縄文時代のこの衣装。
ご参考までに…
ねずさんの ひとりごと
「世界に誇る縄文文化」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html
Posted by くをん at 2012年10月01日 01:35
今日見た古事記を扱った番組で、一瞬だけヤマトヒメの名前が出てきました。
Posted by 七菜子 at 2012年10月01日 23:28
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。