しーまブログ 日記/一般奄美大島 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

古代シュメールと日本と徳之島

2010年05月18日

宗派から回ってきたメールですが、面白そうなんでチョイスしてみました。

シュメール人が遺したといわれるペトログリフは徳之島にもありますね。
ちなみに徳之島のペトログリフは湯湾岳をさしてます。
詳しくは西林昭和「神宿る徳之島」をドゾー



Subject: 日本人シュメール起源説 修正版


転送いたします☆ユダヤルーツの映像というのもあります。1/3~3/3まであります。
これもかなり昔から言われている説ですが、カタカナや京都の祇園祭の御神輿など
「これで決まり!」というぐらいの証拠ではないでしょうか。
1/3 Japanese are Jewish? Eng/Sub 日本とユダヤ
http://www.youtube.com/watch?v=00BP86cks4w&feature=player_embedded

また、天武王朝(在位:AD673-686年)時代に古事記、日本書紀などの他に記紀とい
うのも作られており、確実性のない神武王朝(BC660-BC585 邪馬台国成立直前あ
たりと言われています)までも「万世一系」の中に組み込んで、天皇家の系統を構築し
ていますが、これは王統をできるだけ古くしたかったことと、崇神天皇以前の遺跡、古
墳を説明する意味でも神武天皇の存在が必要だったのではないかと言われていま
す。この記紀の内容もとても興味深いものがありますので、お時間ある方はご確認ください。
また『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)には古代天皇の身体的特徴なども記述
されていて、こちらは今や当会の会員なら驚かない内容ではありますが、まだ衆知
されるには時間がかかることでしょう。この『先代旧事本紀』はWikiによりますと、
「序文には推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したもの(『日本書紀』
推古28年(620年)に相当する記述がある)とある。このことなどから、平安中期から
江戸中期にかけては日本最古の歴史書として『古事記』・『日本書紀』より尊重され
ることもあった。しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられる
ようになり、徳川光圀や伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた。
本書の成立は、実際には大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~
906年)以前と推定されている。」と書かれています。こちらもお時間ある時に読まれ
てははいかがでしょうか。
★たかはし
■―――――
Subject::日本人シュメール起源説

日本において、シュメール文明についての研究は、戦前早くから進められてき
た。*「スメル学会」*や*「バビロニア学会」*が組織され、何冊もの研究報告
が出版されていたのである。

だが、そんな研究報告の多くがあまりにも驚異的な内容を含んでいたので、戦
後の“実証主義”の歴史学のなかで、ほとんど故意に抹殺されてしまった。そこ
に共通する論点が、だれもが予想もしないような*「日本人シュメール起源説」*だ
ったからである。

もっとも、それを最初に唱えたのは日本人ではなかった。元禄時代、日本にや
ってきたドイツ系のオランダ人歴史学者*ケンペル*である。日本の歴史を研究し
た彼は「高天原はバビロニアにあった」とし、「日本人は、はるか西方のその源
郷から渡来した」と提唱したのである。

●しかし、当時の日本には、まだ、民族の歴史を世界史規模で考えるだけの視
野がなく、注目する人もいなかった。
が、大正年間になって、バビロニア語を学んだ*原田敬吾*氏がこのケンペル説
を踏まえ、新たに「日本人シュメール起源説」を発表したのである。

「人類発生の原点とみられる西アルメニア高原から流れ出す、チグリス・ユー
フラテス川下流域の沃野シュメールの地──この平原こそ、人類最初の楽園 “エ
デンの園”(シュメール語でエディンとは平野のこと)であり、日本民族の祖先も
ここから移り住んできたのだ。」

●これが原田説の骨子だが、彼は論拠として「シュメールの日の神ウト、海の
神ヤーなどが、広く日本で崇拝された痕跡があること」、「創世神話、イシュタ
ル女神の冥界下りなど、シュメール神話の多くが、日本神話に取り入れられてい
ること」、「古事記のイザナギノミコトの服装が、シュメール君主の服装に合致
すること」、「シュメール人は元来海辺の民で、航海術にたけていたこと」、「日
本語の地理的名称にシュメール系の言葉が多いこと」──などをあげている。

原田氏がこの「日本人シュメール起源説」を最初に提示したのは、大正7年11月
の「バビロン学会」。当時、シュメール学は現在とは比較にならないほど未熟 だった
が、そのなかでこれだけダイナミックな仮説を唱えることができたのである。

●この原田説を継承、発展させたのが*三島敦雄*氏である。
伊予大三島神社に奉職し、神社・古典に造詣の深い三島氏は、昭和2年12月
に発行した*『天孫人種六千年史の研究』*で、「日本人シュメール起源説」を論
じている。これは600ページ近い大著で、その論証は多岐にわたっている。
緻密な論証によって、日本人の起源をシュメールに求めた三島敦雄氏の
『天孫人種六千年史の研究』

●まず、三島氏はいう。
「古語に天皇をスメラミコトとも、スメラギ、ミカド、明津神とも申しあげる
ことは、国家としてはかつて国の基底であった。なのにこれら原始時代の言語は、
すでに遠く古代においての言義を忘失し、ために我々が民族史も国語の理想信
仰も、不徹底ならざるを得なかった。しかしその語源を徹底研究することによっ
て、われらが日本人の本源は、さながら暗雲を破れる旭日を仰ぐ感じでわかっ
てくるのである。」この語源とは何か。

「スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、
ラは助辞の変化、シュメールとも発音された。このスメとは神の意で、ラテン語の
スメ(Summae)も至上至高の意で同系語である。スメ(皇)をすべ(統)の意に解して
“統制”の意にするのは、はなはだしい間違いで、天皇=神であり、スメル国は皇(スメ)
国と一致して神国ということなのだ。また、スメラギとはスメル、アグ(AK)の複称で
あり、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”
すなわち神ということ。明津神とは、シュメール語の日神ウツ(Ut)の御子たる火神ア
グの権化として、この国土に降りたまわったのだ。」

すなわち、三島氏によれば天皇の古語はすべてシュメール語で解釈でき、いず
れも“天から降られた神”を意味している。とすれば、古代の日本に天皇をいた
だいて天降った(=渡来した)民族は、シュメールの王族とその民だった──とい
うことになる。

また、古代バビロニアの日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣は、
日本の三種の神器に一致し、古代バビロニアに多く見られる菊花紋は旭日を美
術化したもので、皇室の菊花紋章に一致する──とも指摘して、証拠を次々に突
きつ けている。

●ただ、三島氏は日本に渡来したのはシュメール人だけではない、と考えてい
た。
彼は大陸の東端にある日本列島には、様々な民族が渡来・漂着していたことに
も注目していた。たとえば倭人派は前インドのクメール族であり、隼人派と前出
雲派はマラヤ・ポリネシヤ族、後出雲派は朝鮮ツングース族などである。

結局、三島氏の日本人シュメール起源説を要約すると、次のようなものになる。

「古代の日本列島にはさまざまな民族が渡ってきたが、建国の大業を経営統一
した中心人種は、世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だった。彼らは今か
ら数千年前その大宗家たる皇室を奉戴して、人類文明の揺りかごである西の豊葦
原の瑞穂の国から、日出ずる豊葦原の瑞穂の国に移住し、シュメール人本来の大
理想を表現するためにこの日本を築いた」……と。



●この三島氏に先立つ大正10年、*『古事記神話の新研究』*で、やはりシュメールの
故地メソポタミアと日本文明との関係を追求したのが*石川三四郎*氏である。

石川氏は明治時代に活躍したキリスト教社会主義者だが、社会運動への弾圧が
厳しくなるなかで日本を脱出。ヨーロッパや北アフリカを流転して歩いた。この本
の構想はその放浪生活の中で生まれたもので、したがって用いられた資料の多
くは西洋のものであった。

石川氏もまた、日本とメソポタミアの文明が非常によく似ていることを、シュメール
神話と日本神話の比較などから指摘する。が、彼の場合、直接的な日本人
シュメール起源説をとらず、そのメソポタミア文明の媒介者として*ヒッタイト民族*
を置くのである。

メソポタミアと日本文明の関係を追究した石川三四郎氏の『古事記神話の新研究』



同じカテゴリー(奄美)の記事画像
山口敏太郎IN奄美大島トークイベント 2/1(金)Barクロスポイントで開催決定!
ある神格存在の足跡 ~古代縄文文明とある山岳民族から
『浮かび上がりはじめたニライ・カナイの原風景』の衝撃度 琉球発展のモデルは奄美にあった
8/15アマンデー終戦祈念参拝
車いす客に階段はわせるバニラ・エアの一件について報道されてない部分
古神道口伝に残されていた『海神国』の場所 ~第73代武内宿禰こと竹内睦泰さんの書籍より
同じカテゴリー(奄美)の記事
 ある国防関係者様からのタレコミ情報 台湾侵攻可能性について (2023-06-20 11:38)
 何故薩摩は奄美の歴史を奪ったのか・奄美側からの一考 (2022-11-21 09:29)
 ケンムンの正体と奄美の悲しみ ~本土の霊能者A先生から~ (2021-01-23 12:22)
 古仁屋の飲み屋Wで若い自衛隊さんにからんだのは誰だ! (2019-06-15 01:49)
 昔の自分の記事を読んで面白がってる変態 (2019-06-12 11:19)
 現代の霊障  ~墓移動がもたらした霊障とその背景について (2019-06-07 09:57)

Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 17:29│Comments(0)奄美
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
古代シュメールと日本と徳之島
    コメント(0)